第44話 白き夏③

「ただいま。あれ? 白雪は?」


「トイレに行った。そろそろ戻って来るんじゃないか?」


 澪は水の入ったボトルを抱えてベンチに戻ってきた。

 自分の分のボトルを手にして、彼女は一口含み、空を見上げる。


「もうすぐ雨が降りそうね。空が暗くなってきた」


「全員帰ってきたら、早く帰ろうか」


 それから程なくして、直夜と如月がランニングから汗だくで帰ってきた。

 2人は澪からドリンクを受け取ると、上がっていた息を整える。


「白雪ちゃんと葉月さんがいないようだけど……」


「葉月さんは荷物を置きに帰りました。白雪はトイレからまだ帰ってこなくて……」


「私が見てくるわ。迷っているのかもしれないし」


「なら、僕も近くを見回ってきますよ。走っている間に公園のマップなら頭に入れてますので」


「俺も行く。直夜は葉月さんが戻ってきたら説明しておいてくれ」


 蒼真、澪、如月はそれぞれ白雪の捜索を開始した。

 雨が降り始め視界が悪くなっていく中、蒼真は走り続けた。

 トイレの裏、大樹の陰、ガゼボの下。どこにも白雪の姿は見つけられなかった。


「蒼真様! 白雪ちゃんは見つかったんですか?」


「まだです。澪と如月さんも探しているんですが……葉月さんは何か見ませんでしたか?」


「いえ、私は何も……」


 葉月が悔しそうに首を横に振る。

 さらに強さを増した雨は、すぐには止みそうにない。

 降りしきる雨が捜索を続ける4人の体を濡らし、冷やしていった。


「今から『目』を使います。俺の体を見ていてください」


「でもそれは、まだ……」


「多少の無茶くらいは必要な場面なので。後のことは頼みました」


 蒼真の魔力を見る能力。

 高校生になった彼は自由自在に使いこなしているが、この時は目から入る膨大な情報量で脳の処理が追いつかず、この能力を操ることは難しかった。


「では……いきます!」


 蒼真は目を見開くと、魔力の感知に全力を注いだ。

 公園の隅々までに目を凝らす。

 物陰を除く澪、大声で白雪の名を呼ぶ直夜、式を飛ばして自らも高速で走り続ける如月。

 彼らの存在ははっきりと感じられたが、白雪の気配だけは忽然と消えていた。


「クソ……何故だ……」


 白雪がいないという事実を確認した蒼真は脳の限界を迎え、力なく倒れ込んだ。


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


「蒼真さん、起きましたか」


「か、母さん……そうだ、白雪は……」


 目を覚ました蒼真は自室のベッドの上にいた。

 傍で彼の様子を見ていたのは、彼の母親、結城扇華ゆうきせんかだ。


「居場所なら見つかったみたいです。ですが、まだ救出は……そ、蒼真さん!? 一体どこへ!?」


「父上の所です。白雪を助けにいくのなら、俺もついていきます」


「待って、あなた今起きたばかりで……」


 蒼真は勢いよく起き上がると、千華の静止も聞かずに謙一郎の元へ走った。

 白雪が行方不明になり、屋敷内は混乱の中にある。

 使用人たちと衝突しそうになりながら、蒼真は無事にたどり着いた。


「父上! 白雪は今どこにいるんですか!?」


「落ち着け、蒼真。今、『月の忍び』に準備をさせている。お前は部屋に戻っていろ。無理にあの力を使って疲れているだろ」


「いや、まだ平気です!」


 口調は力強いが、蒼真の状態は万全ではない。

 顔色はいつもよりも白く、彼を動かしているのはただの空元気や意地だ。


「戻れ。これは父親としてじゃない。結城家当主として命じる。お前は来るべきじゃない」


 謙一郎は仮面を手にすると、蒼真には目もくれずに横を素通りしていった。


「俺も行きます! 俺だって、『月の忍び』なんだ。1人だけ何もせずに休んでいられない」


「聞こえなかったか? 俺は戻れと言ったんだ。頭に血が昇って、冷静になれないお前では足手まといになるだけだ」


「そんな……足手まといになんかならない——これはっ、離してください!」


 謙一郎が一瞥すると、蒼真の体に無数の糸がまとわりついて彼の自由を奪ってしまった。

 蒼真を拘束する術は、29番「菊理媛ククリヒメ」。

 熟練の術師である謙一郎が発動した術をまだ経験の足りない蒼真が破ることは難しい。

 蒼真は少し身じろぐことしか出来ない。


「わかったな。俺達が戻ってくるまで勝手に動くんじゃないぞ」


 謙一郎が部屋を出て、足音が遠ざかっていくのを蒼真は無力感に打ちひしがれながら聞いていた。


(俺がもっと強ければ……もっと注意深くいれば白雪はこんなことにならなかったのに……)


