エピローグ

「行くのか?」

「うん」

 ユージーンに問われ、マギスは頷いた。



 魔王の魂を滅ぼしてから、もう一年経つ。季節は巡るものの、が来る前と変わらない、平和な毎日が続いていた。

 いや、マギスにとっては、一つ変わったことがある。ユージーンとアンジェラが結婚したのだ。半年ほど前のことだ。

 祝言の日、若い二人の門出に、村人たちはこぞって祝福した。素朴ながら着飾ったアンジェラの幸せそうな表情も、その隣に立つユージーンの恥ずかしそうに、そして嬉しそうにはにかんだ表情も、マギスの脳裏にしっかりと焼き付いている。

 新婚夫婦は、今、マギスや両親の住む家の隣に居を構えて、二人仲良く暮らしている。アンジェラのお腹には、新しい命も宿っているらしい。悪阻であまり動けないアンジェラのために、両親が毎日甲斐甲斐しく世話をしに通っている。それ故に、嫁いだという感覚があまりなかったりするのだが。


 平穏な日々に、不満など何もない。だが、この一年、マギスは時折、もはや幻となった三年間に思いを馳せていた。

 ユージーンほど覚えてはいなくとも、あの経験は記憶としてマギスの一部になっている。忘れることなど絶対に出来はしない。

 それにずっと気になっていることもある。魔王の魂が復活したことを神官たちは悟っていたはずだ。それが突然消滅したのだ。マギスとユージーンの手によるものだとは、思いもしていないだろう。

 世界は今、どうなっているのだろう。かつての仲間、シロマやセシリアやトレイシーは、今何をしているのだろう。


 ある日マギスは旅に出る決意をした。一人で。誰にも告げずに。

 もちろんユージーンにも、だ。彼にはもう、守るべき家族がいる。それに彼の容姿は、外の世界では生き辛い。この村で過ごす方がいいだろう。

 そう考えて、数日掛けて密かに旅支度を整え、未だ起きる者のいない早朝にそっと家を抜け出したというのに。

 村の入り口まで来た時、その門柱に腕を組んで寄りかかるユージーンに、声を掛けられたのだった。



「参ったなぁ。隠していたつもりだったのに」

 旅装束に身を包んだマギスは苦笑し、頬をかいた。

「お前と何年の付き合いだと思ってんだ」

 呆れた声で言うユージーンに、肩を軽く小突かれる。マギスは苦笑を貼り付けたままはぐらかした。ユージーンが嘆息する。

「どうして言ってくれなかったんだよ?」

「言っても言わなくても、行くことに変わりないし。それに、すぐ帰って来るつもりだしさ。ま、言わなくてもいいかなぁって」

 マギスの答えを聞いて、ユージーンが再びため息をついた。落とした首を持ち上げて、マギスをじっと見つめる。

「──本当に、すぐ帰って来るんだな?」

「うん。君の子供が話すようになるまでには戻って来るよ」

「それって二年近くってことか?」

「あー……うん、そうなるかな。でも、いろいろ見て回って来るつもりだし、それくらいかかるでしょ」


 そう、何をするわけでもない。何か明確な目的があるわけじゃない。ただ、何もしないで日々を過ごしたくないだけだ。

 そして、ただ、世界中を見て回るつもりだ。もしかしたら、かつての仲間たちに偶然会うかもしれない。


 ユージーンが呆れたように口を小さく開き、そして諦めたように首を振った。

 マギスはそんなユージーンの背をぽんと叩いた。

「そんなわけで、僕はしばらくいなくなるから。その間、アンジェラを頼んだよ? 泣かせたら承知しないからね」

「お前なら、アンジェラが泣いたことを本当に察知できそうだから怖いな」

 ユージーンの顔が引き攣った。そして二人、笑い合う。


「──それじゃ、また」

 マギスは村を出た。

 大地を踏みしめ、歩み始める。行ける場所から。


 まずは、麓の町を目指して──

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振り返ればあの時ヤれたかも 長月マコト @artisan_xxx

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