第17話 未来を向いて

『では、昨日に行われました戦闘についての報告をいたそうかと思います。が、その前に私に言っておきたいことがある方はおりますか?』


 シャハーダとシャリィを連れて会議場へ姿を現したフレッドは、3勢力と向き合う形の南側でそう宣言する。その場にいた有力者の多くにとってそれは意味不明の発言だったものの、意味が分かるごく少数にとっては肝が凍り付く思いであったろう。ただし、言いたいことがあっても言えるわけはない。


『……特に言うべきことはない、ということでよろしいのですな。そういうことであれば、こちらも事細かく事実を報告せねばなりますまい。残念ながら、機会を逸しましたか。弁明し生き残る最後の機会を』


 フレッドはまたしても、知らぬ者にとっては謎の言葉を吐く。しかし知る者にとっては死刑宣告に等しい。事実が明らかになった後、実際に首謀者たちがどうなるかは分からない。そもそもフレッドには裁く権利もないのだが、出だしの時点では優位に立つことができた。


『祈祷所に突入した結果、問題の発生源と思われる原因の特定に成功しました。祈祷所中央にある石柱、そこに放り込まれた生贄たちの霊が集ったことで大規模氾濫を引き起こしたようです。元来、動物たちの魂は長く残ることはあれども力を持つ悪霊にまで化すことはないとされています。ゆえにここでも、豊穣祈願のために動物たちを供物にする儀式が行われてきたのでしょう?』


 その意見に否を唱える有力者はいない。実際にその通りで、これまで長年続いた風習によって今回の事態が発生したというのは釈然としない話でもある。小さな怨念が積もり積もって今回のようなことになる、という可能性もあり得る話ではあったが。


『そう、皆様も疑問でありましょう。なぜ、今回に限りこのようなことになってしまったのだろうと。謎を解明するためのカギとして、一つ情報を提供いたします。我らが打倒した、石柱の中にあった生贄たちの動く遺骸の中に人骨と思われるものが存在しておりました。知的生命を生贄などにしようものなら悪霊化することくらいは子供でも知っている常識でしょうが、スーラではそれを行うのが当然なのですか?』


 会議場は瞬く間に喧騒で包まれる。事実を知らない大半の者にとって、それは里を滅ぼしかねない裏切り行為に受け取れるのだ、議論が成り立たないほどに場が混乱するのも無理はないだろう。


「一同、静粛にいたせ!……まだ報告は終わっておらん。そうだろう、ユージェのクロト=ハイディン?」


 場を沈めるシャダには、この段階でフレッドの狙いは読めている。こうやって外堀を埋めていき、最後に守る障壁のない本丸に籠る自分を討ち取ろうという算段であるに違いない。


『ええ、確かに報告は終わっておりません。我らは問題の原因となった要素を取り除きました。悪霊と化した、前スーラ族長シャナム殿を。私には霊感が微塵もなく知る術はありませんでしたが、この子らの談によりますとシャナム殿は大層なお怒りようであったとか。何か思い当たる節はないでしょうかね。どなたでも構いませんよ、お答えになれるものならば』


 シャハーダとシャリィの肩に手を置きながらフレッドがそう告げると、今度は静寂が場を支配する。その様子を見てフレッドは確信した。少なくともシャナムの死は派閥に関係なく有力者たちの総意であったのだろう、と。


「そ、それで悪霊と化した前族長を討ち果たしたというのか。お主が!?」


 有力者の一人が大して意味があるとも思えない質問を投げかける。悪霊とはいえ前族長を討ったという咎で罰しようとでもいうのか、とも思ったのだが、この質問に関しては嘘をつく必要もないのだ。


『いいえ。私どもはお手伝いこそしましたが、シャナム殿に引導を渡したのはこの子たちです』


 その返答により場はどよめきに包まれ、さらに拍手喝采が支配した。里のために決断した兄妹を純粋に褒める者もいたが、このまま美談で終わらせてしまおうと画策し大げさに喜んでいる者もいる。まだ決戦の場ではなく切り札を切るのは早いのだが、フレッドはこの大人たちの喜びようをどうしても我慢できなかった。


