第5話 ユージェの最高権者

 L1028休眠期2日、フレッドらは5周期ぶりに首都ユーライアに入った。旧ユージェ王国の首都でもあるこの都はかつてハイディンの家も置かれ、フレッドやハゼルにとっては生まれ故郷でもある。それゆえに見知った顔も多かったが、いまは竜賢人や獣王の装いであるため一目で彼らと見抜く者はいない。しかし余計なことをすればそれだけ正体発覚の可能性が上がる以上、人通りの多い場所では会話することすら控えていた。


『とりあえずユーライア滞在中はこの運搬業者の集まる宿を使います。仕事柄、食事も質より量という感じだそうなので父さんにも味さえ我慢していただければ腹を満たすことはできるかと思います』


 フレッドが斡旋業者から紹介された宿は、ユーライアからユージェ各地への食糧物資を運ぶ業者が集う宿だった。かつては大邸宅に暮らしていたことを考えるとひどい落差ではあるが、ユージェを出て後の旅を考えれば天国同然である。


「腹が満たされるなら、この際それ以外の部分はまあ良いわぃ。して、ラゴス様とはいつお会いするかだが……」


 ユージェ統一同盟の盟主ラゴスは、立場上から言えばユージェの最高権力者であり立憲君主制のトップに立つような地位にある。それは統一連合発足の際、旧ユージェ王国の統一の偉業を称えるという名目で一代限りで与えられた特権なのだが、政治に興味がなく芸術にばかりうつつを抜かすラゴスになら強権を与えたところで大した問題にはならず、それでいて一部の旧ユージェ王国の出身者が抱いた「覇権国なのに他者と並べられる」という不満を解消することもできたのだ。


『制度が変わってさえいなければ、面会を望めばラゴス様にはお会いできるはずなのですが……まあそのあたりは手を付けていないと思うんですよね。放置していても何ら問題ない筋の話なので』


 自分で言っていて「かなり不敬だよな」と思わないでもないのだが、統一連合における盟主ラゴスというのはそういう「空気のような存在」という認識の人物なのだ。そのため彼を嫌ったり憎んだりした人物は皆無といってよい反面、制度として「面会しようと思えば誰でも会える」のに彼の下を訪れようとする者もまた皆無だった。つまるところ会いに行けば会えるだろうが非常に目立つというリスクがあった。


「ラゴス様がお一人で生活されておるはずはないから、まだ生きておるならニャンザギーがお仕えしとると思うが……5周期前の時点でかなりヨボヨボじゃったしおそらくは身罷っておるだろうのぅ。彼がいてくれたら話は早かったのじゃが、さて」


 ニャンザギーとはラゴスの従者を務めた亜人族で、軽い身のこなしや夜目が効くなどが特徴の暗殺者として用いられる種族である。覇権国家たるユージェ王国の王だった頃のラゴスを狙ったがハゼルに阻止され、裏稼業から身を引く代わりに王の従者として身の回りの世話と護衛を任された経緯がある。そしてそれ以降ニャンザギーら人猫族はユージェ王室のお抱えとなっていた。


『彼には確か、ニャハールとかいう息子がいましたね。それに孫が生まれたとかいう話を聞いた記憶もありますし、後を継いでいてくれれば話は通しやすいかもしれません。もっとも、彼らの生計をぶち壊しにした私は恨まれているかもしれませんが』


 旧ユージェ王国は統一後に連合の一加盟国となり、大陸南西部の約半分ほどに広がっていた直轄領も今はユーライアとその後背に広がる台地のみ。それでもユーライアが不落な限り絶対安全圏となる肥沃な台地を抱えるユージェ地方は他の地方より豊かではあるが、かつての栄華は確かに失われた。当然その縮小に伴い方々で倹約することになり、旧王室維持費も例外ではなかった。過剰なほどに雇われていた人猫族も適正な数にまで減らされたという意味では、生計をぶち壊したといえるのだ。


