第1話

 がばり、とマギスは跳ね起きた。

 はぁ、はぁ、と肩で大きく息をする。

「──夢、か……」

 独り言ち、額を伝うものを拭う。暑さなど感じるはずのない気温なのに、全身が、じっとりと汗ばんでいた。

「マギスさん?」

 自分の名を呼ぶ澄んだ可愛らしい声に顔を上げる。緩いウェーブのかかった栗色の髪の美少女が、敷物に腰を下ろしたまま、琥珀色の瞳を揺らしてこちらを見ていた。その膝の上には、たった今まで読んでいたのであろう、開かれたままの聖書がある。

「大丈夫ですか?」

 心配する少女の声がする。マギスは瞬時に自分の置かれている状況を思い出した。


 幼馴染で親友であるユージーンと共に、マギスが故郷の村を発って、もうすぐ三年になる。

 余所者がほとんど寄り付かない山奥にひっそりと在った集落を出て、初めに立ち寄った町の教会で、二人の運命が決まった。ユージーンが、女神から魔王を打ち倒すことのできる『勇者』であるという神託を受け、魔王討伐の任を負うことになったのだ。

 そして旅の途中、招かれた大神殿にて回復魔法が得意な神官のシロマが、ある国の王都にてその国で剣の腕にかけては右に出る者がいないと言われていた男装の麗人である剣士のセシリアが、とある島国で情報収集や諜報活動が得意で金勘定が大好きな盗賊のトレイシーが、それぞれ仲間になった。

 紆余曲折を経て、昨夜ついに、魔王城を囲むように広がる『踏み入ったら二度と出ることは叶わない死の森』と謳われる森を抜けた。そして、その森と魔王城との間の開けた場所で、朝を迎えるまで交代で身体を休めることにしたのだった。

 そして今日これから、準備が整い次第、魔王城に挑むことになっている。


 夢とはいえ、全滅しただなんて、あまり縁起のいいものじゃないな。

 ほとんど消えかかっている焚火を見つつそう考えると、マギスはにこりと笑ってみせた。

「うん、大丈夫。悪かったね、シロマ。もしかして驚かせちゃった?」

 もともとおっとりとした雰囲気を纏っているせいか、マギスが笑顔を見せれば、大抵の人間は彼の言葉を信じる。しかし今回は、残念ながらシロマに信じてもらえなかったらしい。

「本当ですか?」

 と明らかに疑っているのがわかる表情で、じっとマギスを窺って来た。彼女の美しく整った顔が、寄せられた眉根のせいで歪んで見える。

「シロマ、そんな顔すると、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」

 つい、思ったことがそのまま口をついて出てしまう。途端に、シロマが顔を赤らめて口ごもる──といった反応は一切なく、代わりに彼女はわざとらしく大きなため息をついた。

「まったく……。本当にそういうところですよ、マギスさん。その考えなしの台詞ことばで、今まで何度、世の女性たちを泣かせてきたと思ってるんですか」

「え? ちょっと待って、何のこと?」

「やっぱり無自覚なんですね。マギスさんこそ、なまじ綺麗なお顔をされているのですから、もう少しいろいろと自覚してから言葉に出していただけませんか」

「え? えっと、わかりまし、た?」

「というわけで、はぐらかさないで答えてくださいね。ちゃんと休まれましたか?」

 シロマが再度マギスを覗き込んできた。

 マギスは眉をハの字にした。最年少ながらパーティー内で一番しっかり者のシロマがこうなったら、納得するまで一歩も引かないということを、マギスは旅の中でしっかり学んでいた。

「本当に大丈夫だってば。セシリアからも言ってよ」

 困ったマギスは、シロマの隣で剣の手入れをしていた女剣士に助けを求めた。

 セシリアが苦笑しつつこちらを向く。頭のてっぺんで一つに結われた、燃えるような赤毛が揺れた。

「それは難しいな。自分では覚えていないのかもしれないが、起こした方がいいんじゃないかと思うくらいにひどくうなされていたからな。マギスが『大丈夫だ』と言ってもシロマが信用しないのはもっともだと思うよ。私も心配しているしな」

