第16話 去りゆく者
『周囲の家屋から柱を調達し、城門破壊戦の要領で攻撃準備をせよ。損害については気にする必要はない。怪異を討てとは頼まれたが、家屋を守れとは言われておらん』
城門を破壊するためには、杭などを打ち付けて門を破壊するのが一般的である。投石用の大型機材があれば話は別だが、そういった装備を持たない部隊で「城門破壊戦準備」と指令が下れば、杭に持ち手や先端の補強を行うのが常道だ。
「狙いはあの御柱でしょうか。祭事用ですしそこまで強固に作られているようには見えませぬが、念のために5本ほど用意しておきます」
ここには攻撃すべき城門はなく、大質量をぶつけて破壊を目論むものと言えば祈祷所の中央にそびえる柱くらいしかない。スーラ氏族の山岳信仰には縁のないアル隊長も、さすがに祭事施設を破壊するのはやり過ぎな気はしたが、主が何の意味もなくそのような指示を出すはずがない……という点では疑う余地もない。
『そうです。あの柱にはおそらく問題の根源が詰まっているのだろうと、私はそう読みました。スーラの有力者たちは、本当にロクでもないことを考えたものですよ』
霊体がフレッドらに構う素振りもなく柱付近に漂っているのは、あそこに彼らを惹き付ける何かがあるという証左だろう。では、その何かとは。具体的に何であるかという断言はできないが、ある程度の予測はできる。そして答えを確かめるために柱を破壊しようというのだ。
「こちらの用意は整っております。作戦開始はいつでも構いませんぞ!」
デューン隊は騎兵が柱に打ち付けた杭を綱で引き戻す役を任された。騎兵が数騎で杭を引き柱に衝突させ、それを歩兵隊が引き戻し再利用する。杭が割れたり、柱に刺さり容易には引き戻せない状況となったら次弾を使う算段である。
『よし、作戦開始だ!グァン隊長、まずは君らからだ。自慢の快足、存分に披露してもらいたい。霊体が迫っても相手にせず、杭を打ち付けたら即座に離脱せよ!』
重装備の突撃隊、騎射が巧みなぶん速度よりも安定性を重視する乗り手が多い射撃隊と比べ、長槍隊は速力が貫通力にもつながるため速さを恐れない乗り手が選抜される傾向にあった。隊長のグァンはじめ女性が多めなのも、体重が軽い乗り手の方が速力は上がるという理由が大きい。
「得物が槍ではないのは残念なところですが、速さで後れを取るわけにはいきませんから。各員、恐れることなく吶喊です!」
グァンの号令の下、左右4騎に引かれた杭が地を走り柱にぶつけられる。柱は巨大で太く、そう簡単に打倒し得るものではないと予測はできたが、杭をぶつけられても揺らぎすらしない頑丈さだった。
「これは、5本では不足するやもしれませぬな。先代がおりましたら、杭の準備も打倒自体も手早く済んだのでしょうが……」
デューンはそう感想を漏らすが、その発言通り今回の登山にハゼルはいない。それはいかに剛勇無双であってもそのぶん物資の消耗も激しく、十全な補給を行える状況でなければ実力を発揮できない可能性もあるからだ。物資の枯渇や補給路の寸断といった心配がなければ存分に働いてもらえるが、敵の規模も地形すらも不明な戦いでハゼルを連れて来るというのは、少なくともフレッドの選択肢にはない。
『まあ、いない人のことを言っても始まりません。それに偉大な武人といえども、いつまでも頼りきりというのはやはりよろしくないでしょう?というわけで、この場は我らで切り抜けましょう』
こうなると分かっていたなら、それは連れてきたに違いない。しかしこうなると分かっていなかったのだから連れてこなかった。それに、ハゼルがいるなら万が一にも里が武力的に陥落することはない。霊的な面でも、社の能力者が多く残っているため問題はないはず。後背の心配をしなくてよいというのは、十分に意義があろう。
