第15話 憎しみの柱

「おぅ、戻ったぞ!残念ながら収穫は微々たるものじゃった。酒も食事も豪勢なものではあったが……」


 フレッドよりもかなり遅れて帰還したハゼルに言わせると、現実派は「酒食に関しては優秀」ということになる。要するにそれ以外は褒めることがないということだ。


「どうしたのだ、フレッドは。まるで覇気がないようだが?飲み食いしすぎて腹でも痛めておるのか」


「はぁ。それが我らにも理由はよく分からず……体調不良ではないと申されておりますゆえ、本日はお疲れなのやも知れませぬ。デューン将軍とも戦われたことですし」


 ハゼルが近くにいたベタルに問いかけるが、明瞭な返答は得られなかった。もっともハゼル自身も現実派と会談してみてうんざりする要素がてんこ盛りだったので、息子が疲れ果てていたとしてもおかしくないという思いはある。


「その様子では、いい話は聞けなかったようじゃな。こちらも同様じゃ。しかしこの地は腹黒さが地位に直結する仕組みなのかのぅ。このような環境で育つのでは、あの子も不憫だわぃ」


 宿舎の窓から外をぼんやり眺めていたフレッドに、ハゼルが話しかける。実は女の子に「おじさん」呼ばわりされたのが意外にショックだったのだが、そのようなことを誰かに相談できるはずもない。そのため自問自答を繰り返す有様だった。


『ああ、お戻りでしたか。仰る通り、こちらもどうしようもない打算を見せつけられましたよ。正直を申せばこの地の腹黒い者どものため戦う気にはなりません。が、戦わなければユージェや皇国にも悪影響が出るので戦わざるを得ない。そこに葛藤が生まれておりまして』


 本当は別のことで葛藤が生まれてもいたが、そのことは敢えて伏せる。しかしハゼルの方はフレッドよりもまだマシな相手だったらしく、フレッドほど悪しざまに罵ってはいない。それにスーラ氏族の成り立ちを考えれば仕方ないのだという。


「このような山間地で大勢力を築くというのは、地形的に恵まれたユージェ王国が勢力を伸ばすのとは比較にならぬ苦労があったのだろう。その厳しさに人が向かい合うためには、自らが強く在るしかない。肉体的にというのもあるが、精神的にも図太くならねば生きていけなかったのじゃろうて」


 そういうものですかね……というのがフレッドの感想だったが、相変わらずぼんやりと外を眺めている。普段とあまりに違う態度にやや心配したハゼルは、フレッドの知的好奇心を刺激すべくとっておきの話題を提供した。


「ところでな、スーラの秘法を使える者は幼少期からその才を発揮するらしい。しかし加齢とともに力は失われ、そうさな、俗にいうところの「おじさんおばさん」になると力は弱まってしまうということじゃ。そのため、力が弱まれば目を封印し見えぬものだけに集中することで補うとのことじゃ。あの子らも、今は目を封印せずともよいのだろうが……いずれはそうなるのやも知れぬな」


 また「おじさん」か、もう勘弁してくれ!……というフレッドの気持ちなど知る由もないハゼルはごく普通に説明を終えるが、確かに興味深い話ではある。あの子らが目を封印されていなかったのは、まだそうしなくても力があるからだ。逆にシャダが封印されていないのは、おそらく秘法を使えないからに相違ない。となれば、そう遠くないうちにスーラ族長の座は力を持つシャハーダなりシャリィへ移るのが筋と思われるが、腹黒いこの地方の有力者がそう簡単に権力を手放すとも思えない。


『そうですか。それは確かに興味深いですね。秘法を使えない現族長が、秘法を使える対立候補に脅かされている……と。秘法を使える前族長から、そのまま秘法を使える子らに族長の地位が移れば、シャダ殿は一生日陰者ですか。なるほど』


 ハゼルがこの話をしたのは単純に話題提供のつもりだったのだが、フレッドはそうは受け取らなかった。そしてフレッドの返答を聞き、ハゼルもキナ臭さを感じることとなる。


「つまり、シャナム殿の病死自体がやはり怪しいと。そしてこのままでは族長の座を奪うであろう二人の子らも同じ運命を辿るのではないか……ということじゃな。己の欲望のために兄弟肉親に手を掛けるなど考えたくはないが」