 落ち着きのある、女性にしては少し低い声でそう言い、セシリアも窺うように緑色の瞳をマギスへと向けてきた。

 真摯な四つの瞳に見据えられれば、さすがに本気で心配されているのだとわかる。それほどに、傍目から見てもうなされていたんだろう。誤魔化すのは難しそうだ。

 二人の視線に負け、マギスは降参とばかりに両手を軽く挙げた。

「心配してくれてありがとう。でもこの通り、本当に大丈夫なんだよ。確かにいい夢じゃなかったんだろうけどね。でも、もう忘れた。夢って目が覚めるとあっという間に忘れるよね」

 情けなく笑いながらそう伝えて、肩を竦めて見せる。

「そうか。ならいいんだ」

 セシリアが安心したように微笑み、剣の手入れを再開する。

 シロマの方は未だ納得していないのか、マギスを見つめたままだ。それでも、マギスが未だ何かあるのかと尋ねる意味で首を傾げると、しぶしぶと言った様子で手元の聖書へと視線を落とした。


 二人の意識が完全に自分から離れたことを認めると、マギスはそっと息を吐いた。

 もちろん、さっきまで見ていたあの夢を忘れるわけがない。カビ臭いあの城内の空気も、重厚な扉の冷たさも、身体を貫いた痛みも、すべてリアルに覚えている。

 いい夢じゃないどころか、悪夢だ。今までに見た中で最低の。

 夢で迎えた死の瞬間を思い出し、マギスはぞくりと震えた。

 あれは、あの恐怖は、本当にただの『夢』だったのか?

 自分が今本当に生きていることを実感したくて、マギスは己の両手を見た。何度か開いたり閉じたりしてみる。

 男でありながら剣を持つ機会はあまりなかったが、長い旅路で酷使されてきた手が、見慣れたままそこにあった。握ったり開いたり、ちゃんと意志通りに動く。特に痛みはなく、血も流れておらず、怪我もしていない。

 さっきのは夢だ。今のこれが現実。でも。

 あの全身を砕かれた痛みと逃れられない絶望感は、ただの夢だとは思えない──

 マギスは嘆息しつつ、頭を振った。

 ……気にしすぎだな。これから魔王城に侵攻するから、神経が昂ぶっているのかもしれない。


 マギスは気持ちを切り替え、辺りを見回した。少し離れたところで、剣を携えた黒髪の青年が、一人こちらに背を向けて魔王城を眺めているのが見えた。

 ユージーンはあそこにいるのか。

 パーティーは五人。勇者ユージーンと魔導士の自分、剣士セシリア、神官シロマ。あと一人、女盗賊の姿が見えない。

「トレイシーは?」

 マギスがシロマとセシリアに尋ねると、直後「呼んだ?」と背後から声が聞こえてきた。

「ぅわっ!?」

 マギスが慌てて振り返ると、トレイシーが悪戯っぽい笑顔を浮かべて、しゃがんでいた。その淡褐色ヘーゼルの猫目がしてやったりと言っている。

「まったく、毎度毎度、脅かさないでもらえる?」

 マギスが眉根を寄せて、にししと笑っているトレイシーを軽くはたこうと腕を伸ばす。トレイシーはアッシュブロンドの髪を靡かせ、それをスルリと避けて立ち上がると、「ごめーん」と両手を合わせて見せ、まったく悪びれた様子もなくシロマとセシリアの方へと歩いて行った。

 トレイシーが気配を消してマギスを驚かせる悪戯を仕掛けるのは、いつものことだ。二人のじゃれ合う様子をクスクスと笑って見ていたセシリアとシロマが、口々にトレイシーへ声を掛ける。

