第3話 食人族の園

「すると、あの者どもはユージェ人ですら手を焼く存在ということなのだな。確かにこれまでに出会ったユージェの者とは明らかに異質であると感じたが、そうか……」


 皇国軍南部攻撃隊・第二陣総司令官と舌を噛みそうな肩書を与えられているこの男の名は、ユルゲン=クローネ。皇国伯爵の地位にあるが、彼は「先祖が頑張って築いた高貴な家柄」の功績が7割はあるだろうと陰口を叩かれる程度に凡庸な人物だった。しかし残り3割は「誠実な人柄」という要素で構成されていたため、首都に残る保守派のように腹黒な面を持ち合わせていないのが救いではある男だ。


「はっ!訴え出た現地民の話によれば……かの者らはアリーハ氏族と呼ばれ、統一連合にも与せぬ独立独歩の氏族だとか。そしてその理由が、他の生物すべてを食料としか考えぬからだそうです。ゆえにかの者らに攻撃を加えたとしても、ユージェ軍の増援が出現する可能性はまずないと思われます。いかがなさいましょう?」


 ユルゲンはじめ、10ある南部攻撃軍の総司令官は大半が皇国貴族という肩書だけが一人前の人物であり、彼らだけではとても部隊をまとめきれないため副官には実務担当能力に長けたものが任命されている。この第二陣に配置されたのは皇国軍士官学校を優秀な成績で卒業したアロイス=フィンク作戦士官であり、彼も謎の襲撃者による被害報告にほとほと頭を悩ませていたところであった。そのため、敵が独立した存在でユージェ軍とも繋がりがないのであれば、後顧の憂いを断つためにも討滅すべしという意見になるのは当然である。フレッドはその心理を利用した。


「それに当方の被害も看過し得ぬものとなっておりまして、放置すればいつ襲われるかという恐怖心で兵たちもユージェ征伐に専念できないでしょう。ここはまずかの者らを討ち果たすべきと存じますが……」


 そこまで言われれば、クローネ伯としても拒否すべき理由はない。吐き気を催す食人鬼どもを討ち果たし、ユージェ征伐の戦果に花を添えてくれんと攻撃作戦の立案を命じる。


「よろしい。友軍には「我々はゴミ掃除をしていくため遅れていく」と伝えよ。他の司令官たちもそれで大方の察しはつくであろうからな。それと、訴え出たとかいう現地民も道案内を兼ねて参陣させるように命じるのだ。場合によっては連中に対する撒き餌になるかも知れぬ。……非道と思うか?だが、ここは彼らにも危険を冒してもらわねば割に合わぬというものであろうて」


 この地に住まうユージェの民のためでもある食人鬼討伐なのだ、皇国兵だけが危険な目に逢うというのは道理が通らぬというもの。クローネ伯の考えは筋道論としては間違っていなかったが、彼らが守るべき皇国の民が評価対象ではないためか多少の犠牲はやむを得ぬというスタンスであった。


「はっ!実はその事なのですが、現地民の有志一同とやらの集団が協力を申し出ております。数は20ほどと規模は大したことありませんが、不用意に陣へ入れユージェ軍の手引きでもされては叶いませぬゆえ陣外で待たせてあります。彼らに参加を許可してもよろしいでしょうか?」


 フィンク作戦士官の問いかけに「許可しよう」と答えると、クローネ伯は本陣への報告書作成に取り掛かる。決して才気煥発という人物ではないが、仕事には真面目に取り組むし部下の意見にも耳を傾ける。補佐役がしっかりしてさえいれば大きな問題が起きない司令官であり、そして補佐役はまともだった。後に皇国軍は全面撤退の憂き目に遭うこととなるが、この第二陣は2つの理由で被害を抑えることができた。そのうちの一つがこのユージェの民のためのアリーハ討伐であり、そしてもう一つが討伐でフレッドらと知り合ったことである。



『この度は参陣を許可いただき感謝に堪えません。あのアリーハ氏族は命あるものにとって共通の敵、今後どうなるかはともかく今だけは協力させていただきましょう』


 アリーハ氏族に対しては正体を隠す必要こそないが、皇国軍相手では素顔を晒すわけにはいかない。フレッドは竜賢人クゥーリのマスクを装着しフィンクの前に進み出て討伐協力の謝辞を述べる。フィンクの側も現地民の支持があれば後ろ指をさされる心配もないため、現地民に協力させること自体には賛成だったが、クローネ伯のように現地民をエサに使おうとは考えていなかった。