「俺は一体何をしているんだ……」


「蒼真! 何で縛られてるんだ!? 白雪を助けに行ったんじゃ?」


「直夜、澪! 何故ここに!?」


 なすすべなく転がるのみだった蒼真の元へ、同じく屋敷に待機するように命じられていた2人が現れた。


「奥方様から、蒼真は御当主様の所に行ったって聞いて見にきたんだけど……今、解くから少し待ってて」


「澪さん、無駄ですよ。御当主様の術はあなたには解けない」


「師走さん……白雪の救出に行ったんじゃないんですか?」


 そこにいたのは、謙一郎に招集されていたはずの「月の忍び」忍頭、師走だった。


「私は蒼真様の見張りを命じられましてね。さあ、2人は外に出ていてください。蒼真様に話があります」


 師走は直夜と澪を部屋の外に出すと、ドアに鍵をかけた。


「……蒼真様、何故御当主様があなたを連れて行かなかったかわかりますか?」


「足手まといだと言われました。確かに父上と比べれば実力不足かもしれませんが、『月の忍び』の卯月は俺です。行けるだけの力はあるはずです」


「今回の事案は、少し特殊なんです。白雪さんが連れ去られた現場では、きっと多くの血が流れることになるでしょう。御当主様はあなたにそれを見て欲しくないんです。わかってあげてください」


「連れ去られた? 一体誰にですか?」


 白雪の失踪は、彼女のただの迷子などではなく、犯人に意図して行われていたのだ。


「葉月から報告を受けて京都中の痕跡を探したところ、白雪さんは中国の黒社会を統べるマフィア、『銜尾蛇』である可能性が高いです。目的はおそらく魔法使いの人体実験でしょう」


「そんな……白雪の身は安全なんですか!?」


「それは大丈夫でしょう。人体実験を行えるほどの施設を日本国内で使えば、大きすぎる手がかりを残してしまいます。国外へ出てしまう前に、彼女を取り戻さないといけません」


「……何故そこまで話してくれるんですか? 師走さんの仕事が俺を見張ることなら、情報を与えなくてもいいはずです」


 蒼真は師走の行動に不信感を覚えながらも、まずは拘束を解くことを考えていた。

 謙一郎の強力な術は、蒼真の魔法や素の筋力では切ることができない。

 彼に残されていた手段はたった1つだ。


「ハァァァァ! 力を貸せ、白!」


 純白の髪に肌を持つ白鬼の姿に変化した蒼真は、全身から青い炎を発し始めた。


「こ、これは『鬼火』……」


 白鬼固有の術の1つが「鬼火」である。

 魔力を燃やす青い炎は水では消すことができない。

 この術に対抗できるのは、燃料となる魔力ごと吹き飛ばせるほどの強力な魔法だけだ。

 この「鬼火」が「菊理媛」で作られた糸を溶かすように消していく。

 最後は鬼人化で強化された肉体で引きちぎり、彼の体は自由となった。


「通してもらいますよ。白雪は俺が助けます」


「そうですね。早く行きますよ」


「……え?」


 あっさりとドアを解錠して手を差し出す師走の態度の変化に、彼と戦う覚悟を決めていた蒼真は拍子抜けしてしまった。


「お、俺の見張りはいいんですか?」


「私が命じられていたのは、動けない蒼真様の見張りですから。縛られていない卯月の見張りは命じられていません」


 屁理屈だが、最初から師走は蒼真が謙一郎の術を解くことが出来れば、自分が責任を持って連れて行くつもりだったのだ。


「でも、1つだけ聞かせてください。今から行く場は、蒼真様が見たことがないようなおぞましい光景を見ることになります。その覚悟はできていますか?」


「できています。それが、いずれ結城家当主になる者の覚悟です」


 この時を境に、蒼真は社会の闇に生きる者として本格的に歩み始めることになる。

 だが、そこに後悔は一切なかった。

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