第23話
*☆*☆*
「ずいぶんな警戒だったな。これと言って、重要な場所でもないだろうに」
王城に真っ直ぐ向かう馬車道より、さほど警戒が必要とも思えない道に、すずなりの気配があった。
あまりの視線に、ヤムの首筋は今もささくれ立っている。
「城のたぬきどもには、それぞれ切り札がある。この城を知り尽くしているだろうに、それでもなお、己が見落としているかもしれない物を知ろうとする。そして、温厚な分厚い面の皮の下で、互いに恐々としてやすまらない。それぞれが人には言えない秘密を、この通りに隠し持っているのさ。特に、今日は。どいつもこいつもお目当ての獲物を狙って、殺気だっていた」
入り口の取っ手に細縄の先を括りつけ、どうでもいいような口調でバンテ・ロウはしゃべる。
酒樽に忍ばせた極細の縄は、ふた巻き。
到底、目的地までもつとは思えない。
「心配するな。いちばん面倒な距離だけあれば、後は単純な造りらしい」
あまりに頼りない返事だと、ヤムは肩をすくめた。
それでも、受け取った細縄の束をほぐしながら後を追う。
足早に進んだ距離だけ、心細いくらい残りが少なくなって行く。
ふた巻き目の最後の輪がなくなって、ヤムは壁に打ちこんだ楔に縄の端を括りつけた。
壁を探るように、バンテ・ロウはたいまつを掲げる。
その背中を見つめ、ヤムは顔をしかめた。
(女神を助け出すついでに、リュイーヌに会わせてやろう。だから手伝え)
地下住居区の、レイアが潜んでいた袋小路にヤムとルーヴィルを呼び出して、この男は言った。
リュイーヌに抱くヤムの想いを、知っているのだろうか。
(でも、なぜ ?)
危険だと、ヤムの理性は訴えた。
それでも、ひとめ会う事が可能なら、乗ってもよいと思えた。
引き裂かれ、屠られようとしているレイアとルーヴィルの想いを自分に重ね、助けてやりたいと思った。
ふたりを自由に放ってやれれば、自分のうちにある辛さが、いくらかでも慰められるとも思った。
これは、祈りだ。
いつか自分も報われると、信じる心の祈りだ。
誰にも明かした事のない、リュイーヌへの思慕。
(なぜ、この男が知っている?)
ふと、見透かすように見つめるエルバスの顔が浮かんだ。
一度は敵どうしだったエルバス。それが、オ・ロンの地下牢で豹変した。
再びまみえた時には、窮地から救ってくれた。
(なぜ )
心のどこかが、なつかしくてせつない。
激しくかぶりを振って、ヤムは余計な感情を振り落とす。
(しっかりしろっ)
まだ、一歩も進んでいない。
気を引き締めろ と、顎を上げる。
「この先に、お嬢 リュイーヌ…様が、いるのか? 」
たいまつで洞窟の壁を照らし、バンテ・ロウは慎重に道を選んでいた。
手にした古い地図には、いくつも交錯する道の中から、方向を示す明確な印が書きこまれていた。
「昨年、エルバス様が西塔の方に地下庭園の一角を賜れるよう、陛下に奏上なされた。その時に下されたのが、この地下道と通じている部屋だ。エルバス様に手抜かりは無い」
荒削りの壁に、楔形の赤い金属がはめ込まれている。
指でなぞったバンテ・ロウが、振り向きもせず、来いと手招きをした。
「そこから、レイアのいる地下牢への道は、わかってるのか? 」
交差する角を五つ先に進んで、再びバンテ・ロウは壁にこびりついた埃のかさぶたを、はがしにかかった。
「わかるさ。地下庭園の修理を一手に引き受ける、耳も口も不自由で、文字も読めないコンラッド家の奴隷男とは、おれだからな。もっとも、おれは耳も口も不自由ではないが」
呆気にとられて、ヤムは精悍な面差しの男を見つめた。
「バンテ・ロウ あんた 」
「地下庭園の修理を担っているのは、おれだけじゃない。ほとんどの貴族は、おれのような者を意図的に作り出して使っている。つまり、舌を切り耳をつぶして な。おれは来るべき時の為に、進んでこの役を買って出た。おまえだって、守るべき者のためなら、そうするはずだ。ヤム」