「協力といっても、諸君らは主に道案内をしてくれればよい。戦うのは軍人の役目で、この戦いは我ら皇国軍が決断して起こることであるからな。だが我らはあくまで協力関係であって主従関係ではない。地理に明るくない我らの先導さえしてくれれば、あとは諸君らの判断で動かれるがよかろう」


 皇国首都シルヴァレートで出会った貴族たちには高圧的な者が多く、首都の一般皇国人にも選民思想がにじみ出ているような輩も多かったのだが、少なくともフィンクにはそういった要素は見受けられない。フレッドらを民間人の有志協力者たちと誤解しているのもあるが、民間人をなるべく戦わせないようにしたいという姿勢には好感も持てた。フィンクに対する第一印象は良いと言えるものだったことが、後に第二陣を壊滅の危機から救うこととなる。


『アリーハ氏族は複数の親族が集まって1つの共同体を作り、それぞれが縄張りの範囲内で暮らしております。特定の拠点……例えば城のようなものを建て城下町を築いたりはしておらんのです。まれに婚礼期の若い個体が別の群れとの出会いを求めてさすらうことはあるようですが、基本的に移動は少ないため共同体が住処にしそうな洞窟や山地などをしらみつぶしに探していく必要があるでしょうな』


 それではまさに獣だな……それがフィンクの感想で、フレッドもまったく同意見だった。下手に言葉が通じ、人より巨体で口も大きく広がることを除けば姿形は人のようにも見える二足歩行動物ゆえつい人扱いをしてしまう者もいるが、あれは人とは異なる生き物なのだということを理解していないからそのような意見が出る。人を人たらしめているのは見た目でもなければ知性の有無でもなく、人としての心や倫理観を持つか否かにあるとフレッドはじめ大半の人々はそう考えており、人以外の獣人や亜人が多く生きるラスタリアの地に於いてそれは「捨てれば獣になる。人でありたければ捨ててはならないもの」として扱われるものが「人としての心」なのだ。


「そうか。では主だった目撃地点や生活圏についての情報を提供していただこう。それらを順に調査していき、発見し次第やらせてもらうとする。仮に生息域が多岐に渡るようなら諸君らにも調査に加わってもらおうと考えているが、問題はないか。数が不安と申すなら護衛の兵をつけてもよいが?」


 その申し出を丁重に断ると、フレッドはアリーハが氏族としての縄張りを宣言して久しいスプラーク地方についての話を始めた。元来この地は豊かな自然あふれる生き物の楽園だったが、流れ着いたアリーハの祖先がこの地で繁殖して以降は徐々に動物の姿を見かけなくなり、それらに食されるはずの植物や虫の類だけが溢れるいびつな生態系となってしまっている。そして迷い込んだ商人や地形調査のために派遣された一団、人里にいられなくなった者らがこの地に足を踏み入れては消息を絶つ……ということをもう数百周期も続けているのだ。


(ここらでこの問題にも片を付けるとしようか。皇国軍の一軍団とはいえ進攻を遅らせることができ、ユージェの民にも害はなく益のある話だしね。もっとも、彼らの側から見ればとんでもない傲慢さだとなるのだろうが、生憎こちら側に生まれてしまった身なのでな。相容れぬというのなら戦うよりない)


 人同士であれば戦争前に話し合うことも可能だが、今回の皇国とユージェのようにどちらかが一方的に開戦を宣言して話し合いの場が持たれないこともある。それが人語を理解しても会話をする気がない相手となれば、話し合おうと考えること自体がムダな努力だろう。一部の穏健派を自称する人たちは話せば分かるといい、フレッドもどちらかと言えばその系統寄りだが、戦うと決めた後に迷うことはない。その信念によって、かつては兄の魂とも対峙したのだから。


『では私どもはスプラーク山の周囲から探索を始めます。あの険しい山は重装備のあなた方にはやや厳しいかもしれませんが、急がず平坦な道を選べば頂上付近にはたどり着けるはずです。そこでまたお会いしましょう』


 一方で、敵である皇国の人々とはこうして協力することも可能なのだ。もちろん中には相容れない存在もあるだろうが、分かり合える存在もいることは確かである。その事実があるだけでフレッドは和平の道を追求しようと思えるが、それが不可能と断じた相手には非常にも冷酷にもなることができたのである。



