第四場「お見送り」
それは、いつもの喧嘩だった。
俺と
「和彦なんてもういい! 最低! どうしてそんなこと言うの!?」
「お前が降りたいって言うからだろ」
「だからって言って良いことと悪いことがあるんだからね」
「うるせぇブス」
「はぁ!? 一発殴らせろこんちくしょー!」
「あぁやってみろよ!」
言っておくが、伊織はブスじゃない。けっこう可愛い方だ。だがこんなところにいる混乱と、言えば言うほど激昂していく彼女を、なぜかもっと見ていたくなった。
「お願いだから落ち着いてくださいッ!!」
前の車両から俺たちの喧嘩っぷりの仲裁に入ろうと、ついてきた眼鏡の女の子がいた。
その子は俺と、俺につかみかかる伊織の間に入ってきたが、あっけなく伊織に突き飛ばされ、近くのボックス席に倒れこんだ。
「なんだなんだ」
「うるせぇのが入ってきたなぁ」
「あぁうるさくてほんっとにすみません……!!」
視線の隅で、その眼鏡の女の子はボックス席にいた二人の男の子たちに謝りまくっていた。俺も申し訳ないと思うけれど、胸倉をつかんできゃーきゃー言うこの伊織は、残念ながら止められそうにない。
坊主頭の男の子が、渋々助け起こしてくれているようだ。
「どうしたんだよ?」
「この二人、他のお客さんがいる中で喧嘩始めようとしてて、私その仲裁に入ったんですけど……」
直後、もう一人の男の子が、驚いたように声を上げた。
「あっ!?
「えっ晃、この眼鏡の子、知り合い!?」
「……星野くん!?」
どうやら知り合いだったみたいだ。
偶然の再会シーンを尻目に、伊織のテンションはさらにエスカレートしていく。
出会った頃から感情がすぐ表に出るわかりやすい性格で、そろそろ落ち着くように諭してやらないといけない。
「降りろって言われても無理に決まってるじゃない!」
「でも、降りたいんだろ?」
「どうやって乗ったのかも覚えてないの!」
「それは俺だって同じだよ」
「こういうときに限って頼りにならないんだから」
「伊織、たまには自分の頭で考えなさいっ」
「考えてるわよずーっと!」
「言ったろ、普通に他の客に聞いてみようぜって」
「だって怖かったんだもん、みーんな死んでる人みたいで」
「なんだよそれ」
「あんたはいっつも顔色悪いから、同じようなもんだけどねっ」
「そろそろ本気で怒るぞ」
怒る気なんてまったくない。だけど素直な彼女は、とっちらかってしまった自分の感情をうまく片付けることができずに涙目になっている。
どうしたもんかな――と思った時、彼らは助け舟を出してくれた。
「あの……降りたいのは、僕も同じです!」
「おい晃、」
「気づいたらこの電車に乗ってて……な?」
「あぁ……」
利発そうな男の子がボックス席から立ち上がった。坊主頭の男の子とは真逆の雰囲気の、おとなしそうな子だった。
「この電車は、死者しか乗れない電車なんだそうです」
「……どういうこと?」
伊織が話に飛びつく。この列車が一体どういう場所なのか、俺も知りたかった。
「たまに、僕たちみたいに生きてる人が、死んでる人に導かれて、この電車に乗ることができるそうなんです……」
「晃、それ本気で信じてんのか?」
「僕は信じてない!でもこの理由で納得できる人がいるならいいよ、別に」
「教えて、どうやったらこの電車から降りられるの?」
「それは……」
晃と呼ばれている彼の表情が曇った。
死者しか乗れない電車?――じゃあ、俺たちをこんなところへ導いたのは誰なんだ?
「おい伊織、こんなやつの言う事信じるのかよ?」
「何も知らないあんたより千倍マシだからっ」
「伊織ぃ……」
ツン、とそっぽを向く伊織のご機嫌は斜めのままだ。
俺たちのやりとりを見て、鉄郎と呼ばれている坊主頭の子がそっと沢渡さんにつぶやく。
「……この二人、最初からこんな感じなのか?」
「そう、じいちゃんがうるさいからどうにかしてこいって……」
「じいちゃん?」
「じいちゃん、この夏に死んじゃって……」
「え、それどういうこと?」
晃がその話に食いつく。俺たちも耳を傾けた。
「私をお見送りに選んだじぃちゃんなんだけど」
「お見送り……?」
「選んだ、ってなに?」
俺と伊織は顔を見合わせた。『死者に導かれてこの電車に乗ること』はお見送り?
