第20話 威を示す神

 それは、かつて人だった。彼らが長い研究の末にたどり着いた答えは、自身を世の理から外れた存在に変えることで永遠を手に入れる法である。それを見出した人々は当然のごとく歓喜した。これでもう、有限の命に悩まされることはないと。しかし彼らは大きな思い違いをしていたのだ。思う存分に生き、それすらも飽きたら自分の意思で死ねるものと思っていたが、実際はそうではなかった。世の理から外れるべく作り替えられた体は、もはや自らの意思で命を絶つ自由も奪い去ってしまう。


《これは慈悲なのだ。滅ぶことができることの幸福を感じ、消え去るがよい》


 そして彼らは多くの世界を創り、ある者は自分たちを破滅させ得る存在の登場に期待した。別の者は、滅べることを羨みながらその世界を滅ぼし満たされない想いを慰めようとする。だが大半の者は心を閉ざして考えることを止め、動かぬ石像のようになり果てた。そのような者たちは、まだ活動を続ける同胞の手により世界の創成時に方々へ埋められる。物言わず、動きもしない彼らでも滲み出る「永劫不変」の力は世界に活力を与え続けることが出来るからだ。湧き止まぬ水、衰えることのない火山、活力を失わぬ大地などはすべて埋められた者たちの影響によるものだ。その御業は神の名に値するものといえる。


《この世界もまた、神を討つ力を持つには至らず。滅びの後に訪れるであろう、新しき世界の礎となるのだ》


 創造主である以上、破壊もまた自由。彼らにとってはごく自然の、当然かもしれないその意見も、作られた側の意思としては受け入れるわけにはいかない。お前たちは失敗作だから消えろ……と言われて大人しく消えてやるわけにはいかないのだ。



『まずは突撃隊と合流し、あの敵への対処法を検討する。あちらから手を出してこない限り、こちらから攻撃はせぬよう。今は少しでも時間が欲しい!』


 ようやく間道を抜け平原へ出たフレッドはそう指示を出すと、まずは部隊の集結を図る。数を揃えれば勝てるというような相手ではないと本能が訴えているが、だからといって一人で打倒できるとも思えない。


「何を言っているか分からんが、怪異から出てきた以上は同類であろう。敵は一人だが、遠慮はいらん。攻撃を集中し一気に叩き潰せ!」


 連合軍の一部隊が弓兵隊の一斉射撃を仕掛ける。正体不明の敵にいきなり接近戦を挑む気にはならなかったのだろうが、矢の雨に降り注がれた怪異の存在には奇妙な光景が見受けられた。直撃すると思われた矢はすべて、塵となって消えたのである。


「射撃を無効化する術でも使うというのか!仕方がない、騎兵隊で突撃をかけよ!」


 指揮官がもう少し冷静なら、術を無効化する「搦手無用」の赤光空間で術の類が使えないことに気付いたであろうが、一斉射撃がまるで効果がない点に浮き足立ちそれどころではなかったのだろう。そして騎兵隊が殺到するも、長槍はすべて塵となって消えてしまい、竜で体当たりし打ち倒そうとした騎兵も同じように消滅する。


「人も、竜も塵になっちまったぞ!」

「いったいどうなってやがるんだ!人を食うとか、そんなんじゃねえ。あれは……」

「まるで湯に塩が溶けるみたいに人が消えるなんて!」


 あまりの出来事に兵は動揺し混乱した。それは巨大怪異の猛威どころではなく、逆にあまりに静かすぎる異変がより恐怖を掻き立てるのだ。フレッドもその様子を見ながら移動していたが、表面上は平然でも内面はそこまで冷静ではいられない。


(くっ!なんということだ。あの発言からして、かの者が「永劫不変」の存在であることは間違いない。が、世界の破滅までまだ猶予があったはずではないのか。打倒する方法は確立されておらず、手掛かりすらない状況で遭遇してしまうとは!)


