第3話
*☆*☆*
太陽が先触れの光芒を広げる。砂漠に残されている旅人たちが、必死の形相で門へ殺到しはじめた。
門兵の怒鳴り声など、まったく耳には届いていない。
砂漠の砂が乾くまでに門内へたどり着けないときは、生きながらに砂漠の獣の餌食になるからだ。
「お嬢さまっ」
突き飛ばされた少女を抱きこんで、傭兵はもろに石壁へ叩きつけられた。
たまらずしかめた顔から、血の気が引く。
見事に鍛えた身体をしているが、外套の下は女性用の硬質皮鎧だ。
「だいじょうぶですか? ミランディア」
腕の中で心細く見あげた少女に ミランディアと呼ばれた傭兵は、紅茶色の顔をほころばせた。
腰まである闇色の髪を無造作に束ね、額にバンダナを巻いている。
青みがかった鉄灰色の瞳には、底知れぬ強さが潜んでいた。
ほっと息をぬいた瞬間、ハラリとほどけたバンダナの下で、光がきらめく。
眉間にうがたれ、輝く宝石と見えるものは、硬質化した皮膚の一部。
あわててバンダナを巻き直し、ミランディアは辺りを見まわした。
「大事ありません。だれも、気づいては」
永久凍土におおわれた天峰山脈ユミルの奥深くに、ひっそりと隠れ住む、竜の国。ウォディンの一族。
その地に生まれたミランディアは、男女の性をもっていない。
神の御使いと言われるミランディアの一族は、ヴァルリオリンの巫王に仕える稀な種族だった。
「リュイーヌ姫、ご無事でしたか」
なだれ込む人々を押しのけ、いま一人の傭兵が駆け寄った。
こちらは戦乙女さながらの美戦士だ。
あかるい栗色の短髪が風にまといつき、茶色の瞳とあいまって美しい。
「フリア、その呼び方は危険です」
日に焼けたフリアのほほに、赤みがさした。
リュイーヌの口調は、決して厳しくはない。むしろ、気遣う優しさが含まれている。
「申し訳ございません。お嬢さま」
門の内側と、城塞にはさまれた浅い袋小路に身を寄せ、なだれ込む旅人の群れを避ける。
陽の差しはじめた砂漠は、またたくまに光芒に包まれ、揺らめく陽炎を呼び出した。
一気に乾いてゆく砂漠が、ゆっくりと持ちあがっては沈む。
砂の下で、獣たちが蠢きだしたのだ。
「しばらくはここに。動かぬほうが、安全でしょう」
つぶやくミランディアの蔭で、リュイーヌは身体を縮めた。
幌馬車どうしが激しくぶつかり合い、悲鳴やののしり声のあがるなか、最後の一組をせきたて巨大な鉄門が閉まった。
その刹那、激しい地響きが鉄門を襲い、たまぎる悲鳴があがる。
銅鑼を打ち鳴らし、城壁の上に仕掛けた香水樽の綱を、兵士らが次々と斬って行く。
辺りは、炎華(ひのはな)アグニスのきつい匂いに満たされた。
砂漠の獣が、唯一嫌う匂いだ。
金属をすりあわせるような咆哮とともに、遠ざかる地鳴りがおこる。
砂の獣を撃退した合図に再び銅鑼が鳴ると、ようやく人々の緊張がゆるんだ。
東の男の民三部族が調合する高価な香油を使い、城塞を守るアネッタの都。
いちばん安価なアグニスを 水で薄めるとはいえ、莫大な出費にちがいない。
なみはずれて高い入国税も、納得できる。
疲れ果てている旅人たちを、門兵が手際よく中庭へ導く。
街の外壁と詰め所の塀に囲まれた広場で、入国手続きの順番を待つのだ。
これでもう砂漠の獣に怯え、夜を通して旅する必要はない。
今日からは、真昼の旅と 安らかに眠れる夜がはじまる。
木陰にもたれる者や、涼を求めて回廊に腰掛ける者など、どの顔にもホッとした表情が浮かんでいた。
寒さに弱い獣が砂の底で眠る夜間に、岩場から岩場へ砂漠を渡ってきた者たち。
何ヶ月にも及ぶ旅は、人々を疲労の限界まで追いこんでいた。
幌馬車が日よけを上げて風を呼び入れ、不要になった橇(そり)を車輪と交換しはじめる。
もうすぐ砂漠馬と街道馬の交換売買に、馬商人たちの来るころあいだ。
片隅でリュイーヌはフードをおろし、巻いた毛布に腰掛けた。その左右へ、ミランディアとフリアが控える。
旅人めあての露天商人や、酒の売り子。水売りなどが足の踏み場もない広場で商売を始めるころ、ようやく徴税官が先頭の商人を呼び入れた。
アネッタは、交易で栄える商人の国だ。
