第11話 英雄と勇者の邂逅

『夜明けまでまだ時は残されているが、なにぶんあの巨体を打ち倒すまでにどれだけ掛かるかは未知数であり、なれば我らも味方が戻るまで待つというわけにもいかない。皆には貧乏くじを引かせて済まないが、これより攻撃を掛ける』


 ロンティマーに突き刺さった拘束用の鉄鎖には長さの半分ほどまでロンティマーの肉が伸びており、しかしそのせいで「搦手無用」の光が差してからは肉が伸びず戻れずの固定化状態となっている。始めは肉を戻そうとしていた感のあるロンティマーもそれを諦めたのか、今は腕を引いて拘束用の鉄鎖を城壁から引き抜いてしまおうともがいているのだった。


「奴が‟綱引き„に興じている間に攻撃を掛けてしまおうというわけですか。しかし我らだけでは手が足りぬ以上、一撃離脱というわけには参りませんな。接近後は竜を降りて奴と真っ向から立ち会わねばなりますまい」


 フレッドが「貧乏くじ」と言ったのは、まさにそのためだった。攻撃後に離脱する騎兵の動きならば危険度は下がるが、その一方で継続的な攻撃は難しい。その問題も数が揃えば繰り返しの突撃でカバーできるが、隊の半数以上が門の援護に向かった以上それも不可能である。残る手段はロンティマーの近くで攻撃を続けるしかない。


『それぞれの「伍」は必ず一塊となりて、互いの援護を忘れぬように。死角から掴まれ取り込まれることが予想される故な。一人は監視を行い、戦闘は残る四人で行うよう徹底させてくれ』


 一般的なユージェの戦闘構成として五人一組の「伍」編成があり、それらの十組を束ねる者を「什」と呼ぶ。この「什」つまり50人が軍の部隊としては最小限のものであり、今回の「華心剛胆」遠征軍の規模は500余のため「什」は10人ほど存在することになる。そして「什」を束ねるのが大隊長とされるアル・ベタル・グァンの三名で、装備により射撃・突撃・長槍の3隊に分けられている。今ここに残った突撃隊は最も重装備であり、歩兵戦闘にも長けた精鋭揃いの「華心剛胆」でも一目置かれる部隊だった。


「我らは騎竜が使えない戦場で戦うことも想定し訓練してきた部隊です。門の援護に向かった者たちよりは我らこそがこの状況に沿うものでしょう。ここはどうぞ、我らにお任せください」


 ベタル隊長は「どうせ聞き入れてはもらえないだろう」と分かっていても、そう進言せずにはいられない。この主のことだから、間違いなく自身も最前線に立つであろうことは目に見えている。それは主が自暴自棄になっているのでもなければ戦闘狂なのでもなく、部下を信用していない訳でもない。そうすることが上に立つ者の務めだと本気で考えているからなのだ。


『皆だけを戦わせて、後ろで見ていることなど私にはできない。私には皆に「命を賭けて来い」と命令する以上、果たさねばならぬ責務がある。でなければ、私の指揮で死んでいった者たちに顔向けできぬのだ』


 小競合いならともかく大きな合戦ともなれば必ず犠牲者が出る。統一の英雄クロトが出した犠牲はそれまでの戦乱の世で出た犠牲を考えれば極めて少なかったが、それでも大事な人が帰ってこなかった人々はいた。そんな人たちは決まってこう言った。


[なぜ戦死者が少ない中であの人が、あの子だけが死なねばならなかったのか。英雄だなんだといっても結局はお偉い様、安全なところから見ていただけなのだろう]


 まだ若かった当時のフレッドはその言葉にひどく傷つき、そして自身も最前線に出るようになった。まるで「見ろ、俺は生き残ったぞ。犠牲を抑えた中で死んだ奴は運も実力もなかったのさ」と無言のアピールをするかのように。そのような姿勢を伝え聞いても遺族たちの批判は消えなかったが、一方で軍に属する兵たちからの人気は高まっていった。戦乱の世たるかつてのユージェでは打算や策謀が渦巻き、裏切りも内通も日常茶飯事であった中でも指揮官が出てくる以上、自分たちが捨て駒にされるはずもないという安心感もあったのだろう。