「おかえり」

「おかえりなさい、トレイシーさん。無事で安心しました」

「シロマってば、ホント心配性なんだから。大丈夫よ。アタシがそう簡単に敵に見つかるわけないじゃん。勇者パーティーの魔導士サマにだって簡単には見つからないんだよ?」

「言うなよ」

 マギスは渋面を作ったが、トレイシーに「にしし」と笑われただけだった。シロマとセシリアが、そんな二人を見てまた微笑む。

 セシリアが言った。

「それで、どうだった?」

「うん、ちょっと近づいてみたけど、やっぱりあの城が魔王城で間違いないよ。邪悪な気配がぷんぷんしてる」

「その割には、この森と城の間に全然魔物が居ませんね」

「それは私も不思議に思っていた。こんなに開けた場所なのに、一晩居ても一度も襲われなかったしな」

 シロマの疑問にセシリアも同意する。トレイシーが意味ありげに地面を指さした。

「魔物どころか植物も生えてないって気付いてる?」

「そういえば……」

「多分ここ、瘴気がかなり濃いんだよ。魔王城に近すぎるせいじゃないかな。普通の植物じゃ育つどころか枯れちゃうし、そこらにいる魔物じゃすぐ中てられて正気を保てなくなるんだろうね。アタシらも、長く居るのは危険かも」

「そうですか。薬草を補充したかったのですが、難しそうですね」

「身体を休められただけでもありがたいと思うべきなのだな」

 女性たちが話しているのを聞きながら、マギスは立ち上がった。そして、少し離れた場所で、こちらに背を向けてじっと佇んでいるユージーンの方へと近づいた。


 ユージーンの視線はずっと魔王城に向けられたままだ。それでも勇者はマギスが近づいてきたことを正しく察知していたらしい。マギスが「ユージーン」とその名を呼んでも特に驚いた様子を見せず、ゆっくりと振り向いた。黒い瞳がマギスを捉える。

「そんなに睨んでても魔王城は崩落なんてしないよ」

「ああ、知ってる」

 マギスがすぐ隣に立つと、ユージーンは再び魔王城の方へと直った。マギスもそれに倣って魔王城へと視線を移す。

 城を中心に暗雲が垂れ込め、とっくに太陽が昇っている時間の屋外だというのに辺りは薄暗い。ずっと、音のない雷が断続的に光っている。

 この暗さが、マギスに自然とさっきまで見ていた悪夢を連想させる。それを振り払うように、マギスは両手を強く握りしめ、意識を集中させてみた。

 体内を循環している魔力の存在を感じ取る。夢見は悪くとも一応眠れてはいたのだろう、魔力は満ち足りていた。ちゃんと回復しているようだ。

 安堵の息を吐くのと同時に、空をひと際大きな稲妻が走り、雷鳴が轟いた。

 風が吹き、二人の後方から、女性三人の話し声が辛うじて聞こえて来る。


「ねぇ、セシリアとシロマはさ、この戦いが終わったら何するの? 私は王様から一生遊んで暮らせるくらいのお金を貰うつもりなんだけど」

「トレイシーさん、それ、『死亡フラグ』って言うらしいですよ」

 シロマから出た聞き慣れない単語に、トレイシーが「なにそれ?」と返した。

「『命を賭した戦いの前に勝利後の話をすると負ける』っていうジンクスです」

「ジンクスって、いいことが起こるように使うんじゃないのか? それじゃあ縁起でもないことが起こってしまう」

 シロマの答えを聞いて、セシリアが訝し気な声で言った。

「そういえばそうですね。じゃあ、『セオリー』でしょうか」

「えー、そんなのセオリーにしないでよ。アタシ、ツラいことやるとき、これが終われば報酬が待ってるって考えると超頑張れるんだけど。そのせいで負けたって言われたら納得いかなーい」

「それに私たちは、命なら、ずっと昔から、常に賭してる」

 セシリアの言葉に、シロマが「ですよね」と笑った。

「それで毎回勝ってきたんだから、気にする必要ないよ」

「ありがと、セシリア。セシリアが言うと、なーんか説得力あるよね」

「そうか?」

「うん。で、何するつもり? じゃあ、シロマから!」

「私からですか? そうですね……。平和になった世界で、王様にお城に招いてもらって、美味しいご飯をいただいて、たっぷりのお湯に浸かって身を清めて、いつ魔物に襲われてもいいようになんて警戒することなく、ふっかふかのお布団に包まれて心行くまで眠りたいです」

「シロマらしい!」

「そうですか? 今の生活から考えると、最高に贅沢だと思いませんか?」

「確かにー。アタシら、野営が基本だもんね。じゃあ、セシリアは?」

「私か? そうだな、国王陛下に近衛騎士として召し上げて貰えたら嬉しいな」


 他愛もない内容だ。聞いているとつい笑顔になってしまうような。だが、話を聞きながら、マギスは彼女たちの持つ不安や緊張をひしひしと感じ取っていた。

 これから挑む戦いに自分たちが負けるということは、即ち、死だ。そして、人間が魔王に屈するということでもある。皆、それを十分に理解している。だから、トレイシーの言う通り、ああして平和になった後のことを考えて、自分の士気を高めているのだろう。

