第8話 地に墜ちた星

「かのクロト=ハイディンが来て下さったとなれば、我がリンドも確かに安泰ではありましょう。ただし本当に味方であれば……の話ですがな」


 ニャラハーティ商会が招聘した、という形で旧ハイディンの軍がリンド軍に参加することが発表されると、一般民衆は歓迎を以ってこれを迎えた。しかし政治に携わる者ならハイディンの親子がユージェを捨てたいきさつは知っており、以前に亡くなった彼らの家族……クロヴィス=ハイディンに何をしたかも知っている。それらを勘案すれば、ユージェのために力を尽くしてくれるはずはないと思うのも無理はない。


『私は随分とユージェの人々に信用されていないようですな。誤解のないよう申し上げておきますと、私が国を出たのは「ユージェの統一により国政は英雄の一人が舵を取ればそれでよい」のだ、という空気が醸成されつつあったからです』


 この説明はこれで何度目なのだろう。分不相応な地位や権力を手放すことがそれほど奇異に思えるのだろうか、ユージェを去る際も去った後もよくこの手の質問されたものである。


『権力が誰か一人に集中したとして、その者がまともな判断力を「終生ぶれることなく持ち得る」のなら任せても良いのでしょう。しかし人は変わるものですし、ふとしたことで急死することだってあります。そうなったとき、残された人々はどうなりますか?……いや、どうすると思いますか』


 その場にいたリンドの首脳は誰一人答えなかった。敢えて答えなかったのか、答えの予想はついていてもフレッドに答えを言わせようと思ったのか。いずれにしても話を進めなければならぬ以上、答えはこちらで用意しなければならないのだろう。


 『おそらくは後継者争いが始まるのでしょう。誰かが後を継がねば国が立ち行きませんが、仮に誰が継いだところで先代を越えることはできません。そう簡単に越えられるものなら、その者が先代よりも上に立っていたはずなのですから』


 そして、少なくともフレッドがユージェ王国を主導して統一を目指していた際は並び立つ者がなかった。よくよく考えたら、後で面倒なことになると分かっていればこそマイアーは統一を目指さなかったのだろうとは思う。だがそのやる気のなさも含めて、あの時点ではフレッドよりも精力的に統一を目指した男は居なかった。


『率直に申し上げて、私が正気を保っていられる限りにおいては宰相としてユージェを発展させることはできたと思います。でも私が死んだらその後は?任せっきりにできる人間がいなくなったらまた戦乱の時代に逆戻りするのですか?』


 それでは戦乱の世を終わらせるために散った命へ顔向けできない。それに戦の象徴たるハイディンは、戦乱の終息と共に消え去るべきだったのだ。しかし世の中はそれを認めようとはしなかった。まだ若くこの先どうなるかも分からぬ男を統一の英雄と祭り上げ、すべてを委ねようとした。それを避けるためには、不本意であっても逃げるしかない。卑怯とも、愚かとも無責任とも言われた。それでもである。


『ですので、私はユージェを嫌って去ったわけではないのです。落ち延びた先にまで攻め寄せられたゆえ、世話になった現地の方のためにもあの場面ではどうしても戦うしかなかった。こちらは戦いなどこれっぽっちも望んではいなかったんですがね』


 しかし実際は、皇国辺境州ザイール辺境区の所属としてユージェ統一連合軍との戦いに臨まざるを得なかった。あの戦いで自分についてきてくれた部下を失い、かつての同郷人であるユージェの兵も数え切れぬほど討ち、そして囚われた兄の魂を宿す傀儡とも戦う羽目に逢った。国を出ればすべてのしがらみから解き放たれ自由に生きていけると思っていたのに、誤算もいいところというものだ。


『そういうわけで、私には僻地で穏やかに暮らすことなど許されない運命が待ち受けているようでして。ならばどこへなりとも顔を出し、よりよい未来のために持てる力を振るおうと考えるに至ったわけです。今回はそれがたまたまユージェで起こる大規模氾濫であったというだけで、氾濫が収まればまた皇国の辺境に帰りますよ。もう政治には携わらず、政治の力が及ばぬところに手を差し伸べるつもりなので』


 ……だからあなた方も、クロト=ハイディンという男を政治的に利用することなど考えてくれるなよ。それがフレッドの言わんとしたところで、そのことはリンドの首脳部にも伝わった。人の心の機微を読めぬ者が商売人として大成するはずもなく、そして彼らは間違いなく一流の商人であったのだから。