『まぁ心配はご無用。皆の足手纏いになることはありませんよ』


 別に腕の方は心配していません……というのがベタルらの想いなのだが、それが伝わることはない。もう一つの信じがたい話が、フレッドは自身の戦技をおそらくこの世で最も評価していない人物であろうという点である。彼にとっての比較対象が父「闘神クラッサス」や兄「双竜槍クロヴィス」という武人の歴史に名を刻む男達だったことが理由だが、そもそも力を基本とした父や兄と技を基本にするフレッドの戦技を単純比較することが間違いである。そして7周期前に囚われた魂を宿した、傀儡人形とはいえ憧れの兄には勝利しているものの、勝ちを誇ることはしない。


(ご当主はユージェにいた頃こそ確かに線が細めの若者だったが、皇国に移ってからはずいぶんと逞しさを得た。ユーライアの街暮らしより、ヘルダの辺境暮らしが性に合っていたのかもしれないな。否応なしに鍛えられただけかもしれんが……)


 というのが、かつての部下たちの思うところなのだ。ユージェにいた頃も訓練などで体を鍛えてはいたが、少なくとも無理を強いられることはなかった。しかし身分を捨て一人の村人ともなればそうはいかず、農作業でも冒険者として働いた期間も人生初となる苦行に直面したものである。


『さあ、長話はここまでです。全隊、攻撃準備。接近後は竜を降りロンティマーに肉薄せよ!』


 号令と共に突撃隊が突進し、手持ちの槍を突き立てた後に竜から降り抜剣する。およそ40の伍がロンティマーを半包囲する形で接近し、近接戦闘を開始した。フレッドは全体を見渡せるようやや引いた位置を取り、今は槍ではなく弓を手にしていた。


(取り込んだ肉の元のものなのか、奴も傷つけば出血はする。その傷がダメージに繋がっているとも思えないが、矢が飛び肉に刺さる音は注意喚起には十分だろう)


 フレッドは弓を構え狙いを定めると、無言のまま矢を二本放つ。狙った先はある伍の頭上より迫ろうとしていたロンティマーの触腕で、矢の風切り音と二回の着弾音により正面に気を取られていた見張りも頭上の触腕に気付き注意を促す。


「さすがの腕前にございまするな。しかし「搦手無用」の効果なのか、なんとも気色の悪いことになったものです」


 突撃隊の指揮官たるベタルも後方に位置取り、負傷者や疲労などで十分な戦力を発揮できなくなった隊を交代させ穴埋めをする等の指揮を執っている。彼が言う「気色の悪い事態」とは、ロンティマーの表面についてのことだった。


『私にはあれが、数多の人が組み重なっているように見える。理由は不明だが「搦手無用」の光で力を削がれ、表層を覆っていたであろう何かが消えたといったところなのだろうか。しかし、あれがすべて「黄泉の回廊」での犠牲者や安置されていた遺体なのだとすると……ここで討たねば面倒なことになるのだろうな』


 ロンティマーの外観は、それまでは剥き出しの肉という感じであった。しかし今は無数の人型が組み合わさってロンティマーを形成しているように見える。巨体を自由に変化させているように見えたのも、実はそれぞれの人らしきものが位置を変えていたのだ。つまり取り込まれる人が多ければ多いほど望む姿になりやすく、それこそ腕も足も生え世界を喰らいつくす巨人として闊歩する日が来るのかもしれないのだ。


「私にも人が組み合わさっているように見えまする。しかしこれは却って好都合でありましょう。一人一人を引き剥がしていけばいずれは中核へたどり着けるに違いありませぬ」


 気が遠くなる話ではあるね……そう言いつつフレッドは矢を放つ。実際ロンティマーを構成しているであろう人の数は軽く見積もっても3000は下らない。表層の見た目だけでそれならば、内部にも相応の数がいるはずであり、強烈な反撃がないといっても疲労で徐々に効率が下がるであろうことは疑いようの余地もない。