「統一連合の発足までは、暗殺や拉致誘拐の可能性もあったからのぅ。元同業者の彼らになら護衛を任せてもよいと思うたのじゃが確かにありゃ多すぎたわ。ラゴス様が動物好きであらせられたのも一役買っておったがな……」


 ラゴス曰く「彼らを眺めていると創作意欲を掻き立てられる」とのことだが、ハゼルにはそれの意味するところが理解できなかった。もともと芸術になど興味はないので創作意欲自体が存在していなかったことも手伝い、基本的に人猫族に対しては「仕事さえ無難にこなしてくれればそれでよい」というスタンスで接しておりそれ以上でもそれ以下でもなかったのだ。もっとも、人猫族の側は暗殺に失敗した理由となるハゼルの存在には興味津々で、物陰からじっと見つめていたり投擲の訓練で投げた木製の標的に飛びついてしまったりと有形無形の妨害を受けた間柄でもある。


『とりあえず考えましたのは、皇国軍が退却をほぼ終えた北部にいち早く物資を届けたいためマイアー先生が出した制限令を解除していただく……という陳情を行うとあらかじめ周囲に漏らしておくことです。多少は噂になるかもしれませんが、その状況下であれば盟主の館に人が現れても予想の範疇となるでしょうから』


 ブルート率いる皇国軍北部分隊は第二陣と第三陣の生存者を救出した後、早々に撤退を開始した。南部の皇国軍本隊はいまだ本格的な撤退開始もままならず、血みどろの追撃戦が行われていることを考えると北の犠牲はないも同然で、マイアーも余力を残しているであろう北には目もくれず南の本隊のみを狙えと指示を出している。北部ではもう大規模な戦いは起こらないであろう……というのは万人の思うところではあるが、それと少数とはいえ皇国軍がまだ残る北部に行かせる気があるかどうかは別問題であり、なにより後で文句を言われても面倒くさいため移動制限令は解除されていなかった。


「一般的な運搬業者も、安全が担保されん北部には行きたがらぬであろうしな。その噂が立ったところで商売敵と見られることもないか。ではその手で進めようぞ」


 フレッドらが運搬業者の宿で「北部に物資を運ぶ」話を盛大に吹聴し、盟主の館に陳情へ行くという噂も広まったが、結局のところ彼ら親子が危惧したような問題は起こらなかった。ユーライアには少数の防衛隊が残る以外に軍事関係者はすべて皇国軍への追撃に出撃しており、残るは内政担当の者ばかりである。彼らにとって重要なことは荒れ果てたユージェ東部を始めとする戦闘地域のケアであり、誰がどこに向かおうとも「行ってくれるならありがたい」くらいにしか考えていなかったのだ。


『やはりマイアー先生や門弟らがいないのは気が楽ですね。急に北部行きの噂が立てば、探りを入れるくらいはしてきたでしょうし。いずれにしても、これで下準備は整いました。明後日、盟主の館へ向かいましょう』


 ここまでは予定通りで、フレッドも胸をなでおろす。しかし安心からか、ユーライアに残った内政担当官の中にも切れ者がいるであろうことをすっかり失念していた。危うく一族郎党が揃って打ち首に……という状況であると思われたため、しばらくは謹慎処分にでも処されているのだろうと予測していたこともあるが、フレッドは盟主の館で予想外の人物と顔を合わせることとなるのである。



 L1028休眠期10日、フレッドとハゼルは「陳情商人」として盟主の館を訪ねた。入り口で彼らを出迎えたのはニャンザギーの孫で、ニャハールの甥というまだ若い人猫族ルーニャだったが、彼は一目見てこの二人が商人ではないと感づき露骨な警戒心を隠そうともしなかった。


「そう感情を露わにしてはァッ!仕事人として三流だのぅ。少なくともォォッ!ニャンザギーならそう忠告するであろうがァッ、君はお爺様にィッ教えは受けておらんのかァッ?」


 予想外の名を口に出されルーニャは驚いたが、その一方で自身の直感が正しかったことも確認した。祖父が現役だった頃はまだ統一連合発足前の戦乱期であり、その名を出すということは同時代を生きた男に違いないのだから。