「あなたのお考えは承りました。そういうことであれば、よりよき未来のために我らもそのお力を拝借したいと存じます。なにとぞ、よしなに……」


『戦いしか能のない男ですので、そのあたりは安んじてお任せあれ。かつて支援していただいたように、後方から支えていただければ十分です。勝って見せますよ。未来を生きる者たちのためにも、今を生きられなかった者たちのためにも……』


 敵の全貌が明らかになっていない現状で勝ちを約束するなど、かつてのクロトなら絶対にしなかったろう。だが今なら分かる。事実を指摘し正論を唱えることは正しく貴重な存在でもあるが、それだけを求めている人ばかりではない。多少は無責任であろうとも、心の安寧を優先した方がいい状況も存在するのだと。



「よォォいかぁっ!敵は回廊内にいては知的生命を滅するという目的を果たすこと叶わぬッ。故にィィッ!!必ずや打って出てくるであろうなァ!我らはただひたすらにその時をッ待てばよいのだァァッ!!!」


 フレッドと同じく装いを捨て、久々にクラッサス=ハイディンとして兵の前に立ったハゼルはそう訓示する。口調がやや獣王バルザのようになってはいたが、ユージェの闘神と呼ばれたころの体躯や覇気はいまだ健在で、フレッドと合わせリンドの人々に勝利を確信させるには十分だった。


『士気は十分ですが、仮に突入部隊の約3000名がそのまま敵として帰ってきたと考えると……単純に数の問題がありますね。我らの約500以外には、リンド軍1500に志願兵が1000ほどですか。突入部隊を襲った「天敵」が大部隊だとしたらなかなか面倒なことになるでしょうな』


 とはいえ、補給が万全の状態で迎撃戦を行えるならクラッサス一人で数百は打倒できる。物理的に倒した後の除霊が間に合うのかということを心配しなければならないほどだが、敵にも同じような力を持った存在がいないとも限らない。敵の陣容がまるで掴めないというのは非常に不利な話なのである。


「こちらが合計で約3000、敵は突入部隊の3000に加えどれほどいるのか……斥候隊を送りたいところですが、突入部隊すら全滅させたとなると無事に戻れるとは考えにくいですしな。ここは待つしかありますまい」


 新たなリンド軍の指揮官・ニャレットはニャラハーティ商会所属の人猫族で、大規模氾濫が発生する前から訓練を共にした間柄である。フレッドらが正体を公表する前から装いの下に隠された真実を知っており、初戦で勝利を掴めたのもフレッドらの力によるものと理解しているため、理に適った話をすれば理解を得られるのは早かった。


『そうですね。いずれ必ず出てくるでしょうし、回廊出口から少し出たあたりの狭くなっている地形を利用します。互いに大軍が身動き取れない地形であれば個の強さがものを言いますし、こちらにはその点で有利に立てる要素があります。ただ相手にも同様の切り札がある可能性は残りますが、それをいま考えても仕方ありません』


 これまでの「天敵」とは違う動きをする以上、相手も何かしらの策なりを用意している可能性は高い。そうでなくとも、先日まで同胞として肩を並べていた兵に憑依して襲いくることは確実であり、それと戦うことに動揺する者が間違いなく多発するのだろう。それを避けるには、やはりこの地に縁遠い者たちが戦うより他にない。


『回廊は我が隊で塞ぎ、出てくる敵と対峙します。リンド軍は我らの側面を固めていただき、正面の敵にだけ集中できる状況を作っていただければ十分です。義勇兵の皆さんには後方で補給を担っていただきましょうか。父が全力で戦わねばならぬとしたら、武器も食料も加速度的に失われますので……いくらでも人手は必要になります』


 それに気心が知れている隊だけを指揮するほうが楽ですしね……とはニャレットの立場も考えれば口にはできなかったものの、本音を言うならそういうことになる。


(しかし、勇者との異名を取った手練れすら戻れなかったか。戦場での大規模戦闘とと冒険者の小規模戦闘では勝手も違うとは思うが、ギャフラー調査隊はそれぞれが相当の使い手であったはず。それを出し抜いた敵か……手強いのだろうな、これは)


 フレッドは、かつて探索に同行したこともあるブルート一行を思い浮かべる。各々が役割を全うし結果を出すという点では軍隊も変わらず、冒険者集団は多くてもせいぜい10名程度で軍より規模が小さいとしても、それだけに統率は取れていたはずである。そして危険を察知すれば逃げ出すことも厭わないはずの彼らが、逃げる間もなく全滅したというのは非常に憂慮すべきことだった。


