第22話 暗雲

『では、父さんはアル隊長たちと先にヘルダへお戻りください。私はシャハーダ君とシャリィ君を連れ、メルクマールへ立ち寄ります』


 ユーライアを出て4日ばかり北上し、北の国境方面と北東の中央山脈へ向かう岐路でフレッドは隊と別れる。南西部の危機が去ったことを伝え結果報告をし、そして秘術の才がある二人についての意見を聞くためだ。


『険しい地形では、竜の揺れも激しくなる。そうなったら普段のように腰を落ち着けていてはバランスを崩してしまうんだ。やや腰を浮かせて、膝を締めて内股にするイメージで。両膝を鞍にかけて、鞍に座るのではなく膝で乗るようにするつもりでね』


 山地に入ると揺れも激しくなり、慣れていなければ騎竜から転落することもある。そうさせないためにも、操り方を教えながらメルクマールへの旅路を進んだ。そのためやや行程は遅くなったものの、特に急ぎの旅でもない。もっとも、後にここでのんびりしていたことを後悔することになるのだが。


「さ、さすがに荒地は難しいですね!スーラはあまり騎竜がいない地方ですから、慣れていなくて……」


 11周期になるシャハーダはまだ一人で挑戦することもできたが、8周期の女の子には厳しかったらしく、いまシャリィはフレッドの腕の中に納まっている。


(あの子たちにも、こうして色々と教えるのが本来の務めなのだろうけど。そういう生き方を選ばなかったのだから仕方ないか。何か別の形で示すしかないな)


「フレッドさま?」


 何かを感じたのか、シャリィはフレッドを見上げ心配そうな顔を向けた。秘術の才がそうさせるのか、この子たちは人の感情に敏感すぎる。このままでは人が多い場所で生きていくのも一苦労となるのは目に見えているため、抑制する術がないかを聞くのも大きな目的だった。


『いや、なんでもないよ。さあ目的地はもうすぐだ。きっと驚くことだろうけど、心配は無用だからね』



「お戻りになられたか、英雄殿。いろいろ積もる話もあるのだろうが、夕食まではまずお休みになられるがよい。私も済ませてしまいたい作業がありましてな」


 メルクマール到着後、フレッドらはプラテーナの私室に通され挨拶を受ける。様々な魔術品が暮らしの空間に入り込んだメルクマールは、ユージェ全土はもちろん皇国でも見かけることのない独特な街であり、シャハーダもシャリィもその威容に圧倒される。しかし一番の驚異は、自分たちとさして変わらぬ年齢と思われるこの「とても偉そうな子」であった。


『う~ん、とても「偉そうで不思議な子」かぁ。君たちの勘の鋭さはさすがというべきなんだろうね。でもきっといろいろ役立つ話を教えてくれるだろうから、そう警戒せずに話をしてみてほしい』


 滞在中に借り受ける部屋に通されたフレッドは、二人から質問攻めにあった。この街のこと、ユージェ以外の世界はすべてこんな感じなのかということ、そしてプラテーナのことなど。ここでそのすべてを説明しきることはできないので、当人に聞けば済みそうな話題は丸投げするのが無難だろう。


「なるほど、人の感情を見抜く秘術とな。だが問題はその才ではなく、それが常時使われておることのほうであろうな。それは例えるなら水瓶の底に穴が開いておるようなもので、力は絶えず放出される。穴から水が流れ出るがごとく……の。そのようなことを続けていては、いずれ力が弱まり失われるのも無理はない。歳を重ねると秘術が弱まるというのは、それが理由であろう」


 夕食後に話し合いの場が持たれると、フレッドはまず二人のことを話題に上げた。先にこの話を終わらせてしまえば、二人を先に休ませることができる。その後には、子供に聞かせるに不向きな難しすぎる話もしなければならないのだ。


「急ぎの旅ではないのなら、10日ばかり留まっていかぬか?それくらいの時間をいただけるなら、力の使い方を教えることもできよう。必要な時にだけ力を用いるようにすれば、知りたくもない人の心を見せられずに済むであろうて」


