1-13.探す理由

 部屋でつたない昼食を食べていると、ほおから首がうろこおおわれた男が入ってきた。


「ヤシューはいるか?」


 男の声にヤシューが振り返る。


「どうした?」

「仕事だ。手を貸してくれ」


 聞くと彼はさっと立ち上がり、男の後に付いて階下へと下りていった。何事かとマハにたずねると、祈祷部屋きとうべやから祈祷者が出てきたのだろうと言う。


「あいつの仕事は、祈祷部屋で死んだ奴を部屋から運び出して埋葬まいそうする事だからね」


 心臓がどきりと跳ねた。


「前の祈祷者が部屋に入ってから七日経ってる。おそらくもう、無事じゃないだろう」


 祈祷部屋に入って死ぬ奴も少なくない。そう聞いてはいたが、実際目の当たりにしてしまうと血の気が引いた。

 マハの顔を見てみても、無表情でうつむくばかりで感情は読み取れない。ガイの方へも視線を向けてみるが、彼もランプの炎を見つめたまま動かなかった。

 次に順番が来る者はどんな気持ちで待っているのだろう、千晴はそんな事を考えていた。






 踏み固められた雪は氷のようだった。転ばないよう、慎重に足を進めていく。

 天管てんかんの裏手に回り込むと、周りを雪の壁で覆われた開けた場所に出た。見慣れた背中を見つけ、そちらに歩いていく。

 そこかしこで白く雪が盛り上がっていたが、一ヶ所だけ、土を掘り返して茶色くにごった場所がある。その前で、ヤシューがシャベルを手に座り込んでいた。近付いて見てみると、彼の手は土とあかぎれでどろどろで、こごえた手が真っ赤にれあがっている。持ってきた白湯さゆを手渡すと、彼はありがてぇ、と一口飲み、それを大事そうに握り締めた。


「ヤシューはいつも祈祷部屋で亡くなった人を埋葬してるの?」

「そうだな。誰もやりたがらない仕事だ。これから祈祷部屋に入ろうって奴にやらせるには、あまりにもこくな仕事だからな。だから、俺がやってやらにゃーな」


 いつものように、からりとした調子で彼は言う。


「ガイは俺の事、意気地いくじなしだと思ってんだろうな」

「それは……」

「まぁ、その通りだから仕方ない。俺はおっかねーってびびって逃げちまったんだ。だからせめて、命をけようとしてる奴らの気持ちが少しでも楽にしてやれたらいいと思ってる」


 千晴が首をひねると、ヤシューは目の前の盛り上がった土を指差した。


「こいつな、祈祷部屋に入る前に俺に言ったんだよ。俺が死んだら、骨を拾ってくれってな。で、俺はおうよ!って威勢良く返してやったぜ。マハにはどつかれたがな。縁起えんぎでもない事言ってやんなって。でも、そいつ良い顔して行ったんだぜ。……こういう事言うと、またあいつらが怒りそうだけど、俺はそういうのもありだと思うんだよ」


 優しい目をして、彼は土の下に眠るその人を見ていた。


「家族もない、身寄りもない、独りぼっちの俺達は、死んだ事さえ知られないまま消えちまう。獣のえさになったり、死体が野ざらしになっちまう事だってあるだろ。でも最後の最後に、ご苦労さんって抱きかかえられて、土にかえれる最後もあるんだっていう希望がさ。そういう希望も、ありだと思うんだよな」


 胸がいっぱいになる。冷たい頬に、涙が流れていった。

 相手は優しい目をこちらに向ける。


「千晴は優しいな。こんな所、似合わねぇよ」

「私……自分が情けない……。何もしてない、私だけ……」


 ガイもマハもヤシューも、自分の生きる道を見つけて前に進んでいる。こんなに過酷な場所で、希望を見つけて前に進もうとしているのに。

 自分はどうなのだろう、と千晴は思った。

 怖い事から逃げてばかりで、目をらして、必死に逃げる言い訳を探している。誰かが天管に行けと言ったから、誰かが祈りに行くのはやめろと言ったから。いつも誰かのせいにして、自分の生きる道を決める事から逃げていた。


「俺も何もしてないぞ?」

「そんな事ない! ヤシューはここの人達から必要とされてる! ヤシューのやってる事は、色んな人を救ってると思う!」

「……だったらいいな」


 彼は力なく笑った。


「俺、気付いちまったんだよ。魔力なんて、俺は大して欲しくなかったんだ。ただ笑って俺の名前を呼んでくれるような、そんな場所が欲しかったんだよな。だからもう、十分なんだよ。俺はここで十分なんだ。飯は不味まずいし、寝床ねどこの寝心地は最悪、あかぎれも死ぬほど出来るけど、俺の欲しいもんは全部ここにそろってる」


