第13話 目に見えるもの、見えないもの

「斥候の報告では、ユーライアより増援が派遣されたものの……スーラは協力を拒み領内にも入らせなかったそうです。派遣軍の指揮官はペルゼ=クストであると。彼もさぞ頭を悩ませているでしょうな、責任感の強い男ですから」


 フレッドとハゼルが朝食を共にしていると、アル隊長が現れ報告をする。主の食事中に報告するのは失礼とされるのが一般的だが、フレッドもハゼルもそれを咎めたことはない。むしろそのような細事により重要な情報を知るのが遅れてしまうほうがよほど問題なのだ。


『そうですか。やはりスーラはいまだ友好的とはいかぬようで。彼らの力を考えれば世俗との関係を避けたいというのは分かりますが、今回はユージェ……ひいては世界の行く末に関わることである以上どうにか説得せねば』


 フレッドの言う「スーラ氏族の力」とは、氏族の継承者に受け継がれる秘法のことである。スーラ氏族の長は目を封印し盲目となる代わりに、目では見えないものを見通せるようになるという秘術を行う。それにより、スーラ氏族には奸計謀略の類は通用せず、霊峰と名高いラーヤの加護もあり大陸南西部の強国であり続けたのだ。


「彼らと向き合うには、小細工は避け嘘偽りを述べることもなく正面から対峙せねばならぬ。かつては戦であり、正面から戦って勝てるだけの準備をしてから挑んだ故に我らが勝利した。此度は戦ではないゆえ、力を背景にする必要はないものの……」


 ハゼルは言葉を濁したが、フレッドには続きが分かる。スーラ氏族の心を開かせる何かしらの鍵がなければ、彼らは交渉の場にすら出てこない。かつては戦での勝利がそれになったが、今回はそれ以外の方法を探さねばならない。


『いずれにせよ、このままラ・イーへ向かっても追い返されるだけでしょうね。まずはペルゼ将軍にお会いし、スーラ氏族が何と言っていたか話を聞いてみましょうか』


 フレッドはそう提案し、ハゼルもアル隊長もそれに異はなかった。ラ・イーへはそう簡単に立ち入れないことは予想通りであり、ユーライアからの派遣隊が喜ばれないであろうことも察しはついた。しかしその指揮官が話の分かる男であるのは単なる偶然で、その僥倖を生かすのは当然と思ったのだ。


「では、ペルゼ将軍への連絡は私が行いましょう。クロヴィス様の補佐をしておりました時分に、将軍とも多少の縁ができてございますゆえ」


 旧ユージェ王国には次代を担い得る軍人として、武人クロヴィスと武将ペルゼが双璧を成していた。当時はそれが当然の意見で、まだ成人前のクロトに目を向ける者などごく限られた一部だけだったが、たかだか10周期に満たない時間でずいぶんと状況は変わってしまったものである。


『ではアル隊長にお任せいたしましょう。部隊はペルゼ将軍の返答があるまでこの地に留まるとし、各隊にも通達してください。私はロンティマーの件についての資料作成を行うので、後は任せます』


 フレッドは次(予定通りなら約300周期後)に出現するかもしれないロンティマーへの対策を取りまとめるべく、空き時間を見つけては資料作成に勤しんでいた。無限に再生する肉体、取り込んだ物体を利用する各種の行動、そして核となってしまった永劫不変の者……プラテーナと出会い、世界の成り立ちとその大元となる神が如き永劫不変の存在については聞かされた。そして漠然とではあるが、世界のためにその者たちをどうにかしなければならないと思ってもいた。しかしギャフラーという直接の被害者を目の当たりにしたことで、フレッドの永劫不変の者たちに対する心情はより明確なものとなっていた。


(我らが生きていくためには、彼らの問題を解決せねばならない。もはや「呪縛に囚われし哀れな存在」などとは思わぬ。彼らはすべての世界を不幸に陥れる、敵だ!)