 それは願ったり叶ったりである。10日というのは短くないが、それで二人の子の人生が変わるというなら断る理由もないだろう。それに戦乱はいったんの終息を見て、今は火急の時でもない。


『分かりました。二人のことはお任せいたします。では本題に入らせていただきますが、その前に……』


 フレッドは二人に礼を述べさせると、部屋へ送り寝かしつけた後にプラテーナの下を再訪する。まるで父親かのようなその振る舞いに、プラテーナは声を殺して笑っていた。


「いや、気を悪くせんでくれ。ユージェ統一の英雄にして、皇国の「銀星疾駆」こと二つ名持ちが甲斐甲斐しく子供の面倒を見ておるとなれば、どうしたって違和感は拭えぬであろう?」


 そういうものだろうか……というのがフレッドの意見だったが、言われてみれば確かにアル隊長らの視線がやや異質なものを見ている感じだったようには思える。とはいえそれはあくまで世間話であり、フレッドはさっそく大陸南西部での出来事を報告する。


「そうか。英雄殿は彼らに出会うてしまわれたのだな。私の予知でも見えなかった世界の破滅の理由……それが彼らであろうとは、迂闊であった。まだ出現には間があると高を括っておったしわ寄せがあなた方に向いてしもうた。申し訳ない」


 謝罪の言葉を聞きながら、やはりとフレッドは思う。大まかな未来の予知はできても、いつどこで何が起こるかという正確なところまでは分からないのだろう。それは今回のように「予知よりいい結果」になることあれば、下手を打つと「予知より悪い結果」となる可能性もあるということだ。


『幸運も重なり、今回は神威の者……と我らはそう呼称することとしましたが、とにかく彼を撃退はいたしました。しかし「永劫不変」なれば、いずれ彼もまた姿を現すのでしょう?』


 プラテーナは静かに頷いたが、それよりはどのようにして撃退がなったのかを聞きたがった。彼女の目標はかつての同胞の「永劫不変」からの脱却と解放。そのための研究こそ重ねてきたが、武力的に打倒するという方面で考えたことはない。彼女自身にそれが行える肉体的能力を持つ継承者がいなかったこともあるが、根本的なものの考え方として「不滅の存在を打ち倒す」などムダな努力でしかないと思っていたのである。


「彼は神霊力を封じる空間を「忌々しい龍の力」と呼び、そこで鮮血つまりは「命の力」に包まれた武器を突き立てられた……か。なるほどのう、かの華龍だけがなぜ彼らを解放できたのか長らく疑問には思っておったが、そのあたりに答えがあるのやも知れぬ」


 このことが契機となり、プラテーナは「武器に神滅の力を付与する」品の研究・開発を行うようになる。その完成品はしばらく登場しないが、試作品は後の混乱期に役立つこととなる。


『その際、父が鮮血で守られた手とはいえ神威の者を殴りつけてしまいまして。それ以来、あまり体調が思わしくないようなのです。なにかお心当たりはございますでしょうか?』


 それを聞いたプラテーナの神妙な面持ちは、フレッドに覚悟を決めさせる。明らかによろしくない話をされるのだろうということは直感したが、プラテーナはフレッドに左右の手で机の上にあった2つの燭台を持つように言う。


「人の命をこの燭台のロウソクに例えるとしよう。燭台は左右の手に一つずつの二つあり、片方のロウソクが消えてしまおうとも片方のロウソクから火を移せばまた燃える。そこまではよろしいかな?」


 フレッドは自身の手で持つ燭台を見ながら、一言「はい」と答える。プラテーナは息を大きく吸うと、さらにその先を続けた。


「世の理から外れた、神威の者……であったか。とにかく彼らに触れようものならロウソクは燭台ごと吹き飛ばされ、文字通り失われる。多くの者が彼に触れ、塵になったのはそういうことじゃ。むろん命に限らず、この世の摂理に収まりし物体ならばすべてそうなる」


 ではなぜ、父の命は吹き飛ばされなかったのか。鮮血で守られていたことが理由であることは確実だが、守られていたなら体調を壊すこともないのでは?


