第11話 『実家』へと向かう道すがら

 そしてあのリハから丁度一週間が経ったその日、俺は機上の人となっていた。

「あー、昨日ケイと話したんだけどめちゃくちゃ浮かれてたぞアイツ。朝比奈と話してないから実態は判らんけど、まーあらぁ大量の在庫があるだろうな」

 他人事ではないのに他人事のようにそんなことを俺の隣である通路側の席で話すのはタァ兄「同じ飛行機とはきいてたけど、隣の席とは聞いてない……」と呟けば「偶然って怖いなー」とすっとぼけられる。今回の帰省に圭兄さんが関わってる時点で気付くべきだった。鷹羽圭佑。俺が圭兄さんと呼び、一つ違いの幼なじみでもあるタァ兄がケイと呼んでいるその男は俺の実の母親が付き合い、同居をしている人の息子だ。籍を入れている訳でも無いから義理の兄に当たる訳でもなく、他人と言ってしまえば言えるような相手であるけれども、彼は隣に座るタァ兄と共に当時中学生だった俺に構い続け、今もこうやって構い続けている。今回の帰省だって圭兄さんが飛行機のチケットを送って寄越さなかったら帰っていなかった。きっとタァ兄のチケットも一緒に取って隣にするように手配したんだろうなぁ、と思わずため息をひとつ。こうなってしまえばもう圭兄さんの家に是が非でも連れていかれる事請け合いである。そうすれば彼の家に泊まることも確定事項だろう。〝実家〟に泊まるのと圭兄さんの家に泊まるのと、どちらとも気は進まないが在庫処理が無い分実家を選ぼうと思っていた俺はその選択肢も奪われてしまったのだ。

「シュン坊帰ってなかったから知らねーだろうけど、年末に帰った時もそらぁ恐ろしい段ボールの山がだな」なんて思わず眉間に手を伸ばす俺の隣で苦笑しながらタァ兄は話し続ける。けれども俺はその段ボールの件も知っている「ソレ、ウチにも送られてきたから知ってる」とだけ返せば、あちゃーとの声。それを最後に俺は窓の外、機外の青空を見つめる。地上から見る青空よりも深い色をしたその空は、なるほどこのまま宇宙に繋がっていると納得できるような気持のいい青だった。


「駿クン! おかえりー!」

 夕方には空港に降り立ち、そのままタァ兄が借りてきたレンタカーに詰め込まれて連れられた先は市街地にある圭兄さんの住むマンションの一室。勢いよく抱き着いてきたのは圭兄さん。「やっと来たわね」とその後ろで笑いつつも俺から圭兄さんを剥がすのは彼の奥さんである雪子さんだ。「鷹晴くんもお疲れさま」「おぉ朝比奈。なんもよ、なんも」と元々高校のクラスメイトだったらしい雪子さんと雪子さんを未だに旧姓で呼ぶタァ兄は言葉を交わす。「たっちゃんも泊まってくしょ? 酒もたんまり準備してあるから!」という圭兄さんの言葉に俺が泊まるのはやっぱり確定事項なんだな。と考えていれば、タァ兄はタァ兄で「あー、ったくわぁったよ、車返して実家一旦帰ってからまた来るから。一時間待て」と俺を置いて部屋を出て行く。そんなタァ兄を三人で見送って玄関からリビングへと連れられて来れば、ソファに鎮座している生命体がひとり。

「えっ」

 思わず声を上げれば「大学入ってから駿クンが帰ってこないから!」と圭兄さんはその生命体を抱き上げて俺の前まで連れてくる「息子の佑作クンでーす」と俺にその赤ん坊を見せつつ紹介する。佑作くんは興味深げに俺に手を伸ばしてくる。「抱っこしてみる?」と雪子さんに問われれば、頷きその赤ん坊に手を伸ばす。「あ! すっぽ抜けても怖いからソファにしよう!」佑作くんを抱く圭兄さんがそんな人聞き悪い事を言い出して、俺たちはソファに移動し、俺を中心にして三人で座ったところで彼はやっとその腕の中の赤ん坊を俺の腕の中に移してくれた。

