第18話 厄災の中心

 ラ・イー地方の北側に隣接するリーア州の都マガスは、長らくリーアを支配していたグード氏族の拠点として栄えた街である。グード氏族は鉱山で採掘した資源を精製し様々な加工品を生産する職人気質の亜人種であり、争いは好まない平和的な種族でもあった。そのため、戦乱期でも多くの勢力から狙われたものの、独占を恐れた各氏族がけん制し合う中で微妙に均衡が保たれ独立を保てたという経緯がある。それも若き英雄が率いたユージェ王国の台頭により失われたが、クロトはグード氏族の自由取引を保障し技術と資源の独占は認めなかった。それにより、グード氏族は統一連合を始めとした各勢力とも取引を行い、加工品の技術は日々進歩している。


『そういえば、この「龍ノ稲光」の元となった剣もこの地方の品でしたか。ユーライアにいるあの子たちに守り刀でも買っていきましょうかね。せめてそれくらいはしておいても罰は当たらぬでしょうし。あ、もちろんいつか生まれてくるかもしれない子の分も買いますよ?』


 あの子たち――血統上ではフレッドの子にあたる男女の双子。今周期で齢6周期にもなろうかという子供たちとは、顔を合わせたこともなければ姿を見かけたことすらない。当然、自分が父だと名乗るつもりもその資格もありはしないのだが、それでもフレッドにとっては「ユージェを憎む気になれない」理由の一端ではあるのだ。


「よい考えだと思うぞ?最大の贈呈品は大規模氾濫の終結……ひいては「永劫不変」の者たちをどうにかして平和と安泰を得ることじゃろうが、それは天下万民のためとなる話だからの。個人的に何かしても、そのことで文句を言われる筋ではなかろう」


 ハゼルとしては、贈り物を渡す際に一目でいいからその子ら会いたい……というかなり個人的な野望も抱いてはいるのだが、闘神だ羅刹だと呼ばれてもやはり人、やはり親であり今では祖父となった以上、血統上だけの関係とは言え孫には会いたいと思うのも無理はない。


『……シャハーダ君とシャリィ君をユーライアに連れていく。それは決定された事ですし、行けばラゴス様やマイアー先生、それにフィーリアさんにも引き合わせねばならんでしょうから。その折に会う機会はあると思います。私は会えませんが』


 フレッドとしては「どの面下げて会おうというのか」という話である。それが相手の望みだったとはいえ、生まれてきた子供たちもそうとは限らない。父は結婚前に流行り病で死んだ……ということになっているのなら、いまさらそんな亡霊がのこのこ出てくる必要なないのだろう。


「顔を合わせづらいのは分かる。ならば例の、竜賢人の装いを着けて会えばよいではないか。フィーリア嬢が何というかは分からぬが、あの気丈な娘であらば否とは言わぬと思うのじゃがなあ」


 フレッドは「考えておきます」とだけ言い残し、刀剣類取扱店に入る。騎竜文化が栄えた大陸南西部では、刃物と言えば片刃の刀やだんびらが主流である。騎乗中に使うなら、片側が厚い片刃の武器のほうが耐衝撃性に優れ扱いやすいからだ。ユーライアの二人にはそういった類の、しかし小ぶりな逸品を見繕った。


『両刃の剣とはめずらしいね。あれは何かいわくつきの品なのかな?』


 目に留まったその剣は、大陸南西部では好まれない両刃の剣であった。大陸北東部を中心に興る皇国圏では逆に両刃剣が一般的なので、その地方での暮らしも長くなってきたフレッドにとっては違和感のない光景だが、この地方では両刃剣が店に並んでいること自体が滅多に見かけるものではない。


「ああ。あれなら気鋭の若手が打ったもんでね。なぜ両刃なのかと言えば、皇国に攻め入った際にえらい使い手と出会ったんだとさ。その時の光景が頭から離れず、気付けば打っていたんだと。まあ買い手はつかんが、知っての通り皇国とも本格的な戦になっちまったからな。売れなければ、いずれは両刃剣に対して有効な防具を作るための試験用として使うつもりさ」