(私は「こうしておれば、こうなっておれば」と考えた。しかし彼は違う。そう思わないではないのかもしれないが、表面上は今を見据え「こうして、こうする」と考える。これが過去に囚われし者と、未来を考える者の違いということか……)
フレッドに実質的な完敗を喫してから、デューンはさんざんに悩んだ。当時は勝っていたはずの力がなぜここまで挽回され、逆転された挙句にここまで差も付いたか、同じく大切な人を失った彼がなぜかくのごとく在ったのだろうかと。力の方はすぐに答えは出た。日々の鍛錬を欠かさぬ者と、欠かした者の違いなのだろう。ではそうさせた理由はどこにあったのか。それがデューンにとって解決できぬ難問だったが、ここでその答えを得た。
「そうですな。それにあの衝撃、杭が尽きるころには柱にも亀裂の一つは入っておるはず。ならば我がファルケを以って、見事に切り倒して見せましょうぞ!」
そう言いつつデューンは地に突き刺した愛用の戦斧の柄に手を置き、部下に杭を引き戻せと号令をかける。その様子を見て、フレッドはデューンが吹っ切れたのだろうという期待を寄せたが、心の内までは読めない。そして近くには、まだ心に重いものがのしかかっている者たちがいる。
『スーラ氏族の方々にとって、祭事に用いるあの柱を攻撃されるのは見るに堪えぬかもしれません。しかしあれには、おそらく重大な秘密が隠され破壊しないことにはこの問題も解決せぬでしょう。それと、私の読みが正しければ君たちにも一働きしてもらわなければなりません』
シャハーダとシャリィに説明しつつ、フレッドは思う。子供を戦場に送り込んだスーラの有力者たちに腹を立てておきながら、私とて子供に酷なことを頼むというのですから……まったく大人というのは本当にロクでもない。そのような自虐的意見を思うのは自由でも、口にするわけにはいかないのだ。
「あなたが、自己の利益でそうなさるのではないことくらいは分かりますから。それに今では僕にも父上が見えます。あんなに怒り狂ったお姿は記憶にありません。何が理由でそうなったか、どうすればお助けできるのかを僕も知りたい!……です。ごめんなさい、生意気なことを申しまして」
現実派の会合に出たハゼルは「このような環境で育つのではあの子も不憫」と言っていたが、その意味がようやく分かった。このシャハーダは聡明な子だが、それゆえに自分の意見を口に出すことが危険を招くことも分かるのだろう。このままこの地で育てば、この子の命はない。実際に殺害されるかもしれないし、そこにまで至らずとも、自身の感情も出せず人としては死んだ形となって。
(まったく、誰かさんとそっくりじゃないか。いや、彼らは成人前で自分の意思を貫くこともできないのだから、好き放題やれた男よりもっとひどいかな。この問題もこのままにはしておけないか)
フレッドはシャハーダに「君は謝るようなことを言ってはいないよ」と諭すと、前線の攻撃部隊へと向かう。柱への攻撃は継続的に行われ、杭もすでに4本目となっているが、いまだに柱が倒れる気配はない。これは本格的に歩兵隊の投入も……と考え始めたのと時を同じくし、柱が傾斜し始めたという叫び声が上がる。
『どうやらあと一息、といったところか。だが柱の打倒後は何が出てくるか予想も付かぬゆえ、各員は気を抜かぬように。それと霊木を扱える者は武器を持ち替えておいてもらいたい!』
根元に度重なる衝撃を受けた柱は亀裂が入り、その状態で打ち付ける杭の高度を上げることで根元への負荷を増す。それを繰り返すこと5度目にして、ついに柱は根元から折れ倒れるに至った。周囲を漂う霊は意外にも柱への攻撃を阻害することなく周囲に漂っていたが、柱が折れると折れた場所へ集まっていく。
