第55話 蒼真の戦い

 穴の中に広がるのは普通のビルの景色。

 ただ、魔法の影響で周囲の色はくすんでいた。


「さて、一体どこから手をつけるか……」


 この場所はいわば魔法陣の中。

 濃密な魔力で満ちた空間のため、蒼真の目は普段よりは機能が落ちていた。

 しかし、魔力の輪郭はぼやけるとはいえ、強く魔力を感じる方へ行けば多くの魔法使いがいるという寸法だ。

 もしこの場所にいたのが直夜や澪だったならば、素直に敵を一人ずつ倒して回っただろう。しかし、この男がとった行動は常人とは一味違った。

 先程と同様に壁に手を当てたが、今度は空間を裂くのではなく、魔力を送り込んだのである。

 空間に満ちている魔力に自分の魔力を混ぜ込む。

 蒼真の能力は魔力の視認、そして魔力の精密操作だ。

 これらの要因が重なりあい、生まれた結果。それは魔法の乗っ取りである。

 敵魔法使いが空間を作り出す闇魔法の制御を、蒼真の圧倒的な魔力量と力量差で無理矢理奪い取ったのだ。

 そして、彼の侵略は魔法を奪うだけでは終わらない。

 彼自身の魔力、そして元々のこの場所に満ちていた魔力を利用してどんどん空間の魔力濃度を高めていく。

 魔法使いにとって、魔力とはエネルギーの塊だ。

 そんなエネルギーも際限なく貯められるわけではなく、いつかは溢れる。

 それでも供給が止まらなければどうなるのか。

 答えは簡単だ。体の不調から始まり、やがて過剰なエネルギーに体が耐えきれずに意識が途切れる。

 これを蒼真は意図的に起こすことで、最低限の魔力に耐えられるだけの魔法使いを炙り出したのだ。


「これだけ派手に動けば、倒して回る手間も省けるな」


 蒼真がその気になれば、敵に気づかれることなく魔法の乗っ取りもできた。

 しかし外から空間を裂いて侵入し、適当な所から無理矢理魔法を奪い取ったことで、自分の位置を知らせることは、彼にとって不都合ではなかった。

 最終的には全員を倒す予定なのだから、魔法を支配して外への脱出を防ぎさえすればミッションは終わったも同然なのだ。

 蒼真の思惑通り、数人残った敵魔法使いは仲間を介抱する者と彼の元へ迎撃に出ようとする二手に分かれる様子が見て取れた。

 それを見た彼は、さらに自分の魔力を高めてみせた。これには敵に自分の位置を再確認させるだけの効果しかない。

 蒼真は策を考えていないわけではない。だが、強者には強者の戦い方というものがある。

 自らの強さを誇示し、正面から白鬼の恐怖を刻み込む。ここに小細工は不要だ。

 それは敵が魔法使いであっても、非魔法使いであっても同じことだ。


『いたぞ! 構えろ!』


 ようやく蒼真の元へたどり着いた「死招蜥蜴」の魔法使い達が補助装置を構えて、臨戦態勢を取った。


『敵は一人だ! 一斉に魔法を放て!』


 彼らの手元から放たれる大量の攻撃魔法。色とりどりの尾を伸ばしながら真っ直ぐに蒼真へと飛んでいくと、ほとんどが着弾し、重なり合った魔法の威力で爆発が起こる。

 黒い煙が立ち込め、蒼真の姿は完全に見えなくなっていた。


『どうだ! たった一人で一体何ができる……っ!?』


 突如起きた突風により煙が晴れると、現れた悪夢のような現実。自分達の全力攻撃を受けても変わらぬ姿で立ちはだかる白い怪物がそこにはいた。


『くそっ! もう一度だ! 我らの力を見せてやれ!』


 声を震わせながら、精一杯見せる虚勢。彼らの心は少しずつ、確実に恐怖に蝕まれ始めていた。

 逃げ出したくなる気持ちを押し殺して再び補助装置を構え、魔法陣を展開させるが……


『無駄だ。もう諦めろ』


 流暢な中国語で発せられた蒼真の言葉。それと同時に魔法陣が、一瞬にして全て消え失せた。


『……嘘だろ——』


『ここの魔力は俺の支配下にある。さっきは魔法を撃たせてやったが、時間の無駄のようだな』


 一度敵に策を講じさせた上で、それをいとも簡単に打ち破る。

 可能であるが故に許された強者だけの特権。

 それは同時に、弱者の心を折る最短にして最凶の方法であった。


『戦力差は流石に分かっただろう。俺には時間が無いんだ。諦めて早く死んでくれ』


 無闇な殺生は蒼真の望むところではない。

 しかし、「銜尾蛇」関係なら別だ。

 京都中の術師を敵に回し、白雪までも魔の手にかけようとした。

 これを彼が黙って見過ごすはずもなく、傘下の「死招蜥蜴」といえど討ち漏らすつもりはない。

 一歩、また一歩と標的との距離を詰める。

 腰が抜け、うずくまる者の首を捻じ切る。

 逃げ出す者に先程自分に向けられた以上の威力の魔法を放ち、消し炭にする。

 強さの次元が違うということを知らしめるかのような大虐殺であった。

 奇しくも6年前の、あの事件のように。

 当時と異なるのは、救う対象がいないことに加え、聞き出すべき情報もないことだ。「死招蜥蜴」は既に「銜尾蛇」から切り離されている。それを詳しく調べたところで、有益な情報は得られないだろう。