各国の発行する通行証と身分証があれば、めんどうな手続きはいらない。
よほど凶悪な賞金首でもないかぎり、金貨二枚の入国税を払えばよい。
他国の四倍はする入国税だが、先ほどの砂獣から身を守ると思えば、安いくらいだ。
売り子から露水酒を買い、リュイーヌへ捧げたミランディアが、そっと疲れたため息をついた。
「お嬢っ、めし!」
底ぬけに朗らかな声とともに、うまそうな匂いが鼻をくすぐる。
両腕いっぱいにかかえたパンと飲み物を、ヤムは差し出した。
熱い砂牛の肉に新鮮な野菜をたっぷりのせ、焼きたての薄焼きパンでくるんだものだ。
強い香辛料の匂いに、おもわず喉が鳴る。
「熱いうちに食うのが、一番うまいんだ」
地面に座り込み、パンにかぶりつくヤムを見て、リュイーヌは笑い声をたてた。
ここが神殿なら、巫女姫が歯を見せて笑うなど許されない。
『常に威厳をもって、しかるべし』と言う、神官長のしかめ面が思い出される。
「アネッタ特産の、木の実が入ったソースだ。身体の疲れが取れるんだ」
わなわなと震えていたフリアが剣の柄に手をかけた瞬間、絶妙なタイミングで ヤムは間合いの外へ反転した。
「見事です!」
感心するリュイーヌに笑い返し、何事もなかった顔でもとの場所に座るヤムを、フリアはおもいっきり睨みつけた。
「ヤム、だいじょうぶ?」
ひかえめで、心配そうな声がする。
ヤムと同行しているメティスに、フリアはきつい表情を和らげた。
おとなしいメティスを、フリアは気に入っていた。
「だいじょうぶさ、メティス。フリアねぇちゃんは、照れ屋なんだ。これって、愛情表現なんだぜ」
露水酒にむせかえり、フリアはすさまじい勢いでヤムの胸ぐらをつかまえた。
「おやめなさい、フリア。そんなに怒ってばかりでは、メティスを困らせます。気の毒ではありませんか」
リュイーヌの言葉にフリアは歯ぎしりし、横目でそれを見るミランディアが薄く笑った。
「お嬢さま。素性のはっきりしない者を、不用意に近づけては危険です。容易に心を許して、なにかあれば」
ほとんどこじつけでしかない言い分を、フリアは口にした。
頭では違うとわかっていても、ヤムの態度が気にさわって仕方がない。
「ばかなことを。何かあるなら、すでに起こっているはずです。ふたりがいるおかげで、幾度(いくど)助けられたことか」
笑っているリュイーヌに、ヤムはいたずら小僧の笑みを浮かべ、フリアにウインクを送った。
『あ、悪魔の笑いに、姫は だまされておられるっ!』
ため息も荒く、フリアはパンにかぶりつく。
濃いピリッとした苦味が口いっぱいに広がって、食欲をそそった。
冷たい露水酒も、ねばりつく疲れをほぐしてくれる。
おとなびたヤムの顔が、熱気をおびはじめた陽射しのなかで、フリアに向けて笑みくずれた。
『気にさわる奴だ。ヘラヘラとしおって』
いら立たしく指先なめ、フリアは美しく整った唇をかんだ。
『あんな事さえ、起きなければ』
大国アルラントに祖国が占拠されたのは、つい二ヶ月ほど前だ。
建国以来、水の珠(ウォディン・オーブ)を守り続けてきたヴァルリオリン。
たとえ国が滅びても、賜った宝珠を守るのが、神と巫王の誓約だ。
そのためにリュイーヌは、国を、民を、肉親を捨てた。
逃亡した巫女姫と、民の命を贖(あがな)って、国王と王妃が自害したその朝に、巫女姫リュイーヌは神殿を逃れた。
あふれんばかりに愛され育った姫の心の内が、どれほど悲しみ、砕けんばかりに傷んでいることか。それを思うとフリアはいたたまれず、引き裂かれそうになる。敬い愛しんできた姫が、限りなくいたわしい。
追っ手を振り切りながらの逃避行で、リュイーヌを守る使命感だけが フリアを支えていた。
「フリア。これで入国税のかわりになるか、徴税官殿にたずねて下さい」
深い翠のエメラルドを、リュイーヌは胸元からはずした。
「かしこまりました」
それは、亡き王妃の形見の品だ。
情けなくて、受け取るフリアの手が震える。
「もったいねぇな。そのお宝なら、白金貨十枚で売れるのに。入国税なんかで、使っちまうのか?」
アネッタの入国税は、ひとりにつき金貨二枚だ。金貨十枚で、白金貨一枚に相当する。
