第9話 精神世界
午前中の授業の最後の課題が終わり、蒼真は1人で教室を出た。
そして彼は屋上へと向かった。
本来なら屋上の扉には鍵がかけられており、一般の生徒には立ち入りが禁止されているのだが、朝生徒会室にいた時に彼は恵に確認を取って鍵を受け取っている。
なぜ彼が屋上に来たのかというと、理由が複数ある。
1つ目の理由は、彼は1人きりでぼんやりする事が好きだからだ。
いつも騒がしい人々に囲まれている彼にとって、この静かなひと時は京都で過ごしている時から大事にしている時間なのである。
2つ目は、学校の周りに漂っている魔素を確認するためだ。
魔法使いの素質がある者は、個人差もあるが大気中の魔素を感じ取ることができる。
しかし、それでも全ての魔素を感知できるわけではない。
朧げにしか感じることができないのだ。
一方で蒼真には、謙一郎から受け継いだ能力がある。
それが魔素、魔力を視覚も含めて完璧に感じ取り、そして領域内の魔素を自在に操る事ができるという能力である。
この能力を使って、蒼真は発動される魔法を読み取ったり、近づいてくる魔法使いの気配を感じ取ったりすることができる。
そして最後の理由は、鬼人化の制御の練習をするためである。
他人に知られてはならない鬼人化だが、魔素を操る能力で鬼人化の際に動く魔素を、魔素の感知に長けている者にもわからないように気をつけて制御している。
そこまでの力の使い方は京都で身につけていた。
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蒼真は周りの確認をしてから、ゆっくりと印を結び始めた。
鬼人化の魔法陣は体に書き込まれているので、本当は念じるだけで印を結ぶ必要も無いのだが、彼は時間にゆとりがある時は印を結ぶようにしている。
ある種のルーティーンのようなものだ。
印を結び終えると、彼の周りの魔素の動きが活発になり始めた。
もちろんその動きは彼にしか見えない。
それと同時に、体に書き込まれた魔法陣が浮かび上がり、皮膚の色が白く変わった。
この時に変わる皮膚の色によって、能力が異なる。
蒼真の白色は、最も多い魔力量と最も高い魔法操作能力を持ち、体の頑丈さも黒色に次ぐ。
皮膚、そして髪までもが真っ白に染まると、少し遅れて額から角が2本生えてきた。
この角の数は強さには関係ないが、1本か2本が過去の鬼人化能力者にとって一般的である。
『久しぶりだなァ。相棒ォ』
どこからともなく声が聞こえた。
その声は蒼真に向けて話しかけているようだ。
『おいおい、シカトかよ。せっかく久しぶりの鬼人化なんだ。楽しもうぜェ』
「うるさい。黙っていろ」
蒼真はその声に向けて念じた。彼らの会話は蒼真の内側で行われている。
『ちゃんと向かい合って話そうや。こっちに来やがれ』
蒼真の意識は、彼の内側——精神世界へと落ちていった。
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精神世界。
それは誰もが持つ、自分自身のための、己の内側の世界だ。
蒼真の精神世界には、彼以外にも住人がいる。
それが先程の声の主である。
『よォ。面と向かって会うのはいつぶりだァ?』
「さあな。そんな事はどうでもいい」
『冷てえ事言うなよ。テメエとオレは、あん時から一心同体なんだからよォ』
あの時とは、蒼真の体に魔法陣が書き込まれた時の事だ。
その時にこの声の主、鬼の人格が鬼人化の副産物として生まれたのである。
「お前は俺が鬼人化を使ってる時にしか出てこられないからな」
『まァ、それがオレとテメエの宿命って事だろォ。哀れに思ってんなら、たまにはオレにも体使わせてくれよォ』
「そんな事を俺がさせるわけないだろ。勝手な事をされると俺が困るんだ」
『お堅い相棒サマだぜ。でも一体なんでこんな時に鬼人化なんかしてんだァ?』
「わかって言ってるだろ、
この鬼の人格は白、というらしい。白鬼の白である。
『もちろん冗談に決まってるだろォ。だが、テメエなら、オレの力なんぞいつでも使いこなせるんだろうがなァ。たまにはこういう開けた所で俺の力を解放するのも悪くねェか』
白はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
口元に見える白い牙は、見る者に恐れを抱かせるのに十分だ。
『そういえば、あの守護者どもはどこにいるんだァ? いつもテメエに張り付いてただろォ』