 そう覚悟こそ決めたが、まだ敵の実体も掴めぬ有様では戦いようもない。今回こうしてロンティマーを打倒したことにより、何かしらの手がかりを得られるのではないだろうか。そう思えばこそ、すぐには出番もないであろう資料をまとめつつ考えを巡らす。


(真に「永劫不変」だとしても、人の目から見れば滅んでいるのかもしれない。滅んだ後に長い時間を費やして元に戻るのでも、確かに「不変」ではあるからな。それを繰り返せば、問題の先送りはできるのだろうが……)


 しかしそれでは問題の解決に繋がらない。ただ先送りにしているだけで、いずれは抑えきれなくなった「天敵」が溢れ返り第四界のように知的生命は滅んでしまう。結末を変えるには、新たな手段を編み出さなければならないのである。


『とはいえ、当面はこのユージェ。そしてラ・イー地方とかの地に住まうスーラ氏族をどうにかしないといけないな。ただ統一を目指して活動していたころは……あの時はあの時で多忙を極めたと思ったものだが、実はずいぶん楽ができていたんだな』


 そうこぼし、思わず自嘲の笑いもこぼれる。統一事業は成人になったばかりの若者が背負うには重すぎた荷だが、周囲の人々は優秀で、しかも協力的だった。荷を運び終えた途端に敵となってしまった人もいたが、少なくとも荷を運んでいる最中は内々に脅威となる存在はなかった。誰も彼もが、自分が前や上だけを見ていればいいように補佐してくれていたのだ。


(協力してくれた人々は、今の現状をどう考えているのだろうな。今回の怪異もたまたま起きたもので、これが終わればまた普通の生活が続いていくものと思っているのだろうか。それとも、一度は撃退した皇国の報復を恐れ、裏取引に走る者も出てくるのだろうか。もしくは、統一など成されず今も小競合いが続く世の中であればよかったのだと後悔しているのか……)


 そして考えてしまう。それがまったく意味のないことだと分かってはいても。もし自分がプラテーナのように未来を予知できる力があったなら、このような情勢になると分かっていても統一を果たしたのだろうか、と。迷わず「やるべきことは同じ」と断言できるほどには、より良い未来になっているとは言い難い。


『まあ、ここから逆転することも不可能ではないはずだ。要は、最後の瞬間が満足できる形になってさえいればいいのだから。終わりよければ、過程における些細な問題は許されるだろうさ』


 フレッドは過去も、そして現在も重すぎる荷を背負い続ける。過去には手助けしてくれる味方が大勢いたが、現在は味方の数もずいぶんと減ってしまった。しかしここで荷を投げ出すわけにはいかない。その荷には彼自身も、彼が大切に思う人々の未来も詰まっているのだ。



「ユーライアに立ち寄ったという話はフィーリア殿から聞いておりましたが、よもやこのような場所でお会いすることとなろうとは」


 ラ・イー地方の隣接地にあたるリッシ地方に駐留し情勢を伺っていたユーライア派遣軍は、指揮官ペルゼ=クスト将軍みずからが予想外の客を出迎えることとなる。南方の要衝リンドのマハトゥに「ハイディンを名乗る一団が出た」という話が出たのは承知しているが、実のところハイディンの名を借りた傭兵団は大陸南西部において少なからず存在する。その勇名に肖ろうとする程度ならまだしも、中にはまったく無関係であるにもかかわらず縁者や後継者を自称している詐欺師紛いの者たちもいた。実物を知るペルゼとしては当然いい感情を抱いてはおらず、最初にアルの使者から話を持ちかけられた際も疑惑の念を隠そうともしなかった。


「そういうわけでしてな、正直を申せば今回の件も「また騙りどもの売り込みであるか」と思ったものです。こうしてお呼びするまで時間を要し、申し訳ござらん」


 指揮官の幕舎にフレッドとハゼル、それにアルを招き入れたペルゼがそう語る。フレッドとハゼルは例の如く竜賢人と獣王の装いであったため、それを外す間にアルがペルゼと談笑していた。


「ご当主や先代があの通り覆面をしておるため、一目では気付かぬ者も多いらしく。事もあろうに、我らに対し「自分たちはハイディンに連なる者だ」などとほざいた不届者もいたくらいで。わずかな期間を離れただけだというのに、こうまで人の質が下がっているのは驚きでしかありませんな?」