「うわ、やわっこい」ふにふにと温かいその生命体は俺の腕の中で俺を興味深げに見つめる。「かわいいっしょ?」「うん、可愛い」雪子さんとそんな会話を交わせば「俺は駿クンも可愛いと思ってるからね!」と反対側から圭兄さんが喚く。

「いや、俺は良いから」

「中学生の頃はかわいかったのに今やこんなイケメンに育っちゃって……彼女の一人や二人居るんだろー?」

 この色男ォ! なんてやたらと絡んでくる圭兄さんに雪子さんは呆れた視線を投げる。「圭兄さん酔ってる?」と絡んでくる彼をスルーして雪子さんに問えば「残念ながら素面ね」と一刀両断でバッサリだ。性格は温厚、人当たりが良く優しい好青年を地で行き、頭の中身だって国立大卒で英語その他欧州言語に通じまくりである圭兄さんは、時折こうやって壊れる。素面でこのテンションっておかしくない? と雪子さんに尋ねれば「慣れれば愉快よ」と笑顔で返される。雪子さんもお淑やかな外見とは裏腹に割とイイ性格してるんだよなぁ。と心の中だけで呟いて「タァ兄まだ来ないのかな」と赤ん坊に触れ合いながらポツリと呟く。そんな俺の言葉を聞き逃さなかった圭兄さんが携帯を確認したと思えば「今地下鉄乗ったってメール来てたからもう来ると思うよ!」とソファから立ち上がる。「じゃぁ私も準備しようかな」と雪子さんも立ち上がり「佑作のコト、よろしく!」と言い残してキッチンへと足を向けていった。言語になっていない音を上げる赤ん坊をそっと揺らしながらあやしていれば部屋に鳴り響くドアホンの音。その音に圭兄さんが駆けつけ数十秒後にはタァ兄がリビングへ顔を出す。「あ、生まれたんだな」と俺の抱いている赤ん坊を見つけて圭兄さんに声をかける。「そ、佑作クン。かわいいでしょ」と圭兄さんもご満悦だ。タァ兄は圭兄さんに許可を取ってから俺の腕から赤ん坊を取り上げれば、器用にあやし始める。「おっと、右はやめてくれよ」右目を隠すように垂れている前髪に佑作くんが興味を示して手を伸ばそうとすれば、タァ兄はそんな事を言いながらやんわりと佑作くんの興味を他の場所へと引こうとしていた。

「さーって飲むぞーおつまみも沢山あるからね!」

 酒瓶と段ボール箱を抱えてリビングに戻ってきた圭兄さんに雪子さんは「今回はそんなに在庫ないから安心して」とタァ兄の腕から佑作くんを抱き上げながらこっそり教えてくれる。俺とタァ兄は圭兄さんに気付かれないようそっと胸を撫で下ろす。

「うわ、またモーツァルトかよ!」

 圭兄さんの手に持たれていたチョコレートのリキュールを目敏く見つけたタァ兄は思わずというように声を上げる。甘いものはそんなに得意でないタァ兄と甘いものに目が無い圭兄さんのコンビは二人で宅飲みをする度に同じやり取りを繰り返す。「大丈夫! たっちゃんの為に昆布焼酎も用意してるよー」と段ボール箱とチョコレートリキュールを置いた後に再度酒瓶を数本持ち出してくる。潰れる未来しか見えないその酒瓶の数にビールを嗜む程度の俺は現実から目を背けたくなる。

「駿介君も成人した事だし、ここらで一回限界値まで飲んでみたらどう?」

 雪子さんから笑顔で差し出されたコップの中には透明な液体。その中身が何かもわからず俺は勢いよくそのコップの中身を喉奥へ流し込んだ。

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