「ご当主、この洞窟の一族は討滅いたしました。中には生後間もない幼体もおりましたが、ご指示通りすべてを討ち果たしております。もちろん、遺骸は丁重に葬り蘇ることのないように処置いたしました……」


 故郷に戻り親族に避難を促した後、いち早く「華心剛胆」に戻ったアル=ファールはハイディン一族に忠実だったが、今回の「皇国軍と協力し、人に仇なすアリーハの遍くすべてを討ち滅ぼせ」という命には思うところもあった。彼が「生後間もない幼体も含め」と報告しなくてもよいことまで付け加えたあたりにそれが現れている。


『アル殿は至極まともな判断力を備えておられる。獣であっても幼体というのは可愛げのあるものだし、それを手に掛けたことに抵抗を感じるのは当然であろうさ。ところで、冷徹にして容赦のない私は「人喰い羅刹」と呼ばれた男の後継として相応しいと思うかい?』


 アル=ファールはそうフレッドに返され、初めて自分がこの作戦に反感めいたものを感じていたことに気付く。慌てて逆らう意思など持ち合わせていないことを説明するが、フレッドはまったく意に介していなかった。


『構いませんとも。分かってはいるんです、私の決断は見ようによっては非道の極みということはね。目的のために他人を利用し殺し合いをさせ、目障りという理由だけで一つの種族を滅ぼさんとしている。これでは神とやらにお叱りを受けても仕方ないのかもしれません。彼らに許しを請うつもりもありませんがね』


 フレッドの口から「神」という言葉が「さも実在するかのよう」な意味で出たことにアル=ファールは驚いた。ハイディンの突撃号令には「神に縋らず魔に頼らず」という言葉も使われていたように、神魔を信用しきってはいないためだ。フレッドとしてもプラテーナから神にも等しい永劫不変の存在とやらの話を聞いていなければ、今でも神魔には否定的な見方しかできなかっただろう。


(しかし、やはりアリーハが相手とは言え殲滅作戦は心の負担も大きいか。皆も武人ゆえ、心躍るような強敵であれば奮い立ちもするだろうけど……連中ではね)


 アリーハ族は屈強な雄の成体ともなると身長は一般的な人の倍近くにもなるが、そこまで長生きできる個体はごく少数である。それまでに同族との縄張り争いで敗れたり、人に狩られたり巨鳥グア=ロークに捕食されたりするからだが、いずれにしても正式な訓練を受けることのない者たちであるため、個では力強くとも集団戦での伸びしろは人に及びもつかない。そしてここ戦場は兵員の連携がものを言う集団戦が行われる場であり、個の力が問われる場ではないのだ。


『どうせ汚れた手なら、とことん汚してから洗うとしますか。次の戦いからは私が先陣に立ち彼らを討つとしましょう。神とやらが神罰を与えに出てきたくなるほど徹底的に叩き、連中を討滅します。各員に伝えておいてください。覚悟を決めよ、と』


 指揮官が前線に出るというケースは、少なくともハイディンの軍ではめずらしい事ではない。ユージェ王国の建国に携わった初代クラ―リタも、女性剣豪として初代ユージェ王らと長き旅路を歩んだ末に武のハイディンとしての地位を得たので、建国後も戦場に立つことを厭わなかった。そしてそれはハイディンの伝統として受け継がれ、一般的には理解しがたい「当主も兵たちと共に在るべし」を実践している。


(世界の破滅を防ぐといってもすべてを救うことなど出来はしないし、考えてもいけない。ならば私は人として人を第一に考えるしかない。そのためなら私は鬼にも羅刹にもなろう……)


 こうしてフレッドは対アリーハ討滅作戦の先陣に立ち、成体幼体さらに雌雄も問わずアリーハ族と見るや片っ端から討ち果たしていった。その姿はフレッドを若い頃から知っている古参のメンバーも息をのむほど苛烈で、しかし流麗だった。もっとも、当人にそう伝えても「殺しを褒められたところで嬉しくもない」と返すだろうが。


『皇国軍もスプラーク山の麓は制圧したようです。予定通り麓の部族を討ち果たして封鎖し、山に残る上位部族を逃さぬようにできました。後は山狩りを行い残りを殲滅すれば作戦は終了ですが、最後まで気を抜かぬように。では進軍開始!』