 マギスは隣に立つユージーンへと視線を移した。

 ユージーンは相変わらず魔王城を見つめたままだ。もともとの目付きが鋭いこともあって、睨み付けているようにも見える。

「ユージーン、君は何をするつもり?」

 マギスが問うと、ユージーンが目線だけでこちらを向いた。その目が「何の質問だ?」と言っている。

「この戦いの後のことだよ。何をしたい?」

 彼女たちの話し声はユージーンにも聞こえていたはずだ。マギスはそう補足した。

「何も」

 ユージーンはそれだけ告げると、煩わしそうにまた魔王城へと視線を戻した。

 マギスの胸中にやるせない思いが渦巻く。しかし、ただユージーンを見つめることしかできなかった。


 いつからだろう。ユージーンがあまり表情を動かさなくなったのは。あまり感情を表さなくなったのは。故郷の村にいた頃──マギスとユージーンと妹と、よく三人で過ごしていた頃──は、もっとよく笑い、よく怒り、泣いたり、驚いたり、穏やかな顔を、いろいろな表情を、もっとたくさん見せてくれていたのに。

 マギスは記憶を辿ってみた。そしてふと、気が付いた。

 そうだ。女神の神託を受けた後、魔王討伐の旅が始まってからだ。その頃から、ユージーンは変わっていった。少しずつ口数が減り、愛想がなくなっていった。僕以外の人間と、直接関わろうとしなくなっていった。もう数年の付き合いになる僕以外のパーティーの人間に対してすら、どこか壁を作っている節がある。

 もちろん彼女たちを信頼はしているのだろう。戦闘の際は的確に指示を出しているから。でもその信頼は、あくまでも彼女たちの『戦闘における実力』に対してであって、『彼女たち自身』に対するものとは違う。彼女たちには心を許してはいない、そんな気がするのだ。

 最近では、幼馴染である自分に対してすら、遠慮しているような気さえする。

 この世界で、魔王を倒すことのできる唯一の存在としての重責のせいだろうか。それとも、故郷の村から──今までの閉じていた場所から広い世界へと出たことで、彼の外見への差別的な視線や考えを、直に受けることになってしまったせいだろうか。


 マギスの視線に気付いていないのか、ユージーンは相変わらず無言で魔王城を見つめ続けている。

 その髪は黒く、瞳も黒い。どちらも、この世界ではかなり珍しい色だ。

 黒という色の持つ印象のせいか、現れること自体が稀有な色せいか、普通、髪や目に黒色が出るのは不吉として忌み嫌われる。古い神話に出て来る『魔族』の持つ色でもあるからだ。

 そしてさらに悪いことに、ユージーンは髪も目も黒いというだけでなく、褐色の肌を持っていた。マギスも日焼けはしているが、ユージーンのそれは日焼けとはまったく異なる『持って生まれた色』だ。長く旅をしてきたが、マギスはユージーンの他に同じ色の肌を持つ者を見かけたことがない。おそらく、セシリアもシロマもトレイシーも、ユージーン以外に同じ色を持つ人間に会ったことはないだろう。

 ユージーンは、顔立ちや体格は他の人間とそれほど変わらないのに、髪も目も、肌の色までが『普通』ではないのだ。ゆえに、立ち寄った町で、都で、村で、ユージーンが人々から遠慮のない奇異と畏怖と嫌悪の感情をぶつけられてきたのを、マギスは痛いほどよくわかっていた。

 他ならぬユージーンこそが、彼らを魔の手から守る勇者であるというのに。

 ユージーンは、何を思いながら勇者として旅をしているのだろう。自分に対して負の感情を向けて来る者たちを守る、という使命を、どう受け止めているのだろう。そして、魔王を倒した先に何を見ているのだろう……。


