第27話 最終章
*☆*☆*
木もれ陽が、目蓋に踊る。
大木の枝でまどろんでいたヤムは、下を行く馬車の音に片目を開けた。
遠くに臨むアルラントを、女たちが振り返っていた。
万感の思いで伸び上がったレイアに、生い茂った枝の間から、ヤムは優しいまなざしを向ける。
幸せそうな二人を見送って、ヤムはリュイーヌとの未来を思った。
叶うなら この二人のように、幸多いことを。
轍を踏む音が、遠くなる。
弾みをつけて起き上がったヤムは、そのまま大地へ飛び降りた。
もう、さっきまでの感傷めいた気配は消え、強かで暖かな笑みが浮かんでいる。
藪の中に繋いでおいた馬を引き出し、鞍にまたがったときには、未来だけを見つめる高揚感でいっぱいだ。
(ついでだ。あいつに 知らせてやるか)
軽く馬の腹をけり、ヤムはアルラントめざして早駆けた。
*☆*☆*
山積みの書類から目を上げたエルバスは、テラスへ続く飾り布の影に、ヤムがたたずんでいるのを認めた。
ふっと、いたづらっぽい苦笑が口辺をかすめる。
「そんなに、遠慮深い男だったのかな?」
羽ペンを投げ出して、物憂げに手招きするエルバスは、こころなし嬉しそうに見えた。
エルバスを知る宮廷人が見たら、きっと薄気味の悪さに目を背けたかもしれない。
「無事に 行った。すっかり渡りの者に、なってたな」
楽しげに告げるヤムが旅装束なのに気づいて、エルバスの顔が曇る。
ひどく寂しげな色が、ほんの刹那、瞳を翳らせ消えていった。
「今度は、どの辺りまで行くのか、聞く必要もないな」
呆れたような問いに、ヤムは笑った。
「そうだな。ひとまわりして、ほとぼりが冷めたら帰ってくる。ここには、お嬢がいるからな」
リュイーヌを思う顔に、エルバスは微笑んだ。
「そうだな。巫女姫殿は、おまえが帰ってくるまで、健やかであらせられるさ。いま宮廷は、横を見るひまもないくらい いそがしい。諸侯の関心は、政において、どこまで自分が実権を握るかに向いている。性懲りもなく だ」
無用心な言葉に、ヤムのほうが辺りを見回した。
「おまえがここにいるなら、誰も盗み聞きなどできないだろう? それとも無用心に、忍び込んだのか?」
上目遣いに、ため息を落としたヤムが、そのまま笑んだ。
「お礼の代りに噂話でも拾ってくる。それから、あの酔っ払いに伝えてくれ。老師は、闘いを望んでいない。できるなら穏やかに、政治の主導権を市民に移したいと願っている」
ヤムの言葉に目を見開いたエルバスが、唇を噛んで視線を落とす。
しばらくして上げた目は、笑顔の中で潤んでいた。
「それは、生涯をかけた わたしの願望でもある。そう、老師様に伝えてくれるか?」
我知らず伸ばしたエルバスの手を、ヤムは力強く握り返した。
エルバスの柔らかなその手に、なつかしい記憶がよみがえる。
いつも 心細くなったとき、ヤムが思い出す 頼もしい感触。
(これは? なに ?)
先に手をほどいたエルバスが、みずから炎酒(ひざけ)の栓を抜いた。
「旅立ちの言祝ぎだ。砂の海(エルグ)に慈しみの雨を」
ヤムに渡したグラスへ、夕日色の液体を注ぐ。
「始原の緑(あお)を 現世(いま)に」
受け取ったヤムが習慣通りに返答して、ふたりは杯をあおった。
うまそうに息を吐きグラスを置いたヤムが、窓に足をかけ振り返る。
小首をかしげ、方眉を上げた瞬間、エルバスの視界からヤムの姿は消えていた。
「いつでも、帰って来い。 叶うなら ここに」
小声でつぶやくエルバスに、気づくはずも無い。
今はただ、ヤムの無事を祈るのみだ。
晴れ渡る空は、焼けるように暑い。
長く続きそうな勢力争いに思いを馳せ、エルバスは、ひとつため息を落とした。
カリの章 完
天上の大河 桜泉 @ousenn
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。天上の大河の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます