第4話 奪われた携帯と隣人の笑み

 ひらりと手を振った南海さんの綺麗な笑顔に思わず見惚れ、何やってんだ、俺。と閉まってしまったドアの前で頭を抱えてしまってからまるまる二日。学校もバイトも練習もしなきゃいけないけれど、時間さえあれば貰った名刺とアイフォン――携帯を両手に持ってそれをずっと見続ける生活をしてしまい、画面を表示させるが、やっぱりやめた、と携帯を放り出して名刺を見つめる。「南海義弘さん、かー」綺麗な外見と多少のギャップを感じる名前の男らしさ。ミナミさんっていう苗字だけならすごくイメージ通りだけど。なんて一人で呟いていれば、背後から掛けられるのは、呆れきった隣人の声。

「さっきから何やってんのさ」「うああああああっ片桐!?」

 バクバクバクバクとビートを刻みながら存在を主張する心臓を宥めつつ、俺は恨めしげな視線を片桐に送りながら「……いっ、いきなり、何だよ……」と非難する。しかし、「人にご飯作って貰う態度かぁ? それ」とハンバーグが鎮座しておられる皿をトレイにのせてる姿で言われれば、返す言葉は「ゴメン」の一言。「でも行き成りノックもナシに入ってくるなよ……ッ!」と恨みがましく重ねれば、しれっと「思春期の中学生みたいなこといわなくったって……いつものことでしょ」なんてわざとらしい溜息と共に返すのだ。

「まぁそれはそうなんだけどさ……心臓爆発するかと思った」

 そんな事をポツリと漏らせば、片桐はニヤニヤ笑いながら「何、そんなイケナイコトでもしてたのかぁ?」と言いながら、テーブルに皿を置いている。黙っている俺に「そりゃぁ邪魔しちゃったみたいで、悪かったねぇ」と更に笑みを深めるのだ。

「……お前偶に性格悪いよな」

 俺も放り投げた携帯を取って片桐の元へ向かえば、片桐は「そーかなぁ? そんな事無いと思うけど?」なんてあっけらかんと笑うのだ。そんな事無いとあっけらかんと言う様な奴の方がイイ性格してる事を俺は知ってる。そして、片桐自身イイ性格してるという自覚はある筈だ。溜息を一つ漏らして座り、ハンバーグにフォークを突きたてる。勝手に冷蔵庫からビールを二缶取り出してからテーブルの向いに座り直した片桐はニヤニヤ笑いながら「溜息吐くと幸せ逃げるよ?」とのたまい、一つを俺の前に置き、手元の缶のプルトップを開ける。「……お前がつかせてんだろうが……」俺も目の前に差し出されたビールのプルトップを開けて、一口喉に流し込む。片桐が料理を提供する日は俺が酒を提供するのは恒例で。別段前置きもなく片桐はやってくる。「結城居なくても次の日に食べればいいだけだし」と前に「居なかったらどうすんだよ」と訊いた時に答えられので、俺ももう気にしていない。

「そういえば、土曜ってバンドの練習だっけ。リョーマ君来れるの?」

 からかうのに飽きたのか、片桐はハンバーグをぱくつきながら思い出したように尋ねてくる。

「バカ拗らせてっから難しいかもなー、ギター抜きでセッションでもすっか」昼間にバンドメンバーに一斉送信されたメールを思い出し、あれはどう考えても来れない文面だったな。とため息交じりにそう返せば、片桐も同じ文面を思い出したらしく「学校始まったばっかりなのにお呼び出しだっけ。ライブ大丈夫かなぁ」なんて苦笑交じりでハンバーグを口に運んでいく。俺が学外で作ったバンドに最初はゲストとして参加してた片桐が正式にメンバーになってくれたのは半年ほど前で、アマチュアのジャズ・ロック何でもありのバンドでメンバーは俺と片桐以外はバカこじらせて二留中の高校生に製菓学校の学生にライブハウスで働いている兄さんというよくわからない構成だけれども、音だけは良い。「また俺ら総動員であの馬鹿に勉強教えないといけねぇの?」と先月の期末前にバンドメンバー総動員でリョーマを囲んで勉強させたことを思い出して、思わず虚空を見つめてしまう。「でも三回目の一年生ならそろそろリョーマ君も大丈夫じゃ……」という片桐の言葉に「一年三回もやってる方が問題なんだよ」と返しビールを呷る。