 対アリーハ氏族の殲滅戦も、残るはスプラーク山に籠る部族を討ち果たすのみ。数匹が包囲を抜け逃れたという報告もあるが、仮にそれらが繁殖するとしても、一地方を制圧するほどに増えるのは100周期ほどを要するだろう。その時どうするかはその時代の人々が考えればいいので、今はとにかく敵を討つのみである。皇国軍の足止めと害獣駆除を兼ねた計画も、ついに佳境を迎えようとしていた。



 アリーハ族の最高の食事は生きた人間の頭にかじりつき、首を食いちぎって頭部を堪能した後に首から吹き出す血で喉を潤す。そして残された体を丸呑みにするというものである。彼らは人の肉体を完全に消化することはできるが太い骨などを消化するには至らず、犠牲者の骨はいずれ吐き出される。だが骨だけになってしまうと「天敵」の依り代にならず、人々が「丁重に葬る」際も炎や光の神霊術や魔術で骨まで還し葬るのが通例となっている。いずれにしてもアリーハ氏族の習性から、彼らの住処には犠牲者の骨が散見されるのだ。


「骨が増えてきたな。数からして大家族のご登場かも知れん。かじりつかれたら助からんからな。警戒を厳に、油断するなよ!」


 途中で合流したベタル=システは行商だった親族をアリーハに食われており、今回の討滅作戦を聞き急ぎ戻ったほどアリーハを憎んではいた。だがそれは過去の話で、何より泣き叫ぶ幼体やその母と思われる雌まで討たれる様を見ていると何が正しいのか分からなくなるのだ。しかし迷えば死ぬのは自分、それが分からないほど彼は愚かではなかった。


「……止まれ。この骨、まだ濡れている。おそらく吐き出されたばかりだろう。吐き出した主が近くにいる可能性もあるな。ご当主、こちらに!」


 部下数人を率いて先頭を歩いていたベタルが見つけた骨は、胃液らしき異臭のする粘液に包まれている。吐き出してからそう時間は経過しておらず、そしてアリーハ氏族は消化が終わった犠牲者の骨を吐き出すと次の食事を行うという習性がある。それを知っている「華心剛胆」のメンバーにも緊張感が走るものの、それは一瞬でかき消されることとなる。奥の洞窟から女性の悲鳴らしきものが響いたのだ。


『あの声、アリーハ氏族の雌ではありませんよね。となると、保存食として拉致された人でしょうか。今からでは手遅れかもしれませんが行きますよ!』


 アリーハに襲われ敗北した者のうち、主に力の弱い女子供は逃げられぬよう両足をへし折られて住処に連れ帰られる。彼らに他種族を慰み者にするような習性はなく、ただ「いつでも新鮮な食事にありつけるように」というのがその目的だった。先ほどの声の主もそうして連れてこられた被害者の一人だろうが、悲鳴を上げるほどの恐怖が差し迫っているということは食事の時間ということでもある。彼らは恐怖に歪んだ顔をかじることに無上の喜びを感じるのだから。



『祈るべき存在があれば祈りなさい!いまあなたをその恐怖から解放します!』


 洞窟の奥へ進み広くなっている部分に出たフレッドらは、両肩を鷲掴みにされアリーハに睨まれている女性の姿を確認する。その光景に一同が戸惑う中、フレッドはすでに矢を番え、発射体勢に入っていた。


(この距離、この矢でアリーハの大型個体を討つことはできない。私にできるのはこれくらいだろう。すべては助けられず手から零れ落ちるものもあるのだから!)


 掴まれた女性は助けが来たことに安堵し、一瞬だが恐怖を忘れたかもしれない。だが次の瞬間、フレッドの放った矢は彼女の側頭部を撃ち抜き即死させた。掴んでいるアリーハを即死させる術を持たない以上、彼女に迫る死は逃れ得ぬものである。ならばせめて死の苦痛を感じぬうちに手を下すのが情けというものだろう。果断即決という言葉を体現したかのような判断と行動の早さは、ユージェを率いるマイアー=ベルトランも恐れる要素ではあるが、勇士が集う「華心剛胆」のメンバーにとっても驚嘆と畏怖が織り交ざる代物であったのだ。