『バカ騒ぎも大概にしろ、この恥知らずどもが!この子らが立派だと?親に引導を渡した子らがそれほどまでに誇らしいのか!そんな道理があるものかよ!!』


 ハゼルのような屈強な武人から発せられた怒声ではなかったが、それでも迫力は十分で場は再び静寂が支配する。どちらかと言えば温厚な印象が強いフレッドが怒声を発したという事実にシャハーダとシャリィも驚いたようで、目を丸くしている。


『この子らが立派だとすれば、それは周囲の大人が無能で我欲にまみれていたがゆえ立派であらねばならなかっただけのこと。このような形で立派にさせてはいけなかったんだ。子が親に引導を渡さねばならぬ状況など作ってはいけなかった!それを!』


 お前たちも、そして自分も作ってしまった。ラ・イーに入る前から前族長の死には疑わしい点があるという結論に至り、かつては死者の魂を利用する術も目の当たりにしていたというのに、ここでそういうことが行われている可能性を微塵も考えなかったのだ。フレッドの怒声は、半ば自分に向けられたものだった。


『私も、諸君らも己の無能を恥じるべきだ。そしてこの子らに詫びねばならぬ。大人が情けないせいでつらい役目を担わせて済まない……と』


 言い終えたフレッドは一歩下がり、シャハーダとシャリィに頭を下げる。それは頭を冷やすクールタイムにもなり、フレッドは通常の冷静さを取り戻す。二人に頭を上げてくださいと言われ、頭を上げたフレッドは言葉を続けた。


『7周期前の和平交渉の折、ユージェではスーラを滅ぼさぬなら族長とその家族をユーライアに連行し人質とせよ、という意見が多くを占めた。私はその意見を一蹴し、スーラ氏族は据え置きという処遇を下したことは諸君らの記憶にもあるはず。あの判断は過ちだったのか。たとえ愛した故郷から離れることになろうとも、無理矢理にでも連れていけばこのような結末にはならなかったろうに……と思うと心が痛む』


 その独白のような言葉は、自分たちに向けられたのではない。そう判断した有力者たちは返答をすることなくフレッドの言葉を待つ。


『ゆえに、もう同じ過ちを繰り返しはしない。この子らはひとまずユーライアへ連れて行き、盟主様やベルトラン宰相とスーラの行く末を相談させていただく!』


 フレッドがそう言い終えて一瞬だけ間が空き、事態を把握できた有力者たちは派閥を問わず不平不満の声を上げる。派閥の頭を連れていかれては困る者、単にユージェの横暴を許せない者など各々の事情は異なれど、ユージェ人にここスーラで好き放題やられては沽券に係わる……という思いは統一されているのだろう。


『だが!私も鬼神の類ではない。彼らがそれを望まぬというのであれば無理強いしようとも思わぬ』


 そう、自分はあくまで機会を与えるだけだ。戦に生きいつ果てるとも知れぬ身で、寿命を全うできたとしても年上の自分が先に死ぬ定めのはずである。そのような立場で、他者の人生を強制するわけにはいかない。


『今ここで即座に判断しろというのは酷かもしれないが、君たちは既により過酷な決断をしただろう?だから大人たちがいる前で、私もいるところで君たちの気持ちを聞かせてはくれないか。里を出るか、出ないかでいいから』


 二人と目線を合わせるべくフレッドはしゃがみこみ、静かにそう尋ねた。二人は耳打ちし合ったりひそひそ話を始めるが、それも程なく終わりを迎える。


「お答えする前に、一つ質問させてください。その……クロト様?それともフレッド様かな?とにかくあなたもユージェを捨てたと聞きましたが、後悔されたことはないのでしょうか」


 シャハーダの質問に、フレッドもつい考え込んでしまう。しかしこの子たちも故郷を捨てるということは人生における一大事である以上、同じような経験をしたフレッドに参考意見を聞きたいという気持ちは理解できる。ここで里を捨てたくなるような意見を述べることは簡単だが、スーラの秘術で嘘が見えることを抜きにしても真摯に答える以外の選択肢はない。


