第2話

よく眠れてしまった。

ハナは窓から差し込む太陽の光で目が覚めた。新鮮な光だ。その光を掴むように両腕を高く上げて、伸びる。

昨日あの後、アジュガはハナに「軽いものだけれど」と夕飯を御馳走し、温かいお風呂もくれた。「助けてくれたお礼だから」とはいうものの、あまりの優しさにハナは安堵を超えて不安になったけれど、日頃の疲れと見知らぬ街になぜだかたどり着いてしまったことへの動揺もあったらしくベッドに通され、その中に体を埋もれさせたらあれよ、あれよと眠ってしまったのだ。

彼女は一人暮らしだと思われる。が、ハナに与えられたベッドはきちんと整えられているし、掛けられた布団も暑すぎず、寒すぎずで心地が良いものだった。


「おはよう、ハナちゃん。昨日はよく眠れた?」


ダイニングへと向かうと、アジュガは柔らかい笑顔で寝起きのハナを迎えてくれた。テーブルの上には色鮮やかなサラダに、見たことのない果物のようなものが切り分けられている。そしてルビーティー。酸味を含んだ香りがミカンに似ている。柑橘類だろうか。


「おはようございます。お陰でぐっすり眠れました。その・・・最初は地鳴りみたいな音が怖かったけど・・・」


「あぁ、山に生息しているプエルタサウルスね。街の人たちは慣れているけれど、外から来た人は稀人じゃなくってもびっくりするの。穏やかな”動物”だから大丈夫よ。」


ハナにとっての”恐竜”は、この世界の人にとって”動物”らしい。動物と言われれば動物だろう。けれど、動物とひとくくりに呼ぶことに違和感がある。

アジュガに勧められるまま椅子に腰かけ、朝食を頂く。「嫌いな物はある?」と聞かれた。ハナは”食べれない物以外食べられない物がない”タイプで、高校生の頃田舎に住む知人がよかれと思って持ってきた蜂の幼虫を甘辛く似たものも抵抗なくペロリと食べ「油揚げみたい」と宣い、母親から「雑食」、兄から「ナマズ」と呼ばれていたことを思い出した。


そういえば、現実世界と時間軸は同じだろうか。時計を見ると八時半を差している。秋期講習の準備もあったし、今朝は夏休み明けの実力考査に関する問題の質問があるとかなんとかで生徒が予備校に来る予定だった。家族とは離れて暮らしているため、多少連絡せずともすぐに心配されることは無いけれど職場は恐らく無断欠勤だとか言われるだろう。翌日、翌々日も出勤しなければ誰かが連絡してくるだろうし、行方不明と発覚することも遅くはないな、と少し罪悪感が生まれた。色々な人に迷惑と心配をかけてしまう・・・と思った所で昔のことを思い出した。


ハナが高校三年生の頃、大学受験に向けて生徒として予備校に通っていた。ハナはその予備校に通う同級生の男の子が気になっていたのだ。彼は隣町の進学校に通っていて、噂によると両親が教育熱心な人たちだったらしい。物静かで、だからといって周りから浮くこともなく、いつも友達と笑っているのに彼の声だけは小さくてハナは耳を傾けてもなかなか聞き取ることが叶わなかった。

そんな彼がいなくなったのは、丁度今頃。予備校の夏期講習の最終日に行われた実力テストの後だった。彼は、忽然と姿を消した。予備校から、学校から、家から。

彼は珍しく実力テストの結果があまり良くなかったらしい。これも噂だけれど、受験のストレスやプレッシャーによる家出、あるいは・・・なんて話がしばらく続いた。結局彼は最後まで予備校に姿を現さなかったし、学校にも出席しなかったらしい。


「口に合わなかったかしら」


そういうことを思い出してボケッとしていたら、アジュガがハナに申し訳なさそうに問いかけてきた。ハナは慌てて「美味しいです」と返す。今、自分が行方不明であろう立場だからだろうか、そんなことを思い出してみたところで何の意味もない。ハナはもりもりとサラダらしきものを食べる。