 それはペルゼも思うところではある。かつての大陸南西部は戦乱の時代、悪く言えばゆとりのない殺伐とした風潮ではあったが、よく言えば緊張感に満ち溢れてもいたのだ。誰もが生きるために必死だったのは今も同じだが、死が身近にあるということで、少なくとも身内や仲間を陥れようと画策する者は少なかった。味方になり得る存在を減らせば、それだけ自身も危うくなるという危機感があったからだ。しかし戦乱の世が終わりを告げると、人々は死の恐怖から解放された代わりに自身のことしか見ないようになってしまう。


『人の心は移ろうもの、誰が悪いというものでも無いのでしょうけれど……強いて挙げれば悪いのは統一を成した男ということになるのでしょうね。つまり私かな?』


 フレッドにそう言われ、結果的には主君を批判していた形になったアルは謝罪するものの、フレッドは「冗談です」と返すのみだった。実は冗談でもなんでもなく、自分でも同じように思ってはいるのだが、それは口にできない。統一には多くの犠牲が出ており、それを自分が口にすれば犠牲者をも否定することになってしまうからだ。


「前置きはこれくらいにしまして、実務の話に取り掛かりますかな。すでにお聞き及びと存じますが、ラ・イー地方に大規模な「天敵」の発生が確認されました。ですがスーラの頑固者どもは「手助けなど無用」の一点張りでして。我々としても連合の一大事と考えここまで来ましたが、どうしても受け入れぬとあらば……万が一にも彼らが敗れた際の備えとして監視に留めておるのが現状です」


 言葉の端々からスーラ氏族への不満を感じ取れるペルゼの説明を聞きながら、他の三人は同情めいた感情を抱く。いまだ大陸南西部の「天敵」大氾濫は完全には鎮圧されておらず、兵を派遣したい場所はいくらでも存在する。だが連合でも大勢力であるラ・イー地方が陥落すればその被害は計り知れないと思えばこそ優先的に兵を送ったというのに、それを無視されれば面白くはない。しかも情報は秘匿され、戦況が有利なのか不利なのかすら伝えようとしない。結局、最悪のケースに備え大軍を遊ばせておくしかないというのは、まともな指揮官であればムダとしか感じない。


「彼らは彼らの教義と、そして矜持があるのだろうて。かつてはユージェ王国と覇を競った間柄ながら、今ではユージェが主導する連合の庇護下にあるというのは「先進的」であると自認する彼らにとっては耐えがたき屈辱なのだ。彼らがそれで滅ぶのは本望だとしても、巻き込まれるほうはたまったもんではないがのう」


 ハゼルの意見は、スーラ氏族の総意を見抜くものだった。人の目に見えないものすら見通す秘法をも得た彼らは「人の進化系」であることを誇りとし、実際にその力で大勢力を維持してきた。しかしユージェが統一を目指し趨勢が傾くと、世の流れは一気にスーラ氏族を取り残しあれよあれよのうちに時代が決してしまう。スーラ氏族はその事実を「運がなかっただけ」としか考えず、自分たちが覇者となれなかったのは何が不足していたかを考えようともしないのである。


『確かにもう7周期も前となりますが、停戦交渉に出てきたスーラ氏族の代表は尊大な態度の者が多かったですね。もういっそのこと殲滅すべし……という意見まで噴出するほどに。ですが交渉がまとまり、会見の場でお会いした族長シャナムは一廉の人物であったように見受けましたが。まだ耄碌する年齢ではないのでは?』


 当時のフレッドはまだ18周期になったばかりの若者だったが、そんな彼から見てもスーラのシャナムは立派な見識を持つ人物だった。秘法により目を封印されてはいたが、その代償なのか実に思慮深く他の氏族の者と違い尊大さも感じさせない男であったのだ。その際には「子を授かって新たな生き甲斐もできた」という世間話もした記憶があり、それほどの老齢ではないはずだった。


「その件ですが、連合への届け出によりますと3周期前に族長シャナムは病没したとの由。子は確か兄と妹の二名がおったはずですが、まだ年若いということで族長はシャナムの弟シャダが引き継いだとなっておりますな。いずれはシャナムの長子に族長の座を返すらしいですが、戦乱の世ではよく耳にした話ではありますな」


