第10話 マハトゥ正門の決戦

「突撃隊、戦闘準備だ!伝説に挑みし戦いの先陣を任されたことは、末代までの誉れとできよう!それを子々孫々に伝えるためにも、そして味方への足枷とならぬためにも奴に取り込まれるようなことだけは絶対に許されぬ。各員、各隊は全員生還を最重要目標とし攻撃を掛けるのだ……よいな!」


 騎兵としては重装備な前衛突撃隊は、主に突撃時に受ける敵の射撃を防ぐための部隊である。ロンティマーから射撃が行われる様子は見られていないが、無機物以外に取りついたロンティマーの肉片を引き剥がすのは困難を極めるため、金属製の防具で身を固める前衛突撃隊に先陣が託されたのだ。


『突撃隊はロンティマーの正面から左右に分かれ、手持ちの武器を突き立てた後に離脱せよ。奴は戦闘状態に入ると移動よりも攻撃を優先し、肉塊は捕食を重視するようになる。移動を鈍らせた上で拘束用の攻撃を行うためにも、かの者にはまず我らがやる気であることをご理解してもらうとしよう!』


 伝承にある通りの相手ならば、初手はそれでよいはず。フレッドはそう心の中で続けたが、それを声に出すわけにはいかない。言えば「では伝承と違えば自分たちはどうなるのか」という不安を煽るだけのことだからだが、幸か不幸かそれは接敵前に訪れることとなる。


「ロンティマー表層に動きあり!」


 指示を出した後は自身の騎竜の準備に入り、ロンティマーから目を離していたフレッドもその報告で急ぎ物見櫓へと駆け上る。まだ遠くに見えるロンティマーの表層は、言われてみれば確かに蠢いてはいる。だが言われなければ一般的な視力の人間にはよく分からない、という程度に微妙な変化でもあった。しかし時間が経つにつれその変化は大きなものとなり、誰の目にも明らかなものとなる。


『あれは、何かを形作っている……のか?』

「巨大な口のようにも見えまするな。奴が食事に際し口が必要とは思えませぬが」


 隣で見ていたアル・ファールの指摘通り、ロンティマーの表層に浮き上がったそれは巨大な口唇であった。それが完成すると空気を吸い込み始め、そして一気に吐き出すと同時に轟音のような唸り声を上げ始める。遠くにいるフレッドらも空気の震えを感じるほどのそれはまさに怒号、言葉にはなっていないが相手からの名乗りに他ならなかった。


「くそっ!怯えた騎竜たちをなだめろ!混乱を広げるんじゃないぞ!」

「体に異常を来たした者も出ている。各隊、急ぎ状況確認を!」


 まったく予測していなかった大音声を受け、精強な武人集団もさすがに怯む。だが現場の小隊長クラスで立て直しが効くあたり、他の部隊との差が如実に出た。城壁内で待機しており実際にロンティマーを視界にとらえていないリンド兵は、出所も不明なその人知を超えた怒号に対し大混乱に陥っている。


『しかし、参ったねこれは。わざわざ口上返しをしてくるとは、知能もない欲求だけの怪物というわけでもなさそうだ。だが伝承には「大声を上げるから耳栓を用意しろ」などとは記されていなかったし、もしや今回から新たに加わったのかな。とはいえ、表層に口らしきものがなければ使えないというなら対処のしようはある』


 叫び終えたロンティマーの表層からは口らしきものが消え、通常の肉塊となり再び前進を開始している。口を出しながら移動をしない理由は不明だが、何かしらの理由があるからそうするのだろう。ならば次に口が現れたら、怒号がある可能性も考えれば混乱はしにくくなるはずだ。


(もっとも、口でただ声を出す以外に何かしたならその限りではないが。それに口が出るなら他の部分も出てくるかもしれない。ただ脚を生やして歩けるなら最初からそうするであろうし、何でもかんでも出すとは行かぬか……?)


