第7話
*☆*☆*
「…そうか。 そうだな、アミ」
ディルはアミの細い身体を抱き寄せ、こみ上げる物を飲み込んだ。
『長老を裏切っても。こいつらに裏切られても、いつか死ぬんだ。なら、このまま流されてどうなるか、試してもいい。もし、アミを守れるなら。生かしてやれるなら』
ふたりの様子に、長老レムランがホッとため息する。
無骨なこの男の胸の内は、見かけの荒々しさに反して暖かく優しい。だが、なぜアミをラグーンの者だと言えるのか、イスランには判らなかった。
訝しむ視線に、長老レムランはおおげさに肩をすくめてみせた。
「おれはカリオペの亭主で、おまえの名付け親だ。義理の親父として、おれの名をおまえに分け与えたが、会うのは今日が初めてだな」
呆気にとられるイスランに照れ笑いし、長老レムランはアミへ顎をしゃくった。
「まさかこんなところで、探し続けていた巫女姫様の忘れ形見に出会うとは思わなかったが、これも運命だろうよ」
今までうつむいていたアミが、まっすぐレムランへ顔を上げた。
大きな瞳が、炎の照り返しで碧く煌めく。それは、人のものではない虹彩をしていた。「アミは、ただの人間じゃねぇ。氷竜の末裔。神の御使いの一族だ。もともと氷竜は火竜と並ぶラグーンの守り神。おれたち一族にとって、守るべき存在だ。だから金輪際、暗殺者なんぞに手出しはさせねぇ」
言い切るレムランの顔が、ゆるぎない自信にあふれて輝いた。
「ディル、話してくれねぇか。アミのことを、あの方のことを」
しばらく戸惑っている様子だったディルも、穏やかに見つめる長老レムランの視線に負けたらしく、緊張を解いていった。
夜明けまでには、だいぶ間がある。
身を切る寒風も、勢いよく燃える暖炉のそばは遠慮するのだろう。
すきま風すら、こころもち柔らかい。
空腹を満たしたアミが寝ついたあと、ディルは長老レムランに問われるまま、ポツリポツリと身のうえ話をはじめた。
王都アルラントの背後にそびえる、天峰山脈ユミル。
その山中に、暗殺者の砦アラハートと、流人村がある。
聖王の御狩場内に位置するこの村は、王都の極秘の流刑地だ。
村に送られてくる罪人は、租税を納められなかった領民と家族たちと決まっていた。
生きて再び出る事のない村で、暗殺者を養う家畜のような生活が、かれらに用意されている。
逃亡を企てた者は、すべて公開処刑された。逃げ出せず、どこの誰ともわからない子供を割りあてられ、育てるように強制される日々。
ディルは、生みの親を知らない。
何人もの親なし子といっしょに、流人村で育てられた。いや、飼われたと言った方があたっている。
ディルの育ての親も、他の村人とおなじく非情な親だったが、アラハートの砦の中は、さらに過酷な状態だった。
七歳になると砦に集められ、本格的な暗殺の訓練がはじまる。
ここで生き残り、成人できる者はひとにぎりだ。
ディルはいつも飢えていた。そう、子供たちは、いつも飢えた状態に置かれていた。
長老代理に絶対服従し、投げ与えられる肉塊を奪いあう日々。
命令とあらば仲間を傷つけ、村を荒らした。
そうしなければ、体罰と飢えで死んでしまう。
ディルたち子供は全ての感情を失い、暗殺の道具になるよう訓練された。
あの日、石のようなパンを奪い合って、ディルは刺された。
自分は死ぬんだと、なぜかホッと安堵したのを思い出す。
なかば凍りつき、ぬかるんでいる道ばたに倒れたディルを、気づかう者などいない。
暗殺者になれなかった子供が、ひとり死ぬ。それは、当然の成り行きだ。
ディルは、かすかに喜びすら感じていた。
これでもう、生きる義務もない。
意識が薄れ、無に帰する寸前、あたたかなものがディルを包んだ。
「 やめて」
身体のすみずみに、活力がもどってくる。
いままで感じたことのない力強さが、みなぎってくる。
「どうして、ほっといてくれない」
開いた目に、優しげな女が映った。
やつれはて、薄汚い神官服を着た身重の女だ。けれどディルの目には、女の笑顔が輝いて見えた。それが、アリエルとディルの出会い。
癒やされ、命拾いしたディルは、人間らしい感情を取り戻した。
身重のアリエルを守りたいと思い、生き抜くことへ執着した。
強くなって、いつかアリエルを生まれ故郷に帰す。そうすれば、アリエルの子供を暗殺者なんかにしなくていい。
