第4話 豊穣なる台地

 L1028収穫期も終わりに差し掛かる85日、皇国軍の先陣はついにユージェ統一連合の首都・ユーライアに迫らんとしていた。ユージェ軍のかく乱はすでに開始されており、皇国軍の先陣と後陣は分断気味となり補給も滞り始めているが、首都への攻撃が開始されればかく乱部隊も防衛に戻るであろうとの予測の下、皇国軍先陣には強行してのユーライア攻撃が命じられている。


「しかし本陣の連中も気軽に「攻めろ」などと言ってくれるが、さすがに相手の首都ともなると守りは堅いな。このままでは落せる気がしない」


「ああ、おそらく無理だ。第四陣が運搬している攻城兵器か、それこそ「破城崩壁」の突撃でもなければあの坂を登って城壁を越えるのは難しかろう」


 ユーライア近郊に到達した皇国軍先陣は第一から第三までの三軍で、数にしておよそ18000となる。それに対しユージェ軍は兵員の多くを領内各所に潜ませ、皇国軍の後方かく乱と一斉反撃に備えていたため、ユーライア防衛隊は7000程度であった。しかしユーライアに至る道は一本のみで、かなり傾斜のある坂になっていて道幅も広くない。平時には崖に架けられた橋も渡されるが、戦時にはそれを跳ね上げてしまうのだ。少数でも守り切れると、それだけ首都の防衛力には自信があっての策である。


「だがなフィンク、残念なことに北部分隊の到着は遅れそうなのだ。となると攻城兵器の到着を待つしかないのだろうが……やはり届かぬよなぁ?」


「君もそう思うか、ケラー。俺が敵の指揮官でも、第四陣の攻城兵器を狙わせるだろうさ。うすらでかい木製のアレを燃やすのは容易いしな。さて、今からどう逃げるかの算段でもしておいた方がいいのかね?」


 フレッドらと共同作戦を行いアリーハ討伐を終えた皇国軍第二陣の作戦士官フィンクは、第一陣の作戦士官クラウス=ケラーとは同期である。彼らは皇国軍の先陣を務める部隊の作戦指揮を任されているだけあり、十分に優秀だった。


「行軍の途中で出会った現地民が言っていたんだ。いずれ各陣は分断され各個撃破の憂き目に遭うだろうと。確かの首都に至るまでの抵抗のもろさ、そして簡単には落ちることのないであろう首都、さらには長駆して攻める相手の負担などを考えれば……初めから敵が我らを誘い込むつもりであったことは窺い知れる。いまさら後悔しても手遅れだが、我が軍はどうも急ぎ過ぎたようだ」


 今回の教訓を生かせば、次にユージェへ攻め込むことがあるなら準備を完璧に整えることはできる。ただし、生きて帰れればの話である。フィンクらは攻めている側ながら最大の危地に飛び込んでおり、ここからどう撤退するかを考えねばならない。


「そうだな。いまやるべきは起こったことの反省ではなく今後どうするかを検討することだろう。そちらの大将は君の進言に耳を傾けてくれる余地はあるだろうが、うちの大将は無理だ。暗愚な方ではないのだが、第一陣を仰せつかったことに加え猛将との評判、さらには大将自身の矜持が引くに引かせまい……」


 そうため息混じりにケラーが呟く。第一陣の大将ジョアン=リンジーは「護国奉盾」に次ぐ二つ名持ち軍団長となるだろう……と期待されていたほどの将だが、結果だけを見れば「破城崩壁」やどこの馬の骨とも知れぬ男に「銀星疾駆」の二つ名まで与えられ後塵を拝している。彼はその事実に、本来なら感じる必要などないはずの強い劣等感を抱いており、今回の戦には並々ならぬ決意で臨んでいる。彼の元の性格からしても、ユージェの作戦を看破したところで「ならば首都を陥落せしめればよい」となってしまうのは目に見えていた。


「なまじできる方が上にいるとそういうこともあるからな。こちらはこちらで片っ端から仕事を押し付けられ辟易することもあるが、いったい我らはどちらがマシなのだろうかね?」


 言葉としては質問の形を取ってはいるが、お互いに返答する気もなければ返答が戻されるとも考えてはいない。ただお互いが肩をすくめ、それぞれの陣へ戻り果たすべき役目に向かい合おうとの決意を固めるのみであった。


「万が一の場合はわが第一陣が戦地に残り時間を稼ぐ。こちらの後方支援要員はいつでもそちらに合流できるように手筈を整えておくから、手間をかけてすまないが彼らを皇国まで連れて帰ってやってほしい。そうならないように努力はするがね……」


