第7話 渦巻く憎悪

 L1028休眠期53日、皇国軍と激しい交戦が行われた場所を中心にユージェ各地で「天敵」が大量発生する。これは怨念を抱いて死んだ者たちの魂が天へ還れず、行き場がないまま集合体となったものであり、まだ大きな力がない状態では何かに憑依しなければ現世に影響力を行使できない。憑依対象は主に死体や道具の類など多岐に渡るものの、これらは数こそ多くても人にとってそこまで危険な代物ではない。


「歩兵隊は敵の足止めを行う!弓兵は火矢の準備をしろ!まじない師は浄化の準備をしつつその機会を待て!ここで止めねば町に入られる……各員、気張れよ!」


 動く死体や傀儡人形のような合成物は一般的な兵士の物理的攻撃で撃破できるが、その大元となる怨念を通常の武器で払うことはできない。それを払うには術者による浄化の術か、特殊な武器を用いるほかに手立てはないとされている。


「怪異を恐れるなよ!恐怖に飲まれれば、生きながらにして連中に乗っ取られてしまうのだからな!」


 そしてより強い力を持つに至った「天敵」は、憑依対象をさらに拡大させる。意思を持たない死体や道具から、意志あるものにも憑依可能となるのだ。そうして滅ぼすべき知的生命同士を殺し合わせ、より効率的に破滅させていくのが手法だった。


「隊長、敵集団から新たな敵影が……その、報告が難しいのですが、人と騎竜が合わさったような姿をしておりまして」


 さらに「天敵」は複数の怨念の集合体であることから、憑依対象を繋ぎ合わせて活動することもできる。かつては竜騎兵だった者の成れの果てが、騎竜の体に竜の首から上が人であるこの新手の敵のように。


「怯むな!通常の騎兵と同じように歩兵隊は槍で対処させぃ!ただ通常の弓は効かぬゆえ、弓兵隊は引き続き死体に火矢を射掛けさせろ」


 炎に包まれた死体は「天敵」の憑依が解除され、宙に漂う黒い霧状の怨念を浄化できればひとまず撃破ということになる。だが浄化できなければ別の憑依対象に乗り移り活動を再開させるため、致命傷を与えればただ死ぬのみの通常生物と戦うよりもはるかに面倒な相手と言えた。


「……漆黒の影か!あれはまずい、住民に避難指示を出せ。家財道具をまとめている暇などないぞ、即座に逃げなければ命はないと伝えろ!我々も撤退の準備だ!」


 防衛隊隊長が目にした途端に撤退を決意した漆黒の影は、言わば「天敵」の超大型集合体である。主に古戦場など多くの人々が無念のうちに死した場所で発生し、生者を憎む力は何よりも強い。自分たちが犠牲になったおかげでお前たちは生き永らえ、そして楽しく裕福な暮らしを営んでいるのは許しがたい……逆恨みであるし的外れな言い分でもあるが、その憎しみこそが力の源泉である。


「なに、住民の一部が避難指示を無視しただと!……ええぃ、もう間に合わん。全隊に通達、脱出者を護衛しつつユーライアに向かうとな!」


 こうして一つの街が滅び、逃げなかった者たちは新たな「天敵」となって知的生命に牙を剥く。各地で「天敵」が発生したユージェでは、これが日常の風景となりつつあった。



「彼らのことを疑ってはいなかった……が、こうも的確に未来を予見されるとね。斥候隊より精鋭を集め、調査隊を結成してくれ。対象は中央山脈に隠棲しているというまじない師たちの頭領だ。それ以外に手掛かりとなる情報はないから探査は難航するかもしれないが、時間と費用はどれだけ費やしても構わない。絶対に情報を持ち帰れと伝えてもらいたい」


 大規模氾濫が発生して以降、ユージェ各地から救援依頼が舞い込む毎日が続いていたが、マイアーが最も恐れたのはそれを予見した者の存在である。仮に今回の大規模氾濫が起こるという予知を皇国の戦術家が知り得ていたなら、贄となる先遣隊に無謀な攻撃を掛けさせ全滅させたのち、大規模氾濫発生で混乱を極めるユージェに襲い掛かったことだろう。そうなっていたらどう足掻いても対処する術はなく、ただ滅亡の憂き目を見ていたに違いない。そのような力を持つ者を、味方にできれば申し分はないのだが、味方にならぬというなら自由にさせておくわけにもいかなかったのだ。