 ペルゼの物言いから、フレッドは陰謀の可能性を感じ取った。族長の座を手に入れるため兄を毒殺し、その子らも始末する……そのような話は戦乱期の大陸南西部では日常茶飯事のことだった。下々の者は生きるために一族郎党で結束せねばならなくとも、守られた権力者は主導権争いにうつつを抜かしていられるのはいつの世もかわりはしない。


「ユージェに屈した弱き族長を廃し、強気な新族長の下で尊大さも復活したと。十分にあり得る話だとは思われますが、スーラ氏族は本当にそれが総意なのですかな。またユージェと対立すれば、次は連合が総出で襲い来るやもしれぬというのに」


 アルの問題提起に、フレッドらもしばし考え込む。氏族の誇りは大なり小なり持ち合わせているだろうが、戦乱の世が終わり一応とはいえ平和になったことを喜ばない者ばかりではないはずだ。特に戦で大切な人たちを失った者ならば。


『スーラ氏族も、表面上はともかく裏では一枚岩ではないかもしれませんね。今は強硬派の族長代理が上に立っているようですが。いずれにせよ、探りを入れてみないことにはどうにもなりませぬゆえ、次は我らがスーラへ向かいましょう。今の私たちは所属国家のない流浪の身、連合軍が来たというよりはまだ風当たりも弱いでしょう』


 スーラ氏族との停戦交渉後、ユージェは統一連合を発足させることになる。しかしその段階でもうフレッドは連合の所属勢力と直に交渉することはなくなり、スーラ氏族と向き合うのは7周期ぶりということになる。先代族長も含め、当時を知る人間も少なくなったと思われるが、いまだに執念深く怨んでいる者がいる可能性も捨てきれない。聞いても返答は分かっていたが、ペルゼとしても確認を取るしかなかった。


「止めてもムダでしょうから止めはしませぬが、くれぐれもご注意を。それと傭兵稼業の者たちから聞いた話では、ラ・イー地方の傭兵募集もあるとのこと。戦力はいくらあってもいいと考えておるのか、それとも不足しておるのかは不明ですが……募集を聞きつけたと申せば領内に入ることは叶うやも知れませぬ。このあたりの身軽さは軍では真似できませぬゆえ、お任せいたしたく存じます」


 フレッドらは貴重な情報に謝辞を述べ、幕舎を出ようと再び装いを纏い始める。その待ち時間に、ペルゼから思わぬ告白があった。


「そういえば、昨周期の休眠期51日に義父プロキオが身罷りましてございます。ハゼル様からの伝言を聞いて以来、復讐心は収まったようですが……同時にやや生気にも欠けるきらいが見え始めましてな。良くも悪くもハゼル様への対抗心が義父の生きる糧であったようですが、義父もこれで悪しき情念から解放されたことでしょう。いずれ天にて見えることと思いますが、その時は存分にお相手していただきたく」


 装いを着け終わるまでは口を開かなかった(もっとも、開くに開けない)ハゼルだが、装着が完了すると大きなため息をつきこう漏らした。


「ワシらは確かに仇敵であったかもしれぬ。じゃが同時代を生き、同じ女性を愛した一人の男として義父殿の死を残念に思う。ご要望の件は承った。もうしばらく先のこととなるやも知れぬが、必ずや誓いは果たそうぞ」


 ペルゼは黙ったまま頭を下げ、ハゼルらを見送った。獣王の装いを身に着けたハゼルの表情を窺い知ることはできないが、先ほどの言葉は単なる社交辞令ではないだろうということはフレッドにも予想がつく。プロキオ=クストは軍人として特に優秀というわけでもなかったが、想い人に節を通し独身を貫く気骨はある人物だった。それを愚かという者もいれば未練がましいと笑う者もいたが、同じ想い人を得たハゼルにとっては「見る目のある人物」ということになる。


(プロキオよ……お主も先に逝ったのか。ワシより3つばかり下だったはずのお主が先とはな。天にて待つつもりであったが、待たせることになろうとは思いもよらなんだわ。いずれワシも逝く、それまでいかに勝ちを得るか戦術を練り上げておくがよい)


 旧知の仲の相手に心の中で別れを告げると、ハゼルの視線は前を見据える。戦いはまだまだ続き、終わりも見えない。しかし彼には、もう自分より先に死なせるわけにはいかない、自分が動けるうちは何としても守らねばならない最後の希望が残されている。後ろばかりを見ているわけにはいかないのだ。



