第19話 呪縛に囚われしもの
「貴様、ソノ顔ニハ見覚エガアル。何故ココニ銀星疾駆ガ居ルノダ?」
ユーライア正門前の間道を登るフレッドたちは、やがて不死者たちの背後へ喰らい付くことに成功した。そこには首を失ったジョアン=リンジーの遺骸が仁王立ちしている。
『私は貴方の顔……は失われたようですが、声には覚えがありますよ。第一軍のリンジー卿であらせられましょう?』
フレッドがユージェでリンジーと会った際は竜賢人の装いを身に着けていたが、それより以前の、皇帝生誕祭の催し物に駆り出された際の姿はリンジーにも見られている。正体が発覚しても、どうせ皇国に伝わることもないだろうと顔を隠す必要性は感じなかったのだ。
『ご質問の件ですが、実は既にあなたと会っております。現地人と名乗る竜人に早期の撤退を勧められたこと……覚えておいででしょうか。そうなさっていただけていたならば、あなたも第二・第三軍団のように皇国へ戻れたでしょうに。このような結末となり、まことに残念なことで』
よくよく考えれば、顔がない不死者と会話しているというのも珍妙な光景ではあろう。しかし強い魂や霊なら会話可能であることは経験からも分かっており、生前の記憶を高めることで天へと還る可能性も上がることを学んでいる。この一見、まるで意味がなさそうなやり取りにも重要な意味がある。
「我ガ尋ネシ事ハ、ソノヨウナ話デハナイ!遠征ニ加ワッテオラヌ貴様ガ、何故ココニ居ルカト聞イテイルノダ!銀星疾駆ノ……フレッド=アーヴィン!!」
生前の記憶を呼び起こすことには成功しつつあるようだが、まだ完璧とも言い切れない。怨念に囚われたままでは打倒し得ても天に還ることはなく、この地に呪いを撒き続けることは明白で、それだけは避けねばならない。
『……実を申さば、その名前は本名ではありません。真の名はクロト=ハイディンと申しまして、これでもそれなりに名を成した男なのですよ。そんな男がなぜ皇国に現れ皇帝に接近したかは、まあご想像にお任せします。が、もしリンジー卿が皇国の忠臣である自負がございましたら、ここで私を討っておくことをお勧めします』
卑劣な手段で戦いを穢した亜人への憎しみで染まっていたリンジーの心は、生前に仕えた愛する故国へ思いを馳せる。そして眼前には皇国に入り込み、何かを画策していたユージェの重鎮がいる。この男と戦わねば、皇国軍人としての矜持が保てないというものだ。
「皇国、及び陛下ニ仇ナす不逞の輩……我ガ討ち果タシ、コレを最後の奉公トせん」
フレッドを皇国に入り込んだ間者だろうと判断したリンジーは、大剣を構え猛然とフレッドに斬りかかる。フレッドは後方の長槍隊に、槍の穂先に下げているランタンで頭上から照らすよう指示を出すと、リンジーの挑戦を受けた。
『今回は私の話をえらく素直に信じていただき、ありがとうございます。礼と申してはなんですが、存分にお相手仕りましょう!』
坂と階段を駆け下りつつ繰り出されたリンジーの攻撃を、フレッドは平たい踊り場で避ける。これまでリンジーと戦ったことはなく、同じような大剣を使う相手と戦った経験もない。相手の動きに合わせる戦い方が主なフレッドとしては、ひとまず相手の動きを見定めるところから始めねばならない。
『しかし……あなたは戦い死んで満足だったのでしょうが、それに付き合わされた者たちはいい迷惑ですな。あなたが戦いにこだわったせいで死なせた者のうち、どれだけが天へ還ることもできずに残っておるのでしょう。一軍を率いた将として、なにか思うところはございませんか?』