『ちょっと難しいし長い話になるけど、真剣に答えるからね。それが君たちの参考になってくれるといいんだが、どうなるだろう……』


 そう前置きし、フレッドは胸中の思いを吐き出す。


『私がユージェから去ったのは、統一連合ができて平和になってから人々が変わっていったからなんだ。戦いがあった頃は、戦いに勝つためとはいえ人々は協力して敵に当たろうとしていた。しかし戦いがなくなると、人々はかつての仲間と戦い始める。そう、君たちのお父様も同じような理由で犠牲になったのだろうね。どうやら人は敵がいなくなれば、新たな敵を作り出そうとする生き物らしい』


 子供たちに語り掛ける口調は穏やかだったが、それは大人にとっては痛烈すぎる皮肉でもある。図星すぎてぐうの音も出ない様子の有力者たちには構わず、フレッドはさらに言葉を紡ぐ。


『その刃は、ついに私にも向けられた。一方で、それまでいい思いをできなかった人々は私の味方をしてはくれたよ?「あの男に任せておけば、自分たちもいい思いができるようになるだろう。だからすべて任せてしまえ」とね』


 なるべく難しい単語は避け、子供たちにも伝わりやすいよう注意したこともあってか、今のところはしっかり伝わっているようだった。


『でもそれは、とても危険な事なんだ。もし私が過ちを犯せば、私に任せっきりだった人々は大いに迷い混乱するだろうから。現に私はここでも過ちを犯したし、間違えない人間なんてこの世にいやしないのに、私に任せてしまおうという人々は……私が間違えた時のことを考えようともしなかった』


 期待するのはいい。夢を託すのも構わない。だが何も考えず、ただ流されるままに付いて行けば安泰と思われるのは困るのだ。そのような人ほどいざという時はすぐに手の平を返すし、そもそも自分の腕はそのような人まで抱えられるほど長くはない。


『だから私はユージェを去るしかなかった。私に死んでほしかった人も大勢いたと思うけど、さすがに死ぬ気はなかったから。それで私という目立つ存在が消えさえすれば、たとえ一時は混乱しようとも人々は考えるようになってくれると信じてね』


 寂しさがなかったわけではない。そうせずに済んだなら、どれだけよかったのだろうか。こうなることが分かっていたなら統一など目指しはしなかったろうに。言葉にはしなかったフレッドの感情を、二人は感じていたようだった。


『でもね、私はユージェが憎くて去った訳じゃない。ユージェが死した兄の魂を戦争に利用し私と戦わせた時も、君たちと同じように家族へ引導を渡した時も……やはりユージェを憎む気にはならなかった。どれだけ遠く離れていようと、どれだけの時が過ぎようとも大切なものへの想いは変わらないんだ。自分で変えない限りは』


 第一次皇国侵攻部隊が武人の魂を宿した戦闘傀儡「戦鬼将コルト」を投入したことは、統一連合やその他の氏族の知識人なら知るところだった。その猛威を伝え聞けばこそ、密かに氷洞穴へ封印されていたシャナムの遺体と魂を利用することを思い付いたのだ。しかし独自の秘術を用いるほど術の行使に長けたスーラ氏族でも魂の定着化は遅々として進まず、研究途中に皇国軍襲来の報が入ったことで、里は研究どころではなくなってしまう。そして放置されていた「研究材料」を、生贄の動物の遺骸と勘違いし柱に投棄したことが今回の大規模氾濫の真相である。


『さて、これを私からの回答とさせてもらおうかな。後は君たちで決めてほしい。これまでと同じようにここで生きていくか、それとも里への想いは胸に秘め、しかし新たな未来に向けて一歩踏み出すか……を』


 なるべく難しくならないようにと心がけはしたものの、やはり子供には難しい話ではあったろう。フレッドは「もう少し言い様があったかな」と後悔したが、嘘もなければ意見誘導するつもりもないことはしっかりと伝わっていた。シャハーダとシャリィは耳打ちをすることなく、互いを見て頷くと声を揃えこう宣言した。