 そう考えつつフレッドは肉塊から二本の脚が生えて歩き回る姿を想像してみたが、あまりに奇妙かつ気色も悪いためすぐに頭から追いやった。


『敵は移動を再開したが、大音声の源たる表層の口は消えた。次に口が現れた際は耳を塞ぐなりの指示が出るかもしれぬゆえ、各員はロンティマー表層の動きにも留意してほしい。思いがけぬことで予定が少し狂ったが、これより作戦開始だ!』


 号令と共に突撃隊200騎が正面から突進し、ロンティマーの直前で左右二手に分かれる。そして通りすがりに手持ちの武器をロンティマーに突き立て、そのまま離脱を行った。攻撃を感知したロンティマーは肉塊から触腕を発生させ敵対者を絡め捕ろうとするも、騎竜の速度には追いつけず突撃隊はすべて離脱を完了する。


『よし、うまいぞ!続いて第2陣は前方から騎射を仕掛けマハトゥ正門へ逃れよ。敵を門の方へと向かわせるのだ!』


 作戦の肝となる拘束用の鉄鎖はマハトゥ正門の跳ね橋を引き上げる鎖を流用し、それを繋いだ銛を正門の城壁上に設置された大型弩で撃ち出す。正門からあまりに離れた場所から城壁を越えマハトゥへ侵入されると拘束が不可能になり、街にも大きな被害が出てしまう可能性もある。ロンティマーを正門前におびき寄せるためにも、再生能力があると分かっていても攻撃を掛け敵の目を向けなくてはならない。


「ご当主、突撃隊は全員帰還しました。……が、一つ気になることがありまして。離脱後、武器を拾い戻り際にもう一撃くれてやろうと考えたのですが、武器の類が落ちておりませんでした。しかし奴は金属を取り込まぬはず、どうも奇妙ですな」


 過去の文献にも、そして回廊からここに至るまでの調査でも「金属など無機物は取り込まない」ことを確認している。実は取り込めたのか、それとも取り込めるようになったのか。その真偽は定かでなくとも、作戦は開始された以上もう止めることはできない。フレッドにできるのはその可能性を考え修正案を探りつつも、初期の作戦でうまくいくことを祈るのみだ。


『ベタル隊長、報告ご苦労です。それに先陣も見事な手際でした。次の出番は「光り輝く時」でしょうから、それまではとりあえず休息と準備を』


 そう労いつつ、フレッドはロンティマーから目を離さない。ちょうど射撃隊がこちらから見て右側より侵入し、ロンティマー直前で踵を返しつつ騎射を行っている。矢が刺さると出血はあるが、すぐに増殖した肉が傷口を塞いでしまいまるで効果はないように見える。しかしベタルの報告を受けたフレッドがいま見たかったのは、ロンティマーが金属製である矢の鏃をどうするかであった。


(矢の多くを構成している身の部分は、木製ということもあり取り込まれてもおかしくはない。だがこれまでの例でいけば、鏃は残されるはずだが……見えないな)


『次は長槍隊の出番だったか。確認したいことができたから私も同道させてもらおうかな。この場はアル隊長に任せる、拘束弾の用意を進め機会を待っていてくれ』


 長槍隊は長槍の先に油袋を括りつけ、ロンティマーを焼討にする計画である。もっともあの巨体を炎で包めるはずもなく、目的は火傷をも再生できるのか見極めることにある。肉を持つ生物の多くは火と相性は悪く、痛みは感じないにしても表面が焼ければ異常を来たすことも少なくない。それで再生能力を奪えるなら過去にその手で解決していたはずだろうし、炎の攻撃の有効性には特に期待もしていなかったが、記録を残すためにも色々と試しておこうというのは今回の目的の一つなのだ。


「これまでは穴倉に潜むアリーハだの、逃げる相手にばかり威勢が良くなる者たちだのと、戦と呼ぶにはやや面白みの欠ける相手ばかりでしたが……今回は歴史に刻まれるであろう名誉ある戦い、こうして御同道できるとは武人の冥利に尽きます」


 長槍隊の隊長、グァン=マーセが女性ということもあり、長槍隊は女性比率が高めの隊である。騎竜に跨り槍を突き立てる分には筋力よりも平衡感覚や狙いの正確さが求められ、力に優れる男性でなくとも役目を果たせるというのもあるが、そこは武人集団の一隊、女性といっても心意気は男性顔負けのものがある。