 人がいつかは対峙せねばならない相手。それは分かっていたが、いつ挑むかはこちらの準備次第だと思っていたところはある。この世界だけ見ても1000周期以上の時間的猶予があり、数十周期くらいはごくわずかの時間であるはずだ。自分の務めはそのごくわずかな時間で何かしらの手がかりを得て、それを後の世に託すことくらいだと思っていたのに。


『皆、心して聞いてほしい。あの敵の目的は世界の破壊。伝承にある第一~第四界のように、世界を葬り去るために現れた神に等しき存在と思われる。打倒せねば世界は終焉を迎えるだろうが、情けないことに私はあの敵と戦う術を見出すことができないでいる。だが……』


 ――戦わなくても滅ぶのなら、戦って勝つ可能性に賭けるしかないだろう。フレッドの言葉は続かなかったが、どう続けたかったかは全員が分かっていた。勝ち目が薄い、負ける戦いをするはずがない……と思われていた主が初めて見せた、覇気のない言葉だったがそれも仕方のないこと。初見で勝機を見出すのはあまりに困難な、常識はずれの相手ということは誰の目にも明らかだった。


「……ならばこの戦い、ワシに譲ってもらうとするか。神に等しき者に挑むなど、これ以上の誉れもないであろうからな。武人としての最後を飾るにふさわしい!」


 そう告げたハゼルの言葉にも、フレッドたちは沈黙で答える。そもそも武器が当たらない相手を、どうして討ち取れるというのか。戦うにしても何かしらの方策を見出してから、というのが大方の意見だ。


「そう、それよそれ。敗れればもちろん、仮に勝ち得たとしても、不滅たるあの者と次に戦うのはワシ以外の誰かとなろう。ならばお前たちはこの戦いをしかと見届け、後に戦う際に用いる術を見出さねばならぬ。分かるな?」


 謎が多くどう戦えばいいかも分からない相手だが、戦っていれば何かが分かるかもしれない。そしてそれを積み重ねていけばいずれは打倒し得るかも知れないのなら、一番手は武人としての生を終えようとしている自分がゆくべきであろうとハゼルは言っている。言い分は理解できても、納得はできないフレッドが反対するが、ハゼルは聞き入れようとはしなかった。


「有限の命ある者で、老いた者から死ぬのだとしたら……それは正しい流れの話であろう。少なくとも、若人が散って老人が生き残るよりは。事ならずすべてが滅ぶのだというなら、せめて最後くらいは正しき流れの中で滅ぼうではないか」


 そう言われては、もうフレッドも反論のしようがなかった。やはり父は、兄に先立たれたことを今でも悔いているのだ。父が子を見送るなど、順序が逆であろうにと。打倒が叶わず滅びを迎え、ほぼ同時に死ぬのだとしても、その順序だけはもう逆転させぬ。ハゼルの強烈な意思と覚悟が伝わってきたのである。


「まあ任せておけ、これでも闘神などと呼ばれた身じゃからの。神っぽい者同士、それなりの戦いはして見せるわ。お前たちはかの者の一挙手一投足から目を離す出ないぞ。どこに勝機が潜んでおるか分からぬのだからな!」


 そう告げると、ハゼルは物資の補給手段についていくつかの頼みを残し怪異の前に進み出る。その姿を目にした周囲の部隊からはどよめきが起こった。


「あれはユージェのクラッサスか?国を出たと聞いたが……」

「いくら闘神でも、武器が利かない相手に勝てるはずがない」


 当然だが、その反応は悲観的なものばかりである。若かりし頃から戦場でそのような目を向けられたことがないハゼルは、ある意味で新鮮な心持ちである。


「我、武人の魂を示す者……名をハゼル=アーヴィンと申す!世に破滅をもたらさんとす、神威の者にお挑みいたす所存!」


 そう前口上を述べるとハゼルは右手を挙げ、フレッドらにを送る。その合図を皮切りに、部隊は一斉に手持ちの武器をハゼルと神威の者の間に投げ入れた。両者の間には数えきれない剣や槍、手斧に短剣といった武器が地面に突き刺さり、さながら武器の林が生成された感がある。


「挑むは我、されど戦うはこの場にいるすべての者たちよ。一騎打ちとは申せぬ在り様ではあるが、よもや卑怯だなどとは申されますまい。世界すべてを敵にし滅ぼさんとする貴方であらば!」


《何をしようと滅びの定めは覆らぬ。藻掻き足掻き、なお至らず、失意のうちに滅ぶもまた美しい》


 その言葉を聞き、口元に笑みを浮かべたハゼルが猛然と前に出ると、刺さっていた剣を引き抜き神威の者へ向け投げつける。それは赤光空間にあって赤く煌めき、陽光が差し込むかの如く神威の者の突き刺さるかと思えたが、剣はやはり命中前に塵となってしまう。