リンジーが繰り出す突きや斬撃を避けつつ、フレッドは口撃も忘れない。生前のことに思いを巡らせることが重要となることは分かっているが、どの話題がリンジーの琴線に触れるかは分からないため、いろいろと話を変えていくしかなかった。
「よク喋る奴ダ。竜人ノ時はモウ少し寡黙であっタはずダがな!」
攻撃をことごとく避けられるリンジーは業を煮やしたのか、それまでの力任せ的な威力重視から命中率重視の攻撃に切り替え、突きから払いなどの連係も使うようになってきた。フレッドをいかにして打倒するかを考えた結果であり、生前に学んだ剣術の中から使えそうな技を引き出している、ということでもある。
『私はもともと口先で成り上がったような男でして、このようにして相手のペースを崩して勝ちを得るわけです。そうそう、私の口車には皇帝も乗ってくれましたね。何しろ温室育ちの世間知らずな坊ちゃんですから。騙すのも訳はなく、まさか私を召し抱え軍団を任せようだなどと』
皇国貴族なら、皇帝の誹謗中傷は見過ごせないのではないか――という、大して深い考えなしに放った一言がそれだった。もしこの場にシャハーダやシャリィがいたなら「完全にウソだ」とバレただろう。フレッドはむしろ、皇帝アヴニールを高く評価しており当代の英傑の一人と認めている。
「黙レ下郎め!貴様如き田舎者の頭目風情ガ、不敬にも程がアるわ!」
――どうやら皇帝への誹謗は逆鱗に触れる行為だったらしい。怒号と共に繰り出された連続攻撃は息をもつかせぬばかりのものだったが、すでに太刀筋を見極めたフレッドはリンジーの攻撃をすべて避け、あるいは受け切った。
『それほどまでに敬愛する皇帝陛下の兵を無為に失い、あなた自身は生きて謝罪することも怠った。そんな様でよくもまあ陛下の忠臣面なんぞできたものですが、卿は陛下に合わせる顔もありますまい……どのみち今のあなたに顔はありませんがね!』
ユージェでも、そして皇国でもフレッドの戦いぶりは多くの人に語られることになるのだが、見る側が違えば寸評も変わるのは当然。しかし両側の意見が合致している部分も少なからず存在し、そのうちの一つが「あの男は口喧嘩も強かった」という逸話である。リンジーも挑発に乗り怒りも頂点に達しようとしていたが、それは死者が生者に抱く怨念とは別の感情。まさしく人としてのものだ。
「陛下にはいずれ天にて、謝罪を申し上げるわ!貴様も私と天にて、陛下をお待ちいたすがよい!」
言葉の端々に見受けられた不明慮な部分もなくなり、その魂は完全に生前の頃と同じようになっている。この状態で強く死を意識させたなら、リンジーの魂もあるべき場所へ向かうことができるのだろう。
『せっかくのお誘いですが、私にはまだやるべきことがあります。あなたも触れたであろう「永劫不変の存在を討つ」という仕事がね。ゆえに天へはあなたと部下の方々でお向かい頂きたく!』
それまで受けと回避に専念していたフレッドが攻めに転じたのはここからである。槍だけに突きの攻撃が多かったが、足先を狙いつつ刃を返して斬り上げるといった、重量級武器の大剣では防ぎにくい方々からの攻撃も織り交ぜる。不死者となったリンジーは痛みこそ感じはしないが、刃が体を貫く感覚は残る。そして体が徐々に動かなくなっていく実感もあった。
「……竜を操る腕は確かだと見ておったが、こうも槍を使えるとは思ってもおらなかった。陛下、申し訳もございませぬ。このリンジーめは、皇国の敵対者を討つに能わず!」
左脛に数回の攻撃を受け、痛みはなくとも足の維持も難しくなってくる。リンジーはかつて命を散らした時のように片膝をつくこととなり、己の敗北を確信する。しかし、あの時とは違う。不意打ちでもなく卑劣な吹き矢で体が痺れたのでもなく、正面から戦いを挑み力及ばず敗れるのだ。その心に、もう憎しみも怒りもない。