(霊は所縁あるものに惹かれる。兄さんの魂がそうであったように、あの霊たちが生贄となった動物たちなら……それが奉じられた玄室には彼らが恋焦がれるものがあったのだろう。そこまではいい。問題はあの御仁だ)
シャハーダとシャリィは「柱に漂う霊に父シャナムを見た」のである。生贄にされた動物たちが成仏できず、かつての体を取り戻したがったり人への復讐の機会を待っていたのは分からない話でもない。人に比べ生命力に長けた動物の類は人よりも魂の残留期間は長く、低級の霊として目撃されるケースはそれほど珍しくもないのだ。しかし知的生命の魂は悪霊化が早く、だからこそ死者はすぐに弔わねばならない。それを怠れば憎しみのままに暴れる災いとなるはずなのだが、シャナムの魂はそこまでの悪霊化には至っていないようである。死後3周期は過ぎているにもかかわらず。
「遺骸……いや骨……でしょうか?ご当主、柱の中に大量の骨らしきものが!」
杭打ちの指揮を執っていたグァン隊長は、折れた柱から多くの骨が散乱する様子を目にした。柱は巨大な岩の内部を縦に筒状の形でくり抜かれており、生贄を奉じる投入口から投げ入れられた生贄は内部に積もる形となる。そこで肉は朽ち、骨だけが残る……という儀式を繰り返してきたのだろう。
(大量の骨……か。まあ動物の遺骸だけならここまでの怪異を引き起こすはずもないのだから、おそらくその中には知的生命のものも含まれているに相違ない。おそらくシャナム殿のものもな)
「骨が、動いている!あいつら、元の体に戻ろうとしているのか?」
「杭打ち班は一度下がり、武装を整えろ!ここからは戦になるぞ!」
「腐乱死体が動きやがるよりかはマシってもんだ。やや狙いがつけにくいがな!」
周囲に漂う霊たちは「かつての自分」に戻るが、当然そこにはもう肉体が残されてはいない。骨だけとなり、それも柱の内部で飛散していたはずだが、霊が取りついた骨は形だけでも生前に戻ろうとしているのだ。四つ足と思しき獣、鳥と思われる形の骨もあるが、いずれも骨格を完全に再現はできず不格好さが際立つ。しかし何もないはずの眼孔は、命あるものを憎む光で満ちていた。
『打ち砕け!徹底的に叩き、彼らが死を自覚するまで手を緩めるな!これは人の業が生み出した災いである以上、人の手で決着をつけねばならん。総員、かかれぇ!』
号令の下、兵たちは突撃を掛け骨の魔物に攻撃を加える。歩兵は得物で打ち倒し、騎兵は竜に踏みしだかせ粉砕した。しかしその都度、それこそ何度でも組みなおされ姿を取り戻し動き出すのだ。肉と骨、違いはあるが不死という点ではロンティマーと変わるところはない。
「鋭利な部分で貫かれることだけに留意せよ。それ以外に脅威たる攻撃はない!」
骨の魔物の主だった攻撃手段は、かつて牙だったものでの噛みつきや砕けて尖った部分での突き刺しくらいである。敵としては武器を持つ人にはまるで及ばないが、何しろ死ぬことのない相手である。気付けば足元に転がっていた頭蓋骨に噛みつかれるような事態も発生した。
「前線部隊に支援射撃を行う。各員は手持ちの打装をすべて用意、前衛の奥を狙え。味方に当てるなよ!」
射撃隊隊長アルの号令により、弓兵は矢に覆いを装着し始める。打装とは鏃の周囲に重りとなる覆いを装着し、それを曲射で上空から降らせるための特殊矢である。堅固な盾や鎧で身を固めた兵への打撃力を期待して使われ、さらに火矢を容易に抜かれぬよう深く突き刺すためにも用いられる。矢が重くなることで落下速度も増すが、それだけに射程も著しく減少するという欠点があるものの、それは高所から低所の敵を狙う、などの手段で補うことが前提の装備だ。
「砕けろ骨ども。お高い矢を使ってやるんだ、ありがたく思えよ!」