『総員、攻撃を開始せよ!この場に存在するアリーハ族の遍くすべてを討ち取るのだ。戦いに勝利すれば、ここで見たような悲劇が繰り返されることもなくなるだろう。より良き未来のため、今は鬼にも羅刹にでもなり残らず討ち果たせ!』


 広間には大型個体のほか、一族と思われる雌雄の個体が10体ほどいたが、この場に突入した「華心剛胆」のメンバーは精鋭が25人ほどである。力はあっても装備のないアリーハでは太刀打ちできるはずもなく、次々と槍で貫かれ剣で斬り伏せられ、逃げようとしたものは矢に射貫かれていった。そのような状況の中、一族のリーダーであろう大型個体は「龍ノ稲光」を構えたフレッドと対峙したまま動かないでいる。


「ナゼ、コロス。食ウワケデモナイノニコロスノハ、命ノムダデアロウ……」


 大型個体から語り掛けがあったのはさすがのフレッドも面食らったが、戦いに於いて相手の動揺を誘うために「口撃」するのは常套手段でもある。本来であれば無視してもよかったのだが、その言い分にはうなずける部分もあった。相手が何を考えているのか興味を持ってしまったフレッドは問いかけに応じる。


『我々としても、あなた方に食われるための命は持ち合わせていないつもりでね。食われたくなければ食う相手を消してしまえということです。これは理に適っている考え方でしょう?』


 言葉は通じても意思の疎通は不可能……と言われたアリーハだが、フレッドの返答を受け考え込んでいるようであった。その間も周囲では殺戮の宴が催されており、広間の中央に立つ二人のリーダーだけが向かい合って問答をするという異様な状況であるが、邪魔をしようとする者はいない。


「オ前ラトテ食ウタメニモ殺スデハナイカ。ナゼ我ラダケガ許サレナイ?」


 フレッドとしては「お前らに食われるつもりはないから食われる前に殺す」という前の返答で答えが出ているだろうと思ったが、周囲の制圧が終わり総員で大型個体を狙うほうが確実だろうと考え時間稼ぎの意味でさらに問答に応じる。


『あなた方が人より強い勢力を築いていたら許されたかもしれませんね。だがこれが現実というものです。アリーハは人に敵対したゆえに討たれ、滅ぶ。私がアリーハとして生まれていたならアリーハのしきたりに従って生きたでしょうけど、残念ながら私は人として生まれた。よって私は人としての正義を貫きますよ。つまりあなた方を殺すということです!』


 そしてもはや問答無用、と言わんばかりにフレッドのほうから仕掛ける。相手の攻撃に反撃を行う手を得意とするフレッドが先に動くのは珍しいが、これ以上の会話はムダであろうというのが先制した理由だった。


「傲慢ナル人ノ子ガァッ!イイ気ニナリオッテェッ!!」


 大型個体はすでに事切れた女性の遺体をフレッド目掛け投げつけると、そのまま広間の天井に向かってジャンプする。天井には無数の穴があり、別の部屋に繋がっているようだった。包囲して確実に仕留めるつもりだったのだが、不利な状況を悟って逃げるあたりは伊達に長生きをしてはいないのだろう。


『……逃げた?だが洞窟の出口にはさらなる絶望が待ち受けていることを知らないのは幸か不幸か、まあ不幸だろうね。私ごときから逃げ出すようでは話にならんよ』


 周囲にいたアリーハの者たちもあらかた討たれ、残るは親子と見受けられる数名が広間の隅で縮こまっているのみである。こうも趨勢が決すると考える余裕もでき、罪悪感なりも湧き出してきてしまうのだが、ここで彼らだけを見逃せば人に強い敵意を持つ危険な獣を野に放つも同然である。酷なようでも討つしかないのだ。


『君らを守るべき群れのリーダーは逃げた。逃げた先に羅刹が待ち構えているとも知らずにね。どちらが先か後かはこの際重要ではないが、どうか心安らかに天へ参られよ。魂に人も獣もなく……』


 フレッドが述べていたのは死の宣告文だったが、その途中で頭上より迫る影に気が付いた。ユージェ時代はよく暗殺者に狙われていたこともあり、その手の知覚力は鍛えられていたのだが、そうでなくとも気付いたであろうくらいには稚拙な奇襲だった。フレッドの「龍ノ稲光」が一閃し天井より迫る影を振り払ったが、それはまだ若いアリーハの個体だった。フレッドの反撃に反応し体を逸らしたのか、急所こそ避けたが致命傷は確実の深手を負っている。