「かしこまりました。して、救援要請のあった各地域への派兵はいかがいたしましょう。すでにいくつかの氏族や地域からは退去の連絡が届いておりますが……」


 お付きの副官からそう質問を受けると、マイアーの表情は苦々しいものに変わる。大規模氾濫が起こってからまだ10日も経過していないのに、まったく為す術もなく壊滅した地域が存在しているからだ。それらの大半は事前に出された警告を無視し準備を怠ったことにより、怪異に飲み込まれてしまったのだ。もっとも、それだけなら単に「自業自得」で済まされるのだが、犠牲者が新たな敵になるのではそうも言っていられないのが厳しいところである。


「ユージェ、リンド、ミアン、マーレ、ラヌー、イスレなどの大都市を有する地域に難民が向かうと予想される。各都市とそこに繋がる主要街道を重点的に防衛し、猛威が静まるのを待つしかないだろう。新たな敵を増やさぬためにもできるだけ助けてやりたいが、いま手元にすべてを助けられるだけの戦力はない。どうにか主要街道にまで逃れよ……と伝えてくれ」


 過去の大規模氾濫では、発生から時間を経過するごとに「天敵」の発生数は減少していく傾向にあった。ゆえに防御の固い大都市に籠り、猛威が収まるのを待つのが対「天敵」戦術の基本となるのだが、当然それでは僻地の弱小部族などは助からないことも多い。先の大規模氾濫「パヴァンの厄災」ではユージェから程遠いウルス氏族も滅亡は確実視される状況だったが、堅守を誇るユーライアが陥落する可能性はないと判断したクラッサス=ハイディン率いる遠征軍に窮地を救われている。しかし今の統一連合にはそれだけの力量を備えた武人も、圧倒的な信頼を集める前線指揮官も存在しておらず、守りを固めるより他やりようがなかった。


(あと20周期、いや10周期もあれば連合軍も精強が集うものになったかも知れないんだけどね。今すぐどうにかしろと言われても、英傑の類はそうそう出て来るものではないからなあ……)


 心の中でそうボヤくマイアーだったが、実は期待もしていた節がある。このような危地でこそ新たな英雄が生まれる……というケースは歴史上いくらでも例があり、仮にそういった奇跡が起こらずとも主要大都市部さえ守り切れれば立て直しは利くだろうと考えていたからだ。


「それとリンドの情勢には目を光らせておくように。万が一にもあの地が陥落すれば統一連合はもたないだろう。もっとも、新たなとは呼べないが英傑に最も近い者たちがいるし大丈夫とは思うが」


 今回も、敢えて危険地帯であると分かっているリンドに彼らはわずかな手勢で乗り込んだ。一方で連合軍の指揮官たちは、災禍の発生源と目されるリンドには何かと理由をつけて近寄ろうともしない。かつて戦乱の世だった大陸南西部から目ぼしい戦いが消えて7周期ほどだが、そんな短期間でも平和に慣れれば人は戦うことを恐れるようになるのだ。そのことを責めるつもりはなく、むしろ喜ばしいことですらあるはずなのだが、こうして戦わざるを得ない状況に追い込まれることだってある。武人たるものいざというときの覚悟すら躊躇うようでは困る……というのが本音だった。そして同時にこうも思う。統一連合はあの時、想像以上に大きなものを手放したのだと。



『各隊、もう一度だけ装備と戦術の確認を行う。実体を持つ者に対しては従来通りの戦術で対処可能だが、霊体に対しては話が別ということは訓練でも述べた。そこで今回、我々は霊体に対して有効とされる霊木ブレ製の装備を用いる。ただし数が足りぬため、5名一組の班につき1つしか用意できなかった。不便をかけるが、各班で実体を撃破した後に霊体への対処をお願いする』


 霊木ブレはユージェ各地に生息する広葉樹の一種で、樹齢の長いものは高い霊力を備える特徴があった。その力により低位の悪霊であれば一撫でで霧散するのだが、高位の悪霊に対しては効果がない。そして金属加工すると霊力が失われるため、補強することも難しく実体に対しての戦闘力は皆無だった。