『今のところ、一人一人は普通の人間ほどの打たれ強さもない。人ならば急所ではない場所に矢が刺さっても力を失い落下してくるのだから易しいものだが、いつまでもこうではないだろうな。この予測はできれば外れてほしいが、重要な場所にはそれにふさわしい守護者がいるものであろうから』


 そうなれば、もう弓を引いている場合ではないか。もっとも、その前に矢が尽きてどのみち近接戦闘に移らざるを得ない気もする。そうなれば全体を見渡しての指揮もなかなか難しくなる。だが人間同士の戦いと違い、常に相手の動きを読んで戦わねばならない相手ではないため、戦いに専念しても大丈夫だろうという思いはある。予想しようにも何をするかは皆目見当もつかない相手なのだから。


『もう矢がないな。ベタル隊長、私も斬り込もうと思う。この場の指揮はあなたに一任するから差配を頼む。異変があったら合図してくれればいい』


 お止めください、といって聞き入れてもらえないことは分かっているので、ベタルはそのことについては異議を唱えなかった。代わりに突撃隊でも腕を見込んでいる数名を同行するよう意見具申し、フレッドもそれは拒否できなかった。自分が、一般的な将の在り様から見ればわがままを言っている自覚はあったからだ。


『私からは少し距離を取っておいてくれ。竜からは下りずに槍を扱うから、近くに立たれると巻き込む可能性もあるゆえ』


 父や兄のような、生まれついての怪力を持ち合わせていなかったフレッドが両者に追いつくために選んだ手段……それは騎乗戦闘の腕を追求することだった。竜の動きの力を借りれば怪力の持ち主でなくとも人を越えた威力を生み出せる、ということで、これはフレッドが努力により後天的に身につけた戦技である。放った矢の軌道予測ができ、思うように矢を射れるという先天的な才能に比べても遜色のない領域に達していた。


『ヘルダのフレッド、いざ参る!かつては勇者とまで呼ばれしギャフラーよ、貴殿に私と戦う勇気はあるか!』


 自分を「ユージェのクロト」とは言わなかったあたりに、もう自身の立ち位置に迷いがないことは窺い知れる。その一方で、ギャフラー“らしきもの”が黄泉の回廊から出てきた際のことをまだ忘れられない。彼はなぜ、ロンティマーの姿ではなかったのだろうか。もし「搦手無用」の効果で神霊力が弱まるなら、またあの時のように会話も可能なギャフラー“らしきもの”になるのではないか。その期待が、巨大な怪物相手に名乗りを上げるという奇妙な事態を招いた。もっとも、それを見た部下たちは怪物相手にも作法を欠かさぬ主の生真面目さに思わず笑みをこぼし、怪異相手にも普段と同様の肝の座り方に感嘆もする。


「戦いの終わりはまだ見えないのだ、気を抜くんじゃあない!それぞれの持ち場で最善を尽くせ。ご当主の援護がなくなった途端に無様な姿を晒しては末代までの恥となろうぞ!!」


 ベタルの叱咤は「いかにも武人」といった趣のものだが、その意見は部隊員の共通認識であるといえた。ここが最後の戦いの場になるとは思えず、まだまだ生き延びていつか来るであろう歴史的な一戦に立ち会う。それこそが武人の誉れである……彼らの大半はそう考えており、フレッドはそれを予感させるには十分の存在だった。


『このような微動だにせぬ壁では話にならんな。それとも、この光が弱まるまでの時間稼ぎが目的なのか。方策としては正解だが、それではその名も泣くことだろう!』


 フレッドは竜に跨ったまま槍で突き、引き抜くと同時に竜を転回させその勢いでさらに強烈な一撃を打ち込む。瞬く間に数人分の人型が倒れるが、それでも異変が起こる様子はない。耳があるかも分からぬ相手を挑発してみたところで意味はないかもしれないが、ギャフラーはおそらく聞いているだろうという確信はある。