 ないとも断言できない。ましてや、打算的な傾向にあるこの地の者ならば。疑惑の段階なのでハゼルは言葉を切ったが、最後まで言ったとしたらそうなるのだろう。


『スーラ氏族内部のことに口出しはしない方がよいのでしょうけど、あの者らに吠え面をかかせてやるのも一興ではありますね。策を弄し、他者を陥れるのが自分たちの専売特許だとでも思っているなら尚更』


 フレッドはやるべきことが山盛りなので、一氏族の諍いなどにいちいち構っていられない立場ではある。しかし不愉快な連中が不快な手段で暴利を得ると思うと、嫌がらせの一つでもしてやろうかという気になる程度には感情的だった。


「そういうところは年甲斐もなく、という気はするのぅ。だがお前は昔から達観し過ぎて、歳の割に大人びておったからな。時には感情を優先させても罰は当たらんよ」


 ……つまり歳の割に(精神的には)老けていた、ということなのだろうか。例えば、ザイールに引き上げたブルート=エルトリオはフレッドより年上だが、エネルギッシュで若々しい感じはする。そういうところが、もしかしたら「おじさん」ぽく見えてしまう理由なのかもしれない。


『自分の在り様を、少し考えてみることにしますよ……』


 そう言い残し、フレッドは自室へと向かう。残されたハゼルは息子の真意を悟ることはできなかったが、それは昔からのことなので大して気にも留めなかった。



「シャハーダ派とシャリィ派がそれぞれ、ハイディンと接触した模様です。詳細は分かり兼ねますが、芳しい結果は得られなかったとのこと」


 深夜に開かれた過激派の会合では冒頭、他派の動きに対しての報告が行われた。出席者たちは一様に「愚か者」「売国奴」と罵っているが、シャダは口を開くことなく思案に暮れ、部下たちが静まるとようやく重い口を開く。


「相手は曲がりなりにも南西部を統一に導いた男だ。しかも若くして、武力だけにものを言わせるわけでもなくな。子供を担ぎ上げねばならぬような輩が対抗できるはずもない、捨て置け」


 シャダ自身は有能な男だった。しかし秘術の才能は持って生まれるか否かの話であり、兄には才能が有って弟には才能がなかった。その部分以外は自分の方が勝っていたにもかかわらず、である。スーラ氏族はその特性上、年下でも秘術の才があれば年上の才がない子を差し置いて上に立つ。そのような風習が、シャダを余計に駆り立てることになったのだ。


(なぜ秘術の才だけが重宝されるのか。そのようなものは使える奴に任せればよいではないか。すべてを勘案し、総合的に優れる者が上に立てばよい!)


 こうして野心に駆られた弟は兄を暗殺する。殺意を悟られぬよう、少量の毒が入った調味料を用意し、自分もそれを食し自分だけは解毒薬を飲む、というものを続けるという手法で。そのため、シャナムの妻もシャダの妻も同じく世を去り、子供用の料理を別に用意されていたシャハーダとシャリィだけが生き延びたのである。


「明日以降、霊峰ラーヤの掃討作戦を開始させる。あの地では秘術の使い手が案内せねばならぬ場所があるゆえ、社の者だけでなく兄妹にも出張ってもらうとしよう。そこで死んでくれればよし、仮に死なずとも下山途中に不幸が舞い降りる可能性もあろうからな」


 理由をつけて戦場へ送り、そこで戦死しなかったら帰路に暗殺する。決意すれば子供相手でも容赦しないあたりは、さすが野望のために妻をも犠牲にした男である。そんな男がどうして能力者の兄妹を生かしておいたかと言えば、自分の都合のいいように育つ可能性もあったからである。しかしこうして反対派に担ぎ上げられ、しかも危険な外敵と手を組む可能性まで出てきたとなれば座視はできない。


「残念だよ。本能的に我を恐れておるのか、まるでなつかぬ子らで」


 スーラの秘術の使い手が今のシャダをしっかりと観察できれば、黒い影が彼を覆っていることが分かっただろう。しかしその力ゆえ、スーラ氏族では相手をまじまじと見つめるのは最大級の無礼とされており、家族や夫婦、恋人同士以外は目を合わせて話すことも滅多にない。頭を下げてシャダの言葉を聞いていた部下たちは、その死刑宣告に身震いする想いであった。