 撤退の進言を聞き入れないであろう主の性格を考えれば、第一陣が戦地に残るのは妥当ではある。ケラーはそれが悪手と分かっていても、作戦士官であり総指揮官ではない以上イヤでも上司の意向に沿わねばならないのだ。


「ああ。向こうもそう簡単には逃がしちゃくれないだろうが最善は尽くすよ。皇国から遥々やってきてくれた兵たちを一人でも多く返す、それが役目だろうしな」


 この会話の後、二人はそれぞれの幕舎へと戻る。それが彼らにとって最後の別れになると知らなかったが、そうなる予感はあった。それほどに皇国軍の先陣は危機的状況にあったのである。



「諸君、ついに反撃の機会が訪れた。皇国軍は先陣が突出した形でユーライアの眼前に迫ってはいるが、後続はわが方のかく乱部隊により行軍はままならない状態だ。さらにそれらの部隊も各自が孤立しており、有機的な連携は不可能となっている。総数だけ見れば相変わらず劣勢だが、勝機は我らにあるのだ。全隊に総攻撃を命じよ!」


 L1022収穫期90日、ユージェ宰相マイアー=ベルトランはユージェ各地に散った部隊に反抗作戦の開始を下知する。首都ユーライアに迫る第一陣から第三陣と、本陣付近を守る第九第十以外の皇国軍に攻撃が掛けられたのだ。


「敵の本陣に近い隊はいまだ戦意も高いだろう。そしてユーライアに迫った隊も下手に刺激を与えれば死兵となって何をしでかすか分かったものではないからね。だからこれらはとりあえず放置で構わない。狙うはその中間に位置した連中だ。そこが落ちれば敵の先陣も補給が滞り、戦うどころではなくなるだろうさ」


 軍の先陣を預かるとなればそれなりの将、そしてそれなりの精鋭が充てられるはずだろう。そのような相手と、何も正面きって戦う必要はないのだ。補給を断ち、継戦能力を奪って力を削いでしまえばいい。その状況になっても降伏もしないなら、初めて戦うという選択肢が出てくる。マイアーはそういう考え方をする男だった。


(さて、ついにこちらから動く時が来た。いまだ発見報告が入らないところから察するに、君は大軍を率いているわけではないのだろうね。大勢力同士が戦うこの場に、わずかな手勢でどう介入するつもりかお手並み拝見といこうか)


 マイアーはここまで完璧にプラン通り進んだ反抗作戦の成功を確信してはいたが、唯一の不安要素があるとすれば彼のかつての教え子の存在だった。その教え子は確実にこのプランを察しており、それを基に皇国軍が戦術を練っているとしたらユージェ軍が出てきたところに逆撃を加えるかもしれない。それも首都防衛隊を動かすに動かせなかった理由の一端だが、反抗作戦の開始から7日たった97日になっても皇国軍の敗走という報告しか入らない状況を鑑み、ついに皇国軍先陣への攻撃を指示する。


「敵は満足な補給も行えず、かといって逃げるに逃げられずその意気は消沈していることだろう。投降勧告を行ったがそれには応じられぬという返答であった以上、もはや戦うより他に道はない。このユーライア防衛完了を以って、反抗作戦総攻撃の合図とする。全軍、総攻撃に入れ!!」


 ユーライアの麓に布陣する皇国軍は早々に撤退の準備を終わらせていたが、ジョアン=リンジーの意地でも引かぬという頑強な抵抗に遭い撤退作戦を開始できていなかった。そうこうしているうちにユージェ軍の包囲網は完成し、引く機会を失い対応を検討していたところにこの攻撃である。もはや満場一致しての意見集約は不可能となっていた。


「我々は皇帝陛下の勅命の下、ユージェを討つために遠征して参った。しかし閲兵式において陛下は「皆が生きて戻れることを何よりも願う」と申されました。私はその負託に答えるべく、兵たちを一人でも多く国に帰してやりたいと考えておる。この期に及んでリンジー卿がどうしても戦いたいと申されるなら、もうお好きになさるがよかろう。こちらはこちらで、最善と思われる手を打たせていただく!」


 昼行燈だの無気力指揮官だのと陰口を叩かれるクローネ伯も、さすがに頑なすぎるリンジーの態度には思うところもあったようで、彼らしからぬ怒気をはらんだ声を上げると自陣へと引き返していった。第三軍の指揮官デーサ=リンデン伯は両者の決別を見届けた後、やはり独自に動かせてもらうと告げ幕舎を後にする。残されたリンジー伯は一言「腰抜けどもめ!」と悪態をつくが、呼び出され総大将同士が決別した事のいきさつを聞かされたケラーは己の命運もこれで尽きたことを確信する。