『下手に避けなければ苦しまずに済んだはずなんですがね。だがもう苦しむこともありませんし、飢えることもないでしょう。迷わず天へ還られよ……』


 息も荒い若い個体の喉を貫き絶命させると同時に、奥で怯えていた個体が絶叫を発する。この個体はおそらく肉親だったのだろう、それまでの恐怖に変わって怒りが肉体を支配したようで、叶うはずもないと分かっていても憎き仇に一矢報いんとフレッドに迫ってくる。


『……人と同じで、愛憎の感情はあるということですか。しかしもう遅い。我らはこれ以上ないほど最悪の出会い方をし、すでに引き返せないところまで来てしまった。これも宿命、諦められよ!』


 フレッドは向かってくる個体の掴み手を避けると、そのまま通り過ぎざまに首を刎ねた。戦闘の訓練はおろか、まともに動けない獲物を掴んだことぐらいしかないような攻撃に当たるはずもなく、反撃を加えるなど造作もないことだった。


『種族を問わずここに存在する遺体を運びだした後、この洞窟を焼き払う。それを以って天に至る篝火とし、魂の道標とする。準備を開始してくれ』


 ラスタリアに生きる者の務めとして、死者を弔い「天敵」として蘇ることのないようにするのは本能がさせる行動である。そこに正義感や倫理観は存在せず、第4界が「天敵」により滅んだという事実を戒めとして創られた第5界の知的生命にはそうするべきと魂に刻み込まれているためだ。


(一つの戦いが終わり、魂がまた天へと還っていく。そしていずれは新しい命としてラスタリアに舞い戻るはずだが、果たしてそれまでこの世界は存在し続けているのだろうか。仮に消えたとしたら、天に至った魂たちはどこへ還るのだろう。新たな世界に呼ばれるのか、それとも……)


 それとも、永久に彷徨い続ける「神」とやらに等しい存在となるのか。この疑問をプラテーナに尋ねてみたこともあるが、彼女曰く「一部の魂は別世界に至る。そうして第1界の因子が強いファロールや第2界の因子を持つウルスのような者が生まれたのだ」とのことだった。では別世界に至らなかったらどうなるのか?


「考えても答えが出ようはずもないか。……遺体の搬出準備、急ぐように!入口の方もすでに片付いているだろうしね」



 フレッドの予想通り、逃げた大型個体は洞窟外に逃れ再起を図ろうとしていた。洞窟内に残っていてはいずれ発見され殺されることは目に見えていたからだが、洞窟の入り口に正真正銘の怪物が待ち構えていることは予測もしていなかった。


「まァァさかァァッ!我らにィィッ!出番がァあろうとはなァァッ!」


 獣王バルザの仮面を装着した状態ではこの喋りを徹底するバゼルは、アリーハの大型個体が迫ってきても平然としていた。負ける相手と思っていないこともあるが、生粋の武人たる彼は「勝てば生き、敗れれば死す」という単純だが強い信念で数々の死地を乗り越えてきた。勝てば獲物を喰らうアリーハの在り様とはある意味で似ているところもあり、それが理由で滅ぼされる彼らに同情もしていたが、情けで手を抜くような男でもない。


「見事この我を打ち破ればッ!窮地を脱し氏族の再建が成るかも知れんぞォォッ!さあ、互いの未来を賭して……いざッ、勝負ゥゥッ!」


 ここで勝てなければ滅ぶのみ……ということを相手に強いたわけだが、ハゼルも相手と同様に武器を持っていない。武器を持っていると相手のスキについ投げつけたくなってしまうのだが、それをすれば中身が誰だかすぐに発覚してしまうためである。フレッドは「クラッサス=ハイディンのイメージから遠い短剣や小剣とかで武装するのはいかがですか」と進言したものの、ハゼルは「それなら素手の方がマシ」と獣王バルザでは素手で戦うことに決めたのである。


「ウヌモアノ小僧モ、人ハドコマデ傲慢ナノカ!呪ワレヨ!呪ワレヨ!!」


 アリーハの大型個体はハゼルを一目見て死を悟った。この敵は先ほど危険を感じて脱出を決意したあの男よりよほど強く、自身も命を賭けなければ対処のしようもないことは明白であった。