「あと少しだ。あの城を攻略して魔王を倒せば、女神に課された君の使命も終わる」

 雑念を振り払い、自分を奮い立たせる意味も込めて、マギスはユージーンにそう伝えた。

「ああ」

 ユージーンが頷く。

「失敗は許されないね」

 マギスが付け加えると、ユージーンはこちらを向いた。

 その目に宿る感情を測りかねて、マギスは狼狽えた。ユージーンが何か言いたいのだろうということはわかる。でも、それが何なのかがわからない。

 ユージーンが唇を開きかけ……しかし、何かを諦めたようにまた閉じた。小さく首を振る。

「ユージーン?」

「……長居した。そろそろ行こう」

 ユージーンが目を伏せ、未だ楽し気に話している女性たちの方へと歩み去る。


 また、雷鳴が轟いた。



   *   *   *



 魔王城に潜入して、いったいどれくらい経つのだろう。「城門にも入口の扉にも鍵や錠がない」とトレイシーが笑ったのは、もうかなり前だ。それからずっと、ユージーンを先頭に進んでいる。しんがりはセシリアだ。

 魔王城というだけあって、外観は『城』に近かったが、中はややこしく入り組んだダンジョンになっていた。

 広いのに薄暗い廊下、じめじめした空気。否応なくあの悪夢が思い出されて、マギスは初め眉根を寄せた。しかし、すぐにそんな余裕もなくなった。というのも、遭遇する魔物が、今まで相手にしてきた魔物とは比べ物にならないほどに手強かったからだ。

 そのうえ、城内のあちこちに侵入者除けのトラップが仕掛けられている。その都度、トレイシーの勘やユージーンの指示で切り抜けてきたが、皆だんだん疲弊してきていた。かと言って、敵陣の中、身体を休ませられる場所などあるわけない。

 あとどれくらい進めばいいのかわからぬまま、ただ歩を進めた。


 しばらく行くと、廊下の突き当りに階段が見えてきた。皆の意識がそこに向いたとき、マギスは背後から僅かな殺気を感じた。振り返る。巨大な氷柱が飛来するのが見えた。

「避けろ!」

 前方へと跳躍する。氷柱が正確に今までセシリアのいた場所へと落ちる。それは砕けることなく、硬いはずの石の床にざくりと突き刺さった。当たったら即死は免れない。

「敵だ!」

 マギスは周囲に視線を走らせた。皆、無事だった。ユージーンは既に氷柱の飛んできた方を睨んで、武器を構えている。セシリアも、トレイシーとシロマを背に庇うようにして、剣を構えている。

 マギスも後方を見た。ぼろぼろに朽ちかけたローブを着た人型の骸骨の魔物が複数、こちらへと向かってきていた。

 ひぃ、ふぅ、みぃ……全部で八体か。初めて見る魔物だ。魔法タイプのようだな。広い廊下だけど、さっきの氷柱魔法を連発されると避けようがない。早く片付けないと。氷柱魔法を使ってきたということは、火炎系に弱いかもしれない。

「固まるな、散れ! ヤツら、範囲攻撃の魔法を使ってくる」

 ユージーンの声がした。剣を構えて走りながら、魔物の真ん中へと突っ込んでいく。指示に従い女性三人が各々の武器を手に散開した。

 マギスはふと違和感を覚えた。しかし何にそう思ったのかがわからない。

 セシリアがマギスの後方から飛び出し、魔物へと斬り掛かった。魔物の一体の腕を切り落とし、そのまま剣を右へと薙ぐ。そこにいた別の魔物の胸を切り裂いた。しかし二体とも、まるで傷を負っていないかのように、平気で攻撃を仕掛けてくる。

 二体が同時に、自分たちを襲った人間に氷柱魔法を放とうと構えた。セシリアが気付き、いったん飛び退すさる。

「さすがに、骨が相手じゃ出血もないか。これでは、ダメージを与えてられているのかどうかもわからない」

 そう呟くと、セシリアがまた敵の方へと向かっていく。

 確かにその通りだった。セシリアやトレイシーが斬っても、骸骨の魔物たちは怯む様子を見せないのだ。ダメージはあるのに痛みを感じていないのか、それともダメージを与えられていないのか、まったく読み取れない。