(最初の大音声、あれは間違いなくこちらへの口上返しだろう。偶然にしては使ってくるタイミングが出来過ぎだし、何よりあれ以来まるで使う気配がない。ならば聞こえていることを前提に……)


 その後もフレッドはギャフラーに対して挑発的な言動を繰り返しつつ、折り重なった人型を排除していく。そしてしばらく斬り進んだところで、壁から人型が飛び掛かってきたのである。


『来たな……ついに!皆も留意せよ、これよりは門を襲っていた敵と同様の、この光の中でも戦う力を失わない相手が出てくるぞ!』


 やはり奥に行くほど神霊力の強い存在で構成されているらしい。ならばその最奥にあるものがロンティマーそのもの、つまりはギャフラーに相違ない。それがフレッドの読みであり、そしてそれは正しかった。


(奴の体内から吐き出されたあの鉄塊から出てきた敵が動いていた時点で、内部には弱体化してもなお戦う力のある存在がいることは分かっていた。それを打ち倒さねばこの戦に勝利はないこともな!)


 肉の壁から分離、独立した人型は手に取り込まれた武器を持っている。動きからしても普通の人間と遜色ないのだが、それでは精鋭の武人集団に敵うべくもない。それを補える唯一の手段が、数による圧倒だった。


「う~む、次々と分離体が出てくるな。個々の力は取るに足らないが、我々も体力が無限に続くわけではない以上どこかで休まねば……どうする、味方を待つか?」


 指揮を任されたベタルはそう漏らしながら門の方にちらりと目をやる。あちらへ向かった部隊が戻って来ればずいぶんと楽になるのだが、戻ってきている様子はない。となれば、今しばらくはこの場の戦力で持ち堪えねばならない。


「まず1・4・7がつく「伍」からいったん下がれ!休憩および、防具の取り外しを行うのだ。彼らが戻ったら入れ替わりに2・5・8、その次が3・6・9、そして最後に0の組の入れ替えとする。その頃には門に向かった隊も戻るだろうが、功を残しておくことはないぞ!俺たちで独占してしまえ!」


 突撃隊は「華心剛胆」でもっとも重装備の隊で戦闘力こそ高いが、重い装備は疲労を早めるという面もある。ベタルは「搦手無用」の効果でロンティマーも弱体化していることからそこまでの防具は不要と判断し、交代で防具を取り外すように指示を出したのだ。


『末尾0の組はご苦労だが、私も共に残るゆえ腐らず戦ってくれ。ここで呼吸を整えた後はいよいよ勝負の時だ、抜かるなよ!』


 フレッドはすでに数十の人型の腕や脚を断ち戦闘不能に追い込みつつも、まるで底が見えない敵集団に何か手を打つべきかと考えていた。これが人同士の戦いなら手練れの猛威に怯んだ敵の攻め手は弱まるのだが、そういった心を持たない怪異は勝てぬと分かっていても平然と正面から向かってくるため、数の差からしても一息つく暇すらないという状態である。フレッドは竜に乗り勢いを借りて戦えるのでまだマシな方だが、歩兵として戦う部下たちの披露は察するに余りある。休憩と装備の解除を指示したベタルの指揮は的を射ており、それに乗る形で隊を鼓舞する。


(負傷者は出始めたが、まだ致命傷を受けたり取り込まれた者はいないようだな。奇跡の力に慣れてしまうと脇が甘くなるかと思っていたものの、実際は皆それに甘えることなくやっている。それに引き換えあちらは収拾がつかないか……無理もないが)


 フレッドも戦いの合間に門へと目をやりつつ、ベタルとはまた別のことを考えた。好機と見て出てきたところに想定外の攻撃を受け、部隊は壊滅状態に追い込まれたのだ。リンド守備隊の士気は大いに下がり混乱状態に陥るのは仕方のない事ではある。しかしそこから立ち直れなければ更なる犠牲を出すだけである以上、生き残った者たちは気を確かに持たねばならない。