市井に生きる弟伯爵(ロード)を、ヤムは眩しげに見返した。
「おれに手の内を見せて、なにが目的だ? おれには、仲間を説得する才覚はない。あんたに見込んでもらえるほど、おれはたいした奴じゃない。どんな目的があってそっちの内情を喋くろうが、おれには何も出来ないからな。あんたの考えていることは、下っ端のおれには不可能だ。だから、これ以上は言うな。教えてはくれないだろうと思って、聞いたおれが軽率だった。許してくれ。助けてもらった恩は、忘れない。おれにでもできることなら、いつだって手助けする。だから、もう手の内は明かさないでくれ。 頼む」
バンテ・ロウのくちびるの端が、皮肉な形に歪んだ。
一瞬、目を瞑り、短く吐きだされた吐息。
やにわに両手を広げ、あらぬ方を見上げて低く笑いがおこる。
煙でも吹き出すように厚い胸板を上下させて、バンテ・ロウは息をついた。
「行こう。この階段の下が、君の姫君の 揺り篭だ」
*☆*☆*
扉の外にいる近衛兵が、いつものように居眠りを始めた。
小窓からそれを確かめ、フリアは嘲りを含んで微笑する。
地下の小部屋には、ラグーンの巫女姫テンと、リュイーヌ。そして、フリア以外に姿はない。
テンは、いつものように祈りを捧げていた。
クッションに膝をつき、胸元で幼い指を組んだ姿は、近寄りがたい雰囲気に包まれていた。
リュイーヌには、テンが光の薄絹に包まれて見えるそうだ。が、フリアには。
(わたしには、見えなくなってしまった)
ふたりがまとっている、オーラの輝き。
それが、もう見えない。
(ここに来てからだ)
灼熱の西塔で、なす術もなく弱ってゆくリュイーヌを、フリアは見守る事しかできなかった。
敬愛する姫の命が、消えてしまう。
憤りに苦悶した日々の、なんと長かったことか。
苦悶の果てに気がつけば、フリアは神秘を見る目を失っていた。
(だが、お元気に なられた )
ほんとうに?
何度も何度も自問しては、心が痛む。
虜囚となったあの日から、リュイーヌは笑いを忘れている。
(わたしでは だめだ。 ヤム、おまえでなければ )
流れ落ちる水の幕を見つめ、けれど何も映さないリュイーヌの瞳。
フリアは、固く拳を握った。
(なぜ、出会ってしまったのだろう。こんなにも苦しめるなら、出会わぬほうが良かったものを )
祈りを捧げていたテンがリュイーヌを振り返り、そっと唇に指をあてた。
小首をかしげ、けげんそうに問いかける視線を、テンは奥の壁へと指先で誘う。
なんの変哲もない、アラバスターの壁。
その一部が、回転した。
思わず口を押さえ、リュイーヌは息をのむ。
とっさに身構えたフリアが、呆然と目を見開いた。
(ヤム!)
まるで、一陣の風。
ふわりとリュイーヌを抱きしめた腕は、夜毎に希(こいねが)ったなつかしい砂漠のにおいがした。
「お嬢 会いたかった」
ヤムの背中に回した手が、ふとこわばった。
「いけない。もし、みつかったら ヤム。もし、捕まったら」
腕に力をこめ、ヤムはしのび笑う。
「だいじょうぶだ。お嬢を自由にするまで、おれは捕まらない。きっと、何かいい方法を考える。お嬢を、悲しませるような事はぜったいしないから。だから、その日まで待っていてくれ」
ヤムは自分自身に言い聞かせていると、リュイーヌにはわかった。
このまま、連れて逃げてほしい。
顔を見たら、離れるのが辛い。
オ・ロンの地下牢でヤムが死ぬと思った時、リュイーヌは恐怖で凍りついた。
己が半身を引き裂かれるような、絶望と狂気。
それでも、笑って逝こうとしたヤムの優しさが、せつなかった。
「無粋で申し訳ないが、急いでくれ ヤム」
低く押さえた声に、ふたりが弾けて離れる。
覆面から覗くバンテ・ロウの目は、揶揄を浮かべて暖かい。
「ヤム。鍵を頼む 」
鍵開けの小道具をつまみだし、ヤムは扉に寄り添った。
フリアが外の気配を確かめ、微かにうなづく。
「わたしに 」
扉に歩みより、テンが両手のひらをかざした。