 ユージーンを見れば、彼は一気に四体の魔物の相手をしていた。近距離からは物理攻撃が、剣の届かないところからは魔法による攻撃が、ユージーンを絶え間なく襲っている。さすがに避けるのが精一杯で、なかなか攻撃を当てることができていない。

「ちょっとマギス! ぼーっとしてないで援護!」

 トレイシーに急き立てられて、マギスはようやく我に返った。慌てて両手杖を構える。

 違和感に気を取られて気が散っていた。戦闘のさなかだというのに。一瞬の隙が命取りになるというのに。

 マギスは魔物たちに向かって幻惑魔法を掛けた。魔物たちが突然標的を絞れなくなり狼狽する。トレイシーが自分に背を向けた一体の首を狙って短剣を振り抜いた。

「さすがにこれで倒したっしょ!」

 魔物の頭蓋骨がどさりと床に落ちる。遅れて胴体も床に崩れ落ち──はしなかった。首のない状態で立ったまま振り返り、その勢いを使って振り回した腕をトレイシーに打ち付ける。

「きゃぁっ!?」

「トレイシー!!」

 予想外の反撃にトレイシーが吹き飛ばされ、壁に激突した。身体がずるずると床に落ちる。その腕があらぬ方向へ曲がっていた。

 シロマが素早くトレイシーに駆け寄り、助け起こしつつ治癒魔法を掛け始めた。

 マギスは二人が襲われないよう、魔物たちに向かって火炎魔法を浴びせる。大人の頭ほどもある大きさの火球が魔物を襲った。数体に命中したが、それでも魔物は動きを止めない。

「いったぁ……」動けるようになったトレイシーが立ち上がる。「何なのコイツら。見た目がガイコツな上に、頭と胴を切り離しても生きてるとか、マジ気色悪い……」

 顔を歪めてそう言いながらも、トレイシーが再度両手に短剣を構えた。

「せめて、弱点が」

 わかれば。シロマが言いかけたとき、二人の足元を囲うように淡く青白い光が円形に浮かび上がった。

「ヤバっ!」

 二人が慌ててその場から転がり出る。刹那、円陣の足元から氷の槍が無数に飛び出してきた。避けなければ確実に串刺しになっていたはずだ。

「あっぶなー。これがユージーンの言ってた『範囲攻撃の魔法』ってヤツ?」

 トレイシーは顔を引き攣らせたが、気持ちを切り替えたのか短剣の柄を握り直すと魔物の群れに向かって走り出した。

「ぎゃぁぁあああ!」

 突如、断末魔の叫びが響く。見れば、ユージーンの剣が正確に魔物の眉間を貫いていた。それまで、セシリアが身体を斬っても、トレイシーが首を刎ねても、マギスが焼いても、不死身だった魔物の身体が、だらりと力なく垂れ下がっている。絶命しているのだと一目でわかった。

 ユージーンが魔物の骸から素早く剣を抜き取り、次に襲って来た魔物に応戦しながら叫んだ。

「眉間を狙え。そこが弱点だ。胴体はただの操り人形マリオネットだから攻撃しても無駄だぞ」

 セシリアが、トレイシーが、それを聞いてすぐに戦法を変える。

 眉間が弱点だなんて、よくわかったな。

 そう感心して、マギスはまた違和感を覚えた。


 さっきは『範囲攻撃の魔法』、今は『眉間が弱点』で『胴体は操り人形マリオネット』。眉間なんて狙わないでたまたま当たるところじゃない。でも確信を持った言い方だった。実際、ユージーンの指示のおかげで、セシリアもトレイシーも魔物を順調に倒し始めている。指示が的確だったからだ。

 でも。

 ユージーンとはずっと一緒に旅をしてきた。集落の中以外で別行動を取ったことはない。だからこそ言える。この骸骨の魔物は『初めて見る魔物』のはずだ。それなのに、攻撃パターンや弱点を、何故ユージーンが知っている? どうやって知り得た?

