第4話 西向ヶ原
東が大戦争局大戦争取材1班に配属されてから1週間がたった。
春にしては肌寒かった先週とは打って変わって汗ばむ陽気。どうせ出社したところでやることはないと、この日は目覚まし時計を切って寝てみた。きっかり1時間の寝坊。東に罪悪感はなかった。
激務続きの政治局勤務時代には私物をほとんどおかず、入居したときのままだった平均的なワンルームの自宅も、定時より早く帰宅できてしまう大戦争局に異動してからは主にゴミが生活感を演出し始めていた。
再び眠りの世界へと舞い戻ろうとする意識の中で、なぜ眼が醒めたのかを考える。
部屋を見渡すと、部屋に干されたワイシャツが風もないのにゆっくりと揺れている。地震のようだ。念のためにテレビをつけてみるが、テロップが流れている以外はいつも通りのメロドラマであった。テロップに目を凝らしても、記事になりそうな事故が起きる揺れが観測された地域はないようだ。
再び寝ようとしたときに、枕元に置いてあった固定電話が鳴りはじめた。
「もしもし、東です。すいません、目覚ましが壊れていたみたいで」
東は電話の相手を上司である朝霞だと決め込んで用意していた言い訳を並べてみたが、どうも反応がおかしい。
『まさかとは思ったけど、やっぱりまだ家にいたか』
受話器から聞こえてきた声は聴きなれたものだった。
「山城か。どうした、こんな時間に」
『どうせ暇でしょ。西向ヶ原に来てよ。取材のアポがキャンセルになっちゃって、次の予定まで本社に戻るにも中途半端な時間だから。今から出れば昼にはこっちに来れるでしょ?』
東は、こちらの事情も聴かずに呼び出された不平を抱きつつも、参謀本部発表がある3時まで出社してもやることはない。万が一問い詰められても取材と言い張ればいいと判断して「行く」とだけ返事をした。
電車で1時間、呼び出された時間より早めについた西向ヶ原の駅で東は、ホームから見えた景色に呆然とした。
見渡す限り続くレール。数えきれない分岐点で広がったレールの平原とでもいえる景色。
車両基地。西向ヶ原は終着駅なので車両基地が付属していることは不思議ではない。しかし、規模が普通ではなかった。そして置いてある車両も。
「あれは」
思わずつぶやいた東の視線の先にあったのは、この1週間読んでいた資料に出てきたものであった。
旧式列車砲、軍用輸送車両、自律式制空機を積んだ輸送車両。ここで東は思い出した。西向ヶ原は東国の西端、つまり軍事境界線に最も近い町の一つである。
「おや、少し早めかと思ったけどもうついてたんだね」
そういいながらにこやかに現れたのは同期の経済局記者、山城だった。1週間ぶりだろうか。
「ここは、なんなんだ?」
「止してくれよ、仮にも大戦争局だろ。国内最大の軍事基地じゃないか」
「なるほど、それで旧式兵器までそろってるのか」
「国中から軍需物資が鉄道で運ばれてくる、つまり経済のかなめだ」
すでに店は見繕っていた様子で、迷いなく入った喫茶店で東と山城はオムライスとオニオンスープを注文する。
「それで、大戦争取材班はどんな感じ?」
席に着くと、山城が嬉々として東にとって痛いところをついてきた。
「とっても暇だ、一日の仕事は30分もあれば終わるし、上司は遊んでばっかだし」
「そんなことだと思ったよ」山城は笑っていた。
二人は、軽く近況報告を、ほとんどが山城の近況であったが、行った。途中にオムライスとオニオンスープが出てきて、冷ましながら食べたので会話は途切れ途切れになった。
「最近大戦争について調べなおしているんだ」
かすかに残ったオニオンスープを懸命にスプーンですくう努力をしながら東は言った。
「そんなこと調べてどうするつもりなの」
山城はスプーンを置いて尋ねた。
「別に、どうしたいとかはない。でも、知りたいじゃないか。山岳地帯を挟んでいる、どうやら同じ言語が話されているらしい国に戦争状態であるってだけで入ることもできないなんて」
「西国に行きたいの?」
「そうかもしれない」
山城はコーヒーを注文した。東もついでに注文する。
コーヒーが届くまで、東も山城も探りあうように押し黙っていたが、コーヒーが届き、熱くて苦いコーヒーを一口含むと山城が口を開いた。
「覚悟はあるの?」
東もコーヒーを一口飲んでから答えた。
「ある。記者として腐っていく前に、燃え尽きたい」
「そういうやつだったね、東は。政治局にいた時もやりたい放題だったからね」
「大戦争の兵站関連は経済局が扱ってると聞いた。軍現在の編成や兵站について教えてほしい」
大戦争局の棚には過去の資料は豊富にあったが、編成や装備、兵站の特に近年の資料が極端に不足していた。
「ボクが喋ったってことを伏せてくれるならいいよ。
まずは編成か、軍は大きく分けて地上戦力と航空戦力に分けられる。地上、航空問わず最前線の部隊は補給と整備を考慮したローテーションで3個連隊が配備されてる。表向きの常備戦力は前線と内地の重要拠点防衛戦力を合わせて航空15個連隊、地上27個連隊だけど、全部自律式機械だからね、工場から出荷したらすぐ最前線に送れる。倉庫にも10個連隊分ほどあると言われてるから、最大動員兵力は52個連隊プラス工場の瞬間稼働能力になる。
政府は、この瞬間稼働能力を重視していて、工場の拡張に多額の補助金を出している。でもまあ、そのほとんどは桜華重工が持っていくわけだけどね。ああ、汚職の匂いがする」
「その、桜華重工ってやつなんだが、どんな奴らなんだ?報道にはあまり出てきていないようだけど」
「まあ、報道の自主規制みたいなことがされまくってるからな。そういえば東、政治局ではほとんど野党担当だったか。与党担当なら汚職の痕跡ぐらい見つけられたかもしれないね。
桜華重工は東国最大の企業だよ。国内の企業の4割は桜華重工の傘下といって差し支えないし、全労働者の9割は何かしらの形で桜華重工から給与を支払われている。いうならば東国は桜華重工なしに戦争はできない。つまり、桜華重工の汚職を告発することは、国を滅ぼしかねないことなんだ」
結局、その後は山城が午後に取材を行うという桜華重工の関係者がどんな人間で、午前中の予定を直前にキャンセルしてきたこれまた桜華重工の人間がこれまたどんな人間なのか、といった話を延々にした。
特に午前中の予定をキャンセルした桜華重工関係者は平時の部隊配置に影響力をもつ軍にも籍を置く人物で、時間にはシビアなのでキャンセルはショックだったらしい、といった話を東はとっくに冷めきったコーヒーをすすりながら聞いていて、そんなこんなをするうちに、山城の午後の取材予定の時間になった。東としても、そろそろ戻らなくては3時の参謀本部発表に間に合わなくなってしまう。
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