「これ、美味しい。シャキシャキで、水分もあって、ちょっと果物みたい」


「それはノギ。裏庭の家庭菜園で作ったものよ。」


「家庭菜園があるんですか?」


「ええ。家庭菜園は自分で食べる分だけだから少しだけ。あとは薬草ね。リベルダとかロベラとかコシとか」


ハナは「なるほど・・・」と呟いてしばらく考えたけれど、当然全く聞いたことがないものばかりだ。


「あの、この国の事を伺ってもいいですか?」


「勿論。この国はエリーダニー国。この街はエリーダニーの中心部・ケーティ。王宮があって、その周りに街が広がっているの。」


「他にも街があるんですか?」


「ええ。南隣に観光都市のカイトス、北隣には雪の多いピスキウム。西側にはミラ砂漠を挟んでキュグニーと、マイオル山脈を挟んでマテネがあるわ」


「そこにも、なんたらサウルスとか・・・こちらでいう”動物”がいるんですか?」


「勿論。あなたがいた日本という国には存在しない?」


「動物はいます。けれど概念が違うというか・・・。エリーダニーでの動物は、私の世界では恐竜と言って、随分昔に絶滅した生き物です」


「こんなに大きな生き物が絶滅?」とアジュガは目を丸くした。ハナからすれば当然の話だけれど、確かにあんなにも大きな生き物が全て死に絶えましたなんて実際恐竜を目の当たりにすると何が起きたんだと不安になる。


「はい。白亜紀っていう時代があって、その時に。」


「なぜ?」


「色々説はあるんですが、メキシコ・・・っていう場所があって、そこに隕石が落ちたって話が有名です」


「隕石・・・聞いたことが無いわね」


「うーん、じゃぁ隕石が落下したことがないのかも・・・そんな星があるのかはわからないけど・・・とにかく、隕石が落ちたことが気候が大きく変動して、恐竜は絶滅したってことになってます。」


「簡単に話せば、ですが」とハナは言葉を押した。遠くでうなり声がする。これも何かの恐竜の声なのだろう。小さく窓がカタカタと鳴った。


「食べ終わったら、街を見てきてもいいですか?」


「あら、今は危ないわ。日が暮れてからならいいわよ」


「えっ、今は危ないんですか?」


「街には基本的に決まった動物しかいないけれど、街の外には危険な動物もいるもの。刺激しないようにしないと」


「皆、今外に行かないんですか?」


「行かないわ。皆寝てる時間よ」


「寝てる!?」とハナは思わず驚愕した。道理で静かな朝だ。皆活動していないのだから。アジュガは「私は町医者だから緊急時に備えて起きていることも多いけれどね」と微笑む。

ダイニングの椅子から立ち上がって、彼女はすぐ傍の窓へと近づきハナに手招きをした。窓の向こうには街が、確かに静かに存在している。


「あそこに見える時計の掛かった建物。あれが王宮。隣が王立図書館。並んでる四角い建物が見える?」


「あの、大きな窓のいっぱいついている?」


「ええ。あれがアカメディア」


アカメディア。なんとなく、予想がつく名前だった。恐らく学校に値するものだろう。確かプラトンが設けた学校がそういう名前だったような覚えがある。


「日が暮れ始めたら生徒が通い始めるのよ」


「やっぱり学校なんだ・・・」


「私の友人に頼んでみるから、日が暮れたら王宮へ行って稀人登録をしましょう。そのあと町を案内してもらうといいわ」


「あの、ケーティ以外の町にも稀人ってたどり着くんですか?」


「えぇ。けれど必ず王宮へ登録に行かなきゃいけないから、ハナはラッキーだったわね。砂漠超えたり、雪山超えたりしなくていい分簡単だもの」


「それにキュグニーについたらまずは捕縛されちゃうわ」とアジュガは告げる。捕縛されるのか。ならばケーティでよかった、とハナは思った。


「でも、稀人の町もあるんですよね?」


ハナが尋ねると、アジュガは「まぁ、そうね」と歯切れの悪い返事をした。ハナはこれまでの朗らかなアジュガの様子に影が落ちたことを不思議そうに見ていると、彼女ははっとし、また柔らかい笑顔を浮かべて「もしよかったら」と一階にあるポストを見てくるようにハナに頼んだ。玄関のドアに備え付けで、外に出なくても郵便物は取れるから、ということだ。ハナは「勿論」とすぐに動いた。