 浮かんだ疑問が雫となって、マギスの胸の隅に落ちた。心がざわざわとさざ波立ち、説明のできない不安に苛まれる。


 襲ってきた骸骨の魔物たちは、既に壊滅状態にある。最後の二体も、今、ユージーンとセシリアによって屠られた。

 上がった息を整えつつ、ユージーンが床に散らばる魔物たちの屍を一瞥した。そして、もう動かないことを確認すると、階段のある方へと歩き始める。

「行こう」

 マギスの側を通り抜ける際、ユージーンがそう告げた。

 マギスはユージーンの後ろ姿を眺めた。

 今までずっと、ユージーンは勇者として皆を導いてくれてきた。今は、余計なことを考えている場合じゃない。

 マギスはそう自分を納得させると、彼の後を追った。



 階段を上ると、大広間のような広い空間に出た。天井が高く、柱もあまりない。にもかかわらず、その大広間の中央には小さな山のようなものが在った。いや、動いている。巨大な魔物が、部屋の中をウロウロと徘徊していた。

 鋭い牙と爪、額から生える二本の角、鞭のようにしなる太く逞しい尾、全身を覆う黒光りする硬い鱗、背に生える翼。大きなトカゲのような魔物、ドラゴンだ。

 幸いにも、こちらに背を向けているために、まだマギスたちに気が付いていないらしい。

「大きいですね。今まで遭遇してきた竜族とは段違いです」

 シロマが小声で言う。セシリアが頷いた。

「そうだな。できれば相手をせずに切り抜けたいな」

「でも、アイツ倒さないとこの先に行けないみたいよ」

 トレイシーがドラゴンの向こう側を指さした。マギスたちがいる位置からドラゴンを挟んで反対側の壁に、大きな扉がある。他に扉がないということは、あの扉を使わなければ先へは進めないということだ。

「どうする? アタシ先に行ってあの扉開けようか?」

「やめておけ。気付かれたらファイアーブレスで即死だ」

 トレイシーの提案をユージーンが却下する。

 確かにその通りだ。トレイシーなら単身であの扉まで辿り着けるかもしれないが、ドラゴンの頭がそちらを向いている以上、絶対に気付かれる。そうなれば、一瞬で灰にされてしまう。

 唇を尖らせるトレイシーの頭に、マギスはぽんぽんと優しく手を乗せた。

「ありがたい申し出だけど、無茶はダメだよ」

 マギスは慰めたが、トレイシーはぷいとそっぽを向いてしまった。いつものことだ。トレイシーはマギスが慰めるとすぐにこういう反応を示す。

 マギスは苦笑し、小さくため息をついた。たまたま目の合ったシロマも、同じように苦笑している。

「みんなでやれば、きっとあいつも倒せるよ」

 そう付け加えたマギスの言葉に、ユージーンが「いや」と異を唱えた。

「オレがヤツを引き付ける。その間にあの扉を抜けてくれ。オレは最後だ」

「ユージーン、それは」

「ヤツの鱗には耐魔法の効果がある。その上硬くて剣も通らない。まともに遣り合うだけ無駄だ。それにあんなヤツがいるってことは魔王が近い。余計な消耗は避けたい」

「じゃあアタシが囮になるよ。この中では一番素早いし──」

「あの扉に鍵が掛かってたら、お前しか開けられない」

 トレイシーが手を上げたが、ユージーンの言葉を聞いて口を噤んだ。

 確かに、ユージーンの言う通りだ。扉の前でもたもたしていたら、それこそあのドラゴンの格好の餌食になってしまう。

「でも、ユージーンさん。一人で引き付けるなんて、それこそ無茶ですよ」

「短時間ならなんとかなる」

「じゃあ、みんな扉を抜けたら僕が魔法で援護するから、ユージーンはその隙に来て」

 マギスは言った。ユージーンが頷く。

「頼む」

 その表情に、マギスはなぜか既視感を覚えた。前にも、同じ会話をユージーンとしたような気がする。思わずマギスは尋ねた。

「あのさ、前にも同じ会話しなかった?」

 ユージーンは何か言いたげな眼差しでマギスを一瞬見つめたものの、質問には答えずに剣を握り直して正面を向いた。

「集中しろ」

 とだけ告げて。

 気のせいか。先ほどの骸骨の魔物のときに覚えた違和感が、未だ残っているのかもしれない。魔王城に突入するのも、骸骨の魔物やこの巨大なドラゴンに遭遇するのも、今日が初めてなのだ。同じ経験を過去にしているわけがない。