(俺はこれまでのようだな。それに隊の勇士たちも多くを道連れにしなきゃいかんのだろう。フィンク、後は頼んだ。できるだけ時間は稼いでやるからな……)


 万が一の可能性ではあるが、リンジー伯が最初から撤退に同意してくれたなら逃げ切る目もあった。しかしそれも潰え、彼から出された指示は「全軍戦闘準備」というものである。ケラーの下には多くの小隊長中隊長が押しかけ状況の説明を求めたが、ケラーは事実を述べることはしなかった。指揮官の意地と名誉のために死んでくれとは言えなかったのだ。


「我が隊の後方支援要員も託し、第二第三陣はこれより撤退を開始する。我らも機を見て逃げるつもりではあるが、全隊が一斉に逃げを打っては敵の追撃も苛烈なものとなろう。非戦闘員を多く抱える第二第三陣がこの地より離れるまで、ここは我らで敵を抑えるのだ!……損な役回りを押し付けてすまないが、どうか堪えてほしい」


 おそらく自分たちがこの地から離脱できる可能性はなく、他の隊を逃がすための生贄になってくれという意味なのは各隊員もよく分かっている。しかし彼らもケラーが撤退を強く主張していたことは知っており、それが聞き入れられないことを悟ると非戦闘員たる後方支援要員やまだ若い隊員、一人息子という立場の隊員を第二陣に回すなどの手筈を整えていたことも知っていた。


「……作戦士官殿がそう申されるなら、やってやりましょうとも!」

「ここまで来て派手な戦もないんじゃ、故郷に帰って自慢もできませんし」

「皇国軍の強さ、連中にとくと見せつけてやりますか!」


 第一軍の戦闘員はその大半が自身の命運が尽きたことを知った。しかしだからといって死が訪れるのをただ待つほど殊勝でもなければ暇人でもない。自分たちが少しでも長く戦い続けることが撤退する同胞の生存率を上げるのだ、その想いを胸に第一陣の各員はマイアーから見ても異様という奮戦を見せたのである。


(やはり敵の先陣ともなると精鋭だったか。ハイディンもそうだったが、彼らのような類の者は命潰えると悟った瞬間から眩い輝きを放つようになる。普段からそうしてくれたら計算にも入れられるのに……と思うのは上に立つ者の傲慢なのだろうけど。いずれにせよこれは予定よりも長引いてしまいそうだね)


 武人でない彼は戦場で直接武器を手に相手と渡り合ったことはない。もちろん一通りの訓練を受けたことはあるが、指揮官が武器を抜かなければならない状況など負け戦くらいのものだろうというのが彼の考えで、それは至極まっとうだった。指揮官という立場ながら最前線に出てくるほうがどうかしているのだが、完全に包囲されている皇国軍第一陣ではそうもいっていられない。総指揮官ジョアン=リンジーも自ら武器を手にユージェ軍と対峙していた。


「我こそは皇帝陛下より先陣を仰せつかりし、名をジョアン=リンジーと申す。ユージェにも名のある武人がおると聞き及んでおる!さあさあ我と勝負致せ!!」


 リンジーは迫りくる雑兵を大剣で薙ぎ払いつつ、兜の前面を跳ね上げそう声高に叫ぶ。頑固すぎて視野も狭いという問題はあったにせよ彼が一廉の武人であることに間違いはなく、ユージェ軍はただ死体を積み重ねるのみであった。


「首都に迫れば、統一の英雄とやらが出てくると思っておったが見込み違いだったようだな。今のユージェに武人はおらぬようだ!」


 長年続いた内乱を収め、大陸南西部を統一連合へと変えた男がいる。その噂はもちろん皇国にも伝わっており、かの者を討てば今回の戦の戦功第一は間違いない。そしてそれほどの男ならば首都の防衛についているのだろう……というのがリンジーの見立てであり、彼が首都での戦にこだわった理由でもある。もっとも、その男とはすでに会っていることは知らなかったが。


「統一の英雄とやらを討ち果たしたら、あの竜人の進言通り北へ逃げてもよかったのだがな。出会えなかったことも含め、これが俺の限界か。天はなぜ、俺に運をつかむ機会すら与えてくれなかった!」