「お父上は、言わば片方の燭台を失われたのだ。両の手に燭台を持っておれば、最初に訊ねたと思うがもう片方に炎を移せる。だがもし燭台が一つとならば、その炎が弱まりし時に手助けしようがない。あとは……もうお分かりであろう?」


 あとは、ろうそくの炎がただ消えるのを待つのみ。炎の補充も成らず、ふとしたことがきっかけで炎が完全に消えてしまいやすくもなる。問答無用で両の燭台を吹き飛ばされ、即座に塵と化すよりはマシだといっても、ロウソク自体が失われたことで寿命が短くなってしまったことは間違いない。


「これは気休めでしかないかもしれんが、消えかかったロウソクが再び燃え上がることもあろう?そのように、何らかの理由あらば命の炎もまた……」


 そのようなことを言われても、長く生き甲斐であった武人の生も捨て去った今、何がハゼルを再燃させるというのか。その答えをつい最近に見ていたはずのフレッドだが、この時はあまりのショックで気付けなかった。



『長逗留してしまい、お世話をかけました。私どもはヘルダへ向かいます』


 メルクマールに滞在して9日。予定よりもわずかだが早い訓練完了を以って力の制御を学んだ二人を連れ、フレッドはメルクマールを出発する。命の炎の話を聞いて以来どうも胸騒ぎはしたのだが、二人を放って帰るわけにもいかず一心不乱に槍の鍛錬を続ける日々を送っていたのだ。


「ヘルダに戻った後、そう間を置かずに英雄殿は新たな局面に立ち会うこととなるであろう。それは神威の者とは直接の関係はないが、あなたの人生においては大きな分岐点となる。何が正解とは言えぬが、後悔なさらぬ道をお選びなされ」


 別れ際にプラテーナはそう忠告してくれたが、フレッドどしてはどうしてもハゼルのことが気に掛かって仕方がない。挨拶もそこそこに出発し、普通に進めば騎竜で約7日はかかろうかという行程を5日で済ませた。ヘルダに到着したフレッドは疲れが見える二人を「酔いどれ羊亭」に預けると、足早に自宅へと向かう。羊亭では義父でもあるリリアンの父ゴルドーとも顔を合わせたが、どこかぎこちない感じがする。それは何かを隠しているように思えたフレッドはとにかく家路を急ぎ、そこで目にしたものは……


「おおぅ、本当にフレイアは美人さんですのぅ~これは将来、村一番……いや、国一番の器量よしとなろうぞ!」


 なんだこの人、なにそんな猫なで声を出しているんだ。命の炎が消えかけて頭の方に悪影響が出てしまったのか――と、気を揉んでいただけに感情が一気に反転することとなってしまったのだが、入り口で茫然自失となり立ち尽くしているフレッドに気付きハゼルが声を荒げる。


「何をしておるフレッド、さっさと戸を閉めぬか!まだ肌寒い季節なのだ、この子が風邪でもひいたらなんとする!」


 その勢いに押され、フレッドはおずおずと入り口の戸を閉め家へ入る。そして目にしたのは、暖炉の前に置かれたベッド寄り添う両親とそこにに寝ていたリリアン、そして見慣れない赤子の姿であった。


『父さん、母さん。ただいま戻りましてございます。それにリリアン、これはいったい……?さっぱり状況が読めませぬが??』


 一気に情報が入ってきたため混乱しているフレッドを尻目に、ハゼルは赤子に夢中でありこちらを向こうともしない。フレッドは椅子に腰かけ頭を抱えつつ考え始めると向かいに母フォーディ―が座り、事情を話し始めた。