『傭兵団「浮浪雲」である。募集を見かけて参上いたしたが、まだ我らの働き口はあるのだろうか。なければ他の地方の掃討戦に向かうといたす所存……』


 相変わらず芝居がかっていて下手な演技だが、竜賢人の装いで素顔を晒してないのが功を奏しているところも相変わらずである。そして、言い方はともかく発言の内容はうまく相手を動かすことに成功した。


「いや、敵は多く手はいくらでもほしい。首脳部へ連絡し諸君らの配属を決めるまで、この地に留まってもらえるだろうか?」


 それを聞きフレッドは内心「戦力不足か……」と思ったが、口に出したのは「承知した」の一言のみである。あまり内情について根掘り葉掘り聞くのも怪しまれそうであり、何より演技の化けの皮が剥がれかねない。いずれ正体を明かすにしても、まだこの段階では時期尚早というものだろう。


『領内への立ち入りが許された。しばらくは待機だが、各隊は兵団の悪評が立たぬよう節度ある行動を心がけてくれ』


 指示を出し終えると、フレッドは幕舎で竜賢人の装いを解除しつつ思案に暮れる。懸念されていた領内への侵入は成功したが、まだスタート地点に立てたというだけのこと。そして道を誤れば領内から叩き出されるか、そもそも捕縛の憂き目に遭いどのみちそこで一巻の終わりとなる。機会を得るまではおとなしくしているほうが無難だろう……と考えていたが、その機会が思ったより早く訪れる。


『雇用にあたり面接がある、ですか。我らが連合の回し者ではないかを確かめるだけで身の危険はないので安心して臨め、と。さて、これは……』


 疑われているのかとも思ったが、そうであれば駐屯地は包囲されていてもおかしくはない。しかしスーラ氏族の兵は見当たらず、フレッドらはまるっきり放置された状態である。どうみても疑惑をかけている相手への態度ではない。


「行けばこの装いは無意味なものとなるやも知れぬが、こちらとしても情報を得るための好機であることは事実。退くか、踏み込むか。どうするかのぅ」


 ハゼルは暗に「スーラの秘術にかかれば変装は見破られる可能性がある」と言っているのだが、この機を逃せば情報を得るどころか挙動不審ということで退去を命じられることは間違いない。ゆえに領外へ引くか、覚悟を決めて面接に臨むかを決めるしかないのだが、ここで引くくらいなら最初から来ないことは分かっていた。


『もちろん踏み込みます。正体が見破られたなら、要らぬ演技をしないで済むぶん精神的には楽になるので悪くはないかと』


 本気なのか冗談なのか、いまいち真意をつかみにくい発言を残しフレッドはひとりスーラの本営に向かう。そこから都まではスーラ兵に送られることとなっており、危険はないため護衛の兵も無用……というのが先方の言い分である。さすがに危険だと渋る部下たちに、フレッドは「一人で来れない時点で面接は落第になる」と諭し、ハゼルと共に待機を命じた。ただし、即座に動ける態勢は維持せよと伝える。


(さて、スーラ氏族の秘術とやらがどのようなものなのか。7周期前の会談では、私が術方面に鈍感だったせいか特に異変は感じなかった。だが今回は必ず使ってくるに違いないと分かっている以上、真偽を見定めさせていただこうか。本当に「見えぬものが見えるのか」ということを)


 移送が開始されて2日、ラ・イー地方辺境部から中央都市バグディに到着する。この地方は霊峰ラーヤから連なる山岳地帯であり、平野部はかなり少ない。そのため直線距離なら大した距離ではないものの、曲がりくねった山道を通るため移動には時間を要する。長年スーラ氏族が大勢力を保てたのも、この「守り易く攻め難い地形」あればこそだ。しかしそれも外敵が普通の生物であればの話であり、地形的制約を受けにくい霊体が相手となれば必ずしも有利に働かない。


「貴殿を族長会議の場に案内する。くれぐれも失礼のないようにな!」


 フレッドがおとなしく一人でついてきたためか、スーラ兵たちはそれほど警戒心を抱くことなくフレッドを送り届けてくれた。移動途中に聞けた話は世間話程度のものではあるが、興味深い話もいくつかある。その最たるものが「連合の援軍を受け入れたほうがいいのではないか」という意見が出始めている、というものだ。


