第2話 戦いの荒野

 L1028収穫期34日、ユージェ南東部のマーキィ領にて行われたシルヴァンス皇国とユージェ統一連合の歴史上初となる合戦は、質量ともに勝る皇国軍の圧勝にて幕を閉じる。作物の収穫を行う時期ということもあり、敗北したファロール族マーキィ氏族の民は自分らの行く末を案じたものの、皇国との連絡口にあたるこの地域を任された「護国奉盾」を率いる総隊長ザラフ=アルダン伯爵の対応は誠実だった。


「彼らが農具だと申すものはすべて返してやるがよい。我らは侵略者であっても略奪者ではないゆえ、彼らの土地財産に手を付けてもならぬ。どうしても入用とあらば必ず取引交渉を行い、合法的に入手することを徹底させよ。我らは皇帝陛下ひいては皇国全体の矜持を背負っていることを忘れるでないぞ!よいな!!」


 皇国軍のすべてが彼のような態度でユージェの民に接したわけではないが、皇国への道沿いになる主要な場所に配置された部隊はその多くが同様の姿勢で統治を行い、大きな民衆蜂起は起こらなかった。そのため、開戦から5日も経たずにユージェ南東部は皇国軍の手に落ちる。マイアーの指示通りユージェの辺境は捨て石にされた形となり、そのことに対する反感も皇国軍の快進撃を支えることとなったのだ。


「これまでは順調のようですな。しかし中央山脈外縁部の高地も途切れ、この先は言わば未踏の地である以上そう簡単にはいきますまい。各隊には急がぬように通達を出し、担当地域の地形調査を行いつつ行軍するように指示していただきたく……」


 マーキィ領に置かれた皇国軍本陣で意見具申したのは、今作戦の主席参謀に任じられたウェーク=グノーである。皇国次席宰相ウェルテ=グノーの跡取り息子たる彼はこれまで挫折を味わうことなく栄達を続け、いずれは父の跡を継ぎ主席宰相にもなり得る存在と目されている。具申した意見も慎重で抜け目なく、彼が家柄だけで成り上がった無能ではないことを示してはいるが、そもそもこの戦争自体が愚かであることには気づいていない。歴史的に見ても皇国は常に勝ち続ける存在であり、直近のザイール辺境州においても劣勢を覆し勝利を得ている。ゆえに今回もそうであろう、と疑っていなかった。見落としていたのは、これが初の国家間戦争ということである。


「それは承知したがウェーク卿、この地は砂漠や密林、湿地帯などが多く重装歩兵にはやや行軍が厳しい状況だ。主力の重装歩兵隊は平地や街道を進ませ、それ以外の地域には身軽な部隊を送り込むようにしてはいただけぬものか?」


 ウェークは本陣で報告を受け指示を出すだけなので、ユージェ外縁部から本土に差し掛かるあたりの地域が砂漠地帯や密林地帯、さらには湿原だったりと行軍に適さない地域であることを資料でしか知らない。しかもそれらの地域には人に害を加える猛獣や怪異の類も多く生息し、それらによって命を失った人の遺骸から「天敵」が発生しさらに知的生命に牙をむく……というループが繰り返される魔境でもあった。そのような場所に差し掛かれば当然だが兵たちの士気も下がり、開戦直後のような活気は失われつつある。


「我が軍の比率から申しまして、残念ながらすべての重装歩兵隊の配置換えを行うことは叶いませぬ。ですがなるべく街道沿いか平地、そこに近い地域へ配属できるよう手を打ちましょう。それまではどうかご辛抱を」


 皇国軍は基本的に重装歩兵隊が前衛となり、それを盾に弓兵や突撃兵が攻撃を掛けるという戦術を採用している。そのため輸送隊の護衛すら重装歩兵であり、全体的には高い戦闘能力を持つ反面おもに機動性の面で劣っていた。開戦直後は皇国領内から侵入して攻めるべき場所も眼前の敵がいる場所だけだったものが、ユージェ領内へと進むにつれ木の枝が広がっていくように多方面へと目を向ける必要が出てきてしまった。マイアーが皇国軍をユージェの奥へ引き込もうとしたのもこれが目的なのだ。


(妙にやる気がないと思っていたが、連中はそういう腹づもりか。だがこちらには北から侵入する部隊もある。南北から挟撃されて、果たして持ち堪えられるか?)