 でもな、と彼は続ける。


「お前らは、俺みたいになるな。ガイはやめとけって言ったんだろうけど、千晴は前に進め。大丈夫、お前なら出来る」

「私は……自信がない」

「お前だっていいもん持ってる」

「そんなの……ない」


 ヤシューは体をこちらへ向けた。


「あるさ。ガイに、俺に、自信をくれた。それがここの奴らにとってどれだけ力になるか」

「私は何も……」

「俺が必要とされてるって、そう言ってくれた」

「それは事実だから、」

「でもそれを言葉にしてくれた。辛い事が起こると、人は捻くれちまうんだよ。自分にはないものを他人が持ってるとねたましくてたまらなくなるんだ。人をめてやれるのは、心に余裕のある奴だけだ」


 それは彼のしている事に比べたら全然大した事ではないように思えた。納得いかずに黙っていると、それを見透かしたように男は言う。


「千晴と話すのは楽しい。俺の事、褒めてくれるからな。それが俺達にとってどれだけとうといものか、お前は気付いてないだけだ。ダブル達が死に物狂いでここまで来て、死に物狂いで祈り続けるのはな、他人からの称賛が欲しいからだ。お前はそれをくれる。俺に生きる希望をくれる。お前も俺達の役に立ってる。胸を張って、生きていい」


 生きていい。

 その言葉に、また胸がいっぱいになる。思わず俯いた頭を雑に撫でられると、またもう一滴、涙が頬を伝っていった。





 ********





 その日の夕刻、新しい祈祷者が部屋に入っていった。神妙な面持おももちで扉の前に立つ祈祷者を他のダブル達が見守っている。中には彼の肩や背中を鼓舞こぶして叩く者もいた。

 逃げ出したいに違いない。けわしい顔をして祈祷部屋に入っていく男を見て、千晴ちはるはそう思った。

 それでも命を懸けて進みたい道がある。それが何なのか、酷く興味を引かれた。


 三人のいる部屋へと戻ると、中の空気が張り詰めているのを感じた。重苦しい空気の中、だんを取る為にランプの前に座ろうとして誤ってランプをってしまう。炎が消え、辺りがふっと暗くなった。


「何してんだい! さっさと付け直しな!!」


 マハに凄い形相ぎょうそうで怒られ、千晴は慌てて火を付け直す。そんな様子を見ていたヤシューが、彼女に不満げな声を上げた。


「おい、マハ。千晴に当たるんじゃねぇよ。千晴、気にすんなよ。こいつら、次に選ばれたのが自分じゃなくてイラついてるだけだからな」


 どうやらこの張り詰めた空気はマハとガイによるものらしい。ガイは布団にうずくまったまま動かず、マハはイライラした様子で自分の爪をいじっている。

 この気まずい空気をどうにかしようと、千晴は努めて明るい声を出した。


「ねぇ、マハは魔力が手に入ったら何をしたいの?」

「……あんたに関係ないだろ」


 冷たく返され、押し黙ってしまう。それを見て、またヤシューが溜息を吐いた。


「いつまでピリピリしてんだよ。次の祈祷者はもう決まっちまったんだ。いつまでもねてたってしょうがねぇだろ」

「うるさいね」


 先程の祈祷者の顔がぎる。彼女がそこまでして手に入れたい夢とは何なのか。どうにも知りたくて、めげずにもう一度、彼女に問いかけた。


「ねぇ、マハはなんで魔力が欲しいの? 私、マハの事知りたい。教えて欲しいな」

「……」


 顔をしかめられたが、黙って待っていると相手はゆるゆると話し出してくれた。


「別に。魔法使いになれば扶持ぶちが稼げるからだよ」

「お金を稼いでどうするの?」

「……子供と一緒に暮らすんだ」

「子供がいるの!?」

「あたしのじゃないよ!」


 気恥しいのか、彼女は口をとがらせる。


「子供が、好きだから。身寄りのない子供が生きるのに困らないよう、住める場所が作れたらと思って……。ダブルの子供達はガイみたいにここまで辿たどり着く事もなく死んじまう事が多いんだ。そういう子達の為に、もっとダブルが住めるような場所を増やしてやりたいんだよ」

