流れ者と故郷の地

@mumyou

第1話 帰るべき場所

 かつて知的生命が存在し長く続いた世界は計5つあった。しかしそのうち4つまでが創造主に見限られ、いま残るはこのラスタリアが存在する第5界のみである。過去に存在した4つの世界が見限られた理由は、創造主を打倒しうる可能性を「ほぼ」示せなかったためだ。唯一その可能性を示した第1界の華龍もすでに亡く、創造主、通称で呼ぶなら神とでも言うべき彼らの興味はこの世界に集まっていた。もっとも、数千数万もの周期に渡り期待を裏切られ続けた彼らはこの世界にも大して期待はしておらず、命あるものを滅しては「滅べることを羨む」のが常である。そのような在り様を深く憂いていたのが、もとは彼らの同胞でありはるか昔に道を違えた導師プラテーナその人であった。


「英雄殿はユージェに戻られるか。ユージェ統一連合とシルヴァンス皇国……両者の対決はもはや不可避となってしまったが、犠牲者を抑えることが「天敵」の氾濫を防ぐ唯一の方策である以上、ユージェ滅亡の予知を回避するにはそれしかないのぅ」


 字面だけ見ると老齢にも思える口ぶりの彼女だが、実年齢は今周期で12のまだまだ少女と呼べる年頃である。だが初代プラテーナの記憶を受け継ぐ秘術により、その知識は誰よりも深く魔術の腕前も人の領域を超越している。だからといってむやみに力を振るわないのをもどかしく思う部下もいたが、それは初代からの強い戒めがあるためだった。かつて無尽蔵の力を持っていた彼女の同胞たちは、永遠の命を求め「永劫不変の法」に手を出し永遠に変わらぬ存在となり、結果的には死ぬ自由もなくなり成長することもなくただひたすら、同じ記憶と同じ力を持ったまま日々を繰り返す生き方を強いられることとなった。力というのは使い方を誤れば身の破滅を招くが、破滅することすらできずに永遠に同じ日々を過ごすというのは想像以上の責め苦である。そこからどうにか解放してやりたい、というのがプラテーナの望みなのだ。


『お騒がせしてしまって申し訳ありません。通行の許可をいただけただけでもありがたいことですのに、休息と物資の補充までしていただいて。どれだけできるかは分かりませんが、可能な限りこの戦いの犠牲者を減らすことでご恩に報いますよ』


 少女に英雄殿と呼ばれた若い男は、名をフレッド=アーヴィンという。しかしそれは生来の名ではなく、本名はクロト=ハイディンである。かつて群雄割拠状態が続いていたラスタリア南西部を統一に導いた若き英雄……ユージェ統一連合となった大陸南西部に知らぬものなき将だが、ユージェを捨て一人の民として皇国の辺境区で静かに暮らしていた男だ。そして傍らには父のハゼル=アーヴィン、以前はクラッサスと名乗っていた老境に入りつつある男もいる。


「まことに、ご尽力いただき感謝に堪えませぬ。此度だけでなく、長男の魂を救う際にも手を貸していただいたこと、妻の分も御礼申し上げる。この通りじゃ」


 そう言ってハゼルは深々と頭を下げる。彼には息子が二人いて、クロトは次男であり長男はクロヴィスという。しかしクロヴィスは過去に謀殺されており、その魂を封じ込め戦闘人形にされたのだが、異界で失われた彼の槍の穂先をプラテーナがフレッドらに渡したことで魂は解放するための装備が完成し、無事に問題が解決したという経緯がある。通常であれば「数千周期に渡り知識を受け継ぎ、永遠の存在となった者たちを討ち果たしたい」などという途方もない話を易々と信じるはずもないが、彼らがそれを信じるのもプラテーナの誠意を感じ取ってのことだからだ。


「わたくしも、記憶にある限りラスタリア1000周期で3本の指に入ろうかという豪傑にお会いできてまことに光栄の極みですぞ。しかし英雄殿だけでも目立って仕方がないというに、お父上まで行かれてはユージェの民なら気付かぬものはおらんのではありませぬか。そのあたりはいかようにお考えで?」