「まだまだこれからよ!当たらぬなら当たるまで続けるのみ!」


 神威の者はハゼルの投擲を意に介することもなく、ひたすらハゼルに触れようと最短距離を歩み寄る。ハゼルは神威の者を中心に円を描くように移動しつつ、地面に刺さった武器を抜いては投げつけた。そして地面に刺さる武器がなくなれば合図を送り武器を投げ入れさせたが、投げ入れられる武器は次第に増えていく。フレッドたち以外の連合軍部隊も、同じように武器を投げ入れ始めたのだ。


『今のを見ましたか?今の剣は、塵になるのが少し遅かったような気がしましたが』


 それは、言われなければ分からないような微妙な変化。だが確かに、次々と投げつけられる武器のいくつかは塵になるのが遅いように見える。もっとも、なぜそうなるのかという疑問については不明である。武器の質が影響しているのかとも思ったが、非常に使い込まれたであろう傷だらけの一振りが塵になりにくかったりもする。


「理由には皆目見当が付きませぬ。ですがそれとは別の問題として、そろそろ補充の品が底をつきましてございます。いかがいたしましょうか?」


 アルはそう報告すると、フレッドに対応を求めた。今のところは別の連合軍部隊から武器の供給が行われているが、それもいつまで続くかは分からない。さすがにここまで武器が消費されていくというのは想定外だった。


「その件については、部下をユーライアに走らせてある。間道の敵もあらかた討ち果たしておるようだし、いずれ輜重隊がやってくるはずだ。しかし闘神殿もさすがと言わざるを得ぬが、それを意にも介さぬとは……あれはいったい何者なのだ?」


 それは近くにやってきたペルゼ将軍の発言である。戦いが始まった直後に、次々と投げられては塵と化し消えてゆく武器の林を見ていた彼は、すぐにユーライアへ使いを出したのである。フレッドは戦いの観察に集中していたせいもあり、そこまで気は回らなかったのを助けられた形になる。


『ご配慮に感謝いたします。して、先ほどのご質問ですが……あくまで予想の範疇でよろしければ、あれは世界の創造主とも言える者の一人でしょう。どうやら自分たちを滅ぼしてくれる存在を求めているらしく、有体に言えば我らは失格。そして今は不合格品が廃棄処分にされる状況というわけですな』


 戦いからは目を離さずに説明するフレッドを見ながら、ペルゼは思案に暮れる。そう説明されても考えが追い付かないのは、フレッドが自分の知り得ない何かしらの情報を得ているからだということは分かる。しかし神にも等しい創造主と戦って、勝とうという考えは理解しようもない。


「勝てるとお思いなのか、あなたは……」


 その質問に対する答えは「どうせ滅ぶならやれるだけのことをやる」というものだった。あの者が単体でどう世界を滅ぼすのかは分からないが、あの者が在るところに先ほどの巨大芋虫のような怪異が出てくるのだとすれば、世界は間違いなく破滅するのだろう。世界のどこにも逃げ場はなく、戦って勝つ以外に生き残る道はない。これがそういう性質の戦いであることをペルゼは感じ取った。


「先ほど、闘神殿はこう申された。対峙するのは自分一人でも、戦うのはこの場にいるすべての者だと。私も戦いましょう、出来る範囲で」


 こうして、また一人「観察仲間」が増えることになる。そしてもう一人が、ユーライアから装備を運んできたころには、戦場に武器以外に食料の食べ残しや酒瓶、水袋の類も目立つようになる。相変わらず、戦いの最中でもハゼルは飲食を怠ることはできなかったのである。


「やあ。道すがら報告は聞いていたが……あれはいったい何なのだろうね。クラッサス様の攻撃すら通用しないとは、想像を超える恐るべき相手だ。運ばせた分で足りるかも怪しくなってきたから、急ぎ追加を用立てるとしよう」


 連合宰相・マイアー=ベルトランが戦場に出張ることは極めて稀だが、斥候の報告を聞いてもまるで状況が把握できない。ならば自分の目で確かめようと、ペルゼの補給要請を受けたついでに出てきたのだ。


『先生!私どもはあの敵をいかにして討つべきか、その方策を模索しているところにございます。今のところ、武器によっては塵になりにくいものもある……ということが判明しただけでして』


 フレッドの話を聞き、マイアーの目は鋭くなって戦いへと注がれる。見たところ、ハゼルが投げた武器はどれも威力的にそう変わるとは思えない。少なくとも威力で無効化されやすさが変わるのではないことは読み取れる。次に注目したのは武器の形状で、例えば刃で斬り裂く武器よりは槍で貫く……ないしは重さで打撃を与える武器のほうが、あの鎧のような外見からして有効打になりやすいのではないか?