「霊木の効果があるのは霊体だけじゃからな。実体に憑依しておる霊には通用せぬから、間違っても霊木で実体は叩かぬよう留意するのだ。木が折れてしまうと効果が薄れるらしいしのぅ」


 かつて「神に縋らず魔に頼らず」を信条としていたハイディン一門衆も、霊体に対しては普段通りとはいかなかった。しかし反射光が届く範囲では奇跡の力が霧散する呪物「搦手無用」を携えていたころは、この効果範囲内で戦う限り「天敵」も憑依先から霊体に戻ると霧散するため、得意の肉弾戦において勝利を収めればイコールで撃破という状況だったのである。しかしその呪物もユージェ王家に返却し手元には残らぬ以上、かつての信条に反しようと霊体に対する対抗策を用意せねばならない。


「しかしご当主や先代はブレの装備を持たずに戦地へ向かわれるので?それはかなり危険ではありませぬか」


 副官的な立場のアル=ファールとしては、総大将たるフレッドとそれに匹敵する重要人物たるハゼルには前線に立たないで貰いたいが、それを願い出ても聞き届けてもらえないであろうことは分かっている。ゆえに戦場へ出るなとは言わないが、それとできるだけリスクを抑えてほしいと願うのは別の話である。


『そうしたかったのは山々なんですが、私たち一族には霊的資質というものが欠如しているようでしてね。せっかくの霊木も、私たちが持てばただの棒なんです。なぜこうなのかは、いずれプラテーナ様に聞いてみますか。そのためにも生き延びねばいけませんから、皆もよろしく頼みますよ!』


 かつて魔導士シェーファーが評したように、人の大元となった第3界の知的生命は神霊術や魔術を行使することはなかった。ハイディンの一族を始め術的な才能に乏しい人々はこの第5界にも存在し、それらの者は奇跡の力と縁遠いことと引き換えに身体面で長けた点を持っていることが多かった。フレッドの研ぎ澄まされた集中力や、ハゼルの類まれな怪力などのように。


「ワシらは言わば、憑依体の足止め専門じゃな。その後のことについては皆に任せるしかないからのぅ、申し訳ない事じゃが」


 このようなやり取りを終え、フレッドらも黄泉の回廊へ続く谷間の道に布陣を開始する。この地形では得意の騎兵隊を効果的に運用することは叶わず、回廊から出てきた敵を順に倒していくしかない。


『……悪意を纏いしこの世ならざる者ども、ここは諸君らのいるべき場所でなく在るべき世界でもない。それゆえ早々に立ち去っていただこう。総員かかれっ!』


 L1028休眠期55日、リンド近郊の黄泉の回廊前でもついに戦闘が開始される。これあるを予測し準備を整えていたリンド勢に対し、黄泉の回廊より出現した「天敵」の先兵は生あるものを憎み攻撃は行っても戦術などは用いない。初戦はリンド勢の圧勝に終わり、第一波の攻撃は阻止された。



『さて、とりあえず第一波は撃退できました。しかし黄泉の回廊からどれだけの敵が出て来るかは予測も付かず、しかもそれ以外の場所から発生する可能性もありますからね。それらを勘案すると、喜んでいられる状況ではないはずなんですが……』


 黄泉の回廊より出現した「天敵」の第一波を退けたという報告がもたらされると、リンドではお祭り騒ぎが始まった。ユージェ各地で苦戦が続いているという知らせはリンドにも届いており、不安だった人々には勝利報告が何より甘美なものに感じたのだ。しかしフレッドの言うように、敵の規模も分かっていない現状において先兵を退けた程度で大喜びされても困る……というのが本音である。


「将軍はそう申されますけれど、ここリンドでも最近は重苦しい空気が流れていましたからねぇ。これで平和が戻ったとは誰も考えていないでしょうけれど、朗報を受けたらまず一騒ぎするのがここの風習とでも申しましょうか……」


 ユージェを出て以来すっかり口が悪くなったフレッドは「大口取引が成功した……という知らせが入って喜ぶならまったく問題ありませんけどね」と言いたい気持ちになったものの、黙ってニャラハーティと同じように盃を上げた。すでに苦言は呈し、これ以上の皮肉を口にするのは関係性を悪化させるだけでしかない。彼女は出資者であり協力者でもある現状を考えれば、良好な関係を保ってはおきたいところなのだ。