「……突入部隊3000名が未帰還となったことで、貯蔵物資には想定外のゆとりが出ております。クラッサス様の伝承に聞く派手な戦いぶりが行われたとしても、すぐに物資が枯渇することはありますまい。まったく皮肉な話ではありますが」


『そのような形で余裕が出てほしくはなかったんですが、残された者としてはこの状況を有効に活用しなければね。では、輸送計画のほうはお任せします。こちらは前線部隊の配置に取り掛かりますので』


 こうしてリンドでは迎撃戦に向けての準備が着々と進んでいた。そして一方、黄泉の回廊でも「天敵」の侵攻準備が進められていたのである。



 リンド軍が防衛準備を完了させようとしていた日から遡ること5日、L1028休眠期65日には突入部隊の大半が命を落し躯を晒していた。黄泉の回廊に突入してからしばらくは「天敵」の姿はなく、回廊の奥に存在すると目されていた「天敵」が発生する原因を究明できるのも時間の問題と考えられていたが、突如として「天敵」の襲撃を受けてしまう。壁や地面、天井など不可視の場所から現れ突入部隊に憑依し同士討ちを誘う……というのが手口だった。


「くそっ!ひとまず開けた場所に移るぞ!通路に密集していては奴らの思う壺だ!」


 東方の勇者と呼ばれるだけあり、ギャフラーは奇襲で混乱する突入部隊にあっても冷静だった。彼の調査隊に属する8人の盟友も同じく冷静だったが、すべての者がそのように振舞えたわけでもない。荷運びのために雇われたファロール族の若者などは簡単に憑依され、一行に襲い掛かってきたため討ち果たさなければならなかった。


「これはもう、調査どころではないわね。この場から離れて、回廊から脱出しなければこちらも危険ですよ?」


 調査隊の財布を預かるシャリーア女史は主に裏方担当だが、このような隊に付き添う以上ある程度の訓練は受けている。憑依された死体の攻撃を小剣で受け流しつつ反撃した後、ギャフラーにそう忠告した。


「シャリーアさんの言う通りですぜ旦那ぁ!奴らいつでも壁や地面から出てきやがれるってんなら、俺たちは連中にとって都合のいい場所まで誘い込まれたに違いねぇ。で、満を持してご登場ってこたぁどう考えても早く逃げなきゃヤバイですって!」


 名うての冒険者たる「勇者ギャフラーの右腕」と自他ともに認める人狼族の男・ジヴァーも今が窮地であることを直感している。これまでの探索でも危険なことはいくらでもあったが、今回に関しては訳が違う。全身の毛が逆立ち、本能が危険であると訴えかけてくるような底知れぬ恐怖を感じていたのだ。


 左腕に霊木ブレの杖、右腕には籠手と一体になった攻防両用の鉤爪を装備しているジヴァーはシャリーアの攻撃で憑依が解除された霊体に対し霊木の杖による除霊を試みるも、うまく祓うことができない。この一帯に出現している「天敵」は上位存在であり、霊木では対処が難しかったのである。


「天に至る光輝の路、今ここに開かれん!魂に人も獣もなく、善も悪もない。在るのはただ、回帰すべき場所のみ!光差す道を辿り、天へとお戻りなさいませ!」


 調査隊でただ一人の女性神職・パルーカの詠唱が終わると、付近一帯が眩い光で照らされる。この天へと繋がる道を拓く奇跡の御業により、彷徨える魂や怨念の類は大半が浄化されるのだが、何かに憑依した状態の霊に光は届かない。相手が数体なら憑依が解除されたタイミングを見計らって奇跡を起こせば一網打尽にできるが、これだけの乱戦となればそうもいかない。


「まずいぞリーダー、灯りが減ってきておる。数からしてもう3割はやられておるだろうな。それらがすべて敵になったとしたら戻ることもままならんて!」


 ファロール族でも身軽さに長けたエイジス種のフースは、直接戦闘には関わらず周囲の状況報告をするのが主任務である。長年そういった役割を担ってきただけあって危機察知能力も高く、張り付いた壁から「天敵」が湧き出す素振りを見せると即座に移動し憑依されるのを避けつつ、後続の突入部隊の被害状況を知らせる。