「あなたが出征に発った後しばらくして、リリアンに子を授かっていることが分かったのよ。たった数日しかなかったのにあなたも抜け目がないのね、お父さん?」


 そう言われて、フレッドも過去の記憶を辿る。確かに挙式後は3日ほど二人きりで過ごしたし、そういうこともした。しかしそう簡単に、あっさりとこんなことになるものなのか。それならあのブルート=エルトリオには一軍に匹敵する数の子供がいてもおかしくないではないか。


『その、ご苦労様とでも言えばいいのかな。とにかくリリアン、君が元気そうで何よりだ。それにその子も……』


 フレッドは横になっているリリアンに声を掛けると、彼女は上体を起こし挨拶を返してくる。その顔は最後に見た300日ほど前の時より、女性らしさが増したように思えた。


「おかえりなさい、フレッドさん。ご無事に帰還なされて本当に良かった。もう少し早く、お父様とご一緒でしたら……フレイアの誕生にも間に合いましたのに」


 娘の誕生はちょうど7日前で、ハゼルたちがヘルダに帰還したその日であったという。誕生までにフレッドが帰還したなら子供の名前を一緒に考えようと思っていたのだが、間の悪い事にフレッドは寄り道をしてしまう。そのため、リリアンはフォーディーと相談しフレイアという名をつけたのだ。


『そうと分かっていたなら、私も所用は後回しにしたのだけれどね。それにしても私は本当に運が悪いのか、それとも子の誕生には立ち会えぬ運命なのか……』


 フレイアの誕生には立ち会えず、その前の二人にも立ち会うことはなかった。一つの村や街で生活する生き方をしてないのだから仕方のない話ではあるが、こうも続けば何か超常的な力が働いているのではと思いたくもなる。


「元気な子を授かったことはもちろん喜ばしいですけど、ゴルドーの家には男児がいなかったもので……両親はぜひ男子の孫をと熱望しております。もし次のお子が授かるようでしたら、その時は立ち会ってくださいね?」


 控えめではあっても積極的なアプローチに、数々の死線を潜り抜けた歴戦の勇将もひどく赤面したが、これは幸せな事なのだろうとも思う。世の中には望んでも子を授からない夫婦がいて、それ以前に結ばれることなく世を去る者もいるのだ。それを考えれば、なんと恵まれたことか。


『そうだね。残念ながらそう遠くないうちにまた忙しくなってしまいそうだけど、次は立ち会えるように努力するよ。ゴルドーのご両親のご期待にも添わないといけないからね』


 フレッドはフレイアを抱いているハゼルを見て、プラテーナの言葉を思い出す。何か命の炎が再燃するきっかけさえあれば、寿命も延びるかもしれないのだと。


『父さんも母さんも、フレイアが大きくなるまで見届けてあげてくださいよ?国一番の器量よしになるところを』


 ユーライアでグロウリィとグロリアに会った際も、ハゼルは活力を取り戻したように見えた。ならばフレイアにもその力はあるはず。そしてその読みは正しかった。


「おう!こうなった以上は簡単に死ねるものか。この子が育つまでは、天のお迎えが参っても追い返してやるわぃ!」


 その姿に、神威の者と戦った直後の疲れ切った面影を感じることはない。ハゼルの命の炎は確かに再燃し、尽き掛けていた寿命は延びたのである。



「フレッドが戻ったそうだな。帰還早々、しかも子まで生まれたのに済まないとは思うが、事が事だ。急ぎ使いをやって呼び出してくれ」


 そのようにブルートが頭を悩ませているザイール辺境州の州都ザイラスの城では、一つの大問題が発生している。それは首都シルヴァレートからやってきた、思わぬ客のためである。


「まさか、このようなことになろうとは。ユージェの逆撃に備え、我らがザイールに留まっておったのは天祐ということなのであろうか……」


 そう絞り出すような声で唸ったのは、皇国軍重装騎兵団「破城崩壁」団長のアウデン=ダインスト伯。彼の一団もザイール側からユージェ領内に侵攻したが、ザイール側の北部分隊は特に大きな戦闘を行うことなく退却している。その行動を批判する者も当然いたが、戦争自体が敗北で終わったため結果的には「先見の明あり」と皇帝アヴニールに賞賛されることとなった。


