第6話 ガロードマーンラボ


 路地にたたずむ黒い人型の靄が倒れ伏した統を見下ろしている。

「こちらサルヴァ、インドラに報告、任務完了、対象の成長度は……まあまあってとこですかね」

『報告は正確に行え』

「へいへい、まだ俺らの段階には至らずでも変化形のコードも使ってましたし、成長速度的はかなり速いほうかと思いますけどねぇ。最後の一撃なんか少し焦りましたよ」

『……了解した。帰還しろ』

「へいへい、仰せの通りに」

 サルヴァは、気を失った統を残したまま、虚空へと姿を消した。



 ダマーヴァンドタワー、特区を見渡す部屋の中、統の戦闘を見ていたアータシュ。

 彼は統が倒されたにも関わらず、顔色一つ変えてはいなかった。

 そこに通話が入る。

「私だ」

『コードネームを』

「メーノーグ、つくづく君も軍人気質だな、もう除隊したのだろうに」

『除隊したのではない、作戦のための一時的な処置だ』

「まあどちらでもいいがね、それで彼はどうだった、サルヴァはなんと?」

『お前も見ていたのだろうに』

「現場の話が聞きたいのだよ、途中途中、煙幕や光で見えなかったしね」

『……データもとっているだろうに実に不可解だ。成長速度は予想よりも早い、アータルの操作出来る量も今の状態で、我らのに匹敵するらしい』

 ほう……と感嘆の息を漏らすアータシュ。

「やはり彼らの子供ということか……」

『報告は以上だ』

 そういって返事を待たずに相手は通信を切った。

「ふむ、そろそろ他の者達も来る……これはの日も近いかもしれん」

 独り、普段誰にも見せないような笑みを浮かべていた。


 場所は変わって、特区を囲む柱の一つの下、正確にはその横を通る道路。

 そこを走る車が一台、運転しているのはアータシュの秘書である原山。

 そして後部座席に乗っているのは……。

「別に迎えに来なくてもよかったのに、原山さんだって忙しいでしょ?」

「いえ、お嬢様を迎えに行くのも仕事の内ですよ、区長の命令ですから」

「もうそのお嬢様ってのやめてよー、タルサでいいってば、ほんとお祖父ちゃんも原山さんも過保護なんだから」

 一人の少女、栗色の髪を少し伸ばしている。

 服装はなんと研究者が着るような白衣だった。

「区長のお孫さんを呼び捨ては気が引けるので、間を取ってタルサさんで」

 心地タルサ、彼女はアータシュの孫娘であり、研究者でもあった。

 しかし今、意識を失い、例のごとくダマーヴァンドタワーの医務室へと運ばれている統が、彼女と出会うのはもう少し後の事になる。


「ここが、新エネルギー研究特区……すごい本当に光の輪だ。これをおじいちゃんが造ったなんて信じられない」

 それはキラキラとした眼差しだった。

 しかしその顔はすぐに曇ってしまう。

 タルサはこの特区の事情を知っている。

 そう、彼女は手首にはクスティが嵌められていた。

 それを握りしめながら苦々しく呟く。

「でも此処には、いるんだよね、怪物が、フラストルが」

「はい……残念ながら」

 原山も気まずくなりながら言葉を返す。

「でも、大丈夫、私の理論さえ上手くいけばきっと……!」

 その表情は決意に満ちていた。

 握りしめられた書類の束、それはとある論文だった。

「トリムルティ理論ですね」

「そう、天鉄夫妻が提唱したアータルに対するための理論!」

 彼女はその論文を宝物のように抱きしめる。

「これでおじいちゃんも、特区の人々も、そしてアータルをコントロール出来れば世界だった救うことになる!そうだよね!」

「はい、きっとそうなります」

 タルサは再び顔を明るくして街の様子を眺め始める。

 そして、そんなタルサを乗せた車は光輪の下をくぐり特区へと入っていく。

 向かう場所は、そうダマーヴァンドタワーだった。


 まだ数回、来ただけのはずだが、なんだかこの天井も見慣れてしまった。

 医務室で目を覚まして抱いた感想はまずそれだった。

 しかし遅れて、鳥肌が立ち、血の気が引いて飛び降りる。

 何故、自分は生きている!?