 それは確かに悩ましい問題であった。特徴的な銀髪さえどうにかできれば中肉中背のフレッドはまだごまかしようもあるが、老境に達しつつあるとはいえ未だに筋骨隆々の巨躯を誇るハゼルはどうしても目を引く。そこで顔を隠していれば間違いなく要らぬ詮索を招くことになるだろう。


『私もそう申し上げてお止めしたのですが、長く暮らしたユージェの危機とあってはどうしても黙っていられぬと。お気持ちはよく分かりますが、正直どうしたものかと頭を悩ませているところです。私自身の問題も含め、目につかぬような時間帯と場所を選んで行軍するしかないでしょうね』


 ワシだけでなくお前とて十分に有名人ではないか、というハゼルの非難を聞き流しつつフレッドがそう悩みを打ち明けると、プラテーナは何かを思いついたような顔をし物置小屋へと向かった。記憶は5000周期ほどの積み重ねがある彼女だが、このラスタリアに降り立ってからは1000周期ほどになる。それほど長く暮らしていれば色々なことがあり、色々な物も貯まっていくものだ。その数々の品の中に、役に立ちそうなものがあるのを思い出したのだ。


「これはずいぶん前のわたくしの一人が……お恥ずかしい話ですが旅の劇団の若者に一目ぼれした際に贈ろうとした品でしての。あまりの出来のよさに気味悪がられて受け取りを拒否されたばかりか、劇の内容に政府から注文が付いて色々な意味でお蔵入りとなった不吉な品ではありますが、お役に立つのではないかと……」


 それは獣の被り物と竜の被り物で、確かに本物と見紛うばかりの品であった。彼女の話によれば首元から上を覆うその仮面は激しい動きをしても簡単には外れないように吸着の魔法が込められており、真に獣人のように見えるのだという。声は変えられないため自分で芝居がかった声でも出すしかないが、仮面越しなのでよほど注意深い人間か親しい間柄でもなければ容易には見破られないはずという見立てだった。


「これは……獣王バルザと竜賢人クゥーリですかのう。確かにこの両者が主役であれば皇国としては上演を認められはしますまい。しかし、これは本当によくできておりますなぁ。これなら変装も容易というものですぞ」


 獣王バルザと竜賢人クゥーリは皇国の約1000周期に渡る歴史において初の大規模叛乱を起こした首謀者たちである。人間国家であるシルヴァンス皇国において彼らのような獣人族の扱いは不当なものであり、それの打破を目指して立ち上がったが結局のところ叛乱は鎮圧され、それ以降はさらに獣人族への弾圧は強くなった。それだけなら皇国が劇の上演を中止にする理由はないが、問題は獣王バルザと竜賢人クゥーリの最後である。彼らは劣勢を挽回し皇国に大打撃を与えると、たまらず和平交渉に乗り出した穏健派と密約の会議を行ったのだが、そこに強硬派が乗り込み穏健派ともども討ち果たされてしまう。このことを穏健派の生き残りが皇国中に喧伝したため、強硬派も卑怯者と罵られ政治の表舞台から消え去ることとなり、皇国にはしばらく政治的空白が生まれ国内は混乱したという恥ずべき歴史として記憶されているのだ。そしてこの話は大陸南西部にも伝わり、獣人族が多く暮らすこの地では皇国に対する生理的嫌悪感とでもいうべき感情が醸成されていった。


「なにしろ当時のわたくしは両名にも会っておりましての。つまり実物を見ていましたから出来については保証いたしますとも。ただし自分以外にはこの出来が本物同然であると伝わらないのが如何ともしがたく……と、ぼやいていた気もしますね」


 およそ600周期も前に起こった叛乱の首謀者たちを目にしたと聞き、改めて目の前の少女が尋常ならざる存在であると思い知るフレッドとハゼルだったが、とにかくこの仮面はユージェ潜入において間違いなく役立つものである。二人は礼を述べると、それぞれ仮面に手を伸ばした。