 ウェークの目論見は、南北の部隊が緊密に連携が取れていれば確かに的中したはずである。しかし彼は、ザイール辺境州から侵入した部隊の進軍が遅れていることをこの時点では知らされてはいなかった。皇国軍は南の本隊のみが突出する形でユージェ領内深くへと食い込む形となっていたのである。



「情報通り、皇国領に向けられた砦があったな。だが連中のやる気のなさと言ったらなんだ?ザイールに来た時もこんな感じだったのか?」


 ザイール辺境州からユージェ北西部へと駒を進めた北部分隊はフレッドから敵軍の配置予想図を受け取っており、地形調査を行う必要もなく順調に進軍していた。しかしフレッドからは「3つ目の砦に到着したら砦の前に布陣し、そこで退却時期が訪れるまで待っているように」との意見を具申されている。確かに3つ目の砦はそれまでの2つより防壁も高く守りは堅固に見えたが、攻め落とせないほどのものではないように思えた。ましてや北部分隊には皇国の破城槌こと「破城崩壁」アヴニア重装騎兵師団も同行している。多くの者が攻撃すべきであるとブルートに意見具申した。


「皆の言い分は承知した。だがこちらに入ってここまで、一気に砦を落としてきたことも忘れてはいかんだろう。確かに勝ち続きで士気は上がっているが、ここで調子に乗って前に出過ぎれば兵たちも肝心なところで疲れちまうかもしれないしな。ここは十分に休息をとり、その間に我らはどう進むか十分に吟味しようじゃないか」


 フレッドがユージェ出身者であることはごく一部の者しか知らず、彼から意見を伝えられていることを知る者も少ない。ゆえにユージェ軍の狙いが皇国軍を領内奥深くにまで誘い込んだうえで退路を断ち、逃さず殲滅することだと知っている者も少数である。皇国軍将兵の多くは自分たちが圧倒的に勝る力で攻める側で、ユージェは攻められる側であるという認識しか持っていない。これまで二度も、あっさりとユージェを撃退したザイール辺境州方面の軍はさらにその傾向が強かったのだ。


「あいつら、敵がただ殴られるだけの人形だとでも思ってるんじゃねぇのか。そもそも前に勝てたのだってあいつのおかげだってのに、まるで自分たちがどうにかしたみてえに考えてやがる。まったくあの間抜けどもが死ぬのは構わないが、兵たちをそれに巻き込むわけにはいかねえ。皆もそれとなくでいいから厭戦の方向に話題を振るようにしてくれ。敵はあいつすら及ばないという智謀の持ち主なんだ、正面から戦えば間違いなく犠牲は大きくなるからな!」


 ブルートは自分の幕舎に事実を知る者だけを集め、正直すぎる腹のうちをぶちまけた。彼自身も留守中に自領のザイールを襲われ、さらに死者の魂を捕らえ戦闘人形に封じるなどの暴挙には少なからず腹も立てていたが、それとわざわざユージェまで出向いて意趣返しするというのはイコールではない。そもそも皇帝アヴニールがこの戦いに乗り気ではなく、彼の嫌うウェルテら保守派が言い出したことも伝え聞いていたため、この遠征ではなおさら戦う気がなかったのである。


「フレッドさんは、彼がわたくしたちと同行してこの分隊にいる……と敵に思わせたいのだと思いますわ。マイアー=ベルトランという御仁はフレッドさんのことをよくご存じですから、有利なはずの皇国軍が臆病なほどの慎重な歩みを見せれば策が見抜かれ裏を突かれる可能性を警戒せずにはいられませんし、別の策を用いる必要に迫られるかもしれません。その方針変更に生じるスキを狙おうというのでしょう」


 そう所見を述べたテアことティルアリア=ウルス=リムもユージェ出身者ではあるが、もともと第3界を起源とする純粋な人間種とは微妙に異なる第2界をルーツに持つ種族のため、皇国においての地位は高くない。敵か味方かである以前に「格下の種族である」という見方をされるため、その出自を問われることすらなかったのだ。