どこで生まれ、誰が親なのかさえ知らないディル。だからこそ、アリエルの子供を故郷に帰してやりたかった。
アミが生まれ、五歳になった夏。
アリエルは逝った。
「希望をもって、生きなさい。アリエルは、そう言って逝ったよ。国には帰れない、とも言っていた。双宮の外で生まれたアミは、一族に守護者を望めない。不安定な力は、アミの命を削るから、長生きできないって。だから、アミのそばに居てやってと、おれに言ったんだ」
アリエル亡きあと、ディルはアミを守り続けた。
そうしてアミが九歳になる頃、不思議な力が現れはじめた。
ディルが村の子供たちにリンチされたのが、きっかけだった。
それからは危害を加える者が近づくと、凄まじい冷気を発するようになった。
命を奪うことはない。だが、息をふきかえした者はアミを恐れ、悪魔だとののしった。
砦の長老代理は、アミに邪しまな蛇が憑いていると言い、神に呪われた者は死ねとまで言った。
村が殺気立ち、殺されかねないまで追いつめられたディルに、折りよく大地の珠の追跡が命じられた。
ディルは救われた思いでアミを連れ、村を発った。
同行する暗殺者の手練れたちは不吉だと反対したが、この追跡で指揮をとるリュイがかばってくれた。
カタラクトの笑神(モモス)亭で、命を落とした女暗殺者だ。
「おれは、アミを守りたい。アミは、おれが生きている証なんだ」
言葉を結んだディルは、十七歳と思えない体格をしていた。
確かに面構えは年相応だが、飢えて育った身体は子供のままだ。
レムランが長いため息をつき、乱暴に口をぬぐう。
非情な暗殺者の生い立ちが、なんと過酷であることか。
思いつく限りの理不尽と、人の尊厳を踏みにじるやりかたに反吐が出る。
いかに聖王が高貴な存在であろうと、同じ命を授かった者たちに、絶対服従の生を強いる特権はない。
聖王を守る暗殺者部隊の存在は、アルラントの創世王デュマの時代にまでさかのぼる。
数百年の長きに渡って、いったいどれだけの者たちが、人知れず死んでいったことか。
聖王を守る。ただそれだけのために、暗殺者の養成は今も続いている。
『救いたい』
胸の内で、イスランは漠然とつぶやいた。
虐げられる者。踏みにじられる者。救いを求める者に、何をしてあげられるのか。
力を持たぬ、一介の導師ふぜいに、何が。
ましてイスランには、目的があった。
生まれ落ちた運命を解きほぐし、なんの罪悪感も持たずに母を想いたい。そのために、実の父親を敵と思い、決着をつけようとしている。
この目的を捨ててまで、人を救えるのだろうかと。
「そうか。アリエル様は、亡くなったか。 われらラグーンの守護部族すべてで、探し続けていた御方は、亡くなっていたのか。火竜の巫女姫の未来見(さきみ)でさえ、氷竜の巫女姫の行方は さだかではなかった。ここで、アリエル様の忘れ形見に会えるとはな」
しんみりした長老レムランのひとりごとに、ディルはハッと顔を上げた。
「おまえは、アリエルのことも知っているのか? なぜだっ」
ねめつけるデイルに、長老レムランは苦笑した。
他人に向けるより、おのれ自身に向けたような嘲笑だ。
「アリエル様は、我らラグーン神皇国の双宮。火竜の巫女姫と並び立つ、氷竜の巫女姫だ。かたち在るもの全てを癒やし、火竜の巫女姫を鎮める大切な御方だった」
チラとイスランに視線を流し、長老レムランは痛ましい様子で目を細めた。
「三十五年前の、あの日。ラグーンの赤狼族の村で、動かせねぇ怪我人が出た。氷竜の巫女姫アリエル様は、村へ出向いて治癒されたが、それは巫女姫を拉致しようと企んだ奴らの仕業だったんだ」
ふっと息を止め、唇を噛んだイスランから、長老レムランは、眠っているアミへ目を移した。
三十五年前の、あの日。カリオペはイスランを身ごもり、同い年だったアリエルは拉致された。何のための、拉致だったか。
アミを宿すまでの十年余り。
救い手のないまま、アリエルはどんな日々を送ったのだろう。
「一族をまとめる者は、他民族の者と交わっちゃならねぇ。ラグーンの巫女は、純粋な一族の血脈のみと決まっている。なにかの過ちがあれば、生まれた子を自ら葬ることで、一族は指導者を受け入れる。だが、我が子を選ぶなら、追放は免れねぇ。子を取るか、一族を取るか」