重量のある矢の雨が降り注いだ一角の骨は、文字通り木っ端みじんに砕け散る。通常の矢では刺さることはあっても、砕くには至らないことが多い。そういう意味では効果のある攻撃だったが、根本的な解決とはならないのもまた事実である。
「くそ、こいつらキリがないな。まあ起き上がらなくなるまでやるしかないんだが」
「おい見ろ、なんだか変な野郎が出てきやがったぞ!」
それは、獣の骨と思われる胴に複数の頭部が接続された奇怪な姿の骨だった。他にも獣の背に鳥の骨格が乗っていたり、人の上半身に下半身が獣のものもある。砕かれた骨に憑依していた霊体が、それでも諦めきれず原型を留める他の骨へさらに憑依し残骸を集めた結果に誕生した、奇怪な合成体であった。
「こう見えて俺は骨格に詳しくてな。あの人骨、生前は美人だったぜ?」
「確かに色白で寡黙で奥ゆかしい感じはするが、あれに好かれたくはねぇ!」
「嘘くせえ。てか、骨美人とかまるで興味ないな。おまけに下半身は獣だぞ?」
かなりの「堅物」と思われたフレッドも、兵たちのこういった軽口を咎めたことはあまりない。彼らには彼らの流儀でもあるのだろう……という考えがあったからなのだが、少なくともそれを真似ようとは思わないし、終生それを真似たことはない。
(まともに憑依できる依り代がなくなれば、霊たちも諦め現実を受け入れてくれるだろうか。日没を迎えれば「搦手無用」を使うという手段も出てくるが、それは可能なら最後の仕上げとしたいところだ)
実を言えば祈祷所に突入した際、状況を確認したフレッドは日没まで後退し決戦の機会を待とうとも考えた。その気が変わったのは、シャナムを見たというシャリィの言葉に嘘はないと思ったからだ。もし決別の機会がないままシャナムの霊を祓うことをすれば、いつの日か後悔する日が来てしまうに違いない。少なくとも自分は兄を祓えたことを後悔はしておらず、それを例えばプラテーナに任せていたらきっと後悔したに違いないのだ。
『君たち!酷かもしれないがお父上を探してもらいたい。そして君たちの手で引導を渡すんだ。そのための手伝いはするから心配はいらないよ。これはつらく悲しいことだけれど、やらなかったら君たちはいつか後悔することになってしまう!』
シャハーダもシャリィも、フレッドの言葉の意味はよく分からなかった。しかしこの人が自分たちを騙そうと、あるいは利用しようとしているのではないことは分かった。スーラの里にいる大人は自分たちを人としては見ていない者ばかりで、このように向かい合ってくれる大人はいないも同然である。周囲がそうである以上、彼らが心を閉ざし臆病になるのは当然のことだが、この人に対しては臆病である必要はないと思えたのだろう。
「分かりました。父上をお助け下さい!」
「お父様のお怒りを、鎮めて差し上げてください……」
そう告げると二人は前方の喧騒に神経を集中させ、かつて父だった存在の魂を探し始める。フレッドはそれを見やりつつ、二人の護衛に残っていたデューンに言葉を掛ける。
『私が兄と対峙して学んだのは、縁ある存在のみが悪霊化する魂を救い得るということ。シャナム殿に所縁ある武器でもあればよかったのですが、手元にないとなればあの両名の手を借りるしかありません。私はシャリィ殿を乗せて槍を突き入れ、将軍の方に弾きます。あとはシャハーダ殿に手を添えていただき、将軍の斧で引導を渡して差し上げてください』
その計画を聞いたデューンの頭をよぎったのは、なき主の魂もこのように利用されたのかという怒りだった。しかし肝心な場面に自分は居合わせず、主の魂を送ることすらできなかったという後悔が湧き出してくる。フレッドはそのような思いをこの子らに味合わせたくないのだろう……ということを瞬時に理解できたデューンはフレッドの指示を快諾した。
「安んじてお任せあれ。必ずや務めを果たして御覧に入れまする!」