「……祖父は3周期前に亡くなり、私は直接の教えを受けてはおりませぬ。して、祖父と同時代を生きたであろう武人がいまさらこちらに何の御用で?」


『我々の目的がラゴス様への陳情であることは事実です。その内容につきましては、ラゴス様がお話になってもよいと判断されたなら後にお聞きすることもできるかと思いますが、ここであらかじめお話するのはご容赦願いたい』


 人猫族は生後2周期ほどで成人を迎え、それ以降は20周期も生きれば長寿という短命な種族である。ルーニャも体格的には人間の成人よりやや低い程度だが、生まれてより3周期も経っていない。当然ハイディンの話は伝承や資料でしか知らず、しかもその資料はフォーナー=ダルトンがハイディン憎しで事実と異なる事象がまとめられたものである。その資料によればハイディンは「権力の私物化が過ぎて国から逃げるしかなかった卑怯者の一家」とされており、その男たちが目の前にいるとは夢にも思わなかったのだ。


「……面会希望者あれば通すのがここの決まり。であるならば、いかに怪しげな者であろうとも追い返すことはできぬ。ただし盟主様の身に危険が及ぶことがあってはならぬゆえ、監視はさせていただく。よろしいな?」


 別に危害を加えるつもりはなく、会話内容も外でベラベラしゃべらない限りは聞かれても困ることではない。監視付でも構わぬ旨を伝え、盟主の間に通されるとラゴスは遠間からでも即座に二人の男の正体を見抜いてしまう。


「まさかな。我の下に再びお主らが現れるとは。もう二度と会うこともないのだろうと考えておったよ。やはりクロヴィスのことを許せぬゆえ、この時期にユージェへ現れたと考えてよいのか?」


「お久しぶりにございます、ラゴス様。もうかれこれ5周期ほどになりまするが、ご壮健のようで何よりにございます。今の私めは獣王バルザ、息子は竜賢人クゥーリの再来を名乗りユージェにまかり越しておりますれば、何卒そのように扱いください」


 ハゼルもさすがに「例の口調」は控え、それでも自身らはハイディンの男として来たのではないことを伝える。今はそれよりも優先すべきことがあり、そして何よりも彼らは家族への仕打ちを恨んではいなかった。


『ご無沙汰しております、ラゴス様。以前に快く送り出していただいたこと、ここにおりませぬ母の分も合わせて御礼申し上げます。先ほどご質問いただきました件につきまして、ご説明する時間をいただきたく存じますがよろしいでしょうか?』


 ラゴスは親友にして恩人たる男の息子たちとも懇意にしていた過去がある。彼自身にも世継ぎとなる男子はいるが、父と同じく政治や軍事にはいっさい興味を示さず料理を作ることに没頭する人生を選んだ。同世代にクロヴィスやマイヤーといった政治や軍事の専門家がいたこともあるが、彼らには到底叶わぬと悟ってからはより近づかなくなったのだ。もっとも、そのおかげで統一連合発足後は王室の束縛から逃れ自分の店を構え一国民としてうまくやっているというのだから、人生わからんものである。


「クロトの話はいつも重要なことであったからな。それに長くもなるのだろうから茶の用意でもさせようぞ。あとは……何かあった気もするが気のせいかの」


 それが気のせいではないどころか、とんでもなく重要な事であったのはフレッドが説明を始めてすぐに茶と菓子を持ってきたルーニャの報告により発覚した。


「ラゴス様、お約束の時間通りにダルトン当主が参っておりますが……お通ししても構いませぬのでしょうか。その、色々と問題がありそうな予感がひしひしと」


 ルーニャは普段のラゴスでは考えられないほど生き生きとした姿を見て、訪ねてきた二人が旧知の仲なのだろうことはすぐに察した。そして大男の口から発せられたあの「今は別人として訪れている」という言葉から、素顔を晒せない立場の者ということも予測がついた。そこから導き出された答えは、人猫族でも伝承となったユージェの闘神、人喰い羅刹ことクラッサス=ハイディンとその息子なのだろうというものだった。彼自身が生まれ出ずる前にユージェを去った二人を目にするのはもちろん今回が初めてのことだが、そういうことならただならぬ気配もうなずけたのだ。


