第26話 音のある世界で生きている

「そんな事があったんだ、お疲れさまだねぇ」

 そう言ってふんわりと笑うのは構内で捕まえたミケちゃんで。お互い今日の授業が終わった時刻、この間片桐と合わせて知恵を拝借したチェーンの喫茶店の同じ席で、今回は俺とミケちゃんだけが向かい合う。ライブに来てくれた礼と、この間の礼だから、と無理やりその店のキャラメルラテを奢って、彼女の前にトンと置けば、一昨日からの事の顛末を話す。南海さんが一回り年上の男性という事は敢えて言わないけれど。キャラメルラテには相談料の前払いも含めている訳で。何ならケーキも付けようか!? と言えば「後が怖いからやめとくね」と笑顔で断られた。

「だけど、音に惚れるってわかるなぁ。私だってそうだもん」

 彼女はキャラメルラテのストローを弄りながら呟く。

「そう言えば、片桐の事好きだったもんね。何で付き合ってないのか俺には理解できないけど」

 片桐とミケちゃんの仲の良さは俺が良く知っている。何度「コレで何で付き合ってないのか」と思った事だろうか。

「だって、もしも私が告白してさ、断られちゃったら怖いじゃない。そうしたら私は片桐君の音を間近で聴けなくなっちゃうかもしれないじゃない?」

 ミケちゃんはにっこりと笑ってそう答え「結城君だって今がそうじゃないの?」とその笑顔を崩さないままに言葉を続ける。

「元々、私は片桐君の音を自分のものにしたいわけじゃないもの。私は片桐君の音を、聴いていれればそれで良いの。近くで聴けるうちは近くで聴いていたいじゃない?」

 そこが結城君と私の違うところ。きっぱりと彼女は言い切る。きっとそれは、遠く離れてしまっても、片桐の音を聴く手立てがあると信じているからなのだろう。けれど、俺は彼の音を離れてしまっては聴けないのだ。

「なるほどなぁ、そこか、違いは」

 何だか可笑しくなって笑ってしまう。「流石片想いのプリンセス、言う事が違うね」と冗談めかして言ってみれば「恥ずかしいこと言わないでよね」と照れ隠しのはにかんだ笑みで返される。

「それじゃぁ、片想いの先輩から一言」

 彼女も冗談めかしたトーンで笑う「好きになっちゃったら、仕方がないよね」と。

「じゃ、頑張ってね、結城君。ごちそうさま!」

 ミケちゃんはキャラメルラテを空にして、店を出る。俺はタバコを取り出してそれに火を付けた。そうして俺は片桐にメールを送る。この時間ならまだ捕まる筈、と。結局俺は恋が走り出したら止まらないタイプだろうし、ミケちゃんみたいに好きになった音を近くで聴いてるだけで満足できるような人間でもない。そもそも両親が結婚したのだって、ピアニストのバイトに応募してきた母親の弾くピアノの音に父親であるレオが惚れこんで猛アタックしたというのだから、遺伝だ遺伝。そんな母親だってレオの奏でた音に今でも惚れこんでいるのだし。


 俺たちは、音のある世界で生きているのだから。


「まったく、行き成り呼び出されるこっちの身にもなってよ」

 抹茶ラテを持った片桐が俺の座る席の向かいに腰を下ろす。で、色々と覚悟は決まったの? と笑いながら。

「覚悟っていうか、そうだな。開き直ったって言った方が良いかもしれない」

 俺の言葉に片桐は「そらまたヤケクソな」と笑い、俺は笑われることには甘んじる。言い返さないのはこれから頼み事をするからだ。

「本題、有るんだろ?」

 まさか隣に住んでるのにわざわざ喫茶店呼びつけて何もないってことは無いよね? と片桐は言葉を続け、俺は「あるよ」と返す。

「土曜な、リハ休みにしたんだ。そこで南海さんと会うから」

 そう言えば「で、どうするっていうの」なんてニヤニヤと笑いながら俺の言葉が続けられるのを待ち、俺は「一曲演奏するから、片桐に伴奏を頼みたい」それだけ言いきって、頭を下げる。

「まー、そんなこったろうと思ったけどね。結城には良くも悪くも音楽しか無いんだし」

 笑みを含んだ声色で、片桐はそう告げる。「頭なんて下げなくていいよ」と続けながら。

「良いよ、何やりたいの?」

 片桐の言葉に、その曲のタイトルを告げれば「どストレートに来たね」とあきれ顔で呟かれ、目の前に置かれた抹茶ミルクを飲み干せば、立ち上がる。「え、片桐どうした」片桐の行き成りの行動についていけない俺がそう問えば「あと五日も無いでしょ、どうせ結城の事だから演奏するならちゃんとやりたいだろ。今日は帰って構成、考えるよ」と腰を上げてすらいない俺を置いてスタスタと出口へと歩いて行った。そんな片桐の背を追うように、俺も急いで席を立ち、家路へと急ぐ。その間にも「で、やり方だって色々あるけどどうすんの、ポップ? それともしっとりバラードで? 歌曲的に?」なんてベースを決めるための質問を矢継ぎ早に浴びせるのだ。