「ウェルテの野郎!腹黒でいけ好かねぇロクでもない奴とは思っていたが、まさかそこまでやりやがるとはな!絶対に許さんぞ!!」


 ブルートが怒り狂うのは、2日前に到着したシルヴァレートからの客……皇帝アヴニールの妹アヴェリア=レ=シア=シルヴァンスが執事ヘッパーと二人だけで訪れたことで、シルヴァレートでの事件を知ることとなったからである。


「皇帝弑逆……ですか。またずいぶんと大胆な真似に出たものですが、ウェルテ=グノーはそこまで追いつめられていたと?」


 ダウラスの質問に執事ヘッパーが答える。曰く、グノー副宰相は性急で無理のある討伐計画を立案し、強行した挙句の大敗に責任を問われており、厳しい沙汰は避け得ぬ状況にあったのだと。アヴニール自身も責任を取り退位するが、同時に討伐作戦に賛同した保守派の貴族もすべて国の中枢からは外れるようにと内々に命じたのだ。聡明な改革開放派たる皇帝アヴニールは討伐作戦の失敗を予見しており、作戦が失敗した場合は保守派を道連れにしようと考えていた。


「それで、どうせ破滅するならと最後の大博打に打って出たのネ。人間、追い詰められたら何をしでかすか分かったもんじゃないヮ~」


 独特の話し方をするマレッドの言にヘッパーの眉がわずかに動いたが、その程度で感情を露わにしていては執事など務まらない。しかも内容自体はまさにその通りで、ケチのつけようもない。


「お兄様は、最後にこう言い残されました。シルヴァレートを出てザイールに向かえと。そこにはエルトリオ辺境伯やアウデン団長、それに「銀星疾駆」もいるから彼らを頼れと。生憎「銀星疾駆」殿はお見え出ないようですが」


 皇帝アヴニールの妹にして、皇位継承権1位のアヴェリア=レ=シア=シルヴァンスは妙齢の女性である。女好きで名高いブルートも、不敬であるし可憐すぎて手出しする気も起きぬと言わしめたほどの美貌だが、それゆえに彼女を狙う貴族も多い。首都に残れば軟禁された上で婚姻を強いられ利用されることは目に見えており、アヴニールはウェルテに叛意ありと知った時点で妹を逃がす決意をする。そして自身を囮にし、妹を逃がし命を落したのだという。


「あいつ……ではなく「銀星疾駆」めは所用で出ておりまして。すぐに馳せ参じますれば、何卒お許しいただきたく」


 もしフレッドがこのような事情で呼び出されたと知っていたなら、おそらく死んだふりをしてでも登城を拒否しただろう。しかし不幸なことに真実は知らされず、そしてユージェの戦乱においてはブルートに借りもあった。その礼も述べねばならぬと思いザイラスへ駆けつけたのだった。



『アヴニール陛下がそのようなことに……小物は我欲で行動することは、どうも大陸のどこでも共通しているのですね。まったく嘆かわしい限りで』


 どこか淡々としてはいるが、フレッドも内心では本気で惜しい人物を亡くしたとは思っている。ただし皇国出身ではないフレッドにとってアヴニールはあくまで「優秀な人物」という存在であり、一般的な皇国民の価値観……つまり「偉大な皇帝」に刃向ったという意味での怒りはない。


「ああ。お前の言う通りだ。それでな、話というのはアヴェリア殿下も陛下の仇討ちを望んでおられてだな……」


 やはりそう来たか――フレッドの最初の感想はそれだったが、次に頭をよぎったのはプラテーナの忠告である。彼女は「次の問題は神威の者とは無関係だが、あなたの運命には大きく関わる」と言った。そして「後悔しない道を選べ」とも。自分が後悔しない道というのは、この場合どれになるのか。