「直夜は授業の課題が終わってない。澪はそれを手伝ってるんだろう」
『現代の学生も大変だねェ。こんな学校なんかなければ、昼間っからあの女狐やど田舎天狗どもをブチ殺しに行けるのになァ』
遥か昔、鬼、妖狐、天狗の間で争いがあったと言われている。
そして現在、蒼真のような三代妖怪の子孫達にそれぞれの術が脈々と受け継がれているのである。
「今はそんな時代じゃないし、あの人たちは味方だろう。なんでお前はそんなに血の気が多いんだ?」
蒼真は、戦いに飢えている白を抑えるような口調で言った。
『血の気が多いだァ? これはオレの本能だぜェ。止めることなんて出来るわけがないだろォ!」
そう言うと、白が蒼真に殴りかかる。
白の右手の拳を蒼真が左腕で受け止めると、そのまま後ろに跳んで打撃の勢いを流す。
『そもそも、オレとテメエは同じ存在なんだァ。これはテメエの本能でもあるんだぜェ』
「ふざけるな。俺はそんな野蛮じゃない。勝手にお前と一緒にするな」
蒼真は氷のような冷たい目つきで睨みつけた。
向かい合う2人の白鬼。
凶悪な笑みを浮かべる白と無表情の蒼真。
表情は違えど、二人はまるで双子のように瓜二つだ。
『おうおう、怖ェじゃねェか。もっと気楽にいこうぜェ。オラァ!』
白が繰り出す足払いを蒼真がバク転で避ける。
そのまま距離を取ると、蒼真は五つの火球を放つ。
しかし、彼の攻撃は白に届かない。白の目前で魔法がかき消えたのだ。
『忘れたかァ? この精神世界はオレ達二人で共有してるんだぜェ。オレの魔法が通じないのと同じように、テメエの魔法もオレには通じねェ。んな事言ったら、この喧嘩も意味なんてねェんだけどなァ』
やれやれと首を振ると、白は胡座をかいて座り込む。
『それよりまだオレと話していていいのかァ? 誰か近づいて来てるぜェ』
「わかってるさ。俺だってお前と喋るだけで精一杯になるほど無能じゃない」
蒼真はすでに現実で屋上に近づく気配を感じ、誰かまで特定している。
『さすがはオレの相棒だァ。そろそろ暇潰しもいいだろォ。戻ったら、テメエはテメエで精々頑張りなァ』
「ああ。お前も大人しく見ておけ」
笑い続ける白を背にして、蒼真は精神世界から現実へと戻っていった。
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現実へと意識が戻った蒼真は、まず鬼人化を解いた。
このような鬼の姿を誰かに見られては、説明に困るどころか今まで守ってきた秘密がバレて、取り返しのつかない事になる。
彼が完全に元の姿に戻ると、屋上の入り口のドアを開けようとドアノブを回す音が聞こえた。
しかしドアは開かない。鬼人化する際にドアに鍵をかけておいたのだ。
用意周到である。
外から解錠してドアを開けると、そこには一彦が立っていた。
「すみません、赤木先輩。鍵を閉めたままにしていて」
「いや、問題無い。こまめに施錠するのはいいと俺は思う。一般の生徒が入ってきてはいけないからな。それより、設備の点検は終わっているのか?」
蒼真は屋上設備の点検を理由にここへ来たのだ。
もちろん鬼人化する前に全てを済ませている。
「はい。このチェック項目で点検しましたが、問題はありませんでした」
胸ポケットから出した用紙を取り出しながら、蒼真は報告した。
「悪いな。せっかくの昼休みなのに、こんな事に時間を使わせてしまって」
「いえ。生徒会に入った以上、仕事はこなさないといけないと思うので」
「ありがとう。なら、これからもよろしく頼むぞ。まずは今日からの部活勧誘の仕事からだが」
「はい、わかりました」
蒼真の仕事を見届けた一彦は帰って行った。
彼は蒼真の様子を見に来ただけで、彼自身に屋上での仕事は無かったようだ。
「俺もそろそろ戻るか」
蒼真はまだ昼食を取っていなかったのを思い出し、足早に教室へと向かっていった。
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教室に戻り、簡単に昼食を済ませると残り少なくなった昼休みを蒼真は寝て過ごす事にした。
その睡眠時間も長く取ることはできず、すぐに昼休みが終わり、午後の授業(一般科目の授業なので、やはり教師はいない)も問題無く進められた。
そしてとうとう部活勧誘の仕事があるという、放課後となってしまった。
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