(そういう意見が出ていてもペルゼ将軍が追い返されたということは、上に立っている者の意向が強く働いた以外にあり得ない。やはり現族長代理……シャダとか申したか、その者は強硬的な思想の持ち主らしいな)


 そのような考えを巡らせつつ、フレッドは会議の間に足を踏み入れる。そして内部を見回すと、正面に身分が高そうな男が着席しており、身なりからしてもそれが族長代理なのだろうということは理解できた。その男の後ろには10人ほどが座っており、おそらくは彼の取り巻きなのだろう。そのような光景はいくらでも見てきたので特に思うところはなかったが、さすがのフレッドも内心たじろいだのは正面だけでなく、左右にも同じような一団がいたことである。方角で言えば南から部屋に入ったフレッドを北から族長、東西に別の集団と半包囲された形になるのだ。そして、東西の一団にはそれぞれ子供が先頭に座らされているではないか。


(ちっ!そういうことか。この三者、どうやら対立関係にあるらしい。強権的な族長代理と異なる意見が市井に出回っているのも、近い権力を持つ何者かが別意見の持ち主だからに相違あるまい。しかし……この子らはプラテーナ殿の「本体」とそう変わらぬ年齢であろうに。彼らが自発的に族長代理と覇権争いをするとも思えぬが)


 導師プラテーナの、現在の依り代は13周期になる少女ラティである。もっとも中身は数千周期を生きた存在である以上、ここにいる子らも普通の子ではないのかもしれない。まずは流されるままに行動すべし。フレッドの判断はそれだった。


『私は傭兵団『浮浪雲』の団長、名をフロドと申す。この度は雇用にあたり審査があると聞きこうして参った次第。詳細は聞いておらぬゆえ、いかような審査があるかお聞かせいただけるであろうか』


 フレッドがさりげなく偽名を使ったのも、嘘を見破れるのなら咎めてみよという思いからである。もちろん、いきなり「クロト=ハイディンだ」と名乗るわけにはいかなかったが。


「フロド殿とな。審査といってもいくつか質問に答えていただくだけだ、そう警戒せんでもよかろうよ。お主がスーラに害意を持つ存在でないのならば?」


 正面の男シャダがそう発言すると、会議の参加者の目が一斉にフレッドへ注がれる。一見するとこの場に目を封印している者はいないが、幕の後ろに隠れている可能性もある。うかつな返答はできないが、この質問に関して言えば嘘をつく必要は皆無である。


『我らは戦いあるところに赴くだけの兵団なれば、どこへなりとも赴くもの。連合各地を訪れては怪異と戦い、此度はたまたまラ・イーが手近なところだというのみ』


 嘘は言っていない。ただ、判断を変え得る重要な部分を話していないだけで。その返答を聞き、会議の参加者たちはそれぞれの派閥のリーダーを囲むようにして話し合いを始めた。


(どうやら、スーラの秘法とやらは自発的に述べた偽りには反応しないのか。私が勝手に名乗ったフロドという名には反応を示していない。その一方で、質問を返した後にこうして相談を始めたわけだ。何かに気付いたのか……?)


 フレッドは用意された椅子に腰を掛けながら、会議場の様子を伺う。族長代理の下には奥から使いがやってきて耳打ちしているが、左右の子供らがリーダーのグループにはそのような動きは見られない。


「待たせてすまんな。お主の言い分に不審な点は見当たらぬというのが我らの総意である。両名ともそれでよかろう?」


 シャダがそう左右の子らに問いかけると、二人は無言で頷く。この行動から察するに、シャダの権限は思いのほか強くないのかもしれない。強大な権限を有しているなら確認の必要はないはずだ。その後も些細なやり取りが続くものの、なかなか審査は終わらない。明らかに「いくつかの質問」という範疇を越えている。


『そろそろ本題に入っていただいてもよろしいか。それとも、この世間話のようなものが我が兵団の実力を測る審査だとでも?戦士の力量を計るに問答を用いるとは、いささか的外れではありますまいか!』