「僕たちは里を出ます!」

「私たちは里を出ます!」


 何も分らぬまま祭り上げられ旗印にされてきた兄妹たちが、初めて自身の意思を里の大人たちに述べたのだ。



「冗談ではない!そんなことは断じて認めんぞ!」

「いずれその子らをユージェの手先として送り返し、占領する腹積もりであろう!」

「衛兵ども、その者らを拘束せい!逃がしてはならんぞ!」


 やはりそうなるか、まったく仕方のない連中だ。それがフレッドの思いだったが、意外なことにシャダは物言わずこちらを眺めている。反発するなら彼の派閥が最も苛烈だろう……との予想は外れてしまったが、それはそれで別の可能性も出てくる。


『お静かに!この議場は既に我らが包囲しており、私が合図を送れば兵たちが殺到して参りましょう。私が合図を送る前に討ち取れると思う者あらば、どうぞご随意に。天にてシャナム殿に詫びる機会を与えますゆえ』


 柄に収まった長柄に右手を置き、左手には投げナイフとしても使える小柄を持ち宣言する。それを窓に投げつけ、外に合図を送る算段ということは誰の目にも明らかだった。膠着状態が続くと思われたが、議場に入ってきた兵が「傭兵団に包囲されている」という報告をすると事態は動き出す。


「やれやれ。このままでは埒があかんな。ここは二人の意思を尊重し、送り出してやる他あるまい?それ以外に妙案ありと申す者は構わぬ、遠慮なく申してみよ。ただしこの者と、外にいる闘神を始めとした猛者たちを抑えられる案でなければ聞く耳は持たぬ!」


 そう言われて、代案を出せる者がいるはずもない。それほどの力があったなら、そもそも統一の覇者はスーラ氏族であったはず。それが今では、傭兵団を雇って怪異に対処する有様である。どう足掻こうとも力で対抗できるはずもない。


『お言葉に甘えて、私から一つ。族長の遺児たる子らが里を離れるとあらば、少なくともその子らが戻るまでは代理となる者が氏族をまとめねばなりますまい。仮に代理の者が見事に役目を果たしたとなれば、族長の血脈、秘術の才能だけが氏族を治めるために必要な素養ではないとの証明になるはず』


 誰もお前には聞いていない――という視線を無視して発言したフレッドの案は、具体名を明かしてはいないもののシャダを指しているのは誰の目にも明らかである。ここで終われば強硬派以外の反発は激しいものとなったであろうが、フレッドの話はまだ終わらない。


『この子らにしても、里を出て見分を広めれば将来はスーラを新たな地平に誘う指導者となるやもしれませぬな。覚悟の部分では既に大人顔負けであることは立証されておることですし』


 それは現実派に向けた提案である。彼らとしては強硬なだけでも、隷属的なだけでもない現実を見据えられる族長を求めている。里にいるだけでは学べないことを学んでくるというのは魅力的な話であった。


『ユーライアには盟主様や、私の師でもあるベルトラン宰相ら統一の立役者たる英傑が揃っております。方々と知己になるというのは、無用な争いを避けるだけでなく今回のような事態に対してもよき力となりましょう』


 最後に穏健派への配慮も忘れない。三者にそれぞれ有利な条件を提示し、そこで均衡状態を作らせればこちらへの被害も減る。思いがけず頭に血が上って演技どころではなくなったが、そもそも恫喝の演技をしようと思ったのはこの状況を作り出さんがためだ。


「他に意見も出ぬようなので、ここらで決を取る。シャハーダおよびシャリィの外遊に異議がある者はおるか?」


 議場は静まり返り、異議を唱える者はいなかった。



『フフフ、連中の顔と来たら。自分たちが出し抜かれたと知って悔しいにもかかわらず、表立っては反対もできずさぞ悔しかったでしょうな。最後まで気付かずいい気になっているマヌケ面もありましたが、いずれにせよざまあないってもんです』


 会議が終わり、交渉も大成功に終わったフレッドは隊の宿舎に戻るなりそのような感想を漏らす。ベタルはシャハーダに、グァンはシャリィの護衛兼出立準備の手伝いで出ており、この場にはハゼルとアルがいた。