「言い伝えによるならば、ワシが獣王バルザを演じたほうがよいのだろうな」

『では私がクゥーリで。しかし竜賢人ですか。その知恵にあやかりたいものですね』


 獣王バルザは屈強な武人で叛乱軍を引っ張り、竜賢人クゥーリはその智謀で支えたという言い伝えが残っているため、二人の性質からもその選択は妥当であった。もっとも現在ユージェに向かっている私設部隊「華心剛胆」はフレッドが組織したものであり、指揮官も当然フレッドである。ハゼルとしてもそのことはよく理解していた。


「ワシはまあ、神輿じゃな。戦うと素性が発覚するかもしれぬし、できるだけ奥で皆の働きを眺めさせてもらうとしよう。もちろん全力で戦わねばならぬ状況であれば存分にやらせてもらうつもりじゃが……」


 二人は皇国での故郷となったヘルダ村を出てから、ユージェ領内でどう立ち回るかの相談もしていた。そこで問題になったのが顔と、そして戦闘時におけるファイトスタイルである。フレッドは槍と弓の名手であり、ハゼルはその怪力も並のものではないのだが、手持ち武器なら一定範囲内は百発百中という特技を身に着けており、それらを使えば即座に正体が発覚するだろうというのは想像に難くない。そこで二人は決戦までそれぞれの得意武器や技を封印して臨もうということになっていたのだ。


『まあ、今回の前哨戦では相手がユージェ軍にしろ皇国軍にしろ討滅が目的ではないですからね。補給線を断ったり伏兵のふりをして警戒させ行軍を遅らせたりと、どちらかと言えば裏方の仕事が多くなるはずです。問題は本番ともいえる「天敵」たちの氾濫でしょう。発生規模にもよりますが、手加減していられる状況ではなくなる可能性だって十分にありますから、そうなればこの仮面もお役御免と相成りましょう』


 これより先はどちらの勢力からも「味方とは認識されない」立場での行動となる。ただし数の比率では皇国120:ユージェ80:華心剛胆1という状況のため、面と向かって勝負を挑むことなど出来ようはずもない。だがこの前哨戦で犠牲を抑えることが本戦での勝利に重要な要素となるため、知恵を絞り使えるものは何でも使って切り抜けなくてはならないのが厳しいところだった。


「案外、獣王バルザと竜賢人クゥーリの伝説がワシらの力になってくれるのかも知れぬな。もしそうなったら偉大な先人に感謝すると致そうぞ!」


 獣王バルザと竜賢人クゥーリの再来が現れたと聞けば、心を乱すものも少なくはないはず。ハゼルは軽くそう考えて口にしてみただけだが、それが現実のものとなり新たな伝説として後世に語られることになろうとは夢にも思っていなかったのである。



 ラスタリアと名付けられたこの大陸は、中央に大陸最高峰の高山メルクディが存在している。それを基点に北は北西、南は南東に山脈が広がっており大陸を二分する形となっている。メルクディの北東に広がる肥沃な大地を支配するのが人間国家たるシルヴァンス皇国で、その歴史はおよそ1000周期にもなる強大な国家である。そしてメルクディの南西に広がる荒野を支配するのが近年この地域を統一したユージェ統一連合であった。もとは覇権国だったユージェも、統一連合となってからは連合を構成する一国家となったが、当然のことながらその影響力は統一連合でも随一である。


「やはり皇国は懲罰戦争を仕掛けてきますか。小競合いも含めれば二度も領地を荒らされた以上、黙って見過ごしてはくれぬと覚悟してはいましたがね……」


 皇国領内に不穏な気配あり、との報告を受けそうボヤいたのはマイアー=ベルトランという30周期を越えたばかりの男である。旧ユージェ王国には国を支える3つの名家があり、それぞれ軍事を司るハイディン、智略調略の類を任されたベルトランに内政外交などを担ったダルトンといった。このうちハイディンは先代当主クロトで断絶しているが、他の2つはいまだにユージェの支柱として働いており、マイアー=ベルトランは現ユージェ統一連合の宰相として大きな存在感を放っていた。


(クロト君……いや、今はフレッドと言ったか。とにかくこんなことになってしまい残念だが、願わくば君がこの戦いに参加していないことを望むよ。こちらとしても国家の存亡がかかっている以上、手段は選んでいられないからね)


