第4話
*☆*☆*
フリアが心配するまでもなく、まだ明けやらぬ早朝に、白金貨十枚と新しい旅の装備を補充して、ヤムは帰ってきた。
旅人の朝は早い。
リュイーヌたちが朝食に酒場へ降りたころには、どのテーブルもいっぱいになっていた。
「お嬢、こっちだっ」
ぜいたくな皿を並べたテーブルで、大声を張り上げるヤムに、フリアは正面きって嫌な顔をした。
「見かけは良いのだが 」
垢をおとしたヤムは、新しい旅行服のせいか 育ちの良い青年に見える。
礼儀正しい挨拶をするメティスと、大差ないほどだ。
「メティスも、これが連れでは、苦労しているのだろうな」
ボソリとつぶやき、フリアはリュイーヌにつづいて席に着いた。
広大な砂漠の侵食を押さえ、ザナック山脈と精霊山脈は、沿海州一帯と草原地帯を守っている。なかでも最高峰のナック山は、深い森と豊かな裾野を広げる恵みの山だ。
大小さまざまな獣が住む山腹は、かっこうの狩場となっている。
毛皮はナック山の中腹にあるカタラクトの街に集められ、そこから河を下ってミッテレスまで運ばれる。
異文化の交流地。草原の街ミッテレスには、ナック山で狩られた質の良い皮製の防具が豊富だった。
砂漠の西都アネッタと、草原の街ミッテレスを結ぶ銀街道は、橋の街道と呼ばれるくらい大小の橋が架かっている。
この街道が、王都アルラントの近辺より栄えているのも、無数の河を使った交易が盛んに行われているからだ。
昼間であれば、銀街道より河のほうが混雑しているくらいだ。
心地よい森のなかを、整備された道がのびている。これが夜でなければいいのにと、フリアは思った。
なんにでも興味を持つリュイーヌのおかげで、五日もかからずミッテレスに到着するはずが、すでに八日も過ぎていた。
リュイーヌの世間知らずと フリアの一本気をおもしろがって、ヤムはずっと同行していた。当然のこと、メティスもいっしょだ。
森をぬけてすぐ、低い石壁が行く手をさえぎった。
アネッタにくらべ、おもちゃのように稚拙(ちせつ)な構えだ。
「これでは、盗人(ぬすっと)もやすやすと越えられる」
浅そうな堀に渡した跳ね上げ式の門は、まだ巻き上げていない。
緊張感のかけらもない守りに、フリアはぼやいた。
平和なのか、能天気なのかと 馬鹿にされそうな小国を見ると、たまらなくなるらしい。
「ミッテレスは、入国税が安い。けど、治安はあんまり良くない」
ヤムの言葉にハッとして、フリアは口をつぐんだ。
忘れるほど長く追っ手の襲撃がなかったために、気配りがおろそかになっていた。
『わたしも、この街と同じか』
何気なく助言してくるヤムに、心のゆるみを突かれたようで、思わずムッとするフリア。
リュイーヌを思い、一番身近にいる自分を、ヤムが押しのけようとしている。信じて疑わなかった居場所が、いつのまにかヤムに取って代わられそうで、はがゆかった。
『ヤムは、わたしたちの正体を、知っているのだろうか。今までは、危害をくわえようとしなかったが、まさか、アルラントの暗殺者(アサッシン)ではあるまいな』
そう思う自分が悲しい。
このふたりが暗殺者なら、自分は殺せるだろうか。
リュイーヌのために、剣を振るえるだろうか。
門の内からもれくる灯りで、足元がはっきりしてくる。
ミランディアがもみ消した松明(たいまつ)から、胸のすく匂いが立ち昇る。
乾燥した炎木の実は、風で消えない松明になる。
軽くて安いうえに、獣の嫌う香りをたてる。
野宿が当たり前の銀街道の旅には、なくてはならない必需品だ。
「お急ぎください、お嬢さま」
満天の星を見上げて立ち止まったリュイーヌを、フリアはうながした。
旅人で混雑している繁華街を避け、街外れの宿へ足を向ける。
人の出入りが多いと、リュイーヌに気づく者もいるはずだ。
石壁に沿って少し奥まったあたりに、灯りのついた酒場がある。
こうゆう店は、たいてい奥に、商隊宿(キャラバン・サライ)を構えている。
規模は違っても、中庭に泉を配しているのが特徴だ。
開け放しの戸口をくぐった一行に、ピタリと喧騒がやんだ。
フードをはねたフリアたちが、居丈高な様子でリュイーヌをかばい、そのあいだにヤムは手ごろなテーブルを決める。
使いこんだ長剣の柄に、かるく手を置くミランディア。
幅のある両刃の剣は、並みの女には扱えない。
目配りやさりげない構えから見ても、相当な使い手だとわかるはずだ。
素人が見ても、ぞっとするほど迫力がある。
ひとりは、思わず息を呑む 美戦士のフリア。
もうひとりは、思わず逃げ出したくなるような、女丈夫のミランディア。
無造作に装備した防具が、それぞれの独特な曲線を強調していた。