『ただ一点だけ、御注意いただきたいことがあります。これはどこの軍でもあり得ることですが、大勝により敵を甘く見る者が出てくることでしょう。そして「勝てる」と思い込んだ軍は逆境に弱くなる傾向にあります。こんなはずはない、これは何かの間違いだ……とね。人同士の戦いであれば勝ち負けは時の運で済まされますが、今回は違う。リンド指導部からも油断はするなと徹底してもらえると助かりますな』


 とはいえ真面目人間フレッドとしては、やはりそう注意喚起せざるを得ない。盃を空にすると親切心から助言をしたが、これは皮肉な物言いではなく真摯な思いから出たことである点はニャラハーティにも伝わったので、耳に痛い内容でも彼女を不快にさせることはなかった。


「明日にでも、評議会にて声明を出す準備をいたしますわ。確かに敗れたら私どもが滅亡するこの戦い、油断したせいで敗北するなど許されませんものね。どうぞお任せくださいませ」


 出会った当初のニャラハーティは、いくら盟主の紹介といっても過去に連合を捨てた者たちに対して全幅の信頼を寄せてはいなかった。起こるかどうかも分からない大規模氾濫をダシに詐欺まがいの行為を働くつもりではないか……という思いすらあったのだが、実際に予測よりも早い時期に大規模氾濫が発生したことでその疑念は完全に払拭される。そして「一度は捨てざるを得なかった故国のため、姿を偽ってでも帰還し命を賭けて戦っている」事実に感じ入り、好意的になっていたのである。


(これで現状、打てる手は打った。あとはいつまで大規模氾濫が続くのかということになるが、これはなかなか見通しが立たないな。それに近郊からはもちろん、黄泉の回廊からの敵を抑えているという話が広まれば遠方からも難民が押し寄せる可能性だってある。だが経済的には恵まれたリンドも、押しかけた大量の難民を長々と養えるわけもない。人同士が争いを始める前に決着をつけられるといいのだがね……)


 その予測は的中し、リンドには周辺地域から人々の流入が相次いだ。故郷を追われ逃れてきた難民もいたが、中にはリンド軍の勝ち馬に乗ろうという傭兵くずれや冒険者の類も存在しており、それらの対処でリンドの施政部は混乱状態となってしまう。そしてついには勝手に傭兵団を結成し、戦列に加わろうとする者たちまで現れ始める始末だった。


『まずいことになりましたね。初戦は、ある程度の水準を満たした兵たちだけで戦いに臨めたからという点も勝因の一つです。率直に申し上げて、今さらロクに訓練も積んでいないような者たちが増えたところで足枷にしかなりません。兵が油断するしないという以前に、この軍では厳しい戦いとなります。下手に死なれると、それだけ敵が増強されるので』


 なるべく控えるようにはしていたが、つい毒を含んだ物言いとなってしまう。だが義勇兵はリンド施政部も募った結果により集まったもので、彼らとしては兵力は多いほどよいだろうという判断からそうしたのだ。そして一たび集まってしまったものを今さら解散できるはずもなかったのである。


「確かにこれは困ったことになったわぃ。ワシらに指揮権はないゆえどのみち黙って見ておるしかないが、彼らに先ほどまで共に戦っていた同胞を討ち果たすことができるとは思えぬ。混乱が動揺を誘い、潰走し敗北か……よくあるパターンじゃな」


 アル、ベタル、グァンらの小隊長たちも、この問題についての会議の場に現れてからというもの一様に暗い顔をしている。初戦では「華心剛胆」にも数名の犠牲こそ出たがほぼ無傷での勝利を得た。しかし戦い慣れしていない味方が増えたとなれば、間違いなく混戦状態となることは目に見えていたからだ。


「我らは後方に陣を下げ、リンド首脳たちが考えを改めるまで待ちますか?」

「騎兵隊を主軸にし、混戦に巻き込まれないように一撃離脱で戦いましょう」

「おそらくすぐに離脱者で溢れるでしょうから、それまで待機ということで……」


 誰一人として「共闘しよう」と言い出す者がいない時点でかなり深刻だが、何より問題だったのは数が増えたことにより勝利したかのような雰囲気が漂っていたことである。ニャラハーティの尽力により「戦いはまだ道半ば。終わりも見えぬゆえ油断はせぬように」と引き締めは行われたものの、あまり効果はなかった。