フレッドの計画には、まだ裏がある。この「魂を解放する」一連の行動を、デューンが旧主の死を乗り越えるきっかけになれば……というものである。幼い子らでも家族の死と向き合い、こうして訣別する。いくら敬愛した主であっても、成人した武人であるデューンが乗り越えられないはずはなく、乗り越えなくてはいけないのだ。
「いました!柱が折れた場所で座っています!」
その声を耳にしたフレッドとデューンはかつて柱が場所に目を向ける。そこには人骨が、胡坐をかいて両手を胸元で重ね合わせ座っているように見えた。通常の遺骨があのような姿勢を保てるはずもなく、それに霊体が憑依していることは間違いない。
『各隊に通達!柱があった場所に鎮座せし遺骨が攻撃目標だ。引導は遺族たるこの子らの手により渡すゆえ、そこへ至る道を切り拓いてもらいたい!』
その指令に、各隊は応じ気勢も上がる。ただ漠然と戦い続けるよりは、やはり目標が定められた方が気合も入るというものだ。
「よし、突撃隊は俺に続け!接敵後は盾で敵を押し留める!どうせ蘇ってくるのだ、無理に倒そうとしなくてよいからな!」
ベタル隊長指揮下の突撃隊が前進を開始し、柱への道を切り拓く。もともと骨の攻撃は重装備の突撃隊員には効果が薄いこともあったが、それ以外にも戦闘力差を決定的にしてしまう要素がある。それは、霊体の主だった攻撃手段は相手の恐怖心を煽り間隙を縫って憑依する、もしくは浮足立った相手にトドメを刺すというものだったのだが、フレッドの隊にしろデューンの隊にしろ旧ハイディンの戦士団は「戦場での恐怖」とはもっとも無縁の存在だったのである。
「前は勝った。もちろん次も勝つ!」
「当然だ。うちのご当主が負ける戦をするはずはないからな!」
それは実際に勝ってきたという事実に基づく、兵たちの信頼と自信。見ようによってはハイディンという信仰の、当主は生きたご神体とも言える。これが先代当主の場合は「闘神の後継者に勝てる人間がこの世にいるものかよ」ということになっていたのだが、いずれにせよ戦士団を仕切るというのは風評も気にせねばならないのだ。
『道が開いたか。では行きますよ、シャリィ殿!竜が走り出したらとにかく歯を食いしばって、私が声を掛けたら槍に手を添えお父上の成仏を願ってください』
フレッドは掛け声を合図に竜を走らせ、柱の下に鎮座するシャナムを目指す。途中で部下の腕や体に噛みついた骨どもを叩き落としながらも、まさに星が流れるがごとき流麗さで兵と骨で埋め尽くされた大地を駆け抜ける。
(デューン将軍もついてきているな。あちらはシャハーダ殿を小脇に抱え、自らの脚で疾走するか。さすがに獣人族は剛健だ)
ちらりと目をやった後方には、シャハーダを抱えたデューンが追走してくる姿が見える。さすがに竜ほどの速度はないが、遥かに小回りが利く分とっさに出てきた骨なども巧みに避けつつ走っている。これならば、先に槍を突き立てた後に追撃を掛けるという作戦も成就するであろう。
『魂に敵も味方も、人と獣の分別もなし。ただ還るべき場所、天へ至る道に歩まれることを願うのみである!スーラ族長シャナム殿、ご子息たちがお見送りいたすとのこと。後事は善処いたすゆえ、心置きなく逝かれませ!』
そう高らかに宣言すると、フレッドは槍を小脇に抱えつつ正面に向け構える。その宣言を合図と受け取ったシャリィも槍の柄をしっかりと握りしめた。フレッドらの準備が整った時、座り込んでいた遺骸は立ち上がり、両手を広げ仁王立ちする。
「お父様、どうか安らかに……」
絞り出すようなシャリィの声を号令とし、フレッドは竜を加速させる。そして遺骸の手前で制動をかけ、竜を左に向ける。右に抱えた槍を突き立てやすくするためであり、戦場であればこのようなことはしなかったろう。だが相手はあくまで遺骸、さらに言えば力でねじ伏せることが目的でもない。自らの子に討たれた、という事実が最重要である以上は威力よりも精度が求められる状況なのだ。