 そう、あの時、最大の一撃を避けられ、そしてトドメを刺された……はずだ。

「見逃された……? でもどうして」

 あのフラストルはどこまでも飄々としていてつかみどころが無かった。

 結局、なんのために現れたのかも、わかってはいない。

 ただ、父と母の仇、それに倒され、さらにわざと生かされた。

 その事実に怒りや、疑問や、悔しさが入り混じり、どうしたらいいかわからなかった。


 眠ることも出来ず、かといって、戦闘のダメージが癒えたわけでもない。

 だからベッドの上に座り、ただひたすらに、サウラとの戦闘を思い返していた時だった。

 外の廊下から、声が聞こえてくる。

 どうやらなにか口論しているらしい。

「だから! このトリムルティ理論の通りにアータルに情報入力すればフラストルを消すことが出来るのに! どうしてわかってくれないの!?」

「それはあくまで理論でしかない。私はその理論の提唱者である天鉄夫妻と共に、小規模の実権を行ったが、それは失敗したのだ。なんども話したはずだ」

 二人のうちの一人は、どうやらアータシュさんのようだったが、もう一人は聞き覚えのない少女の声だった。

(それより、フラストルが消える? 父さんと母さんの理論?)

 サウラとの戦闘を思い返すのを止める。

 偶然きいてしまったとはいえ、今のは聞かなかった事になどできまい。

「ついてくるなと言っているだろう。それに怪我人がいるんだ静かにしなさい」

 アータシュさんが医務室へと入ってきた。

 そして指示を聞かなかったようで、その後ろから白衣を着た少女が入ってきた。

「あの、さっきの話――」

「あなたが天鉄夫妻の息子さん!? やっと会えた! ずっとお二人から話は聞いていたの!」

 自分は聞いてないのだが……というかこっちの話も聞かずにぐいぐい来る。

「うんうん、お二人にそっくり、目元は伊智子いちこさんで、鼻は正義まさよしさんに似てる!」

「それは……どうも」

 正直、なんと言えばいいかわからなかった。

 死んだ両親のこと、その仇を倒せなかった事、だけど両親と知り合いだという少女、父と母がいなくなった後にも残ったものはあるのだという事実。

 結局、複雑な心境なのに変わりはなかったが、それでも少し気分は良くなった。

 そんな気がした。それはきっと彼女の性質なんだろう。

「そのへんにしておきなさい。全くついてくるなと言ったのに」

「だって! 私も彼に会いたかったのよ……そうだ、改めまして心地ここちタルサって言います、よろしくね」

「天鉄統、です。こちらこそ」

 握手を交わした。

 なんだか気恥ずかしかったが、心地さんが笑顔なので、なんとか恥ずかしさを表に出さないでおく。

「すまないな、私の孫が失礼をした」

「いや失礼だなんて、それよりさっきまで話してた事、俺にも聞かせてくれませんか?」

 フラストルに関わる両親の理論、それがなんなのか。

「む、そうか聞こえていたか……タルサは昔から声が大きい」

「もうそういうこと言わないでよおじいちゃん。っと、それよろトリムルティ理論の事だよね? 私でよかったらお話しましょう!」

 誇らしげに胸を張る心地さん。

「じゃあ心地さん、お願いします」

「あ、タルサでいいよ? 私たち同い年だし」

 両親から俺の年まで聞いていたのか、まあ君と同じ年の子供がいるとか、そういう話の流れだろう。

「えっとタルサ……さん」

「むう、君ってば以外とシャイなんだねぇ、まいいけど、それより身体の方はどう? 説明するなら出来れば上のラボでやったほうがわかりやすいんだけど……移動できそう?」

「ああ、なんとか大丈夫そう……それより、ラボ?」

 そんなものあっただろうか、いや勿論、研究特区なのだからラボなどたくさんあるだろうが、上というのが引っかかった。

「君も入っただろう、『輪』を見せたあの部屋だ、研究室に変えることも出来るのだ、別に隠していたわけじゃないが、そこでフラストルの反応なども確認している」

「そうだったんですか」

 特に不思議に思う話でもなかった。

 本当に隠すのなら、そもそもあの部屋に『輪』があることも教えないだろう。

 それに自分がラボを使うわけではない。あくまで使うのはアータシュさんなのだから特段、こちらに聞かせる理由もない。

 疑問も晴れたので、ベッドから降りる。少しふらつくが移動するくらいなら問題あるまい。

「無理はしないほうがいい、私と同じ車椅子を用意しよう」

「いえ、本当に平気です、なぜかは知らないけど、相手は俺にトドメを刺さなかったから、ダメージも思ったよりありません」

「ふむ、意思を持つダエーワの考えることは、まだまだ不明瞭なことも多い、なんらかの意図があったのか、はたまた」

 アータシュさんが考え込んでしまう。

「あちゃあこうなると、しばらくこのままだよ、先に行こうか」

 タルサさんに手を引かれ、廊下を渡り、エレベーターに乗って最上階へ。

 そこは何の変哲もない、前と変わらない部屋だったのだが、タルサさんが入口のパネルを操作する。

 なんと! 床がせり上がり様々な機材が出てくる!

 それだけではない、窓が黒くなり、そのまま何かのデータを映す画面となったのだった――

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