「ご当主はずいぶんと口が悪くなりましたな。交友関係を見直されたほうがよろしいのではないでしょうか……」


「よいではないか、あれくらいは。あの子はユージェにいた頃は本当にいい子ちゃんであったからのぅ。共に悪事を企み、共に失敗し共に痛い目を見るような友人を作ってやれなかったことはまことに痛恨の極みであったが……ヘルダに行ってそのような関係もできたということじゃ。実に喜ばしいことよ」


 武人の頭領を務める家に生まれ市井で暮らせない立場というのもあるが、ハゼルの弟たちは早くに戦死した者ばかりで、フレッドには従兄弟にあたる者もいない。部下やお付きと呼べる者はいても、同年代の友人と呼べる者は皆無に近い状態だった。それではいかんと、同格なれど競争関係にあるベルトランやダルトンとの交流を望んだのだが、それはフレッドにとって良い出会いであったことは間違いないにしても、その後の生き方を変えてしまったことも事実である。


「ワシは時々思うのだ。あの子がハイディンの武人としてだけ生きていたなら統一はならずとも、ユージェを出るようなことにもならなかったであろうと。マイアー殿に教えを請い、軍学の才を発揮するようなことがなければ……もっと楽に生きていけたのではないだろうか、とな」


 過去を振り返っても意味はない。どれだけ考えても過去を変えることはできないのだから。しかし、違う過去があれば違う未来があり、その「あり得たかもしれない」未来は今より幸せだったのではないか……という思いは人なら誰もが抱く幻想だ。


「私はご当主にそう尋ねても、必ず「否」と申されるに違いないと確信できます。先代にとってはどれだけの時が過ぎようともご当主はご子息なのでしょうけれど、あの方は大きく育たれた。特にユージェを出て以降、ザイールで久方ぶりに再会したときは……私も含め一同は大層驚いたものです。これがあのクロト様なのか、と。おそらくデューン将軍も同じ感想でありましょう」


 確かに、いつまで経ってもどれほど大成しようと、息子のことは息子としか見えないというのは図星である。もう自分の頭上はるか高くへ羽ばたいているというのに、そうと分かっていても心が追い付かない。


「そうじゃな。もういい加減、次代に託し隠居でもすべきだろう。まだ戦える、戦えないという問題ではなくな」


 もともとこのユージェ救援が最後の戦働きと決めてはいた。この遠征軍でも十分に働けこそしたが「ハゼルがいなければ詰んでいた」というケースはない。隊の陣容も整いつつあり、一人の豪傑が戦局を左右する組織ではなくなっていたのだ。


「デューン将軍も同行を申し出たそうだしな。歩兵隊の指揮は彼に任せて問題なかろうて。残る心配と申せば、世継ぎくらいのものか……」


 フレッドは遠征出発前に結婚こそしたが、すぐに出立することとなり夫婦が共に過ごしたのはほんの3日である。その点に期待するのは酷というものだろう。もう一つ別の可能性もあるにはあるが、そちらはそちらで幸せにやっている以上それを破壊するわけにもいかない。闘神と呼ばれた男の、実に歳相応の人らしい悩みであった。



『出立前にご挨拶をと考えまかり越しました。お二人のことはどうかご心配なく。最善の環境づくりを約束いたしますゆえ』


 ――まあ、心配と言えば賢く健やかに成長し戻っては来ないかということであろうがな。フレッドはその部分は伏せ、シャダは心を読む秘術は使えないが、両者は確かにその部分を共有できた。


『それともう一つ。連合宰相マイアー=ベルトラン先生は本当に恐ろしい方です。国土に甚大な被害が出ると分かっていても、それが最善の手段であれば皇国軍をユーライアまで引き込むことを躊躇いもしない。もし先生がスーラを敵だと認識すれば、この地は確実に終焉を迎えます。私のように甘くはないので』


――ゆえに、決起するなら相応の準備と覚悟をしておけ。次に目をつけられたら氏族の破滅なのだからな!……十を言わなくても理解してもらえる相手とのやり取りは楽でいい。そういう意味ではフレッドもシャダのことを評価している。


「忠告は胸に留め置こう。お主ほどの男が恐れるのだ、途轍もない傑物に相違あるまいからな。ところで大規模氾濫が治まれば、お主はどう致す腹積もりであろうか。またユージェを去るのかね?」