「3割というと1000名くらいかしら。面倒だからこの際、回廊ごと吹っ飛ばしてしまいましょう。彼らを地上に戻れないようにしておかないと迷惑ですものね……」


 魔術師パーサは物騒にして悲愴な発言を繰り出すが、彼女は「冒険者の仲間」である以上それだけの覚悟があった。それは彼女だけでなく他のメンバーも同様だが、リーダーが「諦める」と言わない限り全力を尽くすのが冒険者の倣いでもある。


「いくら腕に自信あり……といっても10002000はどうにもならんよな。であれば、俺たちはこの先に状況を打開できる何かがあると信じて進むしかない。いつぞやのように、地上へ繋がっている抜け道でもあれば助かるんだが……とにかく行くぞ!」


 仮にもここは墓所だ。或いは、霊的存在が立ち入れないような細工が施された部屋などがあるかもしれない。現にそういうことも過去の冒険ではあったではないか。それに引き返せないならここで死ぬか、もしくは進んで死ぬかしかないのだ。ならば最後まで冒険者らしく、謎を追い求めて果てるのみ。それがギャフラーの決断だった。


「水と食料、火を熾す道具だけは各自で持つんだ!武器は最小限でいい、連中の相手などしていられんからな!」


 そうして彼らギャフラー調査隊は混戦を抜け出し、後方で響く悲鳴と怒号を耳にしながら回廊の奥を目指す。普通に考えれば奥に進んで事態が好転するはずはなく、それは彼らにも分かっていた。しかし人は眼前にある確実な死よりは、その先にあるわずかな可能性に賭けてしまうのだ。そこに待ち受けているのが、例え「あの時ヘタに足掻かず素直に死んでおけばよかった」と思える結末だったとしても……。



「これは……なんだ?ここが回廊の最奥なんだと思うが、なぜこんなところに崖がある?これはどこに繋がっていて……いや、そもそもこの風はどこに抜けるんだ!」


 一行が混戦を抜け出して数日、不思議と「天敵」の追撃はない。だが敵中にあっていつ死ぬかも分からないという極度の緊張は精神を蝕み、調査隊の面々は徐々に脱落者が増えていった。しかし大声を上げつつ引き返した者の声は即座に掻き消え、音や襲撃はなくとも後方には死が存在していることだけは分かる。そうして否応なく最後まで進むことを受け入れたのは、ギャフラー・シャリーア・ジヴァー・パルーカ・フース・パーサの6名だけとなっていた。


「確かにもの凄い風ですが、ここに至るまで風の気配は感じませんでした。しかし空気が動かなければ風が起こるはずもなく、理論的にあり得ませんね。さて……」


 パーサがそう言いつつ崖から顔を出して下を覗き見ると、風に当たった胸元から上の部分が文字通り「消滅」してしまう。風に当たらなかった部分は崖の上に残ったものの、途切れた部分から血が噴き出ることもなければ内臓が飛び出すこともなく、断面は闇黒に包まれている。どう見てもこの世の条理にそぐわぬ話だが、確かなのはかつてパーサという妙齢の女性を構成していた一部が、ただの肉塊としてそこに在るのみ……という状態であること。


「おいっ!どういうこったこりゃあ……」

「そんな!パーサさん!!」

「崖に近づいちゃならんぞ!あれはこの世のものではないわ!」


 かつてパーサだったモノを見て声を上げたジヴァー・パルーカ・フースの3人は、即座に崖から吹く風が人と相容れないものであると理解した。しかしギャフラーはパーサが消滅する瞬間の言葉を耳にしてしまう。彼女は確かにこう言ったのだ。


[これが、永遠……超越者ということなのね]


 何が永遠なのか、何を超越するのか。そしてパーサは超越したから胸元から上が吹き飛んだのか。まったく答えが見えない中、ギャフラーの興味は「全身で風に触れたらどうなってしまうのか」というところに移っていた。冒険者でその名を挙げた彼である、好奇心の強さは警戒心や恐怖心をはるかに凌駕していた。


「ギャフラーさん!あなた何をなさるおつもりですか!」


 そう声を上げたシャリーアは、ギャフラーが崖に向かって走り出し、そのまま身を投げた姿を見送るしかなかった。抑えられる距離ではなかったし、何より彼のそういう向こう見ずなところに助けられ、惹かれもしていた。パーサの身に世の理を越えた異変が起きてしまった時、彼がこのまま怪異を黙って見過ごすはずはない。そう直感したシャリーアだけはすぐにギャフラーへ目を向けたのだ。