 防具の試験に使うとなれば、鎧や盾を斬っては突く日々が繰り返される。当然すぐに刃こぼれし、修繕されることもなく捨てられていくのだろう。そのような使い方をされるのは惜しいと感じたフレッドは、両刃剣の購入を申し出る。


「正気ですかい旦那?まあこちらとしても、余り物が売れるもんなら拒む理由はありませんがね。どうせ買い手も付かねぇでしょうし、お安くしますわ!」


 小刀二振りと両刃剣を一本購入し、フレッドは店を出る。両刃剣はともかく小刀はそれなりに値の張る品だったが、リンドでもラ・イーでも金の支払いは気前が良かったため資金面では余裕がある。兵たちに多めの給金を支払っても、運搬が面倒なほどに資金が余っていた。


『手土産は買いました。次は食料その他の消耗品ですね。ところで……グード氏族は強い蒸留酒が好みでしたか。水代わりに飲むのは少々危険ではありませんか?』


 食料と言えば、酒は付き物である。それは大陸のどこでもそうなのだが、皇国では弱めの果実酒が多い。それなら水代わりに飲むのも分からんではないが、この地方の酒は通称・火の息とまで呼ばれる強烈なものである。価格も相応に高めで、いくら資金に余裕があるといっても浴びるように飲まれては懐が持たず、何より体の方が持たないかもしれない。


「取り敢えず資金の許す限り購入しておくのだ。いや、ワシがすべて飲み干すというわけではないぞ?ユーライアはもちろん、ヘルダに持ち帰ればよい値が付こうて!」


 ――ああ、絶対に余らせる気などないな。直感的にそう思ったが、結局フレッドは酒も大量に購入する。もう二度と大陸南西部に戻ることはない。それはつまり、ハゼルがこの地に戻ることもないということになる。これはユージェと交わす決別の盃に注ぐ酒でもあるのだから、金に糸目を付けずともよいのだろう。


『さて、そろそろペルゼ将軍へ会いに行きましょうか。アル隊長が先行し面会の話をまとめておいてくれる手筈ですが、これくらい間が空けば話も済んでいるでしょう』


 いきなり押しかけて会わせろ、というのもまずかろうと気を利かせたつもりだったが、結果的にはそれが裏目に出てしまう。入れ違いでペルゼ将軍は一軍を率い出立してしまったのだ。


『そんなに急ぎでどこへ……?まさかスーラ氏族が動き出した、とは思えませんが』


 その疑問に答えたのは、後事を託されたペルゼ将軍の副官ヴァルサであった。長年クストの家に仕えた軍人の家系で、どちらかといえばベルトランに近い役どころを担う立場であり、武人というイメージとはかけ離れている。


「実はユーライアから急報が入りまして。それによりますと、ユーライア近郊に怪異が大量発生したとのこと。どうやら先の戦で壊滅した皇国兵たちの遺体を、ぞんざいに扱ってしまったようです。まったく愚かしい……」


 首都ユーライアに押し寄せた皇国軍の先陣は3軍団。うち、第二第三軍団は戦線を離脱し北方よりザイールへ撤退したが、第一軍団は2軍団を逃がすべく敵地に残り、奮戦の末に全滅という結末に至る。その後ユージェ側の総反攻が開始されるが、それに一刻も早く参加したいがためにユーライア近郊で遺体処理を担った部隊はかなり適当な仕事をしてしまったらしい、とのことだった。


「元が精鋭だったからか、その怪異もこれまでにない強さだとか。首都防衛隊は大打撃を被り、ベルトラン宰相は籠城戦を決意されたようです。そして、連合各地の軍をユーライアに呼び包囲殲滅せんと。まあ敵が強いなら妥当な策ですな」


