第9話 逢瀬はつづく

 片桐の言葉を借りれば〝南海さんとの逢瀬〟は、頻繁とはいかずとも会ったばかりの俺と南海さんが疎遠にならない程度には続いている。主に言えば俺の食生活を心配する南海さんが連絡をしてくれて夕飯を作ってくれるという話で。南海さんは気を利かせてくれているのか、最初に夕飯を作ってくれた日にはかけていなかった音楽をかけるようになった。強いて言えばレオのアルバムを。日本で俺以外にレオのCDとレコード計三枚をコンプリートしている人を俺は母親しか知らないから、思わずレコードもあるんですね!? とそのレコード盤を見た時に叫んでいた。出会ってからひと月が経たぬ間に、彼と会うのも片手で数える事が出来なくなりそう程度の回数だけれど、何となくレオが俺の父親であるという事を彼に伝えることが出来ていない。

「ごちそーさまでした!」

 そう言って食器を流しへ運び、そのまま洗い物をしようとすれば、「良いよ、置いとくだけで十分!」との声が掛かるが「ご飯貰ってるんで洗い物位はさせてください!」と返す。彼の家でご馳走になる二度目以降はそうやってせめて洗い物だけでも、と彼の家の台所に立つことが許されている。俺が食器を洗う間にもリビングのスピーカーから流れている曲は酒バラ。勿論演奏しているのはレオで。思わずそのメロディーを鼻歌で追いつつも二人分の食器を手早く洗い終える。水切り台に洗い終わった食器を並べれば「水切り台に置いときました!」と声をかけながらソファの端に座る南海さんの隣に腰掛ける。「気ぃ使わせちゃってごめんな、ありがとう」と言いながら、淹れておいてくれたコーヒーを勧めてくれる。彼は一気に数杯分のコーヒーを淹れてポットに保温するタイプらしい。俺の分にと用意してくれていたらしい空のマグカップにポットからセルフサービスでコーヒーを注げば、香ばしい香りと暖かな湯気が立ち昇る。砂糖とミルクも用意されていたけれど、ブラック派なのでそのまま頂けば、すっきりとした苦みが喉を通り過ぎていく。コーヒー一杯を飲み切って、ハイさようなら。もいつも通り。メインは夕飯な訳だから仕方のない事ではあるのだけれど、南海さんもちょっとは名残惜し気にしてくれてもいいと思う。なんて思ってしまうのは、片桐に春が来ただとか揶揄われた所為だと自分に言い聞かせる。けれども、俺の中の名残惜しさというものは消えない。同じ気持ちだったらいいな。なんてそんなことを思っても口には出せなくて。レオの話をすれば食いつくのかなと思ってもそれはそれで何だか癪なのだ。玄関先まで見送ってくれる南海さんに、あと少しだけこの時間が伸びるように一言だけ訊ねてみる。


「あ、あの、俺今度のゴールデンウィークで帰省? するんスけど、何かお土産とか欲しいものあれば買ってきますよ」

 そう口にすれば「えっ、ゴールデンウィークでニューヨーク?」と以前に話した事を覚えていてくれたのか、そう言って首を傾げられる。「あ、今はそっちじゃなくて。実家と言えるのかも微妙というか……まぁ、とりあえず札幌なんですけど」

「へぇ! それじゃぁバターサンドでも頼んじゃおうかな」

「お任せください! ついでにジンギスカンキャラメルも添えときますね!」

 ウケ狙いでそう返せば、再度首を傾げられる。あ、この人ジンギスカンキャラメル知らない。笑って誤魔化しながら、「じゃぁ今度はゴールデンウィーク明けデスね」と告げていい加減彼の部屋から出る。彼のマンションの階段を下りて、ふと、振り返っても均一な窓が各々の家庭の光を放っていて、その光の中のどこかに南海さんは一人で居るのかと考える。もしかしたら彼女位いるのかもしれない、なんて思ってしまえばもうだめだ。これ以上何も考えないように俺は日が沈み切りそうな薄暗がりの中を全力で走った。

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