 なかなか撤退しようとしない皇国軍の先陣に業を煮やしたフレッドは、皇国軍の陣に乗り込み撤退案を示したことがあった。それは「来た道を引き返すのではなく首都から北上し北の分隊へ合流する」というもので、途中の地図まで用意した周到なものである。フィンクやケラーは「現地人の協力者」に感謝してもし切れぬ思いだったが、リンジーだけは「余計なことを」という態度だったのだ。その時の竜人が彼の言う統一の英雄だと知っていたなら、彼は運をつかむ機会を得たかどうかは……定かではない。一つ確かなことは、戦鬼将コルトの件を戒めにしたユージェ軍においては個人的武勇を極めて低く評価するようになり、個人の力で戦局を動かすようなことはないと考えられるようになったことである。そのため、すでに「一騎打ちを行う」という思想からも脱却していた。


「オ、オデが……相手だゾ。ファロール・エストラのガーフなんだな」


 巨体と怪力を誇る亜人種、ファロール・エストラの男がリンジーの前に進み出る。リンジ-が身に着けるフルプレートの板金鎧はユージェ一般兵の持つ湾曲刀では文字通り歯が立たず、鎧のつなぎ目を狙っても下に着た鎖帷子に防がれる。鎧をものともしない強大な貫通力を持つ武器か、鎧ごと叩き潰す重打撃武器が必要だったことが力自慢の彼を引き出すことになったのだ。


「フン……言葉も拙いような亜人種ごときと一騎打ちとは、俺も落ちるところまで落ちたものだな。だが死を恐れずに出てきたその意気に免じ相手くらいはしてやろう。いくぞ!!」


 粗末な衣装に伸び放題の髪……見るからに高貴な立場とは縁遠い雑兵階級の相手ではあるが、挑まれた戦いを避けるのも誇りが傷つく。仕方なく非礼な挑戦を受けたリンジーの最大の誤算は、これが「一騎打ちの挑戦」であると思っていたことである。戦闘開始から圧倒的優位に戦いを進めるリンジーは、巨槌で防御一辺倒だったガーフに対し手を緩めることはしなかったが、その動きには不自然さを感じてもいた。これだけの攻撃を受け切れるならば、いずこかで反撃することもできたはず。しかしそれをせず防御に専念しているというのは、裏があるように感じたのだ。リンジーは渾身の一撃を加え相手を弾き飛ばすと、息を整えつつ兜の前面を跳ね上げガーフに戦う気の有無を尋ねる。


「貴様、挑戦者として名乗り出ておきながら防御一辺倒とはどういう了見か!やる気がないのであれば今からでも遅くはない、早々に立ち去るがよいわ!!」


 その瞬間、ガーフの髪が風にたなびいた……ように見えたのはリンジーだけでなく周囲の皇国兵も同様だったが、実はそうではなかった。ガーフの首元にしがみ付き乱れた長髪で隠されていた小人が吹き矢をリンジーに向けて放ったのである。打ち合いの最中も何度か狙われていたが、小さな吹き矢で板金鎧を貫通することは不可能である。兜の前面を跳ね上げる機会をただひたすら待っていたのだ。


「これは、麻痺毒か。恥知らずにして卑劣なユージェの民よ、いずれ神の裁きが貴様らに下るであろう。滅びの時を今から楽しみしておくのだな、滅びよ、滅びよ!」


 頬に刺さった吹き矢を抜いたものの、体が麻痺し片膝をついたリンジーにガーフの大槌が振り下ろされたのはその直後だった。こうして強い怨念を残す遺骸がまた一つ生まれ、そしてそれを弔う暇もなく戦いは続いて行く。


「作戦士官殿、リンジー様が討ち取られたとの由にございます!」


 リンジーとは別方向の敵部隊に当たっていたケラーはリンジーの最後を看取ることはできなかったが、もっとうまく補佐できれば生き残らせて本懐を遂げさせることも叶ったろうにと思えば残念さはこみ上げる。しかし後悔したところでもう手遅れなのだ。


「できれば我らの手で丁重に弔いたいが、現状況ではそれも叶わぬであろう。全部隊を集結させ、最後の突撃を敢行する。目標は北に展開する部隊、一人でも多く道連れにし追撃の妨害をするのだ!」


 完全に包囲され、数も4000から1000にまで減らした皇国軍第一陣だが、ユージェ軍の損害は倍近い5000を優に超えていた。その理由は皇国軍重装歩兵の個々の戦闘能力がユージェ軍とは比較にならないからである。


「敵部隊の接近を確認!槍構え!よし、突けぇ!!」


 全身を覆う板金鎧を着て戦うだけでも一苦労だというのに、皇国軍重装歩兵は大型の盾と長槍をそれぞれ片手で扱う筋力も求められる。敵の射撃があれば盾を前に出し、敵が近づいて来れば槍で突くという単純な動きを基本にしているのも体への負担を考えてのことだが、それでも並の兵士よりはよほど厳しい訓練を課される。それに耐え重装歩兵隊として配備されたことへの自信と矜持が戦闘力の礎だった。