 マイアーは幼少時のクロトを指導していた時期もあり、言うなれば勉学における師匠のようなものである。この両者はお互いに自分が持たない要素をリスペクトしている傾向にあり、例えばマイアーはフレッドの武人らしく果断即決できる度胸を己にないものとして高く評価していたし、フレッドはマイアーの目的を達するために冷酷な判断も辞さない精神力には敬意を払い恐怖すら感じている。二人の軍事的政治的な水準はややマイアーが勝る程度だが、ものの考え方には大きな違いがあったのだ。


「外縁部には今から報せを出しても間に合わないだろうね。だから外縁部の者たちには時間稼ぎのための犠牲になってもらうとして、それ以外の地域には可能な限りの物資を持ってユージェ西部に逃れるよう伝えて下さい。皇国軍が最終的に目指すのはこの首都ユーライアだろうから、皇国領とユーライアを結ぶ直線上には近づかぬようにとも。その線上に在る主要な都市はすべて焼き払うので」


 穏やかな口調と、民衆を思いやる言動の中に散りばめられた冷徹な策謀。これこそがマイアー=ベルトランを物語るにふさわしいものである。彼は焦土作戦により皇国に物資の負担を強いつつ大陸南西部の中央付近にある首都ユーライアまで引き込み、そこで攻勢限界点に達しようとする皇国軍を打ち破り残存兵も残らず討ち果たそうと考えていた。こちらから出て戦えば民衆の犠牲も国内の経済へのダメージも抑えられるが、それでは勝利しても皇国軍は勢力を保ったまま撤退できてしまう。そして次はより準備万端な状態で攻め寄せるだろう。それをさせないためにも、当分はユージェと関わる気がなくなるほど完膚なきまで叩きのめさなければならない。例え国内にも大きな負担を強いることになろうとも、である。フレッドはマイアーがこのような手段を用いるであろうことは予測しており、それが最も効率的だと理解していても自分は出て戦う道を選ぶだろうことも分かっていた。ゆえにフレッドはマイアーのそういった部分を恐れるのだが、今回はそれを完遂させるわけにはいかなかった。


『皇国軍は戦力だけで約6万。我々の120倍といったところですか。それに補助をする非戦闘員も含めたら10万に届くでしょう。仮にそれだけの人を死なせたら「天敵」の氾濫は予測もつかない規模となり、まず間違いなく大陸南西部は第4界のように滅んでしまいます。マイアー先生もそれは分かっておいででしょうが、皇国に滅ぼされるか「天敵」に滅ぼされるかの違いでしかない以上は初戦に全力を傾けるしかない。お互いの立場もあり苦しいところですが、なるべく犠牲を減らすため皆の力を貸してもらいたい!』


 これはメルクディの麓にあるメルクマールを出立する際、フレッドが部下に訓示した内容である。皇国軍は険しいメルクディがある中央部は避け、大陸の北西と南東からユージェ領内に侵攻する計画を立てているが、このうち北西から侵攻する部隊は同志たるブルート=エルトリオ率いるザイール辺境区軍や竜を駆る者としてお互いに認め合うアウデン=アウグスト率いる皇国軍の精鋭騎竜兵団「破城崩壁」が主力ということもあり、ある程度の手は打つことができている。問題は南東部から侵攻する皇国軍本隊をどう止め、どう逃がすかということであった。


『侵攻開始直後は皇国軍の士気も高く、数の差を考えてもまともに手は出せません。そしてそれは、ユージェ軍とて同じことのはず。戦闘の序盤は皇国軍の圧倒的優勢の形で推移し、ユージェ軍は敗走を繰り返すでしょう。しかし皇国軍がユージェ奥深くまで足を踏み入れれば気候風土の違いや疲労による体調の悪化、長く故郷を離れた望郷の念などから次第に序盤の勢いは失われます。そうなった時にユージェ軍の一大反攻作戦は開始されるはずですが、それをどう止めるかが我々の課題ですね。皇国軍より少ないとはいえ我々よりはるかに多い4万くらいは集めるでしょうし』


