第14話 悪意に染まる地

「お主が本物であるか確かめる、よい術を思いついたわ。あの者をこれへ!」


 シャダはそう命じると、満足そうな笑みを浮かべ席に着いた。フレッドもこの手の顔には見覚えがある。そしてこのような顔をした輩が出した案はだいたいロクでもない話に進展する……というのが経験則だ。


(しかし、あの子たちはまともに声も上げていないな。完全にお飾りなのか、それとも黙っているほうが無難だとあの年齢で悟るような生き方を強いられているのか)


 フレッドは左右の集団の先頭に座る二人に目をやるが、彼らのほうも前触れなく現れた「珍客」には興味があるようで、ちらちらとフレッドを見ている。目が合うと気恥ずかしいのか、二人とも目を伏せてしまう。このあたりは年相応の子供という感じはする。


(見た目は子供でも中身は別……という事例に慣れているせいか、そういう子供なのかとも疑ったが。どうやら超常の者というわけでもなさそうだ)


 安心した……というのも妙だが、この二人を必要以上に警戒することもないだろう。少なくともこちらから彼らを害する理由はないのだから。それがフレッドの出した、二人に対しての最初の考えである。


「来たなデューン団長。そなたは旧ハイディン戦士団でも指折りの猛将であったという売り込みだったな。そんなそなたにうってつけの仕事がある!」


 またハイディンの一党を語る者か……とも思ったが、デューンという男が本物であれば一党を語るのは嘘ではない。かつて当主クロヴィスの腹心として戦を支えた獣人の豪傑、戦斧を軽々と扱うことにかけ「旋斧」との異名を取った男である。クロヴィス謀殺後、それを阻止し得なかったことを恥じて下野したが、一部では「後釜がひ弱な弟では仕える気にならなかったのだろう」との噂も流れ、彼自身がそれを否定したこともなかったという。


「その銀髪、記憶にあるぞ!確かにクロト坊……なのか?」


 フレッドの後ろから部屋に入ってきたデューンは、その後ろ姿から見える銀髪を過去の記憶と照らし合わせクロトと判断する。だが正面に回り込んで相対すると、一気に自信がなくなった。眼前の男は下野直前のおよそ9周期前に見た線の細い、自信と経験の無さを必死に隠そうと気張っていた若者のものではなかったからだ。


『お久しぶり、と申すにはあまりに間が空いておりますが……デューン将軍もご壮健で何よりです』


 肉体的に成長しようとも、声質は16からそう大きく変わるものではない。デューンが聞いたその声は確かにクロト=ハイディンのものだった。


「まさかこの地であなたと会うことになろうとはな。族長殿、この者は俺の知るクロト=ハイディンとは別物だが、確かに本人だろうよ!」


 独特の言い回しでそう伝えたが、なかなか真意は伝わらない。伝える側のデューンとしては「クロト本人だが、最後に会った時とはずいぶん違っている」ということなのだが、シャダはそう受け取らなかった。


「ではそなたらで戦ってみせい!武人とは戦いの中で相手の存在を認めるものだと申しておったではないか。戦えばはっきりするのであろうが!」


 なぜそうなるのだ愚か者め!……というのがフレッドの思いだが、生粋の武人を焚きつけるには効果的なやり方ではある。デューンは二つ返事でその名を受諾した。


「ここに来て、初めてまともな命令が下ったな。手応えのない怪異ばかりが相手でどうにもつまらん仕事だと思っておったが、とんでもない臨時報酬を得たわ!」


 デューンが完全にその気になっている以上、もう勝負は避けられない。そして記憶通りの力量が健在なら手加減できる相手でもないが、このような意味のない戦いで命を散らすのはあまりにバカバカしすぎる。フレッドは打つべき手を考え、そしてこう告げた。


『私の側には勝負を受けるべき理由はありませんな。しかしどうしてもと望まれるのであらば、武人として正式に立ち合いたい。それが受け入れられるのならお相手いたす所存!』