「行くぞ」

 ユージーンがドラゴンを見据えたまま合図する。

「三、二、一……今だ!」


 ユージーンが雄叫びとともに大広間の中央に躍り出た。同時にマギスたちは壁際を扉に向かって走り始める。

 ドラゴンが振り返りユージーンを見つけると、大きく吠えた。びりびりと空気が震える。ドラゴンがユージーンに向かってファイアーブレスを吐き出す。ユージーンがマギスたちのいる壁とは逆側に向かってブレスを躱す。熱気がマギスたちにも届いた。

 断続的に炎を吐き出しながらもドラゴンが間合いを詰める。ユージーンも少しずつ間合いを詰めて行く。剣を振りかぶりながら跳躍して、ドラゴンの肩をめがけて振り下ろす。

 ガキィィン!

 まるで鋼鉄の盾に当たったかのような音が響いた。鱗には傷一つなく、ドラゴンがダメージを受けた様子は見られない。


「急ぐぞ」

 戦闘の様子を見ながら走っていたセシリアが言った。

 ユージーンは、鱗が硬くて剣が通らない、と言っていた。それがよくわかった。同じように魔法も跳ね返されるのだろう。申告通り、ユージーンが短時間しか持たないのは明らかだ。

 皆が頷き、走る速度を上げる。

 近づいてきた扉は、かなり大きなものだった。両開きのそれは、通常の扉の三倍はあろうかという高さと幅がある。そしてその全体に凝った意匠が施されていた。

 あの模様、どこかで見た。

 マギスはまた、既視感を覚えた。

 いつ? どこで? ついさっき──そう、今朝。あの悪夢の中で。

 そんな、まさか。ここへ来るのは初めてのはずだ。でも。魔王のいる部屋へと続くというあの扉と、大きさも模様も作りもそっくりだ。似すぎている……。


 ドラゴンが鋭い牙で着地したばかりのユージーンを噛み砕こうとする。それをギリギリまで引き付けて、ユージーンがドラゴンの鼻先へと跳び乗った。驚いたドラゴンが頭を大きく左右に振り、腕で叩き落そうとする。ユージーンが振り落とされないようしがみつき、剣をドラゴンの目に突き立てた。

 ギャォォオオオ!!

 悲鳴を上げてドラゴンがのたうち回り、ユージーンがついに振り落とされた。どしんどしんと床を踏み鳴らすドラゴンの足を転がりながら避け、体勢を整える。

 荒れ狂ったドラゴンがところ構わずブレスを連射する。太い尾を振り回し、床に何度も打ち付ける。大広間の床にどんどん凹凸ができていく。

 唐突に、轟音が止んだ。見れば、ドラゴンが動きを止め、残った片眼でちょうど扉の前に着こうかというマギスたちを捉えている。

「逃げろ!」

 ユージーンが叫ぶ。

「え?」

 扉への既視感について考えていたマギスは、一瞬反応が遅れた。びょぉと横に薙いだドラゴンの尾がマギスを狙う。

「マギス!」

 どんっという衝撃を受けてマギスは突き飛ばされた。弱い。これはドラゴンの攻撃じゃない。何が起こった?

 見開いたマギスの目に、たった今までマギスのいた場所にいるセシリアの姿が見えた。

 直後、ドラゴンの尾がセシリアを襲う。弾かれたセシリアの身体が宙を舞った。

「セシリアぁ!!」

 マギスはセシリアを受け止めようと駆け出す。しかしその前に──セシリアの身体が未だ空中に在る間に──こちらを振り向いていたドラゴンの鋭い爪が正確に彼女の身体を襲った。

「あ……かふ…ッ」

 赤い雨とともにセシリアが降り落ちる。

 マギスが受け止めたセシリアの身体は真っ赤に染まっていた。肩から腹まで裂けて抉れている。目は開いていたが、虚ろだった。もう何も見えていないだろう。セシリアは、既に事切れていた。

 ──嘘、だろ?

「うわぁぁああああああ!!」

 マギスは悲鳴を上げた。

 ドラゴンがそんなマギスに向かって炎を吐き出す。

 灼熱の地獄がマギスを襲った。全身の血が一瞬で沸騰する。肉が焼ける、骨が溶ける。

 あまりの苦痛にマギスは絶叫し──

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