 蒼真はただ、力を振るうだけであった。


「……やはり、この感触だけは好きになれんな」


 周囲の命が全て途絶えた血の海の中心で蒼真は呟いた。

 敵の血で濡れた両手は、指を軽く動かすだけでベタベタとまとわりつくような感覚を覚える。

 だが、気持ち悪がってばかりはいられない。

 蒼真は水属性魔法で血を洗い流すと、上の階へと目を向けた。

 数人だけであるが、まだ魔法使いは残っている。

 今度は彼から赴く番だ。

 蒼真は二本指を立てて空を切り裂くことで、ビルへ侵入してきた時と同じように抜け穴を作り出した。

 躊躇なく飛び込んで、抜け出た先は敵魔法使いの背後。そのままの勢いで首をへし折った。


『——っ! お前が仲間達を殺したのか!』


 ちょうどこの現場を目撃した魔法使いの男がナイフを手に、蒼真へ突進した。

 しかし、ナイフだけで白鬼を倒すことはできない。

 ナイフを持つ手を取り押さえた一本背負いで男の視界は天地逆転した。


『クソッ! 貴様!』


『魔法使いなら、まずは冷静に対処しろよ。頭に血が昇った状態で勝てると思うな』


 蒼真は地面に転がる男からナイフを取り上げると、強化魔法をかけた足で頭を踏み潰した。

 頭蓋骨が砕かれ、脳が潰される音が静まり返ったフロアに広がる。


『さて、残ったのはお前だけのようだな。俺に殺されるのが嫌なら、早く自害した方が良い』


『だ、誰が自害などするか! 私まで諦めてしまえば、倒れていった仲間に顔向けできん!』


『本当にお前達は学習しないな……昔から何も変わらない』


 最後の1人になったこの女と同じように、6年前も敵魔法使いは全員が蒼真を返り討ちにしようと歯向かってきた。しかし、生存者0というどうしようもない結果だけが残った。


『……白い髪に2本の角……まさか、あの《辟邪》とはお前のことか!?』


『辟邪か。懐かしい呼び名だ。と言っても、そう呼んだのはたった1人だったがな』


 辟邪。「銜尾蛇」の首領からつけられた蒼真の異名。

 彼が考えている以上に中国の黒社会では知れ渡っているらしい。


『……張明という名前を知っているか? あの日輸送船に乗り、お前に殺された男の名前だ』


『知らんな。仲間を連れ去った相手の名前など覚えているわけがないだろう。死ぬ前にわざわざ聞いてやる義理もない』


『張明は私の父親だ! 《銜尾蛇》の無謀な作戦に無理矢理参加させられ、お前に殺された! 私はお前達に復讐するためだけに生きてきた。京都をターゲットにしたのもそのためだ!』


『一度黙れ』


 蒼真は一瞬で間合いを詰めた女の頭を掴むと、壁に叩きつけた。


『復讐だと? 笑わせるなよ。一体お前に何ができる?』


『……』


 突然の頭への衝撃で、女は口を僅かに動かすだけで、声を発することはできない。


『本気で俺や《銜尾蛇》の首領を殺すつもりだったのか? お前如きの実力で』


 蒼真は頭を持つ手に力を加える。

 頭蓋骨が軋み、苦しそうに女は呻き声を上げた。


『復讐なんて言葉を使えるのは、それ相応の能力を持った者だけだ。力が無ければ何も成し遂げられない。それがこの世の摂理だ。まずは見極めろ。己と相手の実力差を。それすらできない弱者は無駄死にするだけだ』


 そう言い放つと、蒼真は女の頭を払い除けた。

 力なく倒れ込んだ彼女だが、まだ命は残っている。


『そうだ、お前は生かしておいてやる。もし、この空間を脱出して復讐という言葉を使えるだけの強さを手に入れたなら、俺を殺しにきてみろ。その時は本気で相手をしてやるし、名前もちゃんと聞いてやる』


 ピクリとも動かない彼女に背を向け、蒼真は空間の穴を作り出す。

 彼には帰る場所があり、待っている人がいる。

 いつまでも血塗られた空間に居続けるわけにはいかない。

 蒼真が作り出した穴をくぐると、音もなく閉じ、完全に空間は閉ざされた。

 外部から干渉できず、内部に残るのは傷を負った魔法使いの女性が1人。

 この後、空間がどうなるのか、誰も知らない。もちろん、蒼真でさえも。

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