『お務めご苦労様。つらい仕事を頑張ったね。あとはお兄さんに任せよう?』
目を閉じ涙を流しているシャリィにそう声を掛けると、左に向けていた竜を右回頭させ後ろへシャナムの遺骸を飛ばす。だがシャナムは意外なほどに重く、半ば引きずる形になってしまうがどうにか後方へ向けることはできた。
「さあご子息、あなたの手でお父上に引導を渡されよ!この不肖デューンめが手をお貸しいたす!」
デューンは左小脇に抱えたシャハーダごと高く跳び、空中でシャハーダに自身が右手に持つ戦斧ファルケの柄を握らせる。そしてその着地点には、押しやられたシャナムの遺骸が直立していた。物言わぬ口、もの見ぬ目、聞こえぬ耳すべてにおいて知覚力は皆無であるはずだが、その顔はシャハーダに向けられている。
「さらばです父上。スーラの未来のため、僕に出来ることを必ずや全うするとお誓いします!」
着地したデューンは、斧を持つ右手は動かさなかった。あくまでシャハーダが斧を「振り下ろす手伝い」として、支えていただけである。だが斧は肩口を捉え、半身を打ち砕いた。これが命ある人であれば、間違いなく即死であろう。
(これでご満足いただけるかな、シャナム殿。私はこれで後悔しているのですよ。あの時、あの和平交渉の折……族長とその家族はユーライアに連行し人質とすべき、という意見も多かった。が、私はそれを退けたのです。もう戦乱の世は終わりで、故郷から引き剥がされる必要もないだろうとね。だがもしユーライアにお連れしていればこのようなことにはならなかった。あなたに良かれと思っての私の判断は過ちだったのか……と。だからこれは私の罪滅ぼしでもあるのです)
むろんシャハーダからの返答はない。だが遺骸は再生せず、それが返答とも言えるのだ。つまり、シャナムの霊は「かつての自分」から抜け出したのだから。
『作戦は成功だ!シャナム殿の魂はご子息らにより解放され、もはや殲滅に思うところもない。各隊は一時後退し、祈祷所の入り口に集結せよ。夜を待ち「搦手無用」にて、人の醜い欲望が生み出した争いに決着をつける!』
その夜、霊峰ラーヤの麓にあるスーラの里では異様な光景が観測された。霊峰ラーヤの中腹にて大規模な赤い発光現象が見られたのだ。里の人々の多くは、それを不吉な禍々しい光と感じたが、その光の意味を知るハゼルとお付きの数名は戦いの終結を予感する。
「あの様子では、怪異との戦いも終いじゃな。明日にはみな帰還するだろうて。もっとも、真の戦いはそれから始まるのであろうが……」
ハゼルの独白の意味を、お付きの者たちはよく理解できなかった。しかしすぐに理解することになったのは、帰還したフレッドの顔が非常に険しかったからだ。普段から眉間にやや皺が入っている、俗に「美男子と言えるが目つきが鋭すぎる」顔つきが完全に臨戦態勢となっていたのだ。
『私はスーラの者どもと一戦交えることになろうとも、連中を野放しにしておくわけには参りません。放置すれば、また惨劇が繰り返されるでしょうから』
帰還するなりそう宣言したフレッドに、ハゼルは少々驚かされる。あまり感情を激しく表に出す子ではないのだが、今回はかなり腹に据えかねている様子なのだ。しかし祈祷所で起こった事象から予測されることの顛末を聞き、怒るのも無理からぬことと思う。
「シャナム殿のことは不幸であったとしか言えぬ。だが、それについてお前が責任を感じることはない。彼らは誰かに強制されてそれを成したのではなく、彼らは彼らの意思でそうしたのであろう。極端なことを言えば、真に権力を奪うためなら彼らはユーライアにだって暗殺者を送ったやも知れぬ。結局のところユーライアに連れて行ったら行ったで、別の悲劇が待ち受けていた可能性もあるのじゃから」