「霊峰ラーヤから怪異が湧き出る理由はいくつか予想される。まずは氏族の墓場ともいうべき氷洞穴。ここには氏族の功労者たちの遺体が安置されており、氷洞穴という特性上、その遺体は朽ちることなく氏族を守り続けるとされておる。洞穴の入り口は厳重に封印されており、霊体封じのまじないも施してあるが、どこかに穴でも開いて邪なモノが入り込んでしまったとしたら怪異が溢れ出るのも不思議ではない」


 死してなお、氏族を守り続けるはずの者たちが今では災いとなってしまったのだとしたら、それは最上級の皮肉でしかない。ここにしろ「黄泉の回廊」にしても、遺体を残す形の葬り方は問題も多いのだが、それが古来よりのしきたりであるならば外の人間が変えさせることはできない。


「そしてもう一つ、本命と目されるのがラーヤの中腹にある祈祷所だ。歴代の秘術使いが育成期1日に、ラーヤへ豊穣を願い奉るための場所であるが、その際には供物として家畜等が捧げられる。その遺体はもちろん丁重に処理するが、望まぬ死を与えられた供物たちの怨念が溜まっていた可能性はある。それが邪なモノに刺激を受けたという可能性もな」


 スーラ氏族の宗教儀式を取り仕切る「社」の神官から説明を受け、フレッドらの外部傭兵部隊は配置割りの相談を始める。区分けは「邪なモノが入り込んでいなければ安全かつ楽な仕事」の氷洞穴に人気が集まったこともあり、フレッドらの祈祷所行きはあっさりと了承された。


『我らは竜も使える野外の方が向いています。それに、祈祷所が当たりと決まったわけではありません。なにしろ「黄泉の回廊」では閉鎖状況で襲われたようですし。それなら外の方がまだマシです。しかし問題点が……』


 結果的には「祈祷所が当たり」だったのだが、後にシャダらは祈祷所が問題の発生源であることを知っていたことが発覚する。その伏線となるのが、フレッドも思わず愚痴をこぼした「問題点」である。


『いくら能力があるといっても、あのような子供を戦場に引っ張り出すのはどうかと思うんですがね。それも守りながら戦える状況かどうかも分からないというのに』


 フレッドら祈祷所組に割り当てられた能力者はシャハーダ・シャリィの兄妹で、本来ならこの時点でよからぬ企みがあることに気付くべきだった。しかし昨晩の会合において「大きく戦力を失えば後ろから刺される」とは言われたが、まずはこの怪異に対処するのが全会派で一致したと聞かされている。まさか兄妹もろとも葬り去られようとするとは考えもしなかった。


「こちらのご両名は私どもの方でお守りいたそう。そちらはそちらで、思うように動かれるがよろしい」


 そしてもう一つの問題が、同じく祈祷所組となったデューンの隊である。元々は同じハイディン一門衆の出身だが、だからこそフレッドの隊とは微妙な距離感が出来上がっている。緊密な連係で共闘する……というのは難しいだろう。


『では、お二人につきましては将軍に一任いたします。それと一点だけ。場合によっては「搦手無用」を使うことになるかもしれません。奇跡の力以外の応急処置手段も忘れずご用意ください』


 それは、デューンらにとっても懐かしい響きの言葉である。かつての彼らはその呪物による「神魔封滅の法」を以って神霊力や魔力を封じ、己が身一つで敵陣へ斬り込んだものだ。また、あの赤光の下で戦うことがあるのだろうか。


「承知いたした。いざという時はこちらに構わずお使いあれ。元より我ら、奇跡の力はあてにせず戦ってきておりますゆえ」


 その心構えはあまり変わっていないのか……フレッドの感想はそれだったが、別の考えも頭をよぎる。神霊力や魔力が無効化されると、スーラの秘術はどうなるのだろうかということである。子供たちの体に悪影響を及ぼすならうかつには使えない。


(あの子らに尋ねてみても、おそらく回答は得られまい。ならば同じ能力者である社の者たちに聞くしかないか。正確に答えてくれるかは分からぬが)


