1-14.祈り

 翌日になって、祈祷部屋きとうべやから祈祷者が出てきたという知らせを聞いた。


「たった一日で出てくるなんて、当人が一番驚いてたぞ」


 様子を見に行っていたヤシューが言った。

 階下で誰かが叫んでいる。俺はまだやれる!なんで出なきゃならないんだ!と、半狂乱になっているのが聞こえた。


「……かなり長い事待ってたみたいだな。ここに長くいればいるほど体力が落ちるし、何より、一度目よりも二度目にあの部屋に入る方が勇気がいんだよ……」


 彼は苦い顔をしてそう言った。

 ふと左手に違和感を感じ、視線をやる。見ると、手の甲に紫色の紋様もんようが浮かんでいた。


「え……?」


 驚いて自分の手を凝視する。

 ありえない、こんなすぐに順番が来るなんて。ガイはもっと待つ事になるだろうって言っていたのに。

 ヤシューもこちらの異変に気付き、狼狽うろたえた様子でこちらの手を指差した。


「おい、千晴! それ……!?」

「ど、どうしよう!?」


 助けを求めてそう言うと、彼はこちらの手を取った。


「と、とにかく来い!」


 ヤシューに連れられ階下に下り、正面ホールへと向かう。そこにはすでに多くのダブル達がおり、次は自分の番だというように扉の前でたむろしていた。その人垣を押しのけ進んで行く。途中、通り過ぎ様数人に手の甲を見られ、ざわざわとそこかしこで喧騒けんそうが起こった。

 祈祷部屋の階段下にガイとマハの姿を見つけ、声をかける。振り向いた二人もこちらの異変にすぐに気付いた。二人の顔が、驚愕きょうがくの色に変わる。


「まさか、昨日順番待ちに並んだばかりだったんじゃないのかい!?」

「俺も驚いて、急いで連れて来た!」


 千晴はガイの顔をうかがった。彼は驚きの表情で固まったまま、何も言わなかった。何か声をかけようと口を開いたが、その前にヤシューに肩をつかまれる。


「千晴! お前、もしかしたらやっちまうかもしれねぇぞ!」


 興奮した様子で揺さぶられ、口をぱくぱくさせるしかない。千晴はこの事態が上手く飲み込めていなかった。


天管てんかんにいる期間が短いのに順番が来た祈祷者は、魔力を得る可能性が高いんだ! 千晴の順番がすぐに来たのは、天がお前の祈りを重要なものだと思っているからだ!」


 マハも腕を掴んでくる。


「絶対に諦めるんじゃないよ! しっかり気張りな!」


 すさまじい気迫で迫ってくる彼女が何だか恐ろしくて、鼓舞こぶされているはずなのにどんどん自分が小さくなっていくような気がした。


「おい、ガイ! お前も何か言ってやれ!」

「……」


 ガイは何も言わなかった。眉間みけんしわを寄せ、怒っているような、悲しんでいるような複雑な表情をしている。後から来たこちらの方が先に祈祷部屋に入る事になって、きっと素直に喜ぶ事が出来ないのだろう。