 武人としての立ち合いとは、つまり一軍同士が見守る中での一騎打ちである。卑怯な手段を用いれば軍全体が証人として糾弾し、さらには刑の執行者となり罪人に然るべき報いをくれてやるのである。


「もちろん異議などない。俺の団はここに駐留しているが、そちらはどうだ。すぐに来れるのか?」


『国境に駐留しておりますれば、2~3日はかかりましょう。それまで私もこの地で待たせていただきましょうか』


 その数日のうちにどうにかして逃げるなりするか……というのがフレッドの最初の目論見ではあったのだが、会見後に軟禁状態となったフレッドの下にデューンの部下が訪れたことで考えが変わる。


「デューン団長はクロヴィス様を失って以来、生きる目的もすっかり失っちまったんです。団長の夢はクロヴィス様の下で働き、功を挙げ名を成しいつかはクロヴィス様から一本取ることでしたから。あれ以降はただ生きるためだけに武器を振るう日々となりました。しかし今日、クロト様と戦うこととなり昔のように生き生きなさってるんです。どうか、本気でお相手願えねぇでしょうか?」


 その訴えを聞いて、フレッドの心は変わった。デューンはかつての自分と同じなのだ。兄を支えて生きていく人生だと思っていたのにそれが打ち砕かれ、期せずして上に立ったか、それとも野に下ったかの違いがあるだけで。


『承知いたす。必ずや勝負はお受けいたそう。ただ一点、勝負と関わりなきことをお訪ねしたい。将軍は、ハイディン在籍当時よりも強くなられているかな?』


 情報を与えることをやや躊躇った部下の獣人だが、強くなっていようが弱くなっていようが勝負になれば関係なく、どのみち何らかの形で決着はつくのだ。ここで変に反感を買って勝負を避けられても困るため、獣人はその質問に正直に答えた。


「7周期前より強くなっているということはあり得ません。弱くなっているかは分かりませんが」


 フレッドは「そうですか」とだけ答え、その獣人を下がらせた。デューンは少なくとも、自身が鍛えられるような状況には置かれずこの9周期という長い時間を生きてきたらしい。


(負けられん。いや、負けはしない。私がこの9周期に得て、失ったものに賭けてこの戦い負けるわけにはいかないのだ)



「久しいなデューン、壮健なようで何よりじゃ。まさかお主とこうして会う日が来ようとは、人生なにが起こるか分かったものではないのぅ」


 3日後、国境より傭兵団「浮浪雲」が到着したと同時に果たし合いの準備が進められる。その最中、ハゼルはフレッドに状況説明を受けていたが、そこにデューンが挨拶へ訪れたのだ。


「ご当主には、私の我儘をお聞き入れ下さったこと感謝しております。そして後の統一事業、陰ながらお喜び申し上げておりました。クロヴィス様も、さぞご満悦のことと存じます」


 この者は、まだクロヴィスに囚われておるのか。息子のことを大事に想ってくれるのは親として嬉しい話だが、世を去った者にいつまでも囚われていてはいけない。ハゼルはそう思ったと同時に、なぜフレッドがこのどうしようもなく無意味な戦いを受けたかの理由も悟った。


「試みに問うがデューン、今ここにクロヴィスが蘇ったとして……勝負を挑みお主は勝ち得ると思うか?」


 予想外の質問にデューンも内心たじろいだが、答えは簡単だ。クロヴィス生存時には訓練で一度たりとも土をつけたことがなく、真剣勝負であれば再戦の機会もなかったことは明白。デューンにとってクロヴィスとその父は越えることのできない壁以上の存在である。お世辞でも何でもなく「勝てませぬ」と答えるほかない。


「では此度の勝負、心して臨め!このクロトはクロヴィスの魂が封じられ、同様の動きをする傀儡に勝利しておる。お主が勝てぬと申した相手に勝っておるのだ、お主が限界以上の力を出さねば勝負にもなるまいて」