「いかん、そうであった。本日は北部への荷運び場がどうとかいう陳情があると聞いておったから、そういう話はダルトンの当主に任せようと呼んでおいたのをすっかり失念しておったよ。呼んでおいて気の毒だが、帰ってもらうより他ないか……」


 ルーニャは「ユージェを去った者たちの前にユージェの要人を通すのは問題があるだろう」くらいに考えていたが、クロヴィスの経緯を知るラゴスにとってはそれで済まされる問題ではない。現在のダルトン当主は斬首こそ免れたが自宅蟄居を申しつけられたフォーナーではなくその娘フィーリアとなっているものの、ハイディンにとってダルトンは家族を辱めた憎き仇と考えていてもおかしくはない間柄となってしまったのだから。


『……いえ、丁度よい機会ですし許可をいただけるならぜひ彼女にも同席をお認めいただきたく。と申しますのも、私どもの用件はユージェ統一連合全体の存続に関わるものですから、当然その対策にも国家規模の支出が発生するでしょう。そうなればどうしても経済的な面での協力も必要となりますので、その方面の方にも説明しておいた方が二度手間を省けるかと思われます』


 ラゴスは一言「本当に良いのか?」と確認を取るだけに済ませたが、言いたいことは山ほどあったのだろう。クロヴィスの魂のこと、その仇ともいえる男の娘に会うこと、そしてその者にはかつて懇意にしていた男がいて、彼が去った後に父親不明のまま双子を授かったこと。ラゴスはフレッドやハゼルが一時の感情で道を誤ることはないと確信しているが、当人たちが不快に思うかはまた別問題である。


「以前マイアー殿にフォーナー殿の助命嘆願の書状を託しました。それを拝見いただけたからこそ、フィーリア嬢もいまだ現役で奉公が叶っておるのでしょうな。あの書状でも訴えましたが、我らはクロヴィスの件で誰かを……何かを憎んではおりませぬゆえ、どうかご心配なく」


 ハゼルの書状は確かに読んだが、当時のラゴスの怒りはそれでもなお収まりのつかない猛烈なものだった。おそらくラゴスの53周期に渡る人生で初の大激怒に、統一連合の者たちは驚きを隠せなかった。怒るという感情があったのか……という意味での驚きではあったが。


「正直なことを申せば、我は今でもフォーナーのやり様は許せぬ。クロヴィスは若くして不幸なことになったが、かの者は王国のためにも民のためにもよく尽くしてくれた将来有望な男であった。そのような英傑の魂を弄ぶなど、許されていいはずはないのだ。しかし当事者たるお主らが許すというのに、部外者の我がいつまでも腹を立てているのは筋違いというものか。あい分かった、ダルトン当主の同席を認めよう」


 ラゴスはクロヴィスが物心ついてからは遊び相手になることもあったほどの付き合いでもあった。実の子ではないにしても親友の子ともなれば家族同然、ゆえにそれを辱める行為を許せはしなかったが、実の父や弟が許しているものを自分だけ許さぬというのも筋が通らぬと考えたのだ。国政に興味がない点は為政者として問題だが、人としてはごく真っ当な部類の男だった。


『あの折に兄はこう申しておりました。死んだはずの自分がなぜここにいるかは分からぬが、これは天の粋な計らいであると。そして私も父も兄と打ち合い、互いの姿を心に刻み別れたのです。あのようになったことを……感謝までには至らねども、あれはあれで私どもにも意味はございました。そうお考え下さい』