ふんっと、長老レムランは鼻を鳴らした。
まるで自分を嫌悪するような、嘲りと怒りが見える。
「アリエル様は、もし帰れたとしても、帰れなかった。いや、母親として 一族を捨てたんだろうぜ」
顔を伏せ、物思いに沈んでいたイスランが、潤んだ目を上げた。
揺るぎない優しさをたたえ、なおかつ強い目だと、長老レムランは思った。
「アミは忌み子です。たとえ氷竜の巫女姫が母親でも、ラグーンが受け入れるとは思えません。それなのに、なぜあなたは守ってやると言うのですか」
問いかけるイスランの声に、アミを思いやる心がにじんでいる。
己が身に受けたラグーンの仕打ちを、みじんも感じさせない声だ。
酒袋を振り、てのひらに受けた数滴の酒をすすったあと、牙一族の長老レムランは、ニヤリと口元をゆるめた。
「片翼を失くせば、もう片翼も滅びるしかねぇ。火竜の巫女姫を救うには、どうしても氷竜の血脈が必要だってことだ。どんなかたちであれ、ラグーンはアミを受け入れるだろう。イスラン、おまえも赤狼族の族長、カリオペの血を引くんだ。アミを守る氷竜が、見えねぇはずは ねぇんだがなぁ」
『氷竜?』と、イスランはアミを凝視した。
安心しきって眠る少女のまわりに、それらしき姿は見えない。
『聖竜。ならば、肉眼で見える存在ではあるまい。神霊に降臨を願う謙虚さを持たねば、御姿を拝する資格はないと、亡きルーウェン恩師は説かれていた』
イスランは我を打ち消し、世界に満々ている神の畏敬に平伏して、心をいっぱいに広げてみる。ただの人にすぎない己の魂の底で、清浄な領域を感じたとき、イスランの目に おおいなる氷竜は姿を現した。
透き通るほど輝きに同化した御姿は、威圧よりも慈愛を、畏れよりも癒やしをまとい、眠れる少女を守護するかのように在った。
ゆったりと頭をもたげ、涼やかな目をイスランにあてた氷竜から、清々しい力の波が押し寄せる。
『我ニ問イカケル者ハ、ソナタカ』
『問い? では、わたくしの迷いに、答えてくださるのですか?』
身をくねらせる氷竜は、癒やしの波動が溢れる目を、ひたとイスランの上で止めた。『ソナタハ、ドンナ誓イヲ立テ、ソノ肉体ニ宿ッタノカ。ソナタノ人生ニオイテ、ナスベキ使命ガ何デアルノカ、見イダスコトガ答エトナロウ。スベテノ魂、スベテノ存在ハ、真ニ 崇高ナルモノ』
「見いだせと、おっしゃるのですか?」
声にした瞬間、イスランは現世に立ち戻っていた。
身体をこわばらせ、堅く拳をにぎって、呆然と宙を見つめている自分に、やっと気がつく。
「わたしは。 わたしは、いま」
なおも混乱しているイスランに、牙一族の長老レムランは無言で水の器を差し出した。
冷たい水は胃の府を洗い流し、波立つ胸の動揺を鎮めてゆく。
『自ら選んだ、成すべき使命を見いだせと? わたしは、何を』
寡黙になったイスランが何を見たのか、長老レムランには判った。
氷竜が、イスランを認めた。そして、カリオペが一族の掟を破ってまで、イスランを始末しないと言い張った理由に気がついた。
『時代の変転に集う星。まさしく、おまえも 』
長老レムランは、この義理の息子を命の限りに守ってやろうと決心した。もう一人の、同じ星のもとに生まれた、ヤム同様に。
*☆*☆*
カタラクトとオ・ロンを結ぶ山間の旧銀街道を、二頭立ての幌馬車が行く。
真上に昇った太陽が沈む前に、次の宿場町へは着けそうもない速度で、ゆっくりと進んでいた。
夜明け前。笑神亭の女将ルイサは、ヤムの依頼どおり馬車を用意して待っていた。
酒樽を、四つ運ぶために。しかし、いっこうに現れないヤムを心配し、客室へ来たルイサは、暗殺者の死体と対面するはめになった。
「後始末は、あたしがしておくよ。ここには仲間が大勢いるからね。心配しなくていい」
綿毛が詰った袋をいくつも馬車にかつぎ込み、意識のないヤムを横たえたルイサは、あわただしく一行を送り出した。
できうる限り静かに、ミランディアは手綱を取る。
命拾いはしたが、ヤムの状態は決してよくない。かたわらでひざを抱え、メティスは黙りこくっていた。
「せめて意識がもどるまで、休ませてあげたかったですね」
ヤムを挟み向かい合うリュイーヌが、ため息まじりに呟いた。
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