『まあ、ここで二人だけの密談をしていてはあらぬ疑いも掛かりましょうし。どうせなら皆さまの前ではっきり方針を定めたほうがよろしいのでは?』


 場合によっては「ブルートがアヴェリアを利用するため拉致した」などという話が持ち上がってしまう可能性もある。そうさせないためにも、アヴェリアも含めたすべての者の前で話をまとめねばならないのだ。


「……というわけで、俺はアヴェリア殿下の願いと陛下の御信頼に応えたいと考えている。が、当然これは俺一人では成し得ない。もし協力できないという者あらば遠慮なく言ってくれ」


 ザイール政府関係者でも、この時に初めて皇帝弑逆の件を知った者も少なくない。それほどに急な話ではあるが、皇帝アヴニールがザイールには好意的だったこともあり、仇討ちに協力すべしという雰囲気が大勢を占める。さらにアウデン団長も仇討ちに同意したため、意見はまとまると思われたが……


『私は賛同いたしかねます。理由はいくつかございますが、お聞きになりますか。臆病者の恩知らずが何を言おうと関係ない、と申されるならこのまま帰らせていただきますとも。妻と生まれたばかりの子が待っておりますので』


 フレッドに言わせれば「貴様ら国を二分する大乱を招きかねない状況で、その場の雰囲気で気軽に決めるんじゃない」となるのだが、頭を冷やしてもらおうとあえて選んだ言葉は当然のように敵意を招いた。


「その言い分はなんだ、亡き陛下に過分な思し召しを受けておきながら!」

「少しばかり腕に覚えがあるからと言って、調子に乗るなよ!」

「口を慎め。不敬であろうが!」


 そんなことを言われても、自分には「皇室」を敬う気なぞ欠片もない。亡き皇帝「アヴニール個人」ということなら、もちろん敬ってはいた。しかしその妹にまで忠を尽くさねばならぬ義理などない。


『陛下に過分な思し召しを受けた方がこぞって叛逆したから、このようなことになっておるわけでして。それにこの国が忠臣で溢れていたなら、今頃は仇討ちの軍が興っていてもおかしくはないはずでしょう。このような状況下でザイール辺境州だけが蜂起して、本当にシルヴァレートの謀反人どもを打ち破れるとお考えなのですか?』


 フレッドの言葉に、反論できる者はいなかった。確かに、首都から遠い各地の辺境州なら皇帝死去の報は入っていないかもしれない。だが首都シルヴァレートには精鋭重装歩兵団「護国奉盾」も駐留しており、皇国の守護者にして皇室最大の信奉者とされる彼らが行動を起こしていないのは不自然である。考えられるのは、彼らですらも叛逆に加担したということだ。


『エルトリオ伯やアウデン団長、そして僭越ながら私めに亡き陛下が託されたのは、アヴェリア殿下の行く末でありましょう。勝ち目があるかも分らぬ戦いに殿下を巻き込み、仮に敗北を喫しでもすれば……それこそ陛下へ顔向けできぬでしょうに。皆さまはそこまでお考えの上で蜂起を望まれておるのですか?』


 もはや独演会の様相を呈してきたが、フレッドは構わず話し続けた。ここで選択を誤れば、せっかくユージェで抑えた大規模氾濫がこの皇国でも起こりかねない。そのようなことは、皇国だの皇室だのという話ではなく看過し得ない。


『ですので、せめて勝ち目を見出してから戦をご決意なされたらいかがです。やるべきことはいくらでもありましょう?例えば、エルトリオ伯とは旧知の仲のヘイパー伯らに話を持ちかけるなどです。グロウ=ランサム殿は私も知らぬ仲ではありませぬが、伯もアヴニール陛下の忠臣でありました。その彼が起たぬのは陛下のことを知らぬか、知っていても単独では勝ち目がないと分かっておるからに違いありませぬ。まずはそういった方々を糾合されるべきでは?』