「いかァァんッ!皆ワシから離れるのだッ!アリーハの呪術に掛かってしまえば命はなァァいッ!」


 アリーハ氏族が捕食者として上位の地位を得た理由はその巨体や、巨体の割には身軽ということが挙げられる。しかし最大の理由は彼らだけに行使し得る呪術があり、対象の命を一瞬で奪い去ることも可能だった。もっともこれは確実に成功する類のものではなく、失敗すれば呪いは自身に掛かり絶命するという諸刃の剣でもある。さらに言えば呪いで汚された血肉は大層まずく、貪食のアリーハ氏族ですら口にするのを躊躇うレベルに至ってしまうため、呪術を封印し使い方を忘れてしまった一族のほうが多いという有様だが、長生きの大型個体なら使いこなしても不思議ではない。


「アリーハの呪術ッ、知っておるぞォッ!もしワシが死なねば、死ぬのはお主だそうだなッ!よかろう、その挑戦……受けて立つわッ!!」


 ハゼルの手に武器があれば、呪いの発動前に投擲で大型個体の頭部は吹き飛んでいた。しかし彼の手に武器はなく、近くに大きな石も落ちていない。何より呪いが発動すれば命ある者を追い、その軌跡を目視することは叶わない。つまり動けば避けられる可能性はあるが、避ければ別の誰かが呪いに掛かるのだ。それならば、呪いに耐えきれる自信がある者こそ受けに回るべきなのだ。


「ぬォォ……これはなかなか、悪くないのぅ。この痛み、この体が軋む感覚は久方ぶりのものよ……」


 アリーハの呪術は痛みによって精神抵抗力を奪い、それが尽きた時に生命活動を停止させるというものである。命をダイレクトに食す彼らに気まぐれな霊的存在が与えた秘術だが、霊的存在というのは基本として友好的ではないため必ず落とし穴のようなものを仕掛けていく。それが呪いで死んだ対象のまずくなる血肉と、呪詛が通じなければ自身に跳ね返るという要素であった。


「どォォうゥしたァァッ!呪いで動きが鈍っている今こそ最大の好機であろうッ!さあさあァッ、掛かってこんかいィ!!」


 そう挑発するハゼルを前に、大型個体は一歩も動けない。呪いの発動にはそれなりの負担はあるが、何より呪いに掛かればもんどりうって苦しみ死んでいくのが彼の知る現実である。それがロクに苦しみもせず、倒れるでもなくこちらを見据え挑発してくるなど有ってはならないことだった。少なくとも、彼にとっては。


「さぁ、気合を入れ掛かってこんか!お主はアリーハの長なのだろう!怯え、震え、そして為す術もなく死んでいった同族たちと同じ道を辿るというのかァッ!」


 このままでは呪いは弾かれ呪詛返しが起こる。そう察した大型個体は声を上げながらハゼルに殴り掛かるが、それは半ばやけを起こした者の行動だった。体の大きさこそ大型個体が約1.5倍ほどもあるが完全に気おされ、普段の力も出せていなかったのだろう。そのパンチはハゼルに受け止められ、そのまま腕を取られ天高く放り投げられた。


「呪いはお主に帰りたがっておるわッ。ゆえに、此度はこれにて終幕ゥ……じゃな。さらば、アリーハの長よ!」


 落下し激しく地面に叩きつけられ、しかしそれ以上に苦しみ始めた大型個体を見てハゼルはそう呟いた。恐怖に足がすくみ気おされるようでは、呪いを弾くことは叶わない。大型個体の死は避けられぬものだった。


「ここはお主らにとっては楽園だったかもしれぬが、それ以外の者にとってそうではなかった。ワシはフレッドのように「人のより良き未来」など考えも及ばぬが、それでもお主らが存在する未来がよき未来にならぬことは予想がつく。願わくば、お主らが滅んだ意味のある未来にならんことを……」


 その言葉はすでに事切れていた大型個体には届かなかったが、届いたところで理解できなかっただろう。長く戦乱が続いたユージェ地方でも種族殲滅の戦いが起こったことはなく、多少は悪い扱いとなっても敗者は生き延びてきたのだが、今回は初めてそれが許されなかった。その事の意味、そして答えが出るのはまだ先なのだろう。


(人喰い羅刹と呼ばれた男が、人喰い種族を殺し滅ぼすか。まったく冗談としても笑えん話だが、事実というのが救いようもないのぅ。討滅に要した時間のおよそ20日が、より多くの人を救うことに繋がると信じるほかないか……)