淡い光の粒が小窓から漂い出て、まどろむ兵士を包み込む。
深く寝息をたてた兵士の手が、力を失って垂れ下がった。
「何があっても夕方までは、起きません。星姫ベルダが目覚めました。その為に、おおいなる力を持った方が、貴方がたを助けてくれます。どうか、急いで。星海から降った者に危険が迫っています」
*☆*☆*
リュキアスは、扉の前にたたずんでいた。
手の中の鍵が冷や汗に滑る。
どうしても、開けることができない。
腰に手挟んだ短剣の柄も、冷たい汗に湿っていた。
アクスリーヌを狙って侵入した賊を、この手で始末してきた。
賊の中には、レイアよりも稚い少女すらいた。
なのに、レイアを屠ろうとする罪悪感で、怯んでしまう。
(わたしは、どうしたのだ。 たかが、小娘ひとりに )
レイアの後ろで、懸命な表情の若者がいる。
己のすべてで、守ろうとする者がいる。
そのひたむきさが、痛い。
心を落ち着かせようと、鍵を握り締めて目を伏せる。と、その瞬間。
首筋に衝撃が走った。
「! お まえ 」
くず折れる身体が、壁を背に落ちてゆく。
湿った床に頬をつけ、奪い取られるまま鍵を手放して、ほっとリュキアスは安堵した。
(これで、殺さずに済む。 お叱りは 受けるだろうが)
しばらくの後、走り去る三人の背を薄目で見送り、目を伏せる。
(馬鹿者。どうせなら、しっかりと気絶させて行けっ)
誰かが見つけてくれるまで、このまま伏しているのは難儀だ。
ことに冷たい石畳では、寝心地が悪すぎる。
微かな苦笑をもらし、リュキアスは身体の力を抜いた。
*☆*☆*
熟睡している兵士をまたいで、ヤムは小部屋の扉を閉める。
安堵に震えるリュイーヌは、鍵をかけ終えたヤムにすがりついた。
アラバスターの回転扉が、隠し通路を開いてヤムを誘う。
レイアをかばい、閉まりかけた回転扉を支えるバンテ・ロウが、気遣うように視線を落とし、ヤムは慄く息を吐く。
「お嬢、おれを信じて待っていてくれ。きっといつか、かならず おまえを迎えに 」
リュイーヌを胸から離し、ヤムは想いを振りきるように通路へ飛び込んだ。
隙間が閉ざされる寸前。リュイーヌは見た。
ヤムのかみしめた唇と、頬の涙を。
アラバスターの壁に手を当て、額をつける。
(ヤム、 信じます。 あなたを)
*☆*☆*
隠し通路は、地下回廊の上にある迷路につながっている。
地図がなければ、生きて帰れない迷宮(ラビリンス)だ。
十数年前、聖太子システィリスを抱え、ゼーノとヴァンキーが逃れた道だった。
来た道を、ヤム達は逆にたどる。
細縄をたぐり纏めながら小走って、痕跡をぬぐって行く。
やっとたどり着いた滝の出口で息を整え、レイアにヤムが着ていた小姓の服を着せる。
ヤムは木立を伝って、人目を避けて帰る手はずだ。
ひとりなら、見つかっても振りきる自信はある。
厩の地下通路が使えない場合は、バンテ・ロウがルーヴィルのところへ、レイアを連れて行くと請合った。
「厩まで突っ切るあいだ、見つからぬよう女神に祈ろう」
殊勝なバンテ・ロウの言葉に、ヤムは白い歯を見せた。
大胆で細心。
素早い行動と、隠された忍耐力。
(とんでもない腑抜けかと思ったら、博打のような危ない橋を渡る奴)
底が知れない。
組めば、これほど頼りになる男はいない。だが、敵にまわせば完全な身の破滅だ。
それでもと、ヤムは思う。
(おれは、自分の運しか信じなかった。信じて、ただ、突っ切るだけだった。けど、人の想いも今なら信じられる。バンテ・ロウ。あんたを見て、そう思うよ)
滝のある泉の庭に、酒樽と食べ物の籠が転がっていた。
午後もだいぶ過ぎた時間に、滝の裏で岩が動いた。
ひょいと顔を出したのは、バンテ・ロウだ。
そのまま木立の影を抜け、道に視線を投げる。
すぐ先に、山ほど飼い葉を積んだ手押し車がある。
なにげない足取りで近づいたバンテ・ロウは、驚きに目をみはった。
炎天下に身体を投げ出して、雑役夫たちが倒れていた。
(まさか、死んで?)