 それを聞きデューンは思わずフレッドを見やる。デューンの部下たちもざわついているが、フレッドとしては「また他人事だと思って……」という思いが強い。なぜなら話を聞いた後のデューンは気迫が別人のように高まっていたからだ。


「勝負は伯仲してなくては面白くないからの、これくらいは赦せ。いや、これではまだ足りんか。デューン!お主が勝ちを得るとしたら最初の十合までが肝要ぞ!それより長引くようであらば敗北必至と心得よ!」


 デューンはフレッドから目を離すことなく「ご助言、痛み入る!」と怒号のような声を上げると戦斧を構える。フレッドも槍状態にした「龍ノ稲光」を構え、ハゼルの合図とともに両者の果し合いが開始された。


「まさかあなたがそこまでの使い手になっていようとは、思いもよりませなんだ。しかし思い返せば、クロヴィス様はしきりにあなたの可能性について語られていた。その見る目が正しかったということですな!」


 そう言い終わると同時にデューンは一気に踏み込んで上段から戦斧を振り下ろす。攻撃は全て受け切り、戦意喪失を狙っていたフレッドだが、この攻撃はとても受け切れるものではないと判断し回避に切り替え、寸前で回避する。服の袖が圧で刻まれるほどの近さと威力で、当たれば即死は確実だったろう。


『私は兄の死後、いつか天で兄と対峙した際に恥をかかずに済むよう鍛錬を重ねました。記憶にある兄と、それこそ一日とて欠かすことなく。そこに現れた傀儡が、記憶の兄と同じ動きだったので行動が読めただけのこと。それを実力で勝ったとは言わぬと思いますがね!』


 次はフレッドから仕掛ける。途中までは突きを繰り出す形で踏み込んだが、そこから横に跳び回転しつつ勢いを加えた一撃を見舞う。突きを警戒していたデューンはその動きに反応が遅れ、攻撃は避けられず受けに回る。周囲には鈍い金属音が鳴り響いたが、しかし刃がデューンの体を捉えることはない。


(速く、重い一撃だ。これが本当にあのクロト坊だというのか。線が細く、学業や弓しかないと思っていた子がこうまでなるのに、9周期もあれば十分だと?)


 受けた戦斧でフレッドを押し返すと、デューンは当てやすさ重視で横払いの攻撃を行う。振り下ろす一撃ほどの威力は出せないが、攻撃範囲が横に広いぶん避けにくい攻撃となるのだ。しかしこれはフレッドに弾かれた。


『最初に最大の一撃を見せたのは失敗でしたね。あれを見てしまった以上、より遅い攻撃に合わせることなど造作もありません!』


 それを聞いてデューンは「十合までが勝負」というハゼルの言葉の意味を真に理解する。いま対峙している男は怪力を持ち合わせているわけでも巨大な体躯を有するわけでもないが、経験を即座に応用してくる柔軟性や器用さを持ち合わせている。後々ゆとりを持って考え直せば誰にでもできるかもしれないが、緊迫した勝負の場でそれを即座に行うのは並大抵のことではない。かつてクロヴィスが言っていた「弟は本当に何でもすぐ上手くこなす器用な奴なんだ」というのは、こういうことだったのかと思い返される。


「なるほど。長期戦すなわち私の敗北というクラッサス様のご忠告は正鵠を射たものであったか。ならば次の一撃に我が生涯を賭した、一世一代のものを繰り出さん!」


『お受けいたす。存分に参られるがよかろう!』


 デューンは右足を後ろに引いた半身で戦斧を構え、フレッドも右足を後ろに引いた構えで応じる。両者とも右利きのため、踏み込むために地を蹴る足も右となる。互いが次の一撃を「受けに回るつもりはない」という意思の表れでもあった。両者ともジリジリと間合い調整に動きつつ、機会を窺う。