 強い敵に対し、ただ籠城するだけでは死期を先延ばしにするだけ。籠城は逆転の目があればこそ意味があり、今回は連合軍の包囲殲滅作戦がその目となる。しかしフレッドには「かつてない強さの怪異」という部分が気にかかる。


『我々も急ぎユーライアへ向かいましょう。リンドの時のように「搦手無用」がなければ対処できない相手の可能性もあります』


 勇者ギャフラーは最後にこう言い残した。この地にはまだ災いの源が残っているのだと。それが遠い異国の地で死に、しかも丁重に弔われなかった多くの強い霊に力を与えたとするならばロンティマー級の怪異が出ても不思議はない。


(マイアー先生がそう易々と屈するはずはない。それは心配していないが、敵を倒せないのではいつまで経っても終わらず、いずれは持たなくなる。好きにはさせんぞ、怪異どもめ!)



「各隊は正門前を重点的に固めよ。敵は強く、しかも不死だ。正面から戦っていてはこちらだけが消耗する以上、まともに相手はしていられない。増援の到着までは時間を稼ぐことを重視してくれ。差し当たっては、崖下に叩き落とし憑依先の肉体だけでも遠ざけるとしよう。霊は浮遊できても遺骸は飛べぬだろうから」


 マイアーの指示により、ユーライア防衛隊は籠城戦の方針を確認する。最初に確認された怪異の数は皇国軍第一軍団の総数には遠く及ばない2000ほどだが、今ではその倍近い数になっている。怪異の発見報告を受けた首都防衛隊7000のうち、5000が出撃し一気に怪異の殲滅を目論むも、半数以下の敵があまりに強くいたずらに損害を出し逃げ帰ったのだ。そして間の悪い事に、その戦いで犠牲になった者たちをさらに敵として付け加えてしまうという有様だ。


「ベルトラン宰相、連合各地からの軍は予定通り参集しております!攻撃指示を出しましょうか?」


 部下の提案を、マイアーは制止する。まだ部隊は完全に集結してはおらず、生半可な数で仕掛けても返り討ちに会い敵を増やすだけだ。籠城戦にまで追い込まれ、一刻も早くこの状況を打破したい気持ちは理解できるが、それをすれば正気をうしなうこととなってしまう。


「いや、まだだね。勝負をかける時は、決着をつける時でなければならない。この戦いはそういう戦いなんだ。それには敵の本命を見定めなくてはならないが、まだそれも見えない。増援部隊には、指示があるまでユーライアには近づかず集結を図れと伝えてくれ」


 皇国軍と激戦を繰り広げ、犠牲者をぞんざいに扱ってしまったのは事実だ。しかしこうもピンポイントで大規模氾濫が起こるものなのか……という思いがマイアーにはあった。長く霊的な場所として扱われてきた「黄泉の回廊」や「霊峰ラーヤ」ならば積もりに積もった霊的要素があふれ出すことはあるのだろう。実際、300周期ごとに出現したというロンティマーはそのような場所から出た。それ以外にも、およそ20周期ほど前にも大規模氾濫「パヴァンの厄災」は起こったが、それも古戦場として数々の戦いが行われたパヴァン平原が発生源である。建国以来まともに攻撃を受けたこともないユーライアで、突如発生するのは理に適わぬというものだ。


(激しい戦いがあれば即大規模氾濫、というなら大陸南西部はすでに破滅していたはずだ。それが今回に限ってこれだからな、おそらく何かしらの裏があるはずさ。それを見定めねば勝利はないか?)


