第12話 『実家』にて

 目を開ければぐらぐらする視界。ゴンゴンと頭の中で鐘をつかれているのでは無いかと疑うような頭痛に目の前にあるクッションへ顔面を沈めてから自分がソファに寝ていたことに気付く。「記憶無い……」一人でそう呟けば、「起きたかシュン坊」と上から降りかかるタァ兄の声。「一杯目をスミノフ一気だもんなぁ。べろんべろんだったぞお前」とカラカラ笑うタァ兄が今は悪魔に見える。いや、タァ兄が悪魔ならそんなすごい酒を笑顔で差し出した雪子さんは大魔王だ。「で、ミナミサンって誰なんだ」と行き成り問われるその人名に思わずクッションから頭を上げて、酒が抜けきらなくて回り続ける視界と二日酔いの頭痛に再び沈む。「いやー、ケイがモテモテなんだろってシュン坊に絡みまくっててさ、女とか居ないって言い張ってたところにいきなりミナミサンって人名が出てくるもんだから俺もケイも朝比奈も色めき立ったんだけどな、お前そこで落ちンだもん」と昨夜の出来事を教えてくれるのはいいけれど、俺には全く覚えがない。

「記憶にございません……」

 それだけをやっと絞り出せば「どこの政治家だよ」と突っ込まれる。「とりあえず水飲め水。もうちょい落ち着いたらスポーツドリンク買ってきてあるから飲んで。朝比奈が味噌汁作ってくれてるから飲めそうならそれもな」しじみだぞーと味噌汁の具を言いながらタァ兄はキッチンへ向かう。戻ってきたタァ兄の手には大振りなマグカップに入った水とスポーツドリンクのペットボトル。「とりあえず飲め。そして出せ。話はそれからだ」マグカップを差し出されれば、少しずつ流し込む。中身が無くなればペットボトルを差し出される。「っていうか、俺今日鷹羽さんの家行かないとなんだけど……」元々今回の帰省は、圭兄さんからチケットが送られてきたのもそうだけれど、圭兄さんがチケットを送ってきた理由というのが圭兄さんの父親でもある鷹羽さん――母親の交際相手である鷹羽令佑その人から話したいことがあるというのがあってこそだ。

「今回の戦犯はケイと朝比奈だからな、タクシー代出すってよ。ついでに俺も乗って帰るわ……」ま、その前に少しでも水分取っとけ。とタァ兄は奥へと引っ込んでいく。

 タァ兄に言われるがまま水分を取り、トイレに行き、雪子さんの作った味噌汁を飲み、風呂に入る。そうしていれば、二日酔いの頭痛も何とか収まり、時計は昼の十二時を示していた。タクシーを呼んでくれた雪子さんにごめんね、と謝られた俺は、一気したのは俺だし。と返す。圭兄さんは「今度はミナミさんの話、詳しくね!」と悪びれる様子もなく送り出してくる。「そんな事話した記憶無いし!」と返せば彼は、「次は潰れない程度に飲もうね」と笑っていた。


「あら、お帰り」

 タクシーから降りて若干覚束ない足取りで今日の目的地に到着した俺は、そのバカでかい家のインターホンを押して扉が開くのを待つ。そうして待った末にそんな言葉を投げかけながら出てくるのは母親である結城麗子だ。「たっだいま……」と覇気なく返せば「なしたのよ」と尋ねられる。「圭兄さんのところで潰された……二日酔い」とだけ返せば「あぁ、圭佑くん強いから」と納得される。「令佑さん待ってるけど、先に寝ちゃう?」と重ねられれば、「いや、用事済ませちゃってからにする」それだけ答え、鷹羽さんが待っているのであろうリビングへと相変わらず覚束ない足取りで向かう。

「あんたゾンビみたいよ、じゃぁスポーツドリンクとウコン飲料買ってきてあげるから先行ってなさいね」

 母親はそう言って小銭入れ片手に家を出て行く。言われるがまま、そのままリビングへ入れば、相変わらず温厚そうで人好きのする笑みを浮かべた男がソファに座っていた。「久しぶりだね、駿介くん」そう声を掛けられれば彼の掛けているソファの横に置かれた一人掛けの椅子に掛けながらも「ご無沙汰してます」と頭を下げる。「何か体調悪そうだけど、大丈夫?」彼が首を傾げながら尋ねる。

「大丈夫じゃないですけど、ただの二日酔いです」

「あぁ、圭佑から「駿クン潰しちゃった」と電話来てたけどこういう事か。うちの愚息がごめんね」

 困り顔で謝られれば「飲んだのは俺なんで」とだけ返す。鷹羽さんが悪い人じゃないのは知っているけれど、結局やっぱり何となく気まずくて、買い物に出た母親がさっさと帰ってくる事を心の中でだけ祈る。二人きりになってしまうとどうしても気まずい。向かい合わせじゃなくて、丁度九十度の角度に座っているだけマシだけれども。近況を尋ねられ、それに答えて、と、お互いに距離を測りかねる会話を交わしていれば、やっと母親が帰ってくる。「ハイ、ウコンとスポーツドリンク。とりあえず飲みなさい。飲みながら話しましょ」と袋のまま渡されたそれを受け取って、まずは小さな缶ボトルの中身を空ける。母親が鷹羽さんの隣に座れば「それじゃぁ、早速本題なんだけど」と彼は口を開き、俺は思わず姿勢を正す。

「麗子さんと、結婚しようと思うんだ」

 鷹羽さんの言葉に、まず頭に浮かんだ言葉が「やっぱりな」というものだった。籍こそ入れてはいなかったけれど、母親と彼はもう何年も一緒に居る訳だし彼女を彼が大切に思っていることは俺も知っている。ただ、彼を父と呼べないだけで。そんな彼らが俺を呼び出して話があると言うならばそういう事だろうと見当はついていた。だから驚きはしなかったし、覚悟もできていた。無言で居た俺を気遣うように鷹羽さんは「勿論、麗子さんが籍を入れたとしてもこれまでとあまり変わらないし、駿介くんが望むなら養子縁組をするけれど、したくないのであれば僕はそれでも構わないし」と言葉を重ねる。口から出かかっていた言葉が、鷹羽さんの養子縁組という一言で喉奥に張り付いてしまう。俺の沈黙を否定と取ったのか、困惑と取ったのか「答えは急いでいないから」と笑顔で告げる。

「まぁ、そういう事なんだけど、まぁ取りあえず寝なさい。結論を急ぐこともないし、今回結論出す必要もないから」

 俺が何かを言う前に母親にそうやってこの話を纏められてしまった俺は、気怠い身体を引きずりながらこの家での自室へと向かう。結論を急いでいないとは言えど、彼らだってそうしたいと決めればあとは手続きをするだけなんだろう。俺が成人したタイミングだからかな。なんてふと思いながらも自室のドアへ手を掛ける。そうしてそのままベッドに飛び込み着替えもせずにダラダラとした動作で布団の中へと潜り込む。

「わかってた事ではあるんだけどなぁ」

 布団の中で口の中でボソリと呟いた言葉は誰に届くでもなく、自分の耳にだけ残響のように残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る