第2話

*☆*☆*

『殺られるっ!』

 おもわず目を閉じ、硬直するメティス。が、斬られる衝撃はおこらなかった。

 恐る々る開けた目の前で、男は腕を振り上げ絶命していた。

 背中から胸へ突きぬけた剣先がゆっくりと引かれ、崩れ落ちた男の後ろにイスランが立っている。

「 イスラン さま?」

 おののき、しがみつくメティス。

 あたたかな手が、しゃくりあげる身体を受け止めた。

「いったい、何があったと」

 倒れているルーウェンに目をやり、イスランが息をのむ。

 まだぬくもりを残す老導師のかたわらに膝をつき、そっと手を取るイスランが、押し殺した声を吐いた。

「何があった、メティス。 あの男が ルーウェンさまを?」

 うなずいて、メティスは大地の珠を見せた。

「なぜこんなことになったのか、わかりません。でも、この珠が原因でお師匠さまは。お師匠さまの遺言を。 何があっても、お師匠さまの」

 大地の珠を抱きしめてすすり泣くメティスを、イスランは引き寄せた。

 辺りに忍び寄る殺気が、ただならぬほど高まっている。

「よく聞きなさい、メティス。ここは囲まれています。ルーウェンさまは、あなたに 何かをせよと、命じたのですね? かならず、出来ますね? 」

「はい。意地でも」

 涙にぬれたメティスの目を覗きこみ、イスランは頷いた。

「では、わたしがおとりになる。おまえは、何も考えずに走りなさい。良いですね」

 イスランは自分の荷物を背負わせ、金袋をメティスの懐へ押し込んでやる。

 メティスは首にかけていた守り袋へ、大地の珠をしまった。

 そっと瞑目し、ルーウェンの両手を胸に組ませて、イスランは立ち上がった。

 抜き身の剣を構えなおし、メティスを背にかばったまま戸口へ向かう。

「わたしが飛び出したら、一気に走りなさい。無事を祈る」

 短く言い置き、鋭く気合を吐いたイスランが跳び出した。

 次の瞬間、ギンッと剣の打ち合う音が響き渡る。

 数人の男が気おされて退いたすきに、メティスは木立めがけて全力疾走していた。

 追いかけようとする男たちを、気迫でさえぎるイスラン。

「おまえたちの探し物は、大地の珠か」

 闇に溶けこんだ敵の殺気が、わずかに揺らいだ。

「これが何か知っての上で、わが恩師を襲ったのだな」

 懐を押さえ言い放つイスランに、突き刺るような視線が集まる。

「アルラントの摂政が、四宝を求めていると聞く。おまえたちは、摂政の放った暗殺者(アサッシン)か」

 大規模な反乱のすえ、正当な王家を抹殺し、王都をわがものにした摂政カイド。

 神の力を封じた四宝をもとめて、戦をおこそうとしている男に、ルーウェンは殺されたのだ。

 イスランを拾い、わが子として育ててくれた恩師を。

 この世で、もっとも敬愛しているルーウェンを。

「許さぬ。カイドも、おまえたちもっ」

 慈愛に満ちたルーウェンの最後は、人々に見守られた穏やかな死でなければならない。決してこんな、惨(むご)たらしいかたちの死ではない。

「殺された、わが恩師への手向けに。おまえたち、ここで、死ね」

 闇に満ちた礼拝堂の庭に、イスランの剣が唸りをあげた。


*☆*☆*

 獣道を走るメティスを、数人の影が追う。

 その速さと音を立てない動きは、暗殺者のものだ。

(走れっ!)

 メティスの頭を、イスランの言葉がよぎってゆく。

『お師匠さまっ。 お師匠さまが!』

 メティスにとっても、ルーウェンは育ての親だ。

 嗚咽をかみ殺し、涙を流しながら走るメティスに、追っ手が迫っていた。

 林立する大木のあいだをメティスが駆け抜けた後、いくつかの人影が枝から飛び降りた。

 しっかりと大地を踏みしめ、やおら曲刀(シミター)を抜く。

 ひとかたまりとなって追ってきた者たちが、ヒタと足を止めた。

「ここからは、行かせねぇぜ」

 ひときわ大柄な偉丈夫が、前へ出る。

「引けと言っても、聞くまい。仕方ねぇ」

 勢いよく曲刀を振る偉丈夫。

 それが合図となって、男たちの闘いが始まった。


*☆*☆*  

 天峰山脈の裾野から砂漠にかけて広がる大草原を、はげしい雷雨が襲っていた。

 たて続けに空を裂く雷光は、すさまじい勢いで天地を揺さぶり、いくえもの雨が草海原をうねり渡る。

 幌馬車や、馬で旅する者はまだよい。だが、徒歩で旅する者は、包床(パオ)を持っていない。

 雷神を恐れてひれ伏し、叩きつける雨に打たれるまま、身動きひとつできなかった。

 そんな大草原の一点に、数十個もの包床(バオ)を張り、雨宿りする者たちがいた。

 帝都オーティンの豪商。ラサル・マラの商隊だ。

 十頭立ての巨大な幌馬車を囲んで、傭兵たちの包床が円形に配置されている。

 その内側に、大量の荷馬車と騎馬専用の包床も張られていた。

 人馬が寝起きできる装備を持つラサル・マラの財力は、並みの豪商をはるかに超え、貴族の域にまで達している。

 荒れ狂う雷雨をものともせず、快適に保たれた幌馬車の寝室で、ラサル・マラ自身が看病しているのは、ラジェッタの少年就学僧メティスだ。

 身体中に負った切り傷はどれも浅く、命にかかわる怪我はない。ただ、三日の間ほとんど眠らず走りつづけ、やっとラサル・マラのもとへたどりついたメティスは、極限状態にあった。

