第22話 思い返せば恋だった

 そうして、俺たちはそれぞれ思い思いにライブまでの一週間を過ごす。そうして金曜には顔を突き合わせて明日演奏する曲を何も話さず一度ずつ合わせる。何かを言い出したらもうキリがないのだ。そんな最後のリハを終わらせ、また明日、とスタジオを後にする。

「今回のライブ、なーんか気合入ってるよね」

 帰り道が同じというのもあって、俺と片桐は並んで家へと足を進める。そんな時にポツリと片桐はそんな事を口にする「俺はいつでも気合入ってますけどー?」片桐の疑問に言葉を返せば「いや、いつもはこんなにやらないでしょ。前回のサニーだけぶっ続け十連続とかどういう事なのさ」と呆れかえった片桐の声が帰ってくる。

「やっぱりさ、楽しませたいじゃん?」

 誰を、とは言わずそう告げれば「ふうん」と片桐は興味が無い様子で相槌を打つ。そうして思い浮かべるのは南海さんの事。今回のセットリストも、南海さんを意識しているし、片桐が、俺に気合が入っていると言うのであれば、恐らく南海さんに聴いてもらえるからだ。レオの音をバードランドで再現しようなんて、そんな事は思っていなかったけれど、それでも、レオを知っている南海さんが聴いてくれるなら、レオの事を思ってもらえるような音を作りたかったのもまた、事実だ。バードランドのメンバーには、片桐にすら言っていないレオの存在を、知っているのは本当に少ない人数だと思う。これが、彼が活躍した海の向こうであれば違っただろうけれど、此処は日本で、彼は日本では知られていないアーティストだから。

「まぁ、気合入ってるのはいいけど、泣いても笑っても明日が本番なんだから、此処で燃え尽きないでよね」

 ハハ、と笑いながらそう告げる片桐に「そんな訳ないだろ? ドキドキしすぎて寝れそうにない」なんて笑って返せば「それは寝てよ」と冷静な言葉が返ってくる。そうして家に辿り着けば「ちゃんと寝て起きて、また明日」と片桐はドアの前で笑う。俺もまた「わかってるって」と返し、今夜はそれぞれ自分の部屋へと入り、部屋のドアを閉めた。寝る前に一本だけ、と缶ビールを取り出し喉に流しつつも、寝るための準備をのろのろと進める。ついでにリハの時から放置していた携帯を見れば、メールマガジンの山に埋もれて、南海さんからのメールが一通入っていた。

『明日、楽しみにしているよ。頑張れ、サッチモ』

 敢えてジャズの王様の名前で俺を呼んだ彼の真意はわからない、だけど、この間話したルイだけに、というあの話を覚えていてくれたんだろうな。なんて思わず笑みが零れる。

『ジャズの王様に恥じないような演奏が出来るよう頑張りますね!』

 色々と打ち込みたい言葉を堪えて、その一文だけを返信して携帯をテーブルに置いて、俺はベッドに潜り込み、眠りの海へと飛び込んだのだ。


「……シュン坊、どうした」

「まさか結局寝てない?」

 翌日、夕方に差し掛かる時刻にライブをやるそのステージへ足を踏み入れた俺は、先に到着していたタァ兄と片桐にそんな言葉を投げかけられる。「いや、寝た、寝たっていうか……寝たんだけど」しどろもどろになる俺に「なしたよ」と呆れ気味のタァ兄。

「……何でもない。大丈夫」

 欠伸を噛み殺しながら楽器の準備を始めればタァ兄と片桐もそれ以上は追求せず「ライブ中寝ないでくれりゃ良いか」とだけ呟く。俺はと言えば、結局寝不足以外の何物でもないその疲弊した脳みそをフル回転させて自分の深層心理なんてものがあるのであれば、そいつと向き合っていた。

 それは、昨夜眠ってしまってからの事だ。いつもは殆ど見ない夢の中で、南海さんに会ったのだ。南海さんは、会っていた時よりも何となく若いような姿で、それでも彼が南海さんだという事はわかった。俺が、幼い頃に住んでいた街の、レオが立っていたステージで、俺が曲を吹き終え、階段一段程度の高さしかないステージから降りて彼の元へ向かえば、彼はいつぞやかに見た綺麗な笑顔で「好きだな」と微笑むのだ「うん、好きだよ」そう言葉を重ねた彼は、今まで逢ってきた誰よりもきれいで、俺は彼の手を取り――

「うわぁぁぁあああー!」

「ウワッ!? どうしたんですかゆーきサン!?」

 昨夜の夢を思い返していた俺は、あまりの居たたまれなさに思わず声を上げて叫ぶ。いつの間にか来ていたらしいリョーマもつられて声を上げ、どうしたのか、と訊かれれば「い、いやなんでも……」と言葉を濁す。

