第六場「みどり色の切符、ねずみ色の切符」
「和彦!」
僕たちのいるボックス席に勢いよく駆け込んできたのは――伊織さん、だった。
「……伊織、」
「切符、見せて!」
「どうして黙ってるの、ねえ。これ、嘘だよね、あんたの切符も緑色だよね?」
伊織さんの手には、緑色の小さな証書のような紙が握られている。
問い詰められた和彦さんは、ねずみ色の切符を取り出し、幌舞に渡した。
「……はい、確かに」
「何かの、悪い夢だよね……?」
「あぁ……」
「目が覚めたら、あたしたち、京都だよね? 楽しみにしてた旅行だよね?」
「伊織さん、落ち着いて……!」
伊織さんを落ち着かせようと、声をかける沢渡さん。
緑色の切符を持っているのは、生きている人間だけ。
「一周年記念の……ねぇ、そうだって言ってよ!」
「……病院だよ」
「は……?」
絞り出すような、声だった。
和彦さんは彼女を強く見つめて、その細い肩を掴む。
「目が覚めたらお前は病院のベッドにいて……怪我してるんだよ。旅行どころじゃない、しばらくはリハビリの日々だ」
「こんなときに、冗談なんて……あんた、ぶっ飛ばすよ?」
「落ちたんだ。バスが。夜中、山沿いをずーっと走ってて……いきなり、崖に……落ちていった」
「和彦さん……思い出したの?」
僕がそう問うと、彼は苦しそうに微笑んだ。
「君の、星の話を聞いてるうちに思い出したんだ。あのとき、バスの窓からは天の川が見えていて、お前は隣で眠ってた。夏の大三角形が、ゆっくり、傾いてって、それから……」
その話を聞いているうちに沢渡さんの目が潤んで、車掌の幌舞さんに縋る。
「あの、車掌さん、なんとかなりませんか……よくあるでしょ、臨死体験みたいな感じで、死ぬ運命の人が助かったり、」
「無理です」
男か女かわからない車掌の声と表情からは、感情が読めない。
緑色の切符をくしゃくしゃに握りしめて、伊織さんも車掌に縋る。
「なんでよ!?」
「規則なので、」
「なんとかならないの!?」
今度はそこへ、美加子ちゃんが駆けこんできた。
「あ、美加子ちゃん? 切符、見つかったの?」
彼女は僕の問いかけを無視して、鉄郎をにらみつけていた。
「てっちゃん……」
「あぁ、いらっしゃいましたか」
幌舞さんは、彼女がここへ来ることが最初からわかっていたみたいだった。
美加子ちゃんは、鉄郎に「最低」と言い放つ。
「てっちゃん、なんでウソついたの?」
「美加子ちゃん、どういうことだよ?」
「それは……」
言い淀む鉄郎。
「……出して。私の切符」
「切符の譲渡はできません。ましてや、人の切符を盗むなど……」
「盗む? おい鉄郎、なんとか言えよ」
「……盗む気なんてなかったんだ、ただ、落ちてたのを拾っただけなんだよ……!」
鉄郎はねずみ色の切符を二枚取り出すと、美加子ちゃんに、その一枚を渡した。
「言い訳なんてききたくない。てっちゃん、あなたは私達の権利を……」
「それが、ねずみ色の切符だったから、二枚あれば、晃と」
「死者の権利を踏みにじったのよ……!」
「晃とサザンクロスで降りられるって思ったんだよ!」
「それができるのは死んだ人だけなの!」
ぴしゃり、と美加子ちゃんが告げる。
つまり、死んでいたのは、僕じゃなくて――
「ひとりで天上になんか行きたくないんだ……」
「死んでくことに変わりはないわ」
「美加ちゃんだって、そうだろ……?」
「私は……違う!」
鉄郎と美加子ちゃんが、死んでいて。
僕と沢渡さんが、生きている。
「よろしいでしょうか皆さん。まもなく、終点です。さあ、最後の切符は、あなたたちですよ」
幌舞さんは伊織と和彦へ手を向ける。
「……和彦、」
「いいんだ。俺はこのまま、サザンクロス駅で降りる」
「なんで!?」
「そういう決まりなんだ」
「バカじゃないの!? どうして、なんであたしだけ……!?」
和彦さんは、突然伊織の手をとり、握った。
彼女は驚いて、両手で彼の手の温度を何度も何度も確かめていた。
「和彦の手……つめたい……夢、なのに、」
「夢じゃないから冷たいんだ」
「そんな……」
鉄郎は、僕に緑色の小さな証書のような紙を差し出した。
「なに?」
「これが、本当のお前の切符だ」
「晃君、いろいろごめんね」
「美加子ちゃん……ごめんって、なに」
「私、わかってたの始めから」
「わかってたって?」
「死んでるとね、お互い、なんとなくわかるんだよね。だから始めにてっちゃんが困った顔してたとき、見てないふりした」
「……鉄郎のは?」
「俺のは、こっち。ねずみ色の切符」
鉄郎は切符を掲げると、力なく笑った。
沢渡さんが訝し気に聞く。
「いつ……っていうか、なんで……?」
「溺れたんだ。部活の仲間と遊びに来た川で……ははは、よくある、死に方だな」
「笑ってんじゃねぇよっ!」
鉄郎、お前が、なんで?
「はい、結構です……あなたも、隣の車両でおじいさんが待っているんじゃないですか?」
「あぁ……」
「最後の、お見送りを」
「……そう、ですね」
幌舞さんに告げられて、沢渡さんは隣の車両で果たすべき役割をしに、立ち上がった。
「伊織、俺たちも」
「和彦……」
「……最後まで、見送ってくれないかな?」
伊織さんは、ただただ、頷くしかなかった。
和彦さんは、去り際に立ち止まって、鉄郎へ言った。
「俺たちは、誰かが見送ってくれるから逝けるんだ。……一番言いたいことを堪えて、伝えなきゃいけないことを、伝えなきゃいけない、俺たちは、いかなくちゃいけないんだ。そのことを、どうか……忘れないで欲しい」
生者が、死者を見送るために運行する銀河鉄道。
「星野くん、それじゃ、また……」
「……うん」
沢渡さんも、去っていった。
このボックス席で生きている人間は、もう僕しか、いない。
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