 当時のクラッサスは期待していた息子に先立たれ茫然自失となり、それを支えるべく当主の座に就いたクロトは成人直後とは思えぬ苛烈さと熾烈さを以って大陸南西部を席巻する。あの頃は何かに取り憑かれたかのように淡々と公務をこなすだけの男という印象だったが、今はそうではないのだろうとラゴスは感じた。そしてそれは、部屋に通された女性も同じような想いを抱くこととなる。



「盟主様、ご機嫌麗しゅう。フィーリア=ダルトン、お召しにより参上いたしました。して、本日の御用向きは……」


 盟主の間に通されたフィーリアはラゴスに恭しく一礼するが、顔を上げると二名の見知らぬ亜人が壁際に立っていたことに驚いた。入室の際も視界には入ったが両名は直立不動で言葉も発せず、しかも自身は挨拶ですぐに頭を下げたため新しい絵画のモチーフ像くらいにしか思っていなかった。それほどに、ラゴスの下を訪れる人間は少なかったのだ。


「それについては、我もまだはっきりとは聞かされておらぬ。この者が説明してくれるそうだが、事は統一連合の未来に関わることらしい。そこで、お主ら内政担当官にも協力を仰ぐ必要が出るため、話を聞いてもらいたいそうなのだ」


 フィーリアから見た二名の亜人は、おとぎ話で読んだ獣王バルザと竜賢人クゥーリのイメージに近いものがあった。市井の噂でそのような者たちがいる……という話は聞いたこともあるが、マイアーと同じく混乱期に乗じた売名行為なのだろうと考えており深く追求しようとは思わなかった。皇国側がその二名を工作員の変装で使うはずもないことは疑いようもなかったこともあるが、やはり目立ちすぎる格好ではある。


「腹を割って話そうというのに、偽りの姿では失礼にあたるであろうな。せっかく用意していただいた、久しぶりのユージェの茶を堪能するためにも……ここは装いを解除させていただきますかのぅ」


 そう言うと獣王のほうは豊かな毛で覆われた首元に手をやり、何かをまさぐるような仕草を行う。すぐにルーニャがラゴスの前に盾となって立ちはだかるものの、獣王は隠し持った武器を取ろうと首元に手をやったわけではない。吸着の魔術を解除し、肩口まで張り付いていた獣王の頭部を外すとそこにはユージェで知らぬものなき闘神の顔が現れる。


「この装いはワシが話せば口も勝手に動く優れものですが、飲食はなかなか大変ですし鼻も利かなくなりましてな。それではせっかくの茶の香りも台無しというわけでして、恥を承知で顔を出させていただきましたわぃ。改めまして、お久しぶりですなラゴス様。そしてフィーリア殿」


 そして傍らの竜賢人にも解除を急かすと、ラゴスの向かいに座りさっそくユージェ茶を手に取り始めた。一方の竜賢人は「仕方ないな」という体で首を振ると、同じように首に下げた装飾品に触れる。空気が動く音がし、吸着が解除されると竜の頭部を取りながら押さえつけられた髪を手でまさぐりながら銀髪の男の顔が現れた。その顔は、フィーリアが最後に見た顔よりも逞しさを増していた。


『本当は変装したままで通すつもりだったんですけど、まあどうせバレるでしょうしもう良しとしますか。その、なんと言いますか……色々とご苦労なさったと思いますが、とにかくお元気そうで何より。そして私の記憶にあるフィーリアさんより断然お美しいですね。6周期も経てば、変わりもしますか……』


 フレッドはお世辞を言うような男ではないので、その発言は本心からのものなのだが、言われたほうは額面通りには受け取れなかった。予想外の人間が現れたということもあるが、彼女にはこの二人に対して償い切れない負い目もある。あらかじめ会うと言われていても覚悟が決まるかどうかという話であるのに、不意打ちのように顔を合わせることになっては動揺を抑えきれなかった。


「え、あの、お褒めいただき光栄ですわ?」

「でもどうして、こんなところに……ありえないわ、だって私たちはあなた方に」


 フィーリアはもうしどろもどろという体で、誉め言葉に対する受け答えが疑問形という有様である。普段は「女傑」などと呼ばれ凛とした姿が印象的な彼女だが、今はそれとは程遠い姿となっている。