晃は沢渡さんを問い詰める。
おそらくこの中で彼女だけが、最も明確な事情を覚えているに違いない。
「っていうか沢渡さんなんでこの電車に乗ってるの?」
「だから、じぃちゃんのお見送りで」
「ごめん、順番に話してくれない?」
晃と沢渡さんは、テンポよく事実を整理していく。
そこについていけていない鉄郎が、不思議そうに問う。
「っていうか沢渡さんって、晃とどういう関係?」
「あ……ごめんなさい、私、星野くんと同じ高校に通ってる、沢渡です」
「ちなみに生徒会長なんだ。僕は生徒会の書記」
「あ、そうなんすか」
「そうなんです……」
真面目そうな二人が生徒会だということについ納得してしまった。伊織もぱぁっと表情が明るくなって、とんちんかんなことを言う。
「だからお節介なんですね……!」
「えっ私がですか?」
「生徒会長だからってお節介ってわけじゃないと思うけどな」
すかさず鉄郎が突っ込む。
「すみません、こいつ頭軽くて」
「和彦、ひとこと余計」
「おまけに口も悪い……いてっ!」
「まあまあ……!」
伊織がひじで俺をど突くと、晃が彼女をなだめた。
沢渡さんは苦笑すると話を続けた。
「星野君は、優秀な……書記やってくれてます……で、続き話しますけど、私は死んだじいちゃんのお見送りで、この電車に乗ったんです」
「さっき言ってた、死んでる人に、導かれた、ってこと……?」
「はい。ここは、
突然カタカナが出てきて俺は混乱した。些細な疑問に晃が答える。
「ノーザンクロス?」
「北十字星のことです」
「サザンクロスは?」
「南十字星」
「じゃあこの電車は、北から、南へ向かってるってことか……?」
彼は星に詳しかった。北から南への旅路だということに、沢渡さんが首を傾げ答える。
「うーん、確か、地球からすでに離れてしまっているので、北も南もあるようでない感覚なんだとか……って、車掌の幌舞さんが言ってました」
車掌の、幌舞。
――北の
言葉が頭の中を、よぎった。
「電車じゃ、情緒も何もあったもんじゃない……電車に乗って、冥途の超特急なんて、どんなファンタジーだよって」
「晃、ここ、つねってみ?」
「は? なんで?」
「いいから」
晃は、鉄郎の頬をぎゅうっとつねった。
「いてててて! 強い強い強すぎるちょっとちょっと!」
「つねろって言ったのはそっちだろ!」
「ほら! この痛みはファンタジーじゃない、現実だ!」
「いや知らねぇし!」
今の……頭に浮かんだ言葉は……?
俺は大切なことを、忘れてしまっている気がした。
二人の茶番を見て微笑んだ伊織が、続きを促す。
「あの、続き、いいですか」
「あぁ、ごめんなさい。じぃちゃんは、身近な人の中から、天上へ向かうまでの最後のお見送りに私を選んだっていう……」
つねられた頬をさすりながら、鉄郎も聞き入る。
「いてて……で、そのじぃちゃんは?」
「隣の車両でお酒飲んでますけど」
「お見送りはいいのかよ!?」
「なんか車掌さんがお酒、売り歩いてたみたいじゃない? それだけじゃなくて、近くに座ってたのが、昔の知り合いだったみたいで……」
「テキトーなじぃちゃんだなぁ」
「なので、私は、生きてます。帰れます、普通に」
「普通に、って……ゲームじゃないんだから」
「全然説得力ねぇよな晃!」
「鉄郎はさっきから信じてるのか信じてねぇのかどっちかにしろよ!」
二人の漫才が始まる前に、沢渡さんは重要なことをぽつりと零す。
「まあ、生きてる限り、終点のサザンクロス駅では降りられないそうなので」
「降りられない? じゃああたしたちみんな、帰れるの?」
「おそらく……」
話の雲行きが怪しくなって、俺は伊織の手を握ろうとして――やめた。
「おそらく、ってなんだよ」
「皆さんに、乗る直前の記憶がない、ということに疑問があります」
「何が言いたいのよ?」
「もしかしたら……この中の誰かは、もう死んでるんじゃないかと」
「えぇっ!?」
晃が驚きの声を上げた。
すでに誰かが、死んでいる。
鉄郎が沢渡さんを責めるようにつぶやく。
「……なんでそんなことが言えるんだよ」
「いや……だって、あのお喋りな、車掌さんが言ってたんですよ……この電車に乗れるのは、死んだ本人と、そのお見送りに選ばれた身近な人だけですって。知り合い、友達同士なら……そのどちらかは」
「怖いこと言わないでよッ!!」
「伊織、」
「あたしたちのどっちかが死んでるなんて冗談でしょ」
「あぁ……でも」
「和彦は、死んでなんかないよね?」
伊織、ここに来る前、俺たちは何をしていた?
どこに向かおうとしていた?
「なんで黙るの?」
「それが、わからないんだ」
「なんで?」
「少しずつ、思い出してきたんだ。星が……綺麗な、夜だった。俺たち、夜行バスに乗ってさ、」
「違う!」
「旅行に、」
「はぁ? 何言ってんの? もういい、私、降りる方法は一人で見つけるから」
「馬鹿なこと言うなよ! おい、伊織!」
隣の車両へ向かう伊織を、俺は止められなかった。
この夢みたいな現実を、受け入れなきゃいけない。
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