「マハ……」

「知らなかったな。がらでもねぇ……」


 ヤシューが驚いた顔をすると、彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。


「そんで子供達をこき使ってやるんだ! いっぱしに稼げるようになったら、その金で贅沢ぜいたくな暮らしをしてやろうと思ってね!」


 千晴はにっこりと微笑ほほえむ。少し意外だったが、胸が温かくなる優しい話だった。


「素敵な夢だね。絶対叶えて欲しいな」

「か、叶えるさ……もちろん!」


 そう言うと、彼女はくるりと背中を向けてしまう。


「何笑ってんだよ、マハ」

「うっさいね、おだまり!」


 彼女が喜んでくれる事が何だか嬉しかった。ヤシューが言ってくれた通り、自分にしか出来ない事があるのかもしれない、少しだけそう思う事が出来た。


「実際に魔力を得られたダブルの人達は、今どんななの?」

「さぁなー、得られる魔力の特性も人によって様々だ。そもそも魔力を得られるダブルは本当に少ない。十年に一人いりゃ多い方か」


 目を見開く。思っていたよりもずっと少なかった。


有名所ゆうめいどころと言えば、黒の森の魔法使いか?」

「今生きてる天管てんかん帰りのダブルで、一番の有名人は間違いなくそうだろうね」

「黒の森の魔法使い?」


 聞き慣れない言葉に首をかしげると、驚いたようにヤシューがこちらを向く。天管に来てから、もう見慣れてしまった表情だ。


「黒の森の魔法使いを知らないのか? ちょいと前に吟遊詩人ぎんゆうしじんや行商人が各地でその魔法使いの話をしていたんだがな。昔々、四賢人がつどって話をしておりました、って話だよ」


 千晴は首を振る。彼はあきれたように肩を落とした。


「千晴は本当に世間知らずだなぁ。一体どこのお嬢様だったのやら」


 困った顔をしてみせると、彼はしょうがないな、と言って話してくれた。


「黒の森ってのが、ここから南東の方角にある。その森に住んでる魔法使いは天管帰りのダブルだ。かつて四賢人と言われた四大魔法使いの内の一人だな」

「すごい。四大魔法使い……」


 凄さは良く分からなかったがそう感心していると、隣からマハが口を挟んでくる。


「ただ、すごい嫌われ者だね」

「え、そうなの?」

「評判は悪いな。まぁ、そのおかげでこんだけ有名になったとも言えるがな」


 ヤシューは声音を落としてささやいた。


「強欲な男だという噂だぞ。自分の欲しい物を手に入れる為なら何でもやる。ある強大な魔法を手に入れる為に、自分の兄弟子と師匠も殺しちまったって話だぜ。悪い事は言わん。黒の森には近づくなよ?」


 千晴は生唾なまつばを飲んでうなずいた。


「あと他に有名と言えば、交易の町の若領主かい」

「あぁ、そうか。そいつも有名だな」

「こっから出て行き場がないなら、そこで仕事を探すのもいいんじゃないかい? 人格者だって評判だし、同じダブルのよしみで良くしてくれるかもしれないよ」


 その時、部屋の隅から小さな声がした。


「……そんな訳ない」


 声の方を見やると、変わらずガイが布団にくるまっている。


「ガイ?」


 声をかけるが、彼はむくりと起き上がるとさっさと部屋を出ていってしまった。その様子がなんだか気になって、千晴は彼の後を追った。






 ガイの後を付いて行くと、銅像のある屋内庭園へと辿り着いた。


「ガイ、どうしたの?」


 声をかけてみるが、彼はすぐに返事をしなかった。しばらくして、彼はこちらの質問には答えず、逆に質問を投げてくる。


「……千晴は他の奴の話なんて聞いて、どうしたいの?」

「どう、って?」


 その声には不満の色がにじんでいた。質問の意図が分からず、ただ続きを待つ。


「他人の生き方なんて聞いてどうしたいの? 真似まねしたいの? 千晴には千晴の夢があってここまで来たんじゃないの?」

「それは、そうだけど……。でも、誰かの話を聞いて喜んで貰えたら嬉しくて。必要とされてるって感じがするし……」

「それって、本当に千晴が今一番やらなきゃいけない事?」


 彼が振り返り、茶褐色ちゃかっしょくの瞳が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。なんだか気圧されてしまい、そこから目を逸らした。


「……でも、皆喜んでくれてるし」

「そりゃそうだよ。今まで自分の話を他人にきちんと聞いて貰えるなんて事、なかった奴らばかりなんだから。最後の死に向けに自分のいた証を残したいんだ。遺言ゆいごんのつもりなんじゃない」