 マイアーの眼下に広がるユーライア正門前の長い階段も、今では死者に埋め尽くされている。階段の両脇は崖になっており、平時は道路拡張のための吊り板を渡されるが、今はそれも外され落ちれば深い谷へと真っ逆さまだ。首都防衛隊はこの崖に敵を突き落とすことで、いくら倒しても起き上がる不死者の群れを抑えていた。


「エストラ隊、敵を押し出せ!弓兵隊は火矢の用意だ!」


 力自慢のファロール族エストラ種が岩や巨木を抱え、不死者の群れに果敢な突撃を掛ける。そのまま崖に押し出そうという作戦で、不死者たちの戦闘力は高いものの大きさ自体は人の頃と変わらないため、岩や巨木を越える射程の攻撃を繰り出すことができない。為す術もなく崖下に落とされていく不死者たちが排除された通路に、すかさず火矢と油瓶が投射され一面を火の海に変える。


「体が燃えるのは気に食わないのか、火が消えるまでは前に出てこんからな。だが油も無限にある訳ではなく、天気もどうなるであろう……」


 首都防衛隊の指揮官レクサール将軍は空に目をやりつつ、そう独白する。大陸南西部のほぼ中央に位置するユーライアは温暖な気候が周期を通して続く地域だが、開墾期や育成期では雨の日が多い。通常であればそれは恵みの雨として作物の成長を助けてくれるのだが、このような状況ではなるべく雨には降られたくもない。


「そして何より、この音だ。崖に落とされた亡者どもの怨嗟の声なのか……」


 それは崖下より上がる唸り声のような音であった。風が吹けばそのような音が聞こえることもあるが、今回のはまったくの別物である。崖の下は深い谷となっているため底を見通すことはできず、降りて確認しようと思う者もいない。そこまで人員を割けるほどの余力もないのだ。


「考えてみても仕方はないか。我らの任務はこのユーライアを守る、ただそれのみなのだ。各員、奮起せいよ!」


 首都ユーライアの守りは堅く、兵たちの士気もいまだ高い。ここまではマイアーの目論見通りに事態は動きつつあった。ここまでは……




「ベルトラン宰相、援軍の集結が完了したとのことです。防衛隊の疲労も限界に近づいておりますし、これ以上は抑えきれません。攻撃命令を!」


 L1029開墾期71日、怪異の発生から10日余りを耐え抜いた首都防衛隊も、疲労の色を隠せなくなってきた。後方に広がる豊穣なる台地のおかげで水食糧の心配をせずに済む反面、ユーライア正門側からしか増援が得られないという問題がある。ここまで敵の侵攻を許すことは稀で、攻め込まれても対皇国軍の時のようにひたすら耐え援軍で敵の背後を突かせれば良いだけなのだが、何しろ敵は補給が不要な不死者である。


(結局、敵の本命がどれなのか、何なのかを突き止めるには至らず……か。だが確かにこれ以上、事態が膠着するのもまずい。市中には悪い流言も飛び交い始めているようだし、やるしかないか)


 最初のうちはユーライアの民衆も落ち着いていたが、籠城が長期化することで危機感を持ち始める。負けるのではないか、援軍は来ないのではないか、そうなれば自分たちに逃げ場はないぞ……といった話が出始め、恐怖と不安が増幅されていく。


「分かった。場外の部隊に総攻撃の合図を送ってくれ。戦況いかんによってはユーライアの隊も出撃させる。この一戦で決着をつけるのだ。よいな!」


 正門前を閉ざされたユーライアから、外部への連絡手段に用いられるのが人一人を乗せて飛ぶこともできるほどの大きさを誇る、グア=ロークの眷属の末裔とも呼ばれる怪鳥を使ったものである。これは大陸南西部の僻地にあたる南部高山地帯にのみ生息し、当地の有力氏族フーガ氏族の秘蔵でもある。飛行という大きなアドバンテージを持つものの、結局はユージェ王国に屈することとなった。その最大の理由が、騎手だけを正確に狙い撃たれたり怪鳥をも一撃で貫く槍を高空まで投げてきたりと、いろいろ規格外の怪物を相手にしてしまったからだが、そんな怪物がユージェを去ってからというものフーガ氏族の地位は高まっている。


