第9話 栄華の残光

 L1028休眠期75日、黄泉の回廊から騎竜であれば3日ほどの距離にあるマハトゥに帰還したフレッドたちは、かつて勇者ギャフラーだったらしい謎の存在についての報告と今後の対処についてリンド首脳部と会議を開いていた。


『父が申すには、古の伝承にある怪物ロンティマーではないかということです。生者も死者も取り込む貪欲な怪異だそうで、動きは遅いためここに至るのは5~6日後くらいでしょうか。それまでに戦うなり逃げるなりを決めねばなりませんな』


 ニャラハーティらリンド首脳部もロンティマーの伝承を知る者はいたが、出現例はもう300周期も昔のことであり現実問題として捉えられる者はいない。それはフレッドやハゼルも同様だが、伝承として残っているということは一つの可能性もあった。


『今の今まで実際にロンティマーを見たという者が存在しなかったということは、過去に出現したロンティマーはご先祖様たちがどうにかしたのでしょう。つまり我々にもアレをどうにかできる可能性はあるわけです。方策が分かれば……ですが』


 その方策を知っていそうな人物に心当たりはあるが、今からどれほど急いで聞きに行ってもロンティマーがマハトゥに到着するまでに間に合うはずはない。それに過去の人々が自力で打倒し得たものを、自分たちだけ助けを乞うて打倒するのも釈然としない。人の命がかかっているのに何事だ……と言われようとも、その意地があればこそ彼らは最強と呼ばれるに至った武人集団なのだ。


「だが5日ばかりでここマハトゥへたどり着くというのに、対処法を練っておる時間などあるのか。急ぎ避難を開始させねばとても間に合わぬぞ!」


 マハトゥの全人口は約10万、大半は商人とその家族に使用人などで構成されており、急場といっても戦時徴用で戦力となることはない。金をぶつけてロンティマーを撃退できるなら話は別だが、その可能性も限りなく0に近い以上どう考えても彼らマハトゥの民衆はお荷物でしかない。


『逃げなくとも大丈夫……と言い切れないのが心苦しいところですな。現状は我が隊が総出で古物商や資料がありそうなところを当たり、ロンティマーの記述がある品を集めております。何かの手がかりでも見つかればと思いまして』


 過去に撃退なり退治なりされたからこそ、ロンティマーは現代には存在しない。しかし昔のこと過ぎて具体的な記録が国単位では残っておらず、ほぼ民間伝承にしか登場しないのだ。どのような事由で発生するかも分からず、そもそも生物なのか霊的存在なのかも不明であり手の付け所すら分からぬ有様だった。


『差し当たっては、マハトゥが市街としてどうなさるかをお決めください。避難はせず徹底抗戦なさるというなら郊外で彼と対峙するほかありますまい。避難されるというならその点は考慮に入れず、対抗策が見つかるまで気長にやるつもりですが……』


 自分たちは逃げるが、お前たちは怪物を街に近づけぬよう戦え。そう言われるのを未然に防ぐため敢えてそのような物言いをしたフレッドだったが、リンドそしてマハトゥに生きる人々は想像以上に故郷を愛していたことを思い知らされる。


「故郷を捨てるなど、思いも寄らぬことですわ。黄泉の回廊から怪異が溢れ出ようともこの地を捨て去ることはなかったご先祖たちと同じく、私たちがこの地を捨てることもありません。徹底抗戦し、なんとしても守り抜きます!」


 ニャラハーティは即答し、その意見に関してはライバルの豪商たちの顔を見る限り同一であるらしい。フレッドは「お覚悟は承りました」と述べ、作戦立案準備があるからと執務室を後にした。


(自分たちは逃げて、我々にだけ戦いを任せるかと思っていたが……その考えはいささか失礼であったかな。しかし「故郷を捨てるなど思いも寄らぬ」か。まったく耳が痛い話だよ)


 それがベストだろう……との判断にせよフレッドがユージェを捨てたことは紛れもない事実であり、一度でもそれをした男がいまさら故国のために働くというのも単なる偽善ではないか。そう言われても言い返せない自分には、故郷のために命を賭ける人々を蔑む資格などありはしない。今は戦時で、戦う力があることは確かに重要だ。しかし、それが他者を見下す理由になっていいはずはない。