『皇国の勇者たちを天へと送り出す!光明を掲げ、道標とせん!』
フレッドの号令により歩兵隊の後方についていた射撃隊が「搦手無用」を掲げると、それは長槍隊の明かりを反射し赤光の神霊力無効化空間を作り出す。低級な霊体であればそれだけで消失する空間内で、しかしリンジーや皇国兵の霊は失われない。それだけ彼らの想いは強かったのだ。
『諸君らの戦いぶり、皇国にも伝えることをお約束する。迷わず逝かれよ、あるべき場所へ!』
片膝をついたリンジーだった存在をフレッドの「龍ノ稲光」が貫き、それを合図とし歩兵隊の突撃が開始された。
『皇国軍第一軍団長ジョアン=リンジー卿はクロト=ハイディンが討ち取った!』
普段なら絶対に行わない勝ち名乗りを上げたのは、それが皇国兵の霊に「もう戦わなくてよいのだ」というメッセージを発するためである。人を殺して大喜びするバカがどこにいるものか……というのがフレッドの持論ではあるが、やりたくなくてもやらねばならないことは確かに存在する。
「我らが麾下に加わって初の戦闘だ。その記念すべき一戦、敵は強くしかも一番手を任されたのだ!これ以上の見せ場はないぞ、各員励めよ!!」
デューン隊長を先頭に、敵集団に斬り込んだ歩兵隊は真っ向から切り結ぶ。敵を崖に着き落として当座をしのごう……などと考える者は一人としていない。うっかり相手が落ちてしまったら残念がる者も出る始末だったが、そもそも坂や階段では重装歩兵の皇国軍兵よりは軽装な獣人兵のほうが明らかに向いている。両者の実力が伯仲しているなら、有利な側に戦況が傾くのは自然のことだ。
(しかし、この崖下から聞こえる唸り声のようなものは……風の音だけではないか。ロンティマーに口らしきものが形成され、発せられたあの怒号にも似ているが。まさかな)
非常に気にかかるところではあるが、例え長槍に掲げられたランタンを落としてみても底が見えないほどの深い谷では、日中ですら谷底は見えない。それに今は皇国軍の不死者たちを天に還すのが急務で、謎の怪音にかまけている余裕はない。しかし後にフレッドは言葉を残す。まさかと思ったことはだいたい現実になる。だからまさかと思った際はそれに対する備えも考えておくべし、と。
「首都防衛隊の精鋭を出撃させ、敵を挟撃せよ。この戦いでは敵を崖下に叩き落とすが如き真似をしてはならない。理由は分からないが、彼らがそれをしないのには相応の理由があるはずだ。こちらもそれに倣ってくれ」
正門前の斜面を駆け上がってくる隊の数は約500~700程度に見受けられる。数としては精鋭怪異の半数にも及ばないが、幸いここは幅が狭い間道である。大軍が数を頼みに戦うことができない地形であり、はさみ討ちにすればこちらは眼前の敵だけ見ていればいいが、敵は一方だけに集中できず戦況は有利になるはずだ。
(君は……いや、君「たち」と言うべきか。君たちは武人としての在り様を、あまりに眩く示し過ぎる。誰もがそうなれるわけもないのに、斯くありたいと、斯くの如くあれると、斯くの如くあるものだと錯覚させてしまう。そして、自分たちがそうではないと気づいてしまったとき……人は委ねてしまうんだ。かつて人々が君にすべてを託そうとしたようにね)
あれだけ戦える者たちなら、とにかく任せておけば安心だ。自分たちで戦うよりも効率的だし、何より自分が危険な目に逢わずに済む。そこで「いや、自分たちの運命を他人の手に委ねてはいけない」と言える人間はごく少数だ。それではいけないと気づいてはいても諦める者、気付きもしない者という違いこそあるが。