『一度、痛い目を見てもらうしかないのかもしれない。父さんの言うように、彼らが敵になってしまった友人を討てるとも思えない以上……後始末を任されるのは我々なのでしょうから、お呼びが掛かるまで待たせていただきますか』


 通常の戦であればそれで問題はないが、今回に関しては「敵が増える」というリスクもある。しかし共闘して共倒れになればそれこそ一巻の終わりである以上、後に面倒が待ち受けていようともそれ以外の手立てはなかったのだ。ちなみにフレッドが己の立場を遺憾に思うことはユージェに戻って以来これまで何度かあったが、これは最大級のものであったと後に記している。


「ワシらも、ついに素顔を晒さねばならぬ時が近いやもしれん。混乱を極めし場を収めるには、同様の衝撃を以って臨むしかないであろうからな……」


 獣王と竜賢人の再来としてのみ表舞台に立ち、名すら名乗ることもなくユージェ各地で立ち振る舞ってきた二人だが、それも終わりが近いのかもしれない。その予感は正しいものとなってしまうのだった。



「東方の勇者ギャフラーだ!とすると、あれがその仲間たちか?」

「黄泉の回廊の最奥到達者だってな。どうも「天敵」発生源の調査に来たらしい」

「軍で「天敵」を抑えた後、冒険者に探索させるらしいな。大丈夫なのか……」


(大丈夫……なものか。現在の回廊内部がどうなってるかも分からぬのに足を踏み入れるなど、正気の沙汰じゃあない。それを依頼するほうもおかしいが、受けるほうもどうかしている。いったい連合政府は何を考えているんだ?)


 実を言うと彼らのような探索者は、ユージェ各地からリンドに集まってきている。それは統一連合政府が「黄泉の回廊内の「天敵」発生についての情報を持ち帰った者には富も地位も思いのまま」という触れを出したからである。ただしマイアーの命令書にはあった「リンドの戦いが一段落した後に」という前文が抜け落ちており、結果的に戦乱ただ中という状況でこのようなことになっている。フレッドが「どうかしている」と評するのも無理からぬものだ。


「よう、竜人の兄ちゃん!あんた傭兵団を率いてるんだろ?俺たちを雇わないか!」


 どこから話を聞きつけたのか、街に出ればそのように声を掛けられることも少なくない。フレッドはそれらを丁重に断ると、すぐに冒険者宿を抜けた。情報を集めるなら最適な場所ではあるが、竜人の装いでは酒も飲めぬし耳に入る話は滅入るものばかりだったゆえ長居する気にもなれなかった。


(勇者ギャフラーか。統一連合発足後に、一度だけ顔を合わせる機会があった。何かの表彰の場だったと思うが、そのような場でも気を抜いた様子もないことはよく覚えている。彼の仲間というなら、メンバーも熟達なのだろう。しかし……)


 いくらなんでも危険すぎるだろう、という思いが頭から離れない。優秀な人材であれば尚のこと、そのような博打めいた行為に使うべきではないと思うのだ。しかしそれを言ったところで、鼻で笑われるのは目に見えている。


「前線に立たなくてもいい立場でありながら前に出るのは、博打めいていないのか」


 そう訊き返されたら話はそこで終わってしまうだろう。説得が無意味ということであれば、彼らが無事に戻ることを願うしかないのだ。増してや今のフレッドは、戦場に立つこともできないのだから。


『なるほど。ニャラハーティ商会は氾濫を予測し準備も整えた功績により、もはや確固たる地位を築き上げたと。ゆえに他の商会が挽回すべく活躍の場を求め、我らもしばらくは出番なしというわけですな。それは構いませんよ、こちらとしてもしばらく静観の予定でしたし。ただ一つ予言をしておきますと、後々さらに面倒なことが起こるでしょうね。そのご覚悟だけはしておかれますよう』


 ニャラハーティに事情の説明をされた時、フレッドは渡りに船と思ったのも事実ではある。しかし義勇兵たちが敗走した後に、初戦と同じ布陣で臨むべしとの声が上がるのを期待していたのだ。まさか低練度の兵で回廊内に突入し冒険者に調査させるなど夢にも思っておらず、己の読みの甘さについ失笑もしてしまう。