「ダメだね。威力でもないし武器の形状もあまり関係はなさそうだ。急ぎかき集めたユーライアからの補給品は市井のものも多いから、さらに期待薄か」


 第二次補給隊が到着するまでの間、投げ入れられた武器は粗末なものも多かった。中には料理店で使われていたであろう大型の包丁や、屠殺業者が使っていた棍棒の類まで存在する。そんなものでも、手に持てるなら何であろうと必殺の一撃に変えられるのがハゼルの強みではあるが、当然そのようなものに誰も期待はしていなかった。


『⁉……いま確かに当たりましたか?何の変哲もない棍棒のように見えましたが、なぜあんなものが?』


 それは何百本目かも分からないほど投げ続けた結果によるもの。ついに神威の者に掠ったそれは、武器としてはお粗末な棍棒だった。それよりも質のいいハンマーなどはさんざん投げつけられてきたが、それらが当たることはなかったのにこのような棍棒が当たったことには、意味があるとしか考えられない。


「長時間の戦いで、無効化の力が弱まったのでしょうか?」


 ベタルの意見は、もっとも妥当な線をいったものである。特別な武器でもない棍棒が当たったのは、武器ではなく相手に問題があったと考えるのが自然だからだ。


「しかしその後は、これまでと同じように無効化されています。なので別の理由があると考えるべきでは?」


 グァンの意見は、命中後の挙動も確認した上でのものである。確かに当たったのはあの一撃のみで、それ以降はやはり無効化されてしまっている。相手が気を入れなおしたのか、それとも武器に何かの理由があったのか。それは今だ不明のまま、戦いは新たな展開を迎える。



《人の子がよくやる。だがいい加減、この座興にも飽きた。忌々しい龍の力も不愉快であるしな》


 そう告げると神威の者は足を止めた後に巨大な針のような両腕を腰だめに構え、その後ハゼルへ向けて突き出す。届くはずがないと思われた距離から繰り出されたそれは伸び、ハゼルを貫くかと思われたがハゼルは間一髪で避ける。避けたさらに奥で戦況を見守っていた部隊の一部を塵に変え、腕は元に戻った。


「……なるほど。ようやく追いかけっこは終わり戦う気になって下されたか。そう来なくては面白くありませんからな。手を出さぬ相手へ一方的な攻撃を加え勝ったのがあの男の最後の戦いであった……などと言われてはたまりませぬわぃ!」


 そこからはハゼルと神威の者がお互いに投擲と伸長する滅びの腕を交わす戦いとなった。腕は神威の者の体が夜空のように仄暗いこともあり、赤光空間に映えよく見えた。そのためハゼルの体を捉えることはなかったが、窮地に陥るケースも見受けられた。それは片側だけを伸ばすと思われていた腕部を、左右同時に乱れ突きをするかの如く伸ばした際である。


(右下、左中、右上、左下、中央、左上、右中、左中……の繰り返しか?)


 フレッドは横から冷静に観察できたが、ハゼルはそうもいかない。両手に持った武器を自身の前方に突き出し、塵となった武器が消えた場所で伸びてくる腕の軌道を読むのが精一杯だったが、怒涛の突き連打をどうにか掻い潜る。


「触れば滅ぶと分かっている攻撃を紙一重で避ける。このような緊張感は久しく味わうことなどなかったものでしてのぅ。つくづく生きているのだと実感するものよ!」


 ハゼルはそう口には出すが、さすがに疲労の色は見え始めている。夜半に開始された一連の作戦だが、すでに夜は明け始め空は白み始めている。序盤こそ間道での戦いで出番はなかったが、もう十分に戦い続けているのだ。


「まずいな。そろそろユーライアからの武器も途切れる。撤退の時間を稼ぎ、その間にクラッサス様を下げさせた方がいいかもしれない。あそこまで渡り合える御仁を使い捨てにするような真似は、するべきではないと思う」


 マイアーの言うことはもっともだが、おそらくハゼルはその策を受け入れないだろう。自分から戦いを挑み、勝てそうにないから逃げる……などという選択肢は生粋の武人にはないのだ。とはいえ、これはこの世界と知的生命の存亡を賭けた戦いでもある。個人の想いなどは二の次、という意見も当然だろう。