 この男を相手にするだけでも至難の業だというのに、その男が恐れるような師がいるという事実。かの英雄クロトが去り、後釜がマイアー=ベルトランと聞いた時は正直よく分からない相手だと思った。当時はクロトにばかり目が集まっていた時代で、しかもベルトランは裏で策を巡らせるのが主な役目。旧ユージェ王国の関係者以外では、その名を知る者は限られていたのだ。幾ばくかの時を経て分かったのは、ベルトラン宰相が任期わずかで失脚したということ。そのような人物なら大した男ではないと高を括るのも無理はないだろう。


(思えばこの男も数奇な運命の下にあったものよ。自身でその道を選んだにせよ)


 そしてマイアーが失脚し、フォーナー=ダルトンと聞いた時は笑いが止まらなかったものである。外交担当ダルトンの当主ということで為人を知っていたシャダとしては、フォーナーを無能とは思わないがトップに立つ器があるとも思ってはおらず、まさか皇国に攻め込むなどという愚行をしでかした上に無様な敗走までした始末。これは連合打倒も夢ではないと思ったものだが、皇国の懲罰戦争がこれほど早く行われるとは予想もしなかった。スーラ氏族が準備を整える間もなく始まった懲罰戦争は、裏切る機会を掴めぬまま氏族存続を賭け連合軍側に立つことを余儀なくされる。


『私が大陸南西部に戻ることは、もう二度とありますまい。実を申しますと、私には討たねばならない相手がおりまして。しかしその相手は強大であり、目下のところ勝算すら見当たらない有様。この一生を賭しても、機会が得られるかも分かりませぬ』


 どうせ二度と会うことはないであろう相手、嘘をつく必要もないと判断したフレッドは秘めた思いを吐き出す。その相手とは誰なのか……シャダは非常に気になるところだったが、ユージェを出て皇国でこの男すら勝算が見当たらないなど皇帝くらいしか思いつかない。シャダは答えを勘違いしたまま悟った気になってしまう。


「これは驚いた。お主ユージェでは満足できず、大陸すべてを手中に収めようということなのか。世の者どもは私のことを野心家と思っていようが、とんでもない。さらに上を往く桁違いの野心家がここにおったわ!」


 訂正するのも面倒なので、フレッドは一言「そんなところです」と告げシャダの下を立ち去る。今回は戦いの結果だけを見れば犠牲者もなく、低級の霊が憑依した骨や遺骸を相手にしただけなので楽なものだったが、一方でデューン将軍以下の獣人族歩兵隊が麾下に加わり戦力の強化も成った。総合的に考え大成功の裡に終わりを迎えた作戦行動である。


「さて。あらためまして今後ともよしなに、フレッド殿。あなたの下で鍛え、いつかは一本取れるようになれば……天にてクロヴィス様とよき戦いもできましょうから」


 デューンが彼なりに考え、導き出した答えがそれである。そこには惰性で生き永らえていた「武人の抜け殻」の姿はなく、未来を見据える「これからの人」という気が満ちていた。


「僕たちも、どうぞお願いいたします。しっかり学ばせていただきますので!」

「おじ……フレッド様、これからどちらへ行かれるの?」


 シャハーダとシャリィも里に別れを告げ、曳かれた竜に二人で乗り合わせている。不吉な単語を耳にしたフレッドは、かき消すような大声であらためて号令を下す。


『まずは隣接するリーア州マガスへ向かおう。万が一に備えて連合軍が準備をするなら、規模から考えてもあの街しかない。そこでペルゼ将軍に事の子細を報告し、警戒を解いてもらうと同時にユーライア行きの調整もお頼みしないといけないから』


 こうしてラ・イー地方と霊峰ラーヤ、そしてスーラ氏族を巻き込んだ諸問題は解決される。この後、スーラ氏族は統一連合に反逆の意思を見せることなく、しかし統一連合に深入りすることもない立ち位置を守り続けた。そして族長の資格として欠かせぬ必須項目に挙げられていた「秘術の才覚」という部分が削除されるのは、大規模氾濫沈静化からわずか1周期後のことであったという。

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