「まったく戦続きで、しかもそれなりにうまく事が運んだせいか、つい奢っていたかも知れないな。戦うにしても、誰かの協力あってのことだというのに」


 街中でつい漏らしたその独白を聞いた者はいなかったが、商店が立ち並ぶ通りの盛況ぶりを考えれば真横にいても聞き取れなかったろう。フレッドはあまり喧騒を好みはしないが、為政者の視点で考えればこの状況は非常に好ましい。そして軍人の視点では、こういった環境を守るために自分たちが存在しているだと改めて思うのだ。


(いずれは人の手で創造主が得た「永劫不変」の理をも変えようというのだ。その前段階として、過去に打倒された怪異ぐらいはどうにかできないと話にならん……か)


 かの導師プラテーナは、怪異発生の予知はしてもロンティマー出現については何も触れていない。彼女が見た予知にはいなかったものが出現したのか、この怪異が出てくることは分かっていても「それくらいは自分たちでどうにかしろ」と教えなかったのか、或いは彼女にとってロンティマーなどわざわざ注意するほどではないのか。いずれにしてもこの戦いは人の手で決着をつけねばならないのである。



「古文書から古本まで、こりゃまたずいぶん集めたものだのぅ。だが、皆の話ではこれらの大半が黄泉の回廊の研究をしておるとかいう学者の所有物であるらしい。戦の役に立つかは分からぬが、その学者へ会いに行ってみるか?」


 詰め所に戻ったフレッドを待っていたのは、隊員たちがマハトゥを駆け回って集めた関連資料の山であった。しかし驚くべきことに、その山の9割は個人の所有物であるという。ハゼルも資料に少し目を通してはみたものの、現在では使われていない単語や文字も多いため早々に解読を放棄しており、こうも難解ならせめて所有者に話を聞いてからのほうが作業も進むのではないかと考えていた。


『そうですね。ではその学者に面会の要請をいたしましょう。返事が来るまで、私も少しばかりこれらに目を通しておきますか。個人的には興味のある話ですし』


 部下にその学者への連絡を頼むと、フレッドは資料の山と向き合う。年代順に置かれていたそれは、10人が同時に食事を取れるであろう大テーブルを埋め尽くさんばかりの威容を誇っている。確かにハゼルはそこまで歴史に興味がないものの、大半の人間は彼と同じように早急な撤退を決めただろう。


(最初にロンティマーが出現したのはL408休眠期か。その頃というと、4代クラリオンの時代になるかな。初代クラーリタと同じく名うての剣豪として伝わる彼も、ロンティマーを討ち果たせなかったわけだ。しかし彼ですらダメだったとなると、次に現れた際の勝利は直接攻撃的なものが決め手ではないのか……?)


 巨大な怪異が相手である以上、個人の武勇で対処できなかったことは理解できる。しかし「当代随一の使い手がいる」という事実は、集団においても効果を発揮するものなのだ。自分たちにはあの人がいる、だから負けるはずはないと。通常なら尻込みするような状況でも、猛き者の存在が部隊の潰走を踏み止まらせることは身をもって知っている。身近な人物がまさにそれなのだから。


(次はL719収穫期ね。最初の出現から約300周期後に次が出て、今が1022だから「周期的に出てくるもの」ならば300周期ごとで計算は合致するな。となると、仮に世界が残っているなら300周期後の誰かが我々のように頭を悩ませるのかも……?)


 そうはさせないよう、これを退けたら報告書を残しておくかな……フレッドがそう思い直したのと時を同じくして、執務室にベタル=システが入ってくる。アリーハ氏族の犠牲になった彼の親族はこの地で商人をしていた過去があり、ベタル自身も幾度となくマハトゥに訪れていたことがあったため、案内人として雑事を任されている。


「ご当主、例の学者と約束を取り付けました。名をウィゴートと申します初老の男でして、申し上げにくき事ですがなかなかクセのある人物にございます。我らに資料を貸してくれたのはその弟子だそうで、こちらは人当りもよかったのでつい油断しておりましたが……それでも向かわれますか?」


『わざわざ会ってくれるというのだから、いまさら行かぬわけにもいかんでしょう。しかしクセのある人物とは、具体的にどのような感じなのかな?』


 ベタルの説明によると、ウィゴートは研究に没頭するあまりロクに人付き合いもなく、常人には理解が難しい話し方のため意思疎通が可能なのは弟子くらいということだった。それに関しては獣人も多く暮らすユージェの地であれば、特定の部族しか理解できない言語は多用されめずらしい事でもない。問題はもっと深刻な、しかし大したことのない部分であった。