『この戦いで一つの種族が滅亡しました。発案者の分際で何を言っているのかと思われるかもしれませんが、この殲滅作戦が正しかったかどうかは分かりません。私自身は正しいと思ったからこその立案ですが、アリーハ氏族にしてみたらこんなこと正しいはずはありませんからね。正義なんてものはその程度の……立場が変わればコロコロ変わってしまうものなのです』


 種族を問わずこの戦いで出た遺体を丁重に弔い、戦勝の祝福と犠牲者への献杯を行う酒宴の席でフレッドは部隊員にそう告げた。皇国軍や「華心剛胆」以外の現地協力者にはいくらか犠牲が出たものの、精鋭揃いの布陣で臨んだ「華心剛胆」から犠牲者が出ることはなく大勝だったが、無抵抗の弱者を蹂躙したという思いからかみな神妙な顔つきである。


『しかしユージェの人と皇国の人が手を取り共通の敵と戦えることを示したこの戦いは、利害が合うなら互いの正義もまた合わせられることを証明しました。人同士が盛大に殺し合い滅んだ第4界の過ちを繰り返させないためにも、我らはユージェと皇国の正義が重なり合うように仕向けなくてはなりません。人とアリーハが分かり合えずこうして殲滅作戦が行われたように、ユージェと皇国が分かり合えずどちらかが相手を殲滅するようなことは……あってはならないしさせてもいけない』


 共通の敵がいれば手を取り合える。だが現状、ユージェと皇国という国単位で見れば敵と呼べるのは相手の国だけなのだ。そこに一石を投じられるとすれば、ユージェでもなく皇国でもない第三勢力が登場することだが、それにはまだ幾ばくかの時間が必要である。今は両国が互いに憎しみを燃やし合う状況を少しでも軽減する道を模索するしかない。


『今後も我らの置かれる立場は厳しいものとなります。後味の悪い今回の作戦以上に、吐き気を催す罪悪を重ねる日が来る可能性だってあるでしょう。ゆえに私は今一度、諸君に選択の機会を与えます。この先も「華心剛胆」の下で戦うか否かの』


 先に兵たちを里帰りさせたものの、全員が戻ってきてくれた。その事は嬉しいが、すでに正規軍ではない以上ハイディンの頃のように合戦だけをやっていられる立場ではなくなっている。今回はアリーハという人類に敵対的な種族が相手だったが、いずれは小競合いのレベルではない状況で本格的に人と戦うことにもなり、さらには「天敵」という生物かどうかも怪しい正体不明の存在と相見える日もくるのだ。相応の覚悟がなければ精神的に狂ってしまう恐れもあった。


『みな、覚悟はできているようですね。すべてが終わった時みなさんにそれぞれお礼を述べられるよう、今後も努力させていただきます。今後とも、どうぞよろしく』



 L1028収穫期60日、皇国軍第二陣と「現地住民の有志一同」による合同作戦の結果、スプラーク地方を本拠にしたアリーハ氏族は滅亡する。この情報を得たユージェ軍の反応は大半が「ご苦労なことだ」という程度のものだったが、一般民衆に限って言えば「ユージェ軍が放置していた災いを皇国軍が取り除いてくれた」というものであり、敵を引き込むためとはいえ撤退を繰り返すユージェ軍より皇国軍を評価する動きも広まり始める。


(やってくれたねクロト君……まさかアリーハを使って厭戦ムードを演出するとは考えていなかった。あの鼻つまみどもはいずれ始末してやろうと考えてはいたが、同じ始末するなら何かの役に立てた方が確かに効率的だ。しかし、これで君が来ているという確信は得られた。次はこちらから手を打たせてもらおうか)


 報告を聞いたマイアーは思わず唸ってしまう。アリーハ討伐という策、これはユージェの側に立っていては使うことができないものである。ユージェの為政者が厄介者のアリーハを討ったところで、それは当然の行為として見做されるからだ。本来は外敵、そして侵略者であるはずの皇国軍が行うからこそ評価もされ「そんなに悪い奴らじゃないのかも」という思いも生まれる。各陣営、各人の正義が揺れ動く中で、フレッドが打った最初の手は見事マイアーを出し抜き、皇国軍と「ユージェの一般民衆」を近づけることに成功した。

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