「敵部隊、遁走!首都北部の敵陣を奪いました!……が、我らの死に場所はここになりますでしょうか。やや華やかさには欠けまするが」


「まあそうなるだろう。しかし皆、よくやってくれた。今日のところは一先ず幕引きだろうが、敵はこちらよりもはるかに多いから休ませてはくれないかもな。もっとも戦って死ぬか戦い疲れて寝ている最中に死ぬかなら、それほどの違いはないか!」


 ケラーの言葉に「違いねえや!」と賛同の声を上げつつ、生き延びた皇国軍兵士たちは各所で座り込んだ。もう鎧を外す気力もないほどに疲れ果て、そのまま寝てしまう者も続出している。早朝から始まった激戦は夕暮れを迎えてようやく終焉を迎えたものの、それまではロクに休息を取ることも叶わなかったのだから無理もない。


「運び込めた食料物資も多くはないが、全員に行き渡るくらいはあるな。どうせ明日をも知れぬ命だ、もう節約する必要もない。遠慮せず派手にやってくれ!」


 皇国軍の狙いが補給に負担をかけるものだと悟って以降、先陣では物資の消費を抑えるべくかなりの倹約が行われた。その甲斐あって完全に補給が途絶えた反抗作戦開始以降も軍を維持することができたのは、フィンクとケラーの功績である。しかしその功労者も一人は死が確定しており、もう一人も助かるかは分からないのだ。


(今頃どうしている?こちらは約束通り時間を稼げたが、そちらはうまく逃げきれているだろうか。可能な限り多く救いたいという気持ちは分かるが、まずは自身を第一に考えてくれよ。君は皇国の、未来に……)


 そこでケラーの意識は途絶え、彼もまた酒瓶を片手に座ったまま眠りにつく。周囲では皇国の国歌「皇帝の威光は地の果てまでも」が歌われ、残りわずかとなってもいまだに戦意が衰える気配はない。この状況を聞いたマイアーは絶え間ない攻撃を掛け心身に負担をかける作戦を中止させ、明朝に軍を再編成して全力でこの敵と当たることを決意する。しかしその命令に背いた者たちがいた。彼らは戦場から離脱した第二第三陣を追ったのである。死兵となった上にもともと強かったのだろうことが見て取れる第一陣と戦うより、非戦闘員も多い逃げた部隊を狙うほうが効率的と考えた。それは抜け目ないアイデアだったかもしれないが、追撃者にとっては最悪の結末を呼び込むことにもつながってしまうのだった。



「道をォォッ!譲る気はァァッ!皆無なりィッ!どうしてもと申すならァッ!力づくでどかしてみィるのォだァなァッ!!」


 細い谷の間道入り口で大渋滞を起こしていたのは、北部より逃れてきたという避難民たちだった。皇国軍の撤退はこことは別の間道から行われているが、この間道はそれの先回りを可能にする近道であるため追撃隊はこちらを選んだのだ。しかし道は一刻も早く避難したい疎開民であふれ、さらにフレッドらが炊き出しを振舞うという通行妨害策で間道は軍隊規模の通行は不可能なまでの大渋滞を引き起こしたのだ。


「まあこの人混みです、どきたくてもどけないことは見てお判りでしょう。さらに言えばこの混乱はユージェ軍が北部を守れなかったことが原因で起きているのであり、被害者である彼らを加害者や障害物のように扱うのはいかがなものか……と竜賢人殿は申しておりますな」


 アル=ファールの通訳を介しそう伝えられると追撃隊の指揮官は大層な怒りを覚えたが、その言い分自体は非の打ちどころもない正論ではある。軍が負けたから敵に降るを良しとしなかった愛国心の強い民がこうして逃れてきているのに、それを邪魔者扱いするとは何事か。そう面と向かって言われれば反論のしようもない。


「そちらの言い分はもっともだが、今は非常時ゆえどうしても急がねばならん。このままでは敵がその北部の敵友軍と合流してしまい、もう手出しができなくなってしまうだろう。そうなる前に何としても追いつかねばならぬのだ、どうにか道を譲るよう説得してもらいたいのだが……」


 そう言われても無理なものは無理、と返され追撃隊はしぶしぶ皇国軍が使った間道のほうへ進路を変更する。実際、炊き出しを行っている(だけと思っていた)フレッドの隊に頼んだところで間道を明け渡してもらうことは不可能であり、ここで通行可能になるのを待つよりは敵の後を追う方がマシと考えたのだ。