「まあ、ワシらも戦に出ればしばらく身だしなみを整えられんことはあるがな。じゃが初老の男が生まれて以来まともに体を清めたことがないというのは、これまで経験したことのない試練じゃて。ユージェには獣に近い生活を好む者たちもおったが、ああいうのを想像しておけばよいのかのぅ……」


 ウィゴートの住処に向かう最中、剛胆な武人たるハゼルも思わず不安を口にする。感覚に与えられるダメージを防ぐには専門の訓練が必要なもので、有体に言えば人であれば臭いものにはどうしても不快感を抱いてしまう。そういったものを処理する仕事をしていて鍛えられれば話は別だが、戦場で血の匂いは嗅ぎなれていても市井の悪臭には嗅ぎなれていないのだ。


『幸い、我らはあまり顔を出したくないという言い訳で口や鼻を布で覆えます。これでも厳しいようでしたら、気付けの一杯でもやっていて構いませんよ。あとは……そうですね、このブレの葉を鼻に当たる部分の布に挟んでおかれませ。霊木の葉が効くということは悪臭も霊的存在なのか、どうやら消臭効果があるようです』


 葉を受け取ったハゼルはその匂いを嗅ぐも、ごく普通の緑葉といった香りが立つのみである。こんなもので強烈な悪臭を防げるのか……と訝しみはしたが、彼は後に木の葉に大層な感謝をすることとなる。


『本日お会いいただく運びとなっている、ハイディンの者であります。ウィゴート殿はご在宅であろうか!』


 ウィゴート邸の前でフレッドがそう呼びかけると、ゆっくり扉が開かれ若い獣人が姿を現す。と同時に、付き添いの兵たちが顔を背け玄関から距離を取り始める。開けられた扉から放たれた臭気が強烈で、本能がその場からの退避を命じたのだ。


「これはこれは、ご到着をお待ちしておりました。我が主も、長年の研究がついに日の目を見るのだと大喜びにございます。ささ、どうぞお入りください」


 ウィゴートの弟子にして世話人の獣人は、もともと水棲生物がルーツの獣人で名をゼン=カーという。彼らには鼻から呼吸するという習慣はなく、人の因子が混ざっている以上は嗅覚も存在するがそれは極めて弱かった。それこそが、ウィゴートの弟子であることが叶う条件であるといっても過言ではない。


(確かにこの御仁は人当りもよく、話も通じそうな気はする。しかしブレの葉を仕込んだ覆面越しというのにこの猛烈な臭気はなんだ。もしやこれは、戦に使えるのではないだろうか。城砦攻略などで内部に撒き散らせば戦意喪失につながるような……)


 ついそう考えてしまうあたりにフレッドの軍人気質が現れているが、いずれにせよウィゴート邸から漂う臭気は戦術利用も考えさせられるほどの悪臭であった。


「では僭越ながら、このゼン=カーめが通訳を担わせていただきます。まず最初に主からの確認にござりますが、ご両名はクロト様とクラッサス様でしょうか?」


 フレッドとハゼルだけが邸内に入り、ベタルと護衛の兵4名は邸内に入れず外で待たせてある。ベタルは二人に同行しようと意地を見せたものの、覆面もブレの葉も用意していなかったため敢え無く断念することとなったため、この場にいた外来はハイディンの親子だけである。


「如何にもクラッサスじゃ。もっとも今は別の名を名乗っておるが、この場ではお好きに呼ばれるがよろしかろう。しかしその事と此度の件、何か関係ありますかな?」


 悪臭を防ぐ覆面があるとはいえ、やはり臭いものは臭い。不要な話を聞いている余裕はないので、可能なら世間話は止めにしてさっそく本題に入ってほしい。普段は悠然としている感のあるハゼルもやや余裕がなかった。


『まぁまぁ父さん。その質問、おそらく今回の件と関係あるのでしょう。二度目に確認されたロンティマーを打倒したのは12代クルセイドだそうですからね』


 その言葉を聞いてクラッサスは「そうなのか!」と驚き、ウィゴートは弟子に何かを囁き始めた。知っているなら話は早い……そう言わんばかりの態度であるが、それはフレッドにしても同様だった。何しろここは臭すぎて、一刻も早く用を済ませて外気を吸い込みたいという衝動に駆られていることはハゼルと同じだ。