『完全に夜が明けたら「搦手無用」の効果も切れます。それがあの者にどれほど影響あるかは分かり兼ねますが、先ほど確かに「忌々しい力」と申しておりました。勝負を水入りにするならば、完全な夜明けを待ちましょう。父もそれならば受け入れて下さるはずですので』


 フレッドはそう妥協案を提示したが、結局その案が採用されることはなかった。いつ果てるとも分からぬ戦いは、意外な転換点を迎えることとなったからである。



 もう夜明けも間近、朝を迎え活動を開始した獣や鳥も多く見受けられる。それらの鳥獣も、戦いの意味は分からずとも両名の決戦を見届けている……ように見えたが、狙っていたのは戦場に転がっている食べかけの食料である。戦いながらの食事を余儀なくされたハゼルはお世辞にも行儀よい食べ方はできず、一口二口を齧っては捨てるということもしばしば。肉や果物など、めったにありつけないご馳走が転がっているとなれば、鳥獣が集まってくるのも無理はない。


(武器の補充もなくなってきたか。ある程度の情報は得られたし、ここらが潮時ということなのだな。武人としては、自らの意思で挑みし相手に背を向けるなど断じてあり得ぬことじゃが……)


 実際に追加できる武器が底をついたということもあるが、これ以上の戦いは不可能であるという判断も理解はできる。自分も、これが最後と思えばこそここまでの無理をすることもできた。ここで引けば、もう自分がこの敵に挑む資格はないと思うが、それでもいいのだろうとも感じる。やれることはやりきり、多少なりとも情報は引き出せたのだから。そのような考えを巡らせながら放たれた最後の槍、この戦い開始からの通算で1247投目となるそれは、赤光ではなく陽光を煌めかせながら神威の者へと向かう……はずだった。


(!……考え事をしておったせいか、地面は見落としておったわ。しかしまったく、間の悪い奴もいたものじゃな。すまぬとは思うが、恨むでないぞ……)


 ハゼルが投げた槍は、地面に落ちていた果物を漁っていた鳥たちの頭上を通る軌道で投げられた。強烈な風切り音を伴う槍に驚いた鳥たちは一斉に飛び立つが、それがかえって槍の軌道上に飛び出す結果となる。数羽が槍に貫かれ、刺さったまま槍は神威の者へと向かった。


《グゥアァァッ!》


 それは、今まで聞いたこともない苦悶の声。槍は確かに神威の者の左肩口に突き刺さり、突き抜けた部分からは黒い霧が飛び散るがごとく吹き出す。出血と呼ぶにはあまりに奇妙な光景だが、何かしらの痛打に至ったことは間違いない。


「今のを見ていたな、フレッド!」

『はっ!この目でしかと、見届けてございます!』


 槍がなぜ刺さったのかはいまだ不明。しかしどうすれば攻撃が通るのかは見えた。命あるものを塵へと返すのなら、命を壁にし武器を守り刃を届かせればいい。鳥たちを貫き血濡れの穂先となった槍が突き刺さったのは、そのような理由なのだろうと直感した。


「そうか!当たった棍棒は屠殺業者が多くの命を奪ってきたもので、おそらく血もしみ込むような品だったに違いない。まれに消えるのが遅い武器があったのも、手入れが悪いなどの理由で血糊が残っていたような代物だったのかもしれないな」


 これまでの情報をまとめ、至ったマイアーの答えは正しかった。しかし問題はこれからである。武器を当てる術を得たからといって、まだ勝てたわけでもない。付近の鳥獣を捕獲し、貫いてから攻撃を開始するなどの案が検討され始める。


「この機を逃せば勝利はなかろう!ならばフレッド、ワシの掌を射貫け!ワシ自身の手でこの戦いに決着をつけてくれるわ!」


 そう指示すると、ハゼルは左腕を高く上げる。一方の神威の者は黒い霧の噴出が弱まりつつあり、平常を取り戻しつつあるように見えた。ハゼルの言うように、この機を逃す術はないのだろう。


『では、一射にて必ず。後はお任せいたします……』


 フレッドは弓を構え、矢を番え狙いを定める。普通に考えれば、遠く離れた対象の手を狙うなど神業の領域だが、この場の誰一人として外す可能性は考えていない。呼吸を止め、風も止まった瞬間に矢は放たれ、ハゼルの左手の甲を貫いた。