「最後に一つ。私は、あなたを軽く見たから下野したのではない。私は、クロヴィス様を死なせた自分がどうしても許せなかった。自分だけが生き残って、栄誉に浸る真似など許されていいはずがないと思った。ゆえに、私は……」


『それは私とて同じ。ただ、私には逃れる場所もなければ自由もなく、後を継ぎ戦乱を終わらせる以外に道がなかっただけ。であればこそ、いずれ天にて兄と刃を交える日が来るまでを修行の日々と捉えたのです』


 それを聞き、デューンは己の敗北の理由を悟る。自分はつらい出来事から逃げ、ここまでの時間を無為に過ごしてきた。しかし相対するこの男は違う。自分以上につらかったはずの出来事から逃げず、目も背けず向き合っていたのだ。差があるのは武人としての力量ではなく、心の強さだった。


「生涯の最後にこのような舞台が用意されたことはまことに僥倖。もはや悔いはなく、次の一撃で終いといたそう!」


 それは、捨て身の一撃を繰り出すという宣言でもあった。しかしデューンほどの力量を誇る武人が捨て身の一撃を繰り出すとなれば、受け切ることはまず不可能。さらに最初の攻撃を上回るであろう威力と速度を秘めていることも確実で、回避するのも容易ではないことは目に見えている。ただし避けられれば、無防備な状態を相手に曝け出すことになり勝負は決まる。そしてもう一つ、デューンの刃が届くより先にこちらが仕留めるという三者いずれかの手段が残されていた。


(とはいえ、どれも厳しいし選びたくもない。こんなところで死ぬのも殺すのも真っ平ごめんだね。そうなると狙うは……決め打ちでいくしかないな。あの構えから予測される動きを見抜け、フレッド=アーヴィン!)


 フレッドがそう決意した刹那、デューンは「参る!」との怒号と共に突進を開始した。それに呼応する形でフレッドも踏み込み、両者どちらが先に攻撃を繰り出すかの勝負となるに思われたが……


(やはり、最短の軌道で渾身の一撃を繰り出すか。右半身の構えで戦斧の重さを生かす攻撃となれば上袈裟斬り以外にはない!)


 ここでフレッドが先に突きを出していれば、それはデューンの体を貫きはしていただろう。ただし致命傷を受けたデューンの刃もまたフレッドを捉え、両者相討ちという結末を迎えたに違いない。しかし、実際はそうはならなかった。デューンがフレッドの読み通り袈裟斬りに入った時には、フレッドも合わせるように左回転し上段からの打ち下ろし攻撃を繰り出したのである。


「勝負は終いじゃ!双方とも継戦不能ゆえ、果たし合いは引き分けとする。異論は認めんぞ、よいな!」


 デューンの袈裟斬りに合わせてフレッドが繰り出した打ち下ろしは、デューンの戦斧を後押しする形となり、結果的にフレッドを捉えることなく激しく地面をたたき割ることとなった。同じような軌道を描いたフレッドの槍もまた、デューンの眼前を通り過ぎ地面に突き刺さる結果となる。一連の動きが終わった後、向かい合っていた両者が同方向を向いている……という異様な結末となったのだ。


「まさか……最初からこれを狙って?そんなバカな!」


 果たし合いは戦場で相手の首を取るための一騎打ちでもなければ、どちらかが息絶えるまで戦いが続くデスマッチでもない。結果的に死者が出ることはあっても、命のやり取り自体が目的ではなく、立会人が決着はついたと判断すれば、よほど不当な判定でもない限り戦いはそこで終わるのだ。この場合は両者が最大の攻撃を繰り出してなお勝敗が決まらなかった以上、引き分けとする判断に異論を唱える者はいない。


『将軍は立てますか?私は立つのがやっとという有様ですよ。あと少しで死んでいた……という実感と恐怖で震えが来ます』


 地面に戦斧が食い込み、その勢いで両膝に地をつく形となったデューンにフレッドが手を差し出す。全力を込めた疲労感と、戦斧が地に食い込んだ際の猛烈な衝撃。そして何より、渾身の一撃を見切られ逸らされたという事実がデューンを打ちのめし、豪傑は立ち上がる気力もなかった。