「いまさら砂漠へ追われたら、生きてはゆけぬ。仕方あるまい」
フリアの答えに、ヤムはとまどった仕草でフードをずり下ろした。
砂にまみれ、肩まで伸びた黒髪があらわれる。
いつもは陽気な茶色い瞳が、光のかげんで金色に輝いていた。
対抗心むきだしのフリアを見つめ、妙に男の顔をするヤム。
おおよそ似合わない表情が、しかめ面にしか見えない。
「ね、俺みたいなもんが偉そうに、なんて言わないで聞いてくれる? お嬢たちの入国税を立て替えたら、そのお宝の取引を、俺にさせてくれねぇかな」
とんでもない、と首をふるフリア。無視して乗り出したリュイーヌは、おかしそうにほほえんだ。
いま断っても失う宝石なら、ヤムの申し出を受けてもさしつかえはない。
「決めました。ヤムの良いように」
主君の決定に、否やはない。
不服そうな表情のまま、フリアは無言で頭をさげた。
「お嬢、信用してくれるのか?」
あらたまったヤムが、頬を染めている。
砂漠の中の国、タッシリナジュールで出会ってから、なにくれとなく助けてくれるヤムに、リュイーヌは好感を抱いていた。
いままで神殿の中しか知らず、親しく民との交流もなかったリュイーヌにとって、ヤムとメティスは生きるための手引書だ。
「うんと高く、取引するよ。安心してくれ、お嬢」
順番を待つあいだに、ヤムはリュイーヌたちの砂漠馬を、まとめて金貨二枚で売った。
売値の相場が、一頭につき銀貨六枚だから、そうとう高値に売れている。
街道馬の買値は、一頭が金貨一枚。
リュイーヌのために一頭もとめようとするフリアを、本人が止めた。
「徒歩で行くほうが、追っ手の目をごまかせるでしょう」
誰の入れ知恵か、フリアには見当がついている。だが、主君に問い詰めるなど、もってのほかだ。
『小憎らしい奴め。姫になれなれしくしおって。許さんっ』
リュイーヌに絶対服従なフリアは、間接的にヤムの指示を仰ぐようで、腹立たしい。そんなフリアを横目に、ミランディアは涼しい顔だ。
彼女(?)にとって、リユイーヌが無事であるなら、誰からの指示であろうとかまわない。リュイーヌの安全こそ、第一だから。
ようやく街へ入った昼下がり。
ヤムはアネッタの安宿へ、皆を案内した。
「ちょっくら時間はかかっても、かならず高値で売ってくる。それまで、ゆっくり休んでてくれ。あ、フリアねぅちゃん。メティスのこと、よろしく頼んだぜ」
「待てっ、ヤム」
心細そうなメティスをフリアに押しつけ、あっと言う間にヤムは街へ飛び出して行った。
「なんて奴だっ」
怒るのにも疲れ、フリアはホッと肩を落とす。
「すみません。でも、ヤムはいい人です。ほんとに、悪気はないんです。ごめんなさい」
恐縮するメティスへ、フリアは優しい目を向けた。
国に残してきた弟も、メティスのように自分を見上げたものだ。
身体が弱かったせいで、父や一族から 騎士の家系に向かないと責められ、いつも人目を恐れていた弟。もし、穏やかで平凡な家に生まれていたら、苦しむこともなかったろうに。
「かまわぬ、おまえのせいではない。今日は疲れただろう。もう、水でも浴びて休め。 明日は、早いぞ」
フリアの変わりようを見ていたミランディアが、こらえきれずに笑い出す。
あまりにもヤムとメティスへの対応がちがうと、リュイーヌまでが笑った。
自分のせいではないと意地になって言い張るフリアに、メティスも思わずふきだし、あわてて口を押さえる。
「ヤムにまかせて、わたくしも休みます。皆も、休んで下さい」
隣り合わせの部屋に別れ、リュイーヌは水浴びを始めた。
おかしいくらい身体の汚れがおちて、本来の白い肌が現れる。
まっすぐ膝(ひざ)まで伸びた銀髪と、水面(みなも)のように透きとおった薄紫の瞳。
破格の賞金首としてアルラントが全国に布令を出した、ヴァルリオリンの巫女姫。リュイーヌの顔だ。
ヤムの用意した新しい服に着替え、柔らかな寝台に手足を伸ばしたリュイーヌは、朝までぐっすりと眠りをむさぼった。
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