「あいつが「師匠と対峙するにあたり、直接の知恵比べでは及ばぬから環境を整えるのに手を貸してもらいたい」と言ってきたときには驚いたが、謙遜も遠慮もする奴じゃないことは分かってる。その師匠ってのは本当に厄介な相手なんだろうさ。あいつには恩もあるし、できれば望みを叶えてやりたいところだが……」


 ブルートが言葉を濁したのは、自分たちが有利と信じて疑わず戦に逸る皇国軍の状況を懸念するからだ。進めば勝てると思い込んでいる集団を抑えるというのはとてつもない労力を必要とし、それをいつまで続けられるかは未知数である。しかし北の分隊までユージェ領内の奥地にまで進軍し、補給を断たれ包囲殲滅されようものなら犠牲者の数は膨大なものとなり、なによりがら空きとなったザイール辺境州の行く末にも関わる。さらにもし勝てたとしても功績は南の本隊がさらっていくことは予想がついているので、ここは何としても本格的な交戦状態には持ち込みたくないのである。


「もうそろそろ、アウデン団長らが到着してしまいますな。彼ら「破城崩壁」が到着したとなりますと、主戦派はさらに声を大にすること確実かと。いかが取り計らいましょうか?」


 そう問いかけたのは腹心の部下ダウラス=プラヴァー。ブルートの悩みの種の一つが、その「破城崩壁」についてである。彼らは皇国軍で初めてとなる竜騎兵団で、いわば新設の部隊であった。その練度と皇帝アヴニール隣席の天覧試合で見事な竜さばきを見せたことから二つ名を拝命こそしたが、新設ゆえ実戦経験は少ないというのが実情であり、今回でそれなりの戦果を挙げんと意気込んでいるのだった。


「彼らは強い。いくら実戦経験が少ないといっても、実戦さながらの厳しい訓練を積んできたまごうことなき精鋭だ。しかもあの巨竜アヴニアは似たものすらユージェにはおらんというし、おそらくユージェ兵も度肝を抜かれることだろうよ。だが、それがまずい。あまりに気持ちよく勝たれてさあ進軍だ、みたいなことになっちまったらもう止められねえ」


 そのため「未踏の地で騎兵に向く地形か分からない」「越境の際の細い道中は小回りの利かない騎兵団を前線に置くわけにはいかない」などの理由をつけて彼ら「破城崩壁」を最後尾に配置していたのだが、ユージェ領内に入り開けた地形となった以上はそれらの言い訳も通用しなくなってしまったのだ。


「アウデン団長はフレッドさんと知らぬ仲でもありませんし、ここは思い切って真実をお話になったほうがよろしいかと存じます。団長も、フレッドさんが皇国出身者ではないであろうことくらいの察しはついているでしょうしね」


 テアがそう語るのは、フレッドが亜人の類だからではない。かつての天覧試合は巨躯を誇る四足歩行ガーレ種のアヴニア竜騎兵と、皇国では一般的に荷車を引く役目を担っていた二足歩行レック種をユージェの技で乗りこなしたフレッドとの乗り比べだったためで、その技は明らかに皇国のものではなかったからだ。当時の両勢力はまだ対立関係になく、旅人や商人の往来は特に厳しい監視が行われるものではなかったため詮索こそされなかったが、現在の状況であればどうなっていたかは分からない。


「それしかないか。まあ、俺とあいつが陛下に拝謁を賜った際もあいつと来たら「自分はユージェ出身です」と平気で言いやがったからな。さすがに本名は隠したが、もしこの場にいるならおそらく正体を明かして協力を求めることだろうよ」


 方針が決まり、到着したアウデン=ダインスト伯爵が呼び出されるとさっそく事情説明が行われる。説明の間に一瞬たりとも驚く様子を見せなかったのは、テアの予想通りフレッドが皇国出身者ではないことを理解していたからだろうが、その正体を知らされるとさすがに驚いたようであった。