『……では、私たち両名が兄の雪辱を晴らすためにこの時期を見計らってユージェへ推参したと申せば、それはあり得ることでしょうかね。先ほどラゴス様にもそうではないかと疑われましたが、私たち一家が本当にユージェを憎み、復讐のために遠路はるばるわざわざやってきたと。貴方はそうお考えですか?』


 そう質問され、答えを探しているうちにフィーリアは冷静さを取り戻す。よくよく考えれば、兄の復讐を果たしたいならあの場で戦意を喪失したユージェ軍に攻撃を掛けて足止めし、後に増援の皇国軍と総攻撃をかければよかった。そうしなかったのはユージェと戦う気はなく、早々に退却してくれればそれでよいということだったのだろう。そして何より……。


「わたくしども一族は、ご両名のご厚情により永らえましたこと……ここに御礼申し上げます。そして父に代わり、謝罪させていただきたく存じます。あの折は途轍もない過ちを犯し、まことに申し訳ありませんでした。わたくしにできることでありましたらなんでもさせていただきます」


 マイアーが単身フレッドたちの村に赴き、停戦交渉をまとめダルトンの助命嘆願書も携え帰陣したことはユージェでも話題になった。いくらかつての教え子とはいえ、兄にあのような仕打ちを受ければ怒りに我を忘れ手討ちになってもおかしくはなかったのに、単身そこに赴くとはなんという肝の座り様か。その評価を得ることもマイアーの計算のうちではあったが、よほどの自信がなければできることではない。そしてフィーリアを始めとしたダルトンの一族が連座による処刑を免れたのは、マイアーの行動とフレッドらの助命嘆願のおかげなのだ。


「そう畏まらんでも良いわぃ。ワシらは誰も憎んではおらぬし、よくよく考えてみればフォーナー殿の怒りも筋違いではないのじゃから。いかにそなたが望んだことであろうとも、フォーナー殿の立場からすれば笑って許せるものでもなかろうしな。とはいえせんでもよい戦の犠牲になった者は大勢おって、無念のうちに世を去った者も多かろう。ワシらは彼らの分もユージェのために働こうと思ってやってきたのだ」


 ハゼルがそう告げると、フィーリアは気恥ずかしさから俯いてしまう。ハイディンとダルトンは並び称された家柄だが、元当主のこの度量の差はなんであろうか。そしてその口ぶりから、自分の子供たちのことについてもマイアーから伝え聞いているのだろう。そう思うと、恥じることではないがまともに顔は上げられない。


『父の申すように、いまユージェは窮地に立たされております。それは皇国軍の侵攻によるものではありません。その件はマイアー先生の手により、問題なく撃退できることでしょう。しかし皇国軍の犠牲が大きいほど、この後に起こる「天敵」の氾濫は巨大なものとなります。おそらくは前回の大規模氾濫を優に超えるものとなるはず』


 ラゴスもフィーリアも、戦が起これば「天敵」が発生することがあるのは知っている。だが、戦乱の世が長く続いた大陸南西部でも大規模氾濫は50周期に一度あるかないかという頻度でしか起こらず、前回の大規模氾濫からはまだ20周期ほどである。さすがにスパンが早すぎる……というのが正直なところだった。


『確かに起こるのが早すぎるという意見は正しいですね。ただ、今回は皇国軍という遠方より来たる者たちが相手です。遠い異国の地で無念のうちに死した者たちの怨念は、想像を絶するほど強烈ということなのでしょう。幸い知人が多い北方の隊はどうにか進軍を控えていただきましたが、南方の本隊にはあまり影響を与えられませんでした。アリーハを討って民の心証をよくできたくらいです』


 二人は黙して語らず、考え込んでいる様子だった。話し終えたフレッドも喉を潤すために茶を口に運んでいると、考えがまとまったのか質問が帰ってくる。


「その口ぶりから察するところ、あなたは大規模氾濫が起こることを確信しているようだけれど……確かに大きな戦が起こればそういう確率は上がる可能性があるとはいえ、必ず起こるとは限らないのではなくて?」


