第16話 きみに太陽が輝く歌を

 口の中にまだ残っている甘味と塩気のデスマッチを何とかすべく土産物として有名なバターサンドとほぼ出涸らしの紅茶を口の中に流し込んでいれば、隣では悪魔のようなキャラメルを持ってきた張本人がどこか遠くを見るように部屋の虚空を見つめていた。何事か考えるように、もしくは追憶に勤しむように。本人曰く天然だという癖の強いブロンドは無造作ヘア、とでもいうのだろうか。寝癖の様にぴょこぴょこと跳ねていて。くるくると表情を変える表情も、今はその緑色の瞳を細めており、実に絵になる青年だな。と思わず彼の横顔を見つめてしまう。

「どうしたんです?」

 いつの間にか、彼は虚空から俺へと視点を変えていて。身長も座高も俺より高い彼はすこし屈んだように背中を丸め、下から覗き込むように俺を見る。イケメンと呼ばれる部類である彼の整った顔が何の前触れもなく近くに出ると、思わず身を引いてしまう。

「何か考え事してるみたいだったから。何考えてるのかなーって」

 そう言い訳じみた説明をすれば、「この間母親が言っていた事を思い出して」と口を開く。

「レオは、彼の残した音楽の中に生き続けているって、言ってたんですよ」

 実は、父親なんですよね。レオって。彼はそう付け足して話す。父親である、と。そう言った彼の表情はすっきりしたような表情で。彼が俺に懐いてくれていた理由というのも少しわかった気がした。「だから、南海さんがレオの音楽を聴いてくれているっていうのは、レオを生かしてくれてるって事なんだなぁって」さっきのバードランドもそうだし。本当に好きでいてくれてるんですね。といつもの快活な笑顔ではなく、すこしだけへにょりとした情けない表情で笑みを浮かべる。それはまるで涙を堪えるようなそんな表情だった。


「南海さんってピアノ弾けるんですよね?」

 話を無理やり変えるように、彼はそう口を開く。「い、一応弾けるけど」と思わず身じろぎながら返せば「俺も南海さんのピアノ、聴いてみたいです!」と身を乗り出すようにそう強請る。時計をチラと見遣ればまだ夜遅いという時間ではなく。一曲位であれば近所迷惑にもなるまいと。以前彼に強請って演奏してもらっているという負い目もある自分としては、そんな期待されるような音を提供できるとは思えないけれど、強請られれば弾いても良いかな。なんて思える程度にはこの青年に絆されていたのだ。

「言っておくけど、俺はピアノを調律するんであってピアニストじゃないんだからな」

 それだけは断りを入れて、居間の端に置いてある最近は殆ど触っていなかったアップライトの前に座り、十指を鍵盤へと乗せる。ええいままよ、と指を動かしメロディーと和音を組み上げて奏でるのは、彼が俺に聴かせてくれた曲で。元々好きな曲だったそれは、かつて弾き語りを練習していた時期もあって。興に乗り始めた俺は思わずピアノが奏でるメロディーに歌詞を載せて歌っていた。

 一曲弾き終え鍵盤から指を静かに離してから一息つけば、背後から聴こえる一人分の拍手。

「サニーですね」

 静かに、そう告げる彼の声はやけに甘やかな響きで、俺の耳へと届いた。その確認とも取れる一言に静かに頷けば「好きですよ」と彼の声が重ねられる。彼のその言葉の意味が解らず、振り返って彼へと視線を合わせれば、その瞳は愛しげに、慈愛に満ちた聖母像のように細められていて。「え」思わず声を上げてしまった俺に彼は再度、今度はいつものからりとした笑顔で「南海さんの整える音も、南海さんが奏でる音も、南海さんの歌声も、すごく好きな音なんですよねぇ」と口に出してそう笑う。そう言えば、彼と初めて会った時というのがピアノの音を整えているその時だったかと、ようやく気付く。どうしても餌付けをしてしまっている気分でいたのがいけなかった。彼が音楽の世界で生きようとしていて、俺がその世界の端でその手伝いをしていなければ、そもそも彼と俺は出会わなかったのだと。そして、彼がレオの息子で、俺がレオを知っていなければ、きっと彼もこんなに俺に興味を持つことなどなかったのだろうと、そんな偶然の積み重ねが、今、この空間を作っているのだと。

「ありがとう」

 何とか絞り出せたのは、そんな陳腐な言葉だった。精一杯の笑顔を見せて、ピアノから腰を上げる。菓子に気を取られていて夕飯がまだだった。「ハンバーグだけど、食べてくだろ?」そう声を掛ければ「勿論です!」といつものメシに喜ぶ大型犬のような青年がそこに居た。

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