『1・4・7の組が戻ってきたな。では2・5・8の組はいったん下がれ!』


 どうやら、本当に援軍が戻る前に決着がついてしまいそうだ――さすがにそうと口には出せなかったが、これ以上ここで踏み止まるのも得策とは思えない。つまり攻撃は失敗……という形でひとまずは決着をつけるしかないのか、という考えが頭をよぎり始めたのだ。


(あれだけの巨体、そう容易に討ち果たせるとは考えていなかった。……が、細かい分離体となりてこちらの穂先を受け切ろうとするとも予想はしていなかった。一つの敵に注視していられる状況と次から次へと敵が入れ替わる状況とでは、さすがに疲労の蓄積具合が違い過ぎる)


 敵の再生能力を奪えば、後は多少の時間を要しようとも攻撃を加えていけばいずれは打倒も可能なはず。現に300周期前に出現した際はそのようにして討ち果たしたとされている。まったく同じようにはいかないだろうと覚悟はしていたが、自身の一部を盾として切り離し時間稼ぎをしてくるとは想定外だった。もしや相手はこちらが再生能力を封じてくる可能性を予め考慮していたのか……とさえ思えてくる。


『不死の怪物・ロンティマーか。その意思があるのだとすれば、以前に討たれた際の記憶も残っているのかもしれん。それならば「搦手無用」の対策を考えていたとしてもおかしいところはない。だが!』


 数えてちょうど100体目となる人壁を戦闘不能に追いやりつつ、フレッドの槍はますます煌めきを増す。そしてこの戦いが始まって以来、長らく疑問に思っていたことをロンティマーにぶつけるのだった。


『ロンティマーに意思があるのならばギャフラー殿、あなたの意思もそこに在るのだろう。黄泉の回廊で何があったかは察することしかできぬが、わざわざこうして戻ったのにはそれなりの理由があるはず。いったいなぜ戻ったのです。リンドを滅ぼし、住民の犠牲を糧にユージェ全土を席巻し、ついにはこの世界すべてを滅ぼすのが望みなのか!お答え頂きたい!!』


 フレッドはずっと疑問に思っていた。なぜ、ギャフラーは黄泉の回廊から出てきたのだろうかと。ユージェで怪異の氾濫が起こっているからそれに惹かれたのか、とも考えたが以前の氾濫では現れていないという。今でなければならない理由、今でしか出てこられない理由でもあるのか。それを知ることができれば、今後この問題を避けることができるかもしれず、避け得ぬのだとしても対処が楽になる可能性はある。この問いかけに答えがあるとは思っていなかったが、多くの犠牲を払った以上「ただ戦い勝って終わり。めでたしめでたし」というわけにはいかない。後に残せる何かを掴まなくてはならないのだ。


「3・6・9の組も戻りました。次は0の組が下がりますので、ご当主も一時後退をお願いいたします!」


 フレッド自身はまだそこまで疲労を感じてはいなかったが、竜のほうはというとかなり息も上がってきている。このまま戦い続けては長く持たないことは明白のため、ここは進言通りに下がるよりなかった。


『いずれ先程の問いのご回答をいただきに舞い戻る所存!どうかご準備されたし!』


 半ば捨て台詞を吐くような形で言い放つと、フレッドは戦線を一時離脱する。兵たちは「ご当主は怪物にも話しかけるのか」と訝しげに見こそするが、それを不快には思わない。自分たちの主は兄を暗殺した相手をも許し、統一という大義のために自身の心は封じた。今回の事も何かしらの意味があるのだろうということに疑いはない。



『すまんが水を頼む。いや、私ではなくこっちにだ。私には矢の補充をお願いしようかな。矢筒に入るだけ入れておきたい』


 フレッドは竜が飲むための水桶と、矢の補充を輜重隊員に頼む。そして自身は腰に吊るしてあった革袋から水を飲み、しかし目線は前線から離さない。


(夜明けまではそう長くはないな。日が昇れば怪異自体の能力は下がるものの、ロンティマーの再生能力は復活してしまう。多くの肉が剥げたあの状態から再生能力が復活したとして、元の姿に戻れるのかは不明だが……日が昇る前に決着をつけねばな)