『相手は見た目こそああですが、人と同等の知性はあると考えておいてください。場合によっては狡猾な手段を用いることもあるかもしれません。決して油断はせず、作戦の完遂を第一に考えるように』


 槍騎兵は弓騎兵よりも敵に近づく必要があり、しかも先陣の突撃隊のような、ロンティマーに取り込まれない金属製の防具は装備しない。相対的に見て各隊の中では危険度が最も高いと言えた。


『隊の連携を乱したくないし、私は最後尾から行かせてもらうかな。諸君らは私のことは気にせず普段通りにやってくれればいい』


 愛用の可変槍・龍ノ稲光を槍状態に組み合わせつつフレッドがそう告げると、長槍隊はグァンの号令の下ロンティマーへの突撃を敢行する。油袋に着火され、槍を突き刺す際に袋も貫き周囲を延焼させる攻撃が繰り返されるが、焦げた肉もすぐに再生し効果は見受けられない。


(やはりダメか。まあ火はご先祖もいの一番に試したろうしね。焼討が有効打となり得る、との記録が残されていないからには特に期待はしていなかったものの……再生速度にも変化がないというのは初出か。現状、どのような傷であっても再生速度に変化はないらしい。まだ殴打や切断は試せていないが……)


 前衛の攻撃を観察しながらフレッドは思考を巡らせるも、考察が結論に至ることはなかった。最後尾の出発までまだ猶予はあったが、攻撃隊の数人がロンティマーの触腕に掴まれてしまったのを見てしまったからである。


『私がいく、道を開けよ!あの腕を断ち切り救出が叶った際は速やかに離脱できるよう、数人は武器を捨て私の後に続け!回収タイミングは各自に任せる!』


 触腕の太さは人の背丈ほどもあり、通常であれば切断は容易とも思えない。しかし彼らはフレッドにはそれが可能であろうということを知っている。一歩兵としてのフレッドが父ハゼルほどの武人ではないとしても、一騎兵としてのフレッドが乗り手としては類まれな存在であることを理解していた。


(あの太さ、一撃で断ち切るのは不可能だ。しかし槍も弓も刺さる普通の肉である以上、手数さえかければ切断は叶うはず!)


 フレッドは触腕の基部へ竜を走らせ、一般的な剣ほどの長さがある龍ノ稲光の穂先を触腕の下方から突き立て肉を斬り裂く。そして突進の勢いのまま突き抜けようとした瞬間、前方から後方に向かい半円を描くように槍を振りぬき、まったく同じ軌道で後方から前方へと斬り返した。揺れる竜の上で狙った場所へ重なるように三連撃を加えられるのは、騎兵文化が栄えたユージェにあってもフレッドくらいしかいない。


「おお、あの太さが斬れた!」

「今だ、落下した仲間を回収せよ!」

「気をしっかり持て、助かったんだぞ!」


 切断された触腕は地面に落下し、力が抜けたように活動を停止する。だが掴まれた隊員が回収された後、蠢動を始めるとロンティマー本体に合流し一部となって取り込まれた。その様は、まさしく不死の生物を思わせる。


(なるほど、切断も特に効果なしと。かの剣豪クラリオンもおそらく派手に切り刻んだろうに、だがこれではその労苦も報われないな。まあ、この場は救出が叶っただけでよしとするか)


 そのようなことを考えながら、フレッドはロンティマーから離脱しつつ付近の地面を観察してみたが、報告通り金属製の武器が落ちていない。射撃隊により射掛けられた矢の鏃も見受けられないため、状況を勘案すると金属も取り込んでいると見るべきだった。


(それにしては、盾や半身鎧を身に着けた突撃隊を取り込もうとしなかったのは気になるがね。とりあえず、奴は何かを企んでいる。そう考えておくかな?)