「統一連合は我らフーガに都合のいい制度だからな。こんなところで滅んでもらっても困る。が、タダ働きはせぬ。せいぜい高く貸し付けておいてやろう!」


 フーガ族長カルムもまた、怪鳥を操る騎手の一人でもある。怪鳥が大きく、しかも飛行中は大きく揺れることも手伝って「空騎兵」として戦うことはごく一部の使い手のみに限られるが、怪鳥に岩などを持たせ上空から落とす……というようなことは怪鳥を操れるなら誰にでも行える。先の皇国軍との戦いでは、皇国軍第四軍団の攻城兵器を焼き払う活躍を見せたが、それは怪鳥が油の入った大亀を木製の攻城兵器に落とし着火することで成したのだ。


「各員、指示書は持ったな?では仕事の時間だ、それぞれ持ち場の部隊へ向かえ。任務後は連合軍の戦いぶりを高みから見物させてもらうとしようか。戦場には出なくてよいぞ、勝てばどのみち勲功上位は揺るがぬ」


 唯一無二の連絡手段を持つために重宝されるフーガ氏族は、戦いにおいても重責を担うことが多い。戦闘で活躍せずともその働きは万人が認めるところである以上、必要以上に戦う必要はなかった。もっとも、世の中には空の下なら思念を飛ばせる術の使い手もいて、そのような術が当たり前のように使われ出せばその地位も危ういが。



「総攻撃の指示が下った。こちらは数こそ倍以上だが敵はかなり強いということだ。気を緩めずに臨め!」


 遠く見えるユーライアを見やりながら、ペルゼ将軍はヴァルサに命じる。増援部隊がみなペルゼのような心構えで戦いに臨んでいたら犠牲は少なかったはずだが、実際のところはそうならなかった。数で勝ることに奢り敵を甘く見た結果、増援のうち1部隊が全滅、2部隊が潰走という体たらくであった。


「敵は強いという事前情報はあの者らにも伝わっていたはずだろう!なのになぜ、相手をなめてかかるような真似をする!?」


 ペルゼは思わず怒声を張り上げてしまうが、同じ連合軍でも出身母体によって戦に対する向き合い方は大きく違う。旧ユージェ王国と言えばどうしてもハイディン一門衆が挙げられるが、ペルゼのクスト派も他国であれば筆頭に挙がるほどの鍛えられた集団である。ユージェ王国はそれほどの勢力を誇っていたということであり、それゆえに統一を成すこともできた。そんな軍を基準に考えるというのは酷というものだ。


「フーガの民よ、すまんがベルトラン宰相に連絡を頼みたい。包囲殲滅作戦は中止していただき、敵がユーライア正門前に殺到したところに我が隊が敵を押し込む。機を見て挟撃をお願いしたい……と伝えてくれ」


 ペルゼの案は、要するに「使えない味方は不要。地形を利用し旧ユージェ王国の兵だけで決戦を挑むべし」というものである。包囲は完了し数でも勝るという有利な状況であるのに、どうにも芳しくない戦況を苦々しく思ってのことだが、マイアーも考えは同じである。


「そうか。私も同じようなことを考えてはいたが、前線からもそういう要望が上がる有様とはね。どうやら連合軍の質を均一化させることが急務のようだ……」


 統一連合軍という名称こそついてはいるものの、実際は各勢力各氏族の軍団を集めた寄せ集めの軍に過ぎない。いちおう統一連合軍指揮官は存在するが、それは各軍団との意見調整を行う役目が主になっており、指揮官が直接指揮を行うこともない。統一連合の大まかな方針が伝えられ、各軍団が目標達成のため各自で行動を取るというものである以上、戦力にバラつきが出るのも有機的な連携が取れないのも無理はなかろう。指揮系統がはっきりしている皇国軍との差はそこにもあった。