 時刻はちょうど夜半といったところだが、周囲は赤光の薄明かりで照らされている。元になった炎はそこまで大きくないが「搦手無用」に吸われて拡散した光は奇跡の力の無効化範囲をすべからく照らしているからだ。そのため暗闇により敵の姿を見失うことこそないものの、一般的に用いられる発光力の高い魔力の籠った特殊な松明や光の精霊を喚び出しての投光などはできなかった。


「矢の補充、終わりましてございます。いまだ終わりは見えませぬが、どうかご武運を!」


 フレッドは『ありがとう。では行ってくる!』と告げ竜を走らせる。戦ともなれば花形はやはり武人や兵などの直接戦闘担当になるが、軍にはそれを支える人たちも同行する。彼らがその働きを評価されることは少なく、報いるには戦闘担当が勝利をもたらす以外にないのだ。そもそもの数が少ない「華心剛胆」ではその裏方もかつては兵として働いていたものが多く、戦傷や寄る年波で戦闘担当を諦めた者たちばかりである。彼らのおかげで、そして成り代わり戦っている……という想いもあり、それがこの隊を精鋭集団にしている一因でもある。


『後ろから見てみて気付いたが、ロンティマーの体もかなり縮小してきている。いずれ中核にもたどり着けよう、もう少しだぞ!』


 それは完全にでまかせ……ではない。削れて失われた部分はかなり存在していたのだが、もう少しで「何かある」かの確信があって放った言葉ではなかった。ゆえに同じようなタイミングで前線から「異変あり」の報告が入った時はさすがのフレッドも竜の上で首をかしげざるを得ない。


『どうやらギャフラー殿がお返事を下さるのかね。いずれにせよ、まずは部隊を下がらせてくれ。あの鉄塊のような奇策である可能性も排除しきれん』


 後に振り返れば「妙に勘が冴えていた」と思えるその日のフレッドは、またしても独り言の予言を的中させる。肉の壁を削りつつ前進した先にあったのは、巨大な木の実のような球体であった。硬質のそれは今までに障害となったものと違い人のような形を成して襲い来るわけでもなく、ただそこに在るのみ。フレッドは槍を地に突き立てると弓を構え矢を放つが、それは虚しく弾かれた。


『あれは、触腕のように物体を取り込みはしないのか。だが音を聞く限り堅そうではあるし、人の武器で穴を穿つのは難しかろう。ベタル隊長、騎兵を何名か門に派遣し適当な資材を調達してもらいたい。城門を破壊する要領で騎兵にぶつけさせよう』


 鉄塊を受け崩壊した門には、材木や石柱といった資材が散乱している。それを騎兵隊で曳いてきて、そのままぶつけてしまおうということだ。フレッドの師にあたるマイアーが皇国重装騎兵隊が駆る巨竜アヴニアに対し用いようした戦杭と同じ発想の、騎兵隊用の質量攻撃戦術の一環である。


「よぉし、来たな!そのまま突入せよ、遠慮はいらんぞ。派手にぶつけてやれぇ!」


 ベタルは3つの「伍」を門に送り、彼らはそれぞれ適当な資材に縄をかけ曳いてくる。帰還報告のために速度を緩めるが、ベタルはそれを制止し勢いを殺さぬまま突入を指示した。最初の「伍」は大きい丸太を曳行しており、これは他の2組より軽い部類であったため先陣を切ることになった。


「チッ、効果なしか。まぁいい、次だ。突入せよ!」


 次に運ばれてきたのはそこそこの太さである石柱だった。あまり重すぎても勢いをつけて走れず、ぶつけることもままならないためここらが限界というサイズである。しかし石柱は壁に激しく衝突した際に砕けてしまう。


「ぬぅ、これもダメとはな。しかしもう一組あるはず。最後は……あれか!」


 最後に運ばれてきたのは、厳密に言うと資材ではない。5騎は荷台を曳いており、その上には一人の男が巨大な槌を肩に立っていたのだ。しかし隊にいる者であれば運んできたそれが最高の、そして最善の選択であることを知っている。今はハゼルと名を改めたその武人は、彼らにとっての生ける伝説だった。