 こうしてフレッド率いる流浪の軍団「華心剛胆」とロンティマーの戦いの第一幕は終了する。激しい攻撃が行われたがロンティマーには目立った損害がなく、しかし一人の戦死者も出ないという異様な交戦結果となった。



『さて、まずは皆さんご苦労様。こちらから攻撃を掛け、逃げてきたことで相手を誘引することは叶いました。ロンティマーの城門到着は夕刻になるでしょうから、今しばらくは休憩できるでしょう。そして日が落ちてからが作戦の本番となります』


 全隊がマハトゥ正門横の本陣に帰還し、各自が食事やら騎竜の世話をしている中で隊長クラスの部下たちを呼びフレッドは今後の予定を話していた。


『城壁の床弩(ユージェ式の大型設置クロスボウ)がロンティマーを射程圏内に収め次第、拘束用の鉄鎖を撃ち込み動きを止めます。そして日没後に神器「搦手無用」を用い、神魔封滅の力を以ってかの者の再生力を奪う。取り込まないとされていた金属を取り込んでいると思われるのは懸念なれど、作戦に変更はありません』


 作戦自体は各隊長もすでに知っていたので特に異論も出なかったが、やはり金属を取り込まれていることは予定外の面もあり、隊長たちもその話で持ちきりである。金属製の武器を手放しても取り込まれないため後ほど回収可能という前提であったが、その計算が狂ったせいで武器が不足するという隊も出ているためだ。


「借りを作るのは避けたかったところですが、マハトゥの部隊に融通してもらうしかありませんな」


「おそらく相応の値で売り付けられるのでしょう。拘束用に使う鉄鎖すらも利用料を要求してきたくらいですし」


「ロンティマーの打倒が叶えば、利子をつけて彼らから依頼料をふんだくってやればいいのですが……失敗すれば巨額の赤字を抱えることとなりますなあ。そういう意味でも負けるわけには参りませぬか!」


 戦闘後の復興を考えているのか、それとも単なる習性なのかは不明だが、この非常時にもマハトゥの住民たちは金にがめつい。そのこと自体は武人と商人の違いだろうと理解することはできるが、いつ死ぬか分からない生き方の武人としてはどうしても「天に金は持って行けんぞ」という思いが頭に浮かんでしまう。商人らに言わせれば「破壊しかもたらさない分際で、少しは後のことも考えろ」となるのだろうが。


『マハトゥとの交渉は私が行いましょう。これでも妻の薫陶を受け多少は取引のことも学びましたしね。皆さんは夜の戦いに備え、兵たちを交代で寝かせておいてください。打倒までいかほどの時を要するか分かりませんから』


 フレッドは皮肉めいた比喩で渇いた笑いや引き攣った笑いを取ることには長けていても、純粋な冗談を口にすることはあまりなかったので、この発言を聞いた部下たちは思わず顔を見合わせることとなった。


「……そういえば、ヘルダを発ってからもう140日ほど過ぎましたか。ここユージェこそが我らの生まれ故郷であったはずなのに、今ではヘルダが懐かしゅう感じます」


 フレッドの冗談にどう反応したものか迷ったアル=ファールはとっさに話題を変えるように彼らの新しい故郷の話をする。


「ご当主が奥方と過ごされたのはわずか3日でしたっけ。早々にここユージェの戦乱を収め、早くヘルダへ帰って差し上げなければいけませんね!」


 上位の隊長では唯一女性のグァン=マーセはフレッドの妻であるリリアンとも顔なじみであり、彼女のためにも早くフレッドを帰らせたいと考えていた。


「北方から侵入した皇国軍は大した損害もなく撤退を完了しておりますし、あちらの方は今のところ安泰でありましょう。しかしここで我らが失敗しユージェが滅べば、皇国とて無事では済みませぬ。責任は重大ですな!」


 ベタル=システは旧ハイディン一門衆でも若くして将才を見込まれた男であり、その発言も戦略的見地に立ってのものだった。


『そう、ベタル隊長の申す通り我らに失敗は許されません。ですが失敗しないための算段は立ててあるので、皆さんはいつも通りに作戦を遂行して下されば大丈夫。では後ほど、よろしくお願いします』


 そう告げるとフレッドはマハトゥへ装備調達に向かう。3人の大隊長は礼をしつつ後姿を見送ると、それぞれの隊へと帰っていく。


(ユージェを出る際、私たち一家は財産の大半を処分した。領地も、家も、先祖伝来の品もその大半を。私はそれらを惜しいと思ったことはないが、ただ一つ後に思い知ったことがある。それは人だ。ザイールで叛乱軍を指揮することとなった際、私はユージェでどれだけ周囲の人材に恵まれていたのかを痛感した。もう、手放しはしない。私の財宝を……)


