第2話 勇者

 勝手知ったるよその村。向かう先は一つしかなく、私はそこへずんずんと歩を進めた。

「らっしゃい。って、ガイロンの旦那。久方ぶりじゃないですか」

 酒場の扉を開くと、店主の威勢の良い声が歓迎をしてきた。

「うん。前に来てから、そんなに経つか?」

「へえ。数えて何日か」

 何日か。数えていないことは明白である。

「もう少し具体的に頼むよ」

 私が苦笑しながらそう言うと、店主はにやりと笑って返した。

「いや、それでも数日どころじゃ、ないですよ」

「そうか。そんなになるか。まあ、修行に興が乗ってな」

 私は近くに修行場を持っている、さすらいの剣士という触れ込みで、この村に顔を出している。最初はとっさの出任せだったのだが、これが案外悪くない。不定期に村に立ち寄る言い訳としては申し分なく、おまけに私に多少剣の心得が有る為に、十分な説得力を持っていた。

「それだったら旦那、運が良い」

「うん?どういう意味だ」

「なんでも、これから魔界に行こうとなさる方々が、丁度この村に立ち寄っているのです」

「魔界に?あんな所に、何をしに?」

「さあ、王様の命令らしいですが、それ以上は……」

「王様……現在はヨーク三世だったか。しかし、こんなに平和なのに、どうして」

「そこら辺は私にもさっぱりです。政はどうも、ややこしくていけない」

 店主は頭を振った。こんな片田舎に、情報など、集まらないか。

「と、なると、だ。勇者様ご一行となるわけか」

 私は茶化してそう言う。

 勇者。

 かつて魔物と人間が凄惨な争いを繰り返していた時、どこからともなく現れ、魔物を次々と調伏―ようは殺したということだ―して、遂には人間側の勝利に持ち込んだ存在である。とは言っても、何処まで本当か定かではなく、おとぎ話の範疇である。英雄譚は今昔問わず何処でも人気の代物である。

「ああ、勇者だ。王様はそう言ってたな。それで、盛大にもてなせと言ってきやがるんですぜ。まあ、費用は国から出るらしいですから、存分にふんだくってやりますよ」

 商魂たくましい限りである。しかし、結して面白い話ではないので、店主には存分にふんだくっていただきたいものである。

 しかし、国家をあげての勇者プロジェクトか。ユキに知らせておいた方が良いだろう。どれ程腕の立つ者か分からないが、勇者などを起用するのだ。軍隊の大々的な投入とはならないだろうが、警戒をしておくに超したことはない。

 やれやれ、面倒なことになったものだ。

 と、私が度数の強い酒をちびちび飲みながら考えていると、ガラン、と鐘の音が鳴った。酒場の扉が開いたのである。

「噂をすれば。勇者様が来なすったぜ。へいらっしゃい」

 店主が、私にこっそりと、そう言った。

 ほう、勇者か。

 例えお飾りの存在といえども、気になるならないで言えば、非常に気になる。やれやれ、私も魔王時代の考えが抜けない。さて、お顔を拝見。

 私は、扉の方へ、体を向けた。

 勇者は彼を含めて四人でのご来店となったのだが、先頭にいるのが、そうなのであろう。明らかにリーダー然としている。

 随分と、若い。始めに抱いた感想はそれであった。まだ幼さの残っている顔に、しかし覚悟を感じさせる面持ち。その相反する要素が、奇妙なアンバランスを醸し出しているが、それもこの男の魅力と思うような出で立ちであった。有り体に言えば、美男子だ。

 彼は、私に気付いた様で、会釈をしてきた。私もそれを返す。

 勇者の後ろにいる三人も、同じ動作をした。女性が二人に、男が一人。勇者以外が帯刀していないところを見るに、この三人は、魔術の心得がある人間なのだろう。剣士と違って、魔術師は国家にとっても重要な人間の筈だが。見栄か、それとも。

 しかし、私が言うのも何だが、昼間から酒を飲むとは良いご身分である。しかし、その私の感想は間違いであったようで。

「親父さん、何か軽い食事を」

「へい。いよいよお出かけですか」

 勇者の注文に、店主が気前よく言う。

「そんな所です」

 これはまずいな。まさかそんな所まで話が進んでいたとは。私も魔物の一員として、ここで勇者を亡き者にしても良いのだが、せっかくの行きつけの酒場を失いかねない。それは困る。何時になっても、身分を証明する事のできない人間というのは、最初に色々と面倒があるのだ。

 ここは様子見といこうか。

「ああ、勇者の旦那、この方をご存じですか」

 おい店主。私は様子見をしたいのだが。必要以上に関わりたくない。

「知らないが……いや、もしかして、村を救ったという、剣士様か?」

「ええ、そうです。二年ほど前にはぐれ魔物がこの村を襲ったとき、一睨みで追い返したお方です」

 腐っても元魔王である。魔物にも色々と顔が利く。しかし、そんなことも言えないし、私は凄腕の剣士として、この村では認識されている。

 と、勇者の目が不意に輝きだした。これはまずい。勇者などといっても、突き詰めて言えば、魔王城に殴り込みをする輩である。格好良く言えば、挺身突撃隊とでも言ったところか。しかし、どちらにせよ、そんな任務を引き受けるような人間だ。その精神の有り様は容易に想像が付いた。

 しかし、この勇者が私の考えるとおりの性格であるとするならば、この状況は非常にまずい物であるに違いなかった。どうやら、様子見では済まされなくなりそうである。

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