「彼が只者ではないこと、直に競った身ゆえ重々に承知していたつもりだが……よもやそれほど名のある武人であろうとはな。だがそれならばあの動きも得心いった。事が事ゆえお話されるのも躊躇われたと思うが、事情を明かしていただき感謝いたす。ただ、このことを陛下はご存知であろうか……?」


 これほどの重大事を知り得た以上、もし皇帝が知らぬのであれば報告せざるを得ない。その事実を知ったからといって処断するほど彼の仕える主は愚かではないが、主の周囲にいる者の判断はまた別だろう。一武人として、あの使い手「銀星疾駆」を獄中で死なせるような真似はしたくない想いはあるものの、彼は皇帝と皇国に忠誠を誓う武人なのだ。


「あの乗り比べの後に私とかの者は白銀宮に呼び出されましてな。その折にこの件についてはご説明させていただいております。陛下もかの者の操技が皇国由来のものでないことはお気づきであらせられたが、出自については不問となされたゆえご心配は無用でありましょう」


 それを聞くとアウデンは安堵し、改めて今後の方策についての協議に入る。そして彼は主戦派の戦闘欲求を満たしつつ行軍を控える手立てとして一案を披露する。


「では眼前の砦を我らが攻め、完膚なきまでに破壊してご覧にいれまする。それこそ行軍など叶わぬほどに、瓦礫の山が積もる廃墟としてしまえばそれの整備でしばらく時を稼ぐことはできましょう。それにより戦いたいという者たちの気も晴れ、我が隊の猛威を知らしめることも叶い、敵軍にはアヴニアへの対抗策を練る必要性を迫ることもできると思われます。騎兵のことをよく知るユージェの者であればこそ、未知のアヴニアに対してうかつには攻めてこんでしょうからな」


 微妙にずれてないか……という気がしないでもなかったブルートらだが、確かにアウデンの意見には聞くべきところもある。ユージェにとって未知の存在である巨竜アヴニアの存在とその猛威を知らされれば、フレッドの師匠たる程の智者が対抗策もなしに攻め寄せてくるはずもなく、巨竜を仕留めるための対抗策となれば準備にもそれなりの時間を要することは間違いない。ついでに主戦派の不満も解消できるとなれば、使わない手はなかった。


「ではアウデン団長に一仕事お頼み致しましょうか。眼前の砦を完膚なきまでに破壊し、皇国の威厳を「破城崩壁」の名と共に知らしめていただきたい」


 「万事われわれにお任せあれ」と応じ足取りも軽く幕舎を後にするアウデンの背を見送りながら、ブルートは「乗せられたかな」という思いを抱きはしたが、いずれにしても一度は大規模攻勢を掛けねば兵の収まりがつかぬと覚悟していたので、ならば最大限の効果を発揮する形で戦うより他ないと自身を納得させた。知性派ではあっても戦関連には疎いテアはやや呆れたような表情だったが、そうと決まれば彼女のほうでもそれを利用する手立てを考える。


「では、戦闘後に「皇国軍は巨竜を以って北部3砦を破壊し尽した。北は壊滅だ」といった流言を飛ばす手筈を整えましょうか。ユージェの民には悪いですが、首都方面に疎開民が向かってくれたらユージェ軍の動きもいくらか鈍るでしょうし」


 それはいい手だな、とブルートも快諾し、身軽なフォンティカらファロール族の斥候隊たちが召集される。だが、もし仮にアウデンらが宣告通りに砦を陥落せしめなければ流言を飛ばしても意味がない。戦いたい者もそうでない者も、注目せずにはいられない戦闘が始まろうとしていた。



「あれは……レック種の竜か?どうも皇国人は不器用らしいぜ、二足歩行の竜ではうまく扱えないらしいや!」


 砦の見張りに立っていた兵がはるか遠くのアヴニアを見かけた際の第一声がそれである。確かに見れば一目で四足歩行のレック種と分かる姿をしているが、彼は遠くに見える姿が彼のよく知るレック種の竜と同じように見える時点で疑問を抱かなければならなかった。本来の縮尺であれば、豆粒ほどの大きさであるはずだからだ。