「俺の求めるものが、この世界に知る者なき怪異、そして謎が目の前に……俺はそれを確かめずにはいられんのだっ!俺のためにも、この場にいない者のためにもな!」


 この世界にはまだ見ぬ事象が数多あり、それを探し出し究明することこそ我が使命であろう。その信念こそギャフラーを勇者たらしめた原動力であったが、皮肉なことに崖へ飛び込んだのが人としては最後の行いとなってしまう。ギャフラーの体は消滅し、パーサのように一部分すら残っていない。


「旦那……こりゃあいったいどういうこって!死んじまったら謎の解明もなにもねぇじゃありやせんか!」


 そう唸るジヴァーの叫びも、今はただ虚しく響き渡るのみ。その問いかけが向けられた相手はすでに消滅し、返事が戻されることもない。残った面々はあまりの出来事に呆然と立ち尽くすのみだったが、もし彼らに超常の者を見ることができたなら消滅したはずのギャフラーの姿を捉えることができたかもしれない。


(俺は……永遠の存在になったのか。人を有限たらしめる肉体を失い、魂は還るべき天に還ることもなく、ここに在り続ける。そうか、これが不死という……?)


 ギャフラーの視界には、ただ虚空を見つめるかつての仲間たちの姿が映っている。そしてその背後に迫る、今の自分と同じような存在の姿も。彼ら「天敵」と呼ばれる者たちがなぜ知的生命を憎み滅ぼそうとするのか、同じ存在となった今なら分かってしまう。望むと望まざるとに関係なく永遠を手に入れたものは、同時に失われたものの貴重さも思い知るのだ。変わりたくても変われない、死にたくても死ねない……そのような創造主たちの強い想いが世界に影響を与え、それに触れたものは創造主たちと同じく永遠の囚われ人となってしまう。そうと知っていたら関わることは避けたであろう。だがこうなってしまえば、死ぬことができる生命は眩しく憧れの存在として感じてしまう。


(皆を「こちら」に来させはせん!ここは……咎人が永遠に後悔を続ける地獄の世界だ。このような場所に来させはしない!)


 ギャフラーが「天敵」となった後の最初の相手が見ず知らずの者であったなら、彼も他の「天敵」たちと同じようにただ命を奪うだけの存在になり果てただろう。しかし彼は「天敵」の本能ともいえる知的生命の抹殺より、かつての仲間を自分と同じ道に進ませないことを選んだ。そのために彼が選んだ手段は、同じ死ぬにしても丁重に弔われ天へと還ることができる終わり方をさせることだった。



「ご当主!回廊入口を監視している隊から報告です。兆しあり、とのこと」


 回廊出口からやや離れた場所に設営された本陣でアル=ファールからの報告を受けると、フレッドは書類から顔を上げ静かに頷いた。来ることは予想がついており、あとはいつになるかというだけの問題だったため驚きもない。だが初戦と違い、敵にも何かの策があると考えねばならないのだ。


『敵の出現を確認し次第、監視の隊もすぐに退却を。回廊内部では壁や地面からも敵が出現したようですから、見えぬからといってくれぐれも油断せぬようにと』


 回廊内は敵の領域と判断し、まずはそこから敵を誘い出した後に攻撃を掛けることで意見はまとまった。出てこなければ知的生命を脅かすことはできない以上、会敵すれば迫ってくるだろうことは間違いない。当初の予定では多勢が動きにくい狭くなった場所での交戦を基本としたが、そこで乱戦になり地面などから奇襲をかけられても対処に困ると判断し、不利は承知で開けた荒野で戦いを挑むこととなったのである。


「マハトゥにもほど近い場所での戦闘となりますから、仮に負けでもすれば後はありませんな。もっとも、数に劣る程度で負けるつもりもありませんが」


「浄化のほうも神職組合が受け持ってくれるそうですから、久々に戦いのことだけに専念できそうですね!」


 突撃騎兵特有の、上半身正面だけ重装備の鎧を身に着けたベタル=システと、一般的な革鎧を身に着けたグァン=マーセもすでに準備は万端といった様子である。今回の迎撃戦でフレッド率いる騎兵隊は機会を見て側面から突撃を掛ける手筈となっており、数百で数千の敵陣に突っ込むという役回りだが尻込みする者はいない。