「そんな言い方……」

「俺がここで何人死人を見てきたと思ってるの?」


 口を閉ざす。彼の目は真っ直ぐにこちらを見つめている。見透かそうとしているようだった。


「千晴は逃げてるよね」


 自分自身でさえ目を逸らしてきた事を、彼はずばりと言い当てる。言い返す言葉などなく、唇を噛んだ。

 皆の話を聞いて、喜んで貰える事に満足しようとしていた。祈祷部屋に入らなくて済む理由を探して、出来るだけ先延ばしにしようとしていたのだ。


「誰かや周りが良いように変えてくれるなんて、そんなのある訳ない。いくら待ったって誰もそんな事してくれないよ」


 胸が痛い。彼の小さな体から、たまに重すぎる程のプレッシャーを感じる事があった。


「俺は知ってる」


 視線を上げ、彼を見返す。放たれた言葉ははっきりとしていたが、彼の目はとても悲しそうだった。


「千晴は何から逃げてるの?」


 テキトーに言い訳を考えようかとも思ったが、真っ直ぐ見つめ返してくるこの小さな少年の目には、そんな事すぐにばれてしまうのではないかと思った。だから、千晴は自分に正直に答える事にした。

 ごくりと一つ、唾を飲み込む。


「……死から」


 祈祷部屋に入れば死んでしまう。どうしてもその考えを払拭ふっしょくする事が出来なかった。それかもしかしたら、それを望まれてここに連れて来られたのかもしれない。俯いた視線の先に、震える自分の拳が見える。


「死は、そこにあるよ」


 投げられた言葉に、顔を上げる。彼は銅像に目を向けていた。男女の像が、切なげに見つめ合っている。


「アランとクレア、最後にどんな気持ちだったか教えてあげようか」


 少年は、彼らと同じものを見つめて言った。


「死への恐怖、苦痛への恐怖、なんで自分がこんな目に、もっと自由に生きられるはずなのに。自分の好きな所へ、好きな時に、えもしない、こごえもしない、そんなふうに生きられる筈なのに。俺にだけそれが許されないなんて、そんな事ある訳ない! 誰にそんな事を決められる権利があるっていうんだ!!」


 彼の眼に、燃え上がるような怒りが見える。それが酷く悲しかった。

 その熱い眼差しがまたこちらをらえ、ぎくりとする。


「死はすぐそこにあるよ。千晴が逃げようと、立ち向かおうと、すぐそこにあるよ。大事なのはどう生きるかじゃないの? 千晴はどうやって生きたい? 何が出来たら、良い人生だったって思える?」

「……分からない。どうやって見つけたらいいのか」

「それは逃げてたら、いつまでも分からないままだよ」


 また、言葉に詰まる。やらなきゃいけない事は分かっていた。しかし、どうしても足がすくんで進めない。


「俺は千晴に幸せになって欲しい。最初は世間知らずで、やる気がなさそうで、何かイライラする事もあったけど。でも、他人の事を気にかけて、他人を喜ばせて嬉しそうにしてて、そういうの見てたら、俺も千晴の背中を押したくなった……」


 まさか褒めて貰えるなんて思ってもみなくて驚いた顔をしていると、照れ臭いのか相手は目を逸らしてしまった。


「外に出て、もっと色んな奴にそうやってやれよ。話を聞いてやれよ。こんな狭い世界じゃなくて……」

「ガイ……」

「千晴なら出来る。俺は信じてる」


 力強い言葉が嬉しくて、鼻の頭がつんと痛む。零れそうになる涙を必死に我慢していると、彼がこちらの手を引いた。


「順番待ち、しよう。俺も一緒に行ってあげるから」


 頷く事は出来なかったが、年の割に大きな手に引かれ、屋内庭園を後にする。自分よりも背の低い、小さな背中について行った。


 正面ホールに着くと、ガイは千晴を紫色に光る大きな水晶玉の前に立たせた。

 握った手が心強い。一人では何度触れようと思っても触れられなかったのに。

 左手を水晶玉に添えると、光が強くなり、手の甲が温かくなる。光が収まって手の甲を見ると、一瞬だけ紋様もんようが浮かび上がり、そしてすぐに消えていった。


「順番が来たら、さっきと同じように紋様が手に浮かぶんだ」


 視線を向けると、茶褐色の瞳と目が合う。今度は逸らす事なく、大きく頷いた。


 もう逃げられない。怖くても、逃げ出したくても、向き合わなければならない。

 すぐに折れそうになる心をふるい立たせるように、千晴は左手を強く握り締めた。

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