第59話 蠢く蛇
「よかったんですか? 他の王候補と接触するチャンスでしたのに」
「別に今会う必要はありませんよ。それに、あなたはいずれ相応しい場を用意してくれるんでしょう?」
ガヤガヤと人の声で騒々しい中、2人の男女が向かい合って座り、言葉を交わしている。
外へ会話の内容が漏れないよう、光と音を遮断する魔法を発動した上で。
ここは上海にある、中国一の魔法大学である。その学生数は世界一を誇る。
「あなたが言っていた、『王戦』とやらが始まれば王候補が全員集まる。敵の見極めはその時で十分です。最終的に私が勝ち馬に乗ってさえすれば良い」
「珍しいですね。あなたほどの実力がありながら、王を目指さないとは」
「そうでもないでしょう。きっと私以外にも王の座自体には興味の無い人はいますよ」
男は一口コーヒーを飲むと、薄い笑いを浮かべる。
「例えば……あの辟邪とか。おそらく、日本の3人の王候補のうちの1人でしょう。彼からは野心は感じられなかった。自分や自分の周りを守れたら良いくらいの考えでしょうね。私とよく似ている」
「それなら、あなたは『銜尾蛇』を守れれば良いと?」
「……それはちょっと違いますね」
男はコーヒーに少量のミルクを加える。
カップの中で黒と白が混じり合い、少しずつ色を変えていく。
「私が望むのは、黒社会の混沌の維持。大勢の人間が混じり合い、争い合い、殺し合う。私はそれを高みから見下ろしていたい。もう最高の娯楽ですよ。さらに望むなら、この混沌を中国だけでなく、世界中に広げたい。それは別に私自身が王にならずとも、勝者のサイドにいさえすれば良いですしね」
「なるほど、あなたはなかなかの外道のようですね」
「幻滅しましたか? 王を目指さない理由がこんなことで」
「いえ、欲望に忠実な人は好きですよ。欲望も立派な行動理念になり得ますからね」
そこまで言うと、女は席を立った。
「そろそろお暇させていただきますね。次の王候補の方の元へ向かわなければなりません」
「少し待ってください。聞きたいことがあるんです、情報屋」
「何でしょう、
趙剛舜——「銜尾蛇」の若き首領は指を組み、体を少し前へ傾けた。
「……あなたの見立てなら、私と辟邪。どちらがより王の座に近いと思いますか?」
「あなたは王に興味は無かったのでは?」
「仮の話ですよ。楽に考えてみてください。全てを知るあなたなら、それくらいのシミュレーションは簡単でしょう」
「……」
無言のまま、情報屋は席に座り直して、再び剛舜と向かい合った。
目を閉じ、数秒間の沈黙が流れる。
「……一対一なら、互いに傷つけ合う泥沼の戦いになるでしょう。現段階の実力なら、2人の決着が着く前に横槍が入る可能性の方が高いです。しかし、組織としての抗争なら軍配は辟邪に上がります」
「そうですか。予想はしていました。あちらには優れた手駒が多すぎる。辟邪の親に、陰陽師と呼ばれる方士集団。対してこちらは有象無象ですよ」
「ただ、どちらも王にはなるのは難しいでしょうね。今、頭1つ抜けている人物がいるものですから。まぁ、ダークホースとして期待している王候補が1人いるんですがね。まだその力は覚醒前ですが」
剛舜は組んでいた指を解き、宙を見上げる。
彼の脳内では、新たな情報を踏まえた今後の計画の補正が行われていた。
「……最後にもう1つ質問します」
彼は見上げたまま情報屋へ言葉を投げかける。
「単純な興味ですが、日本には王候補が集まりすぎている気がします。何か作為的なものを感じる」
「イレギュラーが重なっただけですよ。同時に2件も。まぁ、その1件には私も関わっていますが」
「あなたが関わった? なぜそんなことを?」
「王候補を増やすことは、『王戦』の激化に繋がります。そうなれば、より優れた王でしか勝ち残れないでしょう。私はそんな強い王を生み出したかっただけです」
そう言うと、情報屋の姿は段々と輪郭がぼやけ始めた。
情報屋の存在は、目の前にあるようでそこにはない。剛舜は、そんな不思議な感覚に陥った。
「で、あなたはその作り上げた王候補の1人に肩入れをしていると?」
「そんなつまらないことはしませんよ。私はあくまでも中立の立場。誰が王になっても良い。重要なのは王という存在の誕生ですから」
言い終えると同時に、情報屋は煙のようにこの場から消え去った。
遠くない未来、世界中を巻き込む大抗争——王戦に向け、誰も知らない裏社会の奥深くで少しずつ、しかし着実に準備は進められていた。
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