「各部隊に通達を。包囲は解除し、別命あるまでユーライアからは離れた場所に布陣せよと。それから、ペルゼ将軍の隊にはもう一働き頼むと伝えてもらいたい」


 やはり頼れるのはよく知る近しい間柄の者だけか……そう考えると、この統一連合とはいったい何だったのかとも思うが、この連合が組織されていなければ皇国軍を撃退することはできていなかったのも確かだ。皇国の侵攻を呼び込んだのも連合の業ではあるのだが、これは遅いか早いかの差でありいつかはこうなっていた。むしろ早い段階でその脅威を連合に知らしめたのは、長期的に見れば有益だろう。


(私を情けない男だと嗤うかい、フレッド=アーヴィン。だが策はそれを完璧に遂行できる者がいなければ、しょせんは一夜の夢物語と同様さ。同じ夢なら、王国時代が続けばよかったと思うのは……現実逃避にあたるのかね)


 前周期には皇国との停戦交渉と遠征軍の帰還計画策定、帰国後は連合軍の立て直しに国内の安定化、そして対皇国に対する準備とマイアーは激務が目白押しだった。多大な損害を出しつつも皇国を撃退し、ようやく一息つけるかと思ったところに大規模氾濫の発生である。マイアーはかなり疲れ切っていたが、それも無理はなかった。



『連合軍は包囲を解いたそうです。弱兵では役に立たないどころか、敵兵を補充してしまうだけということを痛感したのでしょう。そのあたりはリンドの失敗とまるで同一ですね』


 連合軍は戦果を報告することはあっても、その詳細までを上げることはない。リンドの場合も「怪物ロンティマーを撃破しマハトゥを守り切った」という結果は報告しても、どのようにしてその結果に至ったかを報告することはないのだ。連合にとって重要なのは「結果を出せる」という事実のみなのだから。


「一刻も早く逃げる敵の背を追いたいがため、精兵の弔いもロクにしなかった恥知らずどもに相応しき結果ですな。困るのが彼らだけなら、笑ってもいられますが」


 アル隊長はそう毒づいたが、他の隊長たちも思いは同様である。連合軍はとにかく結果第一主義で、結果に繋がらない手間は惜しむ傾向にあった。しかし古風な武人気質などは「不要の手間」だらけなので、自然と反りも合わなくなる。そうやって連合軍に居場所がなくなった武人たちがこうした形で戻ってきているというのは、ある意味強烈な皮肉ともいえるだろう。


『残念ながら、困るのは彼らだけではないからね。ゆえに我々も戦地へ赴かねばならない。我らは我らの目的のために戦い、ついでに武人の心意気を見せつけてやればいいのさ。それを見て彼らがどう思うかは、彼ら次第だ』


 フレッドも自身では「ずいぶん武人っぽくなくなった」と思っているのだが、日々の鍛錬を欠かさなかったことも含め、ごく一般から見れば「極めて武人的」な生き方をしている。当人たちにはそれが日常でも、他人から見れば非日常で、そこに生まれる齟齬というのはそう簡単には埋まらない。


「日中は連合軍も活動いたしましょうし、当方の切り札の性質を考えましても、やはり突入は夜間がよろしかろうと存じます。しかし包囲を解き、正門前の間道で挟撃とはずいぶん思いきりましたな。おかげで騎兵の優位性もあまり活かせず……」


 そう呟くベタル隊長の隊は重装備のため、坂や階段で戦うのをあまり歓迎はしていない。ただでさえ重い装備が、地形により厳しい負担となって伸し掛かるためだ。


『それについては考えてあります。先陣は私とデューン「隊長」の隊で。歩兵戦闘ならばそれが筋というものでしょうから。次にアル隊長の射撃隊、グァン隊長の長槍隊と続き最後尾にベタル隊長の突撃隊でいきましょう』


 突撃隊は文字通り、いの一番に敵へ斬り込むのが仕事である。この序列ではその役目も果たせず、ベタル隊長としては極めて残念ではあるが、最も鈍い隊が狭い間道の先頭に立てば後続もそれに合わせざるを得なくなる。それに怪異がどこから出てくるか分からない以上、逆に挟撃される可能性も考えられるため、最後尾に精鋭を配置しておくというのは間違ってもいない。