「おう!さすがの腕前じゃ。後は任せぃ!」


 ハゼルは左の手の平から突き出た矢を抜かぬまま神威の者へ突進する。神威の者は近づくハゼルを右腕で薙ぎ払おうとするも、勢いもなくただ動かしただけという感のあるそれは簡単に避けられた。そして懐に入り込んだハゼルは、矢が突き出た手の平を、下からかち上げるようにして喉元に叩き付ける。


「手応えあった!この勝負……もらったぞ!」


 神威の者の喉を貫いた矢はハゼルの手の平から折れ、喉に矢が刺さった状態で神威の者は宙を舞う格好となった。ハゼルを上回る長身の神威の者だが、ハゼルは不思議と重さは感じなかった。それはハゼルが類まれな怪力の男だったからではなく、実際に見た目とは裏腹の軽さだったからである。ゆえに、宙を舞った神威の者が地に落ちてきた際も、綿毛が舞い落ちるがごとく静かなものであった。


《人の子に、敗れるなどと。だが我は死なぬ。いや、死ねぬのだ。すぐに復活し、そして同じ時を繰り返す。だが我が次に気付いた時、我はお主を覚えてはおらぬしお主も生きてはおらぬであろう。我らと人とでは、時の流れが違うのだ……》


 数千、数万もの時を不変のまま過ごしてきた者たちにとって、すぐというのは人にとって長い時なのだ。さらに「不変」である以上、今回の敗北を次に生かすことも戦いの記憶すらも残らないまま、最初に「不変」となった状態からやり直すことになるのだ。それは呪縛以外の何物でもない。


《次に我が現われし時、お主のような人の子がいるわけもない。結局、破滅の時が幾ばくか伸びただけで結果は変わらぬ。残念であったな》


 倒れた自身に歩み寄ってきたハゼルに、神威の者が語り掛ける。今でもハゼルに不意打ちをかければハゼルを塵に変えることはできただろうが、それをする気は毛頭なかった。ただ消されるだけの存在が牙を剥くだけでも異常だが、あまつさえ創造主に打ち勝つなど驚きでしかない。非常に興味深いが、次に自分が気付いた時にはその記憶も気持ちも失われている。それがひたすら残念でしかなかった。


「では、私からも一つ予言をば。次に貴方が現れた際は、より簡単に貴方は討ち取られることとなるでしょう。戦うのは私ではないので無責任極まる予言ではありまするが、そうなると確信しております」


 ――何をたわけたことを。お主以上の男がそうそう出てくるはずもない。神威の者はそう返すが、ハゼルにはそうなる未来が目に浮かぶ。


「未来にも私以上の武人がおるから貴方が敗れるのではありませぬ。この戦いを見届けた、私の後を継ぐ者が貴方と対峙する術を磨き上げ後世に残すゆえ貴方は次も、その次も……それこそ未来永劫に渡り負け続ける。人の命は有限でも、その思いは受け継がれ消えはしない。貴方は、貴方がたが捨ててしまったものに敗れ続けるのです」


《その予言とやらが正しいか、それとも誤りか。不変たるこの身ではそれを確かめることもできぬ。我らが選んだ道は、本当に正しかったのであろうか……》


 それが神威の者の最後の言葉となった。星空のような体は黒い霧となって霧散し、空へと吸い込まれる。夜は完全に明け、日が差し込んでも黒い霧の残滓は見て取ることはできなかった。


(正しい道を選んでいたなら、長き時を後悔で過ごされるはずはなかろう。過ちを犯した貴方がたもまた、人であったのやも知れぬ。その力はまさに神のものであるが)


 いわゆる「神」が全知全能ならば、当然だが後悔などするはずはない。ならば神威の者を「神」と呼ぶのは理に適わぬのだが、それ以外に適切な言葉がないのも事実なのだ。そのため、今回の一件の後に「永劫不変」の者たちは「神威の者」として正式に呼称が決定される運びとなる。


「人を喰い、怪異を喰い、そしてついには神をも喰ろうた……」


 神威の者が消えた後、ハゼルは空へ向かい勝ち名乗りを始める。これが武人としての、打倒した相手へ対する最大の礼儀だと信じているからだ。


「武人としての最後を飾るにふさわしき相手と出会い、我は満足である!!」


 それは勝ち名乗りであると同時に、現役をここで退くという引退宣言でもある。闘神とも呼ばれた男の、それが戦場における最後の輝きとなった。

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