(マイアー先生が失脚された理由は、愚者の心中を察することができなかったからだと話されていた。その失敗談を聞いていたというのに、私も先生と同じ過ちを犯すというのか……これではとても先生に顔向けできないな)


 なぜこうも考えが浅いのか。過ちを犯せばイコール死に繋がるというのに、この緊張感のなさはいったい何が理由なのだろう。やはり先の大規模氾濫から20周期ほどが経過しており、長く続いた戦乱の世も終わりを告げたことで人々は楽観的になっているのだろうか。だとすれば、これは自分の罪でもあるのか……そう悪い方にしか考えが及ばなくなるほど、リンドに漂う空気は緩かった。


『各隊は交代で休暇に入ってくれて構わない。次の出撃では面倒なことになっている可能性が高いから、十分に英気を養っておいてほしい。給金の前借も検討すると伝えてもらおうかな。まったく申し訳ない事ですがね……』


 次の戦いでは苦戦が予想されるため、思い残すことのないようにしてもらいたい。フレッドは暗にそう伝えているが、それは隊の全員が肌で感じている思いでもある。ハイディン一門衆としての戦では無敗に近い戦績を誇った彼らも、戦全体で見れば負けていることは少なからずある。そしてそれは大抵、友軍の綻びからもたらされるものなのだ。


「ではそのように取り計らいましょう。しかし私どもはいついかなる時でも、ご当主の指示に従い戦場を駆けるのみです。どのような末路を辿ろうとも、悔いも未練もないことは全員が確認しておりますゆえ……どうかご存分に」


「どうせ武人としては一度、死んだも同然の身ですし」

「祭りの最中で死ぬとすれば、それは寝床で死を迎えるより楽しいことと存じます」


 アルを始め3人の小隊長はそれぞれ思うところを述べるが、誰一人として苦難を恐れる様子はない。彼らも命ある生物である以上、死が恐ろしくないはずはない。だが命があっても生きる意味がなければ死んだも同然である。少なくとも一度はそれを経験する羽目に逢い、今は生きている意味がある。ここで戦いから逃げ出して命を長らえようと考えることはなかったのである。



 L1028休眠期63日、回廊突入部隊の行軍が開始される。突入後はすぐに交戦が開始されると思われていたが、奥へ進もうとも一向に「天敵」が現れる様子が見受けられることはなかった。敵は初戦で壊滅したのか……という憶測まで飛び交う中、69日になってついに敵発見の報告がもたらされる。それは「天敵」が回廊各地から出現し突入部隊は分断され、退路も絶たれたというものであった。


「……というわけでして、リンドとしても救援部隊の派遣を行うと決定しました。実際のところは見殺しにしても沽券にかかわる……という理由ですが、いずれにせよ精鋭を送らねば苦戦は免れぬゆえ、あなた方にも御出陣いただきたいとの要請を受けております。本当にご面倒をかけてしまい心苦しい限りですわ」


 役目上そうは言ったものの、ハゼルは俯きながら首を振りフレッドに至っては「だから止めろと言っただろ!」と目線で訴えており、ニャラハーティとしてもこの場にいること自体が非常に心苦しいものがあった。


『この際ですから言わせていただきますと、これは非常に厳しい話です。最初にお話すべきは、これがおそらく罠だということでしょうか。狭い回廊内で退路を断たれているのに報告者だけが出て来られるはずもないですから』


 そうして増援を回廊内に引き込み、また死角から奇襲をかけ壊滅させる。犠牲者は新たな「天敵」となって知的生命に襲い掛かるのだろう。そしてこの報告にはさらに驚くべきことが隠されている。


「ワシの知る限りにおいて、連中が戦術を用いたという話は聞いたことがない。眼前にある知的生命をただ憎み襲い来るだけの存在じゃったはずなのだが、此度は明らかに突入部隊を奥まで誘引し包囲殲滅……という作戦を立てておったな。これはどういうことなのかのぅ」


 ハゼルの発言を聞いて、ニャラハーティは真の意味で今回の報告が危険ということを理解できた。従来「天敵」は待ち伏せや退路を断つなどの戦術的行動を取らないと考えられていた。そういう相手ゆえリンド首脳部は今回も押し引きだけの勝負になると考えており、練度の低い義勇兵だろうがとにかく数を揃え有利なら押し不利なら引けばいいと思っていた節がある。しかし今回の一件はその考えを根底から覆すものとなるのだ。