よほど腕に自信のある男でも、こんな女たちとは いっさいかかわりたくないだろう。
客は宙に浮いていた酒を、思い出したように口へ運んだ。
吟遊詩人がビューラを奏で、時間(とき)の空白を埋め始める。
竪琴より小ぶりで持ち運びに便利なビューラを、旅の吟遊詩人は好んで使う。
柔らかな音質が耳に優しく、演奏もそれほど難しくない楽器だ。
好奇心に満ちた視線を押し分けて、三人はヤムたちのいるテーブルへ座を占めた。および腰で注文を取る小娘に、簡単な夕食と露水酒を持ってこさせ、フリアは今宵の宿をたのむ。
透きとおる吟遊詩人の歌声に、ほろ酔い気分のざわめきが混じる頃、もう他人を気にする気配は消えていた。
たらふく飲み食いしたあと、香りの良い果実水を飲みながら、ヤムはくつろいでリュイーヌに話しかけた。
「お嬢たちは、どこまで行くんだ? 俺たちは、国へ帰るところだが」
ともに旅をするようになって、ずいぶんたつ。
砂漠の玄関口のひとつ、北都タウリンから砂漠の道に入り、西都アネッタに着いてここまで来たが、ミッテレスを過ぎると銀街道はふたつに分かれる。
まっすぐ西へ行けば、ロザール皇国。
そこから海岸沿いに南へ下れば、ロザール領内の街や村に至る。
ロザール皇国の手前を北へ上がれば、古代皇国バングルや、古代帝国オリアンの遺跡都市がある。
さらに北を目指せば、沿海州のタレスやザーテの港を拠点とした小国群。
その先に行けば、城塞都市のオ・ロンがあり、アルラントの長城街道を背にして栄えている。
オ・ロンを越えさらに北へ上がれば、ヤムたちの目的地であるラグーン神皇国に到着する。
「おぬしたちの国とは、どこなのだ?」
めったに口を開かないミランディアにたずねられ、ヤムはにっこりした。
「ラグーンだ」
ふいに緊張したフリアたちに、メティスも身体をかたくした。
言葉をつぎかけたヤムも、とっさに懐の短剣をつかみ出す。
殺気だ。
物取りによる突発的なものではない。しいて言えば、執拗に追いつめる、感情を欠いた殺気。
複数のさだかではない緊張が、酒場を満たしつつあった。
ビィッーン!
弦の弾ける音とともに、宙を切って吟遊詩人が斬りかかる。
逆手に抜いたヤムの短剣が、メティスめがけて振られたナイフを弾き返した。いままで酒を酌み交わしていた幾人かが、剣を閃かせて打ちかかる。
突然はじまった乱闘に、客の悲鳴がかぶさった。
「チィーッ!」
続けさまに刃を受け、フリアの剣が火花を散らす。
「殺してはならぬ!」
リュイーヌの制止にフリアはしぶしぶ刃を返し、ミランディアは守勢にまわった。多少の怪我はしかたない。ただ、切り裂く心配をしていては、こちらの命がいくつあっても足りないと、リュイーヌは理解していない。
打ち下ろし、横に払ったフリアの切っ先が、よろめいた男の脇腹にめりこんで血潮をふく。
「外へっ!」
退路を断とうとする男に当て身をくらわせ、ミランディアが叫んだ。
すでにヤムとメティスの姿はない。
リュイーヌをかばい走り出たフリアを、物陰からヤムが手招きする。
石壁沿いに突っ走る後ろを、異様に目を血走らせた男たちが追ってきた。
「こっちだっ」
ヤムの導くままに小路をぬけ出たとたん、申し合わせていたように、追っ手の足元で爆発がおこった。
「お嬢っ」
すぐ先の石壁に跳びあがり、ヤムが叫んだ。
剣をおさめたミランディアがリュイーヌを抱き、さしおろしたヤムの手につかまって、石壁を飛び越える。
そのまま外堀に身を躍らせ、夢中で対岸まで泳ぎ着いたミランディアは、リュイーヌを抱いたまま走り出した。
「こっちへっ!。 俺を、信じて!」
いつもはからかうような笑みが、不敵に頼もしく見える。
身をひるがえしたヤムを追い、重なる樹木のあいだを抜けて、皆は疾走した。
もうこれ以上は走れないと思うころ、とつぜん一行は切り立った崖の下へ飛び出していた。
ゆるい流れに足元を洗われ、厚く繁茂したツタが絶壁いちめんに広がっている。
その一部を持ち上げ、ヤムは早く入れと身振りした。
「おとなしく、してるんだぜ」
入り口のツタを元通りに直し、ヤムは追っ手の有無を確かめに森の闇へまぎれていった。
絶壁に掘られ、外からは容易に見つからない洞窟は、広々とした空間に小型の帆船を抱えていた。
自然のままの天井が、深い闇にふさがれて果てしもない。
「あやつめ、このような場所を用意しているとは、油断ならぬ」
つぶやくミランディアの声に、楽しそうな響きがある。
ヤムのいない心細さに、メティスは落ち着かない。
ひたひたと船腹を叩く水音が耳について、さっきの追っ手に気づかれそうだと怖かった。