 そして軍勢同士のぶつかり合いもさることながら、これはどうマイアーの裏をかくかという個人の戦いでもある。だがフレッド自身はいまだマイアーを出し抜く妙案が思い浮かばないでいた。しかし立ち止まって悩んでいる時間はなく、行軍しながらでも考えをひねり出すしかないのだ。


(普通に考えればユージェ全軍4万を以って数が少ない北から侵入した部隊を叩き、挟撃の危険性を排除した上で南の敵本隊と決戦に臨むが……そうしてくれたらいろいろと付け入ることもできるんだけど、先生は反抗作戦開始まで動かないだろうからなぁ。冷静に考える時間を与えたらこちらの手も見抜かれるだろうし、今は先生の出馬を待つしかないのか……?)


 フレッドの迷いが晴れていないこともあってか、メルクディを越えてから最初に出された指示に「華心剛胆」のメンバーは驚くことになる。その内容は「各自が故郷や親族のいる地に向かい避難を促しつつ情報を集めて帰還せよ」というものであったからだ。かつて国を捨ててまでフレッドの下に参集してくれた旧ユージェ出身者のみを引き連れてきた理由の一つが、彼らの不安要素を取り払うことであった。


『家族を連れて国を出た私と違い、皆にはまだユージェに家族なり親族なり、友人や想い人なりがいるのだろう?そういった人々を犠牲者にしないことも今回の目的のうちに入っているのだから、遠慮せずに向かってくれて構わない。ただしあまり時間的猶予はないから、どうにか30日以内に戻ってくれ。もちろん戻った先で新たな生き方を見出せたならその限りではないが、いずれにしてもこれから先の行軍は苛烈なものとなるゆえ……戻る場合は思い残すことのないように』


 ハゼルという飛び抜けた存在を除けば、フレッドは現存するユージェの武人としては間違いなく最上位に位置するのだが、単に戦いを求める戦鬼ではないあたりがこの発言からも窺い知れる。フレッドは戦いで命のやり取りをすれば死者が出るのは当然と考えてはいるが、誰かを殺したいとも死なせたいとも思ったことはない。戦いの最中に命を落とすならそれが運命なのだろう……というのは戦乱が続いたユージェの地ではありふれた考えだが、フレッドは「それが運命だとしても、黙って死んでやる気もないし無為に死なせる気もないね」という反発心でこれまで生きてきたのだ。


「それぞれ思うところもあったろうが、とりあえず旅立ったようじゃな。全員が戻るとは限らんが、戻らぬ者はよりよい未来を見つけたと考えようぞ。それで、ワシらは今後どのように動くべきであろうか?」


 アル=ファールやベタル=システ、グアン=マーゼら幹部も含めユージェ出身者は隊を離れ各自が所縁のある地へ向かい、ハゼルと親戚縁者がいない50名ほどが残るのみである。数としては十分に多いが軍としては戦える規模ではないので、このメルクディへの登山口に当たる場所でしばらく逗留することになるのだが、フレッドはやっておきたいことがあった。


『実は、近辺の街や村を見て回りたいと考えておりまして。己の決断がどのような結果をもたらしたのか、ユージェは変わったのか変われなかったのかをいつかこの目で確認したいと……そう思っておりました。この仮面のおかげで出歩けますしね』


 権力が集中することを恐れユージェを出たものの、復讐に駆られるフォーナーの所業を見る限りユージェがいい方向に変わったようには思えない。一方で旧ハイディンの一門衆たちがユージェに居場所を失ったように考えたのは、彼らに対し酷なようだがよい兆候に思える。ハイディンという最強の武闘派集団を失ったことでユージェ軍は再編成を余儀なくされ、多くの国や氏族が参加する連合軍が結成されたからだ。それにより旧ハイディンの兵が居場所を失ったというのは皮肉でしかないが。


「お前もワシも、そしてあのプラテーナ殿ですら世のすべてを思うままにはできぬものよ。我らが去ってユージェがどうなったかは分からぬが、たとえどうなっておろうともお前には何の責任も有りはせんさ。すべてはユージェに残った者たちが己の判断で、己の責任において選んだ道なのだから。そんなワシらでも「天敵」に対しての手助けくらいはできるが、間違っても「自分が残っていればもっと良い未来が築けた」などと考えてはいかんぞ。それは現実を直視できぬ者の逃げ道なのだからな?」


