第五場「切符の行方」
「……追いかけないの?」
「あぁ、いいんだ」
和彦さんは、隣の車両へ去っていった伊織さんを追わなかった。
「なんか……すみません」
「いえ……」
沢渡さんが謝る。
彼女が話した事実は、僕たちを消沈させるのに十分すぎていた。
和彦さんを僕らの座るボックス席にすすめて、窓の外を眺める。
この列車は、もうずいぶんと長い間、星の海を進んでいる。
「……早く帰りたいな、うちに」
「っていうか課題おわった?」
「……いきなりそれ?」
沢渡さんは、少し空気の読めない所がある。
僕がうちに帰りたい、なんて言ったから、きっと彼女なりに帰ったらするべきこと、を考えたんだろう。
「だめ? だってもう夏休みも半分終わってるんだよ? 私、まだだからさぁ……」
「おい生徒会長」
「生徒会長だって宿題は後回しにしますよ? っていうかこの人、星野くんの友達?」
「一応」
「おい一応ってなんだ」
鉄郎と沢渡さんは案外気が合うかもしれない。少し和んだ空気に安心する。
「小学校んときの知り合い」
「へぇ……! ちょっと意外」
「なにが」
「……だって、星野くん、小学校あんまり良い思い出ないって言ってたから。仲良い子いたんだーって思って」
「あぁ……晃、お前高校どこ通ってんの?」
「ニシコー」
「え、めっちゃ頭いいとこじゃん! 中学受験してるだけあるな、さっすが教授!」
「教授?」
「そう教授。小学校んときのこいつのあだ名。父ちゃんが大学教授だから」
「そうなの? すごいじゃん、私知らなかった」
「やめろよ、その呼び方」
「なんで?」
「ほんと……嫌なことばっかり思い出すから」
「おぉ……そうか、ごめん」
小さい頃からサッカーや野球よりも本が好き。しかも親がそういう職業だからという理由だけでからかいの対象になった。僕はそれが嫌だったのと、どちらかと言えば教育熱心な母の影響で別の中学を受験した。
ただ、それだけだった。
「何が残ってるんだ?」
「はい?」
「宿題」
今まで黙っていた和彦さんが沢渡さんへ声をかけた。
たぶん、見た感じ僕たちよりも年上……大学生くらい、だろうか。
「……自由研究」
「いやもう手遅れでしょ」
「星野くん、そんなこと言わないでよ~」
「良い題材があるじゃないか……ほら……」
和彦さんは窓の外へ目をやる。
気味が悪いくらいに美しい銀河が広がっている。
先ほどから列車は天の川のほとりを走っているらしく、乳白色の川面がきらきら輝いている。
「この天の川を観測して、レポートにまとめればいい」
「……これを? 無理だよ。星っていうか、光る川って感じだし」
「え、お前星詳しいじゃん」
「惑星のこととこれは違うだろ」
和彦さんは何を考えているんだろう。
彼は伊織さんと話していたときよりも、かなりぼんやりとしているように見えた。
一方で、沢渡さんは眼鏡越しの目をさらに細めながら感心しっぱなしだ。
「確かに……細かい……川底の砂の、一粒一粒が光ってる……」
「晃、普通の天の川だとどんな星がみえるんだ?」
「……まず、東の空を見上げるんだ 。天の川は 北から南の空に向かって流れていて、てっぺんから、こと座のベガ、白鳥座のデネブ、わし座のアルタイルがみえる。これが夏の大三角形」
「君は、星に詳しいんだなぁ……」
「あの、和彦さん、さっきから大丈夫ですか?」
僕はどうしても気になって和彦さんを問いただす。
「うん……?あぁ、大丈夫だ、星があまりに綺麗なものだから、つい見とれてしまった。なんか、この風景を眺めているだけで、気持ちが安らぐんだ……」
「晃、星の続きは?」
「あ、あぁ……他に西の空だと 、ヘルクレス座、かんむり座、 うしかい座、へび座があるけど…… 天体望遠鏡じゃないとみえないから……」
「……変わってないなぁ。うん。星に関わる仕事をしたいって言ってた頃と、変わってない」
「よく覚えてるな、昔の話だよ、子供の頃の」
「でもよく言ってただろ。だから中学受験するんだって」
「まあね、あの頃はね」
鉄郎と小学校の夏休みに遊んだ記憶が蘇る。
それからたった五、六年で、ずいぶんいろいろなことが変わってしまった。
その頃を知らない沢渡さんが問う。
「今は、違うの?」
「どうかな……」
「何言ってんだよ、がんばれよ。俺たち、秘密基地つくったんだ。六年の、最後の夏休みに、な?」
「あぁ」
「離れ離れになっちまう前に、思い出作ろうって。近所の裏山で、いろんなもの持ち込んで、夜中遅くまでかかってさ」
「いいね、とっても楽しそう。男の子の夏休みって感じ」
「真っ暗になって、そろそろ帰ろうってなったときに、夜空を見上げたんだ。そしたら満点の星空で」
「おいおい、そんな昔のこと、よく覚えてるな……」
「あぁ、この銀河鉄道と同じか、それ以上に綺麗だったんだ」
鉄郎もうっとりと窓の外を眺める。
そうだった。最後の夏休みに一人で過ごしてくれた僕に、秘密基地を作ろうって声をかけてくれたのは、鉄郎だった。
「……なんであのとき、僕を誘ってくれたの」
「え?」
「いや……僕ら、別に友達ってほど仲良くもなかったじゃん」
「そしたらお前が、あれは何の星で、どういう星座になっててとか話してくれて、俺、すげぇって思ったんだ。やっぱり、お前、すげぇって」
「やめろよ、もう」
鉄郎は僕の制止も聞かずにしゃべり続けた。
何か大事なことを、僕に伝えようとしているような、そんな必死さは、まるで――
「なぁ、だから俺、この銀河鉄道にお前と乗れてるってことが、楽しくてしょうがないんだよ、だから……だから……」
「切符を拝見致します」
気づけば、すぐそこに車掌がいた。
和彦さんが聞き返す。
「……切符?」
「そうです。死者はねずみ色の切符。三次空間からのお客さんは緑色の切符をお見せ願います」
沢渡さんはポケットをごそごそして、緑色の小さな証書のような紙切れを取り出した。
「あ……これですか?」
「はい、ありがとうございます」
僕もすぐにポケットを探したが、何も出てこない。
「僕、そんなの持ってないよ……!」
「必ずお持ちになっているはずです。さあ、みせて」
「服のどっかに入ってるはずだよ、緑色のやつ……!」
「緑色……? お前の……鉄郎のは?」
鉄郎は彼女と同じ、緑色の小さな紙切れを取り出した。
「あ……お、おぉ……よかった」
「何がよかったんだよ」
「緑色ってことは、死んでないってことだよな、ごめん、ちょっと疑ってた。いきなり昔のこととか話しだすし。え、僕のは?」
「……これだけだ」
「え?」
「緑色の切符、三次空間からの切符は……これだけなんだ」
「は……いやいや冗談やめろよ、ウソだろ?」
「嘘じゃない」
「……じゃあ、僕は…………」
僕が――死んでいる人間なのか?
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