 戦いでも交渉術でも、一辺倒というのは悪手である。攻めだけでも守りだけでも勝ちを得るのは難しい以上、時にはこうして強気な態度にも出る必要があるのだ。もっとも、あまりに変哲のない話ばかりでさすがに飽きてきたというもあるが。


「お、おう、退屈させたようで済まぬな。しかしあらかた情報は集まったゆえ、次が最後だ。お主、今のこの国の在り様を何と考える?」


 ついに来たか。フレッドが最初に感じたのはそれである。この段階で捕縛もされないなら自分の正体には気づかず、真意も悟られてはいない。今のユージェに満足しているならこの戦いで使い潰してしまい、不満足ならば後の決起で使える。大方そんなところなのだろうという予測はついたが、問題はどうやって彼らの度肝を抜いてやろうかという部分に移っていた。


(スーラの秘術、もしやプラテーナ殿の流れを汲む強大な力なのかと考えもした。しかし評判倒れもいいところだ。結局、私の正体にも真意にも気付けはしない。彼らはその目で何を見ていて、何が見えないというのか)


 未知の存在に対する期待感と、あてが外れた際の失望感。フレッドが相手のこともよく知らずに、勝手に期待したのが悪いだけなのだが、極めて残念であることは間違いなかった。その意趣返しというわけではないが、今度はこちらが脅かしてやろうかという気持ちが芽生えてくる。


『その質問にお答えする前に、少しお時間をいただいてよろしいか。この部屋は暖がきつすぎましてな』


 高山の麓で開墾期に入ったばかりともなれば気温は低く、外は寒い。しかし族長以下の重職が集まる会議の間は寒さを感じさせることがないよう配慮されており、覆面を着けっぱなしのフレッドにはやや暑すぎた。フレッドの言葉を聞いて了承したシャダら会議の出席者はフレッドが上着を脱ぐのだろうと思っていたが、おもむろに首へ手をやった竜人の男は謎の空気音を鳴らすと、首から上の頭部を取り外す。まったく予想していない光景に、出席者一同は唖然としてしまう。


『申し上げて無かったですかな。この竜人の装いは兜のようなものでして。それはお前の素顔か、というご質問あらばもっと早く外すことになっていたのでしょうが』


 会議の出席者たちのうち、数人はフレッドの正体に気付いたのだろう。すぐに各派閥のリーダーの下へ走り、輪となって相談を始める。フレッドは懐から布を取り出し自身の顔と装いに付いた汗を拭うと、先ほどの質問に答え始める。


『あらためまして、私は皇国領ザイール辺境州がヘルダのフレッド。皆様にはかつての名前……クロト=ハイディンと申した方が親しみ深かろうと思います。ユージェを捨て、兄の魂をユージェに利用され、私も家族も、ヘルダの人々すら抹殺しようとしたユージェに対し私がどのような思いを抱いているか、というご質問でしたな。お答えしても構いませんが、ここはスーラ氏族の秘術で確認してみてはいかがです?』


 このような大物を疑いもせずに会議の場へ呼び込んだ事実、秘術を以ってしても正体を見破れず相手の側から正体を明かし始めたという屈辱、そして捕縛し処刑しようものなら確実に連合がそれを口実に侵攻するであろうとの展望。あらゆる要素が出席者たちを沈黙の世界に追いやる結果となった。


「こんなところに、いるはずがない。お主はユージェを捨て皇国へ逃れた身。これは怪異の仕業であろう……そうだ、そうに決まっている!」


 最初に口を開き、絞り出すような声で呻いたのはシャダだったが、シャダ以外の2人のリーダーはフレッドが顔を晒してもそこまで驚いてはいない様子だった。もちろん頭が取れたという事実には驚いたが、その中身についてはよく知らないのだろう。


『拝見したところ、族長代理殿はまだ目が見えておるご様子。私が7周期前にお会いしたシャナム殿は秘術の影響で目を封印されておりましたが、あなたはご自分の目で確認なさっても私が幻覚か何かだと思われるのか?』


 あまりの展開に相手は防戦一方だ、これはもう勝敗は決したな。フレッドはそう思ったが、ここで思わぬ伏兵が立ちはだかることとなるのだった。

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