「ちょっと待て、なんだあの大きさは!あんなのは見たことがないぞ!」

「化物だ、逃げろ!逃げろー!」

「やむを得ん、少々早いが手筈通りに当砦を放棄する。撤退だ!」


 皇国軍を領内奥深くに誘い込むのがユージェ側の戦略だったので、もともと前線の拠点にはわずかな兵しか配置されていない。その兵たちも皇国軍の数や兵種などの情報を得たらすぐに離脱するようにとの指示を受けており、彼らは言わば「抵抗を試みたが皇国軍の勢いは尋常ならず」と国内に示すための囮であった。そして首都まで追い込まれるも、そこから華麗なる逆転劇でそれまでの敗北すべてを帳消しにしようというのである。ブルートに言わせれば「ユージェの奴らはやる気がない」のも当然というものだろう。


「もう少し抵抗があるものと思っていたが、我らに恐れをなしたか。だが余計な犠牲が出ずに済むのは好都合というもの、遠慮なく派手にやらせてもらおうか!」


 砦へ接近しつつあるアヴニアの上で、砦からの攻撃がないことに事態を察したアウデンは騎兵団に防壁への突撃を命じる。通常であれば突破しやすい門を狙うのだが、アウデンは部下たちに石積みの防壁を破らせた。まさに「破城崩壁」の名に恥じぬ猛威という他ない光景が繰り広げられる。


「なんてこった……あんな化け物が大挙して押しかけたら首都だって危ないぞ。急ぎ戻り、宰相殿に報告しなければ!」


 崩されゆく防壁を確認すると、守備隊長が駆る騎兵も砦を離脱する。10日ほど寝食も惜しんで首都に向かった彼はマイアーの下にたどり着くと、事の次第をやや大げさに報告した。自身の名誉や敗北の責任逃れをしたいという思いではなく、本気であれが大量に迫れば首都が危ないと考えてのことだったが、報告を受けて隊長を労い下がらせたあとでマイアーは一人思案に暮れる。


(それほどの猛威を誇る竜騎兵で首都を攻めるつもりなら、首都に至るまで存在はひた隠しにするだろうさ。それを戦いの序盤に出したということは、北の分隊はもうどうこうするつもりもないということか。クロト君……これは君の策か、それとも単なる偶然かね。いずれにしても、北の隊は南の本隊よりも面倒な相手のようだ……)


 ブルートらの思惑をあっさり看破するあたり、やはりマイアーのほうが策士としては一枚も二枚も上手だったが、北の隊がもう特に動く気がないのだとしても巨竜の脅威が独り歩きされるのは非常にまずい。北部の守備隊に敵の監視を強めることと、巨竜と交戦するのは湿地帯および山岳地など「巨体が仇となる地形」のみに限定することを徹底させ、首都では騎兵数騎で引き勢いをつけて巨竜に打ち込むための杭を準備させた。これにより平坦な地形で巨竜部隊と会敵しても備えに憂いはなくなったが、結局のところそれらの対抗策は役に立つことはなかった。北部からの報告はマイアーの予想通り「皇国軍、復旧作業に追われいまだに動かず」のみだったからである。


(さて、ここまではお互い予測の範囲内といったところかな。だが君のことだ、北の部隊が安泰となれば南の本隊もどうにかしようと画策するんだろう?)


「おもに中央や東部の外縁を監視するよう通達してください。敵の斥候や、怪しげな一団などがいた場合は必ず報告するようにと。仮に該当する者を発見しても現地の判断だけでは動かず、こちらの指示があるまでは追跡監視に留めるようにともね」


 必ず来ている、来ていないはずはない。それがマイアーの読みであり、そしてそれに関しては完全にフレッドの動きは読み切られていた。しかし人の目につけば少なからず噂になることは間違いなく、いまだにそういった事例が報告されていないところを鑑みるによほど慎重に動いているのだろう。だが、さすがのマイアーもフレッドがさらに目立つ父親を連れ、獣王バルザと竜賢人クゥーリの再来に変装し行動していることは想像もしていなかった。ゆえにその二人が目撃されたという報告を受けても、混乱に乗じて成り上がろうとするロクデナシくらいにしか考えなかった。