しばらくして、気配を消したヤムが帰ってきた。
どうやら追っ手をやりすごしたらしい。
「奴ら、見当違いの方へ行っちまった。今のうちに船を出せば、逃げきれる。どうする? お嬢」
静かな夜の風を受け、小型の帆船は 河をさかのぼる。
形の良い三角の帆を膨らませ、滑るように進んで行く。
この船は、五、六人乗りの ありふれた運搬船だ。
目立って大きくはないが、かなりの距離を行く装備は備えていた。
船の真中にリュイーヌとメティスを座らせ、あとは思い思いに座を占めていた。
フリアはリュイーヌを守る場所に。
ミランディアは船尾に。そして、ヤムは操舵席で舵と帆を操っていた。
「狙われたのは、おまえたちか?」
ようやく安全だと思われるところに来て、フリアは押さえていた疑問を口にした。
「ねぇちゃんの言い方だと、どっちの刺客かわからねぇようだな」
スッとフリアの手が、剣の柄をまさぐる。
唇を噛み、息を詰めたまま身体が震え出すのを、止められない。
『神様っ』
血の気を失ったフリアの指が、こわばる。
「ここまで来たんだ。もう、隠す必要もない」
ヤムは、フリアの様子をおかしそうに見たまま、静かにメティスへ言った。
「俺に話したことを、お嬢たちにも聞いてもらえよ。そのほうが、
お互いのためだ」
ヤムの言うことは正しい。
それはメティスにとって、呼吸するほど自然な思いだ。
集まる視線に目を伏せ、メティスは素直に話し始めた。
「わたしは、ラジェッタの就学僧です。二月ほど前、大地の珠を奪いに来た者たちに、恩師が殺害されたとき、その場に居合わせた者です。恩師の遺言で、宝珠をラグーンまで届けに参ります。ヤムは、追っ手からわたしを守るために、いっしょに旅をしてくれているのです。ラグーンの巫女姫様なら、これを安全な所へ封印して下さるはずです。皆様を、巻き添えにしてしまって、どうすれば良いのかわかりません。申し訳ありません」
ほうと、リュイーヌがため息をついた。
偶然かもしれないが、宝珠が呼び合ったとしか思えない。
「ねぇちゃんたちも、アルラントに追われてるだろ。ヴァルリオリンの宝珠のせいで」
「ヤムッ」
一喝するフリアにフッと顔をしかめ、ヤムは笑った。
フリアは一本気だが、気が短い。そう言っているようだ。
「いくら顔を黒くしても、貧しい格好をしていても、見る奴が見ればおかしいと思うはずだ。お嬢には、変装なんて芸当はできねぇ。よく見れば、お嬢がヴァルリオリンのリュイーヌ姫だと、すぐに気づくはずだ。そしたら、宝珠を持っているだろうって誰でも思うさ。アネッタの徴税官がトンマでなかったら、危ないところだったぜ」
それで、とリュイーヌは思った。
入国税を立て替え、エメラルドが徴税官の目に触れないよう、ヤムは配慮してくれたのだ。
いくら鈍い徴税官でも、あのエメラルドを見れば疑うだろう。
貧しい旅人が持っているはずのない、高価な品なのだから。
「いつから、わたくしに気づいたのですか?」
明日の天気を聞くように、リュイーヌはたずねた。
人を食ったヤムの笑みが、いたずらっぽい微笑に変わる。
「初めからさ。見るからに貧しそうな格好をした小娘が、手強そうな傭兵をふたりも連れてるんだ。それに、お嬢様なんて呼ぶもんだから、こいつは金持ちの嬢ちゃんで、身分を隠すのに貧しい格好をしてるんだと思ったよ。けど、顔立ちを見てたら、ピンときたね。破格の賞金首だったからな」
話しながら、ヤムは楽しそうにフリアを見ていた。
「俺は、親父とも思って尊敬してる大将に、メティスを守ってくれと頼まれた。だから、ふだんより警戒してた。俺たちを追っているのとは別に、手練れ刺客がいるのを見つけるなんざ、あんがい簡単だったぜ」
リュイーヌは、静かに目を伏せた。
どこかホッとしたような、穏やかな微笑が広がる。
いつ、アルラントの刺客に捕まるのか。
ヤムたちと出会うまで、己が使命に押しつぶされそうだった。
あまりに辛くて、自害も考えた。だが、ヤムとの出会いがリュイーヌを変えた。
ヤムの生きようとする、たくましさが。
「それで、ヤムはわたくしも、メティスと同じように助けてくれるのですね。もしも、わたくしがアルラントに捕らえられたとしても、宝珠だけはラグーンへ。かならず封印してくれると、頼っても良いのですね?」
初めから決まっていたように、リュイーヌは口にした。
「あぁ、そのつもりさ。フリアねぇちゃんが、心配だしな」
悪びれないで、言いきるヤム。
フリアは真っ赤になった。
「ヤムゥッ、おまえという奴はっ!」
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