「ちょっと、聴いてほしいのがある」

 だから家まで待ってくれ、と重ねながら俺は片桐を落ち着かせる。そりゃぁ確かにもう一週間も無いのだから焦るのは仕方がないけれど、やりたい音が俺の中にある。それをわかってもらうには、そのビジョンを聴かせる方が手っ取り早い。コンビニで夕飯と酒を買い込んで、そのままの勢いで俺の部屋へと二人、雪崩れ込む。片桐は楽譜が山積みにされている棚からその曲が収録されている赤い楽譜集を取り出してパラリと捲り、俺はCDの棚から一枚のアルバムを取り出しプレイヤーへとセットする。

「こんな感じでやりたいんだ」

 アルバムのラストナンバー。その曲を掛ければ、片桐も「ナルホドね」と頷く。

「何となく結城の音に似てる?」

「あぁ、父親だから」

 片桐の疑問に簡単に答えれば、再び彼は「ナルホドね」と呟き「で、コレをこのまま完コピする訳?」と重ねる。

「まさか」

 完コピなんてするワケ無いじゃん。そんな言葉を言外に含ませながら「参考として、こんな感じのイメージでってヤツ。完コピなんてしたら俺の沽券に関わるからな」と片桐に答えれば「完コピだったらおれは一抜けだったけどね」なんて彼は笑う。そして、片桐はその曲を聴きながら譜面に視線を落として思考を巡らせるようにふぅむ、と唸る。曲が終わるまでその体勢を維持していたと思えば、ゆっくりと首を上げて「折角だし、歌えば?」なんて言い出すのだ。

「歌!? また!?」

 俺の思わず出てしまった大声に「良いじゃん、練習あるのみ」と片桐は他人事だと笑顔でサムズアップをしつつ「ホラ、この曲の歌詞ってどストレートな告白じゃん、このシチュレーションで歌わないなんてあり得ないね」なんて主張をし出すのだ。

「さってと、方向性は見えたし、俺もちょっと練習するかな」

 そう言って立ち上がる片桐に「おーい、コンビニで買ったメシどうすんだよ」と声を投げれば「忘れてた」なんて笑うのだ。

「じゃぁまずはご飯食べてから練習。もうコレずっと流しといてよ。インプットするから」

 そう言って、レオの曲が流れる俺の部屋で、片桐は弁当の蓋をカパリと開ける。一曲だけをずっと流しっぱなしにしている部屋で俺と片桐はビール片手に弁当を食べる。流石にこの時間からだと俺は楽器を吹けないし、だからと言ってウインドシンセを出してパソコンに繋いで吹いてみる、なんて気分にもなれなかったし。片桐は片桐で「こういう恋の曲はちょっと酔ってた方が気持ち上がるんだって、多分」と適当な事を口にしながら缶の中身を空けていく。そんな空間で、俺の携帯はポン、と通知音を鳴らす。そのメールの送信者名は南海さんで、そのメールの中身は、いつも以上に短い。漢字二文字の肯定の言葉だけがそこに表示されていた。舞台は整った。後は俺と片桐での、練習あるのみ。


「ねぇ、あのさ」

 あれから四日間、授業が終われば互いの予定の隙間を縫って練習した結果を、丁度授業が終わって練習室で一人音遊びをしていたミケちゃんの所へ押しかけて、披露する。「どうかな!?」と二人そろって訊ねれば、ムリヤリ観客にされた彼女はそう口を開くのだ。

「全く事の経緯がわからないんだけど……」

 呆れを含んだトーンでそう口にするミケちゃんに、「片桐と練習したから、披露? みたいな?」なんて答えて。その答えには納得していない様子だったけれど、感想を求められている事はわかってくれたらしいミケちゃんは「良いんじゃないかな」と笑う。

「ピアノとテナーのデュオなら、やっぱりゆったりしたバラードの方が似合うよね。渋くて好きだな。あっ、もちろんピアノとボーカルでもね」

 ん? これは片桐君と結城君のデュオがバラード似合うだけかな? なんて彼女は笑う。「あとね、すごく甘いの。この間のライブの時も思ったけど、結城君のサックスの音、音に甘さがあるっていうか、キラキラした砂糖菓子みたいな音で、曲に良く合ってると思うよ……コレって、恋の曲だよね?」首を傾げながらそう問うミケちゃんに、俺と片桐は頷く。

「ありがと、参考になった」

「これ以上手を加えたら崩壊しそうな予感もあるもんね」

 俺と片桐はミケちゃんに礼を言い、俺はバイトへ、片桐はミケちゃんと連弾でもしようかなーと練習室に残ることになった。バイト先の店にある、小さなステージの上でテナーを吹きながら、俺は、明日の事を考えていた。

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