『父さんも、ベタル隊長と最後尾にお付きください。間道に入れば物資の補給もままなりませんので……』


 補給が滞れば、自慢の怪力も投擲も満足には使えなくなる。もっとも補給が途絶えにくい場所、つまりこの場合なら最後尾配置以外はあり得ないのだ。もっとも、ここでこの配置にしておいてよかったと思える事態になるとは、この時は誰一人として考えてはいなかったが。


『では夜まで、各隊は準備を整えておいてください。これまで得た情報から勘案するに、おそらくここで今回の大規模氾濫の原因に行き当たることと思われます。それが終わればしばらくは休めるでしょう。各員には「これが当座の最終戦になる」と伝えてもらって構いません』


 確信があったわけではない。だが、そうなる予感がする……というのはよくある話だが、これまで既にロンティマーほどの怪異も討ち果たしている。次にあれと同等のものに出会うとすれば、ギャフラーの言う「元凶」以外にはあり得ぬと思えるのだ。そして、その直感は正しかった。



「……滅ビヨ、滅ビヨ蛮族ドモ!裁キノ刻ハ訪レ、人々ハ全テ躯ト成ルベシ!」


 それは首から上が失われた遺骸。身に着けた鎧の豪華さから、ただの兵士の遺骸でないことは想像に難くない。右手には大剣、左手には潰されて板のようになった兜の残骸を抱えているそれは、皇国軍第一軍団長・ジョアン=リンジーその人の成れの果てである。一騎打ち(と思っていた勝負)で不意打ちを受け敗れ去った彼の魂は当然のごとく天には逝けず、死の間際に強く抱いた人への憎しみと呪いで染め上げられた。その強い情念に呼ばれた思念体は力を授け、彼は不死者として蘇る。そして悲願を叶えるべく命ある知的生命に牙を剥く。


「あれが不死者の頭領かな?まったく大層ご立腹のようだが、攻城兵器がなければ簡単に正門は破れないだろう。明日の夜明けを待ち、挟撃を以って決着をつけるとしようか。ペルゼ将軍にもそう伝えてほしい」


 足を踏み外せば崖下へ転落する危険がある夜間に間道で戦おうなどという、頭のおかしい輩がいるはずもなくさせられるはずもない。すでに日も傾き始めた時刻である以上、決戦は明日になるとマイアーは考えた。門の守備隊には夜を徹しての防衛戦が待ち受けており、マイアー自身も悠々と寝てはいられない状況だが、日が落ちてしばらく後、仮眠を取っていたマイアーは火急の知らせに叩き起こされた。


「ベルトラン宰相、平野から部隊が間道を登って参ります!手に明かりを持っているため、不死者の増援ではないと考えます。しかしペルゼ将軍には明日の日の出を待つようにと伝えたはずですが、もしや別の部隊が勇み足を……?」


 こんな劣悪な環境で戦って、まともに結果が出せるはずもない。有利な環境を整えても苦戦する有様であったのに。そもそも結果が第一の連合軍がそのような真似をしようと考えるはずもなく、逃げ場を失い自棄になった防衛隊が打って出た……というのならまだしも、わざわざ下から上がってくる者など答えは一つしかなかった。


「来たのか。君はどうしていつも、窮地に身を置きたがるんだろうね。それが武人の性だからかい?それとも、そうせねばならぬ理由があると?」


 マイアーの独白は他者の耳には届かなかったが、報告に驚きもしないことはやや訝しげに見られた。ただ、マイアーは誰が来たのか知っていたから驚く必要がなかっただけのことである。


『我ら、武人の意気を示すために推参せし者!皇国の勇者たちよ、我らに挑めぃ!』


 槍の男の口上に、首のない男が反応する。約200日にも渡り大陸南西部の各所で繰り広げられた大規模氾濫の終幕を飾る、ユーライア正門前の野戦が開始された。

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