 それこそがフレッドの根本にあるものであり、彼はとにかく部下を大事にした。それは命は大切などという理想論ではなく、優秀な人材を揃える方が目的達成の近道であるという効率面でのものだとしても、その下に付き従う者たちとしては大事にしてもらえると分かる相手にこそ忠を捧げるものである。そして長く生き延びた者たちは歴戦の精兵となりて主に恩を返し、更なる貢献を果たす。それこそが「華心剛胆」の華々しい戦果の根源であった。



「武器の融通については承りました。無論、タダとは参りませぬが、お支払いは戦後でも構いません。それよりも昼に聞こえたあの轟音、相手は想像以上の怪物のようですわね」


 豪商による合議制で運営されるリンド地方の実力者の一人・ニャラハーティは防衛をフレッドに委託した雇い主だが、商人ではあっても軍人ではない。やはり昼に聞こえたロンティマーの咆哮には不安を隠し切れない様子である。


『予想外の行動であったことは確かですが、あれで体調を崩した者もおりませんし本当にただうるさいだけのようですな。ただ、あのような行動を取るとは伝承に書き残されてはおりませんでしたし、単に書き忘れていたのか今回から使いだしたのかはともかく……別の何かを行う可能性は十分にありますな』


 取り込まないはずの金属も行方知れずですしね……と戦闘に関わらない彼女に告げても仕方ないので告げなかったが、そのことが気がかりではあるフレッドだった。


(取り込んだ金属で表面を覆い身体をより強固にする……あたりが予想されるが、手が生えて武器にでもするかもしれない。いずれにしても、予想外の行動に出られた際は犠牲者が出てしまうことも覚悟せねばな)


 そのように考えを巡らせているうち、フレッドはついニャラハーティの話を聞き逃してしまっていた。慌てて彼女の話に集中を戻すと、話題は夜に行われる神魔封滅の儀についてのことで、具体的な対応法を問われていた。


『そうですね。手立てとしましては正門付近の城壁上で「搦手無用」前に火をくべた祭壇を築きまして、時期が到来しましたら「搦手無用」に掛けられた覆いを取り外します。そして火の明かりが「搦手無用」で反射され、その光が届く範囲内すべてで神霊力や魔力的要素を持つ道具の行使が不可能となります。味方術師による術も、傷口を塞ぐための魔法薬も例外はありません。ゆえにその状況下では兵の死亡率も跳ね上がりますゆえ、我らは死にたがりの狂人扱いされたものです』


 説明を聞いて、改めてニャラハーティは息をのむ思いである。奇跡の力で即死以外は(処置さえ間に合えば)意外と命を繋げるのがこの世界の常識であり、戦いに赴く者もそれを計算に入れている節はある。その恩恵を自ら捨て去り、命のやり取りをするというのはまさしく狂人でしかないのだ。しかしその恐怖に打ち勝つ心理があったからこそ、ハイディン一門衆はユージェ最強の戦闘集団となり得たのだ。


『そういうわけでして、光が及ぶ範囲では病人に与える奇跡の力も無効となってしまいますゆえ、そういう方は事前に郊外へ避難させおいていただいたのです。実際に光を浴びたら力が行使できなくなるのではなく、光が届く距離的範囲内の空間全てでそうなってしまうようで、建物内や地下に籠っていても範囲内では使用不能となるため距離を取る以外に対処法はありませぬ』


(しかしそのような力を生み出す「搦手無用」が何なのか、まるで分っていないのは不気味なところではあるのだよな。白い、金属とも木材ともつかぬ謎の素材で作られた板……というのが最も近い表現だが、実際それが何のために存在しているかは長い年月をかけても解明されていない。あの御仁なら存じているかもしれないが)


 悠久の時を越えて存在する導師・プラテーナ。彼女なら「搦手無用」が何であるか知っている可能性はあるが、フレッドもまさか再びこれを使う日が来ようとは思ってもいなかったため、質問する必要もなかった。そして仮にこれが何だったとしても今は使う以外の選択肢がない。