 もうだんだん面倒くさくなってきたフレッドは、言いたいことだけ言って部屋を後にする。背後の部屋ではいま聞いた話をあれやこれやと検討し始める会議が始まっているが、これで無用な犠牲もいくらかは減るのだろう。我ながらいい仕事をした、などと悦に浸りつつ騎竜の準備をしていると、フォンティカがフレッドを呼びに来た。


「あの、フレッドさん。ブルート様がお呼びです。二階のテラスで待つと……」


 ブルートがどのような用件で呼んでいるかは想像つくが、だからといって無視してヘルダへ帰るわけにもいかない。それにブルートも苦しんでいるのだということは分かる。仇討ちはしたいが、現実的に考えると蜂起はしないほうがいい。理想と現実の板挟みになっているのだろう。



『あなたもなかなか、難儀な運命の下に生まれたようですね。私が人のことを言えた義理じゃありませんが』


 城の二階にあるテラスはすでに傾いた日でほのかに赤く染まっていた。ここはブルートのお気に入りの場所でもあり、よく姿を見かけると評判の場所でもある。忙しい政務を抜け出しては、ここでサボっているところをテアらに見つかり連れ戻されることの方が多かったが。


「まあな。だが確かにお前ほどじゃないさ。ところでユージェの方はどうだった。目的は叶ったのか?それだけ聞いておこうと思ってよ」


 それだけ……というのは嘘だな。自分にはスーラの子らのような力はないが、それくらいは付き合いの長さから察することもできる。


『ご存知と思いますが、私には皇室に忠を尽くす理由がありません。亡き陛下にはご恩もございますれば、何らかの形で恩返しせねばとは思います。が、それは本当に戦争で勝つことだけでしか達成できぬのでしょうか?』


 実はこの会話を聞いていた者がいて、それが後に問題の種となってしまうのだが、お互いを説得しようと試みていた二人はそのことに気付けなかった。


「ああ、分かっている。だが先ほどの話し合いでお前も感じただろう。みな戦意は十分だが、戦略的思考をできる者がいない。俺やアウデン団長も含めてだ。戦うことに後れは取らんよ、たとえ相手が「護国奉盾」であろうともな。しかしそれだけでは勝てぬことも重々承知している」


 それが分かっているのといないのとでは大違いだ。しかし分かっていない人間を従えても、いずれ関係は破綻する。それはユージェで身に染みていることだ。


『この戦いが終わった時、おそらく私はこの地を去らねばなりますまい。私が勝利をもたらすとすれば、それはそういう代価が必要となるものなのです。しかも勝った後には手を貸せぬという無責任なやり様ですが、それでも構いませんか?』


 劣勢を挽回し勝つためには手段を選べず、手段を選ばなければ反感も買うだろう。それを積み重ねて勝利を得た時、反感も最大に至り自分を憎む者が味方からも出てくるに違いない。結局のところ、自分は一所には留まれぬ流れ者であり続けるのだ。ならばこの道は自分にふさわしい、後悔しない道なのではないかとも思う。


「そうはさせぬよう、俺も最大限に努力するさ。なぁに、ここザイールで勝った時もお前はこの地を去らずに済んだじゃないか」


『まあ、政権からは追い出されて村人暮らしを満喫できましたけどね。もっとも、おかげを持ちましてあの時分に妻とも親交を深めたわけですが』


 これくらいの皮肉は許されて然るべきだろう。フレッドにとってブルートは軽口を叩き合える唯一の相手なのだから。


「そういやお前、新婚生活はほんの数日でユージェに行ったんだろ?それでよくもまあ……そうか!英雄殿が百発百中なのは弓だけじゃないってか!ハッハッハ」


 絶対にそういうからかわれ方はするだろうなと思っていたが、ブルートはフィーリアとのことは知らない。知っていたらもっと苛烈にいじられるのかと思うと、あの二人の子のことは墓に入るまで秘密にせねばなるまい……そう心に決めつつ、また新たなる道への歩みを始めるフレッドだった。



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