「レクサール将軍、出撃隊の細かい指揮はあなたに任せる。敵の目をこちらに引きつけつつ下がり、敵がこちらを見ないようなら背後を攻めるという方針で頼むよ。その動きでおそらく彼らは呼吸を合わせてくれるさ」
正門まで来て戦況を伺っていたマイアーはレクサール将軍に出撃命令を出したが、自分が前線に赴けば迷惑なだけだと分かっているため自らは出撃しない。だが、指揮官という立場ならそれが本来の在り方であって、自らも戦地に赴き一騎打ちまでするなど言語道断の話ではあるのだ。しかし、命を賭けて戦う兵たちにとっては、奥であれこれ命じているだけなのと同じく命を賭けている者のどちらを信用できるか。そこに議論の余地はなく、それこそが「狂信的」なまでの戦いぶりに繋がる。
「奇跡の力が封じられたこの状況では、我らの命もまた危機に晒される。だが怯むなよ!命に貴賤なくとのお言葉通りご当主も前線で戦っておられる。ここで無様な姿を見せては天にて笑いものになるぞ!」
デューン隊は不死者と化した皇国兵の成れの果てと正面から激突し、初めは押し気味に戦いを進めた。しかし一体ごとの強さはスーラの遺骸と比較にならない力を持っており、しかも生前の武器や鎧も装着したままである。疲労を知らない相手ということもあり、徐々に盛り返されつつあった。
(さすがに強い。が、そろそろ戦況を変えることができるはず。先生がこの状況を見逃すはずはない)
「敵背後に篝火多数!ユーライアの部隊だ!」
「敵の動きに乱れが見られる。この機を逃すな、背を向けた奴は必ず仕留めろ!」
間道はハゼルたちがいる株の平原から見ると、中間あたりに「搦手無用」の赤光空間があり、下からも上からも明かりを手にした兵たちがその空間に向かって連なっているように感じられる。光の束は両側の壁を反射するかのように右へ左へ斜めに流れており、それはさながら鏡の塔の内部を走る光のようにも見える。
『前方の友軍に呼応し、敵を分断する。各隊は徐々に後退し、敵を引きつけつつ下がるように。すべての敵がこちらに来るようなら下まで下がり、間道入り口にて出てくるところを包囲する。敵がすべて上に向かうようなら背後を襲う。敵が二分してくるようなら我らの敵ではないな。では行動開始だ!』
マイアーがフレッドの動きを予測していたように、フレッドもマイアーの動きは予測できた。この二人は戦いの前に一切の打ち合わせをしていないが、両軍の連携はまるであらかじめ決められた作戦行動のように乱れがなく、不死者たちは次々と赤光空間の中で天へと還っていく。
(決まりだな、これで。しかし終わりではないのだろう。なぜならば、やはりこの声が今も鳴り止まぬからだ。いい加減、何があるのか見えないものだろうか……)
間道の戦いも終わりが見え、よそ見をする余裕ができたフレッドは何気なく谷底を覗き見る。そうすると、谷の反対側……つまりハゼルらのいる間道入り口側の崖を谷底から這い上がっている巨大な物体を目にすることができたではないか。
(あれは、融合体か?ロンティマーのような、遺骸が組み合わさったようなものに見えるが……虫のような棒状で壁を這い上がっているようだ。見ていてあまり心地のいいものではないな)
「各員!残存の敵はユーライアの隊に任せ我が方は至急、後退する。あまり喜ばしい話ではないが、側面の谷に奇妙なものを見つけてしまった。あれを討たねば戦いは終わるまい!」
そう告げてフレッドが手を指すと、その方向に赤光で照らされた気色の悪い物体が存在しているのを隊員たちも確認した。その異形にはさすがにちょっとしたざわめきがあり、それを感じ取ったレクサール将軍も思わず息をのむ光景だったが、下側の隊が引き始めるのを見てその意図を理解する。