「敵の進攻はワシらで止めるでな。そちらは敵陣に異変がないかを探りつつ攻めてもらおうぞ。指揮官のような者がおらぬか、もしくは見慣れぬ物の怪の類が紛れておらぬか……そのあたりを重点的に頼むわぃ。戦いに専念させられず済まんがの」


 最後の言葉はグァンへの当て擦り気味だったため笑いが漏れたものの、戦を目前にしてもゆとりがあることの証左でもある。彼ら武人にとって戦いは日常のことで、平和な日常こそかえって緊張するという有様であるような者たちなのだ。


『そう、今回は必ず何かしらの異変があると考えるべきでしょう。それが目に見えるものなのか、或いは見えないものなのか……それは分かりません。ですから見えるものだけでも見逃さないようにしなければね』


 フレッドとしては、ハゼルの意見に加え敵が戦術を用いるかも見定めたい要素である。ただ前進するだけだった「天敵」が、突入部隊を誘引し撃滅せしめた。今回もこちらの防御陣を破るべく手を打ってくる可能性はあった。とはいえ数では敵が多いと思われる以上は敵が動くまで待つわけにもいかないため、先手を打たねばならない。もっとも、その努力は無意味なものとなったが。



『……今のところ、敵に変化なしか。すでに1500近い数を浄化し、回廊から出てくる敵の数も日増しに減ってきている。朗報であるはずなんですが、どうにもしっくりきませんね』


 今回の「天敵」には何かあるに違いない。そう覚悟して戦いに臨んだのだが、敵の動きは初戦と同じくただ命ある知的生命に襲い掛かろうとするのみだった。動きは単調、狙いも明白、ならば敵を誘い込み分断することも造作はなく、リンド軍は圧倒的優勢を保ちつつ戦いは4日目に突入している。


「じゃが、このまま終結することもなかろうよ。神職組合からも徐々に強い霊体が出てきておるとの報告も来ておるでな。最後に姿を現すのは何であろうかのぅ」


 ただ闇雲に前進を繰り返す相手など、ハゼルの一薙ぎで数十人は四散する。それを繰り返すことに武人としての喜びはないが、存亡のかかる一戦となれば個人的な感情は不要である。憑依体の「寄せては薙ぎ払われる」作業が繰り返された結果、ハゼル一人の打倒数は500を超えていた。しかし彼も違和感を感じていた一人であり、その悪い予測は的中してしまう。


「回廊入口から急報です!中から一人、男が出てきたとのことで。外見上の特徴からして例の勇者ではないかと思われますが……」


 フレッドとハゼルは顔を見合わせたが、二人の考えていることは一致している。いくら突入部隊の遺体を基にした「天敵」が雑兵レベルの有象無象どもといっても、それはおそらく回廊外という敵には不利な地形だからである。それが敵に有利な回廊内での戦闘となれば、どれほどの剛勇を誇ろうとも一人で生き残れるはずもない。


『全軍にギャフラーらしき男との接触は避けろと伝えてください。彼の見極めは我らで行う……とも。ロクでもないことになった、という予感しかしませんがね!』


 そしてフレッドは、一軍を率い回廊の入口へと向かう。斥候によればギャフラーらしき男は回廊入口で空を見上げたまま微動だにしないというが、このまま時間が経過してしまえばあらぬ憶測がリンド軍を動揺させると考え行動に移したのだ。



『お久しぶり、と言っても通じるかどうか分かりませんが……私が誰だか貴方にはお分かりかな。私には貴方が誰か分かりませんけど』


 久しぶりだと声を掛け、しかしお前が誰だか分からないという。これが普通の人同士で交わされる会話であれば精神異常を疑うレベルなのだが、フレッドとしては一目見て相手がギャフラーでないことは理解できた。所々で輪郭が崩れており、回廊の入り口から奥に伸びた管のようなものが背中に繋がっているようにも見える。得体の知れない何かがギャフラーの姿を模している……そう結論付けた。その結論は当たらずも遠からず、といったところだったが。


「その顔、その声……かつて俺だった時に見知った覚えがあるな。しばし待て、皆の意見も聞いてみるとしよう。……うむ、そうか。お前はあのクロト=ハイディンか」


 かつての俺?皆に相談?いったい何のことやら。そう思ったのはフレッドだけでなく他の者も同様だったが、いずれにしても尋常ならざる何かが起こっていることは理解できた。だが少しでも情報を得たいと思ったフレッドは構わず話しかける。