『北部の部隊は巨竜を以って首都へ迫らんとするか。なるほどな、貴重な情報をいただき感謝いたす!』


 普段と違う話し方、それに仮面越しとはいえ声も少し変えたほうがよいと言われそれを実践してはいるが、出会ったユージェの民の大半は違和感を感じているだろう。フレッドはかつてザイールで一芝居打って現在は妻となったリリアンを助けたこともあるが、あまりの大根役者ぶりに笑われたものである。頭部が竜人の形であることがどうにか最後の一線、つまり相手に笑われるのを防いでいたのだ。


「話にはァァッ!聞いていたがァッ!……想像以上にひどいものだな我が息子よ。それではリリアンらに笑われても仕方あるまいて。……もっと我のようにィィッ!思い切ってはっちゃけんかァァッ!!」


 一方のハゼルとくれば、完全に別人のようになり切っているのであった。武の名門たるハイディンの当主、そして当代随一の武人として若い頃から衆目に晒されてきた彼は常にその立場に見合った立ち居振る舞いが求められてきたため、ユージェでハゼル、つまりクラッサス=ハイディンの印象と言えば謹厳にして剛直な武人というもので固められており、現在の「はっちゃけた」姿や口調からクラッサスを連想できる者は皆無と言ってよいだろう。亜人獣人が多いユージェの地では、屈強な体躯を持つという条件だけなら当てはまる者も多いのがより正体を遠ざけた。


『……父さんは楽しそうでいいですね。私は演劇の才能に乏しいらしく、どこが悪いのかすら理解できず改善のしようもないのがどうにも。過去に口調を変えたときは笑い話の種にされましたし……』


 どうやら本気で意気消沈している息子を見て、ハゼルは「真面目すぎるゆえ深く考えすぎなのだ」とアドバイスするも、真面目な男は深く考えずにはいられない。そして結局のところ、対話が必要な場合は父や部下たちに任せるようになってしまった。実際に存在した竜賢人クゥーリもやや気難しい性格だったため、会話が成立するのは獣王バルザを始め限られた面子だけだったと伝えられており、奇しくもそれをなぞる形となってしまったのでる。


『まあ私のことは置いておくとしまして、どうやら北部の隊は行軍を遅らせてくれているようです。一方で戻ってきた者たちの話を聞く限り、南の本隊は西進を続け国境と首都の中間あたりに差し掛かっていますね。そして一部はあのアリーハ氏族領に足を踏み入れてしまったようです。参りましたね、これは……』


 アリーハ氏族は、ユージェ統一連合が発足した際も連合への加入を拒否した氏族である。辛うじて言葉は通じ意思の疎通は可能だが、基本的に会話は成立しない。それはアリーハの民が同族以外の生物全般を食料としか考えておらず、出会えばまず交戦状態となってしまうためである。彼らが負ければ死ぬ前に怨嗟の言葉を吐き、勝てば犠牲者は丸呑みにされる。しかもたちの悪い事に彼らにとって獲物の断末魔の悲鳴は最高のスパイスらしく、勝てると分かった勝負は手を抜き捕食しようと試みるのだ。仮に相手を殺さねばならぬなら苦しまぬよう、可能な限り急所を狙うフレッドとは生理的にも相容れない存在であった。


「彼らは彼らのやり方で生きてきたからのう。統一連合に入って生き方を変えろといったところで、どうにかなるものでもあるまい。彼らを褒められる数少ない点と言えばその生き方に忠実なところと、獲物をきれいさっぱり食すため「天敵」の依り代にはならぬことくらいか。それゆえ統一連合としても「アリーハには関わるな」で済ませてきたし、皇国軍に犠牲が出ても本戦には影響を与えぬとは思うが……」


 今回ユージェに出向いた目的は「天敵」の氾濫に備え、依り代となる死者を減らす事にある。極端なことを言えば、どれだけ死者が出ても依り代にならぬようしっかりと弔ったり、あるいはアリーハ氏族のように形も残らぬほどきれいに食すなどの行為でも主目的は達成される。ハゼルの言わんとするところはそれだが、生真面目人間フレッドはそれを看過できるほど達観はしていない。