「主が申しますに、ロンティマーを打倒するにはとにかく障壁となる肉の増殖を抑えるしかないのだそうです。そして名だたる剣豪の4代クラリオンにそれが叶わず、武人としての評価はそれほど高くない12代クルセイドにそれが叶った要因に思い当たる節はないのか……とのことであります」


 ハイディンの記録にもロンティマーの記述はないが、剣豪と名高き4代クラリオンに倒せず12代クルセイド倒せた理由は察しが付く。ユージェ王国の武門を率いていたハイディンがその名と勢力を広げ始めたのは7代クリストからで、彼は呪物とされたある品を活用した結果その繁栄をもたらした。その力が有効に働く相手ならば、特筆すべき武人を輩出していないクルセイドの時代に勝ち得たのも頷ける。


『思いつくのは「搦手無用」くらいでしょうか。ロンティマーが神霊力、あるいは魔術の類で増殖しているなら……それを封じる神魔封滅の力を有す「搦手無用」はロンティマー撃破の切り札とも言えるでしょう。もっとも、それはあなた方もとうに御存じだったはず。でなければ我らを指名するはずもありませんから』


 反射させた光が届く範囲内の神霊力と魔術力すべてをかき消すという「搦手無用」は長らく呪物とされてきた。神霊や魔術など超常の力は知的生命が「天敵」と渡り合うために得たものであり、その活用は種の生存に欠かせぬものと考えられている。それを手放すというのは、例えれば極寒の中で暖を取るための火を絶やすことや、道を踏み外せば即死に至る暗闇の崖道を歩いているのに灯りを消すようなものなのだ。そんなものをあえて活用しようという7代クリストも当然、狂人扱いされたという。


「そういうことなら話は早い。せっかくご教授いただいたのに申し訳ないが、別の手立てを考えてはくれまいか。何しろ「搦手無用」は盟主にお返しいたしておっての、残念ながら手元にはないのじゃ。しかし今から借り受けに昼夜を問わずユーライアまで走ったとしても、ロンティマー到来には間に合うまいて」


 そうハゼルが告げるとウィゴートやゼン=カーは目に見えて落胆したが、呪物を所持していない可能性をある程度は予測していたのだろう。もし所持しているなら、ハイディンの軍勢がそれを使い得意の土俵に持ち込まぬはずはないのだから。


『私どもも、ご先祖の記録にもう少し関心を持っておくべきでしたね。ユージェを出る際に屋敷も財産も処分しましたが、古書の類は確かユージェ王立図書館に寄付したはず。騒動が一段落したら少し立ち寄ってみますか……』


 16で成人した直後に22代当主となったフレッドは、即座に統一事業に乗り出し家の記録を振り返る時間などなかった。過去を振り返るのはいずれ時間が余った時でいいと考えていたが、結局のところそれらの資料に目を通すことなくユージェを去る道を選んだのだ。もっとも、対ロンティマーの記録が残っていたとしても「搦手無用」はユージェ王室に返却したことは疑いない。その力はユージェのためになるものである以上、国を去る自分たちが持ち去るわけにはいかないのだ。


「増殖の力を止められないとなると、それを上回る力を以って当たるしかないそうですが……なにせ剣豪クラリオンも打倒し得なかった怪異、闘神クラッサス殿でもいつまで戦えばよいか見当もつかず……」


「そうだのう、ワシがこの世で最も苦手なものを挙げるとすれば……持久力を問われる継続作業であろうか。こう、スパッとな。弱点などに一撃食らわせて終わりにできれば実にワシ向きと申すか……そうはならんものかのぅ?」


 右手で武器を振るうかのような仕草で宙を一刀両断しつつ、ハゼルはそう告げる。だが彼の希望は「そうはなりませぬ」という一言で打ち砕かれた。一方のフレッドは少し考えていたが、思案がまとまったようで意見を述べ始める。


『では、クラリオンの時代に使われた戦術を参考にしますか。最悪、打倒は叶わずとも撃退できれば十分でしょうから。300周期後の誰かに向けては「搦手無用」を用意しておけ、と書き残しておくとしましてね』


 それを合図に古い文献の精査が開始され、最初に出現したロンティマーの対処法も朧気ながら見え始めた時、家の外から急報を告げるベタルの声が聞こえる。可能なら主の下にまで参じたかったが、玄関を開けただけで臭気に怯んでしまい中には入れず、やむなく外で大声を上げることにしたのだった。