 憔悴し、やせ細った身体や、こそげ落ちたほほが痛ましい。

『わたしは、ルーウェンさまに教えを受けていたメティスといいます。あなたに助けを求めよと、お師匠さまはおっしゃいました。お願いです。わたしを、助けてください』

 そう言うなり、意識を失ったメティス。

 ラサル・マラは手ずからメティスを幌馬車へ運び込み、商売もそこそこにして、風の街アイオ・ロスを出発した。

 壮健な商人の指が、静かに上下している胸元の護符にふれる。

 ラジェッタの守護神、ワオスを現わした白金(プラチナ)製の護符には、あきらかに刀傷があった。

 ルーウェン導師がこれを与えたなら、メティスはただならぬ使命を託されたはずだ。

 眠りつづけるメティスのかたわらに立ち、ラサル・マラは不安な思いで唇をかみしめた。

『なにがあったのだ、メティス。ルーウェン様に、なにが』

 あわただしく出発したにもかかわらず、ヴァルリオリンを目前にした草原で、ラサル・マラは包床(パオ)を張った。そして、目的もなく二日目が過ぎようとしていた。

 打ちつける雨を、窓ガラス越しに見ていたラサル・マラが、ハッと後ろを振り返る。

「ヤムか。驚かせおって」

 内扉の床を水浸しにし、ずぶぬれになった若者が白い歯を見せた。

 しずくのしたたる黒髪をかきあげ、ラサル・マラ自慢の敷物をだいなしにして敷居をまたぐ。

 明るい茶色の目に浮かんでいるのは、気がかりそうな翳りだ。

「行ってきたぜ。気の毒だけど、大将の心配が当たったよ」

 ラサル・マラを大将などと呼ぶのは、この若者だけだ。

 他の者なら、まともに目を合わせることもできない。それほどに、恐れられている人物だ。

 雨で重い外套と上着を脱ぎ、ヤムは素肌にシーツを巻いた。

 勝手に酒棚を開け、上等の果実酒(ワイン)をあおる。

「残念だけど、ルーウェン導師さまは殺されていた。賊の死体が、礼拝堂の庭や森の中で、ゴロゴロしていたって話だ。誰が殺ったのか、見当もつかない。イスランっていう導師と、就学僧がふたり行方不明だ。それと、森に住んでいた親子が、いつのまにか いなくなってるそうだ」

 眠っているメティスのそばに、ヤムは座り込んだ。

「こいつ、ルーウェン導師さまの弟子だったな」

 疲れきったあくびを吐き、グラスを抱いて床に丸くなる。

 草原の民の若長老(わかおさ)として、そうとう鍛えているヤムだが、たった二日でラジェッタまで往復するのはきつい。

「昨日 アルラントが、ヴァルリオリンに宣戦布告した。ヴァルリオリンの水の珠(ウォディン・オーブ)と巫女姫を、王都に差し出せと迫ってる。アルラントの遠征軍は、ほとんどが無法者の寄せ集めだから、通り道の村や街はもぬけの殻だ。大将も早く帰らないと、国境が封鎖されちまうぜ」

「そうか、無理をさせて すまなかったな」

 空のグラスをラサル・マラに渡し、役目は終えたとばかりにヤムは眠りに落ちた。

 嵐はまだ、おさまりそうもない。

 洗い流すように、窓ガラスをつたう雨。

 深く吐息して、ラサル・マラは瞑目した。

「神よ。 なぜ」

 なぜ、ルーウェンにふさわしくない最後が訪れたのだ。

 神の御意志にすべてを預け、あるがままに生きた老導師。

 人として純粋に愛する術を体現し、誰もが尊く生まれたのだと説き聞かせていた者を、なぜに神は酷く扱われるのか。

『命は、清らかな水のようなもの。器を失い形を亡くしても、損なわれることはない。ただ、次の器に注がれるだけ。生き急がず、膿み疲れず、在るがままにおればよい』

 若き日。悩み憤って、自暴自棄になっていたラサル・マラに、旅の修行僧だったルーウェンが与えた言葉だ。その時の、ひょうひょうとした声が、激しく怒る自分に語りかけてくる。