「ちょっと、結城大丈夫?」

 片桐も叫び出した俺に怪訝そうな視線を送り、タァ兄とアカネも同じような視線を寄越す。対バンの相手バンドやライブハウスのスタッフからもどうした、とでも言いたいような視線を一身に受けて「な、なんでもないデス……」と萎みそうな声で苦笑交じりの会釈をするのだ。

「バードランドさん、お願いしまーす」

 スタッフが俺たちを呼び、俺たちはステージに上がる。スタッフの合図で一曲目の頭だけを軽く合わせ、機材の調整を確認する。リハの時間はまだあると言われ、それなら、と君住む街角だけを演奏する。俺たちの順番が終われば、次のバンドがステージに上がり、俺たちは楽屋に楽器を戻してからそのリハ風景を眺めつつ、本番まで思い思いに過ごすのだ。

「ユーキさん、今回は歌うんですねー」

 壁際に数個並べられたパイプ椅子へ腰掛けていれば、何度か対バンで一緒になっているバンドのベースくんがニコニコと笑みを浮かべながら声を掛けてくれる。「そーなんだよ、君住むの一曲だけだけど。最初は色々ごちゃごちゃと考えてたんだけど」「あーわかる。何か変化付けたいって言うか」テーマが有名な曲ってシンプルにやった方がキマっちゃうんですよねーと彼も笑いながら同意する。彼と同じバンドのドラムさんとギターくんも俺たちに気付いたのかやって来て。「アレ? ボーカルくんは?」このバンドは確かボーカルを入れて四人組だった筈。とボーカルくんの所在を尋ねれば「カエデなら腹下してトイレに。アイツいっつもそーなんスよ」と仏頂面のギターくんが答える。

「え、またカエデ腹痛?」

「お前がバンドに巻き込むから……」

「だってもう一年は経ったよ? それに呼び出したのはオースケじゃん?」

「マスミが呼んで来いって言ったんだろうがよ」

 ベースくんとギターくんがそんな話をしながら俺の前から立ち去り恐らくトイレへと向かう。残された紅一点のドラムさんは苦笑交じりで「ホント、残念な奴らで申し訳ない」と言葉を放つ。

「気にしなくていーよ、ボーカルくん、カエデくん? って始めたばっかりなんだ?」

 彼らの会話を聞いてる限り、彼らがバンドにボーカルであるカエデくんを引っ張り込んで来たのであろう。彼女に訊ねれば「マスミ……ベースのチャラ男がカエデの声を気に入っちゃってムリヤリって感じデスね」と答えてくれる。

「あーでも、それ分かる気がする。良い声してるもんね、カエデくん」

 バンドとは無縁そうな真面目な外見で、結構激しくシャウトをしたりもするカエデくんが、バンドに巻き込まれて一年、という事に驚きながらも彼を引っ張り込もうと思った彼らには納得する。どこで聴きつけたのかは知らないけれど、これは俺だってゲットしたい声だ。

「音に惚れちゃったら最後、自分のものにしちゃいたいのが三人揃っちゃったのがカエデの不幸の始まりなのかな」

 なーんて。冗談交じりに薄く笑みを浮かべてそう口にするドラムさんも俺の元から離れ、トイレから出てきたらしい野郎三人衆の方へと足を向ける。そうして俺は一人パイプ椅子に座り、足を投げ出して考える。〝音に惚れちゃったら最後、自分のものにしちゃいたい〟彼女が冗談交じりに薄く笑って口にしたその言葉が胸にすっと、落ちて。あぁ、そういう事か。と思わず笑ってしまう。会ったその日に俺はきっと、彼の音に魅了されて、自分のものにしたかったのだ。俺はそういう人間だから。レオを知る人間だから、とか、片桐に言われたとか、メシが美味しいだとか、綺麗に笑う姿にドキっとしただとか、夢に出てきただとか、そんな事は全て後付けで。あの講堂で、彼の整えたその音を聴いたとき、きっと、恋に落ちたのだ。

「結城どうしたの、気持ち悪いんだけど」

 隣の椅子に座りながらそう声を掛ける片桐に「色々腑に落ちて今は超元気だけど?」と笑う。

「まぁ、良いけど」

 ライブでポカしないでくれれば。とヘラリと笑い「そろそろ始まるんじゃない?」と客の入り始めたライブハウスの後ろの方で対バン相手のステージが始まるのを待つ。その間に、と俺は尻ポケットに入れっぱなしだった携帯を取り出し少しだけ操作をする。

「行き成り携帯出して、何してんの」

「ん? ちょっとな」

 メールが送信されたのを確認して、電源を切って再びポケットに戻し、今度こそ俺は彼らのステージが始まるのを静かに待つのだ。

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