「デューンよ。お主がなぜ勝ちを得られなんだか、もう分かっておるな。この子はあれからも鍛錬を続け、お主はそうしなかった。あの当時の差のまま、そなたらが共に成長していたなら……結果はまた違っておったろう。今回に関しては、時間が味方をしたのはこの子の方だったというわけじゃ」


 ハゼルは気を遣って「なぜ負けたか分かるか?」とは言わなかったが、当人も含めこの場にいる全てが勝者たるに相応しいのはどちらかを理解している。それは遠巻きに見ていたスーラの族長やその腹心たちも同様である。


「よもやデューン団長でも勝てぬとは。まさしく本物であるということか」

「それにクラッサス=ハイディンまでいるとなれば疑いようもない」

「しかしそれはそれで、なぜこの地に現れたか……という疑問も残る」

「早急に処遇を考えねばなりませぬな。それも穏健的な手段で」


 実際に戦いぶりを目の当たりにし、武力闘争を挑んでいい相手ではないことを痛感したスーラの有力者たちだが、同時に恐怖と不安に駆られることとなる。なにせ彼らが敵になる理由はないとしても、味方になる理由も思い至らないからだ。シャダをはじめとした有力者の一団は早々に引き上げると、果たし合いの結果の感想を残すこともなく会議を始めてしまう。


『まったく、我々はなぜ戦わされたんですかね。何か一言くらいあってもいいんじゃないかと思いますが』


 命の危険を冒して無意味な勝負を行ったというのに、それについて何も言わず去っていったシャダたちを見送ったフレッドはつい愚痴をこぼす。必要な状況で命を賭けることに躊躇いは感じないが、さすがに面白半分で命を賭けろと言われていい気はするはずもなかった。


「まあよいではないか。結果的には誰も死なず、彼らには武人の心意気というものを見せつけてやれたのだから。それにして、あの剛断にうまく合わせたものよな。さすがのものじゃ」


『開始前に援護をいただきましたからね。父さんが将軍にハッパを掛けてくれなかったら勝負は長引き、どちらかが死すまで終わらなかったはずです。そうならず本当によかった』


「そこまで分かっていて引き分けを狙えたのは間違いなくお前の力だよ。ただ勝つよりも明らかに難しい選択肢であったが、よくぞやり遂げたな。これを機にデューンもクロヴィスから解放されてくれればよいのだが……」


 死した者に囚われ、生涯を棒に振るう真似はしてほしくない。その思いはハゼルもフレッドも同様であり、この勝負でデューンを討つわけにはいかなかった。フレッドがこの無意味な勝負を受けたと聞いた時からハゼルはフレッドの真意を悟り、まだ体力があるうちに試合を終わらせ泥仕合になるのを防ぐ目的でデューンを挑発したのである。いわゆる盤外戦術で、戦う前からデューンは二人を相手に不利な状況を強いられていた。卑怯といえば卑怯だが、そのような細事を意に介す男たちでもない。


『想定外のこともありましたが、ここまでは概ね順調に。しかしここからが本番ですからね、まだ安心はできません。さて、彼らはどう出てくるのか……』



 果たし合いの歓声を耳にしながら会議の間に戻るスーラの有力者たちの表情は、悲喜こもごもである。連合の先兵ではないか、戦って勝てる相手ではなかろうというネガティブなものから、連合との橋渡しとなり得る、怪異と対峙するのにこれ以上の戦力はないといったポジティブなものまで様々だ。


「連合と対峙するにしても、そうでないとしても……まず霊峰ラーヤから湧き出る怪異を打ち払わねば話にならぬ。先の未来ばかりを見て今日を見ず、明日すら迎えることなく死しては何の意味もない!」


 それが現実派、つまり先代族長シャナムが長子シャハーダがリーダーを務める一団の意見である。もっとも、シャハーダはまだ成人にもならぬ11周期で、派閥の意見は彼個人の意思によるものではない。