『霊体の「天敵」であれば、おそらく回廊の遮蔽物も関係なく動けるはず。壁や地面、天井から現れ憑依されようものなら防ぐのも難しいでしょう。いまさらこのようなことを言っても仕方ありませんが、回廊内に立ち入るべきではなかった。酷なようですが入り口は封鎖し、漏れ出てきた少数の敵を確実に排除すべきと存じます』


 フレッドの発言は正論だが、正論がいつも歓迎されるとは限らない。そう言われたニャラハーティもつい「生存者がいるかもしれないのに見棄てるのか」と非難めいた発言をしてしまうが、フレッドは「どうせ助かりませんし、さらに犠牲者が増えるだけでしょう」と冷たく言い放つのみである。ニャラハーティは「あなた方のお力でも無理なのか」と食い下がるものの、出来る出来ない以前にその気がなかった。


『かつて存在したハイディンとかいう武人集団が強かったのは、指揮官が優秀だったからでもなければ超常の戦士がいたからでもありません。勝ち目のない戦いには臨まなかったからですよ。勝ち目はあったのに、それを生かせず結果が振るわなかったことはありますけど』


 今回も、初戦と同じように回廊外で待ち受けていればこのような事になるはずもなく、多少は長引いたかも知れないが勝利は得られたはずであった。だが余計なことをしたおかげでこちらの戦力は減少し、敵の戦力は増強された。せめて屋外で死んでくれたら弔うこともできたのに、わざわざ敵の陣地で死ぬなど利敵行為でしかない。腹立たしい要素はいくらでもあるが、何より不快なのはその後始末を押し付けられることで、そして自分たち以外はそれを成し得ないであろうという事実である。


『……とまあ、愚痴をこぼしたところで事態は好転しませんね。不本意ではありますが、後始末はお引き受けいたしましょう。ただし条件があります』


 フレッドは「一時的にリンド首脳部から自分に指揮権を与えるよう取り計え」という条件を提示する。後始末をするにしても、掃除したそばで汚れをふりまかれてはいつまで経っても掃除は終わらない。余計な真似をさせないためにも指揮権が必要だったのだ。


「それは……なかなか難しゅうございます。名の知れた者が上に立つなら各員が従いもしましょうが、今のあなたでは……」


 まあそれは当然そうだよな、というのがフレッドの思うところでもある。だがこのままでは知らぬところで救援部隊が派遣されて全滅し、晴れて敵となり先の突入部隊ともども仲良く地上にご帰還……という未来しか見えない。決断の時が迫っていた。


『今の私では、確かにそうでしょうな。ならば過去の私ではいかがです?この装いを外し、一度は故郷を捨てたあの男に戻ったとしたら?』


 ニャラハーティは一言「よろしいので?」と確認したが、フレッドとしては「よろしくはありませんがそれしか手がない」と答えるしかない。本当は嫌でたまらないのだが、自分には守りたいものが確かに存在する。家族や友人、そして自分を信じて戦い抜く覚悟を決めている隊員たち。彼らのためになるなら、道化でも何でも演じてやろうというのが決断の理由である。ユージェを捨てた頃では、この決断に至ることはなかっただろう。


「よくぞ申した!ワシも一緒に素顔を晒し道化とならば、お前だけに好奇の視線が集まることもあるまいて。久々にやってやるかいのぅ!」


 こうしてクロト=ハイディン改めフレッド=アーヴィンは再度、クロトとして戦場に立つこととなる。リンド首脳部から発表された人事にリンドの人々は大層驚き、しかし歓迎でそれを受け入れた。生ける伝説が眼前に降臨し、辣腕を振るうというのだから歓迎されぬはずもない。もっとも、当人の笑顔だけは引き攣っていたが。


 一方で、全滅した突入部隊は全員が恨みと憎しみを募らせ、その憎悪は地上にいるたちに向けられている。なぜ助けなかった、なぜ見棄てた、来てくれると信じていたのに……それらの怨念が渦を巻き、今まさに地上へ溢れ出んとしていた。L1028休眠期70日、リンドにおける決戦が迫らんとしている。

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