「ご当主!ユーライアから急ぎの使者が参ったとのことです。可能な限り速やかにお会いしたいとのことですが、その、こちらに使者殿をお呼び立てしてもよいものかどうか悩むところでして。いかが取り計らいましょうか?」


 ウィゴートは気前よく「部屋を貸すからそこで会うがよろしかろう」と申し出てくれたものの、この家に覚悟も用意もない人を入れるのは単に嫌がらせでしかない。誰から送られた使者なのか分かっており、それが気に食わない相手なら敢えて悪臭が満ちるこの家に呼んでやるのも一つの手かもしれないが、いくら悪臭が満ちていようとそこまで悪意を持って他人に接するほど不機嫌でもない。


『仮に用件が一大事であれば手遅れになる可能性もありますし、私どもは一度お暇させていただきましょう。用件が済み次第すぐに戻りますので、申し訳ありませんが調査のほうを進めておいていただきたく存じます』


 そう告げてウィゴート邸を出ると、深呼吸もそこそこにフレッドらは私邸へと向かう。あの難攻不落のユーライアが窮地に立たされるとは考えにくいが、だからこそ急ぎの使者が訪れる理由が分からない。何処かの大都市が陥落したのか、それとも陥落しそうだから援軍に行ってもらいたいという話なのか。いずれにしても朗報であるという予感はこれっぽっちもしなかった。もっとも、その予感は外れてしまうが。


「私はニャハール、ニャンザギーの子にございます。クラッサス様のことは父から聞き及んでおりまして、こうしてお会いできたのはまことに光栄の極み」


 師弟の応接間で待っていた人猫族はそう挨拶しつつ、深々と頭を下げる。彼は父のようにラゴスの護衛役の道は進まず、人猫族の身軽さを生かして宅配業者を営みそれなりの成功を収めているのだという。


「宅配業者の私がこうして訪れましたのは、もちろん依頼を受けお荷物をお届けしに参ったからにございます。私自身がこうして現場に出るのは久方ぶりでありますが、今回は大恩ある方からの依頼、そしてあなた様がたへの配達とならば是非にと……」


 そうしてフレッドに関連書類を差し出すと、確認後に受領のサインをいただきたいと告げる。一方のフレッドは荷の差出人と、送られてきた品の目録を見て思わず額に手を当て、高笑いを始めた。


『まったく、どうせロクでもない報せなのだろうと考えていた自分が情けない。人は私を遠謀深慮の男などと言いますが、そんな要素は微塵もありませんね!』


 一しきり笑い終えるとつい自嘲してしまったが、フレッドはまだ含み笑いをしながらハゼルに書類を渡す。アルやベタル、グァンらはいきなり笑い出したフレッドに怪訝そうな視線を送っていたが、その視線を送る相手がさらにもう一人、増えてしまうこととなる。


「これは何とも、僥倖とでも言うべき話よな!これにてウィゴート邸に籠る必要もなくなった……というのも含めてじゃが。しかし、このようなことがあるものなのか」


 ハゼルが受け取った書面には「差出人 ラゴス=ユージェ 宛 ハイディン隊」との表記があり、運搬品の項目には「祭具 搦手無用」と書かれていた。盟主ラゴスはマハトゥにハイディンの親子が現れた……という噂を聞いた後、すぐに「搦手無用」を元の持ち主に帰そうと手配したのだ。


『道具は相応しい持ち主の手にあってこそ輝くもの。流れ者ではなくハイディンとして戦うからには、これもそなたらに返すべきであろう……ですか。これはラゴス様に大きな借りを作ってしまいましたね。事が終わったら参上し謝礼を述べましょう』


「そうじゃな。これには返却は無用と記されておるが、ロンティマーに有効な品である以上ユージェに必要となる日がいつしか訪れるに違いない。であれば持ち帰るわけにはゆかぬし、お返ししてからこの地を去るべきであろうて」


 L1028休眠期75日、このような思わぬ形で対ロンティマー戦の切り札を得たフレッドは、さっそくリンド首脳部が今も会議をしているであろう屋敷へと足を向ける。その頭に中にはすでに怪異と対峙するための戦術が組み上げられつつあったが、より完成度を高めるためにはマハトゥの協力が必要不可欠である。多少の危険を伴う作戦を納得させられるか、次の難関が待ち受けている。



『……というわけでして、盟主様の計らいにより300周期前にロンティマー打倒の鍵となった「搦手無用」を手にすることが叶いました。つきましては、これを用いあのロンティマー打倒を試みたいと考えております』