「あの武人たちの猛威を見たであろう。連合に援軍を要請すれば、あのような者たちが来てくれるのだ。氏族にこれ以上の犠牲を出さぬためにも、援軍と共に勝敗を決すべきではないのか?」


 穏健派の意見はこのようになっており、これもリーダーたるシャナムの次子シャリィの意思とは関係ない。何しろ彼女はまだ8周期の幼い子供なのだ。政治的な判断をしろと言われてもできるはずがない。


「お前たちにはスーラの誇りが無いのか!そのように他者を頼みにする案しか出せぬとは、大陸南西部に於いて一大勢力を築いたご先祖様に申し訳が立たぬわ!」


 鼻息だけは荒いが、その実まったく具体性に欠ける意見を出すのが強硬派である。当然のように「誇りで氏族が守れるか!」「氏族を滅ぼすほうが面目立たぬ!」といった意見が返されるものの、一向に意見がまとまる気配も見受けられない有様だ。


「とにかくいったん静まれ。そう喧嘩腰になっては話し合いにならぬわ。まず、怪異をどうにかする。この点について異論のある者はおらんな?」


 族長シャダは強硬派を率いるが、議長という立場上あまりに露骨な強硬派優遇は許されない。そのようなことをすれば残り二派が手を結び、スーラ氏族内で争いが起こってしまうからだ。それをすればどうなるかは、さすがに承知している。確実に別氏族ないしは連合に、そのスキを衝かれるだけのことであろう。


「では、まずあの者らを利用しこの怪異を収束させるとしよう。ここまではよいな。その先は……そうさな、あの者らの被害によって決めると致すか。手負いのようなら始末し、それを以って連合との決別の証とする。我らで打倒できそうもなければ、どのみち連合と対峙するのは時期尚早というものだろうから此度は決起を見送る。それでどうじゃ?」


 折衷案としてはそんなものなのだろうが、利用される側が聞けば面白くない話ではある。幸いこの場に利用される側の人間は存在しなかったが、話の内容自体は伝わることとなった。フレッドらに、穏健派と現実派でも穏健寄りの二派から接触の打診があったのだ。


『一刻も早く……ということなんでしょうけど二派同時とは。しかも呼び出し時刻まで重なってしまうとはついてませんね。私の代理として、誰かにどちらかを担当していただかなくてはならないのですが、立候補者はいませんか?』


 この場にいるのはフレッドを除けばハゼルと、三人の隊長のみ。フレッドの代役となると一般隊員には務まらず、それなりの地位にあることが第一条件となる。しかし地位が高ければ交渉も上手いとは限らず、そもそも武人を志してこの道を選んだ隊長たちが積極的に交渉事をやりたがるはずもない。


「仕方ないのう。現実派にはワシが出向こう。フレッドの代わりとなれば、ワシが出向けば先方も納得するじゃろうからな。彼らには「連合と戦うなど愚の骨頂」という現実を叩き込んできてやるわぃ」


 フレッドは父に感謝を述べると同時に、こうも思った。早めに政治的な方面を担当できる人材を、迎えるなり育てるなりしなければ……と。しかしそれが叶えられるのはもうしばらく先のことである。



『なるほど。つまりこの地における我らの被害状況が、そのまま今後の行く末に関わると』


 穏健派の屋敷で説明を受けたフレッドは、表面上こそ穏やかに返したが内心はそれほど穏やかではない。この地の災難を払うためにやってきた者を、都合よく利用するというのはまだ分かる。代価も支払う以上、それなりの成果を求める権利はあって然るべきだ。しかしその者たちが深く傷つけば背後から刺し、生贄とするのはどうにも人の道に外れた行為としか受け取れない。だが、この件にはそれと同じくらい面白くない話が内包されていた。