 まあ未来を見通したかのような発言には疑問を感じるよな……というのがフレッドの思うところでもあったので、その質問には即答できた。もっとも、返答内容はかなり奇怪なものに聞こえてしまったであろうが。


『にわかには信じられないかもしれませんが、世の中にはおおよその未来を見通せる御仁がおられるのです。その方から聞いた、と言ったら……まぁそういう目を向けられるような気はしていましたよ。当然ですよね……』


 明らかに哀れみの視線を向けられている感があり、さすがのフレッドも言い淀んでしまう。彼にとっては導師プラテーナの存在が普通のことになっていたのでごく普通に話してしまったが、彼女の存在を知らない相手にそのような話をすれば頭がおかしくなったと疑われても仕方がないのだ。あの「神に縋らず魔に頼らず」を標榜していた家の男がこれとは……と、あまりのことにラゴスは混乱し旧友に助けを求める。


「その、な。クロトの申したきことは分かった。それでだ、クラッサスも信じておるのか。話に出てきた未来を見通せるとか申す者を」


 戦で敵を欺くことはあっても、日常で他人を騙すことはない。息子のそういうところは嫌いではないが、一方でまったく不器用だとも思う。せめて戦いの際に見せる抜け目のなさをもう少し日常生活にも割り振れないかとハゼルは考えるのだが、戦では無能・日常では詐欺師同然という逆のケースよりはマシだろうと半ば強引に納得しているのだ。そして不器用な息子に変わり、説明を行った。


「正直なところを申しますと、手前にも分かりませぬ。ただその御仁がまだ10周期くらいの少女で、しかし歳に見合わぬ見識を持ち合わせておるのは事実ですな。そしてなにより、かの御仁はクロヴィスの魂があのような形で我らの前に出ずることを存じておりました。そのおかげを持ちましてクロヴィスの魂を解放することも叶い、その一点を以ってしても我らが信ずるに値するということです」


 そう言うとハゼルは獣王バルザの装いを手に取り、そこで装着して見せた。頭にかぶり、外した時と同じように首元に手を入れ何かの操作をすると装具は肌に密着しその場で飛び跳ねても宙返りをしようとも外れることはない。


「このような代物、目にしたことはございますまい。こういった品を創り出せる時点でかの御仁が超常の者であることはご理解いただけるはず。もし我らを信じていただけるなら、我らの信じた御仁のことも信じてはいただけぬでしょうか」


 その説明は直球勝負のフレッドより心に響いたのか、ラゴスとフィーリアは顔を見合わせ賛意を口にする。このあたりは人生経験の長さがモノをいうということなのだろうかと、フレッドも思わずにはいられなかった。


『では改めまして、説明させていただきます。ラゴス様には盟主権限でユージェ全軍に交戦停止命令を出していただきたく、フィーリア殿には来たるべき戦いのために物資の用意をお願いしたいと考えております。事はユージェの存亡に関わり、仮にユージェが斃れれば皇国も斃れこの世界は第四界と同じ末路を辿ることでしょう。私は破滅の未来の可能性を知らされた者として、それだけは何としても阻止したい。そのためにどうかお力添えを賜りたく……』


 フレッドの説明を聞きながら、フィーリアは過去を振り返る。成人直後から戦いに身を捧げてきたこの人は、いつだって他の誰かのためにのみ動いていた。最初は生きる希望を失った両親のために起ち、その次は戦いの犠牲者たちの死をムダにしないために戦乱の世を終わらせようと奔走した。ようやく望みが叶ったと思ったら今度は武器を使わない政争の類に巻き込まれ、ついには国を出ることにまでなった。落ち延びた先でも故国に狙われ、無体な扱いを受けたというのに今はその故国のために命懸けで舞い戻っている。いったいどこに、それだけのことを成そうという力があるのか。