 皇国でいう「教団」の「神官」たちに該当するのが、ユージェでは「社」に所属する「神職」たちである。どちらも別世界の強大な力を持つ存在に祈り願い、奇跡の力を行使するという点では大差がない。主に力がすべての第一界の存在に働きかけるため、俗に「神」と呼ぶ世界の創造者たる「永劫不変の存在」とは異なる。


「スーラの秘術は霊峰ラーヤ自体が信仰対象であり、この山から授かる力です。ここが存在する限り力がかき消されるとも思えませぬが、万が一にも力が弱まったところで目に見えぬものがそのまま見えなくなるだけ。あの子らはまだ目を封じておりませぬ以上、特に支障はござりますまい」


 そう答える老神職の発言は、嘘のようには感じなかった。もともと能力者たちは嘘をついても見抜く力があるため、自身が嘘をつくことにも恐れを抱く。余程のことがなければ嘘をつくことはなかったのだ。


『それを聞き安心いたしました。大人の都合で子供たちを犠牲にしたのでは、寝覚めが悪いなどというものではないですからね』


 冗談めかしたそのフレッドの返答に、老神職は嘘を感じなかった。



『山の中腹を目指すにあたり、能力者の先導が必要となる。ゆえに先陣はデューン団長の隊にお願いする運びとなった。我らはその導きに従う形となるが、狭い山道では竜を降りて進まねばならぬ可能性も高い。また、敵の性質上どこから襲撃があるかも予測が難しい。各隊は騎兵を3割に削減し、残りは歩兵として臨むように』


 祈祷所は開けた場所と分かっているが、そこに至るまでの道がそうではないことも判明している。そして細い間道では騎兵の利点など高所から攻撃できることくらいであり、それも浮遊する霊体が相手では大した意味も持たない。二脚歩行のレック竜は登山にも適した生物ではあるが、いつものように騎兵が多い構成では間道での即応性に欠けると思われたのだ。


「こんなとき、突撃隊は装備も重くて大変だな!」

「長槍隊こそ、徒歩でそんな長物をまともに扱えるのかよ!」

「私の槍も、ご当主のように畳めたらよかったのに……」


 といった喧騒が治まるころには部隊編成も終わり、デューン団長は竜に跨った幼い二人を連れ登山を開始する。霊峰ラーヤは鉱山だが、険しくなるのは七合目あたりからで中腹の祈祷所までなら厳しい登山とはならない……はずであった。


「山の上から屍どもが駆け下りてくるとはな。死んだ後に怪我などしようもないから無茶も何もないのだろうが、足がもげ頭だけになろうともこちらへ突っ込んでくる姿はさすがに気色が悪い。いちいち相手にせず、そのまま崖下へ放り投げてやれ。あれでは山登りなぞできぬだろうよ!」


 デューン隊は山上から迫る屍の群れを、次々と側面の崖から叩き落としていく。位置によってはフレッドの隊に屍の一部が降り注いだりもしたが、大半は体が大きく損壊しており憑依体は抜けた「ただの屍」である。戦場慣れした武人にとって屍などで心動かされたりはしないが、それでもいい気分がするものではない。


「今日の天気は快晴と聞いていたが、ところによりにわか死体か」

「山の天気は変わりやすいからな。次は霊体が降ってくるかもしれん」


 たまたま屍が降りかかった兵が盾でそれをさらに崖下へ押しのけつつ、同僚に向かい軽口を叩く。冗談めかしてはいるが、そうでもしないと気が滅入ってしまうのだろう。そうこうしているうちにも登山は進み、三合目を過ぎたあたりで休憩となる。


「ここまでは概ね順調、といったところですかな。転がり落ちてくる死体も減り、あちらも「弾切れ」を起こしておるのやもしれませぬ」


『弾がなくなれば、次は本体が出てくるしかありますまい。例のものの準備はよろしいですか?』


 休憩中にフレッドらとデューンが打ち合わせをする。例のものとは、低級の悪霊なら祓える霊木ブレの武器のことだ。


「このような霊峰と呼ばれる場所では、折々に悪霊も出るようで。社には巡礼登山者に貸し出すための杖として大量に用意されておりました由。抜かりはござらん」


 山登りに使う杖を、悪霊が出た際の護身用として貸し出す。スーラ氏族はもちろんのこと、近隣の諸氏族もスーラの支配が及んでいたころは霊峰を訪れる者も多く、あまりに未帰還者が多ければ悪評も広まるため、社としても心配りは欠かせなかった。