 フレッドの説明を聞いてニャラハーティらリンド首脳部は大いに盛り上がったが、具体的な作戦案を聞くと表情は一気に曇った。


「マハトゥ正門前で迎撃するだと!それでは話が違うではないか、我らが逃げずに戦うなら郊外で決戦を挑むとその方は申したであろう!」


 確かにそう言ったのは事実である。しかしそれはロンティマーに決定打を与えられる手段の目星も付かず、倒せるかも分からない状況での話だ。現状では相手の増殖を抑えられるという切り札を入手し、それが「300周期前と違って効果がない」可能性は残るにしても打倒し得る可能性は出てきた。となれば、より確実に仕留めるための方策を考えなければならないだろう。


『はあ、街を危険に晒したくないお気持ちは察します。しかしいくら相手の増殖を抑えられるといっても、あの巨体を止めなければ有効打は与えられぬでしょう。地面から銛を撃ち込むだけではとても止め切れないので、街の防壁からも防衛用の大型弩で拘束用の矢玉を放っていただくのが肝になると考えます』


 ロンティマーは有機物なら生命の有無を問わず取り込んでしまう。しかし金属に代表される無機物の類は取り込まず、例えば武装した兵を取り込んだ場合は肉体や衣服は消滅するが武器や金属鎧はその場に残る。しかし取り込まれない金属の槍などで突けば刺さりはするが槍自体を伝って持ち主を取り込もうとする動きを見せ、そのために大規模な攻撃を掛けられずいた。今回はその特性を逆手に取ろうというのだ。


『鉄製の矢玉に鉄鎖を繋ぎ、それをロンティマーに撃ち込みます。ですがこれまでの観察から考えるに、刺さった矢玉や鎖を伝って増殖してくるのでしょう。我らはそれをあえて座視し、肉体部がある程度の広がりを見せたところで「搦手無用」を発動させ増殖を抑えます。そうなれば広がった肉そのものが拘束具となるはず。そうして動きを封じたところで集中攻撃を掛けるという算段ですが、いかがでしょうか?』


 リンド首脳部の面々は各自が思案に暮れたが、結局のところフレッドの案を受け入れるよりなかった。増殖を抑えさえすれば普通に戦っても勝てるのなら、正門前まで引き込んでも勝てるはずである。しかし郊外で拘束もせずに増殖を抑える切り札を使えば、徐々に衰退しつつも「黄泉の回廊」へと逃げられてしまう可能性もある。可能な限り相手を引きつけ、動きを封じ、逃げられる前に仕留めるという案に勝るものを思い浮かべることはできなかったのである。


「分かった、その案を受け入れよう。しかし勝てるのか?作戦が失敗すれば我らは玉砕あるのみとなろうが……」


『300周期前と同じく「搦手無用」が有効であれば、おそらくはこれで。もしそうでなければ600周期前のように消滅まで時間を稼ぐしかありませんな。どうなるかは試してみなければ分かりませぬが、いずれにせよ最大限の善処はいたします』


 無責任な約束でよければいくらでも勝利を誓って差し上げますがね――とは口にできなかったが、フレッドにしてもこれは過去の伝説との対峙である以上どういう結果が出るかは予想できない。できることと言えば、手持ちの情報を基に手持ちの札をどう切るか判断することのみだった。


(さて、戦いの準備はどうにか間に合いそうだ。しかしギャフラーはなぜ、あのような姿になり果ててまで地上に帰ってこようと考えたのか。回廊の奥で果てるのが許せなかったのか、それとも別の何かがあったのかね?)


 戦いの果てに、今一度ギャフラーと話す機会が訪れたら謎も解けるかもしれない。そのような淡い期待とともに、フレッドはロンティマー迎撃の準備を進める。そしてL1028休眠期79日、ついにロンティマーがマハトゥ正門から目視できる位置にまで到達する。


『さあさあ皆の衆、かつての勇者のご登場だ!お相手は我らハイディン一門衆、かつてユージェ一と呼ばれし武人集団が務めさせていただこう!互いに一度は栄華を極めし過去の存在同士、どちらの残光がしぶとく残るか競い合うとしようか!』


 フレッドの口上が終わると、マハトゥ防衛隊からは一斉に応答の雄叫びが上がる。人知の及ばぬ怪異と、人知の及ばぬ奇跡の力を捨て去り身一つで勝負を挑まんとする武人たちの勝負が始まろうとしていた。

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