「下の隊はあの怪物退治へと向かうらしい。我らは手伝おうにも、眼前の敵を排除せねば間道を降りることも叶わぬ。せめてここの敵ぐらいは我らで始末せねば格好もつかんぞ、総員!気合を入れてかかれぃ!」
すでに皇国軍の残滓は残りわずか。首都防衛隊も選抜された精鋭だけが出てきたということもあり、もう逆転されようもない状況まで来ている。とはいえ、すでにロンティマーやラ・イーで怪異と対峙したフレッドらと違い、ユーライアの部隊は怪異と対峙するのは今回の元・皇国兵が初である。人の原型を留めている姿とは言い難い融合体にはやや浮き足立ち、僅かな残敵の掃討にも時間がかかってしまった。結果的にはそれがいい方向に転びはするのだが。
「フレッドたちが引き返してくるようだの。それもずいぶん急いでおるようだが、何か異変でもあったのか?」
ハゼルとベタル隊長らの突撃隊は間道前の平原で間道を進む友軍を見上げており、足元の谷底を見ていた者は一人としていない。戦場到着後は謎の怪音が気になって覗いた者もいたにはいたが、覗いても暗闇が見えるだけなので、意味はないと見るのを止めてしまっていた。もっとも、怪異は自分たちの足元側に這っていたので、身を乗り出して真下を覗かない限り見えなっただろう。
「突入部隊が下りてきながら何か申しておりますな。なになに……下から?這い寄る??壁???」
ベタル隊長も状況が呑み込めていなかったが、ここで下というと谷間しかないと思い部下に確認させる。落下防止用の縄を括りつけた兵が谷間を降りつつ確認すると、そこには巨大な棒状の融合体が確認できた。悲鳴を聞いた仲間が縄を引き上げ、恐怖の場所から逃れた兵はベタルへ報告する。
「では、マハトゥの時のような怪物が谷を這い上がってきておるというわけか。上からはそれがよく見えたから急ぎ戻ってきておるのだな。壁に張り付かれたままでは手の出しようもないゆえ、上まで登ってきてもらわねばなるまい」
ハゼルがそう指示すると、ベタルは谷底を覗いていた兵たちを下がらせる。大打撃を与えても谷底に逃げられては手が出せず戦う意味がないため、なるべく谷から引き離す必要もあった。
「全員下がれ!登ってきた敵を平原まで誘引し、そこでご当主らと包囲し逃さず仕留める。出番がないと思っていたこの戦いに、思いがけず出番が回ってきたぞ!」
最後につい本音が出てしまったが、それは最後尾を押し付けられた突撃隊全員の総意でもある。常に最前線に出て、最も激戦を戦い抜いてきたと自負する彼らがよりにもよって最後尾など、確かにそうなった理由は正しいのだとしてもやはりあり得ん話だ……という思いが強かったのも無理はない。
「ベタルよ。竜に鎖でも縄でよいからとにかく繋ぎ、曳かせる準備をいたせ。片側は手近な槍に繋ぐのだ。それを打ち込んだら竜に曳かせ、奴の動きを止めい!」
かつて行われたマハトゥ正門の防衛戦では、城壁に備え付けられた大型の弩から拘束用鉄鎖を放った。今はそのような大型装備を持ち合わせてはいないため、手持ちの札で似たようなことを試そうというのである。
「承ってございます!ハゼル様用の投擲武器以外に、我らも複数名で突き刺す拘束用の杭、銛の類を用意いたしまする!」
拘束用の準備はすぐに整った。というのも、今回の戦いは間道に入り込んだ敵部隊を後方から追撃する予定のものであったため、通常なら戦地に出てくることがめったにない輜重隊も最後尾に随行していたからである。
「奴が姿を現したら、左右に分かれ突き刺してやるのだ!ロンティマーの例からして、近づきすぎれば奴に取り込まれるじゃろう。その点には注意いたせよ!」
そうしてハゼルと突撃隊が待ち受ける中、谷を這い上がってきた怪異が平地に姿を現す。その姿は、さながら巨大な芋虫とでも例えられるものであった。