『ご忠告には感謝いたします。が、そのような話を聞いて我らが命懸けでこの地を守ろうとするなどとお考えではありますまいな?この会合は我らにスーラ氏族へ対して嫌悪感を抱かせたのみ。仮に私が連合の有力者にスーラ氏族のことを尋ねられたとしたら、断固として滅すべしと具申いたすでしょうな』


 結局のところ、この穏健派も他人を利用して目的を達しようとするところは強硬派らと変わりはしない。殺しはしないが、その代わり情報をくれてやったのだから恩に感じてスーラのために戦えというだけのことである。


『これにて失敬する。あなた方も自分たちの身をどう守るべきか、その相談でもされたほうがよろしかろう。他の派閥の方々とも、いい加減くだらぬ内輪もめをしている場合ではないのだと真剣に話し合いの場を持たれてはいかがですかな?』


 フレッドを知る者であったなら、今回はめずらしく強硬な対応をしたと驚くことだろう。実際フレッドはこの穏健派に期待していたのだ。氏族の誇りを捨てはしないものの、大義のためには我慢もできる気骨ある人々なのだろうと。しかし実際は単に利己的な者たちの集まりでしかない。頭に血が上るのも無理はないだろう。


(さすがに腹を立てすぎたか。それに彼らが救う価値なしとしても、世界のことを考えれば捨て置くわけにもいかない。戦うさ、彼らのためではなく彼ら以外のために)


 そのような考え事をしながら玄関を目指していたためか、フレッドは足元が疎かになっていた。そのため、衝撃を感じるまで視界外に存在するものに気付けない。衝撃と共にフレッドの耳に届いたのは女の子の小さい悲鳴だった。


『おっと。これはとんだ失礼をいたしました。ええと、確かシャリィ様でしたな。お怪我はありませんか?』


 フレッドは自身にぶつかり倒れそうになった女の子を倒れる前に支える。かつて「敏捷な獣のような動き」で落ちそうな皿を拾ったことがあったが、そのような動きを目の当たりにしシャリィも目を丸くしている。


「はい……ごめんなさい……」


 消え入りそうな声で謝罪する女の子を見て、フレッドは「悪いのは私ですから」と答えたものの、シャリィは何度か謝罪を口にする。完全に怖がらせてしまったのだろうか……とフレッドが悩んでいると、シャリィは言葉を続けた。


「みんなが、ごめんなさい。助けに来てくれたおじさんたちに意地悪をして……」


 それを聞いて最初に思ったのは「おじさんとは私のことか!?」だったが、その衝撃も吹き飛ぶほどに驚いたのは小さな子が悪辣な企みに気付いていたことである。もともと聡明な子なのか、スーラの秘術を受け継ぐ系譜によるものなのかは不明だが、周囲の大人の愚劣さに比べれば、他者を気遣い謝罪できる点だけでも評価できる。


『私はこういうことに慣れているからね。残念ながら戦いはできても、よくいじめられてしまうんだ。だから怒っていないし、みんなも助けるよ。約束する』


 確かに腹は立てていたし真面目に戦う気も消失しかけていたので、彼女への言葉の半分ほどは嘘だったが、それ以外は事実である。いくら戦えても、人には嫌われ蔑まれることもある。人の世界は力さえあればそれでよい、というわけにはいかない。


『ところでね、私は今周期で25になるんだ。それっておじさんだと思うかい?』


 シャリィは満面の笑みを浮かべて「うん!」と頷く。それはフレッドが怒っておらずスーラを守ると約束してくれたことへの喜びと安心によるものだったのだが、言われた側はそうと受け取れなかった。


『なんということだ。この私が、おじさんだと……おじさんというのは、そう、何事も歳のせいにするような輩に与えられし、望まれぬ称号ではなかったのか……』


 L1029開墾期55日、強敵との果たし合いもどうにか無傷で切り抜け、悪意ある権力者にも真っ向から対峙したフレッドがこの日最大のダメージを受けたのは、少女の何気ない「おじさん」という一言であった。

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