嫣然と風景

浦木 佐々

嫣然と風景

幼少期より背が伸びたせいか、見える風景は変わっていた。

 思い出の場所に立って居るはずなのに、押し寄せる感動は無く、寧ろ過去の輝いた日々に戻りたくなり、不意に悲しくなった。それは、きっと、体が大きくなり、行ける場所も増え、目の前の風景の先を想像出来る様になってしまったからだろう……と結論付けた。実家の裏山の頂上から眼下に広がる街を見下ろしていると、過去の出来事の中で、置き去りにした思い出がひょっこり顔を出す。


「そう言えば……祠あったよな」


 幼い頃、友人達と山で迷った時、一度だけ山の中でポツンと佇む、不思議な鳥居を見つけた事があった。

 それを潜った先には、ボロボロながらも妙な神聖さを醸し出す祠がまるで時代の流れに逆らうように建っていた。

 そこから、どう移動したのかは覚えていないが、気付いた時には、山の入り口の木の根元で眠っている所を、両親や街の人達に見つけられて、えんやえんや取り囲まれている所だった。両親からの説教には耳も傾けず、余りの不思議さに空を眺め、「もう夜か」などと呟いてしまう程に、時が一瞬で過ぎてしまった感覚に陥って……すると両親ももっと怒って……。

 しかし、俺達が何やら神聖なモノに触れた。と、いう事は頭では無く、心でわかっていて、それを両親や街の人に必死で説明したが、信じてもらえる訳も無く、それから少しの間嘘吐きと呼ばれていた事も今では良い思い出と呼べる。


「祠、探すか」


 まだ、夕暮れまでは時間があった。

 足早に頂上を去り、山の中をあてもなく彷徨う。元より迷って辿り着いた場所だ。道順など覚えている訳もなく、フラフラと鬱蒼とした山を彷徨い続けた。その最中は無駄な雑念などは無く、ただ漠然とした行けるだろうという確信が胸中に蔓延っていた。

そして一時間ほど進んだ頃だ。俺はある事に気が付いた。


「……此処はどこだ?」


 足元に続いていた獣道は、何時の間にか途切れ、どれだけ探しても山道へ戻れそうな道が見つからなくなっていた。

 視界の中の景色も変わらず、辺りには青く茂った木と小鳥の鳴き声以外には何もない。

 山とは、何か畏れを抱く空間だ。

 その証拠に、心身共に成長したはずの俺が昔迷子になった時同様に不安から無闇に動く事を放棄していた。

 時間だけが過ぎて行く。それに合わせて、空に群れをなした入道雲は消え、淡いオレンジが頭上を染めた。

 ヒグラシのカナカナカナ……と鳴く音が耳に染みる。

 山を撫でる様な風が吹き、フワリ……と鼻をくすぐる。

 それだけで、異世界に迷い込んだ様な気持ちになる。まるで幽霊の世界に迷い込んだような……そんな感覚だった。

 何故だかは解らない。

 それでも、この空間から逃げ出したいという衝動が、徐々に強くなっていく。此処に留まれば留まる程に、何か大きい存在に心まで見透かされる様な、そんな畏怖の念が強く湧き上がり、それがとてつも無く嫌なように思えて仕方がなかった。

 そう思い立った矢先、先程までの疲労感が嘘の様に、まるで何かに引き寄せられるようにフラフラと体が前を向き歩き出した。

その足取りは、一応目的地を設け進んでいた先程とは異なり、単に此処より遠くへ行くことが本懐のような乱雑なものだった。


「……嘘、だろ」


 行き先など決めてなかった……。

 行き方など忘れていた……。

 それなのにも関わらず、例の祠へ続く鳥居は、疲れ果てた俺が足元から視線を上げると共に目の前に現れた。

 鮮やかな朱で染められた鳥居は、今日にでも手入れされたんじゃないか……そう思うぐらい綺麗で、それが異様に思えて、驚きで隠れた恐怖が再び胸中を支配する。

 何故、誰もこの場所を知らないのか。この山に詳しいジーさんでさえ、祠の存在を否定した……だが、現に祠への入り口は俺の目の前にある。

 一歩踏み出せば、届くのだ。

 真偽を確かめる為……そして、何か大事な事を思い出す為に、俺は踏み出した。この頃には恐怖の念に、此処は一体なんなのか。を確かめたい好奇心の方が勝っていたのだ。

 鳥居を潜れば、先程の場所から見えるはずの位置に、何故か見えなかった祠が見えた。鳥居と違い、ボロボロの祠の紙垂の前まで来て、俺は歩みを止める。

 ヒグラシの鳴き声が強くなった。

 それと同時に、不安が心の淵を浮き彫りにする。

 やはり、この祠には、何か不思議な力があると思った。

 その正体は何なのか、魑魅を封印する祠か、神を祀る為のものか……。

 そんな思考を繰り返していると、不意に頭を下げなければならない様な気がした。

 それが本能的な感覚なのか、日本人故の感覚なのかは解らないが、取りあえず頭を深々と下げた。

 賽銭や供物も捧げる事無く、頭だけを下げるのは、もしかすれば無礼にあたるのかも知れない。けれど、俺も願い事を告げる事をしなければ、良いだろう……と、しかし挨拶ぐらいはしなければならないな、なんて所帯染みた頭の中で「こんにちわ」などと呟いていた。

 初めは挨拶だけ……と、思っていても、何か言わなければならないと勝手に思い、いらぬ事まで話すこと数分、頭を下げ続け、たっぷり話した俺は顔を上げようとした。

 もしかすれば、神様や魑魅の類が、恐ろしい顔をして、俺の事を見ているかも知れない。そう思と、少し憂鬱な気分になったが、それでも顔を上げた。


「久しぶり、お馬鹿さん」


 顔を上げ、目を開けた時。

 視界には、神様でも、妖怪でも無く、泣きぼくろが印象的な少女の顔があった。

 彼女はニッコリと笑みを浮かべながら、言葉を紡ぐ。

 切妻屋根に腰掛る彼女を見て、失われた記憶が嘘の様に蘇ってくる。

 俺達は昔迷子になって、此処に来た時、彼女と遊び、疲れて眠ったんだ。


「久々……ですね」

「何か生意気じゃなくなったね」

「歳とったもんで……」

「へえ、最近どう?」

「どうって……別に」

「んー、幸せ?」

「……何か、幸せです」

「そっか」


 彼女は言い終えると切妻屋根から猫のように飛び降り、俺の頭を背伸びして撫ぜた。

 もし、今の思いを忘れる事になれば、また此処へ来よう。

 そうすれば、彼女に会えるのだから、俺は幼い日の自分に戻れた気がした。

 見た目だとか、考え方とか、周りの環境とかでは無く、何処かに起き忘れた何かを見つける事が出来たのだ。もしかすれば、それはただの思い違いかも知れない。勘違いの類いかも……それでも今は良いんだと、言葉にはし辛い、ほんのりとした優しさに包まれていた。


「また会おう……」

「そうだね、またね」


 最後の言葉を交わした時、意識は黒く塗り潰される。そして、俺は山の入り口にある木の根元で目を覚ました。

 俺は条件反射の様に顔を上げ、空を睨んだ。


 なるほど、夜は更けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

嫣然と風景 浦木 佐々 @urakisassa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