「避難が必要と思われる者たちは夜までにすべて完了させますわ。幸いそちらの数はそう多くはないのですが、懸念があるとすればその効果中は戦傷を癒すことも叶わぬのですよね。我が方の兵たちも万が一に備え残らせておりますが、奇跡の力がない状況で士気を保てるかどうか……」


 通常であれば助かる命も助からない、となれば臆する者も出てくる。むしろそれが自然の反応であり、フレッドはそのことを責めようとは思わない。だがその姿勢とは裏腹に自らは率先して危地に飛び込むという行為は、引け目を感じる側としては無言の圧力とも思えるのだ。フレッドは人前で声を荒げたり威圧的な態度を取ったことは皆無と言える人生を送ったが、そんな表面的には穏やかな彼に恐怖を感じた者も大勢いたのはそのあたりが理由である。


『人にはそれぞれの役目、いや使命とでも言うべきですかね。とにかく果たすべき何かを与えられこの世に生まれて来るものと思うのですよ。それが、私たちはたまたま戦うことだっただけで、戦いを逡巡したとしても戦い以外の何かを成せればそれで十分ではないでしょうか。ましてやユージェはもう戦乱の世ではないので……』


 だから、戦えないことを恥じる必要はない。戦わねば死に、故郷が蹂躙されるかもしれないこの状況においても尚、すべての人間が戦いに赴くことはないのだ。戦うのは、戦う意思と力を持つ者たちの役目なのだから。


『リンドの守備隊は差し当たり、城門内に待機していてください。策が当たり相手の再生能力を奪えたら、そこからは手数の多さが重要となります。あの巨体を解体するのは、我らだけでは時間がかかり過ぎてしまうので。逆に策が外れた場合、城門を抑え避難の時間を稼がねばなりません。そうならぬよう善処はいたしますが』


 そう伝えると、フレッドはニャラハーティの執務室を出て隊の拠点へと引き返す。街中では昼食が終わりのどかな午後の様相を呈していたが、決戦の夜は刻一刻と近づいていた。



 夕方となり日も翳り始めた時刻になると、リンド正門からもロンティマーの巨大な姿がしっかりと目視できる距離となっていた。


『各隊はロンティマーが城門前に到達するまで手出しはせぬように。城門から拘束用の鉄鎖が撃ち込まれ、それにある程度の侵食が始まった後に再生能力を奪い、動きを封じてから総攻撃をかける。野戦ゆえ、指示された者以外の弓は使用禁止だ。ザイール火鳥の羽も身に着けておくようにな!』


 作戦の最終確認を終えると、作戦開始が号令される。といっても城門の上で床弩の指揮に当たっているハゼル以外は正門からやや離れた場所で待機しており、拘束が完了するのを待つしかない。


「こちらに策があると知ってか知らずか、真正面からやって来るとはな。さすが恐れ知らずの勇者といったところだが、此度はそれが命取りとなろう。よいか皆の衆、ワシが初撃を加えた後、各自で拘束用の鉄鎖を撃ち込むのだ!」


 用意された拘束用の鉄鎖は5組、床弩は3である。鉄鎖の2組はハゼル自身が銛を投げて撃ち込むのである。


「よし、拘束開始じゃ!まずは一番槍、頂戴いたす!!」


 長い鉄鎖が繋げられた銛など常人では投げつけるはおろか持ち上げるだけでも困難なほどの重さだが、ハゼルはそれを悠々と持ち上げるとロンティマーの体に深く刺さるほどの威力で投げつける。それを皮切りに3台の床弩からも鉄鎖が放たれ、ハゼルの2撃目も加わり計5組の鉄鎖がロンティマーを拘束した。