「芋虫と言えば、やはり完全体があるのかもしれんな。だがそうなる前にケリは付けさせてもらおうか。各員、拘束を開始せよ!」
何気なく放たれたベタルの一言は、後に現実となってしまう。言った当人もすっか青ざめるほどの、強烈な事象を伴って。
『父さんたちが足止めをしてくれてるようです。ですが急ぎ合流し、再生能力を封じねば猛者揃いといっても勝ち目はないでしょう。射撃隊は「搦手無用」の運搬を第一とし、武器を放棄しても構わない。長槍隊も明かり以外は放棄を許可する。とにかく急いでくれ!』
フレッドとデューンの歩兵隊を先頭に、以下射撃隊・長槍隊と続いてた隊列は、それを逆にする形で間道を下ることになった。しかし得物が大きい長槍隊は、少なくともこの三者の中ではもっとも動きが鈍くなる。それでいて後ろから追い越せるスペースもないため、どうしても渋滞気味になってしまうのだ。そこで、装備はその場に置いても構わぬという指示を出したのである。
(前方の敵だけを見ていればいい、ということが前提の作戦行動だったからなあ。まさか谷底から敵が背後に出てくるとは予想もしていなかった。まったく……私もまだまだ読みが甘いな。相手が人ではないことくらい、分かっていたはずだろうに!)
思わず自虐的思考に陥るが、その可能性まで考えて作戦を立てるというのも無理筋である。谷底から怪音が発せられていると知ったのは、間道に突入してからで突入前にはその情報を得られる機会もなかったのだ。
「ご当主、平原に明かりが多数……見え始めましたな。どうやら近隣の部隊が騒ぎを聞きつけやって参ったと考えられますが」
旧ユージェ王国出身のペルゼ隊なら戦力として当てにできるが、それ以外の隊はよく知り得ない。そして物事は最悪を想定せねばならぬ以上、脳内に描かれた未来は「友軍の加勢により勝利が訪れる」ものではなく、むしろその逆となる「友軍の動揺や混乱が拡大し収拾がつかなくなる」というものだった。おとぎ話の中にだけあった怪異に触れても平然としていられる者が、多数派のわけもない。
(ここは統一連合軍の諸将に期待するしかない。怪異を目の当たりにしても、隊を混乱させない手腕ぐらいは備えていてくれるだろう……と。それにしてもあの怪異、やはりロンティマーとは違うのか?)
巨大な肉塊に触腕が生えている……という外見だったロンティマーと違い、今回の怪異は芋虫やミミズ的な胴長の生物風に見える。もちろんあのように巨大な生物など存在するはずはなく、素材となったのは崖下に叩き落とされたという不死者たちであろうことも疑い様の余地がない。しかしなぜ、平原側に出たのか。ユーライアへの攻撃が目的だったなら、ユーライア側を登って来ればよかったではないか。
「よぉし、曳かせよ!深く刺さった杭に繋がる鉄鎖や縄を皆で支え、できるだけ時間を稼ぐのだ。味方はもうそこまで来ておるぞ!」
ハゼルは試しに手近な武器を怪異に投げつけてみたが、深く刺さりはしたものの傷はすぐに復活してしまう。その点に関してはロンティマーと同様である以上、再生能力が封じられるまでは戦っても意味はない。
(今のところ、あの口のようなものを生成したりはせぬようじゃな。仮に痛手を被るとしたら、あのような突拍子もない異変だろうて)
相手の拘束は上々の結果が出ており、谷から平原に這い出してきた「巨大芋虫」は最後尾こそ谷に差し掛かったままだが、そこから動くに動けぬという有様である。再生能力があるうちは攻撃も無意味だが、それもフレッドらが戻れば対処は可能。まずはこのまま時間を稼ぐことが肝要であろう。ハゼルらの認識はそれで統一されていたが、初めて巨大怪異を見た一部の部隊はそうは思わなかった。敵が動けないなら絶好の攻撃機会であると誤認し、正面から攻撃を掛けてしまったのだ。