「拾い物は、やはり持ち主に返すべきであろうからな。ごく一部とはいえ、先ほどの鉄塊を返却せんと参上した次第である。これはお手前の所有物じゃ、しかと受け止められよ!」


 ハゼルは口上を述べると荷台の上で踏ん張り、そして棒を突き刺しハンマー状にした鉄塊を投げつける。手に持てるものであれば狙った場所に投げられるという特技と持ち前の怪力が為せる荒業だ。


『やはり花形はいいところに出番が回って来るものか。できればお手を煩わせてしまう前に決着をつけたかったが……』


 ハゼルの手から離れた鉄塊は風切り音と共に飛行し、轟音と共にロンティマーへ着弾する。その場にいる誰もが破壊成功を信じて疑わなかったが、その物体はいまだに存在を保っていた。しかし表面にはひび割れを起こし、明らかに崩壊の予兆を見せている。


『各員、崩壊に備えよ!中がどうなっているかも定かではないのでな!』


 何が起こるかは分からない。だが、何かは起こるのだろう――そのような予感はしたが、口には出さなかった。しかし崩壊が起きて土埃が舞っても、結局のところ何も起こりはしなかったのだ。偶然、ほんのたまたま思いを口にする時間がなかったというだけのことなのだが、運が向いているときの人はそんなものである。そのような理由で、フレッドは「読みが鋭い男」としての評判を落とさずに済む。


「煙が治まるぞ。敵の姿は……ある!一名確認!!」


 その報告を聞いた時、フレッドは直感した。その一名とはかつてギャフラーだった存在なのだろう、と。そして、話し合いだけで事が終わるはずはないだろうとも感じた。さらに言えば、戦うとしたら自分であるべきなのだろうとも思った。


『こちらの要請に応えてくれたのなら、我らも先方の要請に応えるが礼儀というものだろうね。交渉には私が当たる、全隊は待機を!』


 敵発見の報告でにわかに戦意も高まっていた各「伍」の隊も、指示を受け臨戦態勢は解除する。ただし即応準備に抜かりはなく、攻撃の下知が下れば我先に突入を掛けることだろう。もっとも、そうなることはなかったが。


『さて、今さら互いに名乗りは必要ありますまい。こうして姿を現していただけたということは、先の問いにお答えいただけると考えてよろしいのですかな?』


 フレッドはユージェ時代にもギャフラーと面識はない。一国家の重鎮であった身と冒険者家業で有名を馳せた身とでは接点がなさ過ぎたからだが、当時のフレッドが冒険者などのアウトローな者たちにさしたる興味がなかったのも事実である。皇国に移り住み、自身もアウトローとなった今となっては聞いてみたい話は山とあるが、さすがにそれを話している場合ではないのだ。


「軍人やお偉いさんというのは、高圧的な者ばかりだと思っていたのだがな。噂で聞いた通り、統一の英雄殿は物腰の柔らかい御仁のようだ。そのようなやり様では部下に甘く見られるのではないか?」


 アウトロー特有の皮肉めいた物言い、それはご挨拶の意味も込めた先制パンチ的な軽口といったところだったが、主を小馬鹿にされたと感じさせるには十分なものである。当然のように各隊員たちの敵意は高まるが、そこで暴発するほど「華心剛胆」は訓練が行き届いていない訳でもない。


『そうならぬよう、こうして前線にも立つよう心掛けている次第にて。やはり安全な場所から「戦え、命を賭けろ」と指示するだけでは人の信用を勝ち得ませんので。あなたもそうなのでしょう?故に勇者と呼ばれるほどの立場になろうともご自身で危地に出向かれた』


 フレッドに至っては挑発を敢えて切り返す形で問答を続ける。武芸は目指すべき高みのため血のにじむ努力を絶やさなかったが、元々の適性という観点からはこのような方面こそがフレッドの得意分野であった。