「……ごめん」


 気付くと、そうつぶやいていた。


「……扉まで一緒に行く。千晴はすぐに逃げるから」


 彼が手を差し出してきたので、小さくうなずき、その手を取った。

 背後からヤシューやマハ、他の者達が鼓舞してくれる声が聞こえる。何人かは背中を叩いてはげましてくれたが、一歩進む毎に不安は増していった。


『お願いだから、そんなにかさないで……』


 ついつい力がこもり、ガイの手にこちらの指が食い込む。すぐに気付いて力をゆるめようとすると、彼が強く握り返してくれた。


『決めたら逃げない事だよ』


 そう言われた彼の言葉を思い出す。千晴は心の中で小さくくすぶる炎を、必死に消さないようにしていた。

 小階段を登りきり、開け放たれた小さな扉の先をのぞき込む。細い通路があり、その先にまた扉があった。

 通路は薄暗い。心に、また不安の影がかかる。


「千晴」


 呼ばれて振り向くと、真っ直ぐな瞳がこちらを見つめていた。茶褐色ちゃかっしょくの、するどく綺麗な目だ。


「千晴がここに来たのはきっと正しかったんだ。大丈夫、千晴なら大丈夫。戻ったら皆でお祝いしよう。……白湯さゆしかないけど」


 そう言ってガイは笑った。彼の手が、また強くこちらを握り返す。

 彼はいつも勇気をくれる。自信がなく、何一つ進む道を決められない自分に。本当は彼の方が祈祷部屋に入る事を望んでいるだろうに。悔しいだろうに。

 彼の勇気を少しでも分けて貰いたくて、千晴は彼の手を両手で思い切り握り締めた。


「行ってくる!!!」


 そうして、ぱっと手を放す。思い切って扉をくぐった。

 声が震えていた。こうでもしないと、最初の一歩を踏み出せない気がした。

 扉は潜るとすぐさま閉まり、一気に辺りが暗くなる。


 周りを見回すと、細い通路の壁一面がびっしりと、扉に描かれていたのと同じような紋様で覆われていた。紋様の溝があわく青色に発光し、道を照らしている。通路の先にある扉に目をやると、隙間から光がれ出ているのが見えた。短い通路を奥へと進み、その扉を開ける。

 急に明るい光が飛び込んできて、目がくらんだ。慣れた頃にもう一度見渡すと、そこは正面ホールよりもさらに一回り小さなホールになっていた。ただ、正面ホールとは違い、そこは明るい光で満たされている。

 天井を見上げると、中央に鏡がめ込まれていた。鏡と言っても物を映し込んでいる訳ではなく、白い煙のような光がゆらゆらと中で揺れているだけだ。それと対になるように、床の中央には丸いガラスが張られている。ガラスの中を覗き込むと、木造の竜の彫り物がおさめられていた。体を丸めて翼を広げ、今にも空に飛び立とうとしている姿だった。瞳には翡翠ひすいの玉がまっている。壁は廊下にもあった紋様が続き、一面を覆っていた。

 ここにある物は、それで全てだった。千晴は呆然としたまま、ただ立ち尽くしてしまう。


「……祈り方、どうすればいいのかガイに聞いておくんだった」


 そうひとりごちてみるが、当然何の返事もない。突っ立っていてもしょうがないので、見様見真似でもやってみようと床に埋められた竜の彫り物に向かって手を合わせてみた。


「私を賢竜けんりゅうにして下さい」


 何の反応も返ってこない。


「……私を家に帰して下さい」


 強い願いなら聞き届けて貰えないかと呟いてみるが、これに対しても何の反応もなかった。


「……とりあえず、やってみるっきゃないか」


 千晴はその場に座り込み、腰をえて祈り始めた。





 ********





 あれから何時間経っただろうか。

 あの後片膝を付いて祈ったり、床に頭をこすり付けたり、訳もなく部屋を歩き回ったりと色々な事を試したが、祈りを聞き届けて貰えたようなきざしは一向に表れなかった。

 部屋には明り取りの窓さえなく、天井に嵌められた鏡から絶え間なく白い光が降り注いでくるので時間の流れが全く分からない。体感ではもう半日以上こうしている気がした。先程から頭がずんと重く、外側から締め付けられるような違和感が続いている。

 祈祷部屋にはまじないが掛けられていて、食欲やら睡眠欲がない代わりに、全てが疲労感として体に蓄積されていく。ヤシューがそう言っていた事を思い出す。一度気になりだすと、どんどん症状が悪くなっていく気がした。体もだるく、とうとう我慢出来ずにその場にひざを付く。


「きっつ……」


 中学のマラソン大会で走らされた時もこんな感じだったろうか。今は激しく動き回った訳でもないのに、息が浅い。鳥肌が立ち、眩暈めまいがする。自分の体が精一杯、体の異常を知らせているようだった。

 このままではまずい。ここから出ないと。

 そんな考えが頭に浮かんだが、すぐに部屋を出たらまたガイに怒られてしまうかもしれない。そうして躊躇ためらっている間に今度は耳鳴りがしてきて、そんな悠長ゆうちょうな事を考えているひまではないと思い直した。重い体を何とか起こし、ホールから出る。