「ルーウェン様」

 頭(こうべ)を垂れたラサル・マラの頬に、熱い涙がつたった。


*☆*☆*

 激しい雷雨が、幌を殴る。

 執拗に粘りつく夢の中でメティスが叫び、ミルトが泣きじゃくっていた。

 ここにいてはいけない、早く目を覚ませと… だが。

 『ここは、どこだろう』と、カリはぼんやり思う。

 誰かが、迎えに来たのだと言った。

『あれは、だれ?』

 遅くなってはいけないと、言われたのに。

『だれ に?』

 早く帰って、確かめねば。

「お師匠さま。 メティス、ミルト」

 かすむ視界の向こうで、やさしげな女が笑った。

「ご心配なく。もう少し、お休みください」

 額に置かれた指先で、薬草が香った。

『帰らなきゃ。お師匠さま、みんな』

 眠りに沈みこむ寸前、カリはイスランに両手を差し伸べた。


*☆*☆*

 凍える砂漠に、夜明けが迫っていた。

 羅針盤だけを頼りに、目印のない砂漠の道(デューン・ロード)を旅人たちは渡る。もう、目的地が見えてもいいだけの距離は来た。

 砂漠は刻々と姿を変え、目印になる一切の形を持たない。

 星を読み、羅針盤の示すとおりに進み続けるしかない。

 唯一、砂漠の獣が寄り付けない岩場を辿って、ここまで来た。

 岩場は、広大な砂漠に点在するオアシスだ。

 豊かな水をたたえ、灼熱の真昼と、獰猛な獣から身を守る砦。

 太陽が沈み、獣達が砂の底に姿を潜めるなり、旅人たちは岩場を出発した。

 砂漠の終着地、アネッタを目指して。

 だが、いっこうに西都アネッタが見えてこない。

 染みこむ寒気で身体をこわばらせ、群れをなす旅人たちに動揺が広がっていた。

 車輪の代わりに橇(そり)を履いた幌馬車や、騎馬の集団だ。

 小型の幌馬車から身をのりだし、メティスは手綱を操るヤムの肩越しに、前方をながめた。

 山ほどもある砂丘をめがけ、先頭は突き進んでいる。

「どうしたんだろう。迂回しないのかな?」

 心配そうなメティスに、ヤムは軽く肩をすくめてみせた。

 手の平の羅針盤は、すぐそこにアネッタの都市をとらえている。

 この砂丘を迂回すれば、都市へ着く前に夜が明けるだろう。そうなれば、命の保証はない。

 凍える寒さを避け、砂にもぐっている獣たちが目を覚ます前に、アネッタの城門をくぐらなければ。

「だいじょうぶだ。あの砂丘を越えれば、アネッタだからな」

 ヤムがだいじょうぶと言えば、かならずだいじょうぶなのだと、メティスは信じていた。

 ヤムと旅を始めて、もう二ヶ月になる。

 砂漠の道(デューン・ロード)の 北の玄関都市タウリンで、メティスとヤムはラサル・マラと別れた。

 アルラントの宣戦布告に危機感を抱いた各国が、次々と国境を封鎖し始めたため、ラサル・マラは仕方なく商隊を率いて帰郷したのだ。

 いかに帝都オーティンの豪商といえど、生半可なことでは封鎖された他国の国境は越えられない。

 商隊に加わった使用人や傭兵にも、家族はいる。

 ラサル・マラひとりなら、残っただろう。だが、商隊の安全を保障し、ぶじに帰還させる責任を担っているのだ。

 ぎりぎりまで考え、豪商はヤムにすべてを託した。

「おれは大将を、もうひとりの親父だと思ってる。だから、代わりにおれが、おまえを守る」

 ラサル・マラも、大地の珠をラグーンの巫女姫に託すようメティスに言った。

 ルーウェンの遺言に従い、ラグーンへ行きつきたいとメティスも願った。

 タウリンからラグーンへ行く銀街道には、アルラントがある。そして、いまは封鎖されているのだ。

 ヤムは銀街道の逃避行をさけ、無数の(オアシス)を網羅した砂漠の道(デューン・ロード)を選んだ。

 追っ手から守り導いてくれるヤムに、メティスは全幅の信頼をよせている。

「少しはずれて行くか。砂が、ゆるんでくる頃だ」

 集団の中ほどにいる幾人かが、先頭より左右にはずれて行く。

 踏み崩された砂に足を取られ、身動きできなくなると判断したのだろう。

 砂丘の中腹まで来て、ヤムはメティスに手綱を預けた。

 そうして馬車を降り、しぶる馬をはげまして登って行く。

 ここを越えられない時、待っているのは確実な死だ。

 メティスに気づかれないよう、死に物狂いで馬を引くヤム。

 息を切らし、汗みどろになって登りきった者たちの眼前に、信じられないほど雄大な風景が広がった。

 限りない高みまで、天を貫いた高山山脈の連なり。

 両腕を地平の果てまで広げ、砂漠の侵食を阻む二群れの山脈だ。

 ザナック山脈と精霊山脈を左右に従えた狭間に、堅固な城塞が見える。

 夜明け前の漆黒と、黒々と影を落とした山腹とに同化して、砂漠の脅威から守られた西都。アネッタの城塞都市だ。

「行くぜ、メティス」

 御者台に飛び乗り、ヤムは寸刻をおしんで鞭をいれた。

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