「……なるほど。英雄殿は文武両道才気煥発の、まさしく英雄殿と呼ばれるに相応しい男だったようだ。俺の知っているしょうもねえお偉いさんと比べるのは失礼というものだな、まずはこの通り詫びさせていただこう」


 このギャフラーといい、ザイールで待つブルート=エルトリオといい冒険者というのは己の過ちをすぐに認めることができる人種らしい。それができなければ冒険の果てに待ち受けているのは破滅の運命だからなのだろうが、政治に生きる者たちの未練がましさを考えるとぜひ見習わせたいと本気で思う。しかしどういうわけか、見習うべき側の方が偉いと勘違いしているのが世の仕組みなのだ


『その臨機応変さが世を動かす人たちにもあったなら、このような……誰かの得にもならぬ結末にはならなかったのでしょうな。まぁ私自身もその立場をかなぐり捨てて逃げたわけですから、偉そうに批判できる謂れはありませんが』


 少しずつ核心部分に近づけてはいるが、焦り過ぎてはいけない。時間は限られているが、焦りを見せれば付け入られる。武器こそ交えてはいないが、これは正真正銘の勝負事である以上、うかつな動きを見せれば致命打にも繋がりかねない。


「そうだな、確かにこのような結末は予想していなかった。俺は触れてしまった、この世界の……いや世界だけでなく存在すべての真理に。そのことに後悔はない。それは俺自身が望んだことなのだから。しかしそのせいであいつらを巻き込んでしまったんだ。俺はあいつらにどう詫びていいかも分からねえ、俺は……」


 真理に触れた?だから人の姿を捨てロンティマーになったのか。では人をそのようにしてしまう真理とはいったい何だ。巻き込んだあいつら……というのはギャフラー一行と呼ばれたメンバーのことであろうが、詫びるということはあなたが手に掛けたとでも?尋ねたいことは山ほどあったが、それを口に出すことはできなかった。


『しかし何かをすべきであると考えたからこそ、こうして地上に戻った。ただ、地上に出た直後に何かしらの力を抑えきれずロンティマーになってしまったと。でも今になって、おそらくはこの「搦手無用」の光によりその何かしらの力が抑えられ、こうして元の姿に戻ることができた……と推察いたしますが?』


 ギャフラーから返事はなかったが、その顔を見る限り当たらずとも遠からずといったところなのだろう。フレッドとしては否定してもらいたいところではあったが、否定がないということは「搦手無用」の効果が切れる夜明けを迎えればギャフラーは人の姿を保てなくなるということに他ならない。


「俺は、あいつらの魂くらいは地上に戻し……そして天に還そうと思ってここまで来たんだ。しかしここに来て欲が出てきてしまった。俺の眼前にはユージェで知らぬ者なかった男がいて、もしそのような大物を討ち取れたら俺たちの名前は歴史に刻まれるのだろう、と。それが怪物となり果てた者という悪名であろうとも、俺はあいつらがここに存在していたという事実を刻み付けてやりたい」


 その言葉に対し、今度はフレッドが無言だった。少なくともギャフラーが怪異となろうとも地上に戻ってきた理由は判明し、望みを知ることもできた。もはや問答の時間は終わり、戦いが始まろうとしていることは誰の目にも明らかだ。両者は口を開くこともなく武器の準備を始め、武器を手にしたところでフレッドが問いかけた。


『では、このクロト=ハイディンがお相手いたす。私は全力で勝負に臨む際は竜を扱うのが習いですが、それで構いませぬか?』


 相手は、少なくとも外見上は一人である。もはや人ではなく姿形も変えることができるかもしれないが、フレッドは律義にも竜を扱うことについての了解を得ようと考えたのである。


「構わぬ。こちらもすべての手を尽くして挑むゆえ、そちらも存分に戦われたい!」


 統一の英雄と冒険者たちの中でも秀でた者として名を挙げた勇者。順当に人生を歩んでいたなら交わることのなかった両名の戦いの時が迫ろうとしていた。

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