「里にまで下りてきた悪霊どもを祓う仕事もありましたから、そのあたりは問題なかろうかと存ずる。やはり焦点は「祈祷所に何が待ち受けているか」となりますが、これだけの数がおるなら対処しきれぬことはないと」


 デューンの隊は総勢200に満たない規模で、そのため長もデューン一人である。傭兵団としてはそれが一般的で、一つの団に複数の隊が存在し別個に動けるというほうが少数派である。そういった組織分けは主に軍で採用される手法であり、指揮系統が確立されていなければ混乱を来たすだけ。単なる傭兵団と考えれば、500近い「華心豪胆」が異質と言える。


『祈祷所に近づきましたら、まず我らが突入し橋頭堡を確保いたします。これは足の速い我らのほうが適任でしょうからお任せを。敵がどれほどいるかは不明ですが、憑依体を生み出す何かが存在する……というのが「黄泉の回廊」での経験則です。それに対処せねばこの戦いは終わりますまい』


 ギャフラーが言っていた「真理を見せる不変の者」が何であるか。それはフレッドも直には見ていないため分からない。分かるのは、霊が溜まりやすい場所にはそういう存在が出てきやすいのだろうということだ。そのような超常の力が働くからこそ、人は聖地だの霊峰だのと崇めるのだろうから。


(ロンティマーのようなものが出るほど、ここには「素材」がないはずだけどね。出るとしたら氷洞穴の方だと思うが、管理を怠ればそうなることは社の者どもも分かっておるだろうから監視は厳重なはず。となると、この祈祷所には生贄として捧げられた動物たちの魂以外に霊を引き寄せる何かがあるということなのだろうか……)


 デューン隊を始め、スーラに雇われた傭兵団はもう50日ほど里の防衛を行っているという話を聞いた。それだけの期間も悪霊祓いを続けていれば、いくら大氾濫が起きているとはいえ打ち止めになって然るべきなのだ。それが枯渇もせず悪霊が湧き出で続けるということは、強烈な発生源があるとしか考えられない。


(だが、スーラの有力者も社の者たちも原因は不明だという。おそらく誰かがその原因を知った上で知らぬふりをしているのだろうが、ここで止めねばまずい事にはなるからな。まったく、すべてを打ち明けて協力を求められる相手なら気は楽なのだが)


 そのような考察を進めているうち、先頭のデューン隊が祈祷所を視界に捉えたという報告が入る。すでに進軍を停止し、作戦の開始を待つという知らせも届いた。


『よし、ここからは我らの出番だ。騎兵は祈祷所に突入後、状況の確認と侵入経路の確保を行う。敵が寄ってきた際の反撃は構わないが、後続が揃うまでこちらからの攻撃は禁ずる。作戦の第一段は隊の突入と展開、ということを忘れぬように!』


 手短に指示を行うと、先行の部隊を追い抜く形で騎乗者たちが祈祷所への突入を開始する。霊峰ラーヤの中腹に設けられた祈祷所は平坦な開けた場所にあり、一軍が問題なく進入できる広さはある。所々に休憩所や宿泊所と思しき建築物はあるが、このような問題が起こってしまってからは係員も避難し人の姿はない。ここで目に付くのは祈祷所の中央にある祭壇と高い柱だろう。


「橋頭堡、確保完了です。敵の姿はありません!」


 待ち伏せくらいはあるかもしれない。そう覚悟して突入した一番槍の突撃隊はやや拍子抜けしたものの、指示通り下山道へつながる部分を確保する。そこから続々と残りの部隊が祈祷所への突入を開始し、最後に到着したのはデューン隊であった。


『さて、こちらは戦力の結集を図れたが……あちら側はどうかな。このまま何もないなら、それはそれで構わないのだけれどね。さすがにそうもいかないか』


 そう呟いたフレッドの視線は祭壇の方に向けられている。厳密には、その奥にある柱に対してだったが、そこには無数の霊が取り巻いている様子が見て取れる。


『私には神霊的素養は皆無ですが、それでもあの柱がいかにも怪しいことくらいは分かります。あれがいったい何であるか、あの子らに話を聞かねばならぬかな?』



「あの柱は、霊峰ラーヤの山神様をお祀りするためのものです」


 フレッドの質問に、シャハーダは明瞭に答える。年上というのもあるが、妹よりは物怖じしない性格なのだろうことが伺える。とはいえまだ11の子供であり、祈祷所の異様な雰囲気には飲まれてしまっている感があった。