手近の者に手を触れ、ゾクッと飛びすさる。
なにか、ひんやりした空気に包まれ、眠っている。
視線を走らせ、異様な有様にバンテ・ロウは度肝を抜かれた。
木立の下。
建物の影。
そこかしこに、潜んでいたはずの者が、地面に身体を投げ出し、ぐっすりと眠り込んでいる。
あきらかに暗殺者とわかる者までが、正体もなく転がっていた。
(なるほど、ラグーンの巫女姫が言っていた。おおいなる者の助けが、これか)
ヤムに合図を送り、バンテ・ロウは焼けつく真昼の小道を、厩へと走り始めた。
厩の地下通路までふたりを導いたら、バンテ・ロウの使命は終わる。
まわりへの注意を怠りなく、厩にたどり着いて最奥の床から干草を運びのけ始めた。
ふたりして、やっとの重さだ。
おおいなる者の助けで、回りにいる者が眠っていても、いつ気づかれるかわからない。
「なんて、量だ。馬がこんなに干草を食べるなんて、まったく知らなかった」
目星をつけた場所からなんとか干草の荷を取り払うのに、体力のすべてを使いはたしそうだ。ただ、涼やかな風が力をくれるようでありがたい。
アルラントで真昼に重労働をすれば、確実な死が待っている。
「これも、おおいなる者の 加護か 」
最後のひとつを押しやり汗みどろになって座り込んだ石畳に、薄れかけたデュマの紋章が現れた。
「おれがやる」
ヤムは、短剣の先で石畳の隙間を持ち上げ、下に隠されていた鉄の輪を引き上げた。
すぐに、人ひとりが降りて行ける入り口が開く。
「恩にきる。 ありがとう」
差し出されたヤムの手を、バンテ・ロウは軽く握った。
「いつか、我々も。こうして、手をたずさえたいものだな」
シークラーとエルバスが手を握れば、不要な革命などしなくてよいかもしれない。
だが。
「おれも、そう思うよ。 けど、シークラーは」
飛び降りたヤムが、カンテラに火をつけてレイアを受け取った。
床から見上げ、レイアは言葉もなく頭を下げる。
「気にするな 行ってくれ 」
石畳の上と下で、バンテ・ロウはヤムの目を捕らえた。
思わず視線を外すヤムに、唇を噛む。
(やはり、 だめか)
ふっと息を吐き、ヤムが伏せた目を上げる。
「 わかったよ、市井のロード。 努力する」
親指を立て、ヤムは不敵に笑った。そして、次の瞬間には視界から消えていた。
鼻歌交じりに、バンテ・ロウは石畳をもとどうりに閉める。
背後には、運びのけた干草の山。
「これは、たいへんだ」
クツクツと、笑いがこみ上げた。
「ひと仕事の後は、やっぱり 祝杯だな」
*☆*☆*
城の厩から地下の住居区へつながる通路は、あの日レイアが潜んでいた袋小路に出口があった。そこで、ルーヴィルが待っている。
ふたりを、北の岩場にいる渡りの者まで届けたら、しばらくアルラントから離れよう。
そう考えて、ヤムは胸元を握り締めた。
たまらない痺れに、顔をしかめる。
「だいじょうぶですか?」
となりを小走るレイアが、不安な声を上げた。
「ちっとばかし疲れたな。だいじょうぶ、ルーヴィルはすぐそこだ。もう、離れるんじゃないぜ」
押さえた胸から、リュイーヌの香りが立ち昇る。
そこが、傷んでならない。
たまらなく疼きあげるものを、どうすれば我慢できるのか。
ただ一度でいい、リュイーヌの顔さえ見れば、押さえ続けた心の痛みが癒されると思っていた。
(リュイーヌ。 おれは こんなにも )
急に立ち止まったヤムに、レイアは戸惑った。
「ヤム さ ん ?」
しばらくうつむいていたヤムが、気合を込めて自分の両頬を打った。
しゃんと上げた顔からは、朗らかな笑みがこぼれている。
「すまん。 行こう、ルーヴィルのところへ」
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