第三場「幼馴染と初恋」

私が最後に覚えていたのは、揺れる機内、ぎゅっと手を握った両親の手、そして――落下していく感覚、だった。


「あの、ここらへんで切符、みませんでした?」

「え?」


失くした切符を探しているうちに、隣の車両まできてしまった。

そこにいたのは、私と同い年くらいの男の子二人。


「落としたみたいなんです、切符」

「どんな切符ですか?」


坊主頭の男の子がすぐに反応してくれた。

こんなところに来てまでおっちょこちょいを発揮した私に、親切心で接してくれたことが嬉しかった。


「ねずみ色……灰色! 灰色の切符です、このくらいの」


私が落としたのは、小さな切符。目が覚めたときには、確かに手の中にあったそれ。

たぶん、一通り車内をみてまわった時に落としてしまったらしい。

その時には、まだこの車両に彼らはいなかったはずだ。

いつのまに乗ったんだろう――と、考えて、すぐやめた。

時間の概念なんて、もう私には必要ないのだから。


「いやぁ、みてないですね」

「そうですか……」


彼らのすぐ近くに切符が落ちていたのなら、気づいたはずだ。

大事な大事な私の切符。

どこへ行くにも旅券は大事なもののはずなのに、見つからない。

見つからなかったら、私はどこにもいけないんだ。


「切符なくしちゃうと、どうなるんですか?」

「え?」

「さっき、車掌さんが切符を確認しに戻ってくるって言ってたんで。な?」

「あぁ」


顔の認識できない車掌、幌舞ほろまいさん。

乗車前のぼんやりした意識の中で、彼――彼女、かもしれない――の声を、聞いた気がした。

『切符はくれぐれも失くさないようにお願いしますね。大事な大事な、最後の旅路なのですから』

その言葉と同時に、埋もれていた記憶が突然浮上してきた。


――美加子ちゃん、またな!イギリス行っても、元気でな!――


くしゃっと笑った目元が、目の前の男の子と重なる。


「……てっちゃん?」

「へ?」


あの時のまま、彼らはここにいた。


「てっちゃんだよね? 松本、鉄郎くん?」

「そーですけど」

「覚えてない? 私、新海しんかい美加子」

「あ……美加、ちゃん?」

「やだ久しぶりー! え、偶然すぎ何年ぶりー?」

「え、え、マジで久しぶりー!」

「目元とか全然変わってないから、もしかして……って思ったんだけどやっぱりー!」


小学五年生で離れた日本。

まだ子供だった私の、ちいさな思い出たちが頭の中で像を結ぶ。


「え、誰」

「馬鹿お前、美加子ちゃんだよ、新海しんかい美加子ちゃん! 五年生んとき、転校してった!」


そしてその隣にいる彼は、きっと。


「もしかして……晃くん?」

「五年生……? あ……手紙……みどりの、手紙の……」

「よく覚えてるね」

「なんだよそれ」


みどりの便箋。

突然の転校で、お別れしなければいけなかった、夏。


「最後のお別れのときにくれた、便せんの色。五年生の夏だ」

「そう」


便箋の色よりも、手紙の内容は覚えてくれているだろうか。


「えっなにお前らデキてたの!?」

「内緒」


こんなところで再会してしまったんだから、手紙の続きは、伝えられない。


「それにしても……てっちゃんと晃君なんて、珍しい組み合わせだね」

「あ、あぁ……」


野球チームに所属してたてっちゃんと、ずっと本ばかり読んでいた晃くん。

最後の夏休みに一緒に遊んで、それから離れ離れになった私たち。


「中学上がってからは? 大丈夫だった?」

「僕は、中学は……私立受験したんだ」

「そうなんだよ、だから俺たち、この電車ん中で会ったのが、六年の夏以来で……五年ぶりぐらいか?」

「……そうなるな。でも美加子ちゃんは、なんでこの電車に乗ってるの?」

「そっちこそ。事故にでもあった?」

「事故? なにが?」


銀河を走る、死者しか乗れない特急列車。

あぁ私、死んだのね、と自覚した時には既に車内だった。


「私、飛行機事故」

「飛行機!?」

「え?」

「うん。イギリスに帰る途中で、小型機が海に落ちちゃってね」

「ニュースになってたっけ?」

「わかんない。でもまだだと思う。日本はいまお盆の時期でしょ? きっとニュースになるよ、そのうち」


窓の外、銀色の星明りが光速で通り過ぎていった。

電車が美しい銀河の中を突き進んでいけばいくほど、生きていた世界に対する未練や思いや悲しさなんかが、ぽろぽろと抜け落ちて、零れ落ちて、気持ちが軽くなっていくのを感じる。

南十字星サザンクロスがある天上へ向かうまでの、これが最後の旅路。


「二人とも何の話してんだよ?」

「……あー」


晃くんだけ、理解が追い付いてないみたい。


「っていうか、これってぜんぶ悪い夢だろ?」

「……てっちゃん」


もしくは、彼は理解する必要のない人ジョバンニなのかもしれない。

てっちゃんはわざと明るく取り繕う。


「あぁ……俺たち、なんか乗ったばっかでまだ状況がつかめてないんだ、ごめんな」

「わかってないってなんだよ!」


不思議な気持ちだった。晃くんがこんなに取り乱しているのに、私は、何か、一枚ベールを隔てたみたいにぼんやりした気持ちになっていた。これが、魂だとか思念体みたいな存在になる感じなのかもしれない。

それよりも、私は、大事な切符を、見つけなきゃいけないんだ。


「うん……サザンクロス行の切符、まだどこかに落ちてるかもしれない。見つけたら、言ってね」

「あぁ」

「美加子ちゃん!」

「あ、いま、天の川の中に入ったね……!」


窓の外が、より細かい微粒子の星々で真っ白に輝いた。

そこから、怖いくらいに、目が離せない。


「美加子ちゃん、わかるように説明してくれよ……」

「川の水、きらきらしてる……綺麗……」

「……美加子ちゃん」


ごめんね、晃くん。

走馬燈のように思い出がよぎるんだけど。


「晃くん、私ね、よく思い出してたんだよ。給食のときの、牛乳」

「え?」

「晃くんさ、牛乳のパックを開いて、こうやって飲もうとしたときあったでしょ」

「あぁ」

「そのとき、顔から思いっきり牛乳被ったよね」

「あぁ、あったなぁ」


大事な思い出たちが、一つずつ頭の中をよぎっては、消えていくのがわかった。


「それがなんだってんだよ!」

「思い出したの、この天の川をみて……」

「そんな昔のこと……」

「すっごく面白かったんだよ。そのことを、私、ずっと忘れない」


そしてもう二度と、思い出せないんだ。


「バカだなぁお前」

「てっちゃんもまったくおんなじことしてたけど」

「え」

「美加子ちゃん! ……はぐらかさないでよ」

「……だって」


美しすぎる星々に呑まれて、天上へ着くまでに、私は何もかもまっさらになってしまう。


「僕は死んでない。鉄郎も同じだ」

「そうなんだ……?」

「……そうだよ」


そうだといいなぁ。

でも、私たちは忘れていく人カンパネルラだから。


「私……切符、見つけなきゃ。じゃあね」


――晃くんへの思いは、最後まで銀河の海に零れ落ちないといいな――


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