「そこゆく者たち、止まれ!近づくのは危険だ!それと奴の正面に立つでない!」
鎖を曳いているハゼルの制止もむなしく、接近し怪異の正面に立った部隊は芋虫の頭部に当たる部分に生成された口から伸びた触腕に絡め捕られ、体内に取り込まれてしまう。それはミミズが土ごと養分を丸呑みにするがごとき光景であり、怪異に不慣れな兵たちを恐慌させるには十分である。
「ええぃ、だから言わんこっちゃないわぃ!奴を打倒するために手を貸してくれるというなら、攻撃なんぞせんでよいから拘束を手伝ってくれぬか!」
そう怒鳴りつけてはみたものの、集まってきた多くの隊は混乱している。それでもペルゼ隊らが拘束を手伝ってくれたおかげもあり、間道からフレッドら攻撃隊が戻るまでの時間を稼ぐことには成功する。しかし「搦手無用」の赤光に照らされると、怪異は苦しむようにもがき始め、そして死したかのように動きを止めた。
(不死のロンティマーと同じような怪異が、果たして死んだりするものか?とりあえず分かったことは、この光は毛嫌いしているのだろうということだが……)
フレッドも状況の変化に追いつけず困惑したが、まずは光を絶えさせぬようにと命じる。今は膠着状態だが、朝になり「搦手無用」の効果が失われればどうなるかは分からない以上、いつまでも迷ってはいられない。しかしなかなか指示を決めかねていたところ、怪異の方に異変が起こる。怪異の先端、芋虫に例えるなら頭部の部分に亀裂が走ったのだ。
「まさか、本当に芋虫が羽化でもするというのか?飛ばれでもしたらもう抑えようがないぞ、ちくしょうめ!」
もはや微動だにせず、拘束の必要はなくなったため縄から手を離していたベタルは急ぎ隊に再拘束の準備をさせる。各員が拘束用の縄や鎖を曳くと怪異の体から槍や杭などが抜け落ちたが、それは肉から抜けたというより岩や壁から引き抜いたという感覚に近いものであり、怪異の体が硬質化していたことに他ならない。そして頭部が砕け散り、中からは人型の何かが姿を見せる。
《知的生命に与えられし時は尽きた。ゆえにこれより滅びが始まる。滅び、そしてまた蘇るのだ、我らと同じように》
大きさ自体は大柄のハゼルより一回り大きい程度だが、その姿形は「異様」の一言である。頭部、胴部両手足と基本構造は人類と同様に見えるが、表面は星空を散りばめたかのような漆黒と一部の煌めきで覆われている。手の先は針のようにとがっており、遠目に見たなら漆黒の全身鎧を纏った兵が両手に刺突用の針剣を持っているように感じられなくもない。そして何より、その姿を目にするだけで言いようのない不安がこみ上げる。それはまさに「天敵」が具現化したと言っていい存在だった。
(知的生命の時間は尽きて、滅びが始まる?この世界が終わって、新たな世界でまたやり直されるというのか。つまりこれこそ、最終目標である「永劫不変」の存在?)
これまでの生涯に感じたことのない恐怖に抵抗するべく、あえてこの相手のことを考えたフレッドの出した結論がそれである。それは相手の言葉から予想しただけのあて推量だったが、的外れのものでもない。
(戦わねば。ここで勝てぬまでも、一矢報いねば世界は終わってしまう。戦いを少しでも引き伸ばし、力及ばぬ時はプラテーナ様に後事を託すより道はない!)
大した勝算もなくフレッドが戦いを挑もうと決意するのは、これが最初で最後となる。それほどまでに追い込まれた状況での決断だった。
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