『しかし、ここでは悪霊が渦巻くような柱をご神体にするのかな?私にはあれが問題の発生源であるように感じられるが、君たちにはどう見えるのだろう。分かる範囲でいいから聞かせてもらえないだろうか?』


 ヘルダ村では教師の真似事をしていたこともあり、フレッドの子供に対する物腰は柔らかかった。ユージェから来たアルらかつての旧臣たちは、統一に邁進していた時分の主からは想像も出来ぬ変わりように驚いたものである。今にして思えば、まだ若いということで甘く見られぬよう精一杯に気張っていたのだと分かるが。


「あの柱には捧げた生贄を納める玄室がありますので、もし生贄にされた動物の霊が悪さをしているなら……ただ最後にここを訪れたのは、豊穣祈願のため前周期の開墾期1日に開かれた祭事の時です。そのときはこんな変な感じはしませんでした」


 1周期も間が空けば、異変を感じ取れるはずもないか。フレッドは謝辞を述べて立ち去ろうとしたとき、控えめな声でシャリィが囁く。


「あそこに、お父様がいます。とても怒って、我を忘れて、人を憎んで……」


 柱に目を向けつつ、薄っすらと涙目になっているあたりから察するに、それはできれば見たくないものなのだろう。フレッドはシャハーダに妹をなだめさせるように頼むと、隊の方へと引き返す。


(お父様、と言ったな。つまりあの子にはシャナム殿が見えたということか。そして我を忘れ怒り、憎むと。兄の魂も、天に還れず現世に留まり続ければいずれそのような悪霊になるとプラテーナ殿は申された。ここでもあのようなことが行われた?)


 兄クロヴィスは暗殺された折、魂だけが捕縛され戦闘用の傀儡に封じられた。それは生前の戦闘能力を持つ驚異の兵器となったが、封印状態から解放された魂の劣化は激しく長持ちはしない。持って100日程度で、それを過ぎれば魂は悪霊と化すのだとフレッドは教えられた。ゆえに、そうなる前に救う必要があるのだとも。


(400日前の、前周期の祭事ではシャナム殿を見てはいない……はず。ならばその後に魂がやってきた、ということか。この1周期にこのスーラ氏族で何があったかは知らぬが、皇国の征伐と大規模氾濫への対応を迫られたことだけは間違いない)


 過去の経験と記憶を総動員し、フレッドは答えを模索する。命ある人との戦いならば敵を討てばいったんの終結を見るが、この相手ではそうもいかない。原因を探し出し、その元を断たねばならないのだ。


(まだシャナム殿と分かる程度の姿に留まっている以上、完全に悪霊化はしていないと見てよいのだろう。するとこの100日ほどの間に、どこからかシャナム殿の魂が出てきたと考えるのが妥当だろうな。そういえば、魂はそこに在るとして肉体はどうなったのだろう。氷洞穴に安置されているのか?)


 疑問を抱いたフレッドは幼い兄妹の下に戻り、父の遺体について訊く。シャリィは答えられる状態ではなかったが、兄シャハーダの回答にフレッドは一つの結論へと至ることとなった。


「父は病死でしたから、遺体を氷洞穴に安置することは許されませんでした。叔父が手厚く葬ると言って運び出してからは、どうなったか僕にも分かりません。どこにどう葬ったか教えてくれないんです。万が一にも病気が移ってはいけないと」


(だいたい見えてきたな、事の経緯が。あのシャダが首謀であることは間違いないとして、あとはどれほどの規模でこの謀が進められたか……だな。まあ連中には後ほどきついお灸を据えてやるとして、まずはこの場をどうにかせねば!)


 より鋭さを増した眼光の先には、悪霊が渦巻く柱がそびえ立つ。意外な出会いをもたらしたラ・イー地方、霊峰ラーヤの混乱を収めるための戦いが開始される。

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