「そりゃそうだね」

 あっけらかんと言い放ち、お互いいつの間にか空になった皿を片桐がキッチンへ持って行き皿を水に浸す。俺はといえば、片桐に背を向けて再び名刺を見つめ、携帯を起動させ、アドレス帳を開いてその名前を探し当てて、メール画面は起動させて、やっぱりやめる。そして、その無言の空間を切り裂くように、片桐が俺へと言葉を投げる。

「ピアノ壊れでもした?」いきなりの問いに「はぁっ!? え!? 行き成り何なんだよ……」と俺は思わずひっくり返った声を上げる。「名刺、ピアノ工房って書いてあるから」と答えられ、いつ見たのか問おうと片桐の居る方向へ振り向けば、彼はいつの間にか肩越しに俺の手にある名刺を見て笑っているのだ。

「うおっ!? おま、気配を消すな! いきなり後ろから覗くなよ!!」ついでにピアノは壊れてないと言ってやれば、勝手知ったように部屋に置かれているアップライトへ向かい、その鍵盤に触れて軽く適当なメロディーを弾いてみせ、「本当だ。壊れちゃいないね。じゃぁ何でもらったのさ」アップライトを背に、そう問われれば、俺は観念して南海さんにかかわる大まかな話をしてやる。ここでごまかしてもこいつはどうせしつこく訊いてくる。興味の持ったものには食いついたら離さないのだ。

「何それ」

 南海さんと逢った日から今日までの四日間の事を話した後の片桐の感想と言えばその一言。「事実なんだからしゃぁねぇだろ」と言えば「で、連絡したいけど出来てないヘタレ発動ってことね、成程」なんてバッサリ切り捨てにくる。「ヘタレって言うなよ……ってオイ、何なんだよ」アップライトの前から立ち上がったと思えば俺の方へとずんずんと歩を進め、その勢いで俺の手から名刺と携帯を奪って俺の携帯を弄ぶ。

「スマホ? って使い難いね」

 二つ折りをパカパカやってる片桐は俺のアイフォンにそう苦言を呈しながら携帯を操作する。「何してんだよ」と問えば、「ミナミさんにメール」と、事も無げにとんでもない事を言い放つ。

「はぁ!? やめろって、オイ片桐!」携帯を操作しながら俺の手から逃げる片桐を捕まえ、その手から携帯をもぎ取ればそれは既に待ち受け画面に戻されている。「送信かんりょー」なんて悪戯っ子そのものの顔で笑う片桐に「お前ホント、イイ性格してるよ……」とため息。「ま、観念してどっか飲みにでも行ってくるんだね」その言葉に俺は観念して彼に問う「どんなメール送ったんだよ……」ため息交じりに吐き出す言葉に片桐は笑いながら答える「オムライス美味しかったです、あの時のお礼がしたいので今度一杯飲みに行きませんかって感じのメール」その解答に俺は思わず目を剥く「はぁっ!? 俺大衆居酒屋しか知らねえし……!!」そんな俺に片桐は呆れたように「結城さ、自分のバイト先忘れてんじゃない? あそこで一杯ならお礼にもなるでしょ」と言ってくる。不定期ながらもバイトをしているのは母親の知り合いがマスターをやっているジャズバーで、そこでバーテンも兼ねて演奏させてもらっているのだ。

「……ナルホド」合点がいったように呟けば、やれやれ、手間のかかる奴だねぇ、と片桐は笑う。

「しっかし、連絡出来ずに名刺を穴空くくらい見てるとか、恋する乙女以外の何物でもないね」

「そういうのじゃねーし」

 片桐の色ボケ発言に一言だけ返して俺は缶に残ったビールを煽る。片桐は片桐で「春だねぇ」なんてニヤニヤ笑いながら缶に口をつけていた。

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