『一度しかお会いしておらぬのに覚えておいでとは、まこと恐縮の至りですな。しかし私も武人の端くれ、戦いにはいささか見識もございます。ここは率直に申し上げますが、あれだけの敵がいて貴方だけ回廊内から生きて戻ったとは考えにくい。というわけで……お主、いったい何者だ。先ほど「かつての」と申したが、いまギャフラー殿はどうなされている?』


 初めのうちこそ「話しかける側としてはある程度の礼節を……」ということだったのだが、相手からはどうも感情の起伏が見受けられない。ならばと粗雑な物言いにしてみたのだが、やはり相手には意にも止められなかった。


「お前の言うギャフラーとは、俺のことなのだろう。ただ俺は神に触れ永遠を得たのだ。そういう意味では、今の俺はギャフラーではなくなったとも言える」


 アルやベタル、グァンらにとってギャフラーだった存在の物言いは完全に意味不明のだったが、フレッドやハゼルにはその話に思い当たる節があった。しかし具体的に事象の説明を受けたわけではなく、あくまで「そういうことがあった」程度の話である。確認しなければならないことがまた増えてしまったわけだが、先に相手からの質問が返ってきてしまう。


「しかし、皆が言うには俺たちの出発前にお前はここに居なかったらしいな。俺の記憶には、お前ら一家がユージェを出た……としか残されていない。お前こそなぜここにいる?お前は何者になったんだ?」


 相手に質問してばかりでも会話は成立しないか。そう考えたフレッドはギャフラーの質問に即答した。これはユージェを出て以来ずっと言い続けてきたことであり迷うこともなかった。


『今の私は名を改め、フレッド=アーヴィンを名乗っている。かつての将星も地に墜ちたものだ……などと笑いたければ笑うとよいが、これでも楽しく過ごさせてもらっているゆえ選択に誤りはなかったと断言させていただこう!』


 統一の英雄、白銀の乗り手、ユージェの将星……そう呼ばれた過去を持つ男が、今は皇国の片田舎で村人として過ごしていると知れば大半は「墜ちたものだ」とあざ笑うのだ。自分としては貴重な出会いもあり、ユージェにいたままなら経験できなかったようなこともあって実に楽しい日々を送っており、要らぬ気遣いは大きなお世話としか思わないが、どうやら他人には「哀れな奴」に見えるらしい。


「かつての将星も地に墜ちた……か。しかしそれは俺とて同じことよ。勇者などと呼ばれたが、結局のところ皆を助けられはしなかった。俺にできたのは、皆を連れてくることだけ。だが、それも終わる。皆の怒りや憎しみ、痛みに後悔、あらゆる感情が俺の中に入り込み、暴発寸前となっている。もう抑えきれん……」


 そうしてギャフラーだったものは回廊の奥へと繋がれた管から流れ込む肉塊に飲み込まれた。彼はかつての仲間だったパーサの胸元から下だけ残された部分に憑依し、それを分解した後まだ生き残っていたメンバーを包み込んだ。そうして「天敵」の憑依から仲間を守るつもりだったが、人の理を外れたものに包まれて無事でいられるわけもない。ジヴァーらの肉体はギャフラーやパーサの頭部のように「消滅」するのではなく、辛うじて現世に形を留める。ただし「融解」し、人の姿は保てぬまま。


「これは、伝承にある屍の集合体「ロンティマー」のような姿じゃな。とにかく兵は下がらせよ!仮にあれが似たものであるなら、生者も死者も取り込み一体化してしまうような怪物じゃ!あの図体では機敏に動けはすまい、ワシらも退却し手立てを考えるとしようぞ!」


 ハゼルの号令の下、フレッドらも回廊入口からの退却を開始する。回廊内部の遺体を取り込み、それを入り口に運ぶ管からの供給でさらに膨れ上がりつつあるかつてのギャフラーに目をやりつつ、フレッドは騎竜の上で考えずにはいられない。


(彼は何を目的として地上へ出てきたんだ。すでに「天敵」と化していたならあのような問答に応じることなく襲い掛かってきたであろうし、そもそも「天敵」と会話したなどという記録はいっさい存在しない。では、違うというのか?)


 L1028休眠期72日、回廊入口に出現した謎の吸収体により戦況は一変する。ハゼルが危惧したように周囲の有機物を取り込みつつ、その物体は多くの未解明要素を抱えたままリンドの街へと移動を開始したのだった。

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