二階と一階では役割が違うからだろう、間取りも全く違うものだし、ダイニングに漂っていたルビーティーの甘酸っぱい香りとは違って、ここは昨日の夜と同じく消毒液の匂いだけは消えずに存在している。ハナは消毒液の匂いが嫌いではなかった。実を言うと、ハナの祖父も医師だった。今ではもう、思い出の中でしか会えない人だが。

玄関のドアには確かに何かボックスのようなものがくっついている。どうやらこれがポストらしい。シルバーの取っ手がついていて、それを回すとキィと音を立てて手前に開いた。中には新聞と、いくつかの手紙。ハナはそれを全て取ってポストの扉を閉めると、新聞に視線を落とす。なんの文字か全くわからない。わからないけれど、話は通じるようなので、そういう世界なのだろう。


「カエリー」


ドアの外から聞こえた声に、ハナは思わず耳を澄ませた。


「おはようございます」


「今帰りか?危ないぞ」


「図書館で読みふけってしまって。」


「早く家に入るように」


「はい、すみません」


ハナはソッと、少しだけ扉を開けた。一人の男性が数冊の本を抱えて、アジュガの家の前を通り過ぎていく。ハナと同世代だろうか。彼はハナを見ることもなく、アジュガの家にくっつくように立つ隣の青い建物の中へと入っていった。


郵便物を持って二階のダイニングに戻ると、アジュガはおかわりのルビーティーを淹れておいてくれた。彼女は「久しぶりにこうしてお喋りをする気分だわ」とどこか嬉しそうだ。見知らぬ人に対してここまで親切である理由はそこにあるのだろうか。ハナもなんとなく嬉しくなり、カップに手を伸ばした。


しばらく二人で話をしていると、階下のドアが開く音と、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。ハナは思わずギョッとしてしまったが、慣れた様子のアジュガは笑ったままで「大丈夫よ」と一言。


「アジュガ!」


ダイニングに乗り込んできた男は物凄いスピードで座っているハナの肩を掴む。明らかに間違っている。けれど気付いていないのか、ハナの体を前後にガクガクと揺さぶりながら「だいじょうぶか!」と数回問いただしてきた。


「昨日、バーで男に絡まれたって!!??」


「人違いです」と答えたかったけれど、ハナには出来なかった。どうやったら間違うのか、と思った時に彼の首から掛かっている眼鏡が目に入る。まさか、そんな、漫画じゃあるまいし。ガクガクと揺さぶられながら、ハナは少しだけ呆れたような気持ちだった。


「だからあれほど!!俺がついていくといったのに!!」


「ひ、と、ち、がががが・・・」


「何でお前は!!いつも!!!俺の言うことを聞かないんだ!!!!怪我はないのか!!」


そういって肩にあった両手でハナの両頬を掴み、顔を覗き込んで来たので思わず「顔が近い!」と男の体を力一杯押し返してしまった。


「近いとはなんだ!!怪我の有無を聞いてるんだ!!!」


「人違いです!」


ハナがこの世界に来て初めて、身の危険を感じた瞬間はまさしこここだった。

男はグッと目を細める。そうしてもやはりわからないらしく、ようやくチェーンで首にぶら下げた眼鏡を掛けてくれた。


「おぉ・・・誰ですか」


こちらの台詞である。

この様子、アジュガの知り合いであることは間違いないだろう。ハナが「アジュガさんならこちらです」と手のひらで教える。男は再びけたたましい声と様子で、向かいに座るアジュガのもとに掛けていった。


「おはようナスタ」


「アジュガ!!昨日絡まれてたらしいな!!」


「え?絡まれてないわ」


「何!?いや、でもサブが」


「ふふふ。見間違いだと思うわ。だって私、昨日は彼女と知り合って、色々話を伺っていたから。ねぇ、ハナちゃん」と、息をするように嘘をついているアジュガの、何かを促すような笑顔に思わずハナは「はい」と告げる。