『皇国兵にも家族はおりましょうし、助けられる命ならば助けてやりたいとは思います。それに私はもともとアリーハのやり様を好みませぬし、彼らのほうでも私ども軍関係者のような「食うわけでもないのに殺す」者は嫌っておりましょう。不倶戴天の間柄である我ら、戦うべき時なのかもしれません』


 ユージェにいた頃のフレッドは、嫌悪感を抱きつつもアリーハの存在を認めはした。しかし皇国に渡り過去に存在した4つの世界に繋がる「道」から出現する怪異にも触れた結果、問題を先送りにするような真似は結局のところ不幸しか招かないのではと考えるようになっていた。人に害をもたらす「道」は自分のことではないからと見て見ぬ振りもできるが、それをすれば大きな災いをもたらすことにもなりかねない。ゆえにブルートらのような探索冒険者たちは命懸けで「道」を塞ぐ努力をしていたのだが、一方で自分はアリーハのごとき人に仇なす者たちを見逃した。やろうと思えばできたのに、関わらなければ大した問題にはならないだろうと考えやらなかった。ユージェを出てからもう5周期にもなるが、それまでにどれだけの不幸が生まれてしまったのか。仮に犠牲者が「天敵」の苗床にならぬとしても、満足して死んでいったはずはないというのに。


「お前は真面目すぎるんじゃよ。我らとて鳥獣を殺して喰らうし、それと同義であろうとは考えられんか?それに世のすべての人を助けることなど出来ぬし、やろうと考えてもいかん。過ぎたる荷を背負おうとすれば腰を痛めて立てなくなるものじゃからな。だが、すべての人は救えなくとも手が届く範囲の人を救うことはできる。そして救えるものを救わないのは許されざる行いと考えるのであれば、ワシもお前に力を貸すとしよう。アリーハ相手であれば素性を隠す必要もなかろうし」


 20周期ほど前に起こった「天敵」の氾濫、ユージェでは「パヴァンの厄災」と呼ばれる事変でハゼルは特に親密というわけでもないウルス氏族を救いに赴いた。武の名門ということから誤解されがちだが、ハイディンの武人たちは一様に戦場以外では仁者である。それはハゼルもフレッドも、早世した兄もそうであった。戦場では、特に奇跡や魔術に縋らないハイディンの戦術は死者が出るケースも少なくない。そのため命に対して真摯に向き合い、敵ならば迷わず討ち助けられるものは必ず助け、戦う必要がなければ絶対に武器は取らない。暗黙の家訓とでも言うべきそれを守ってきた彼らにとって、相手に苦痛を与えることが目的の戦いなどあってはならないのだ。


『私も自分で……まだまだ未熟なのだなと痛感します。ブルートさんに話したら間違いなく「青いなぁ」と言われるでしょうし。でもこれは、私がもっと昔にやっておくべきことを先送りにしてしまった結果ですので……』


 ハゼルは短く「構わぬよ」と答える。彼は彼でアリーハの在り様を快く思ってはいなかったし、長く生きていればアリーハの犠牲になった者の遺族と会うことも多い。剛勇を誇るハゼルの下に仇討ちの助力嘆願にやってくる者は数えきれないほどおり、その度に陰鬱な気分にさせられていた。


(相手にもワシのような者がいて、討たれたアリーハの仇討ちと称して人々を襲ってきたなら何と思うのだろうな。そうなるのも当然と割り切れるのか、それともまた殺されたと憎しみを燃やすのか。おそらく後者なのだろうが、こんな憎しみ敵意の連鎖はどうにかできぬものなのかのぅ?)


 その願いは叶えられることになる。ただし互いが敵視し合わない形ではなく、敵視する相手が存在しなくなるという形で。フレッドは現地民を装いアリーハの性質や情報を皇国軍に与え、彼らの手でアリーハを討たせることを決意する。これにより長年の懸念だった厄介者をユージェの為政者が手を下さずに済み、さらに作戦行動中は皇国軍本隊の進行速度も遅くなることが予想され、皇国軍も面倒な捕食者に悩まされなくなるのだ。多くの者にとって益のあるこの策は、しかしアリーハ氏族にとっては悲惨な結末をもたらすことになる。ユージェ南東部の荒野における戦いは、まだまだ終わる気配をみせようとしなかった。

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