『ふう、ようやく諦めましたか。あまり考えたくありませんが、避難民だけだったら実力行使で排除していたかもしれないですからね。後はブルートさんらが間に合うかどうか、ですか……』


 そしてフレッドにはまだすべきことがある。友軍撤退のためユーライアに残った男たちの死に様を見届けることと、そしてこの人同士の戦いを終わらせるため最後の秘策を打つことである。


『では手筈通り、我らはユーライアへ向かいます。アル隊長らはこの間道を通してもらい、追撃部隊への先回りを。念願叶えばこれでしばらく人同士の戦いは終わりましょう。そしてその後こそが本番です』



 第二第三陣は第一陣の時間稼ぎにより、およそ3日ばかり追撃隊より猶予を与えられていた。しかし騎兵や悪路の走破に長けた亜人種で構成された追撃隊の脚は速く、近道を封じられ迂回路に戻るという手間をかけてもユーライア出立後から5日後にはついに撤退する皇国軍の姿を捉えたのだった。


「ユーライアに残った奴らほどではないかもしれんが、やはり重装備の奴らはよく鍛えられているのだろう。そういうのは無視し、弱そうなやつだけを狙え。重要なのは質ではなく量だ、数だ!いいか、ここでしっかりと戦果を挙げなければ俺たちはただの命令違反者になるんだ。そうなりたくないなら弱そうなやつを狙って首を稼げ!」


 ユージェ軍は迎撃に出てきた重装歩兵との対決は避け、非武装の荷運びや後方支援要員に狙いを絞った。北部に至る道は整備こそ行き届いているが数千名が一塊になって移動できる道幅があるはずもなく、隊列はどうしても縦長になってしまう。戦闘要員と非戦闘員が交互に並んでいるような状況の中、非戦闘員の多いエリアだけを狙って攻撃を掛けたのだ。


「くそっ!敵は身軽で、防衛隊が駆け付けた頃にはもう離脱しているか。しかしこの地形ではすべての非戦闘員を守り切るのは不可能だ。仕方ない、我らはここで陣を敷き敵軍と対峙する。せめて第三陣だけでも先に逃がすのだ!それでよろしいですねクローネ伯!?」


 フィンクのそれはすでに許可をもらう態度ではなかったが、クローネ伯も否とは言えなかった。皇国軍第三陣は神官戦士団が主軸の、治療および戦死者の弔いが主目的の軍団である。神官たちが健在であれば即死以外は助かる道もあり、最優先護衛対象であることは誰の目にも明らかであるからだ。そんな彼らも戦争である以上いつ戦いに巻き込まれてもいいように戦闘訓練を受けてはいるが、第一陣第二陣のような精鋭重装歩兵団と比較すれば大きく見劣りする戦闘力であり、それら精鋭を回復させるかもしれないとなれば優先的に狙われもするのだ。


「……第二陣も踏みとどまってくれるのか。各員に通達、祈るのは北部分隊に合流してからだとな!我らが一刻も早く離脱することが彼らのためになるのだ、無事を祈っている暇があったらさっさと走れとも伝えろ!!」


 第三陣指揮官デーサ=リンデン伯はクノーツ教団の司祭資格も持っているため、神官戦士団たる第三陣の指揮官に抜擢された。しかしこの司祭という肩書は若い頃に嫌々取らされた資格であり、しかも教団の高位者どもがこぞって参陣を拒否したから回ってきたこの役目には有難みも神の導きも感じてはいなかった。それでも我が身を犠牲に聖職者を逃がそうとする他の軍団員には本当に頭が下がる思いだったが、彼の言うように一刻も早く安全圏に至ることが現段階では最大の貢献なのだ。


「手前の重装兵はやる気のようだが、あれは無視して奥のローブどもを狙う。わざわざ強い奴を相手にする必要は……ン?別の騎兵隊も来たのか。予定にないが?」


 第二陣の防衛を抜き去り、第三陣に迫ろうとしていた追撃隊の一部が近づいてくる騎兵隊に気が付いたものの、それが敵である可能性はまったく考えていなかった。皇国軍の騎兵は城壁も粉々にするガーレ種の巨竜によるものという奇妙な噂こそあるが、二足歩行のレック種にはまともに乗れないという話も広まっていたからである。


