第24話 彼らの音は繋がっていく

「好きなんですよ、俺、南海さんの事が好きです」

 まっすぐに、見つめてきた彼の真剣なまなざしに、射貫かれた。自分の言いたい事だけ言い切って、最後に「俺が言いたかっただけなんで、忘れてくれて構わないです」と、彼に掛ける言葉を見つけられない俺に笑いかけようとしたのか、くしゃりと顔を歪ませて、彼は俺に背を向けた。

「泣きそうな顔するくらいなら、言うなよな……」

 やっと絞り出せたその言葉は、彼に届く前に薬局のガヤガヤとしたざわめきの中に消えていた。俺は彼を追う事も出来ず、深く息を吐いて、買うべきものをレジへと持って行き、会計を済ませ、一人家路へと足を向ける。その間にも頭の中で響くのは、彼の言葉。あんなに真剣なまなざしで投げられた言葉を気の迷いだと言えるような悪い大人ではなかったし、だからと言って、すぐにハイそうですか。と受け入れることが出来るほど懐の広い大人でも無い。パカリと携帯を開き少しだけポチポチとキーを押せば、昨日届いた彼からのメールが画面に表示される。『今夜はあなたのために演奏します』その一文だけ。元々俺と彼は長文のメールをやり取りするようなタイプではなかったから、いつも短文のやり取りだったけれど、今回のメールは異質だった。きっと間違いメールだな、と思い『送信先間違ってないか?』と返したけれど、きっとあの様子では彼は携帯をチェックしていないだろう。あーあ、なんて大げさにため息を吐いたところで嗜める相手なんてここには居ない。一人、家のドアを開けてソファへ身を投げる。三十代の男がソファの上で丸まって悶える姿なんて見られたらきっと羞恥で死ぬ。それでもソファにボフンボフンと頭を打ち付けるしか、今の俺に出来ることは無い。そもそも、彼に会って、あんなことを言われるなんて全く想定していなかった。昨夜のライブが良かったと話して、メールの送信先間違っている事を指摘して、気を付けろよな、とか笑って、また今度飯でも。と話して別れるような、そんな関係だった筈なのに。


「俺、最初に逢って、聴いた、南海さんの音が好きになったんです」

 そうまっすぐに、言った彼の言葉に、心が揺れなかった訳ではない。その後に続いた自分のものにしてしまいたい、という言葉にも。きっと、俺も彼と同じ世界の人間だ。音の世界に生きている。そんな彼に、俺の音が好きだと言われた事は正直に言えばうれしかったし、光栄だ。耳の奥で鳴り響くのは昨日聴いた、彼の音。バードランドにコンファメーション、彼の歌った、君住む街角。三曲続けて流れるように披露されたアップテンポの楽しげな曲。そしてその後静かにしっとりと奏でられたスローテンポな三曲と、アンコールだと笑って前置きされてから演奏が始まったサニー。原曲のブルース調ではなく、しっとりとお洒落なボサノヴァ調で。全部で七曲。その七曲のすべてで、彼は楽しそうに演奏をしていて、その音は前に聴いた時よりも甘やかに俺の元まで届いてきたのだ。前に聴いた時の彼の演奏がキラキラと輝く真昼の太陽のようなきんいろだとすれば、昨日聴いた彼の音は暮れ始めた夕陽のような、茜色。まるでそれは、かつてニューヨークのあの場所で聴いたレオのそれに似ていて。あぁ、やっぱり親子なんだなぁ。と思ってしまう。きっと、こんなに音楽で心を強く揺さぶられたのは、あの日以来だった。親子そろって俺の感情を揺さぶる音楽を俺に聴かせてくれる。レオの音は、もうこの世に居る限りスピーカーから出てくる音でしか聞くことは出来ないけれど、彼の音はまだ、そうなってはいない。もっと、彼の音を聴いていたい。ソファーの上で年甲斐もなく丸まって、導き出した答えはその一言だった。俺だって、彼の音が欲しくなってしまっているのだ。のろのろと、ソファから起き上がり、棚の中から一枚のレコードを取り出して、レコードプレイヤーにセットする。それは、レオの最期のアルバムで、じっと、息をひそめて彼の遺した曲たちを聴いていれば、やがて俺の覚悟も決まる。やっぱり、俺は、彼らの音を手放したくは無い。彼のあの告白で、それくらいの事で、手放せるような音じゃない。細く長く、腹から息を吐き出して、思い切り吸い込む。一息にその吸った息を吐き出せば、携帯を手に取り、何てことないように、一文を打ち込んで、彼の元へと送る。

「あぁもう、そこでコレが流れるのか」

 メールが送信されました。と携帯電話に表示されると同時にこのアルバムの表題曲でもある最後の曲が流れはじめる。その曲は、熱烈な愛の曲であり、聴いているこっちが恥ずかしくなるような歌詞が付けられている曲だった。重力に従ってそのままソファに倒れ込めば、窓から差し込む夕日が、流れる曲とマッチして、何だか少しだけ、幸せな気分になれた。

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