「いいぞ、作戦の第一段階はうまくいっている!」

「伝承の通りなら、鎖を伝いその先にあるものを取り込もうとするはずだが」

「来た!肉が鎖を伝い始めたぞ!!」


『祭壇に炎をくべよ。合図の後「搦手無用」にかけた覆いを取り外し、光を反射させ神霊力の無効化を開始する。ここまでは作戦通りだが気は抜くな!』


「ロンティマー、表層に動きあり。また口をかたどっているようです!」


(またあの大音声か?いま「搦手無用」を発動させれば口への変形を止めることはできるだろうが、まだ鉄鎖に十分な肉が伝わり切っていない。肉を自由に戻せないことで拘束を完全にするという計画上、まだここでの発動はできんな……)


『構わん!叫びたいようならば叫ばせろ!各員は大音声に留意せよ!!』


 後に起こることを予見できていたなら、自分は別の方法を取ったのだろうか。そう考えて見たこともあるが、フレッドはすぐに考えるのを止めたという。考えたところで失われた命は還らぬし、結果だけを見れば策は成功したのだ。


『よし、覆いを外せ!神魔の一切を封滅し、我ら人の力を以って怪異を討たん!』


 祭壇の炎を受けた「搦手無用」は垂直に、天へ向かって赤い光の柱を立ち上らせる。その光は闇夜に吸い込まれるかのように虚空で消えているが、その消失点から「搦手無用」までの長大な距離を半径とした球状の一帯が神霊力と魔力の無効化空間となったのである。


「見ろ、鎖を伝っている肉が動かなくなった。成功だ!」

「再生しないなら、あとは次回の問題ですね!」

「いよいよ我らの出番だ、一気に始末してやるぜ!」


 城門の外で待機していた「華心剛胆」の各隊がロンティマーの左右から攻撃を掛け始め、騎兵が槍を突き立てては離脱を繰り返す。ロンティマーは以前のように触腕で兵を捕縛しようともせず一方的に攻撃を受けるのみで、袋叩きにされているという表現が適切なほどだった。


「どうやら、作戦はうまくいったようだな!」

「いくぞ!我らも出撃しあの怪物を解体してやるんだ!!」

「おう、こうなっちまえば恐れるものもありゃしねえ!」


 マハトゥ正門が開き、守備隊が出撃を始める。それ自体はやや早いものの作戦通りではあったので、異様な戦意にフレッドも肩を竦めたのみだったが、直後の光景を目の当たりにした際はさすがの彼も肝を冷やす。


「唸り声……また叫びやがるつもりか。断末魔の叫びって奴かよ!」


 ロンティマーの正面、マハトゥ正門に向いた口からは唸り声のようなものが上がっており、誰もがまた大声を上げるものと勘違いをした。しかし実際に行われたのは、それまでに取り込んだ金属を丸めて巨大な弾丸にした物体を口から、それこそ木の実を飛ばすかのように吹き出すというものだったのだ。真正面からロンティマーに接近していた守備隊の大半は鉄塊に潰されて消失し、守備隊の出撃後に閉じられていたマハトゥ正門も鉄塊が衝突し崩壊している。


『くっ!守備隊は1000名ほどだったはずだが、見える範囲では大半が吹き飛ばされているようだ……いや、あの鉄塊、中から何か出てきている!』


 吐き出された鉄塊は無機物とロンティマーの肉の化合物で、ロンティマーの肉は着弾後に低級の怪異に姿を戻し鉄塊の難を逃れた守備隊に攻撃を掛けている。ロンティマーの肉体が「搦手無用」の効果範囲内で再生能力は奪われたとしても消失はしないように、本来は上位の怪異だったロンティマーの構成物も低級の怪異くらいの姿は保てるようだった。


『いかん、マハトゥ守備隊は壊滅状態だ。あのままでは残った兵も掃討され、敵が街になだれ込んでしまう。長槍隊と射撃隊は援護に向かえ!』


 その2部隊を援軍に送ればロンティマーと対峙するのは突撃隊のみで、戦力の半数以上を主敵から外すことになる。各隊の隊長たちはそのことについて意見すべきか迷っているようで、フレッドの命令には即座に反応できなかった。彼らにとって重要なのはまず主君の安全であり、それに比べればマハトゥの被害などは取るに足らないものだったのである。