「眼前の敵の挑戦を避け、より戦いに不向きな相手を狙おうとは。ご当主が申されるように、ユージェは確かに変わった。我々とは相容れぬ方向に……だがなっ!」


 戦では個人的な感情よりも結果を優先すべきである。それはアル=ファールもよく分かっていることだが、それ以前の行動原理に関わる部分では譲れない想いというのも存在する。人によっては不殺の誓いを立てている者もいるだろうし、困窮する者を見捨てないという誓いを立てた者もいるのだろう。そして彼ら元ハイディンの武人たちにとって戦場は日頃の研鑽を示す場であり、敵は強ければ強いほど滾るものなのである。挙げた首の数を水増しするため、戦いに不向きな者を優先的に狙おうというのは彼らの生き様を否定するに等しいのだ。もっとも、その致命的ともいえる考え方の違いが彼ら自身をユージェから追い出してしまったのだが。


「諸君らのごとき雑兵相手にご当主や先代の手を煩わせるのはいかがなものかと考えておったが、別行動となりこれ幸いである。この場は我らのみで、真の武人の在り様を示すと致そう……各自、分隊長の指示に従い攻撃をかけよ!」


 独立兵団「華心剛胆」はレック種の騎兵で構成されており、その主力は槍を持つ一般的な騎兵の「長槍隊」と騎射を巧みに行える者を集めた「射撃隊」に、両者の盾となって先陣に立ち突撃を掛ける「突撃隊」の3隊により構成される。このうち長槍隊と射撃隊はユージェでも一般的な兵種ではあるが、重装備に加え盾も装備した騎兵というのはユージェには存在しない。敵の術が無効化されているうちに接敵して近接戦で仕留めることができた時代と違い、今は術を始めとした遠距離攻撃の猛攻を受ける可能性も高まっている。旧来のような軽騎兵だけでは犠牲も増えるだろうとの予測の下、皇国軍の重装歩兵偏重の姿勢を参考に新設されたのだ。


「よぅし!今度の相手はあの獣どもではないから後腐れもなく思う存分行けるぞ、お前らぁっ!今回こそ勲功第一は我ら突撃隊がいただく、かかれぇっ!!」


 前回に行われたザイールでの大規模作戦では夜襲のため、大きい音が出る装備は厳禁とせっかく慣れた重装備を外され、他の隊と同じような装備で戦いに臨んだベタル=システ率いる突撃隊も今回は重装備である。これまでも小競合いレベルでは出番もあったが、かつての故国が相手となれば敵に不足もない。突撃隊の士気は非常に高かった。


「ぬお、皇国の騎兵は重装兵も竜に乗るのか!?」

「あいつらレック種に乗って戦えないんじゃなかったのかよ!」

「貴様、その顔には見覚えがあるぞ!確かハイディンの……」


 そう言いかけた兵は突撃隊の通りすがりに鉄刀で撫で斬りにされた。騎兵としては重装備の彼らには騎乗中に長槍を自由に振るうこともできないが、刀を出して突進の勢いを利用し交錯ざまに敵を切り伏せる技の鍛錬はこなしている。操る竜にも重装備を施した彼らは、まさに疾走する鉄塊であったのだ。


「突撃隊に遅れるな!接敵後は各自判断で竜を降り、敵部隊の討滅を計れ!」


 長槍隊と射撃隊は身軽な防具しか装備しておらず、竜の乗り降りも突撃隊よりはるかにスムーズなものとなる。そしてごく一部の使い手を除けば、竜に乗っているより下りているほうが実力を発揮できるのだ。そのため、ユージェ地方の騎兵は接敵後に竜を降り肉弾戦は地上で行う……ということが多かった。


「ええい、怯むな!よく見れば敵の数は少ない。重装騎兵は後回しにし、手薄な奴から狙って数を減らせ!」


 しかし「強敵は避け弱者を狙う」集団と「敵は強ければ強いほど燃え上がる」集団とで勝負をした場合、どうなるかの予測は非常に簡単である。少なく見積もっても3倍はあるだろうユージェ追撃隊は数の優位を生かしても戦線を押し切れず、戦いは膠着状態に陥りつつあった。そんな中、ユージェ斥候隊のファロール・エイジスの若者が追撃隊に帰還し偵察結果の報告する。


「……ローブどもは戦線を離脱、そして敵の援軍か。各隊に伝えろ、どうにか戦いを切り上げ撤退の準備に掛かれとな。くそっ!無念だ!」


 結局のところ、ユージェ追撃軍は逃げるに逃げきれずブルートらの北部分隊が来援したことで壊滅の憂き目を見る。ユージェ首都ユーライアに迫った皇国軍先陣3軍団のうち、第一陣の戦闘部隊以外は無事に故郷へと帰る資格を得たのである。しかしその資格を得ることができなかった者たちは、その生涯を異国の地で終えたのだった。