「一つだけお聞かせいただけるかしら。ユージェが滅べば皇国も、この世界も危ういというのは事実なのでしょう。でも貴方が危険を冒してまでユージェに戻ったのは本当にそれだけが理由なのですか。私たちにお話しくださったことをマイアー先生にもお話になれば、あるいは戦いを止められたかもしれないというのに」


 もしかしたら自分や子供たちのために帰ってきてくれたのでは……などと甘い夢を見るフィーリアではないが、わざわざラゴスに頼まなくてもマイアーを説得すればいいのではないかという思いはあった。それはラゴスも同様で、さらにハゼルもそのほうが話は早かろうという意見を述べたこともある。三者の視線が集まり、適当に受け流すだけでは済まされぬと悟ったフレッドは思うところを述べ始めた。


『残念ながらこの戦い自体を止めることは叶いません。かの未来を見通す御仁も「未来を別の形に変えようとしても大抵はより悪い結果になる」と私に警告されておりますし、私としても最初から戦いを止める気はなかったのです。ならばどうするかと考えた時に、戦いは止められぬとしても犠牲はなるべく減らそうと。そしてそれが、その後に起こる「天敵」との戦いで被害を減らすことに繋がるのではないかと。そのような思いで今回の行動に移ったわけです。これでご満足いただけますか?』


(やっぱり、名誉挽回の後にユージェへ戻るとか武人として名を挙げるとかそういう話は微塵も出てこないのね。ずいぶんと時間は経ったのに、相変わらず自分のことはそっちのけで誰かの、何かのためだけに動いている。この生き方がいつか報われることってあるのかしら……?)


 こういう無私なところは彼女の愛した、危なっかしい1つ年下の男の子のままだなと感じるものの、この生き方が万人に理解されるはずはない。今の自分は望み通りに愛した人との子供を二人も授かり、一家断絶全員処刑の危機はその人に救われた。そうして自分はこれほどの幸せを得ているというのに、彼には何一つ返せていないのだ。仮に「恩を返したい」と言えば薄く笑われて終わりだろうが、直接的でなくとも返せるものはあると彼女は思う。


「ええ。貴方の想いは確認させていただきましたわ。わたくしもこのユージェに、そしてラスタリアに生きる者として最善を尽くすことお約束いたします。後方のことはどうぞお気になさらず、存分にお働きください」


 ご協力に感謝いたします。そう言いながら握手を求めたフレッドの手に、フィーリアの手が重なる。こうして手を重ねたのは、あの日に体を重ねて以来だろうか。いま重なっているこの手はフィーリアの記憶にある手よりもやや大きく、そして男らしいものとなっていた。


「こうしてお主たちを見ておると、昔を思い出すな。ハイディンの白銀とダルトンの黄金、そしてこの場にはおらぬがベルトランの赤銅。この苦難を乗り越えた後、ユージェの宝と呼ばれた三柱が我の前に揃うことを期待しておるぞ。よき絵画の題材となりそうであるからな!」


 白銀の髪の男と黄金の髪の女は手を取り合ったまま、盟主ラゴスに「仕方のない人だな」といった視線を送るも、不快には思っていなかった。この人はこうだからこそ生き残り、そして役目を果たすこともできる。世の中には誰の目から見ても優秀な人物はいるが、そうでない人にもその人にできる役割というものは存在しているのだ。


(若い世代が育ち、もはや老兵の出る幕ではなかろうな。ワシも早晩引退ということになろうが、この戦で終戦を飾るにふさわしい相手が現れるかのぅ)


 それはハゼルの淡い願望であるが、ここに「かの御仁」がいたなら「現れる」と答えるだろう。もっとも、同時に「現れても関わるな」と忠告したはずだが。いずれにせよこの会談の3日後、L1028休眠期13日にユージェ全土へ「全軍交戦停止」の盟主特権命令が発せられる。政治に無関心と思われたラゴスから下された突如の命令にユージェ軍は震撼し、皇国軍本隊への執拗な追撃戦は中止された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る