「丁度良かった。ナスタの所にいこうと思っていたの。王宮で稀人手続きをしてほしいのだけれど」


「まれびとぉ?」


そういうと男はハナに向き合った。うねるような黒髪の背の高い男は眼鏡越しにハナをまじまじと見る。


「ハナちゃん、彼は私の幼馴染みのナスタよ。王宮に勤めているの。暑苦しいけれど信頼出きると思うわ」


「暑苦しいとはなんだ、暑苦しいとは。」


ナスタ、と呼ばれる男を良く見れば臙脂色のベルベットの高そうな燕尾服を着ている。中にはパリパリと音が立ちそうな黒いスタンドカラーのカッターシャツ。王宮勤めと言われれば納得する服装だ。


「ナスタがいてくれると助かるわ。私にはわからないことばかりだから・・・彼女をより不安にさせてしまうんじゃないかって思っていたの」


「そ、そうか?俺がいると助かるのか・・・」


彼はどうやら、アジュガにとっては単純に操れる男性らしい。

ナスタはしばらくニヤニヤとだらしのない、けれど幸せそうな表情をしていたが「あっ」という言葉を呟くと少々難しい顔をした。そうすればなかなか男前に見えないこともない。


「俺は今日は難しいな・・・ピスキウムからの報告に行かなきゃならない」


「あの、例の泡?」


「あぁ。」


そういうと、ナスタと呼ばれた男は懐から数枚の絵を差し出した。

風景描写である。海と、それから海沿いの町、その町を覆うような何か―・・・。

ハナはその絵をまじまじと見つめる。


「これは雪?」


「いや、泡だ」


「泡・・・」


「あぁ。町が泡に飲まれている。俺も上司から聞いた時は何の話かと思ったが、報告の通り泡だらけだ」


アジュガはハナとナスタにコーヒーを差し出しながら「それは困ったわね」と呟く。聞けば、人の腰の高さまである泡に街が覆われているらしい。ハナは一つの自然現象を思い出した。


「それって・・・海の泡じゃないんですか?」


ハナが至極当たり前のように答えると、二人はキョトンとした表情を向けた。


「私の世界では・・・冬の風物詩みたいになってて、”波の花”とか”カプチーノコースト”とかって言うんですけど・・・海水の微細な藻類の粘液が波に揉まれて泡を出すんです。ここ数日天気が荒れていたんですよね?それで波が打ち付けられて、泡立ったんじゃないんですか?」


「たぶん、ですけど」と控えめに告げる。

波の花は冬、季節風が強く吹く日本海で見られる現象だ。泡、といっても別に白くてふわふわで雲のように美しいわけでもなければ、ホイップクリームのように美味しそうなわけでもない。コトコトと野菜や肉を煮詰めた時に出てくる灰汁のような泡である。


「波の花って発生条件が必要なんです。風速、気温、波の高さ・・・条件が整わないと見られないし、まして海が汚れていたら出現しないんですよ。私の世界では波の花も観光の一つになってます」


「海の水を持ち帰ってミキサーにかけたら泡立つと思いますよ」と淡々と告げるハナにナスタは目を光らせた。


「ハナ、君はそういう現象に詳しいのか?」


「いや、詳しいってわけでは・・・。ただ、私の世界にそれがあるっていうだけで・・・」


「なるほど。稀人は俺たちの知らない知識を持っていると聞くしな。そうか、そうか」


ナスタは一人頷きながら、コーヒーを一口飲む。

アジュガは相変わらずのほほんとしたまま「観光になっているんですって」と、少々興味深そうにしていた。


「それは持ち帰ってムスクへ報告しよう。海の泡と波はすでに王宮の彼の元に送っているし、何かその情報が役立つかもわからん」


ナスタは「日が暮れたら、君を王宮まで連れて行こう。こちらへ来た時の格好と荷物を準備しておくといい」と告げた。



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