『せめて最後の瞬間は見届けたいと思いましたが、間に合いませんでしたか。しかしこの在り様を見れば、どのように散っていったかは想像がつきます。まったく世の中にはまだ知らぬ勇士というのは多いようで』


 フレッドとハゼルはユーライアの麓、皇国軍第一陣とユージェ軍の最後の戦いが行われた陣を訪れていた。すでに遺体の処理も行われ、ユージェ軍は東部に敗走した皇国軍を追い行軍を開始している。そしてそれには総指揮官たるマイアー=ベルトランも同行していた。フレッドは当初、ユージェ軍の反抗作戦開始と同時に動き出すであろうマイアーを狙うことが唯一の勝機だろうとも考えたが、仮にここでマイアーを討ち取ってもおそらく追撃の手は緩まないだろうと思い直したのだ。そして代わりに思いついたのが、かつて暮らした地にほど近いこの場にいる理由の一つでもある。


「まったくのぅ。友軍のために敢えて死地へ残り、そして奮戦の後に天へと還っていったのだな。彼らが天へと至る際に、家族の下へ一時でも立ち寄ることができたのなら良いのだが」


 ハゼルはもちろん獣王バルザの装いはしているが、さすがに口調は普段通りで「はっちゃけて」はいない。彼は時と場を弁えることは当然と考える人間だったが、そんな彼でもフレッドからマイアー暗殺の代案を聞かされた際は周囲を憚らず大声を上げてしまったものである。


「なんじゃと!フレッドお前いまユーライアに乗り込むと申したのか!?いくら何でもそりゃ危険すぎるわぃ!」


 フレッドはマイアーも追撃の指揮で出払った今こそ、ユーライアに乗り込み連合盟主の地位にあるかつてのユージェ王ラゴスに停戦命令を出してもらおうと考えた。マイアーがいれば説得も難しくなったろうが、彼がいないなら説得のしようはある。なぜならユージェにはフレッド一家に大きな借りがあり、そしてハゼルは長年ラゴスと親しくしてきた家族さながらの関係でもある。それらを材料に「いま逃げる皇国を追いかけている場合ではない」ことを説明すれば受け入れてもらえる可能性は十分に高かったのだ。もちろん、盟主の館にたどり着く前に捕縛されるという可能性もあったのだが、その可能性を下げてくれたのが全滅した皇国軍第一陣の奮戦だった。


『彼らの掃討に予想以上の時間と兵員を費やしたマイアー先生は早々に出立されました。しかも長期の焦土作戦で深刻な打撃を受けたユージェの経済的安定を進める必要から「ユーライアの物資をユージェ各所に配給するように」との指示だけ残して。いま、ユーライアには各地方や部族諸氏から多くの者が物資の受け取りにやってきており、我ら両名が潜入することくらい訳ないでしょう』


 人も亜人も入り乱れる今のユーライアなら、多少ゴツい大男が歩いていても荷運びに向いた男という程度の認識しか持たれない。ましてや激しかった最後の戦いが終わり安全宣言が出された首都である、今さらスパイの警戒などをする必要もないのだ。


「まさかこのような形で帰ってくることになろうとはのぅ。今周期も麗しき豊饒の台地、ユージェ本土だけは安泰というわけじゃ。しかしそれも「天敵」の氾濫が起こればどのようになるかは予測もつかぬ。我らの使命は重大じゃな……」


 台地に築かれた旧ユージェ王国は、その入り口に難攻不落のユーライアが置かれ奥の本土は建国以来いまだに不可侵であり、そしてその記録は今回も引き継がれた。捨て去った故国とはいえその記録は未来永劫続いてほしいものだが、この地方すべての知的生命が滅ぶようなことになれば意味もない。


『そうですね、確かにここが大一番でしょう。マイアー先生がいないといっても、まだ賢人偉人の方々はいくらでもいるでしょうから。彼らとは顔を合わせずラゴス様のみを説得して動いていただくことが肝要となりますが……さて』


 そこで会話は打ち切られ、二人はユーライアに至る長い階段を登り始めた。以前ここを利用してユーライアを出たのは6周期も前のことだが、その時のことは今でもよく覚えている。なにせ「もう二度とは戻らぬ」という決意の出立だったのだから。しかしこうして戻ったのは運命の為せる業か、それとも超越者の導きによるものなのか。いずれにせよ皇国とユージェという枠を超えた、知的生命の行く末を左右する会談が始まらんとしていたことは事実である。

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