 暗い通路をのろのろと戻り、小さな扉に手をかけた。ぐっと力を入れ押してみるが、びくともしない。

 あれ、と思い今度は引いてみた。が、一向に開く気配がない。

 今度はさっきよりも強い力で押してみるが、それでもびくともしなかった。え、え、と困惑しながら、今度は自分の全体重で押してみる。それでも扉は、一向に開かなかった。

 ひたいに、冷たい汗が伝っていく。


「え、なんで開かないの……? だ、誰かそこにいませんか!?」


 ドンドンと扉を叩き、向こう側に呼びかける。しかし、何の返答もない。


「私出ます! ここ、開けて下さい!!」


 そう言ってめちゃくちゃに扉を引いた。どこかに閉じ込められるという事がこんなにも恐ろしい事だとは思わなかった。千晴の目に、涙がにじんでいく。


「誰か開けて!! ここから出して!!! ガイ! ヤシュー! マハ!!」


 声の限りに叫んだが、暗い通路に鼻声の情けない声が響いただけだった。





 ********





 先程より、ひどい頭痛がする。

 あの後も扉の前でしばらく叫び続けていたが、誰も気付かないのか、扉は一向に開かなかった。暗くて狭い通路にいると、それだけで不安はさらに増大する。

 外に出るには出してくれという願いを聞き届けて貰わないと出られないのかもしれない。さっきまでの願いは自分の心の底からの願いじゃなかったから聞き届けられなかっただけなのかもしれない。そう考え、千晴は足を引きるようにホールに戻った。

 そうして戻ってくると、またどんどんと体が重くなっていく。あまりにしんどくて、体を丸めてうずくまった。額にガラスの冷たい感触がする。


「お願いです、外に出して下さい。私の考えが甘かったのは良く分かりました。でも、もう限界です……。もう、賢竜になれなくてもいいから、私を外に出させて……。お願いします……」


 お願いします。何でもしますから、お願いします。

 何度も何度も、千晴は祈り続けた。心の底から願った。本当の願いだった。

 ホールで祈り、一縷いちるの願いを込めて扉に戻るという事を何度も繰り返した。

 幾度目か、扉が開いているか確かめに行った時、相変わらずびくともしない扉を前に、千晴は腹の底から沸々ふつふつと怒りがき上がってくるのを感じた。


「なんで開かないのよ!!? 私が何したって言うのよ!!! なんでこんな所で死ななきゃならないの!!! 早く出して!!!!」


 そう言ってむちゃくちゃに扉を蹴飛けとばすが、反動で足がもつれて転んでしまう。そんな自分がみじめで、あっという間に目の前がぼやけていった。


「なんでこんな事に……」


 それでも扉は開かなかった。





 ********





 どれだけの時間が過ぎただろう。

 体がなまりのように重い。もう扉の前に行って、開いているかを確認する余裕もなかった。

 眩暈が酷く、目を開けている事さえ辛い。胸焼けがして気持ち悪いのに、嘔吐おうとする事は出来ない。いっそ何か吐き出せたら楽かもしれないのに、口を開けても何も出てこなかった。

 重い瞼をかすかに開いてみると、揺れる視界のすみには木彫りの竜が見える。


「……早く出して」


 かすれるような声でそう願っても、竜は何も言い返してはこない。

 どうして私がこんな目に。私が何をしたっていうの。そんな考えが頭の中を回り続けた。

 祈りが足りないから聞き届けられないのだろうか? でも、しょうがないじゃないか。本当は賢竜になんてなりたくないのだから。自分がそう願っていないのに、どうやって心の底から祈れると言うのだろう。

 千晴は木彫りの竜をにらみ付ける。


「……どうしろって、言うのよ……!」


 吐き捨てた言葉にはしかし、感情のない翡翠色の瞳がただ見つめ返してくるだけだった。





 ********





 体が動かない。

 腕を動かそうと力をめるが、痙攣けいれんしたようにぴくりと指先が動いただけだった。

 全身が石のように重い。

 まるで大きな腕で、上から押さえつけられているようだった。


『このまま、死ぬんだろうか』


 そんな考えが頭をぎる。

 ふと、昔の事を思い出した。耳を塞ぐ圧迫感。口から漏れる空気の音だけが、鼓膜の奥で鳴り響く。川でおぼれた時の記憶。

 あっという間に意識が遠のいて、真っ暗になったあの記憶。

 あの時はあんなにあっという間だったのに。早く終わってくれればいいのに。

 そう思った。


『死ぬのはあっという間なのに、生きるのはどうしてこんなにも長くて苦しいの』


 目を閉じると、まぶたの裏にはあの時と同じ闇が広がっている。

 闇の中で、記憶の中にある色とりどりの蛍が揺らめいていた。


『あぁ、懐かしい。綺麗な光だ』


 訳もなく笑えてくる。

 声を上げる気力もなくて、口角こうかくゆがんだようにるだけだった。


『死神さん、今度は助けなくていいからね』


 頭の中で、そう呟いた。

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