だからこそこれからどうするかをしっかり考えねばな。そう締めくくったハゼルには、変えられるものなら変えたい過去が多くあった。しかし人にそのような力は備わってはいない。
『そうですね、少し頭に血が上っていたやも知れません。差し当たっては、あの二人をどうするか……となりましょう。ここに残しておくのはあまりに危険です』
その意見にはハゼルも全面的に賛成だった。二人の息子も、付き合いのあったベルトランやダルトンの幼き子らも才を放っていたが、シャハーダやシャリィもそれと同じような感じであると思える。そのような子らは適切な環境で育てば世を担い得る逸材ともなるが、環境が悪ければ大抵は悲惨な末路を辿るものだ。その多くが、利用された挙句に始末される、という形で。
『私は芝居が下手ということで、あまり賢き手段とも言えませんが……ここは一つ連中を恫喝してやろうかと考えております。その折、父さんや隊の皆はデューン将軍らと共に会議場を包囲し、我らの覚悟をお示しいただきたく』
芝居が下手と妻にもヘルダ村の人々にもからかわれるフレッドのこと、ただ脅すだけでは見抜かれる可能性もある。そこで、実力行使する素振りを見せて論戦を有利に運ぼうというのである。氏族のために戦った者たち、ということで里の評判も概ね良好であるため、行動もそれほど制限されていない今ならそれも可能だった。
「そちらは任せておくがよい。で、お前は単身あの子らだけ連れて乗り込むのか?」
いくら数がいようとも、戦場にも出ず子供を送り込んで自分たちは待っているような腑抜けに後れを取ることはない。ただし二人も守りながらではそうもいくまい。ハゼルはその点を危惧していたが、フレッドはそこも織り込み済みである。
『こちらの言い分に道理あり、となれば警備の兵たちも敵対はいたしますまい。それくらい出来なければ、そも話になりませぬ』
普段は用心深いほどに作戦を練るくせに、意外と出たとこ勝負なところもある。これはユージェにいたころはあまり見られない傾向であり、国を出てから変わった点の一つといえるのだろう。あまり悠長に作戦を練っていられない、もしくは練っても根本的な部分で厳しい状況で意味がない……ということも多かったが。
「お前がそう申すのなら、それでよかろう。万が一にも劣勢に立たされそうなら小柄でも窓に投げつけるがよいぞ。すぐに突入してやるわい」
ご心配には及びませんよ。そう告げるとフレッドは二人を引き連れスーラの有力者たちが待つ会議場へと向かう。昨晩は夜半まで戦い、殲滅後に休憩し早朝に帰還するという強行軍である。そのため、帰還後も二人の子はフレッドの宿舎で休みまだ有力者たちとは顔を合わせていない。当然、祈祷所で何があったかも知らぬまままだ。
(シャナム殿は去った。望むと望まざるとにかかわらず。さて、次に去るのは誰になるのかな。悪事が露見した連中か、それとも……)
長柄の剣部分を、連結すれば槍の柄にもなる鞘に収まったフレッドの龍ノ稲光を物珍しそうに見ていた二人にちらりと目をやれば、二人もしっかりこちらを見返し笑みを浮かべる。相手がスーラ氏族ではないフレッドということもあり、もう目を伏せようとはしない。
(この子らを死なせはしない。実際の命も奪わせないし、人格を殺すような真似もさせぬ。それが私のシャナム殿に対する罪滅ぼしの総仕上げだ!)
その決意と共に歩み始めるフレッドの黄玉の瞳の先には、スーラの有力者たちが待ち受ける会議場が映し出されていた。
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