『……正体不明の相手に正面から向かい合うなど愚の骨頂。諸君らはそう思っているかもしれないし、実際その通りだと思う。故に私は門を盾に左右から挟み撃ちにする手筈も整えた。しかしあのような攻撃を行うとは予想していなかったし、まかり間違えばあれは我らに向けられていたかも知れぬのだ。彼らは我らの身代わりとなってくれたようなものである以上、その借りは返さねばならない。分かるな?』


 命令なのだから黙って行け、というような態度を取るフレッドではなかったし、だからこそ配下たちも納得して戦う。そして守備隊への救援の指示が単なる善意や博愛主義によるものではなく、己の読みの甘さによって作った借りを返すという武人としての誇りや尊厳が由来である以上、それが覆ることはないということも隊長たちは即座に悟った。


「門には先代も駆けつけましょう。協力して一気に鎮圧いたしますれば、どうかこちらも御無理はなさらぬよう。すぐに戻りますゆえ、ベタル隊長もよろしく頼むぞ」


 射撃隊のアル隊長はそう告げると、長槍隊のグァン隊長を連れ正門へと向かう。彼の言うように壊滅的損害を受け指揮系統も崩壊し、混乱の只中にある守備隊に城壁の上で拘束部隊を指揮していたハゼルが駆け付け低級悪霊が憑依した元守備隊の成れの果てを打ち倒していた。守備隊にとってはつい先ほどまで仲間であり友人だった者たちが襲ってくるという悪夢のような状況だったが、ハゼルの一撃で崩壊した肉体では憑依しても人の脅威たり得ない。


「よいか、悪霊どもは「搦手無用」の影響で弱っておる。そのせいでこちらも悪霊を払うことはできぬが、相手が再生や結合で復帰してくることもない。まずは武器を持つ腕を狙い、殺傷力を奪うのだ!」


 城壁の上から戦況を見つつ、必要があれば追加の拘束を行うべく待機していたハゼルも、まさかロンティマーから物体が射出されてくるとは考えてもいなかった。息子は「これまで取り込まなかったはずの無機物を取り込んでいる」ことにずいぶんと気を揉んでいたが、その懸念が最悪の形で表れてしまったのだ。しかし事を予見できなかったからといって嘆いていても仕方がない。過去を振り返って過去が変わるならいくらでも振り返るが、現実はそうならないものなのだ。


「見よ、出陣していた部隊も援護に向かってきておる。彼らが戻ればここを防ぎ切ることもできようぞ!諸君らには守るべきものがこの先にあるのだろう、ここが踏ん張りどころじゃ覚悟を決めよ!」


 戦意を失いつつあった守備隊も、ハゼルの激励で戦意を取り戻した。彼は言葉でなくまず行動で範を示し、言葉はあくまで補足である。そして個人的武勇であれば未だ当代随一であろう彼の戦いぶりは、言葉通り敵の侵入を防ぎ切れるものと兵たちに思わせるには十分だった。


(こちらはどうにかなりそうだが……あちらはどうなるかのぅ。できればすぐにでも駆け付けたいところだが、兵を割いてこちらに寄こしたということはあの子の中では門の防衛が優先事項なのだろう。ならばワシもその意に沿うまでよ!)


 本来なら闇夜であるはずの暗闇も、今宵に関しては「搦手無用」から立ち上る赤光の柱で照らされている。門のはるか先にはロンティマーと対峙する一団が残っており、息子はまず間違いなくあそこにいるのだろう。そう教えてきたとはいえ部下だけを危地に立たせる真似をする子ではないと分かっているから。一己の武人としてはまだ負けるつもりはないが、一己の将としてなら息子は自分の遥か上を行っている。その自覚があればこそ、ハゼルは兵を分けたフレッドの意をくむことにしたのである。


「もう援軍はそこまで来ておる。彼らと協力し、付近の敵を掃討したら前線の部隊を支援するのだ。夜明けまでに決着をつけるぞ!」


 日の光が差せば「搦手無用」の光の効果は薄れ、ごく弱い神霊力などしか無効化できなくなる。ロンティマーに再生能力が戻ってしまえば打倒することは難しくなる以上、討ち取るには夜明け前までしか時間がない。残された時間はまだ十分だが、巨大な相手を倒すのに要する時間は未知数である。ここからは敵とも、そして時間とも戦わねばならない状況となった。

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