 かつて助けたウルス氏族の裏切りにより、長男クロヴィスを失った時ハゼルに対して「あの時ウルス氏族など助けねば良かったのだ」と賢しげに言う者は多かった。しかしウルス氏族を救うための軍を興した際に「ウルス氏族はいずれ裏切るだろうから助けるな」と忠告した者は一人もいない。直前で起こった事象に対し過去を持ち出して批判するほど非生産的なものはなく、ハゼルはそれを息子にさせたくもなかった。


『分かっていますよ。私も将として人の命を預かる身、過去を振り返って「こうしていれば損害は減らせた」などとほざく愚か者は心底嫌っておりますゆえ、自身がそのようになるつもりはございません。ただ、今後はしばらくユージェで活動をすることになりますし、常識的なものが変化していたら思わぬ形でボロが出てしまうのではないかと危惧しているのです。なにせ竜賢人クゥーリの再来を演じるわけですから、人々に「クゥーリの再来は常識も知らぬ奴だった」と笑われる訳にもいかず……』


 そう答えるフレッドだったが、ユージェで活動する~以降の話からはウソである。やはり自分が去ったことで混迷を極める結果となってしまったなら、それは自分の罪であると思わずにはいられないのだ。生きていくためとはいえユージェ軍と刃を交える結果となった男が、ユージェの未来を案じこうして潜り込むように帰郷を果たす。とんでもない偽善だとなじられても仕方ないことだが、破滅への道をひた走る故国を見捨てるにはユージェでの思い出が多すぎたのだ。


(もはやユージェは私の帰るべき場所ではないというのに、こうして戻ってきてしまうとはね。これは未練なのか。国を、そしてあの人たちを捨てたことに対する……いや、そうではない。仮にこの戦いの犠牲者が多くても「天敵」の氾濫が起こらないのなら私は帰らなかったはずだ)


 ユージェが「天敵」により破滅すれば、ユージェにおける犠牲者を苗床にしてさらに勢力を増した「天敵」が皇国をも飲み込み、この第5界は第4界と同じような結末を迎えるだろう。そして神と、プラテーナの記憶を引き継ぐ者は失意のうちに次の世界へと向かうに違いない。彼らにとってここは数ある世界、数ある選択肢、数ある可能性の一つに過ぎないのかもしれないが、この世界に生きる者たちは違う。そしてこの世界に生きる者の一人として、そのような結末はなんとしても避けねばならなかった。戦場にも立つ身である以上、命は惜しくはない。ただ「破滅の未来があり得る」との情報を託されておきながらそれを回避し得ず、予言通りに滅んだというのではあまりに情けなさすぎる。悪く言えば、フレッドの単なる意地で世界の命運を変えようというのだが、その意地こそが若くして英雄足り得た理由でもある。彼は「まだ若い」だの「親の七光り」だのと陰口を叩かれまくる度に、それを見返してやろうと全力で生きてきたのであった。


(だが戻ったところで何も成し得なければわざわざ帰ってきた意味がない。戦況が変化するまで40日くらいはあると思うが、それまでに打つ手を考えなければならないのはなかなかに厳しいね。でもやり遂げねば、皆のためにも……)


 皆というのは家族のことなのか、部隊の仲間のことなのか。それともザイールの同志たちや皇国の人々なのか、もしくは捨てたはずのユージェの知人と民衆か。にわかには答えが出そうもないが、最終的にはそれらすべてが当てはまるのだろう。


『ずいぶんと強欲になったものだな、フレッド=アーヴィン。手が届く範囲だけでも守り切るのは大変だというのに、会ったことのない人まで守ろうというのだから』


 半ば自嘲気味につぶやいたその声を聞いた者はいなかったが、発言者の顔を見ればその言が本気であることは伝わったことだろう。フレッドは強大な相手に厳しい条件という困難な状況に、先が思いやられつつも確かに高揚していたのである。武人としてこれ以上の魅せ場はないという、救いようのない想いと共に。

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